トニー・ジャット 『荒廃する世界のなかで  これからの「社会民主主義」を語ろう』 (みすず書房)

2010年死去した歴史家の遺著。

他の著作に『ヨーロッパ戦後史 上・下』(みすず書房)があるが、分厚さに気おされて未読。

本書は市場原理主義への批判と社会民主主義の再評価を述べた評論。

副題がマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を意識して真似たみたいで、みすず書房らしくない安っぽさ(違ってたら御免なさい)。

冒頭、本書の論旨をよく表わしている以下の文章あり。

今日のわたしたちの生き方には、何か途方もない間違いがあります。わたしたちはこの三十年間、物質的な自己利益の追求をよしとしてきました。実を言えば、今のわたしたちに共通の目標らしきものが残っているとすれば、この追求を措いて他にありません。何にいくらかかるか、わたしたちはよく分かっていますが、それが真に値打ちあるものなのかどうか、皆目見当がつかないのです。わたしたちはもはや、司法的な規制や立法的な措置の必要など意に介さなくなっています。それは善いことか? それは公平であるか? それは正義に反しないか? それは間違っていないか? それが果たして社会を改善し、世界を良くすることに役立つのか? 答えは容易に見つかるわけではありませんでしたが、まさにこうした政治的問いというものが、かつては確かに存在していました。わたしたちはここでふたたび、こうした問いを提起し直さなくてはならないのです。

今日日(きょうび)の生活の特質である実利主義・自分本位主義は、人間の条件そのものに内在しているのではありません。今どき「自然」のように見えていることの大部分――富の創造に取り憑かれること、民営化・民間セクターを金科玉条とすること、貧富の格差が弥(いや)増すこと――は、1980年代以後に起こったのです。そして何といってもこれらの現象に付随して、暴走する市場への無批判な礼賛や、公共セクターに対する謂われなき侮蔑や、限りなき成長というたわいない妄想が、レトリックとして一世を風靡してしまったのです。こんな生き方をつづけてゆくことはできません。2008年に起こった暴落は、規制なしの資本主義は資本主義自体にとって最悪の敵であることを思い起こさせてくれました。放っておけば遅かれ早かれ、資本主義は自らのご乱行が仇となって、国家による救済を求めざるを得なくなるに違いありません。しかし小手先でごまかすだけでこれまで通りをつづけるなら、来るべき将来にはもっと深刻な激動を招く可能性があるのです。

日本でも世界でも、現状を見ると、残念ながら、財力にものをいわせたロビー活動と固定観念を利用したデマゴギーによって、「小手先でごまかすだけでこれまで通りをつづける」ことになっているようです。

その後、80年代以降の新自由主義政策の弊害を述べるために、所得格差と健康・社会問題インデックス、殺人数、精神疾患罹患率などの相関関係を示す表が掲げられているのですが、本文中では記述が無いものの、この表において日本は殆どの場合、圧倒的に優秀な位置に存在している。

悲しいかな、これも今は変わってしまったか、変わりつつあるんでしょうね。

1960年代の新左翼による画一主義打破、個人主義最重視の活動が、結果として旧左翼没落後の新自由主義台頭を準備する皮肉な逆説を指摘。

その新自由主義の「教祖」フリードリヒ・ハイエクについて。

「ハイエキズム」自体が一つの教義だと言ったのは、マイケル・オークショットでした――「あらゆる計画化に抵抗しようという計画は、その逆よりは良いかもしれないが、それと同じスタイルの政治に属している。」

ハイエクの別の一面(引用文(西部邁2)「マスメディアの構造と空気」)を考慮しない自称ハイエク主義者とエピゴーネンたちが我が物顔で横行し、以下のような所業を行うのが常態となってしまっている。

シニカルな(あるいは単に無能なだけの)銀行役員やトレーダーの背後には、必ず経済学者が控えていて、彼らに(そしてわたしたちに)知的権威という絶対的立場から、彼らの仕事が公益にかなうこと、したがっていかなる場合でも集合体からの監督など受けるべきものではないことを確言してくれるのです。

ここで、具体的な顔を思い浮かべる方もいるかもしれませんね。

さらに、資本主義を長期的、安定的に存続させるための条件は、決して市場自体からは出てこないことを指摘。

わたしたちが信頼なしではやっていけないことは明らかです。お互いに信頼し合わないのであれば、相互扶助のための税金など、わたしたちは支払わないでしょう。あるいはまた、信頼のおけない仲間市民の手にかかって暴力や騙しの憂き目に遭う恐れから、遠くへの外出は避けるようになるでしょう。さらに加えれば、信頼とは抽象的な美徳ではありません。資本主義は今日多くの批判に晒されていますが、その批判者のすべてが左翼というわけでは決してないのです。なぜかというと、市場と自由競争にも信頼と協力が必要だからです。銀行は誠実にやってくれる、不動産屋は物件に抵当権が付いていないかどうか本当のことを言ってくれる、公的規制機関は不正取引を取り締まってくれる――こうした信頼がなければ資本主義自体が動かなくなってしまうでしょう。

信頼や、協力や、共通の善のための集合的行動は、市場から自動的に発生してくるのではありません。まったく正反対です。ルール破りの競争参加者は倫理的に敏感な競争者に対して――少なくとも短期の勝負では――勝つ、というのが経済競争の本質なのです。しかし資本主義は、そうした徹底して利己的な行動を長期にわたって耐え抜いて生き残ることなど、できないでしょう。それならなぜ、この潜在的には自己破滅的な経済活動のシステムが今まで持続してきているのでしょうか?おそらく、資本主義の出現時からそこに寄り添っていた節度、正直、穏健といった習慣のおかげでしょう。

しかしながら、長年つづいてきた宗教の、あるいは共同体の諸慣習に由来するこうした諸価値は、資本主義それ自体の本質として備わっているわけでは毛頭ないのです。伝統社会がもつ抑制力や、世俗エリートおよび教会エリートの持続的権威に支えられたことで、資本主義実践者の道徳的欠点は間違いなく補正されているという結構至極な幻想が生まれ、資本主義の「見えざる手」はそこから大きな恩恵をこうむったのでした。

出発当初の、こうした幸福な条件は、もはや存在しません。契約というものに基盤を置く市場経済が、自らの内部からそうした条件を生み出せるはずもなく、それだからこそ、規制なしの経済市場と見境のない極端な貧富の差が社会を蝕んでゆく脅威については、社会主義の立場の批判者のみならず宗教の立場からも懸念が表明されたのです(特筆に価するのは、20世紀初頭の改革派教皇レオ13世です)。

1970年代までであれば、人生の核心は金もうけにあり、それを奨励するために政府がある、などという考えは、資本主義に対する伝統的な批判者のみならず、その最強の擁護者の多くからも、嘲笑されていたことでしょう。第二次世界大戦後の数十年間は、他の時期と比べて、富のための富という考え方が大きな関心を得ることがなかったのです。

上記引用は、村上泰亮『産業社会の病理』(中公クラシックス)を思い起こさせます。

また、以下のように、原子的個人主義を媒介にする、新自由主義と全体主義の親和性を指摘しているのは非常に鋭い(コーンハウザー『大衆社会の政治』(東京創元社)参照)。

こうして「社会」を、私的個人同士の相互活動で出来上がる薄い膜のようなものへと縮小することは、今日、リバタリアンや自由市場主義者の野望として提示されています。しかし、わたしたちが忘れてはならないのは、それが何よりもまずジャコバン派、ボリシェヴィキ、そしてナチスの夢であったということです――もしわたしたちを、共同体あるいは社会として結び合わせるものがないならば、わたしたちは完全に国家に依存するしかない、というわけです。・・・・・

こうしたプロセスに、不可解な部分などまったくありません。それはエドマンド・バークのフランス革命批判のなかで、十分に述べられています。彼が『フランス革命についての省察』のなかで書いているのですが、国家の骨組みというものを破壊してしまうような社会は、すぐにも「個人性という粉塵へと空中分解してしまう」に違いありません。公共サービスを骨抜きにし、それらを民間供給者のネットワーク委託という形にまで縮小することで、わたしたちは国家の骨組みの解体に手をつけたのです。「個人性という粉塵」について言えば、それこそ正にホッブズのいう、万人の万人に対する戦争にそっくりで、そこでは多くの人びとの生活が孤独で、貧しくて、少なからず不快なものになってしまうのです。

こうした現状に対して、著者は「世論を鍛え直す」ことを主張するが、以下のように直接民主制への警戒を持っていることからして、決して凡庸な左派ではない。

直接民主主義は、小規模の政治単位においては、参加の度合いを高めます――と言っても、そこには画一化や多数派による圧迫という危険がつきまといます。異論や異説に対して潜在的な抑圧性をもっているのは、タウンホール・ミーティングやキブツを措いて他にありません。どこか遠くで行われる集会において自分の代わりに発言してくれる人を選ぶというのは、大規模で複雑な共同体のさまざまな利害関係のバランスをとるメカニズムとして、理に適っています。・・・・・

本質的な議論を、こうして抑え込んでしまうことの悪い結果は、わたしたちの身の回りにいっぱいです。今日のアメリカでのタウンホール・ミーティングと「ティーパーティー」は、18世紀に創始された原物の、模造品でなければパロディーにすぎません。議論を捲き起こすどころか、閉じ込めてしまうのです。デマゴーグが群集に向かって何を考えるべきかを告げ、その言葉がこだまとなってもどってくると、デマゴーグたちは大胆にも、自分は一般国民の心情を中継しているだけだと宣(のたま)うのです。イギリスでは、テレビが驚くほど効果的に使われていて、国民の不満の安全弁となっています。プロの政治家たちは今や、移民政策から小児性愛までのあらゆる問題に関する、即時テレフォン投票や人気調査という形の「民の声」に耳を傾けていると言っています。自分が抱いている恐怖感や偏見を、ツイッターで視聴者へと返信することで、彼ら政治家たちは、自分が果たすべきリーダーシップやイニシアチブの重荷を免除されてしまうのです。

結論として、著者は今こそ、社会民主主義の遺産を継承することが必要だとする。

もしもわたしたちが国家を持ちつづけようとするのなら、そして国家が人間の営みのなかで重要な意味を持ちつづけるのなら、社会民主主義の遺産には存在価値があります。過去はわたしたちに、教えることがあるのです。エドマンド・バークは、当時彼が行なったフランス革命に対する悲観的な批判のなかで、未来の名の下に過去と絶縁してしまう未成熟な傾向に警告を発しました。彼は書いています――社会というものは、「・・・・・生きている者同士の協力関係に止まらず、生きている者と、死んだ者と、これから生まれてくる者との協力関係である」と。

この見解は、保守派の典型として読まれています。しかし、バークは正しいのです。すべての政治論議は、未来を改善する夢だけではなく、過去の業績――自分たちがやり遂げたことと先輩たちがやり遂げたこと――との、わたしたちの関係を深く認識することから出発する必要があります。左翼は余りにも長きにわたって、この要請に無頓着でした。わたしたちには19世紀ロマン派の呪縛があり、古い世界に別れを告げて、既存のものすべてに根源的批判を加えることに躍起になってきたのです。そうした批判は、重大な変革のための必要条件ではあるでしょうが、わたしたちを迷走させる危険な可能性があるのです。

通俗的なイメージとは異なる意味で、左派と右派の違いを述べた以下の文章も、特に今世紀に入ってからの、日本の現状を考える上で示唆的である。

わたしたちは通常、「左翼」から用心深さを連想することはありません。欧米文化の政治的想像空間において、「左」が象徴しているのは急進的、破壊的、刷新的ということです。ところが本当は、進歩的な諸制度と深慮の精神とのあいだには、密接な関係があるのです。民主主義的な左翼は、これまでしばしば喪失感に突き動かされてきました――時には理想化された過去の喪失感、時には私的利益によって無残に蹂躙された道徳的心情の喪失感です。この二世紀のあいだ、経済的な変化はすべて良いほうに向かっているという、飽くなき楽観的な考えを抱きつづけてきたのは、空想的市場主義リベラルでした。

全世界向けプロジェクトの名において、破壊と刷新という近代的野心を継承したのは、右翼のほうでした。イラクにおける戦争から始まって、公費教育や医療サービスの解体というゴリ押し的な欲望、さらには数十年にわたる金融の規制緩和プロジェクトに至るまで、サッチャーとレーガンからブッシュとブレアまでの政治的「右」は、政治的保守主義と社会的穏健主義との結びつきを断ち切ってしまったのです。

一部異議のあるところがないではないが、総合的には全然気にならない。

共産主義が人類史上最も邪悪な思想だという認識にはいささかも変わりないが、(経済体制としての)社会民主主義に対するアレルギーはここ5、6年で自分でも驚くほど雲散霧消してしまった。

むしろ最近では、資本主義批判の視点を持たないような「保守」は醜悪な偽物だ、とますます確信するようになっているので、本書の主張にも全く違和感無し。

お勧めします。

参考文献としては、荒井一博『自由だけではなぜいけないのか』(講談社選書メチエ)カール・ポラニー『大転換』(東洋経済新報社)西部邁『経済倫理学序説』(中央公論社)などをどうぞ。

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杉山正明 『クビライの挑戦  モンゴルによる世界史の大転回』 (講談社学術文庫)

もとは1995年朝日選書刊。

2010年版元を変えて文庫化。

三部構成で、第1部はモンゴルの世界制覇の実像とイメージのズレを再検討、第2部はクビライ(フビライ)の権力確立プロセスの確認、第3部はクビライ時代の統治と通商・交通の描写。

まず第1部、モンゴルに付きまとう破壊・虐殺・野蛮・蒙昧といったマイナスイメージを史料に即して否認。

中国・杭州(キンザイ)の繁栄を記すマルコ・ポーロ(この「マルコ」は本書では複数人の証言の合わさったものとされている)の言葉が、南宋ではなくまさに元代のものであることを改めて指摘。

科挙が事実上停止され士大夫・読書人の不満がつのったとされるが、実務能力に応じた柔軟な人材登用が行われており、「官界から締め出された士大夫が元曲を作った」という高校世界史でお馴染みの定説も否定している。

中央アジア・イランでのオアシス都市破壊の描写も誇張であり、モンゴル以後の15世紀ティムール時代に中央アジアが史上最盛期を迎えたことをその証拠としている。

ロシアの「タタールのくびき」については、史上有名な1241年ワールシュタット(リーグニッツ)の戦いと、翌1242年にアレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破ったチュード湖氷上の戦い(山内進『北の十字軍』参照)という、ほぼ同時に生じた二つの史実を挙げ、ロシア諸侯とモンゴル勢力の両者が暗黙の了解で事実上協力していたのではないかと推測している。

あと、ウォーラーステインの「世界システム論」とモンゴル制覇についてあれこれ書いているが、著者の意見がはっきり読み取れないのでパス。

1206年がチンギス・ハン即位の年。

その少し前、1204年に第四回十字軍がコンスタンティノープルを攻略。

教科書では全くバラバラに出てくるが、この二つの超重要史実は極めて接近した時点に存在している。

モンゴル侵攻と後期十字軍は同時代で、この時期イスラム世界は東西から挟撃されていたことになる。

ルイ9世による第六回十字軍が1248~54年、そして1258年フラグのバグダード入城とアッバース朝滅亡を挟んで、同じくルイ9世の第七回十字軍が1270年。

(ここでルブルック派遣[1253~55年]を想起。)

用語について。

トルコ語・モンゴル語では人間集団の長をカン、君長たちの上に立つ至高の存在をカアンと呼ぶので、(高校教科書のように)すべてをハンまたはハーンと表記するのは不適切だとしている。

なおモンゴル時代には「ハン」より「カン」に近い発音だったはずだとして、よって本書ではフビライ、ハイドゥはそれぞれクビライ、カイドゥと表記されている。

ちなみに確かこの第1部では以下の文章がある。

反対に、モンゴルとなると、やたらとほめる動きがある。その傾向は最近になって特にはげしい。・・・・・歴史において、不当な過小評価や曲解、理不尽な非難や断罪はよくない。しかし、かといって、いきすぎた評価や美化、わけのわからない賛美や称揚も、おそろしい。どちらも、おもいこみであったり、ためにするものであったり、ときにはそれと承知の嘘であったりするからである。

一瞬、「これは・・・・・先生ご自身のことでは?」と思ってしまったのは、私の無知蒙昧が成せる業だと申しておきます。

 

第2部。

西アジア征服に出たフラグがモンケ・ハン死去により帰還、その途中でフレグ・ウルス(イル・ハン国)建国。

残留軍が1260年アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝(1250年成立)のバイバルスに大敗、この後バイバルスが即位することになる。

(このアイン・ジャールートの戦いってそろそろ高校教科書に載りそうな気がしないでもない。)

ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)とフレグ・ウルスが激しく対立したため、ジョチ・ウルスとマムルーク朝が同盟関係に。

1261年ラテン帝国を滅ぼし、ニケーア帝国からビザンツ帝国を再興させたパラエオロゴス朝が使節通過を許可することによってこの両者を取り持つ。

本書ではジョチ・ウルス配下のトルコ系遊牧民とマムルークの共通性が指摘されている。

東方では、クビライよりも、都のカラコルムで即位した弟アリク・ブケの方が正統的と言えるが、クビライが奪権。

教科書にも太字で出てくる「カイドゥの乱」は誇張であり、ユーラシアの交流・通商は途切れることは無かったと指摘。

第3部。

上記の通り、クビライ即位の事情はやや非正統的だったとは言え、「フビライの不完全な君主即位→四ハン国の分裂」という高校世界史のイメージは否定。

まず、クビライ政権は中華王朝「元朝」ではなく、「大元ウルス」と呼ぶべきと強調。

中国は重要ではあるが、あくまで領土の一部であり、大元ウルスは編成し直したモンゴル帝国だとする。

草原の軍事力・中華の経済力・ムスリムの商業力を結合し、政治的分権体制を容認しつつ、ユーラシア全土の通商・流通活動を整備・活発化させることによって大元ウルスの覇権を維持するというのがクビライの構想。

あとは交鈔の問題。

帝位争い、ラマ教盲信と並んで、交鈔によるインフレーションが「元朝」の三大衰退原因として教科書に載っている。

しかし著者はこれを否定、実用に供された交鈔は実は高額紙幣ではなく、少額通貨の銅銭の代わりに使用された低額面のものであり(この点で今の紙幣と通貨の関係の逆)、そこで余った銅銭が日本に輸出されており、日本での宋銭の大量出土は通説のように日宋貿易の繁栄を物語るものではなく、むしろ日元貿易の殷賑振りを示すものだとしている。

こうしたモンゴルのユーラシア統治システムが崩壊したのは14世紀後半の黒死病蔓延という天災が襲ったことが原因だと著者は主張。

つまり「モンゴルの大征服活動によって黒死病が広まった」という説に対して、著者は全く逆に捉えている。(このことは杉山氏の『大モンゴルの時代』の記事でも少し触れています。)

モンゴルが去った中国では15世紀永楽帝没後の明朝が大きな方向転換を成し、海禁政策を採用することで、海洋貿易活動が衰退、これが大航海時代以後の東洋と西洋の運命を分けることになったとして本書を終えている。

そこそこ面白いですけど、まあ普通ですね。

上にメモした通り、いくつか興味深い論点はあるが、一冊でも杉山氏の本を読んでいれば、特に読む必要は無いかも。

この記事を見て、気になった方だけどうぞ。

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30冊で読む世界史 その2

その1の続き。

ラテン・アメリカは、(16)高橋均『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)で先史時代から現代までカバーできるので、即決。

全集モノで傑作があると、こういうとき楽です。

オセアニアはさすがに勘弁して下さい。

もし何か読むのなら竹田いさみ『物語オーストラリアの歴史』(中公新書)だけでいいでしょう。

しかし今の時代、アフリカは省略できんよなあと考え、(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)を挙げる。

イスラム・中東も中公の全集に(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)という名著があるのでほとんど迷わない。

本書がオスマン以前しか叙述していないというのなら、後藤明『ビジュアル版イスラーム歴史物語』(講談社)が非常にわかりやすい形式で現代までの西アジア全史を物語ってくれていますので、これで代用しましょう。

あと、菊地達也『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(講談社選書メチエ)はタイトルが与える印象とは異なり、宗教史ではなく、やや詳しい通常の通史としても使えます。

一般常識レベルの本として、阿刀田高『コーランを知っていますか』(新潮文庫)で肩慣らしをして、現代史では藤村信『中東現代史』(岩波新書)辺りで基礎を作りますか。

続いて中央アジアですが、これがねえ・・・・・。

間野英二『中央アジアの歴史 (新書東洋史8)』(講談社現代新書)も、羽田明『西域 (世界の歴史10)』(河出文庫)もいまひとつとの感がある。

迷った末、やや簡略だが、(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)を選択。

お茶を濁したとの印象が拭えませんが、これはオリエントと並んで今後の宿題にさせて下さい。

他に井上靖『蒼き狼』(新潮文庫)は有名な作品で読みやすいし、一読しておいてもいいでしょう。

なお杉山正明先生の『大モンゴルの時代 (世界の歴史9)』(中央公論社)など一連の著作は、初心者に勧めてよいものやら、判断に迷います。

インドに入ると、ここでも(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)と極めて使い勝手の良い本があるので、すぐ埋まる。

これもイスラム史と同じくムガル朝以前のみで全体をカバーしてないが、かと言ってターパル、スピィア『インド史 全3巻』(みすず書房)じゃ初心者にとってハードルが高すぎる。

この辺は網羅性をある程度犠牲にしても、挫折せず読み通すことを優先して上記本を採用。

加えてサブテキストして、渡辺照宏『仏教』(岩波新書)でも読んでおきますか。

東南アジアも個々の著作ではそこそこいいものがあるが、全域の通史ではすっと思い浮かぶものが無い。

永積昭『東南アジアの歴史 (新書東洋史7)』(講談社現代新書)は簡略過ぎて、ちょっとインパクトに欠ける。

思い切って柿崎一郎『物語タイの歴史』(中公新書)で通史の代用にするかとも思うが、いくら主要国でも一国史で全域の歴史を代表させるのは問題があるかと思い止まる。

結局、(21)石澤良昭 生田滋『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)を採用。

これは書名一覧で評価4となっていますが、今思うと「そんなに面白かったかなあ」との疑いが生じている。

しかし、まあ暫定的には基礎テキストとして採用しても大丈夫な本だと思います。

さて、やっと中国史まで来た。

通史としては、やはり(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)がベスト。

好き嫌いはあると思うが、個人的にはこの本は決して外せない。

ただし、クセがあってどうしても駄目だという場合は寺田隆信『物語中国の歴史』(中公新書)で代用できます。

冊数制限が無ければ、宮崎先生の本だけで10冊近くいってしまうのだが、厳選に厳選を重ねて、(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)を挙げる。

史観の大胆さ、叙述の華麗さで並ぶものの無い、時代別通史の傑作。

そして、ギリシア史でヘロドトス・トゥキュディデスを挙げたのと同様に、中国史でも(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)に挑戦してみましょう。

これは初心者に通読できる形式・内容の古典ですので、是非読破しておきたい。

加えて、歴史小説の傑作、(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)を。

この本、面白過ぎますので。

全30冊なら、中国史で4冊費やせば、とりあえず打ち止めですかね。

宮崎氏の『科挙』(中公文庫)のような、定番中の定番も外さざるを得ない。

また、これもリストには入れられませんでしたが、中国現代史の基礎を固めるため、中嶋嶺雄『中国 歴史・社会・国際関係』(中公新書)でも読んでおきますか。

これ1冊でもこなしておけば、初心者にとっては大いに違います。

中国史は他分野に比べて日本語で読める啓蒙書の絶対数がはるかに多いので、他にも、このブログで挙げている、いないに関わらず、読みやすいものを読破していって、知識を地道に増やしていって下さい。

最後に朝鮮史を。

ここも迷う。

水野俊平『韓国の歴史』(河出書房新社)金両基『物語韓国史』(中公新書)姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』(朝日選書)も、いまいち決め手に欠けるなあと思う。

金素雲『三韓昔がたり』同『朝鮮史譚』(講談社学術文庫)は読みやすいのはいいが、通史としてはやや物足りない。

と思っていたが、(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)を忘れていた。

これは疑いも無く傑作である。

基本、史論・評論のような本だが、一応後半部は簡単な韓国通史の形式になっているし、初心者には様々な面での効用が期待できる。

本書は1970年代末期の著作であり、岡崎氏の現在の政治的立場はほとんど反映されていないので、そうした面を気にする方はご心配不用です。

これは繰り返しページを手繰るべき本でしょう。

地域別カテゴリはこれまで。

テーマ的カテゴリから残り数点を抽出。

近現代概説より(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)を挙げる。

これまで何度勧めたかも思い出せないほどだが、高校レベルの初心者にとって、この両著が与えてくれる効用は本当にずば抜けてます。

最も初歩的な現代史入門として最高の出来。

これらが新刊で入手できない状態を何とか解消して頂けないでしょうか。

もし復刊ということになりましたら、豆粒みたいなブログですが、大いに宣伝させて頂きますので、どうかよろしくお願い致します。

加えて、戦後世界史の概説書が一冊欲しい。

猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)にしようか、それより少しは叙述範囲の広い猪木正道 佐瀬昌盛『現代の世界(世界の歴史25)』(講談社)にしようか、と迷いましたが、結局(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)を採用。

完全な初心者にはやや良さがわかりにくい本かもしれませんが、やはりこれは外せないという結論に達しました。

これも噛めば噛むほど味の出る本で、数度通読する価値のある書物です。

あと一冊、最後に国際関係・外交分野から(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)を挙げてラストを飾る。

この本を読んだときの衝撃と感動は今もありありと心に浮かび、忘れられないものがある。

政治や外交について初心者が学ぶ際、是非とも通り抜けておくべき本と言えます。

また、ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史』(有斐閣)も優れたテキストなので一読の価値有り。

なお、基礎的な道具類として、教科書・年表・事典のカテゴリを見て、高校教科書をどれか一冊手元に置いておくと宜しいかと思います。

(と言っても、山川出版社の『詳説世界史B』以外は入手困難でしょうが。)

あと、簡易世界史事典のつもりで『世界史B用語集』(山川出版社)を所持し、大型書店の受験参考書コーナーで歴史地図の付いた高校副読本のうち、気に入ったものを一つ購入する。

世界史関連本を読んでいく中で、気になった事項をこれらでチェックして、知識を確認していけばいいでしょう。

教科書と用語集は本棚に仕舞い込んで置くのではなく、机の上か床の上に無造作に放り出して置き、ほんの1分か30秒でもいいから、頻繁に手に取って適当なページをめくって目を通すことを意識してやると良い(トイレの中に持ち込むのも可)。

(私は『詳説日本史』(山川出版社)でそれをやって、知識の穴埋めにかなり効果が有りました。)

教科書が無味乾燥で嫌だという方には、中谷臣『センター世界史B各駅停車』(パレード)青木裕司『NEW青木世界史B講義の実況中継 全5巻』(語学春秋社)の二つを挙げておきます。

いきなり大学受験向け参考書はハードなので、小中学校レベルのもっと基礎的なことから始めたいという方には・・・・・・。

日本史なら迷うこと無く、各社から出ている「学習漫画日本の歴史」の類をお勧めするのですが、同種の世界史漫画シリーズはちょっとよくわかりません。

何か適切なものを見つけたら、またこのブログで取り上げるつもりです。

なお、現代史を知るための対策として、紙の新聞を一紙購読して、国際面だけでいいので、毎日隅から隅まで読むのもいいかもしれません。

各国別、地域別類書があってもすぐ情報が古くなるのが厄介ですが、新聞の記事・解説を我慢して読み続けていると、ある程度の知識が付いてきます。

大雑把過ぎる紹介でしたが、とりあえず終わりました。

以下、一度に30冊並べてみます。

(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)

(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)

(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)

(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)

(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)

(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)

(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)

(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫)

(9)アンドレ・モロワ『フランス史 上・下』(新潮文庫)

(10)アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)

(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)

(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)

(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)

(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)

(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)

(16)高橋均 網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)

(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)

(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)

(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)

(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)

(21)石澤良昭『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)

(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)

(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)

(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)

(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)

(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)

(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)

(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)

(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)

(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)

以上、もちろん単なる叩き台に過ぎませんので、皆様の好みやレベル、あるいは入手し易さに従って適当に取捨選択して下さって結構です。

中央公論社の本で半分を占めていたりと、私の好みがはっきり出過ぎているかもしれませんが、一定の冊数以内で最低限の目途が付くということを示せただけでも、このリストの意味があるかと。

中公新版世界史全集を挙げて、巻数もちょうど30だしそれ読んでください、で済ませるのも芸がないですしね。

30冊ということは一月2冊読むとして、一通りこなすのに一年ちょっとですから、私ほどの暇人じゃない方にも比較的現実的な数字だと思います。

研究者でもセミプロ的達人でもない、少々世界史に興味があるという位の、私と似たレベルの方にとって、何かのお役に立てれば幸いです。

本日で通算1000記事目です。

はじめにおしらせ・雑記引用文を除いて、紹介冊数で言うと850弱です。

(そのうち、通読していないのに記事にした分がかなりありますが。)

予告通り、当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

ただし、ココログフリーでは一年間新規記事を上げないとブログ自体削除される規約のようですので、とりあえず年一回は更新するつもりです。

それでは皆様、御機嫌よう。

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30冊で読む世界史 その1

これまで結構な数の本を紹介してきましたが、ブックガイドとしては乱雑過ぎて、どれを読もうか迷う方がいるかもしれません。

このブログを隅から隅まで読む暇のあるのは、間違いなく書いた本人だけでしょう。

一応地域別カテゴリテーマ的カテゴリに分かれた書名一覧があり、各書を五段階で評価してますので、評価5または4の本を優先して読んで頂くという手もありますが、それでも数が多いし、初心者には向かない本もある。

そこで、以下の基準に則り、暫定的な必読書リストを作ってみることにしました。

(1)地域別カテゴリを基本に30冊で初心者が世界史を概観できるリストを作る(ただし近代日本は除外)。

(2)長大なシリーズものでない限り、上・下巻などは「合わせて1冊」と数える。

(3)初心者が通読困難な古典的著作などは入れない。

(4)網羅性に出来るだけ配慮するが、叙述範囲が広いというだけの、つまらない本は挙げない。

(5)個人の理解度・嗜好・費やせる時間の違いを考慮して代替書を出来るだけ挙げる、また個別的テーマに関わる本や最も初歩的な段階を脱した時点で読む発展的テキストなども適時提示する。

補足として、なぜ30冊なのかと言うと、10冊・20冊ではさすがに少なすぎて世界史をカバーするのは不可能、40はキリが悪い、50だと少し多すぎる、100は論外、という感じです。

では、早速はじめましょう。

まず、最も広い範囲を対象とするものとして、アジアヨーロッパから、(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)を挙げる。

世界史全体を概観する本としては、私の知る限りこの二つが白眉。

同じ宮崎氏の『アジア史概説』(中公文庫)でもいいが、やや量が多いので上記本を。

ただし必ず最初にこの二書を読むべきだというのではありません。

ここで挫折してもしょうがないので、以下に挙げる本のうち、特に興味の持てるもの、読みやすそうなものから読んで頂いた方がいいです。

もちろん最初に読んでも構いませんが、まとめの意味で最後に読んでもいいでしょう。

その辺は臨機応変に。

さて、それから個々の地域に入るわけですが、オリエントでいきなりつまづく。

そもそも苦手分野だし、「これは」と思う本に出会ったことも無い。

中公旧版全集の貝塚茂樹『世界の歴史1 古代文明の発見』(中公文庫)は面白かったが、オリエントではなく中国やインドが主流だし、三笠宮崇仁親王『ここに歴史はじまる (大世界史1)』(文芸春秋)杉勇『古代オリエント (世界の歴史1)』(講談社)ももう一つインパクトに欠けるし、青木健『アーリア人』(講談社選書メチエ)で代用するのもちょっと違う気がする。

やむを得ず、消去法で(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)を選択。

自分でもやや不本意ですが、ご容赦下さい。

ギリシアでは、まず(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)を。

「おいおい、古典的著作は入れないんじゃなかったのか?」と言われるでしょうが、これは少々無理しても読む価値有り。

高校教科書に名前が出てくるような史書では絶対外せない定番ですし、読了すれば非常な充実感が持てる。

それが自信になって、プルタルコス『英雄伝』(ちくま学芸文庫)カエサル『ガリア戦記』(講談社学術文庫)スエトニウス『ローマ皇帝伝 上・下』(岩波文庫)タキトゥス『年代記 上・下』(岩波文庫)などの著作に挑戦する足掛かりにもなる。

教科書には「ヘロドトスが物語風歴史、トゥキュディデスが『科学的』(ないし批判的)歴史」というふうに書いてますが、実際上記訳書に当たってみると、その区別が実感できます。

分量的にはヘロドトスの方が大分多いが、比較的スラスラとページを手繰れます。

しかしトゥキュディデスに入ると、一気に読むスピードが落ちるでしょう。

だが両者とも抄訳なので、ちょっとだるいなと思った頃に省略となるので、初心者にとっては助かる。

岩波文庫の全訳(『歴史 上・中・下』『戦史 上・中・下』)に取り組む前にこちらで肩慣らしをしておきましょう。

あと、普通の概説書として(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)がよくまとまっていて有益。

他に個別的分野の本として、森谷公俊『王妃オリュンピアス』(ちくま新書)が大傑作なのだが、冊数の都合で泣く泣く落とす。

ローマは、初心者にも読みやすい(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)を。

あるいは、塩野七生『ローマ人の物語』(新潮社)のうち、最初の二巻、『ローマは一日にして成らず』(新潮文庫)『ハンニバル戦記』(新潮文庫)をとりあえず読むということでもよい。

「全15巻のうち、1、2巻だけ読むの?」と言われるでしょうが、私はそういうのも「有り」だと思います。

それにこのシリーズの出来は、1、2巻と4巻5巻がピークで、後は落ちる一方ですから。

実はローマ史は上記モンタネッリ1冊のみ。

いくら全30冊といってもそりゃないだろう、と我ながら感じるので、せめて南川高志『ローマ五賢帝』(講談社現代新書)を入れようかと思ったのですが、これもやむを得ず除外。

ただし初心者向け啓蒙書としては、真っ先に読むべき本だとは申し上げておきます。

他には、一般常識を得るために阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)同『新約聖書を知っていますか』(新潮文庫)を、有名人物の伝記的作品として秀村欣二『ネロ』(中公新書)辻邦生『背教者ユリアヌス』(中公文庫)を推薦します。

そして出来れば最終的には、エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)の通読に挑戦して頂きたいと思います。

ビザンツは、井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)でもいいが(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)ならロシア東欧もカバーできてお得。

欧米史では、(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫) (9)同『フランス史 上・下』(新潮文庫)(10)同『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)、とこれでイギリスフランスアメリカ主要国三つが一気に埋まった。

度々述べておりますが、この三部作の効用は初心者にとって驚くほど高い。

中央公論様、新潮から版権を買い取って文庫で復刊されては如何でしょうか。

ドイツが無いなあと思われるでしょうが、ご心配無用、(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)という最適な本がございます。

イタリアはもちろん(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)で決まり。

上記英仏米独伊五ヵ国についての通史代替書・個別的分野参考書は多過ぎて挙げ切れない。

通史では、まず福田恒存『私の英国史』(中央公論社)をこなした後、やや程度が高くなるが、トレヴェリアン『イギリス史 全3巻』(みすず書房)ピエール・ガクソット『フランス人の歴史 全3巻』(みすず書房)ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1・2』(みすず書房)の三点を読破できれば申し分なし。

ゴーロ・マン著は30冊リストの中に入れたい位だが、分量が多めなので泣く泣く除外。

しかしこの本は本当に優れています。

難解な概念を使わず、政治と社会と思想の流れをパノラマのように見せつつ、押し付けがましくない一貫した史観を提示し、人物の魅力的描写に力を注ぎ、しかもそれを日本の高校レベルの読者にも翻訳では読めるレベルで成し遂げているのだから、ほとんど神業である。

機会があれば是非お読み下さい。

個別テーマ対象の本としては、ドイツ史関連から(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)をピックアップ。

冊数からして通史的著作以外の本を挙げる余地は極めて小さいが、この二つは初心者向け啓蒙書の傑作として外せない。

ハフナーの本は、他にも『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)『図説プロイセンの歴史』(東洋書林)も強くお勧めします。

モンタネッリの『ルネサンスの歴史 上・下』(中公文庫)も是非。

上記に加えて(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)も。

この本も得られる知識の効用の高さ、史観の公平さ・客観性がずば抜けており、初心者必読。

他の啓蒙書では、書名一覧の評価も参考にして、佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書)同『カペー朝』(講談社現代新書)菊池良生『神聖ローマ帝国』(講談社現代新書)藤沢道郎『メディチ家はなぜ栄えたか』(講談社選書メチエ)など読みやすいものを手に取り、出来るだけ数をこなすことを意識して頂くと宜しいかと。

続いてダフ・クーパー『タレイラン評伝 上・下』(中公文庫)プティフィス『ルイ16世』(中央公論新社)など、やや程度の高いものにも取り組んで下さい。

スペインは0冊ですが、もし入れるなら、あまり知られていない本ですが、茨木晃『スペイン史概説』(あけぼの印刷社)を。

ついでに挙げると、ツヴァイク『マゼラン(附アメリゴ)』(みすず書房)は極めて面白い伝記。

オランダも迷ったんですが、結局岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)は入れず。

読む場合、日米関係がどうたらとかいう現在の問題に引き付けて論じた部分が鬱陶しければ飛ばしていいでしょう。

それを差し引いても、この岡崎氏著は実に面白い歴史物語です。

東欧・北欧の北欧部分は、もし読むのなら、とりあえず武田龍夫『物語北欧の歴史』(中公新書)1冊でいいんじゃないですか。

ロシアでは、上記『ビザンツとスラヴ』の他、ソ連史の名著として、ジョージ・ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』(未来社)もリストに入れたかったのだが、全くの初心者では通読困難ということで、やむを得ず外した。

とはいえ、本当に多くの有益な視点が含まれた傑作ですので、余裕があれば是非お読み下さい。

ちょうど半分の15冊まで行きましたので、本日はこれまで。

続きは次回。

(追記:続きはこちら→30冊で読む世界史 その2

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佐竹靖彦 『項羽』 (中央公論新社)

2010年刊。

同じ著者と出版社で、先に『劉邦』も出ているが未読。

とりあえずこれだけ読む。

通説を常に再検討し訂正しながら話を進めていく伝記。

劉邦の臣下であった陸賈の『新語』とそこから生まれた『楚漢春秋』、およびそれらを史料にした司馬遷『史記』の記述と実際の史実とのズレを考察し、さらに班固『漢書』に至ってより大胆な歴史の再編が行なわれたことを指摘している。

その例としては、項羽が天下を取った際の称号は「西楚の覇王」ではなく「楚王」だったはずだとか、項羽の最期においては「四面楚歌」ではなく「四面斉歌」という状況だったとか、「垓下の戦い」ではなく「陳下の戦い」だったとか、項羽は恐らく陳下で戦死したはずで烏江のほとりで自刃したのは史実ではない、等々。

叙述範囲は、前210年始皇帝の死から前209年陳勝・呉広の乱を経て、前202年項羽敗死と漢王朝成立まで。

なお、本書では陳勝は字(あざな)を取って、常に「陳渉」と表記。

『史記世家』でも「陳渉世家」で立てられている。)

秦末動乱と楚漢戦争の過程は、説明が丁寧なのと地図が豊富なので、類書の中ではたぶん一番わかりやすいと思います。

読んでいく上で、人名では、項羽の配下にいた范増、鍾離昧、黥布、司馬龍且、周殷、曹咎、呉芮(ごぜい)、陳嬰、呂臣など、独立的勢力としては張耳、陳余、田儋(でんたん)、田栄、秦嘉(と景駒)などをチェックするとよいでしょう。

(項羽の臣で後に劉邦に降った季布が出てこないのがやや不思議。)

上記のうち、田儋・田栄は斉の実力者ですが、斉には他にも田姓の人物がやたら出てきて、その政治的立場も様々なのでややこしいことこの上無い。

概括的記述としては、初めの方に出てくる以下の文章が非常に面白かったので引用。

周王朝が成立してから、本書で問題にする漢王朝の成立まで、一千年近い歴史を通観すれば、そこには周秦王朝の継続的成立に示されるように、そのときどきの歴史の波動を含みながらも、巨視的には一貫した西方の優位、かつて毛沢東が現代はアジアがヨーロッパを圧倒する時期であるとして、これを「東風が西風を圧倒する」と表現した言葉をもじっていえば、「西風が東風を圧倒する」という状況が存在した。

歴史的に見たときに、項羽が果した最大の功績は、この一千年にわたる西高東低の地政学的状況に終止符を打ったことであろう。かれ自身は、新しい状況をふまえた継続的な政治体制を樹立することはできなかったが、東西の統合あるいは融合の形勢はいっそう深化するとともに、地政学的な重心もまたこれに対応して東遷した。項羽の奮闘は一千年来の中国の基本的な政治状況に、最終的な変化をもたらしたのである。

この周秦一千年の東西関係の地政学は、前漢、後漢の約四百年のあいだに進行した東西の統合あるいは融合の形勢のなかで、その歴史的役割を終えた。この間に徐々に姿を現してきたのが、南北関係の地政学である。この南北関係の地政学は、前漢、後漢の約四百年の萌芽期をへて、徐々に力を増してくる北方遊牧民勢力の伸張によって、南北朝期にははっきりとその北高南低の姿を現した。

中華三千年の歴史を概観すれば、周王朝の成立以来、項羽の秦王朝打倒までの約一千年弱が西高東低の地政学の時期であり、前漢、後漢あわせて約四百年の東西融合と南北関係の確立の時期をへて、魏晋南北朝隋唐五代のこれまた一千年弱が第一次の北高南低期となる。この時期の北高南低の気象は、さまざまに入り組んだ動乱のなかで進行するが、この巨視的に見たときの過渡期をへて、宋代から清代にいたる一千年弱の北高南低の安定的な地政学的気象が確立する。ただし興味深いのは、ここで西高東低といい、北高南低というのは、政治的・軍事的優位を基準とした呼称であり、すべての時期を通じて、経済的・文化的には正反対の状況が出現していることである。

元々好きな時代を詳細に論じている本なので、私にとっては面白い。

ただし、そもそも漢楚争覇のあらましを知らない人にはあまり興味が持てないかも。

とりあえず、これまで何度勧めたか分からないくらいですが、司馬遼太郎『項羽と劉邦』(新潮文庫)をお読み下さい。

さらに気軽なものとして横山光輝の漫画『項羽と劉邦』(潮出版社)もあります。

横山氏の漫画では、有名な『三国志』よりも私はこちらの方が好きです。

これらの本で準備作業をすると、司馬遷『史記列伝』で関連する人物の伝を読むのが楽しくてしょうがなくなります。

本日までの記事数が998です。

年末の記事で申し上げた通り、1000記事目までいったら、当分更新を停止します。

残り2回は少し毛色の変わった記事を上げようかと考えています。

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戦前昭和期についてのメモ その6

その5に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1936(昭和11)年、二・二六事件、広田弘毅内閣、軍部大臣現役武官制復活、日独防共協定、ロンドン海軍軍縮会議脱退(ワシントン、ロンドン海軍条約失効)。

世界では、英ジョージ5世崩御、シンプソン事件でエドワード8世退位、ジョージ6世即位(~52年)、仏ブルム人民戦線内閣、独ラインラント進駐(ロカルノ条約破棄)、西人民戦線政権とスペイン内戦、ベルリン・ローマ枢軸結成、ソ連大粛清本格化(ジノヴィエフ、カーメネフ処刑)、スターリン憲法、中国では西安事件。

日本では二・二六事件の悪影響で政治的リーダーシップが一層希薄となり、定見無く強硬策を唱えるだけの軍部がますます力を得る。

ナチス・ドイツが自国内での軍配置という形ではあるが国際条約を破棄し(ラインラント進駐)、国外(スペイン)の内戦に介入し、イタリアとの関係を固めるなど、攻撃的政策を採り始める。

それに対し英仏は迅速に対応できず、ソ連ではスターリンが狂気のような弾圧に耽る始末。

この年、米国ではルーズヴェルトが再選されているが、孤立主義的世論は根強いものがあり、さらに翌37年には不用意な財政支出削減によって米経済の再崩壊が訪れる状況。

そして西安事件により、共産党を蘇生させることを悟りつつもナショナリズムに押し流された蒋介石政権が対日融和策を放棄せざるを得なくなり、これまで通りの対中政策がもたらす危険が桁違いに高まっている状況下で、よせばいいのに、日本は日独防共協定で対独接近への第一歩を踏み出す(ただし協定締結は11月、西安事件は12月とやや時期は前後する)。

二・二六事件で殺害された三人の主要人物名は、教科書にも載ってることだし、役職名と共に憶えましょう。

高橋是清蔵相、斉藤実内大臣(前首相)、渡辺錠太郎陸軍教育総監。

岡田啓介首相は、人違いで別人(義弟だったか)が襲われ無事。

鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)も重傷を負う。

事件後、皇道派は排除されるが、反って統制派の政治支配に歯止めが利かなくなる。

浜田国松議員と寺内寿一陸相の割腹問答(演説)も空しく、広田内閣下、議会主義と政党政治は後退する一方となる。

たまに右寄りの人で二・二六で蜂起した青年将校に共感を示す人がいるが、私は到底同意できない。

そうした見方に何一つ真理が無いとは言わないが、後世への悪影響があまりにも大き過ぎる。

なお、この部分では著名な人物についての意外な一面を描写している。

まず、ワシントンおよびロンドン海軍軍備制限条約失効により無条約時代に入った海軍で、山本五十六が対独接近を主導したことが記されている。

もちろんドイツと結んで米英と戦うつもりは無く(実際よく知られているように後年三国同盟と対米宣戦に反対している)、米英との関係が疎遠になった分、ドイツから軍事技術を得ることのみを目的としたものだったとされているが。

山本は海軍の理性的穏健派として人口に膾炙しているが、著者の評価はあまり高くないようである。

翌37年盧溝橋事件に際して内地師団動員に賛成し、38年第2次上海事変で出兵を主張、加えて国民政府との和平交渉打ち切りを支持した近衛内閣海相の米内光政なども、次の巻では世評に反してかなり厳しく批判されそうですね。

もう一つ、広田内閣組閣時、外相候補となりながら軍部の横槍で就任できなかった吉田茂について。

駐英大使として赴任したが、不用意に日ソ戦勃発時の英国の態度に探りを入れ、英国の疑念を招き警戒され、信任が薄くなったと書かれている。

こういう普通肯定的に見られている人物でも、問題点を指摘するのは適切だと思う。

あと、メモすることと言えば・・・・・。

ヒトラー政権は1933年から1945年まで、12年間存続。

第二次世界大戦勃発が1939年だから、「平時のナチズム」と「戦時のナチズム」は奇しくもちょうど6年ずつ。

しかし区切るのなら33~37年と38~45年で分けた方がいいか。

保守派の国防相ブロムベルクと外相ノイラートを解任し完全な独裁体制を固め、オーストリアとズデーテン地方併合で国外への本格的侵略が始まったのが38年なので。

この二つはドイツ系住民の居住地であり、ナチ政権の体質に意図的に目を瞑れば、まだギリギリ「民族自決」の美名で正当化することもできたが、39年にヒトラーが、自ら英仏に強要したミュンヘン協定すら破り、チェコ(ベーメン・メーレン)を併合しスロヴァキアを保護国化することにより、さすがにチェンバレンと西側世論の堪忍袋の緒が切れ、ポーランドへの領土保証→第二次大戦勃発ということになる。

非常に読みやすく、面白い。

短い期間が叙述範囲だが、その分一年ごとに教科書や年表で復習すると、初心者には極めて効用の高い読み方ができる。

国際情勢に関する記述は他の本で補強が必要だし、35年の華北分離工作についてまとまった記述が無いのは大きな欠点だが、他には目立つ短所は無い。

年号など細部を記憶することにより、凡庸かつ通俗的な「歴史の流れ」を受け入れるのではなく、真に意味のある「歴史のイフ」を考えることができるという意味の文章を以前引用しましたが(内田樹6)、本書に関する記事ではそれを少しは実感して頂けたでしょうか?

(と言っても、ほぼすべて、本書の見解を含め他人の受け売りですが・・・・・。)

著者の福田氏は、書く媒体によって作品の玉石混交が激しいという印象を持っていますが、これは間違いなく「玉」の方です。

熟読玩味するに足る良書。

このシリーズを基本書にして、他の本で肉付けして昭和史を学んでも良い。

お勧めします。

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戦前昭和期についてのメモ その5

その4に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年における日本の岐路を再び考察。

この年、日本は対英協調による幣制改革支援を拒否、華北を勢力圏下に置く政策を推進することにより、中国との全面対決路線へ向かう。

35年末の冀東政権成立と41年7月の南部仏印進駐が、それぞれ日中戦争と日米戦争の「ポイント・オブ・ノーリターン」となったとの見解を読んだことがある。

それくらい、この年の華北分離工作は致命的。

英国の宥和政策にもし乗っていれば・・・・・・。

英国とそれに続くヨーロッパ諸国の満州国承認によって、中国ナショナリズムは拳の振り下ろし所を失い意気消沈、蒋介石は対日和解を進めると共に共産党討伐を継続できる。

日本が満州国の黙認だけを求め、長城以南の中国本土には一指も触れず、治外法権撤廃や関税自主権回復などの問題でむしろ協力的態度を示せば、日中関係を安定軌道に乗せることは、この時期まだ十分可能だったはず。

スティムソン・ドクトリン(不承認政策)を掲げる米国も、こうなっては現状を黙認するほかない。

ところが実際には、低俗かつ無責任な国内世論に流され、全く逆の強硬策を採用し破滅的結果をもたらすことになる。

2年後の37年には日中戦争が勃発し、泥沼の長期戦で全く身動きが取れなくなった状態で米英との対立を深め独と接近、39年第二次世界大戦勃発、41年日米開戦となる。

35年から2年ごと、奇数年に状況が劇的に悪化しているのをチェック。

史実では、35年の対中強硬策が2年後の日中全面戦争に繋がり、政策選択の幅を異常に狭めた状態でそのさらに2年後、欧州の第二次世界大戦勃発を迎えたわけだが、この時フリーハンドを持っているのといないのとでは、天と地ほどの違いがある。

また、欧州での英仏vs独伊とアジアでの日本vs中国の各陣営が、実際の史実の通り結びつかなければならない必然性は無かったはず。

そもそも33年日本の国際連盟脱退に際して、リットン報告書採択時、日本だけが反対(タイ[シャム]のみ棄権)ということは、考えれば独伊とも日本とは反対陣営にいたということ(日本の脱退は3月、独の脱退は同年10月)。

南京国民政府はドイツから多くの軍事援助と軍事顧問団を受け入れ(ナチ政権成立後も)、そのため日中戦争初期の戦いは一面「日独戦争」の側面すら見られた(松本重治『上海時代 下』(中公文庫)参照。ドイツに言わせれば共産党討伐を続ける蒋介石を背後から攻撃することこそ日独防共協定に反するということだろうが)。

(さらに言えば必ずしも左翼的立場でない史家でも、蒋介石政権自身がファッショ的傾向を持っていたとする見方もある。)

もし35年に違った対中政策を採って37年の全面戦争が避けられていたとしたら・・・・・・。

欧州での大戦勃発に際しては、時間稼ぎをし、形勢を展望する余裕も持てたはず。

仮に史実の通り36年に日独防共協定を結んでいたとしても、独ソ不可侵条約でそれは実質白紙化されているのだから、黙ってヒトラーが滅びるのを傍観しておればよい。

何があっても軽挙妄動せず、どんな挑発にも乗らず、世界第二位(あるいは三位)の海軍力を盾にし、(史実では南部仏印進駐後くらった)石油禁輸だけは宣戦布告を意味すると大々的に宣言して米英世論に釘を刺し、ハリネズミのように極東で独自路線を貫けばよかった。

米英両国も、どうせ何もできやしません。

ナチ打倒を最優先する以上、自ら第二戦線を開く決断は、当時の米国のような桁外れの国力を持った国でも、そう簡単にはできないはず。

それで戦後ドイツ問題をめぐって米ソ冷戦が始まれば、きっと向こうから擦り寄ってきますよ。

フランコ政権下のスペインに対してもそうだったし、まして日本の国力と戦略的地位はスペインの比じゃない。

その場合の日本は、300万人の同胞が死ぬこともなく、国民政府統治下の中国と和解し、中国共産党を辺境部に逼塞させ、米英など西側諸国とは不即不離の関係を保ち、外国軍隊を国土に駐留させることもなく、自らの軍事力でソ連の脅威に対抗することになる。

国際情勢の激変を受け、国内では軍部と極端な国粋主義の勢力は後退し、政党政治が復活し、明治憲法の欠陥を一部是正した上で、正常な議会政治を運営していたでしょう。

(政党政治と議会主義の復活が即ち「民主主義の復活」であるとは、私は思わない。無思慮で矯激なだけの衆愚的匿名世論の影響を退け、少数の責任ある議員による統治に戻ることはむしろ「民主主義の後退」、あるいは控え目に言っても「直接民主制から間接民主制への移行」である。戦前日本に必要だったのはまさにこういう意味で「民主主義を抑圧し後退させること」だったはず。議会主義を民主主義とイコールだと思っている人は、議会が民意を間接的に汲み上げるための制度であると同時に、民衆の意思を直接的には反映させないための制度であることを忘れている。)

朝鮮・台湾・南洋諸島には自治が与えられ、満州国は真の独立国に相応しい内実を持つようになり、日本帝国は英連邦のような形で存続したかもしれない。

真に安定した、秩序ある自由の唯一の根源である伝統と歴史的継続性を、深い傷を負わせることなく保守し、デモクラシーの風潮を半分ではやむを得ないものとして受け入れつつ半分では主体的に拒否する選択を行なうこともできたかもしれない。

「何でそうならなかったのか???!!!」と切歯扼腕せずにいられない。

私はそういう日本に生まれたかったです。

35年は二回に分かれてしまいました。

次回36年と全体の感想を書いて終わります。

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戦前昭和期についてのメモ その4

その3に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年、天皇機関説問題・国体明徴声明、対中外交上の広田三原則、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、冀東防共自治委員会(のち自治政府)設置などの華北分離工作、永田鉄山斬殺(相沢事件)。

世界では、ストレーザ戦線、伊エチオピア侵入、英マクドナルド挙国一致内閣退陣、ボールドウィン保守党内閣成立、仏ソ相互援助条約、独再軍備宣言、ザール併合、ニュルンベルク法制定、英独海軍協定、コミンテルン第七回大会で人民戦線戦術採択、中共八・一宣言、南京国民政府幣制改革、米中立法およびワグナー法。

上記の通り、教科書レベルの出来事だけ挙げても、極めて事件の多い年であることがわかる。

この1935年は国際情勢の対立構造変化の年として極めて重要。

まず、前34年のオーストリア危機を契機に英仏伊3ヵ国の反独包囲網であるストレーザ戦線が成立したかと思いきや、イタリアのエチオピア侵攻により英仏と伊が離反、独伊が接近し枢軸陣営形成に向かうという変化が最重要事項。

日本は、排日運動停止・満州国黙認・共同防共の三つを見返り無しで一方的に南京国民政府に要求する広田三原則を提示。

国民党機関を河北省とチャハル省から撤退させた上記二つの協定締結、冀東防共自治政府設置により、満州のみならず長城を超え華北までも自らの勢力下に置く姿勢を示したため、国民政府内の親日派は失墜、蒋介石も国内の過激な反日ナショナリズムを制御できなくなり、翌36年には西安事件が起こる。

日本は、33年塘沽(タンクー)停戦協定で得た、何よりも貴重な日中関係の小康と安定状態を愚かにも自ら捨ててしまう。

日中両国が排外的ナショナリズムの虜になり、妥協と冷静さを説く同国民を「売国奴」として排撃し、互いに傷つけあった結果、日本は有史以来未曾有の敗北、中国は国土の荒廃を代償にした惨勝およびその直後の共産化と、双方が致命的な破局を迎え、結局漁夫の利を得たのは米国と共産勢力のみ。

こういう歴史だけは繰り返したくないものです。

以上まとめると、欧州では英仏および独伊の各陣営が形成され始め、東アジアでは日本と中国が再び全面対決路線に向かう一方、ソ連は仏ソ条約と人民戦線戦術で西側に接近しつつも独との了解への可能性を残し各陣営を両天秤にかけ、米国は国内の孤立主義的世論に拘束されて中立を保つが同時に介入の機を窺う、というのがこの1935年の情勢。

他に補足として何点か。

7月林銑十郎陸相が真崎甚三郎教育総監を更迭し、皇道派・統制派の対立激化、相沢三郎が軍務局長永田鉄山を殺害すると林陸相辞職、後任は川島義之、この陸相の下で二・二六事件を迎える。

第一次大戦でドイツから一時分離されていたザール地方がドイツに併合されており、ヒトラー政権成立後初の領土拡大だが、これは国際協定に基づく住民投票によるものであり、別段不法なものではない。

29年労働党首班として第2次内閣を組織したマクドナルドが労働党を除名されつつ31年挙国一致内閣を成立させ、それがこの年まで続いている。

マクドナルド退陣後ボールドウィン内閣、これに続くのが37年成立し、ヒトラーに対する宥和政策で有名な(悪名高い)ネヴィル・チェンバレン内閣。

チェンバレンはボールドウィン政権にすでに蔵相として入閣しており、ボールドウィン内閣時代から上記英独海軍協定など宥和政策の萌芽が見られる。

このイギリスの対外政策に絡んで、1935年日本はその運命を決する重大な分岐点を迎えていた。

蔵相ネヴィル・チェンバレンの意を受けて、英政府最高財政顧問サー・フレデリック・リース=ロスが来日、日英が提携して中国への共同借款を供与、中国に強力な中央銀行を設立、幣制改革を遂行し、代わりに英国と中国が満州国を承認するという提案を行なう。

チェンバレンは、勃興しつつあるナチス・ドイツの脅威に対抗するには、日本との融和を進める必要があると考えていた。日本との関係を修復し、日本を国際秩序の担い手として復帰させようというのである。そのためには、イギリスとともに中国にも満州国を承認させ、その上で国際聯盟に日本を再加入させるというスケールの大きな外交戦略を抱いていた。

・・・・・・・

日本にとって願ってもない提案といってよいだろう。両国が満州国を承認してくれれば、孤立が解消されるだけでなく、満州の体制も磐石になる。たとえ、中国が承認を拒んだとしても、イギリスが承認する意味は絶大である。イギリスが承認すれば、不承認政策を掲げるアメリカは別として、他のヨーロッパ諸国が承認する可能性がある。

・・・・・・・

イギリスは、中国経済を安定させることで、自国の在中権益を守るとともに、日本との関係を改善し極東での主導権を回復させることができる。さらに日本をドイツから遠ざけて、イギリスと利害を共有させることもできる。

チェンバレンが対独宥和の数年前に行なったこの対日宥和政策に乗っていれば、日本の運命は全く変わっていたはずである。

硬直した原則論を振り回すことしか知らず、各国の対立状態を深めるだけの米国に比べ、全当事者が多少なりとも利益を得て、同意可能な現実的妥協案を出してくるところは、さすが英国外交との感想を持つ。

岡田内閣の高橋是清蔵相は即座に賛同し、提案受諾を強く主張する。

しかし陸軍のみならず、広田弘毅外相、重光葵外務次官が反対に回ると書いてあるのを読むと、「おいおい、何考えてんですか???」と言いたくなる。

重光葵というと、小学生の頃から名前を知っていた人物で、のちに不自由な身体を押しての戦艦ミズーリ上での降伏文書調印や、戦後鳩山内閣での外相就任と国連加盟達成など、平和と協調に尽くした外交官とのイメージがあり、著書『昭和の動乱』も面白く読めたが、時々妙な行動を取っていますねえ。

広田弘毅はもっと酷い。

この最初の外相就任時に、英国と協調した幣制改革への協力拒否と陸軍による華北分離工作黙認がまずあり、翌36年二・二六事件で首相に就任した後は軍部大臣現役武官制復活と日独防共協定締結、37年第1次近衛内閣で再度外相に就任するや、盧溝橋事件直後の現地停戦協定を無視して内地師団動員に賛成、トラウトマン工作を拒絶、38年「爾後国民政府を対手とせず」との第1次近衛声明を発表と、とにかく要職在任中、本当にろくな事をしていない(服部龍二『広田弘毅』(中公新書)参照)。

本書での著者の筆致は、

広田弘毅外務大臣が、とどめを刺した。「満州国の承認といったことは支那の利益にこそなれ、満州国の利益にはならない」と述べ、「いずれにしろ、イギリスが口を出すことではない」と断言した。後の展開を考えれば、広田の一言が日本を滅した、と言ってよいかもしれない。その罪は、あらゆる軍の将帥より重いと云い得るだろう。

と、驚くほど厳しいものになっているが、これはそう言われても仕方がないところでしょう。

この判断ミスは本当に致命的です。

責任感のかけらも無く、狂った多数派の意見に異を唱える穏健な人々を集団で攻撃することで得られる快感を国家の運命よりも優先する、汚らわしい衆愚どもが作り出す世論に屈従したのか。

東京裁判が正当だとか、死刑になって当然だとは全く思いませんが、やはり広田の責任は、文官では近衛に並んで重いと言わざるを得ないのではないでしょうか(上記衆愚的世論を煽った人間とそれに付和雷同した大衆が、罰することは極めて難しいが、最も罪深く嫌悪すべき存在であることは大前提として)。

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)では日本自身の軍備拡張と満州国への投資に加えて、中国へ経済支援を与えてアジア情勢を安定させるには、畢竟日本の国力が足りなかった、このわずか数年後日中戦争開戦でかつて幣制改革で求められた額の何倍もの戦費を負担することを思えば、この時の英提案に応じるべきだったと言えるが、そこまで見通せないのが人間の常だ、と述べられている。

(ちなみに上記本では高橋蔵相はじめ大蔵省も対英協調消極派のように書かれているが、単に言葉が足りないだけか?)

とは言え、単に後知恵だと片付けるには、この時あまりに惜しいチャンスを日本は逃している。

当時の日本に必要だったのは、確固たる指針を持った責任ある少数者の指導とそれに対する民衆の信頼と服従であって、「自由と民主主義」ではないです。

粗暴で過激な意見がメディアによって何の制限もなく広められ、数の力で賢明な少数者を抹殺したことを見れば、言論の自由と民主主義はむしろその梃子になったと解釈した方がよほど実態に合っている。

左翼的言論は厳しく取り締まられていたが、右翼的言論は野放し状態で(こうした偏った自由も民衆の主体的選択によって生まれたもの)、「国体明徴」「臣道実践」など表向き右派的言辞を弄することによって、実質的には左派と相通ずる、民衆の既成支配層に対する理不尽・無責任・非道徳的で不遜な反抗がほとんど無限に正当化されてしまっている。

言論・出版の自由と社会の平等化が進行することによって政治的発言権を持つ人間の数が増えれば増えるほど、議論の質が止めどなく低下する。

粗雑な単純化と罵詈雑言と印象操作が横行し、熟慮や冷静な議論といったものが社会から一切消え失せ、大衆迎合的な煽動者と多数派民衆が作り出す衆愚的世論が権威主義的な少数派支配層を押しのけて全てを支配し、国家を乗っ取る。

社会の表面上に現れる瞬間的「民意」が絶対視され(そして世論を作り出す民衆の資質は決して問われることがなく)、それに逆らう少数派は「非国民」「売国奴」という誹謗中傷と名誉毀損に晒され、場合によっては特に愚かで凶暴な多数派分子によるテロリズムの標的にすらなる(戦後は多数派が貼るレッテルが「保守反動」「非民主的」に変わっただけ。そして最近は左翼思想の替わりに排外的ナショナリズムをおもちゃにするようになった大衆が少数派へのリンチを愉しんでいる)。

戦前日本においては、民主主義が軍国主義に取って替わられたのではなく、政党・官僚・旧財閥・宮中側近などの上層既成勢力の間接民主制が、対外強硬論と国内既成勢力打破を主張する極右革新派に煽られた下層民の直接民主制によって打倒され、その直接民主制の必然的帰結である衆愚政治が軍国主義を生んだと解釈すべき。

どんな時代にも、一貫して根底にある最大の問題はデモクラシーの暴走とその自己崩壊であり、大衆煽動に利用されるスローガンやイデオロギーの違いによって、そこから軍国主義が生れるか、ファシズムが生れるか、共産主義が生れるかはあくまで副次的問題に過ぎない(ナチについてのメモ その5)。

戦前日本は(そしてフランスもロシアも中国もドイツもイタリアも、その他1789年以降独裁と戦乱に苦しむようになった国のほぼ全ては)、民主主義ゆえに破滅したと言った方がよほど正しい(ルイ16世についてのメモ その1  同 その5)。

上記の不幸なメカニズムがあらゆる国で働いている。

前近代的専制政治が敷かれていた国でもその没落はデモクラシーの理念浸透が原因であり、秩序崩壊時には群衆心理が全てを決する状態に陥る以上、議会制度的なデモクラシーが無かったロシアや中国においても、左翼全体主義的独裁確立はやはり民主主義が生み出したものと解釈すべきもの。

近現代において民主化の進行過程をほぼ無傷で潜り抜けたのはイギリスや北欧諸国などだけで、むしろ少数派である。

民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。この任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。(ル・ボン『群衆心理』

(ただしイギリスですらピューリタン革命とクロムウェル独裁という破局を経験している。英国史上、唯一国王のいなかった時期は、唯一独裁者に支配された時期でもある。ただしその革命政権も宗教を基盤にしていた故の歯止めが存在したことについてはローレンツ・シュタイン『平等原理と社会主義』引用文参照。さらにその後、民衆的独裁への免疫を付け、君主制と階級社会を維持しているのは大したもんです。)

アメリカはどうかと言えば、南北戦争は、正義の戦いという以前に恐るべき国家規模の破局と見なすべきだろうし(内田義雄『戦争指揮官リンカーン』)、政治党派や人種・性・宗教・財産による社会の分裂が極限まで進んだ昨今のアメリカを見るとあの国がデモクラシーの持つ「党派的暴政への不可避的傾向」(バーク『フランス革命の省察』)を免れた例外だとはとても思えない。

そして、近現代はもちろん、前近代でも国家の崩壊や社会の堕落においては、社会の上層部少数者ではなく、(自分が属するような)下層多数者の悪が主因なのではないかと、私は最近ますます疑うようになってきている。

何度も繰り返しますが、君主制や貴族制はたとえどれほど堕落しても、言葉の真の意味での全体主義的独裁を生み出すことは決して無いウィリアム・コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

民主主義は断じて全体主義の反対概念ではなく、むしろその成立の前提条件と考えるべき。

多くの民衆が政治に参加すればするほど、国家の権限と戦争の規模は拡大し、20世紀には億を超える「政治による死」がもたらされた。

過去5000年の人類文明の歴史で大部分を占める、君主や貴族など少数者統治の時代には、こうしたことは決して起こらなかった(引用文(ニスベット1)マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』)。

(それを、民主制下の科学技術の発達という成果の裏返しだと擁護するなら、そもそも人類の存続自体を不可能にしかねない科学技術と産業の過剰発達を「進歩」とみなすのを止め、根本から懐疑の念を差し向けるのが当然だと言いたい。またそれらの節度ある発展が君主制・貴族制下、あるいは民主制との混合政体下においては不可能だったとは信じられない。)

にも関わらず、左右の民衆的独裁の崩壊に際して、恥知らずにもそれが「民主主義の勝利」などと称される(上記の、力の割りに智慧の足りない某国が主になって)。

ウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』の中で、

・・・・・ある社会で大衆が無知ではあるが、尊敬心をもっているという場合、この無知な階級にひとたび統治権を与えると、永久に尊敬心はもどってこない。現王朝[人民]の支配は、打倒された王朝[貴族]の支配よりすぐれているということを、煽動政治家が説き、新聞が話しかける。民衆は、自分に利害関係のある問題について、その賛否両論を聞くということはほとんどない。民衆の言論機関は、民衆に迎合的な議論ばかりをする。そしてそれ以外の言論機関は、事実上その意見を民衆の耳に入れることはできない。民衆は、自分自身に対する批判を決して聞こうとはしない。民衆が追放した教養ある少数者が、民衆の統治に比べて、いちだんと立派に、また賢明に統治していたということを、だれも民衆に教えようとはしない。民主主義は、恐ろしい破滅を味わわないかぎり、民主主義の打ち負かした体制へ復帰しようとしない。なぜなら、そうすることは、みずからが劣っていることを容認することになるからである。民主主義は、ほとんど耐えがたい不幸を体験しないと、みずからが劣っていることを決して信じないのである

と述べているが、バジョットは間違っていた。

民主主義は「恐ろしい破滅を味わ」っても、「ほとんど耐えがたい不幸を体験」しても、「みずからが劣っていることを決して信じない」ことが明らかになった。

どんなにおぞましい惨禍がもたらされようとも、民衆が自由を行使する自己の資格について謙虚に省みたり、自分たちだけで秩序を形成する能力を真摯に懐疑したりすることは絶対に無い。

1789年以来、人類は治癒不能の病に罹った、あるいは永遠の呪いを掛けられたと言ってもよい。

無秩序と独裁を反復する、この衆愚政治の醜悪な機械運動はもはや人類が滅びるまで止まらないでしょう。

何をしても防ぎようが無い。

現世の多数派にほんのわずかでも懐疑的視点を持つ人間は、大衆の国家と社会が必然的に破滅するのを横目で冷笑しながら、一種の諦観を持ち静かに彼岸の救いを待つほか生きる術は無い。

この1935(昭和10)年の分岐点についてもう少しだけ書きたいので、次回に続きます。

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戦前昭和期についてのメモ その3

その2に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1934(昭和)年、陸相荒木貞夫辞任、後任林銑十郎、斉藤実内閣退陣、岡田啓介内閣成立、永田鉄山陸軍軍務局長就任。

世界では、独レーム事件、ヒンデンブルク死去、オーストリア首相ドルフス暗殺、ソ連国際連盟加入、キーロフ暗殺、満州国帝政実施、瑞金陥落と中国共産党の長征開始。

この辺りから陸軍内の「皇道派」と「統制派」の争い激化。

この両派の名前は適切でないという見方もあるが、初心者はとりあえずそのまま理解。

最初に名を出した荒木貞夫と真崎甚三郎を担いだ隊付将校らが皇道派。

次に、31年末犬養内閣からの陸相だった荒木の後任、林銑十郎という人を一言で言うと、「統制派のロボット(傀儡)」。

両派分立の前、陸軍中堅幹部が一団となって国家刷新を目論んでいたころトップとして担がれたのが荒木・真崎・林の三人で、党派対立が生れると、前二者と林の間に懸隔が生れる。

両派閥対立の話については、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ)の説明がわかりやすい。

この年、『国防の本義と其強化の提唱』と題する陸軍パンフレットが刊行され、統制経済推進と軍が「第三党」として政治に介入することを宣言したものだとして問題になる。

統制派の中心は陸軍軍務局長に就任した永田鉄山。

著者の永田への評価は比較的高いと思われる。

クーデタや暗殺などの暴力行為を否定し、政治家・官僚・財界と軍との協調を目指し、「高度国防国家」を徐々に成立させようとする立場。

特筆すべきなのは後年の統制派主流とは異なり、永田は「対中一撃論」に立った強硬な中国政策を支持していなかったこと。

日中対立を沈静化させ、満州国の状況を安定化させることを何より必要としていた当時、永田の存在は極めて貴重であった。

一方、皇道派は対ソ戦を最重視したため、もともと対中政策では妥協的傾向あり。

だからいっそのこと「狂信的」というイメージのある皇道派が勝った方が泥沼の日中戦争を回避できた可能性があり、むしろまだマシだったという意見もあるが、しかし不用意に日ソ戦を始めて反撃されるというぞっとするシナリオを考えると、そう単純に言えないとも思われる。

この箇所では、翌年政治問題化する天皇機関説について記述あり。

皇道派の隊付将校らは、永田らの構想する、政治家・官僚・財界人と軍人との協力によって作り上げられる「高度国防国家」における専門的軍人としてのアイデンティティ喪失を危惧。

その危機感が天皇を機関・抽象的機能とすることを拒否させた。

また明治時代には封建時代からまだ間もなく、兵は疑問を持たずに死地に赴いたが、昭和に入り近代的個人主義に目覚めると、死を受け入れるために超越的存在を求める風潮や心理状態が生まれた。

つまり「近代化が進んだからこそ、天皇機関説が攻撃されるようになった」という逆説的状況があり、このことは高橋正衛『二・二六事件』(中公新書)でも触れられていた。

あと、世界情勢について補足。

ドイツではレームら突撃隊粛清と大統領ヒンデンブルク死去によりヒトラーが独裁体制を一層固めている。

しかし対外的には順風とは言えず。

当時隣国オーストリアは首相ドルフスの統治下。

このドルフスは独裁的統治を敷いてはいたが、権威主義的価値観の持ち主で、オーストリア・ナチ党を弾圧していた。

ドイツで言うと、ブリューニング、シュライヒャーに当たる存在か。

ところが、この年オーストリア・ナチスがドルフスを暗殺。

これに対してオーストリアに野心を持つムッソリーニはヒトラーの関与を疑い、国境地帯に軍を動員して圧力をかける。

結局ヒトラーは釈明し関与を否定、オーストリアでのナチの政権奪取は失敗し、シューシュニクが首相に就任、38年の併合まで権威主義政権を維持することになる。

以上のようにこの時期のムッソリーニが明確に反独的姿勢を保っていたことは記憶しておく価値がある。

しかしこの態度は翌35年に激変し、それがムッソリーニ自身とイタリア王国を滅ぼすことになる。

ソ連では、スターリンの後継者とも見做されていたキーロフが不可解な状況下で暗殺され、これが大粛清の端緒となる。

キーロフがスターリンの指示で殺害されたとすると、まるで同年のレーム粛清に印象付けられ、それに倣ったような感すらある(実際そういう説があるようです)。

中国では、蒋介石が満州をめぐる日本との対立を棚上げして全力を挙げて共産党討伐を継続、この年、中華ソヴィエト共和国首都の瑞金を陥落させ、中共は長征という名の敗走に移る。

日中両国ともにナショナリズムを抑制してこの情勢を続けていればねえ・・・・・・。

一体どれだけの人命が失われずに済んだことか。

この記事では1935年までいくかなと思っていたが、やはり一年だけ。

やや短いですが、今日はこれまで。

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戦前昭和期についてのメモ その2

福田和也『昭和天皇 第四部』の記事続き。

1933(昭和)年、熱河侵攻、国際連盟脱退、塘沽(タンクー)停戦協定、滝川事件、今上天皇御生誕。

世界ではもちろんヒトラー政権成立が最大の出来事。

他に米フランクリン・ルーズヴェルト政権成立、ニュー・ディール政策とソ連承認。

日本に続き、独も連盟脱退、ソ連第二次五ヵ年計画開始。

ヒトラーが政権を奪取したこの1933年という年号はもちろん絶対暗記事項。

ムッソリーニが第一次世界大戦から間もない(休戦から4年、ヴェルサイユ条約から3年の)1922年に政権の座に就いているのに対し、ヒトラーはそこから11年も経って大恐慌の混乱を経てから首相になっている。

「ムッソリーニが2のゾロ目、ヒトラー(とルーズヴェルト)が3のゾロ目」と憶える。

このイタリアとドイツのタイムラグは、1861年イタリア統一、そこからちょうど10年目の1871年ドイツ統一、と並んで頭の片隅にイメージしておいた方が良い。

なお、この年には日本共産党最高幹部の佐野学・鍋山貞親が獄中で転向声明を発している。

田中義一政友会内閣下における、1928年三・一五事件、29年四・一六事件以後も共産党に対する苛烈な弾圧は続き、プロレタリア文学の大家小林多喜二も特高警察によって惨殺されている。

当局による徹底した弾圧と世間からの迫害が行なわれていたこの時期に共産党員として活動するためには、現在の私たちには想像もできないほどの、ほとんど超人的な勇気と自己犠牲の精神を必要としたであろう。

多喜二がそれを持っていたことは疑いない。

また、党員としての義務を果すと同時に、家族の生活を支えるため潜伏中にも関わらず、原稿執筆と発表を続けねばならず、それによって一層特高から執拗に狙われることとなった。

多喜二が殺害された後、警察署に呼ばれた母親のセキに対し刑事が、多喜二の死は「心臓麻痺による突然死」とする書類に判を押させようとしたことが記されている。

その後の描写。

寝台車は十一時近くに、小林宅に着いた。

遺体が床に横たえられると、それまで一声も発しなかったセキが叫びはじめた。

「ああ、いたましや。いたましや。心臓麻痺なんて嘘だでや。子供のときからあんだに泳ぎが巧かったのに・・・・・これ、あんちゃん。もう一度立てえ!立ってみせろ!」小林の頭を抱えて叫びつづけた。

一方、多喜二が全世界プロレタリアの祖国、人類の未来の道標であると信じ、絶対的忠誠を誓っていたであろう、同時期のスターリン体制下のソ連を、本書では少し後の章で以下のように記述している。

クリヴィツキー(『スターリン時代』の著者)による述懐。

この時期、大粛清は未だ始まっていないものの、第一次五ヵ年計画の農業集団化によってすでに数百万人の餓死者が出ている。

二年前の秋、クルクスのマリノ・サナトリウムで休暇を過ごした。

サナトリウムは、コーカサスの征服者であるプリャーチン公の邸宅を改装したものだった。

腕利きの医者と、スポーツ指導者、よく訓練された召使いがいて、休暇にはもってこいだった。

食糧も医薬品も豊富にあった。

ある日、近くの村まで散歩にいった。

村にいる子供のほとんどが半裸だった。何の衣類も身につけていない子もいた。

もうすでに寒風が吹きはじめていた。

共同組合の売店に行くと、食糧も燃料もない。

ホテルに戻り、クリヴィツキーはたっぷりした夕食を摂り、満足し、サロンに入っていった。

暖炉は勢いよく燃えている。

ふと、目を窓にむけた。

数人の子供たちがしがみついている。

ガラスに子供たちの顔がいくつもくっついて、まるで絵のようだった。

飢えた、子供の目。目。目。

パンを持ってきてやろうか、と考えて躊躇した。

「富農」の子供にパンを与えた、と批判されるかもしれない。他の客が気づいて、召使いに追い払わせた。

あの時、気づくべきだったかもしれない。

この革命は、失敗したのだと。同胞が同胞を、同志が同志を殺しあう、地獄の中の地獄なのだと。

私は、このような叙述を「左翼への意地の悪いあてつけ」だとは思わない。

著者の筆致から滲み出てくるのは、硬直した政治的立場からする一方的裁断ではなく、人間も社会も本当に一筋縄ではいかない複雑な代物だなあという静かな諦観である。

また、一年間の記述だけで一記事。

まだまだ続きます。

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«福田和也 『昭和天皇  第四部 二・二六事件』 (文芸春秋)