宮崎正勝 『鄭和の南海大遠征 永楽帝の世界秩序再編』 (中公新書)

鄭和の有名な7回にわたる海上遠征に関する本。

本文が200ページに満たないのに、全10章もあり、それがさらに細かく節に分かれる。

それはそれで読みやすいとは言えるので、特に不服は無いです。

最初、モンゴル帝国と明の興亡とユーラシア秩序についてあれこれ記述されるが、それほど面白くはない。

なかなか鄭和のことが語られないので、少々イライラする。

永楽帝が直接軍事力を行使したモンゴルとヴェトナムの他、宦官を通じた外交交渉を行った西域・チベット・タイ・女真・日本の例に触れ、そうした中華帝国秩序確立の一環として鄭和の遠征を捉える必要が述べられる。

これまでで約三分の一のページが過ぎて、次から鄭和の評伝と遠征の描写となる。

それほど細かくて煩瑣に感じる記述も無いので、淡々と読んでいきましょう。

3回目までの航海の目的地は西インドのカリカット。

数十年後、同世紀の末にはヴァスコ・ダ・ガマが到達することになる。

4回目以降、鄭和の本隊はイランのホルムズを目指し、分遣隊がアデン、メッカと東アフリカのモガデシオ、マリンディに達する。

このホルムズというのはペルシア湾岸入り口にある島で、後にポルトガルが領有し、それをサファヴィー朝のアッバース1世が奪い返し、と高校教科書では載っているが、本書の地図で見ると島ではなく大陸部の地名がホルムズとなっている。

吉川弘文館の『世界史年表・地図』でもそのような表記になっており、結局よくわからない。

また、鄭和がマラッカに圧力をかけるタイのアユタヤ朝を牽制し、艦隊の物資集積拠点としたため、マラッカ王国が急速に発展したと書いてあるが、こういう記述は高校世界史で習った記憶が無いし、他の概説でも読んだ覚えが無い(それとも忘れてるだけか)。

このマラッカ王国は盛期が短く、1511年にはポルトガルに滅ぼされてしまう。

(この辺の歴史については、山川出版社の『マレーシアの歴史』参照。)

格別面白いということもないが、手堅い叙述。

あんまり航海の詳細についてあれこれ書かれても読むのが疲れるでしょうから、本書くらいの記述がちょうどいいのかもしれない。

読んでも無駄にはならないでしょう。

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引用文

『ジョージ・F・ケナン回顧録 上』より。

1939年、ケナンは第二次大戦下の在ベルリン米大使館に勤務する。

(41年12月の日本の真珠湾攻撃とヒトラーの対米宣戦布告の前なので、当然米独間は交戦状態にはない。)

・・・・・ベルリン市民たち―ただの市民たち―は、ドイツ国民の中でも、ナチ化されることの最も少ない人々であった。彼らはナチ流のあいさつなど絶対にしなかった。最後まで、お互いの日常のあいさつは“グーテン・モルゲン”で通し、押しつけられた“ハイル・ヒトラー”を使おうとはしなかった。

彼らはまた、戦争にはいささかの熱意も示さなかった。ポーランド攻略を終えて帰還した軍隊の凱旋パレードを、彼らが重々しい沈黙で見守っていた(この忘れられない日に大使館前のパリーザー広場に集まった市民たちの中に私もまじっていた)のを、私ははっきりと証言できる。職業的なナチの煽動家たちが気違いじみたいかなる演説を行っても、彼らを興奮させ喜ばせることはできなかった。

パリ陥落のニュースも、同じような謎の沈黙と自制で迎えられた。たまたまその日の午後、私はバスに乗ったが、二階の囲いのある席にいたので、乗客の話し声が聞こえた。私の耳に入ってくる話し声の中には、パリ陥落のことなどは一言もなく、すべて食料の配給カードや靴下の値段のことばかりであった。

戦時下のベルリンにあって驚かされたことは、市民たちが、ナチ体制の思い上がった戦争目的に対し、はっきりと目に見える形ではないが、間違いなく精神的断絶感をもっているようであり、戦時下、規律が日に日に厳しくなってゆく中でも、できる限り、日常の生活を維持してゆこうとしていることであった。公共出版物は戦争一色に塗りつぶされていたにもかかわらず、ベルリン市民や他の大都市の大多数の一般市民にとって、戦争は体制のためのものであって、彼ら一般市民のためのものではなかった。

土曜の夜も更けて、私はハンブルクのビンネンアルスター地区の酒場を出ると、真っ暗な街をわが家に向けて手探り状態で歩き出した。

ある街角で、一人の婦人が姿を現し私の方に近づいてきた。婦人は立ちどまると、「どこかへお伴しましょうか?」と言った。その声は楽しげで、またしとやかで、決してとってつけたような優しさではなかった。どこかで一緒に飲みましょうと誘うと、「おお、ノー」ときた。彼女にはそんなやり方で時間を潰すゆとりはなかったのだ。「何か外に興味はありませんか?」と彼女は聞いてきたので、ないと答えた。しばらく言葉のやり取りした揚げ句、私が普通のサービス料を払うかわりに、彼女が私の顔を立ててパブリック酒場に一緒に行くことで話が決まった。

そこで彼女が行きつけのバーに私を案内し、腰を下ろした。私はまずハイボール一杯を飲み、彼女は何かカクテルを注文し、タバコを買った。明るいこのバーの中で、私は初めて彼女をはっきりと見ることができた。まだうら若い女性で、容姿も美しく、きりっとした顔の持ち主であった。衣裳も上品な好みのもので、彼女がこんな商売をしているとは誰にも思えないほどだった。

彼女の話では、街に出るようになってもう四、五年―その間時々休むこともあったが―になるという。最近では昼間は仕事を持ち、毎夜一、二時間ほどしか街へ出ないとのことだった。昼間の仕事というのは、ある工場で荷物を包装する仕事で、一週間十九マルクの賃金をもらっているとのことだった。それは辛い仕事で、指の爪をすっかり駄目にしてしまったらしい。しかし強制収容所にいるよりはずっとましだった。もし彼女が愚図愚図していて、この仕事に前からついていなかったとしたら、自分も強制収容所へもっていかれたかも知れなかったという。

・・・・・外出禁止時刻がもうすぐだった。私は酒場の支払いをすませ、その釣り銭から彼女にサービス料を与えた。彼女は黙って受け取ったが、決して媚びた態度ではなかった。その時まで、私たちは真面目な友達同士だったのだ。

外へ出る時、私は彼女に言った。「このままでは、結局君は強制収容所行きになるかも知れないよ」

彼女は寂しげな笑いを浮かべ、「知ってるわ」と言った。彼女は暗闇の中を、すぐ近くのアパートに向けて歩いて行った。アパートの門口の鍵をあけると、廊下の薄青い光が見えた。彼女は白粉の匂いのする頬をおずおずと私にさし向けて、「キスしてもいいわ、ねえ」と言った。

家路をたどりながら北方の空を見上げると、サーチライトの大きな光束が四本、目標機を追って真っ黒な空をゆっくりと移動していた。

家に着いて初めて気がついたことだが、二人はいろいろたくさんおしゃべりしたが、結局、戦争のことは何一つしゃべらなかった。

このような経験をなめてきた私には、その後数年間、アメリカの世論が見境なく、その政治的敵対者に押しつけようとする極悪非道のイメージを、そのまま受け入れることができなかったのをわかっていただけるだろう。アメリカの新聞やワシントンの官辺筋の多くが、ドイツ国民を一括して、ヒトラーを熱烈に支持し、ヨーロッパ諸国の破滅と奴隷化の悪魔的野望に血道をあげる残忍な怪物集団だと決めつけることに同意するわけにはいかなかった。

ケナンは当初、ドイツの保守派と軍部による反ヒトラー運動に精神的支援を与えることに懐疑的だった。

しかし反ナチ人士との接触を重ねるうちにその意見は大きく変化する。

特に19世紀の著名な軍指揮者の兄弟筋の曾孫にあたるヘルムート・フォン・モルトケ伯や大宰相の孫であるゴトフリート・ビスマルクに対する強い敬意を語っている。

(モルトケは逮捕され1945年初めに絞首刑となる。ビスマルクも死刑を宣告され刑の執行が引き伸ばされているうちにドイツが敗北し釈放されるが、まもなく自動車事故で死去。)

このような経験に直面してきた私は、戦争の終わりごろ、フランクリン・ルーズベルト大統領と話した時、彼が第二次大戦を第一次大戦と厳密には区別できず、またプロイセンの大地主階級が、昔はカイゼルの権力の支柱であったし、あるいはそうだと言われてきたと同じく、今度はヒトラー権力の支柱となっていると考えている多くの人々の一人だと知って、驚いてしまった。実際には、ヒトラーはその中心の支持勢力を、下層中産階級と一部は新興財閥に求めていた。プロイセンの旧貴族階級は二つに割れていた。しかしこの貴族の中から、ヒトラーが相手にすることになった反対派の中でも最も進歩的で勇敢な人々が出て来たのである。

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村瀬興雄 『ナチズム ドイツ保守主義の一系譜』 (中公新書)

初版が1968年で現在も品切れになっていないようですので、これも中公新書の超ロングセラーと言えるでしょう。

標準的形式の概説かと思っていたが、かなり変わった構成。

ヒトラーの生い立ちからミュンヘン一揆までが非常に詳しく、それだけで四分の三ほどの紙数を費やし、そこから一気に話が飛んで、最後の二章で第二次大戦中のナチの東欧・ロシア占領構想とナチズムの基本的性格の概括を述べている。

政権獲得期や独裁確立期の記述は存在せず、表面的に見れば、相当アンバランスな印象を受ける。

ただし「はしがき」で著者自身が断っているように、本書はヒトラーやナチズムに関する包括的概説ではなく、初期ナチズムおよび末期ナチズムを比較して、ヒトラーとナチズムの本質を浮かび上がらせようとする本なので、通読すればそれほど不自然な感じはしない。

ミュンヘン一揆までの、他の右翼団体との関係を含めた詳細な事実についての叙述はなかなか有益と言える。

そして本書の史的解釈の特徴については、サブタイトルが全てを語っている。

著者は、「ナチズムをドイツ支配勢力の突然変異と考えずに、むしろドイツ的伝統の嫡出子と考えて、第二帝政から第三帝国にいたるドイツ支配勢力の連続性のなかで考えてみる必要」を説く。

中公旧版「世界の歴史」での著者の執筆巻を読んだ時にも思ったことだが、私自身はこういう見方には強く懐疑的になってしまう。

ニッパーダイドラッカーハフナーマイネッケトーマス・マンシュペーアの回顧録ケナンなど、不十分極まりないながらもあれこれ関連本を読んでいると、自分の無知を差し引いても、本書の主張はそうそう簡単に首肯できるものではない。

プロイセン的伝統に対する厳しい批判者のゴーロ・マンも、ナチズムとの関連性については、それほど短絡的な見方はしていなかったはず。

しかし実際通読した印象では、それほど教条的で硬直した感じはせず、一定の柔軟さを持った本だと思った。

ドイツ支配層のうち、王朝的「保守反動派」と近代的「大ドイツ派」を区別し、20世紀以降前者の衰微と後者の増殖が顕著となり、ナチズムを消極的にせよ支持し、その支配を可能にしたのは後者だったと述べているのには素直に得心がいった。

最後に付け加えられている、第10版以降の「あとがき」にある以下の文章などは、上記ニッパーダイの本などとも共通する視点を持つでしょうし、現在の社会で全体主義の危険を避けるために何が必要なのかを示唆してくれるのではないでしょうか。

自由・民主派とナチスとの間には、もとより対立する要素が多い。しかし・・・・・何よりも古い身分制的反動的勢力の打倒を求める空気、公益優先の福祉国家、強大なドイツと国内の民族共同体を求める気分、現状を打破するためにワイマル共和制の変革を求める気分が、この派の大衆の間に強かったのである。

かかる空気の中では、民主的愛国的大衆とナチス的民族主義的大衆の区別は必ずしもはっきりとしなかった。ナチスは、王朝的権威主義や貴族的復古主義には反対していたし、農村の旧式名望家、旧式で家父長的な資本家、貴族・将軍・高級官僚の特権的な態度、時代から取り残されたタイプの学校教師や教会牧師の不当に大きな勢力、その他、時代おくれな伝統的身分制的道徳や諸規範には反対していた。ナチスのかかる改革的な態度に対してこそ、ドイツの一般大衆は熱烈な広範な支持をたえず更新して与えたのである。決してゲッペルスの「悪辣な宣伝」が民衆をまどわせ続けたのではなかった。

・・・・・ドイツにおける権威的軍国的反民主的な伝統は、ナチズムの勝利をうながした重要な原因である。しかし、民衆がナチスを支持した重要な理由は上述の如くであり、ドイツ人だけが独裁と抑圧に対してとくべつに卑屈で臆病な民族性をもっていたわけでは決してない。今日の西ドイツで反動的復古的勢力が見るべき力をもっていないのは第三帝国時代において保守派の基盤が破壊されたためであり、今日の西ドイツは全体として第三帝国による破壊と抑圧と、しかしまた建設事業の上に民主主義をきずきあげているのである。

この記事で少し触れたフィッシャー説を完全に承認していたり、ちょっとついて行けない部分も多かったが、読後感は事前の予想よりかなり良かった。

中公新書に収録されていて、このタイトルの本が与える印象である、「初心者が必ず通り抜けるべき基本書」といった感じではないが、読めばそれなりに得るところはあるでしょう。

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ジョゼフ・ギース フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの城の生活』 (講談社学術文庫)

同じ著者の『都市の生活』『農村の生活』の読後感が比較的良好だったので、これも読みました。

領主・騎士という支配層から見た中世ヨーロッパ社会点描。

主に、11世紀から13世紀の中世盛期におけるイングランドとウェールズの事例が取り上げられている。

このシリーズすべてに言えることですが、読みにくいと感じた部分は軽く流して、どんどん読み進んだ方がいいです。

途中から興味がわいてくる文章が出てきて、楽にページが手繰れるようになりますので。

本書も、上記二著と同じく、なかなか良い。

社会史関連で、中世ヨーロッパはかなり類書が多い分野だと思いますし、他にもいい本が幾らでもあるんでしょうが、とりあえず『刑吏の社会史』『魔女狩り』『ペスト大流行』とこのシリーズ三点を読むだけにしておきます。

村の人口の大部分を占める農奴にとって、理屈の上では領主が絶対的権力者だった。領主は農奴の地代や奉仕の義務を勝手に増やしたり、所有物を差し押さえたりすることができるとされていた。しかし、実際のところは、昔から積み重ねられた慣習が法律と同じような効力を持っていて、領主の法的立場を制限していた。それに、小作人の奉仕がなければ領主の暮らしが立ちゆかないという現実もあったから、小作人たちが逃げ出したり、反抗を企てたりするほど締めつける領主はまれにしかいなかった。小作人は奉仕の義務を怠らない限り、小作地を維持し、跡継ぎに譲ることができたのだ。森や荒れ地も厳密には領主の所有物ではあったにしろ、小作人は慣習によって決められた範囲内で開拓することもできたのである。・・・・・小作人と領主との関係は互恵的、現実的であり、その上、永続的なものだった。農奴は土地にしばられてはいたが、同時に、その小作地を奪ってはならないという慣習によって守られてもいたのだ。

それぞれの階級の枠内で機会が均等に与えられ、隣人同士が協力して働き、身分と血筋の維持が重視された村の共同体の理念は、何世紀にもわたって保たれた。これとは対照的に、中世の都市生活者が理想とし、職人ギルドが目指した理念―各人がそれぞれの職業に勤しみ、作ったものを売り、極端な金持ちも貧乏人もいない社会―は、ほんの短い期間、しかも不完全な形で実現したにすぎず、やがて商業の発達によって大商人が生まれ、貧富の差がますます開いていくことになる。

村の理念が長く続いたのは、主に貨幣経済の浸透が地方ではゆっくりと進んだからである。成功した都市住民を豊かにしたような新しい事業や産業を起こす場は、荘園制のもとでは生まれにくかったのだ。イングランドで資本家農民が出現し、耕作地が囲い込まれて牧草地となり、小作人が賃金労働者に変わったのは十六世紀になってからだった。そして、歴史家R・H・トーニーの言葉によれば、「農奴はいなくなったが、救貧法が制定される」ことになってしまったのである。

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記事リスト(書名一覧)【未完成・暫定版】設置のおしらせ

以前からあれば便利だなと思っていたので、記事リスト(書名一覧)をここ最近作成しておりました。

完全な主観ですが、5段階で面白さを、3段階で読みやすさを評価したものを書名の後に付けています。

まだ未完成ですが、「近代日本」を除く地域別カテゴリの分は出来ましたので、とりあえず公開します。

サイドバーにある「ウェブページ」下の書名一覧(地域別カテゴリ)からどうぞ。

残りの「近代日本」とテーマ的カテゴリは徐々に追加していきます。

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桜井啓子 『シーア派 台頭するイスラーム少数派』 (中公新書)

イラク戦争後の混乱が泥沼化していた2006年刊。

著者は岩波新書から『現代イラン』などの本も出している方ですが、同じ女性のイスラム研究者の酒井啓子氏と名前が妙に似てますね。

本書の構成として、冒頭から半分弱ほどがシーア派の歴史的来歴を語る部分で、残りで20世紀以降の展開が述べられている。

最初にまず現在のシーア派人口分布が載せられている。

中学以来、シーア派と言えば、「=イラン」で済んでいた。

イラクは支配層はスンナ派だが、住民の過半はシーア派だなんてことは、高坂正堯『外交感覚』を読んで初めて知った豆知識といった程度の認識だったのが、ブッシュ・ジュニアが滅茶苦茶やったお陰で広く知られる事実となってしまった。

他には、ペルシア湾岸の島国バーレーンがシーア派人口50パーセント超で、レバノン・クウェート・パキスタンも比率が高い。

さらにアゼルバイジャンが6割超と書かれているのを見て、「ええーっ」と思ってしまうが、イランと地続きで、イランからロシア支配下に編入されたことを考えると別に不思議でもないかと思い直した。

シーア派信仰におけるイランの地位は必ずしも絶対的なものではなく、アリー以下のイマームの墓廟も、サウジがメディナの一ヶ所、イランが東北辺境にあるマシュハド一ヶ所なのに対して、イラクにはバグダード南にあるカルバラ(第3代フサイン)、さらに南のナジャフ(初代アリー)、北部のカーズィマインおよびサマラと四ヶ所存在する。

また、サファヴィー朝成立時点では、イラン人の多くは依然スンナ派だったと書かれているのは新鮮。

なお、イラク南部のシーア派住民について、18世紀半ば以降のアラビア半島でのワッハーブ派運動から逃れてきた部族が集団でスンナ派から改宗したが、そうした人々も多く含まれていると書いてあったのが記憶に残った。

サファヴィー朝とオスマン朝、両国の衰退の間を縫って、バザール商人や商工集団などの支持を得て国家から相対的に独立した地位をシーア派聖職者が占めるようになり、その中から19世紀半ばマルジャア・アッ・タクリード(模擬の源泉)と呼ばれる最高権威が生まれる。

20世紀に入ると、これまでシーア派信仰の中心だったナジャフが非アラブ系の神学者や学生が増加したことにより、反って求心力を失い、スンナ派ハーシム王家の下でイラクが独立し、シーア派が国家建設から排除されたこともあって、ナジャフの地位はイランのコムに奪われる。

このコムからイラン・イスラム革命の指導者ホメイニが出ることになりますが、その「イスラム法学者の統治」という理論については、ホメイニ以外に並立する他のマルジャア・アッ・タクリードの中には否定的に捉える者も多かったと書かれてある。

後半部は、イラン革命という一大事件を軸に、各国の情勢を総覧していく記述。

ホメイニ治下のイランが試みた「革命の輸出」は失敗し、各国のシーア派の中でもイランから距離を置く勢力が主流となる。

インド・パキスタンやサウジ東部のシーア派など、あまり知られていない少数派運動を紹介してくれているところは貴重。

『ムガル帝国から英領インドへ』で少し触れた、アウラングゼーブ死後独立したアワド王国がシーア派だったとか、パキスタン指導者のズルフィカル・ブット(任1971~77年。この前暗殺された女性政治家の父親)がシーア派出身だったとかは本書で初めて知った。

イラクでは、サドルとかハキムとかスィースターニー(シスタニ)とか、新聞の国際面を眺めてると時々お目にかかる名前が載っているので、読めば非常に参考になります。

面白い。

難解な教義について深入りしてゴチャゴチャ述べた本ではなく、高校レベルからでもすんなり入っていける叙述。

巻末の人名・事項索引が親切で便利。

前半の前近代史と後半の現代史の部分のバランスが良好。

前半の記述は必要にして十分な知識を無理せず与えてくれるし、後半は複雑で微妙な地域情勢理解のために有益な情報を豊富に提供してくれる。

相当優れた入門書であろうかと思います。

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佐伯啓思 『増補版 「アメリカニズム」の終焉 シヴィック・リベラリズム精神の再発見へ』 (TBSブリタニカ)

初版は1993年刊、この増補版は98年に出たもの。

以前飛ばし読みはしていたが、この度じっくり精読してみました。

「もっと早くそうすべきだった」というのが、読み終えた後の感想です。

著者は西部邁氏の一番弟子といった感じの方で、いわゆる反米保守の立場に立った文明論ですが、そういう見解を同じくしない人にとっても、非常に大きな示唆を与えてくれる本だと思います。

刊行から10年経った今でも、その論旨はいささかも古びておらず、重要性は反って増しているのではないでしょうか。

冷戦後の世界を展望する上で、まず19世紀のパックス・ブリタニカと20世紀のパックス・アメリカーナを、リベラリズム・デモクラシー・キャピタリズム・ナショナリズムの絡み合いとして、思想的に分析し、次にアダム・スミスとアメリカ建国の父たちが持っていた(君主制や世襲貴族制に反対するというのとは別の意味での)「共和主義」的精神を考察し、再び現代の問題に戻るという構成。

最後の増補された章では、教条的な市場主義とグローバリズムがもたらす破壊的作用が語られている。

非常に良い。

難解な部分はほとんど無く、スラスラ読めるが、中身は異様なほど濃い。

間宮陽介『ケインズとハイエク』と読み比べるのも良い。

ここで触れられている意味での「共和主義」(著者はシヴィック・リベラリズムと呼ぶ)に関しては、本書の参考文献欄にも載せられているジョン・ポーコック『マキァヴェリアン・モーメント』(名古屋大学出版会)という本があって、大変な名著と言われているそうですが、残念ながらこれは私の頭では絶対に読めないレベルの本でしょうから、端から諦めてます。

知的体力のある方は挑戦して下さい。

デモクラシーはナショナリズムのうちから国家利益という観念をとり、ナショナリズムはデモクラシーのうちから主権という観念をとる。・・・・・こうしたナショナル・デモクラシーとでもいうものの出現によって、デモクラシーとリベラリズムの対立という事態も一層明確になってくる。リベラリズムは、本来、強制力からの解放という意味では、民主的であれなんであれ、無条件の「主権」という考えとは両立しないのであり、また他者の自由の尊重という意味では「人民」という抽象的な包括概念とは両立できないのである。だからリベラリズムの検閲を失ったデモクラシーは人民主権の名のもとに暴走する可能性を常に秘めていると見なければならないだろう。

アメリカン・デモクラシーの行き先に不安をもっていたトクヴィルは、それでもまだこの時代のアメリカ人の精神の中に、強い公共心を見て心を動かされていた。しかし、150年後にそのトクヴィルのみたアメリカ的精神を再び検証しようとした社会学者ベラーがみいだしたものは、バラバラに分断された個々人と競争社会の中での心理的葛藤をサイコ・セラピーによって癒す人達の群れであった。ここにあるのは、「公共的生活」と「私的生活」の緊張の中で自分の使命を見いだしてゆく個人ではなく、物質的生活のあくなき追及にはしる「功利的個人」と、リアリティーの希薄な世界で自閉的に自己充足してしまおうとする「セラピー的個人」であった。セラピー的個人主義者は、公共的生活に対して無関心なだけではなく、その結果として私的生活を支えることもできなくなってしまうのだ。

「自由」は、何物にも制約されない自主的な意思決定とか個人の利益の追求とかいうような子供だましの観念で理解できるものではない。自由をありうるものとするのは、嫉妬や恨みをいかに制御し、名誉や称賛にいかにしてそれにふさわしい内実を与えることができるかということなのである。「自由主義」の根本にあるのは、利害の自然的調和などではなく、権力の背後にある人間の情念の問題なのだ。スミスやヒュームのような「情念」の哲学者は、全体主義に反対し、政府の規模を縮小することが自由主義であると思い込んでいる今日の気楽で合理的な政治学者、経済学者などよりはるかに深い洞察をもっていたというべきであろう。

・・・・・ふつう「市民的(シヴィル)」というのは、公的権力に対して擁護された私的なものを権利としてもつ自由で平等な個人をさす。それは公的なものに対して私的なものを擁護し、国家の権力に対して個人の自由を対峙する。これに対し「公民的(シヴィック)」とは、あえて「国家市民的」と呼んだように、あくまでそれが国家的共同社会における公的事項に参与する市民というニュアンスをもっていることを注意しておこう。ところで共同社会の公的事項とは、なによりまず外敵からの防衛であり、正義と思慮に基づく統治であろう。だからそれは勇気、思慮、正義といった徳を要求する。これを、プラトンの「共和国」にならって「共和主義の精神」といってもよかろう。

「共和主義」というと、専制君主制に対する反対ということから、人民主権のデモクラシーとすぐに結びつくのだが、これは必ずしも正しくない。・・・・・すくなくともスミスにおける共和主義的傾向はそうで(スミスは共和主義という言葉を使っているわけではないが)、むしろ、スミスにとっては、プラトンと同様、デモクラシーは、ある意味で危険なものに思われた。

「イタリーの住民の大部分にローマ市民の諸特権を与えたために、ローマ共和国は完全に滅亡した。つまり、そうなると、ローマ市民とそうでない者とを見分けることがもはや不可能になった。・・・・・あらゆる種類の賤民が人民の集会にはいりこめたし、真の市民をそこから追い出せたし、まるで自分たちが真の市民ででもあるかのようにしてこの共和国の問題を決定することもできたのである。」(『諸国民の富』第四編)

スミスはこれをむしろ、アメリカの代議制を擁護するために書いている。しかし、今日のアメリカ的大衆デモクラシーを見たらスミスはどのように述べたであろうか。共和国の政治をおこなえるのは「真の市民」だけだ、という。むろん「真の市民」とは何か、ということが問題となる。現代では、ローマとは比較にならず、「真の市民」とそうでないものを見分けるのは難しい、というより、もはやそのような問題をたてることさえできない。

・・・・・抽象的な自由と同様、抽象的な個人もあまり実用的な概念ではない。すくなくともアメリカ革命を導いたのは、抽象的な個人という裸の人間に戻ることではなく、様々な社会的関係の中で生きていく人々という座標水準のうちに実用的な法と制度を構成することであった。具体的な個人は根源的な自由よりも日常の幸福を追求するものであろう。それは剥き出しの個人ではなく、法や制度によって他人とつながった諸個人なのである。だから、自由も幸福も剥き出しの個人の「権利」というよりも、共通の法や制度のもとで共同作業として作り出してゆくものなのである。人間は個人というより、法的存在であり、ある職業や役割と不可分なのである。個人が法を守り役割を果たすのではなく、法や役割が個人を作り出すのである。その意味では、一人の人(パーソン)であることは常に仮面(ペルソナ)をつけることなのだ。

「幸福」とはベンサムのような功利主義者が述べた快楽の総和というようなものではなく、ひとつの役割を果たすこと、その結果として他人からの称賛をえること、要するに「名誉」と深く結びついたものなのである。ここに「幸福の追求」が社会的(公的)活動への参加と結びつく理由がある。

規範や価値の意識は、個々人の好き嫌いによって形成されるものではない。それは、一つの社会の歴史の中で作られるほかない。そしてそれを、人はとりあえず受け継ぐ以外にない。・・・・・倫理や規範は、社会集団の中にしかない。とりわけ、習俗(モーレス)の中に根を下ろした規範は、特定の社会の文脈の中にしかない。そして実は、「自立した個人」も、もしそうしたものがありうるとすれば、それは実際には、倫理や規範の意識を強くもった存在であろう。この倫理や規範は決して外部から教義や倫理法や訓示の形で与えられ強制されるものではない。むしろそれは、まさにウェーバーが描き出したプロテスタンティズムの精神をもった近代人のように、規範を内面化した存在でなければならないであろう。とすれば、「自立した個人」を育てるためにも、国家や共同社会という、グローバリズムの流れに抗する集団の自覚が必要となるほかないのである。

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井上寿一 『昭和史の逆説』 (新潮新書)

このレーベルはあまり読みたい本が無いんですが、これは例外的に気になっていたので読んでみました。

全7章で昭和改元から敗戦までの政治外交史を概観する本。

「山東出兵は国際協調が目的だった」、「松岡洋右は国際連盟脱退に反対していた」、「戦争を支持したのは労働者、農民、女性だった」というような意外性に満ちた章名。

といって、殊更奇を衒ったいい加減なものではなく、内容は非常にしっかりしている。

当時の政策担当者の視点に立って、情勢の把握と選択の幅を体感させてくれる記述。

連盟脱退や1930~37年の国内政治状況の説明は特にわかりやすく、目の冴えるような思いがした。

個人的な感想を述べると、戦前の歴史を反省する際、軍の暴走や国内のテロリズム、極端な国粋主義の蔓延などの事象の根底には常に、過激で偏狭で得体の知れない世論や大衆心理があったのだから、「民主主義と言論の自由が無かったから、ああなったんだ」という形でまとめるのは、やはり根本的に間違ってるんじゃないかと思いました。

大正デモクラシーが無ければ、昭和の軍国主義も無かったはずだというのは言い過ぎでしょうか。

世論の主流が唱えるお題目が、戦前は右寄りで、戦後はずっと左寄りで、ここ最近はまた右寄りになってきても、その底にある群集心理こそが一番危険なものだということに変わりはないのでは・・・・・(私など間違いなくその種の群集の一員ですが)。

だから「左の大衆運動は間違いだったが、右の大衆運動は正しい」とは全く思わない(もちろんその逆も同じ)。

100%そう信じ込んでる威勢のいい人たちを見ると、バークこの引用文を思い出す。

閑話休題。

各章が時代順に整然と配列されており、章の始めに該当範囲内数年ごとの簡易年表が挿入されているのも親切。

張作霖爆殺事件など、抜け落ちている史実もあるが、200ページほどのボリュームに過ぎない新書版としては、驚くほど網羅性が高い。

これは素晴らしい。

対象となる読者層は幅広く、文章は平易で読みやすいが、得られる効用は極めて大きい。

新潮新書は安直な作りの本が多いなという印象を持っていましたが、本書に関してだけは当てはまりません。

買いましょう。

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岡本隆司 『世界のなかの日清韓関係史 交隣と属国、自主と独立』 (講談社選書メチエ)

16世紀から日露戦争までの日清韓三国の関係について考察する本。

叙述の中心は李氏朝鮮におかれているようなので、カテゴリはアジアではなく朝鮮にします。

清・韓間の宗属関係、日・韓間の交隣関係という、それなりに安定した国際秩序が、19世紀以降の西力東漸により変化を余儀なくされ、崩壊していく中で、日清韓がそれぞれどのような思惑を持って行動していったのかを巧みに描写している。

特に1880年代の状況に詳しい。

別にわかりにくいところも無く、論旨は明快だとは思うが、内容は豊富で多岐にわたるので、本書もメモを取りにくい。

それを考えるとレベルは少し高めなのかもしれない。

朝鮮開国後、清・韓間で伝統的な朝貢・冊封関係から生じた「属国自主」体制が形作られ、これは日本と欧米列強の脅威に対するものであるが、朝鮮側は清の保護を受けるための名目上の服属関係という意識を持っていたのに対し、清朝は「属国」を実質化する意図を示し、両国の思惑は必ずしも一致せず、1882年壬午軍乱後、清の干渉が露骨化する中で、清との一切の関係断絶を主張する急進開化派(独立党)と、一定限度の関係継続を是認する穏健開化派(事大党)との対立が生じ、1884年甲申事変で両者が激突し、1894年日清戦争に至って、朝鮮半島における微妙な勢力均衡が崩壊し、「属国と自主のあいだ」という李朝の国際法上曖昧な地位にも終止符が打たれる、といったことが書いてあると思うが、私にはうまくまとめられません。

誤読もあるかもしれませんので、以上は鵜呑みにはなさらないで下さい。

事実関係を学んで基礎を固めるためというより、俯瞰的視野からの歴史解釈を得るための本というべきか。

個人的には、本書を読んでいて、李朝末期の史実が、意外なほど頭に入っていないことを自覚して反省しました。

『韓国併合への道』か、他の本でも読んで復習すべきだなと思った。

良書だと思いますし、難解極まるというわけでは決してないが、全くの初心者向けではない。

基礎が身に付いた人が読めば、得るところ大でしょう。

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新刊情報

ホセ・オルテガ『大衆の反逆』の廉価版が白水社uブックスより出ているようですので、未読の方はこれを機にお買い求めになっては如何でしょうか。

「こんな極右のエリート主義者の本を何で読まなきゃいけないんだよ!!」という方は、内田樹先生のブログのニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」というエントリーをご覧下さい。

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