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エドマンド・バーク 『フランス革命の省察』 (みすず書房)

1790年の時点で書かれた反革命論で、近代保守主義のバイブルになった本。

世評の高さを知りながらも、これは基本的に素人には読めない本だと決め付けていた。

だが一度気合を入れてじっくり通読してみたら、ものすごく興味深い。

引用したい文章がいくらでも出てくる。

予想では保守主義の一般的思想を述べている部分はともかく、当時のフランスの具体的状況を論じているところは難渋で読み進められないと考えていたが、それもゆっくり読み込めばかなり面白い。

読もうと思う方にご注意。岩波文庫版や中公バックス版の翻訳も出ているが、必ずみすず書房版を買って下さい。

前二著には素人がざっと見ても翻訳に難がある。

中公版はともかく岩波版訳者の中野好之氏はどうしちゃったんでしょうか。ギボン『ローマ帝国衰亡史』の後半の訳は非常に立派だと思うのに。

現在のフランスの支配権力をどのような部類に属させて考えるべきか、私には判りません。それは純粋民主政を装ってはいますが、また、程なく有害低劣な寡頭制に直接繋がって行くのではないかとも思われます。しかし、差し当たりは看板通りの性質と効果を持った機軸と認めることにしましょう。私は如何なる統治形態であれ、抽象的原理からだけでは非難は致しません。純粋民主政の形態が必要な場合もあり得るでしょう(ただし極めて僅かな、極めて特殊な状況の下でだけですが)。

だが、これがフランスとかその他の大国に当て嵌まるとは私は思いません。現在に至るまで我々は、取るに足る程の民主主義の実例を見たことがありません。古代人はそれについてより良く知っていました。私は、民主政憲法を最も多く見て最も良く理解した著者達についてまったく読んでいないという訳でもないので、絶対的民主政は絶対的王政に劣らず正統な統治形態には数え難いという彼らの意見に同意せざるを得ません。

彼らはそれを、一国家の健全な国制であるよりはむしろ腐敗堕落と考えています。もしも私の記憶が正しければ、民主政には暴政との驚くべき共通点が数多くある、とアリストテレスは見ています。この問題に関して私は確信を持ってこう言えます。即ち民主政において、多数者市民は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができます。激しい分裂がその種の国家組織内に遍く拡がる時は、(実際縷々そうならざるを得ないのですが)、何時でもそうなのです。

そして、少数者に対するその抑圧は、たった一本の王笏の支配からおよそ懸念され得る殆ど如何なる抑圧よりも遥かに多くの人々に及び、しかも遥かに激烈に行使されるのです。こうした民衆による迫害の下では、個々の受難者は、他の如何なる場合よりも何層倍も悲惨な境遇に置かれます。一人の暴虐な君主の下では、彼らには傷の痛みを和らげてくれる人類の心安まる同情があります。苦しみの下にあっても、その高邁な堅忍不抜を鼓舞する人々の喝采があります。ところが多数者の下で悪に苦しむ人々は、あらゆる外からの慰めを剥奪されるのです。人間種属全体の陰謀に打ちひしがれ、彼らは人類から見捨てられた如くに見えるのです。

しかし、一先ず民主政には、私から見れば有ると思える、党派的暴政への不可避的傾向が無いと認めるとしましょう。また純粋形態の民主政は、それが他の諸形態と複合した場合と同じ程に大きな善を伴う(私は後者の善は確信しています)と認めるとしましょう。それでも、君主政の側には推奨に価するものは何も無いのでしょうか。私はボーリングブルックを数多く引用する者ではありませんし、一般的にも、彼の作品が私の精神に何らか永続的印象を与えたことはありません。彼は不遜で皮相な著作家です。しかし私の考えでは、彼には一つだけ深みと確かさが無くもない言葉があります。彼は、自分としては他の形態の統治よりも王政の方を好むと述べているのです。共和政形態に王政的要素を接ぎ木するよりも、王政にどんな種類であれ共和政を接ぎ木する方がより旨く行く、というのがその理由です。私には彼の言い分は完全に正しいと思われます。歴史的に事実その通りですし、それは思索とも良く一致します。

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