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陳寿 『正史三国志 5 蜀書』 (ちくま学芸文庫)

明代に完成した小説『三国志演義』の元となった、西晋時代に書かれた正史『三国志』の一部である。

中国正史のうち、他をはるかに引き離す、ずば抜けた傑作である『史記』と言えども、「列伝」だけでなく、「本紀」「世家」「書」「表」含め、全巻を読破するのは素人には到底不可能(だと思う)。

まして『漢書』『後漢書』や他の正史に至ってはたとえ全訳があっても絶対無理だろう。(『漢書』はちくま学芸文庫に全訳あり。)

だがこのちくま学芸文庫で全8巻の『三国志』についてはぱっと見、可能なように思える。

少なからぬ人が中国史の他の時代とは段違いに細かな知識を持っており、脇役に過ぎない武将・文官についてもよく知っている。

実は私もそう思って、通読に挑戦しようと全巻買い込んだのだが、やはり無理でした。

余程の三国志マニアが演義での人物像が正史ではどうなっているのかを逐一知るという強い目的意識を持って取り組まないと到底無理です。

結局読んだのはこの「蜀書」の部分だけ。

正史においてはあくまで後漢を継ぐ正統王朝は魏であり、後世のような蜀漢の理想化は生じていなかったのは知っていたが、それでも本文をじっくり読んだ感想は、劉備というのは実に魅力的な人物だったのだなあということであった。

陳寿の劉備や諸葛亮への敬慕の念が隠しても伝わってくるような文章であった。

バラで買える本だし、この5巻だけ買って読むのも良し、あえて全巻揃えて事典のように使って暇なとき面白そうなところだけ読むのも良いんじゃないでしょうか。

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レオポルト・ランケ 『強国論』 (岩波文庫)

17世紀ルイ14世治下のフランスの覇権が崩壊していく過程と大革命後ナポレオン治下に再度覇権を求めて膨張するフランスの挑戦が失敗するまでを描いたヨーロッパ史概説。

理念史といった感じの『世界史概観』と違って、通常の歴史書に近く読みやすい。

それと非常に短いのも良い。岩波文庫だとその薄さに驚く。

ポール・ケネディの『大国の興亡』が叙述の手本にした本らしいが、量的には全く段違いである。

戦前に出た訳本で旧字体で記されているが何とか読める。

10年くらい前に復刊されてから品切れ状態。例のごとく気長に重版再開を待ちますか。

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阿刀田高 『ギリシア神話を知っていますか』 (新潮文庫)

阿刀田氏の宗教入門シリーズで一番初期に出たものかな。

読みやすく、わかりやすいのは『旧約聖書~』『新約聖書~』と同じだが、ギリシア神話は異説や枝葉の部分が多いので、これ一冊読んで他の本を読むときに参考になるということはやや少ないか。

少なくとも私は、ヘロドトス・トゥキュディデス・プルタルコスの神話時代の記述を読む上で、特に役に立ったという記憶は無い。

だが、ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』(岩波文庫)を読むのは骨が折れるし、何も読まないよりはるかにマシである。

トロヤ戦争の概略も知らないのはマズ過ぎるのでさらっと一読しておきましょう。

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阿部謹也 『刑吏の社会史』 (中公新書)

これまでの記事でお分かりの様に、私は社会史・経済史・文化史などが好きではない。

誰それが権力を握って戦ってこういう国を建てたといったごく初歩的な政治史が、私にとっての「歴史」である。

要は歴史好きな小学生がそのまま大きくなってしまったような人間なのである。

中世ドイツの社会史を軸に、実に多方面で活躍し、多くの業績を残して先日亡くなられた著者のこの本も自発的に買ったのではなく、大学の教養で取った講義でテキストとして読まされたものである。

半ば嫌々読み始めたのだが、論旨の明快さと意外さに蒙を啓かれる思いがした。

社会史といっても面白いものはこれほど面白いのかと教えられた。

だがこれだけ有名な著者でも、読んだ著作は現在まで結局この一冊だけ。

皆さんは私よりもうちょっとバランスの取れた世界史読書をなさるようお勧めします。

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アンリ・トロワイヤ 『大帝ピョートル』 (中公文庫)

『イヴァン雷帝』に続けて読んだのだが、本書にも『イヴァン~』の記事で触れたような問題点を感じる。

大分マシにはなってるがやはりピョートルの「暴君」「蛮族」としての面が強調され過ぎているのではないか。

『イヴァン~』よりやや厚くなって読み通すのに苦労する割りに面白さは落ちている気がする。

とは言え、幼少での即位時の複雑な事情やオランダへの視察旅行、北方戦争の細かな経緯など興味深い記述も多い。

私がこだわり過ぎなのかもしれないので、一度読んでみてください。

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塩野七生 『ルネサンスの女たち』 (中公文庫)

『ローマ人の物語』のあまりの面白さに驚き、塩野氏の他の著作も読んでみようとまず手に取ったのがこれ。

四人の高い身分の女性の伝記で当時のイタリアの政治情勢を浮かび上がらせる本。

面白くないとは言わないが、如何せんテーマとしてマイナー色が抜けきらない。

個人的にどうもこの辺の近世イタリアの群小都市国家の歴史というのは興味が湧かない。

それをマイナーと決め付ける私にも問題があるのだろうが・・・・。

まあ本書が良書かどうかは、ご自身で読んで判断してください。

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松本信広 『ベトナム民族小史』 (岩波新書)

薄くて読みやすいヴェトナム通史。各章が短く、クセの無い記述。

全くの初心者は『物語ヴェトナムの歴史』よりこちらを先に読んだほうがいいだろう。

ヴェトナム戦争中の1969年に刊行されその後品切れ。

確か1993年ごろ復刊され、そのときに読んでまあまあ良いと思った。

そろそろ重版再開してもいいころじゃないかなあ。

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宮崎市定 『東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会』 (平凡社 東洋文庫)

やたら長いタイトルのこの本、戦前に宮崎氏がはじめて書いた中国通史。戦後書かれた「東洋的近世」を同時収録。

古典ばかりの東洋文庫に著作が生前に堂々と収録されるんだから、さすがです。

中国史を遊牧民と農耕民との相克として捉えるのは定番だが、本書はそれを「素朴主義」と「文明主義」という人生観・生活観の対立として叙述していく。

岩波の『中国史』とはまた違った面の面白さがあるとは思うのだが、やや読みにくい文章。

異民族の漢字表記にルビが振ってないのが、私程度の読者には不親切である。

推測できるところもあるが、「これなんて読むんだ?」と思った人名もあった。

なお最後の方で「中国史において文明主義の社会が停滞したとき、素朴主義の進入が中国に刺激を与え活性化と再生の契機になった、そして日本も素朴主義民族であり云々」といった記述が見られるが、解説でも書かれているが、これを「時局追従」の言と見做すのはやはり皮相に過ぎるだろう。

少なくとも私はそのような見方はしない。

「東洋的近世」は『アジア史論』(中央公論新社)にも収められているので読むことが出来る。

そろそろ『素朴主義~』だけ単独で岩波文庫あたりに入れてもらえませんかねえ。

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シュテファン・ツヴァイク 『マリー・アントワネット 上・下』 (岩波文庫)

かなり有名な伝記作品だが、宮廷生活の描写が延々続く前半はひたすらだるい。

後半革命が勃発してからは俄然面白くなる。

ヴェルサイユ行進や8月10日事件の詳細を知ると激しい嫌悪と怒りを覚える。

不幸な王妃と国王の側から眺めた革命史というのもあってよいのではないだろうか。

本書はその観点からの基本書として十分役に立つし面白いと思う。

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アンリ・トロワイヤ 『イヴァン雷帝』 (中公文庫)

有名なロシア皇帝のそれほど厚くない文庫本で手ごろな伝記だと思うのだが、『女帝エカテリーナ』の記事で触れた通り、ちょっとイヴァンの「抑圧者」としての描写が強すぎる。

実際にそういう面があったのはもちろん事実だろうが、イヴァン個人はもちろんロシア社会全体について「野蛮・未開・暴力的」という一面が強調されており、一種猟奇的とすら思える記述もある。

新潮社から出てる川又一英『イヴァン雷帝』(図書館でパラパラ見ただけだがこれは良さそうだ。いつか通読しよう。)の末尾で本書を評して、「著名な文学者らしからぬ描写が意義を低めている」というようなことが書いてあったが、深く共感した。

(なお同じ箇所でトロワイヤの書より、スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』(成文社)をむしろ勧めると書かれているが、これは以前買っていたものの1ページも読むことなく処分してしまった。)

まあ即位後の南部イスラム勢力との際どい紛争や新興国イギリスとの通交などあまり知られていない史実についても知ることができるし、一度目を通してみるのもいいかもしれない。

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タキトゥス 『ゲルマニア アグリコラ』 (ちくま学芸文庫)

高校世界史でカエサル『ガリア戦記』とセットで「古代ゲルマン人の貴重な資料」という決まり文句と共に必ず暗記させられる本ですね。

教科書ではタキトゥスの著書というとこれですが、やはり主著は『年代記』の方でしょう。

岩波文庫でも翻訳が出てますが、どうも訳文が古い気がして本書が出たときに即買って通読しました。

まあ特に内容を覚えようとはしないで、ざっと読んで雰囲気を掴めばそれでいいと思います。

同時収録の「アグリコラ」はタキトゥスの義父で、ブリタニア方面の統治と反乱鎮圧に功績のあった政治家の伝記。

「ゲルマニア」に比べれば全然マイナーな著作なので退屈かなと思ったのだが、むしろこちらの方が面白く読めた。

ローマ史の参考書として非常に良いと思うのだが、現在品切れ。

学芸文庫は基本的に復刊はしないと小耳に挟んだことがあるが、ライバルの岩波文庫を見習って何とか重版して貰えませんかねえ、筑摩書房様。

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吉川英治 『三国志 全8巻』 (講談社文庫)

横山光輝の漫画とか、最近では北方謙三の著作などがあるが、日本の三国志といえばやはり基本はこれでしょう。

しかし外国の歴史のある一時代についてこれだけ詳しい知識を相当数の人間が持っているというのも考えれば不思議な話だ。

文章に独特のリズムがあり、非常に読みやすい。

横山三国志を読んでいないという人は先に漫画で大筋を頭に入れておこうなどと考えず、むしろこちらを通読することを勧める。

横山三国志は本書をほぼ忠実になぞっているので、漫画を先に読むと大幅に興趣が削がれます。

しかし三国時代だけは中国史でも別格というくらい各種文献が豊富ですね。

なんかもう世界史とは別ジャンルといった感じ。

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レオポルト・ランケ 『世界史概観』 (岩波文庫)

近代歴史学の確立者ランケによるローマ帝国からフランス革命後までの西洋史概説。

高校教科書にも載ってる史家の著書だし、薄いので手ごろだろうと読み始めたのだが、正直かなり退屈であった。

読み方が悪いからそれも当然で、文庫本一冊だけで全ヨーロッパの歴史を物語る本なのだから、字面だけ追ってさらっと読むだけでは強い印象も受けず、何も頭に残らないのも当たり前である。

要はランケの史観を汲み取ろうと強い目的意識を持って読み通さなければいけないということなんでしょう。

末尾のフランス革命後の箇所で、もし今後人民主権の理念が全面的勝利を占めるならば、ヨーロッパ文明は大きな危機を迎えるだろうとの展望が語られているようだ。

彼の予想とは異なり、立憲君主制の確立でそれを防ぐことはできず、人類は20世紀の壮大で悲惨な自殺未遂へと突き進んでしまった。

その辺の大衆社会化の恐るべき危険という現実に裏切られた楽観的な見方がランケの「限界」と言われてきたようである。

しかし「民主」や「平等」を疑うことすら知らない今の凡庸な学者からは全く隔絶した位置にいることは間違いないだろう。

現在岩波文庫は品切れ。いつかは復刊するでしょうが、ちくま学芸文庫から『世界史の流れ』というタイトルで翻訳が出ています。

こちらは現在も新刊として手に入るようですので、宜しければどうぞ。

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司馬遷 『史記 1 本紀』 (ちくま学芸文庫)

前日『史記』のような古典はやはり通読しておいたほうがいいかもと書いたが、それはあくまで「列伝」についてである。

「本紀」「世家」や「書・表」まで含めれば、とてもじゃないが初心者が全巻読むのは不可能である。

宮崎市定氏の『史記を語る』で大体の内容を知っていれば十分。

そうなのだが本書については、どうしても「項羽本紀」と「高祖本紀」を読みたくて手にとってみた。

その両者は確かに面白い。知っている話も多いが、物語性が豊富で飽きさせない。

だが他の部分は非常に苦しい。馴染みの無い人名・地名・官職名がぎっしり詰まって、無味乾燥という言葉がぴったりくる。

どこかの出版社が「項羽本紀」「高祖本紀」と孔子以後の世家をまとめた抄訳本を出してくれないかなあと思う。

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司馬遷 『史記列伝 全5巻』 (岩波文庫)

これも抄訳を紹介済みであるが、ヘロドトス・トゥキュディデス・ギボンと並んで世界史の四大古典というべき(私が勝手にそう思ってる)なので、やはり全訳を読んだ方がいいかなあと思い全巻購入。

1回通読はしたのだが、その後手放してしまった。

「蘇秦列伝」「張儀列伝」中の演説での同じような内容の繰り返しや、「司馬相如列伝」でのやたらに長い韻文、その他通読には苦しい部分も多く、抄訳版が有り難く思えるときがある。

だがこれだけ有名な古典だし、初心者でも通読は不可能ではないと思うので、財布に余裕があるときに買っておいてもいいんじゃないでしょうか。

私もできれば買いなおすつもりです。

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ヘロドトス 『歴史 上・中・下』 (岩波文庫)

言わずと知れた「歴史の父」の著作であり、トゥキュディデスと並び賞される古代ギリシア史必読の古典。

これも中央公論・世界の名著『ヘロドトス・トゥキュディデス』で抄訳を読んで、古典として身構えた割には非常に面白いと思ったので、全訳を買って読んでみた。

これまで2回通読したのだが、先日3回目に挑戦しようとして中巻の半ばで挫折。

エジプト、スキタイ、リビアの地誌的記述が延々と続くところで挫折しやすい。

後半ペルシア戦争の叙述が始まると俄然面白くなりますので、そこまで何とか持ちこたえてください。

読みにくい部分もあるが、やはり避けて通れない古典的著作なので、手元に置いておくのが宜しいかと。

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おしらせ

これまで最初の頃を除き、基本的に一日一書のペースで、

1.借りた本ではなく、自分で買った本で今も所持している

2.最低一度は一行も飛ばさずに通読した(一部例外有り)

という二つの条件に合う本を書き連ねてきましたが、最近150タイトル余りまできたところで、ほぼネタ切れとなってしまいました。

根が飽きっぽく、そもそも読書量は多くないので、そうなってしまった次第です。

今まで読んだ本で今は手元に無い本がかなりあるので、それに加え今後新たに通読する本を挙げていって、当ブログはこれからも続けたいと考えております。

あと飛ばし読みで内容は相当把握しているが未だ通読の機会が無い本や、中身をパラパラと見ただけだが読むべきだなと思った本も書くかもしれません。

ただ読んでない本を同じように推薦するのはちょっと問題ですので、その場合はその旨明記するつもりです。

取り上げられそうな本を書き出してみると、当分更新頻度は落とさず一日一冊のペースを守れそうですので、よろしければこれからもお越しください。

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トゥーキュディデース 『戦史 上・中・下』 (岩波文庫)

抄訳は中央公論・世界の名著『ヘロドトス・トゥキュディデス』で紹介済み。

だが人によっては古今東西すべての歴史書の中で最高の書と評価する本だけに、全訳を読むべきなのかなあと思っていた。

1966年初版ながらその後ずっと品切状態で、入手困難なことで有名であった本書が1998年ごろ記念復刊された。

喜び勇んで即購入し、読み始めたのだが、かなり苦労した。

何とか通読したものの、さほどの感銘も受けずただ字面を追っただけといった感じで、これだけの名著の良さを自分は感じられないのかとガックリきた。

そういう不完全燃焼のようなモヤモヤした気持ちを持ちながら、本自体手放してしまっていたのだが、昨年また復刊されたのを期にまた購入し、気合を入れて再読してみた。

そしてようやく本書の凄さがわかった。

これだけの名著だけにいろいろな読み方ができると思う。

政治史というものを確立した書であると共に、乗り越え不可能なその一つの完成形態として。

パワー・ポリティクスの真髄を教えてくれる国際政治学最古の古典として。

ペリクレスという教導者を失った後、党派争いと衆愚政の中で自滅していった、人類史上初の民主主義国家アテネの惨めな堕落ぶり。

ポリス間、個人間から寛容と信頼が消え失せ、最低限の自己安全への懸念から疑心暗鬼に陥り、邪悪な行為が平然と行われるようになる内戦の悲惨さ。

やはり最低一度は通読しておくべき書物と思われる。

面倒臭がらず地図を何度も見て、主要なポリスと島嶼名をしっかり把握しながら読み進むこと。

なお本書は未完である。訳者による補遺も特に無い。

ペロポネソス戦争終局までの歴史を知るには、プルタルコス『英雄伝』の「アルキビアデス伝」を読めば、概略はつかめる。

本書が中絶したところから続けて書かれたクセノフォン『ギリシア史』の翻訳が京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」の中にあるが、まあ素人が読むのは相当厳しいだろう。(私は買ったものの、恥ずかしながら数ページで挫折した)

トゥキュディデス『戦史』の話に戻ると、この文庫版は昨年の復刊後また品切。同じ「西洋古典叢書」で全訳が出ており、これは手に入るようだが高いし厚い単行本で読みにくい。

こういう基本中の基本書が常時手に入らないのでは、岩波書店の名がすたるというもんじゃないでしょうか、文庫担当者様!!

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ヘンリー・キッシンジャー 『キッシンジャー秘録 全5巻』 (小学館)

著名な国際政治学者キッシンジャーが、1969年ニクソン政権の国家安全保障担当補佐官に就任してから、1973年ヴェトナム和平協定を締結するまでの回顧録。

分厚い本が全5冊。中身は二段組の活字がビッシリ。とてもじゃないが初心者が通読するような本じゃない。私も面白そうなところを飛ばし読みすることしかしていない。

それでも紹介したいと思わせる価値がある。死ぬまでに一度通読したいと思っている。

この時代の信頼できる国際政治史というだけでなく、超大国の政策決定の実際を垣間見れるし、リアリストの国際政治観を実地に基づいて学ぶことができる。

ちなみに著者はアメリカ外交における「中国重視・日本軽視」派の代表格だが、この本では意図的にセーブしているのか、日本人としてさほど不快な記述はない。

それよりイタリアへの軽侮がヒドイ。大統領のイタリア訪問では特別機がローマの空港に降り立った時点で訪問目的が達成されたようなものだと思ったとか、首相のモロが会談中に居眠りすることがあり、それ以後彼を起こしておくことができればそれで会談は成功だと考えたとか言いたい放題。

閑話休題。通読する必要はないですし買わずに図書館で借りるだけでもいいでしょうが、資料集のつもりで手元に置いて、まだしも興味が持てそうなところを読んでみれば得るものは小さくないと思います。

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ダイアナ・バウダー 『古代ローマ人名事典』 (原書房)

『ローマ人の物語』や『ローマ帝国衰亡史』、あるいはタキトゥス『年代記』・スエトニウス『ローマ皇帝伝』を読むとき、手元にあると便利な本。

収録人数はさほど多くはないが、無味乾燥で砂を噛むような叙述ではなく、鋭い人物評価を含む「読ませる事典」になっている。

特に帝政期の有名な皇帝たちの評価はざっと読むだけでも非常に面白い。

とは言え、ネックはその値段。定価だと税込み1万2600円もする。

図書館で借りようにも所蔵していない所も多いだろうし、もしあっても私の住んでいる自治体の図書館では「貸し出し禁止・館内閲覧のみ」という扱いである。

まあ無理に買うことをお勧めするわけではありませんが、機会があれば一度手にとってみてください。

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福田恒存 『日本を思ふ』 (文春文庫)

著名な文芸評論家の批評集。

前半の日本文化論は深い内容を持っているし、「近代の宿命」と題された評論は私程度の頭にはちょっと難しいが、西洋思想史として重要なものと思われる。

後半の自由論・平和論・歴史論にも思わずはっとするような指摘が多い。

直接世界史と繋がる本ではないが、同じ文春文庫の『日本への遺言』と並んで、熟読することによって歴史のよりよき見方への大きな示唆を得られる書物だと思う。

・・・・自由についても、まづ言葉の吟味が必要である。資本主義と共産主義、自由主義と全体主義とは、一つ自由における程度の差を競つてゐるのではない。それを程度の差と見る時、既に相手側の自由の意味を採用した事になり、本来の自由を抛棄した事になる。・・・・それなら本来の意味の自由とは何か。人間の自由とは何か。そもそも人間に自由はありうるのか。

言ふまでもなく、人間に生れる自由、生れない自由は無い。死ぬ自由、死なない自由は無い。なるほど自殺の自由はあるが、それはキリーロフのそれのやうに最も自発的な場合でも、結局は他動的、受動的である事を免れぬ。生といふ出発点において自由のない者が死において自由でありうる訳がない。人間は与へられた条件の中に無意味に投出され存在するだけで、その存在そのものの中に如何なる目的もないのである。人間は在つても無くてもよい。個人は在つても無くてもよい。偶然に在らしめられたのであり、偶然に無くさせられるだけの話である。その点、人間は他の生物や物質と何の相違も無いのであるが、ただ人間は自己がそういふものである事を、つまり自由の無い物質である事を、自覚する事ができる。その自覚の働きが精神であり、その働きによつて、人間は精神と物質に分裂した二重の存在になる。同時にその事によつて、人間は自由になる。あるいは自由の意識を所有する。

それは言換へれば、人間には自由が無いといふ事の自覚に過ぎず、その自覚に徹した時にのみ、人間は人間としての自由を獲得するといふ事である。本来の意味の自由とはさういふものなのである。その意味で、自由とは人間存在そのものの二重性を端的に表してをり、人間である事と同義語をなすと言つてよい。人間は自由であつて自由ではない。人間は自由でありえないが自由でありえる。この自由といふ言葉の両義語的性格にまつはるアイロニーとパラドックスのために、私達はマクベスのやうに惑はされるのである。

共産主義、全体主義に限らない、既に十九世紀の自由主義がこの両義性に躓いてゐる。といふより、人間の理性がこの両義性に躓いた時に、自由主義を生じたのである。つまり、人間は人間の中に単に意識として内在するに過ぎぬ自由を外在化する事によつて、自由を本来の両義性から脱卻せしめ、一義的な単純化を計らうとしたと言へよう。その結果、自由は単なる可能性の問題に留らなくなつて、現実の問題として捉へられるやうになつた。自由とは欲する自由ではなく、実現する自由となり、しかもその事を誰も怪しまないやうになつた。また消極的・相対的な方法としての自由といふ考へは失はれ、自由そのものが積極的・絶対的な目的と考へられ始めた。自由は生き方ではなく、生の目的、あるいは生そのものとなつた。言換へれば生そのものが人間の目的となつたのだ。生そのものを目的とする時、生は生以外の何物にも仕へる必要が無く、完全に自由である。

要するに、人間は精神の自由をすべて物質の自由に飜訳し直す事に熱中し始めたのである。自由は精神の所管から物質の所管に、あるいは物質の原理を発見し、それに適応する大脳の所管に移され、人間は自己、即ち人格になる努力を止めて、自己を物と合一せしめ、物になる作業に全精力を傾け出したのである。既にラッセルがさうであるやうに、道徳は快適の法則に還元され、幸福は快楽の同義語になる。

が、それで人間は満足しうるのか。自由の両義性から脱卻して、それを一義的に対象化し、可能性の代りに自由の現物を手に入れる事によつて、人間は果して自由になつたか。その前に、一義化といふ事によつて、それが目ざした両義性の矛盾は本当に解消されたのか。否である。矛盾はただ合理性といふ厚いアスファルトの下に押し隠されてゐるだけの事で、監視の目を免れて統御されぬまま卻つて危険な状態にあると言へよう。一口に言へば、人間は永遠に自由でないといふ根本前提を解消しえた訳ではなく、この二三世紀間に次々と行はれた自由の現物支給に目が眩んで、その大前提を忘れてゐたといふ事に過ぎない。だが、追放された人間存在の二重性と自由の両義性は復讐をもくろむ。それはどういふ形で現れるか。言ふまでもなく、自由喪失がそれである。自由が現物として己れの所有に帰した瞬間、人間は自由の意識、即ち自由感を失ふのである。生そのものが目的となり、生が生以外の何物にも仕へる必要の無い完全な自由を得た瞬間、人間の唯一の生き方は生命の法則に随ふ事となり、生き方としての自由を失ふのである。

その意味において、全体主義は一見さう見えるのと相反して、自由主義の延長線上にあり、その私生児に過ぎない。それは自由、民主主義、平和、その他、父親が目標とした理想を悉く一義化し平面化することによつて、攻撃力の集中を謀り、父親に認知を迫る。その事自体、自由の両義性の復讐でなくて何であろう。自由主義は全体主義を化外の民と見る前に、まづそれを鏡として己れの目鼻の特徴をそこに見出し、自分の過ち、あるいは弱味に気附かねばならぬ。

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林健太郎 『昭和史と私』 (文春文庫)

著名な西洋史学者の自伝として興味深いだけでなく、同時代の日本と世界の歴史の描写が実に的確で面白い。

著者の昭和史上の日本の戦争に対する評価は、東京裁判の権威は否定するが、日本が軍の暴走という形で自らの力を自制できなかったことは問題であり、中国大陸での軍事行動の侵略性は否定できないというもの。

別にこの見方に納得できなければそれでもよいが、数年前林氏が亡くなった際、雑誌『正論』で「林氏は結局東京裁判史観を克服できなかった人だ」といった非難めいた投稿が載ったのは少し残念であった。

こういう「偏狭さ」はやはりちょっと問題ではないかと個人的には思う。

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山口昌男 『黒い大陸の栄光と悲惨 (世界の歴史6)』 (講談社)

世界史の一部としてアフリカ史も抜かすわけにはいかない。

ただ「歴史の無い暗黒大陸」という偏見がいかに間違っていようとも、イギリス史や中国史と同じ密度でアフリカ史を学ぶことは不可能だし、意味のあることとも思えない。

そこで素人はとりあえず一冊読んで済ませることになるだろう。

比較的最近出たものとして『新書アフリカ史』(講談社現代新書)なんてものもあるが、私が選んだのは1970年代後半に出た講談社旧版世界の歴史シリーズのこれ。

著名な文化人類学者で思想家の著者の特色が良く出ている。

とは言え、クシュ・アクスム・ガーナ・マリ・ソンガイ・モノモタパなんて国名をうろ覚えしてるだけの自分にとって、西アフリカと南アフリカの諸王国の歴史を長々と語られるところは正直かなりキツかった。

中盤のそのあたりで挫折しやすいですが、何とか乗り切ってください。

細かな部分は無理に頭に入れようとせず、通読して大体のイメージを捉えられたら良しとしましょう。

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ジョージ・ケナン 『アメリカ外交の基本問題』 (岩波書店)

ケナンが1964年に来日したときの講演集。

米ソ冷戦、日米安保、日露戦争、第一次大戦などのテーマについてケナンの見解がわかりやすく述べられている。

さほど長くもなく、読みやすい。

日本語で読めるこの人の著作は何でも揃えておきたい気がする。

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小竹文夫、草野文男 『現代中国革命史』 (弘文堂)

これは相当入手しにくいと思う。非常に古い本だし、図書館でも置いていないところが多いだろう。

だが機会があれば是非読んで頂きたいと思います。

衛藤瀋吉氏の著作集(先日紹介したのとは別の巻に収録)の「中共研究ノート」(すみません、微妙にタイトルが違うかもしれません)で本書の存在を知る。

昭和33年(1958年)刊で、この年代の本にしては珍しく中共に批判的な中国現代史。

冒頭のアヘン戦争と太平天国の叙述からして、太平軍より、それを鎮圧した曽国藩ら漢人勢力を評価しているように、各時代において最も急進主義的な勢力が正しいという、凡庸な史書にありがちなドグマに縛られていない。(近代中国において、太平天国より洋務運動に真の近代性を認めるのは宮崎市定氏と同じく。)

その後もバランスの取れた歴史評価と史実の選択で安心して読める本に仕上がっている。

これに類する穏当な本が一定期間消え去ってしまったのは、やはりある種の歪みがあったと見做さざるを得ないだろう。

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司馬遷 『史記世家 下』 (岩波文庫)

タイトルに上、中が無いのは書き忘れではありません。

「世家」全部読むのは素人にはキツイ。下巻は陳勝から始まって以後、劉邦の功臣の伝記が続くので、司馬遼太郎『項羽と劉邦』などを読んだ人なら興味深く読める。

上巻・中巻にも有名で面白い部分はあるでしょうが、私は未だに読めないままです。

根気のある方はどうぞ挑戦してみて下さい。

ただ、この下巻に収録されている一つ前が確か「孔子世家」のはず。それが入ってればちょうど良かったのにと思いました。

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亀井高孝・他 『世界史年表・地図』 (吉川弘文館)

これも高校の副読本。似たようなものなら、別に他社のものでも構わない。

本を読んで、「おや」と思ったことを確認するためのもの。

歴史地図の方は暇なとき眺めていると結構面白い。

アマゾンのレビューで「フォントが古い」と書いてあったが、確かにフォントや表記に古さを感じるときがあった。

まあ特に他社の本に劣るわけでもないと思うので、年表・地図を一冊持つには、これでも宜しいかと思います。

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『衛藤瀋吉著作集第三巻 二十世紀日中関係史』 (東方書店)

1960年代初頭に出た、中央公論社の旧版『世界の歴史』シリーズから、衛藤氏が執筆した東アジア関連の章を抜粋したものをまとめた本。

巻末に衛藤氏と弟子筋学者二人との鼎談が載っているが、そこで中公旧版『世界の歴史』について、「他の章を見ればわかるように、枠組みは圧倒的にマルクス主義的だった」と衛藤氏は発言している。

確かにこのシリーズを通読したところ、フランス革命以後の巻はそういう傾向が顕著であったと思う。

その中でも衛藤氏執筆部分はまた違った趣があったので新鮮に感じたものであった。

ごく初歩的で読みやすい叙述であり、初心者に最適。

最近の風潮からするとこの記述でも「自虐的」と感じる人がいるかもしれないが、基本的に偏った人が書いているのではないという安心感があるため、個人的には特に違和感無く読み通すことができた。

この衛藤氏の著作集の他の巻も読めばそれなりに役立つでしょうが、初学者はこれだけ読めば十分じゃないでしょうか。

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『世界史B用語集』 (山川出版社)

受験時代愛用した人も多いであろう、お馴染みの参考書。

世界史用語に、それが載っている教科書の冊数を示す数字が添えられてある。

受験には関係ない身分になっても、一冊持っていると何かと重宝する。

簡易世界史事典として知識の確認に使える。

各種の本を読んだ後、その分野のページをざっと眺めて復習するも良し、逆に「予習」として一通りのことを先に頭に入れておくも良し。

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丁抒 『人禍 1958~1962』 (学陽書房)

共産中国の「大躍進」政策の実態に迫ったドキュメント。

大学に入った頃、新聞広告を見て面白そうと思ったので、即購入。

一読してものすごい衝撃を受ける。

「人為的に引き起こされた、人類史上最大規模の飢餓」の悲惨な実態を余すところ無く活写している。

こういうことを学校で一切教えられなかったことに不信感を抱いたことを覚えている。

訳文はこなれていて読みやすい。中国現代史副読本として必読。

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ズビグネフ・ブレジンスキー 『大いなる失敗』 (飛鳥新社)

カーター政権の国家安全保障担当大統領補佐官を務めた著者が、ソ連圏崩壊直前の1988年に書いたコミュニズム論。

高坂正堯氏はある共著書で「ブレジンスキーは学者としてはキッシンジャーより面白いが、現実政治での外交手腕はブレジンスキーがやった実際の逆をやった方が大体正しいくらいだ」と皮肉を言っていたが、はっきり言って本書も大して面白いものではない。

『共産主義黒書』が出た今となっては、相当に意義が薄れた本だと言わざるを得ない。

共産主義が齎した被害のデータに関しては『共産主義黒書』に劣るし、共産主義の思想的解釈については『ソヴィエトの悲劇』に及ばない。

まあその2冊に進む前の「予習」として読めばそこそこ役に立つ本と言えるだろう。

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