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ロイ・ポーター 『ギボン 歴史を創る』 (法政大学出版局)

不朽の大著『ローマ帝国衰亡史』の作者ギボンに関する読みやすい啓蒙書。

ギボンの政治観を知ることで、『衰亡史』を読むときに参考になる。

一般的にギボンの史観は進歩的啓蒙史観と言えるが、晩年フランス革命が勃発したときの対応を見れば、近代の行く末に底無しの陥穽が待ち受けていることをしっかり認識していたことがよくわかり、『衰亡史』が心底安心して読める書物であることを確認できる。

なにゆえに、この皇帝専制政の敵がフランス革命をあのように徹頭徹尾敵視したのかという理由が問われなければならない。フランス革命に対するギボンの理解については後に触れるが、ここで一言いっておきたいことは、ギボンは君主のむきだしの権力が与える恐怖と変わらぬ気持ちを抱いて、大衆支配や扇動の行く末を見ていたのだということである。「多数の者の放恣な自由」は「災い」でしかありえない。バークのように(「私は彼の雄弁を賞賛し、彼の政見に賛同し、彼の騎士道精神を称える」)、ギボンは極論を恐れていたし、大衆の手にあれ、君主の手にあれ、絶対権力は必ず腐敗することも知っていた。「平等で際限のない自由という荒っぽい理論」のもとで、ギボンは文明のもたらす緩和作用を保証する社会の諸制度や抑制と均衡が消滅することを予想したのである。

「すべての階級、秩序、政府の転覆が生み出したのは、すべてを貪り食らった挙句に、結局はおのれ自身を貪り食らうことになる大衆という怪物なのである。」

ギボンの革命への敵意は徹底していた。彼はローザンヌを本拠とする「その地の王」として「狂信的な空想家」、「危険な狂信者」、そして「社会の秩序と安寧を乱そうとする新野蛮人」といった言葉をまき散らしたのである。この自由の愛好者にして専制権力の敵を不安に陥れたのは、革命をとおして、個々の君主の独裁政治ではなく群集の意志に基づいた新しい専制政治が出現するのではないかということであった。

「今では狂信的な扇動の徒輩が不満の種を一面に蒔き散らしている。すでに数多くの個人そして一部の共同体は、平等で無制限な自由というフランス病とも言うべき途方もない理論に冒されているように見える。」

われわれがギボンのバーク理論への転向をいかに評価しようとも、フランス革命に対する彼のおびえた反応が現代ヨーロッパの政治体制の本質的な安定についての彼の記述を無効にしたと結論するのは愚かなことである。フランスに対する反応においては、彼は決して盲目的な反動主義者ではなかった。ネッケル夫妻のこの友人はもちろんフランスには変化が必要だということは承知していた。しかし彼は前進の正しい道は憲法上の自由の保証を促進することだと信じていた。

「もしフランス人が専制権力とバスティーユ監獄の廃墟に自由な立憲君主国を樹立する輝かしい機会を有効に活用していたなら、私は彼らの高潔なる努力を買ったものを。」

しかしその機会は生かされず、悲惨な結果になるのは確かであった。というのは、「奴隷民族が突如として暴君と人喰い人種の国民となった」からである。このような怪物じみた政治体制が長続きすることはありえなかった。そして歴史はギボンの分析を擁護した。ジャコバン主義は自らを食いつくし、帝国(第五王国というべきか)のもとにヨーロッパを統一するというナポレオンの夢は、ギボンがそれ以前に非常な信頼を寄せたまさにあのヨーロッパ諸国の挙国一致の協力で阻止された。現代ヨーロッパの優れた政治的安定についての記述は洞察に富むものである。それは民族国家、発展した商業社会、富の拡散と勢力の均衡の上に成り立つものであった。

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