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福田恒存 『日本への遺言』 (文春文庫)

著者の膨大な著作集から編纂した入門書。

1ページ単位の短文集なので、非常に読みやすい。

この人の逆説に満ちた華麗な言論には深く感心させられる。

福田氏を知らない人に是非手にとって頂きたい本。

日本の歴史学者には公式的な考へかたが支配的ですので、「天皇制」といふことも、あるいは明治の為政者が自己を権威づけるためにでつちあげたものだとか、あるいは長いあひだ日本人にしみついた封建的性格のためだとか、あるいは神道がいけないとか、いろいろに説明をしてをります。が、それだけで説明はつきますまい。絶対神のない日本では、つねに相対の世界のなかで具体的な人格に絶対者を求めようとする心理があるのではないか。その欲求は、おさへてもおさへても、隙をねらつて盛り上つてくるでせう。

私自身はもちろん「天皇制」には反対です。が、その理由は、天皇のために人民が戦場で死んだからといふことではありません。私と同じ人間を絶対なるものとして認めることができないからです。だからといつて、天皇を絶対視する「愚衆」を、私は単純に軽蔑しきれません。少くとも、絶対主義を否定し、相対の世界だけで事足れりとしてゐる唯物的な知識階級よりは、たとへ相対の世界にでも絶対的なものを求めようとしてゐる「愚衆」のはうが信頼できます。

(親戚が日本軍に殺されたオランダ人から)日本の民衆には敵意をいだかないといはれて、私たちはどうしてほつとできるのか。私は一億総懺悔などとばかばかしいことをいふつもりはないが、さればといつて、日本政府、あるいはその帝国主義軍隊と、この自分とはべつものだなどといはれて、「おゝ、さうだつた」と安心する気はありません。もちろん、私は私なりに、今度の負け戦さはやりきれなかつた。個人としてできうるかぎり軍閥政治に利用されたくないとおもつてゐました。その是非は別問題として、事実さうでした。が、いまになつて、日本の軍隊は悪いが、おまへは許してやるといはれれば、やつぱり不愉快です。私たちが戦争をとめられなかつたことからくる責任感ではありません。あれほど嫌つてゐたけれども、あの日本の軍隊はやはり自分のものだつだといふ気もちがあるからです。

超自然の絶対者を設定しなければ、私たち人間はエゴイズムを否定することはできません。すくなくとも論理的には否定はできない。ある人間のエゴを否定するために他の人間のエゴをもちだしてくるだけです。ある集団のエゴを、あるいはある階級のエゴを否定するために、他の集団、他の階級のエゴを使ふだけです。また、既成の、現在のエゴを否定するために、可能性としての、未来のエゴを強化するだけです。すべてのエゴを否定するためには、それをもちだすことによつて、どのエゴも得をしない現実の外にあるものを、いはば梃子として利用しなければならないのです。

日本人は封建時代に、現実的な絶対者をもつてゐました。それが明治になつてから天皇制に切りかへられた。そして戦後はさういふ絶対者を一気に投げすててしまつたのです。現在の私たちは単純な相対主義の泥沼のなかにゐる。なほ悪いことに、私たちはそれを泥沼とは感じてゐない。たいていのひとが相対主義で解決がつくとおもつてゐます。が、私は戦後の混乱のほとんどすべてが、この平板な相対主義の悪循環から生じてゐるとおもひます。私自身、ものを考へ、判断するばあひ、これにはまつたく手を焼いてをります。超自然の絶対者といふ観念のないところでは、どんな思想も主張も、たとへそれが全世界を救ふやうな看板をかかげてゐても、所詮はエゴイズムにすぎないといふことを自覚していただきたい。

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