« ポンペイウス・トログス 『地中海世界史』 (京都大学学術出版会) | トップページ | 寺田隆信 『永楽帝』 (中公文庫) »

福沢諭吉 『文明論之概略』 (ワイド版岩波文庫)

福沢がギゾー『ヨーロッパ文明史』やバックル『英国文明史』などを換骨奪胎し、日本の独立に資する世論を喚起するために明治八年(1875年)刊行した史的文明論。

表記はさほど難しくなく、私でも楽に読めました。

主旨は退嬰的な旧道徳や上滑りの精神論、硬直した国体論を批判するものなのだが、個人的にはそれ以外の、進歩的啓蒙家の枠組みに入りきらない部分の主張がむしろ面白かった。

『学問のすゝめ』や『福翁自伝』を読んだことのない人(私も含む)でも、これは面白く読めると思いますので、ご一読をお勧めします。

・・・・事物の利害を論ずるに、その極度と極度を持出して議論の始より相別れ、双方互いに近づくべからざることあり。

その一例を挙げていわん。今、人民同権の新説を述る者あれば、古風家の人はこれを聞て忽(たちま)ち合衆政治の論と視做し、今、我日本にて合衆政治の論を主張せば我国体を如何せんといい、遂には不測の禍あらんといい、その心配の模様はあたかも今に無君無政の大乱に陥らんとしてこれを恐怖するものの如く、議論の始より未来の未来を想像して、いまだ同権の何物たるを糺さず、その趣旨のある所を問わず、ひたすらこれを拒むのみ。

また彼の新説家も始より古風家を敵の如く思い、無理を犯して旧説を排せんとし、遂に敵対を勢を為して議論の相合うことなし。畢竟双方より極度と極度を持出すゆえこの不都合を生ずるなり。

都(すべ)て世の政府は、ただ便利のために設けたるものなり。国の文明に便利なるものなれば、政府の体裁は立君にても共和にても、その名を問わずしてその実を取るべし。

開闢の時より今日に至るまで、世界にて試たる政府の体裁には、立君独裁あり、立君定律あり、貴族合議あり、民庶合議あれども、ただその体裁のみを見て何れを便と為し何れを不便と為すべからず。ただ一方に偏せざるを緊要とするのみ。

立君必ず不便ならず、共和政治も必ず良ならず。千八百四十八年、仏蘭西の共和政治は公平の名あれどその実は惨刻なり。墺地利(オーストリヤ)にて第二世フランシスの時代には独裁の政府にて寛大の実あり。

今の亜米利加の合衆政治は支那の政府よりも良からんといえども、メキシコの共和政は英国立君の政に及ばざること遠し。故に墺地利、英国の政を良とするも、これがために支那の風を慕うべからず。亜米利加の合衆政治を悦ぶも、仏蘭西、メキシコの例に倣うべからず。

政はその実に就いて見るべし、その名のみを聞きてこれを評すべからず。政府の体裁は必ずしも一様なるべからざるが故に、その議論に当(あたり)ては、学者宜しく心を寛にして、一方に僻すること勿(なか)るべし。名を争うて実を害するは、古今にその例少なからず。

前の論に従えば、立君の政治はこれを変革して可なり。然ば則ちこれを変革して合衆政治を取り、この政治を以て至善の止まる所とするか。いわく、決して然らず。

・・・・・合衆政治は人民合衆して暴を行うべし、その暴行の寛厳は、立君独裁の暴行に異ならずといえども、ただ一人の意に出るものと、衆人の手に成るものと、その趣を異にするのみ。

・・・・・立君の政治には、政府の威を以て人民を窘(くるしむ)るの弊あり。合衆の政治には、人民の説を以て政府を煩わすの患(うれい)あり。

故に政府、あるいはその煩わしきに堪えざれば、乃ち兵力に依頼して遂に大に禍を招くことあり。合衆政治に限りて兵乱少なしというべからず。

近くは千八百六十一年、売奴の議論よりして合衆国の南北に党類を分ち、百万の市民忽(たちま)ち兇器を取て、古来未曾有の大戦争を開き、兄弟相屠り同類相残(そこな)い、内乱四年の間に、財を費し人を失うこと殆どその数を計るべからず。

元とこの戦争の起る源因は、国内上流の士君子、売奴の旧悪習を悪(にく)み、天理人道を唱えて事件に及びしことにて、人間界の一美談と称すべしといえども、その事一度び起れば、事の枝末にまた枝末を生じ、理と利と相混じ、道と慾と相乱れ、遂には本趣意のある所を知るべからずして、その事跡に現われたるものを見れば、必竟自由国の人民、相互に権威を貪り、その私を逞(たくまし)うせんと欲するより外ならず。

その状、あたかも天上の楽園に群鬼の闘うが如くなり。もし地下の先人をして知ることあらしめなば、今この衆鬼子の戦うを見てこれを何とかいわん。戦死の輩も黄泉に赴くといえども、先人を見るに顔色なかるべし。

(アメリカ南北戦争を奴隷制度破棄と国家再統一のための混じり気の無い正義の戦いと見做さずに、民主共和政と言論の自由が齎し得る恐るべき破局と捉えた福沢の視線が私には非常に新鮮に思える。なおこういう歴史認識と人種・性・民族コミュニティに関する現在のアメリカ国内の文化戦争については、パトリック・ブキャナン『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(成甲書房)が面白かったので名を挙げておきます。この本も多くの人にとっては「迷著」なんでしょうが、私にはかなりの程度名著に思える。)

|

« ポンペイウス・トログス 『地中海世界史』 (京都大学学術出版会) | トップページ | 寺田隆信 『永楽帝』 (中公文庫) »

思想・哲学」カテゴリの記事

近代日本」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。