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竹山道雄 『昭和の精神史』 (講談社学術文庫)

『ビルマの竪琴』で有名な著者は、戦前は「オールド・リベラリスト」として時流に組せず、戦後は進歩派によって「反動」扱いという、混じり気の無い敬意を抱くことのできるタイプの人だと個人的には思う。

本書後半部の「手帖」と題されたエッセイ集は飛ばし読みしただけだが、先の大戦に関する史論である前半部の表題作は本当に素晴らしい。

その視点は、戦勝国に媚びることしか知らない陋劣なものでもなく、いかなる自己抑制の回路も持たない無分別なナショナリズムでもない。

読み進めていくと、自分が漠然と思っていたことを透徹した言葉で明快に表現してくれていると感じて、実に清々しい気分になった。

表現は極めて平易で誰でも読める文章でありながら、内容は深く、初心者にとっては非常に効用が大きい。

品切れになって大分経つようですが、今でも十分読むに値する本。

強く推奨させて頂きます。

昭和の超国家主義は、封建時代の継続的発展ではなかった。むしろ、封建体制や精神を克服してあたらしい段階に入った明治の体制を、さらに克服しようとしたものだった。それは否定の否定だった。およそ歴史が一世紀も前のままからの変わらぬ力によって展開するというような不合理不自然なことはあるはずはなく、あったためしもないが、昭和の日本もその例外ではなかった。

激動する現代世界の中にあって、みずからもその激動の一因子であった者が、1920年30年代の世界に共通の衝撃をうけて、ついにあのようなことになった。主役は近代であり、歴史的遺制はわき役にすぎなかった。人の目をあざむく古めかしい仮装はたくさんあったけれども。

あのころの世界に共通の衝撃については、ここに記すことはしない。これによって多くの国がはげしく動揺し、それぞれ自分の個性にしたがった行き方で変容した。日本ではそれが、「天皇によって天皇制を仆(たお)す」という形で行われた。

あの近代戦は封建性がしたものではなく、あの超国家主義は鎖国時代のつづきではなかった。また重臣・政党・財閥・官僚・軍閥による「天皇制」のつづきでもなかった。そうであるかのような外見を呈したもっとも大きな原因は、同じ天皇が別の性格のものとして活用されたからであった。

ファッショが旧体制の持続発展でなかったということは、ドイツでも同じことだった。「ドイツ人はワイマール憲法時代の十四年間をのぞいては、つねに強権に支配されるのに慣れていた。これがナチスのおこった原因である」とて、ワイマール憲法時代をぬかしてその直後のナチスの成立を説明するのは、まちがいだと思う。それも前提条件の一つ、部分的真理ではあったろう。しかし、あの激動のワイマール時代を空白にしてとびこして、次にきた大現象を考えることはとうていできない。ウィルヘルムの権力とヒットラーの権力とのあいだには何のつながりもなかった。初期のナチスは微々たる浪人の団体で、ほかにもっと有力な国粋団体がたくさんあったから、助ける資本家もなかった。はやいころのヒットラーは極端な貧乏で、それについてはいろいろな話がつたえられている。ここでもやはりデモクラシーの無能と腐敗に対する憤怒が大きな動機だったから、旧軍人で参加した者はあった。しかし、1923年のミュンヘン一揆は、ゼークト将軍の参謀本部のために弾圧されて、ヒットラーはじめナチスのリーダーたちは牢に入れられた。やがてヒットラーが雄弁によって民心を手に入れ、ナチスが利用価値をもつようになってから、軍部や資本家の援助もはじまり、持ちつ持たれつしたが、最後にはヒットラーが母屋をとってしまった。母屋をとられた主とそれをとった者とが同じものだとはいえない。持ちつ持たれつした部分を拡大して、これを全体的真理だということはできない。「天皇制」は革新勢力に対して一歩一歩と後退していった。ことに米内内閣が仆された後には、アピーズメントよりほかに手はなかった。しかもアピーズメントは相手をつよくするだけで、何の結果も生むものではなかった。これに加えて、さらに国論と戦時体制の圧力があった。

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