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ギュスターヴ・ル・ボン 『群衆心理』 (講談社学術文庫)

1895年に刊行されたル・ボンの主著として有名な本。

訳書タイトルの「ぐんしゅう」の漢字は、「群集」ではなく「群衆」を使っています。

さほど長大な本ではなく、文章も読みやすく比較的楽に通読できる。

それでいて近現代の世界史を理解するのに極めて重要な視点を提供してくれる。

オルテガ『大衆の反逆』と同じく必読の本と思われる。

借りてもいいですが、今も新刊書店で手に入るみたいですから、是非手元に置いておきたいものです。

群衆は、どんなに不偏不党と想像されるものであっても、多くの場合、何かを期待して注意の集中状態にあるために、暗示にはかかりやすいのである。一度暗示が与えられると、それは、感染によって、ただちにあらゆる頭脳にきざみこまれて、即座に感情の転換を起こすのである。暗示を与えられた者にあっては、固定観念が行為に変化しがちである。宮殿に放火する場合にせよ、あるいは献身的な事業を遂行する場合にせよ、群衆は同一の無造作をもって、それにうちこむ。すべては、刺激の性質如何によるのであって、単独の個人の場合のように、暗示された行為と、その実現に反対する理性作用全体とのあいだに存する関係如何には、もはやよらなくなるであろう。

群衆のうちに、極めて容易に流布する伝説が生み出されるのは、単に、物事を頭から信じこむ性質の結果とばかりはいえず、集合した個人の想像力によって、事件が驚くべき変形を受ける結果でもある。極めて単純な事件でも、群衆の眼に触れると、たちまち歪められてしまう。群衆は心象(イマージュ)によって物事を考える。ところで、心象がいったん喚起されると、今度は最初のとは少しも論理的関係のない、他の一連の心象が喚起されてくるのである。何かある事実を思い出すと、往々妙な連想が起こってくることがあるのを思えば、このような心理状態も容易に納得できる。理性がこういう心象の支離滅裂さを示すのであるが、群衆にはそれがわからないのである。想像力の変形作用が事件につけ加えるものを、群衆は事件そのものと混同する。そして主観と客観とを区別する能力を持たないから、心中に喚起された心象が、多くは観察された事実と縁遠い関係しか有しなくても、その心象を現実のものとして受けいれるのである。

群衆を構成する人々の気質が多種多様であるから、群衆がその目撃する何らかの事件に加える変形も無数であって、その意味も区々であるにちがいないと思われよう。ところが実際にはそうではない。感染の結果、この変形は集団のあらゆる個人にとって、同じ性質、同じ意味のものとなる。彼等の一人によって認められた最初の変形が、感染する暗示の核心となるのである。

最も疑わしい事件とは、確かに、最大多数の人々によって観察された事件をいうのである。

群衆の現わす感情は、よかれ悪しかれ、極めて単純でしかも極めて誇張的であるという、二重の性質を示す。この点についても、他の多くの点についてと同じく、群衆中の個人は原始人に似ている。微妙な差違を解し得ず、物事を大まかに見て、推移の過程を知らない。感情は、暗示と感染とによって非常に早く伝播し、それが一般の賛成を得ると、著しくその力を増大するのであるが、群衆における感情の誇張は、この事実によっていよいよ強められる。

群衆の感情が単純で、誇張的であることが、群衆に疑惑や不確実の念を抱かせないのである。それは、ただちに極端から極端へ走る。疑いも口に出されると、それがたちまち異論の余地ない明白な事実に化してしまうのである。反感や不服の念がきざしても、単独の個人の場合ならばさして強くはならないであろうが、群衆中の個人にあっては、それは、たちまちはげしい憎悪となるのである。

群衆の強烈な感情は、特に、異なった分子から成る異質の群衆において、責任観念を欠いているために、さらに極端となる。罰をまぬかれるという確信、群衆が多人数になればなるほど強まるこの確信、また多数のために生ずる一時的ではあるが強大な力の観念、それらが、単独の個人の場合にはあり得ない感情や行為をも、集団には可能ならしめるのである。群衆のなかにいれば、愚か者も無学者もねたみ深い人間も、おのれの無能無力の感じを脱し、その感じにとってかわるのが、一時的ではあるが絶大な暴力の観念なのである。

群衆における誇張癖は、不幸にもしばしば悪質の感情にも及ぶことがある。この悪質の感情は、原始人の本能の遺物であって、単独の、責任観念を持つ個人ならば、罰を恐れるがゆえに、これを抑制せざるを得ないのである。こうして、群衆が最も悪質の過激行為に走りやすい理由も説明される。

民族というものは、過去によって創造された一種の有機体である。どんな有機体とも同様に、民族は、祖先伝来徐々に蓄積されてきたものに手を加えなければ、変改することはできないのである。・・・・・

従って、民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。この任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。

経験は群衆の精神に真実を確立し、あまりにも危険になりすぎた幻想を打破するために、有効な、ほとんど唯一の方法となる。・・・・・現世紀と前世紀とは、恐らく、後世の歴史家によって、奇異な経験の時代としてあげられるであろう。どんな時代にも、これほど多くの経験が試みられたことは、かつてなかったのである。

その最も大きな経験が、フランス大革命であった。純理の示すところに従っては、社会を徹底的に改造できないということを発見するために、二十年間に数百万の人間を殺戮し、ヨーロッパ全土を混乱に陥れねばならなかった。

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