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藤善眞澄 『安禄山』 (中公文庫)

これも以前から読もうと思っていた中公文庫収録の評伝。

まず建国から玄宗までの唐史をおさらいするのだが、この王朝は「武韋の禍」はもちろんとして他にも初期からトラブルが多すぎる。

太宗・玄宗の「貞観・開元の治」の時でも血腥い皇位継承争いが頻発している。

『アジア史論』の「六朝隋唐の社会」という論文の中で宮崎市定氏が

・・・・然らば唐王朝はどうであろうか、その赫々たる一時的な武勲に眩惑されてか、唐王朝は多くの歴史家によって、その実力が買い被られすぎる傾きがある。正直にみて唐王朝の基礎は決して一部に考えられるように、ローマ帝国などに比べられるほど鞏固なものではなかった。一たびは武氏に位を奪われ、次いでは韋氏に脅かされ、安史の乱に都を追われ、朱泚、黄巣に都を陥れられたりしているが、これがそのまま、唐室の人民支配の実力の限界を示している。この点で唐は古代帝国の頂点をなす前漢に劣ることは勿論、後漢にさえも及ばない。真に安定した実力政権は、五代を経た次の宋王朝の出現を待たなければならなかった。北宋一代百七十年間、滅びる直前まで、天子が都から逃げ出したことなどは一ぺんもない。

と述べているのを思い出した。

玄宗自身は暴君という性質の君主ではなかったと本書でも認められているが、やはり晩節を汚したとしか言い様が無い結末である。

ソグド人と突厥人の混血である安禄山が北方辺境地帯で軍人として台頭し、権勢のかぎりを尽くした李林甫の死後中央政界で実権を握った楊貴妃の一族楊国忠と対立し、755年ついに反乱を起こす。

太平に慣れた官軍は為すところ無く、書家の顔真卿とその一族のように有効な抵抗を組織した人物もいたが、乱の四年前にタラス河畔でアッバース朝軍に敗れた高句麗出身の将軍高仙芝は叛軍を防ぎきれず退却し、その後讒言を受けて処刑される(詩人の王維・杜甫は叛軍の捕虜となる)。

南下した安禄山軍が洛陽を陥落させさらに西進すると、玄宗は都から落ち延び、不満を持った護衛兵によって楊貴妃一族は殺害された。

長安も占領されるが、行動に迅速さを欠き玄宗など唐室関係者を捕らえることに失敗したことで叛軍の勢いに陰りが見え始める。

蜀に落ち延びた玄宗と途中から別れた皇太子が粛宗として即位し、抗戦の核となり、ウイグルの援軍を得て反撃に移り、長安・洛陽を奪回する。

安禄山は跡継ぎを替えようとして子の安慶緒に殺され、その報を聞いた叛軍の有力将軍史思明は独立行動を取る。

以後紆余曲折があって、乱が最終的に鎮圧されるのは763年であった。

付属の地図が貧弱なのと、細かな地名・人名が頻出して初心者にはわかりにくいところがあるが、総合的にはまあまあじゃないでしょうか。

これを読んだら、村山吉広『楊貴妃』(中公新書)は読まなくてもいいかなとも思っています。

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