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『世界史B 改訂版』 (三省堂)

今日も教科書の大雑把な感想です。

これの2006年版を入手したのですが、本書も山川の『詳説』と同じくらい詳しいですね。

名前を聞いたことのある執筆者は、西川正雄氏、古田元夫氏、馬渕貞利氏、森谷公俊氏あたり。

現代史の部分を読むと、どうも左派的な立場が強く打ち出されており、日本史教科書のように話題に上るのなら「偏向教科書」云々なんて論争が起こるのかもしれませんが、立場の相違に関わらず、私も含めて誰にとってもそういう話は鬱陶しいでしょうから止めます。

以下、載ってる歴史用語で気付いたことを脈絡無くバラバラに書いていきます。

「アカプルコ貿易」(別名ガレオン貿易・16世紀スペインがマニラ~メキシコ・アカプルコ間を繋ぎメキシコ銀で中国産品を買い付けた貿易)が太字で載ってます。

これは自分の高校時代に聞いた記憶はありますが、かなりマイナーな用語としてだと思います。

また、アフリカ史が異様に詳しい。

アシャンティ王国およびダホメ王国(17~19世紀西アフリカ黄金海岸に栄えた黒人王国)、サモリ・トゥーレ(19世紀末ギニアのフランスへの反抗者)、マジ・マジ蜂起(ドイツ領東アフリカ[タンザニア]での反乱)、メネリク2世(アドワの戦いでイタリア軍を撃退したエチオピア皇帝)、ベルリン西アフリカ会議(1884~85年アフリカ分割に関するベルリン会議)、以上が全部ゴシック体。

もっとすごいのが、19世紀初頭にオマーン王がザンジバル島などの東アフリカ沿岸都市からポルトガル勢力を駆逐して海上帝国を築いたことも載ってる。

そんなこと、『新書アフリカ史』(講談社現代新書)読むまで全く知りませんでしたよ。

アフリカ繋がりでは、イギリスのエジプト保護国化のきっかけになった1881年反乱の指導者はアラービー・パシャと覚えていたのが、最近は全部ウラービーというようです。

先日の帝国書院教科書では語族系統不明とされていたカッシートとミタンニですが、本書ではインド・ヨーロッパ語族と断言されている。

意見が分かれてるんですかね?

マゼランの別読みの「マガリャンイス」は無理に添付する必要は無いんじゃないでしょうか。

アメリカの大資本家で、鉄鋼業のカーネギー、石油産業のロックフェラー、銀行業務のモーガンが太字なのは覚えよということでしょうか。

一般常識として名前を知っておくべきといっても変じゃないとは思いますが。

シャーマン反トラスト法が太字なのに、クレイトン反トラスト法が見当たらない。

アジア史にいくと、最近は遼を建てた民族をキタイという言い方を主にしてその後括弧して契丹と書いてますね。

李氏朝鮮で金属活字を作ったという「鋳字所」がなぜ太字?

「東学」は出ているが「東学党の乱」はカッコ内の表示も無くなって、「甲午農民戦争」のみ。

帝国書院教科書の記事で書きましたが、本書では百済・新羅の振り仮名が「ひゃくさい」・「しんら」になってる(括弧して「くだら」・「しらぎ」とも書いているが)。

これはどうにも違和感があって、間違った読みのように個人的には思えてしまう。

唐代に栄えた吐蕃は昔の教科書にももちろん出ていたが、その少し前に活動した同じチベット系の吐谷渾(とよくこん)は見た覚えが無い。

アンコール朝のスールヤヴァルマン2世、ジャヤヴァルマン7世を載せているのはシブイ。

ムガル朝期インドの文化史で、『アクバル・ナーマ』って覚えなきゃいけませんか?

隅っこの脚注で触れておけば十分な気がしますが。

西洋史に戻って、1802年アミアンの和約が太字なのは私の頃と変わりませんが、これそんなに重要なんでしょうか?

二年後ナポレオンが帝位に就くと即破棄されて戦争再開となるし。

一時でもイギリスに既成事実を認めさせたことが重要なのでしょうか。

よくわかりません。

フェニアン(フェビアン協会に非ず。1858年結成のアイルランド自治を目指す秘密結社)は私の頃の高校世界史には全く影も形も無かった。

ガリバルディが率いた軍隊の名称、千人隊(赤シャツ隊)は今年のセンター試験にも出題。

そんな大切とも思えないんですが。

現代史では、日中戦争時、1938年「国民政府を相手にせず」との第1次近衛声明が載っているのにビビる。

といって第2次声明が載っていないのが何か変な感じ。

また、1912年第二インターナショナルのバーゼル大会というのを高校生が知る必要があるのか疑問(バーゼルが太字になってる)。

ラテン・アメリカの「解放の神学」も要らないような・・・・・。1826年シモン・ボリバルが開いたパナマ会議も同様。

ラス・カサス神父を載せるのはいいですが(私の頃はたぶん載ってなかった)。

全般的な感想を言えば、本書も悪くはないと思います。

ただ各種ネット書店(三省堂の直販サイト含む)での扱いが無いのが厳しいですね。

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『新詳 世界史B』 (帝国書院)

平成19年度版の帝国書院の世界史教科書が手に入ったので、私の高校時代に習ったこととの比較などを適当に書いてみます。

私の頃とは違って、今は世界史がAとBに分かれていて、Aは近現代重視で前近代はごく浅く学ぶだけで、多くの生徒はごく普通の課程であるBを学ぶそうです。

さて、この帝国書院教科書ですが、版形が一回り大きめで、一瞬内容の簡略な易しめの教科書なのかなと思わせるのですが、中身を見ると山川出版社の『詳説世界史B』並に詳しい。

執筆者のうちで名前を聞いたことがある人は、川北稔氏と小杉泰氏くらいです。

歴史用語のうち私の高校時代に馴染みが無かったか、あまり重視されていなかったもので、目に付いたものを挙げると、ノビレス(ローマの上層平民と貴族が連合した新支配層)、高車(トルコ系遊牧民)、ミスル(イスラムの軍営都市)、プファルツ継承戦争、コークス製鉄法、団結(結社)禁止法(1799年イギリス)、トゥサン・ルーヴェルテュール(ハイチ独立革命指導者)、「大不況」(1873年以降の世界的不況)、光緒新政(義和団事件以後の清朝の政治改革)、クルド人、キング牧師などがゴシック体で載っている。

しかし、ヤークーブ・ベグ(イリ条約の契機を作ったコーカンド・ハン国の将軍)や中華民国憲法(対日戦勝利後、蒋介石が1947年に公布)はゴシック体にする必要は無いし、そもそも要らないんじゃないでしょうか・・・・?

「財政革命」、「再版農奴制」、「17世紀の危機」、「環大西洋革命」などの歴史概念用語が載っているのも目新しい。

特に「17世紀の危機」は相当重視されており、イギリスのピューリタン革命・名誉革命、フランスのフロンドの乱、ドイツの三十年戦争などヨーロッパの事象を説明するだけでなく、明清交替や日本の鎖国などアジア史の章でも出てくる。

これは非常に特色があって、良い意味で教科書的ではなく、面白いと思った。

古代オリエント史で、カッシートもミタンニもインド・ヨーロッパ語族として覚えたが、今は言語系統不明扱いなんですね。

シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)は7世紀から14世紀までスマトラ島に長期間存続した王朝ですが、10世紀以降の後期が「三仏斉(シュリーヴィジャヤの後身)」と書いて区別されています。

表記が違うものとしては、フビライ(これもクビライが主でフビライは括弧付き)の建てた帝国が「大元ウルス(元朝)」なんて書かれていてちょっと驚く。

さすがに各ハン国の呼称は従来通り「キプチャク・ハン国」、「イル・ハン国」だが、これも今の概説書などでは「ジョチ・ウルス」とか「フレグ・ウルス」とか呼ばれるようで、これは何度読んでも慣れない。

よく知りませんが、「モンゴル大好き」杉山正明先生の影響でしょうか。

李氏朝鮮という表記が無くなって、朝鮮王朝となっているのは、個人的には違和感を禁じえない。

ちなみに、私の世代では、新羅(しらぎ)を「しんら」、百済(くだら)を「ひゃくさい」と単に音読みするのも非常な抵抗がある。

そんな表記が教科書に載り始めたときは驚愕しましたが。

またこれは『詳説世界史』の2002年版でもすでにそうなのですが、近世イギリスの諸法令で、私の頃は首長令、統一令、航海条令、審査律、人身保護律と習ったものが、国王至上法(首長法)、統一法、航海法、審査法、人身保護法というふうに末尾が一律「~法」にされていました。

訳語を区別するだけの根拠に乏しいということでしょうか。

イスラムが「イスラーム」、コーランが「クルアーン(コーラン)」という表記になってる。

それでいてカリフが「ハリーファ(カリフ)」になっていないのがチグハグな感じ。

最近の事件として9・11同時テロやイラク戦争は予想通りですが、「文明の衝突」論ということまで載っているのには驚いた(ハンチントンの名前は出ていないが)。

購入しにくく、こちらに表示されている各都道府県の教科書販売所まで出向かなければいけないようですが、もし機会があって手にとって頂ければ、なかなか面白く有益だと思います。

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柴宜弘 『ユーゴスラヴィア現代史』 (岩波新書)

旧ユーゴスラヴィアがすでに解体していた1996年刊。

タイトルに「現代史」とあるが、近世から筆を起こし、オスマン帝国支配下にあった正教圏のセルビア・モンテネグロ・マケドニアとハプスブルク帝国支配下にあったカトリック圏のスロヴェニア・クロアチア、1878年ベルリン条約によってオーストリアが行政権を得た、正教・カトリック・ムスリムの三宗教混交地域であるボスニア・ヘルツェゴヴィナ、それぞれの史的概略を記していく。

第一次世界大戦後のセルビアを中心としたユーゴ王国建国、1941年の反枢軸クーデタとドイツ軍侵攻、パルチザン戦争とチトーの台頭、ソ連との断絶と非同盟主義と労働者自主管理を目ざす独自の社会主義国家建設と続く。

90年代以降の連邦分裂と内戦の記述も要領よくまとめられている。

ページ配分が適切で、説明も過不足無く、非常に読みやすい。

楽に最後まで読み通せるが、それでいて重要なポイントはきちんと頭に入るようになっている。

なかなかの良書と思います。

今はセルビア・モンテネグロだけで構成されていた新ユーゴも無くなって、セルビアからさらにコソヴォが独立するとかいうことになってるみたいですが、増補版は出ないですよねえ・・・・。

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野田宣雄 『歴史をいかに学ぶか ブルクハルトを現代に読む』 (PHP新書)

『ヒトラーの時代』と同じ著者。2000年1月刊。

ブルクハルト『世界史的諸考察』を紹介しながら、それに引き付けて現代の諸問題を著者が解説する本。

薄いし文章も平易なので誰でも読める。それでいて内容は深く鋭い。

これは絶対読むべき本だと思う。

19世紀末にブルクハルトが抱いた悲観的歴史観と現代の日本と世界の状況を考え合わせて背筋が寒くなったり、自分のことを省みて恥ずかしくなったりと、いろいろ複雑な感情に襲われる。

前半部分で古代以来の歴史観の変遷を辿っていますが、その中でヴィーコという人の記述が非常に面白く示唆的であった。

名前を聞いたことがあるというだけで他には全く知らないし、私の頭では理解するのは厳しいかもしれませんが、中央公論の「世界の名著」シリーズに著作が収められているようなので、一度挑戦してみようかなという気になりました。(追記:と思ったのですが、立ち読みした限りではやはり私が読めるような本ではないみたいですので、今のところ放置しています。)

話を表題の本に戻すと、かなり前の本ですから品切れなのも致し方無いのかもしれませんが、これは粗製濫造されてる他の新書と同列に扱っていい本ではないと思う。

こういう本こそ末永く入手可能状態で、広く読まれてほしいものです。

・・・・ヴィーコの歴史の見方は、各民族が原始社会から始まって万人平等の民主的な文明社会にいたるまで段階的に進歩・発展を遂げてゆく進歩史観の一つと思われるかもしれない。しかし、ヴィーコの歴史観のユニークな点は、すでに少し述べておいたように、こうして第三段階の民主的な文明社会に到達した民族が、ふたたび第一段階の原始状態に引き戻されると説く点である。彼は、ギリシアもローマもエジプトもフランスなどの西欧民族も、いずれも上記の三段階を経て発展するが、最後には、停滞し没落して出発点の原始状態に「再帰」せしめられると考える。

では、なぜ、第三段階の民主的な文明社会にまで到達した各民族は、出発点に「再帰」を余儀なくされるのか。それは、要するに、どの民族も折角手に入れた自由を乱用して堕落し、無政府状態におちいるからである。人間とは、自由を手に入れれば、それを無政府的あるいは無制限的に行使し、骨の髄まで堕落してゆくのである。そして、贅沢・柔弱・貪欲・嫉妬・傲慢・虚栄といった自分で抑制できない情念の奴隷と化してゆく。あるいは、嘘つき・ペテン師・中傷家・泥棒・臆病者・偽善者などのありとあらゆる悪習にまみれ切ってしまう。

腐敗した民族は、各自がまるで野獣のように自分自身の個人的な利益のことしか考えない習慣におちいってしまう。しかも、極端に神経質になるために、まるで野獣のように、ほんのちょっと気に障ることがあると、腹を立てていきり立つであろう。精神においても意志においても、市民たちは、この上なく深い孤独のなかで、各自が自分自身の快楽や気まぐれにしたがって生きている。そして、たとえ二人の人間の間でも、ほとんど合意に達することは不可能になってしまう。こうしたことすべてのために、彼らは執拗きわまる党派争いと絶望的な内乱を惹き起こし、都市を森と化し、森を人間の巣窟と化してしまう。

なぜ、十九世紀のヨーロッパは、こんなに不安定な時代になってしまったのか。ブルクハルトは、そのもっとも大きな理由の一つを「大衆の登場」のなかに見ようとする。大衆はあらゆる事態にたいして不満であり、すべての不都合なことを既存の状態のせいにする。ほんとうは、彼らを圧迫しているのは、人間の不完全さに由来するものであるのだが。

要するに、このバーゼルの歴史家は、いわは貴族主義的な立場から大衆社会にたいして容赦のない批判を浴びせる先駆者の一人である。「われわれが直面しているのは、一般的な平準化である」と見なすブルクハルトは、十九世紀の個性の喪失を嘆いて、次のような文句さえ吐く。「昔は愚かな者にしろ、自分自身の力で愚かだった」

ブルクハルトの十九世紀批判の矛先は、大衆の登場と並んで、アメリカ流のビジネスの浸透にも向けられる。・・・・・「これからは、どの階級や階層が、教養のほんとうの担い手になってゆくのだろう。どの階層が、今後は研究者・思想家・芸術家・詩人などの創造的個人を供給するのだろうか」「それとも、すべてはアメリカにおけるようにビジネスに化する運命にあるのだろうか」

だが、ブルクハルトの同時代にたいする診断のもう一つの重要な論点は、ビジネスの蔓延と手を携えながら、「国家の肥大化」がますます進展するだろうと見るところにある。・・・・・このような国家の肥大化は、ブルクハルトの眼から見れば、大衆民主主義の登場と深く関連している。普通選挙権が次第に拡大し、大衆による民主主義が一般化すれば、それは国家の肥大化を招き、ついには暴力支配に行き着く「大衆専制主義」に反転する。そもそも、大衆が願望する幸福とはすぐれて物質的なものであり、物質的な願望はけっして満たされることがない。そこで、大衆は、国家に向かって公共の福祉の名のもとに改革をもとめ続けるが、そうしたことは、結局は国家権力の増大をもたらすのである。

ブルクハルトにいわせれば、いわば「下から」国家のあらゆることが議論の対象にされるのが、十九世紀という時代の特徴である。その場合、どんな国家形態が最良かということも、しきりに議論に上る。だが、実際には、人びとは、自分の気分に応じて、国家の形態がつねに変化することをもとめているにすぎない。そして、このような国家をめぐる議論は、結局は、ますます大きな、ますます広汎な、国家の強制力をもとめる方向に向かってゆく。というのも、国家をめぐる議論の過程で繰り返し国家のための崇高なプログラムが起草されるが、そういうプログラム全体を実現するためにも、国家は強大な権力を必要とするからである。「こうして、国家の形態が議論の対象になればなるほど、国家の権力範囲は、ますます大きくなってゆく」

「そうだ。私は、彼らのすべてから逃れたい。急進主義者、共産主義者、工業家、高踏的教養人、高級ぶった批評家、思索家、抽象主義者、絶対論者、哲学者、ソフィスト、熱狂的国家主義者、理想主義者、あらゆる種類の何々派・何々主義者と称する人びとから逃れたい」

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戦後世界史の時代区分 その2

昨日の続き。

1963~71年 【多極化期】

この時期米ソ対立に変わって米中対立が国際政治の焦点となる。

米ソ両陣営内で中国・西欧・日本などが自立性を高め多極化の傾向が認められる。

中国は反米・反ソ両面策を取り、新興独立国の急進派の支持で米ソ共同支配の国際体制を打破しようとする。

しかし65年インドネシア9・30事件とスカルノ失脚、アルジェリア・クーデタとベン・ベラ失脚(これで中国が主導権を持った第2回アジア・アフリカ会議は流産)、66年ガーナ・クーデタとエンクルマ失脚が相次ぎ、チトー政権のユーゴスラヴィア、ナセル政権のエジプト、ネール政権のインドなど穏健派諸国からは孤立し、中国の意図は挫折。

内政でも「大躍進」政策の失敗を経て、実権を失った毛沢東が最高権力奪回を謀り66年文化大革命を発動、中国政治は大混乱に陥る。

中ソ関係は完全に決裂し、69年には国境紛争が勃発、戦争の危機すらささやかれる事態となり、その不利を悟った中国指導部は密かに対米接近を検討し始め、それが次の時期のキッシンジャー・ニクソン訪中を準備する。

一方、アメリカは中国の脅威への過剰反応から65年北爆と南ヴェトナムへの大規模地上軍派遣を開始、ヴェトナム戦争の泥沼に陥り、その国力を低下させる。

西ヨーロッパ諸国は飛躍的経済復興を遂げ、特にド・ゴールのフランスは対米自立外交を展開、63年イギリスのEEC加盟を拒否、64年に中華人民共和国を承認、66年にはNATO軍事機構から脱退する。

この時期日本は高度経済成長を続け、自由世界第二位の経済大国となる。

ソ連圏では68年「プラハの春」はソ連軍の介入で潰されるが、ルーマニアをはじめとする東欧各国の一定限度内の自主路線は認められていく。

1971~79年 【デタント期】

高坂正堯氏は『現代の国際政治』のなかで1971年を「分水嶺の年」と呼んでいる。

その最大の要因は同年の米中接近と「中国における急進主義の終わり」である。

ニクソン・キッシンジャー外交は米中対立を終らせ、その安定化要因を利用してヴェトナムからの撤兵・米ソ関係の再調整を行った(71年キッシンジャー訪中、中国国連加盟、72年ニクソン訪中、第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)、73年ヴェトナム和平協定)。

他地域でも72年東西ドイツ基本条約、日中共同声明、南北朝鮮共同声明などの緊張緩和情勢が見られ、73年第四次中東戦争と石油危機による混乱も何とか乗り越えられる。

中国では71年に文革派中心人物の林彪が失脚し、周恩来のリーダーシップの再確立が行われた。

76年毛の死と四人組逮捕まで文革は続くがその急進性は大幅に薄れ、対外姿勢も穏健化する。

(追記)最後がちょっとおかしかったので一部訂正します。

1979~85年 【最終対決期】

キューバ危機以後核戦力を増大させたソ連がヴェトナムでのアメリカの失敗と影響力低下を見て最後の拡張政策に乗り出す(アンゴラ・モザンビーク・エチオピアの親ソ勢力への軍事援助、79年アフガニスタン侵攻)。

直接米ソ関係以外でも79年にはイラン革命と第2次石油危機、ニカラグア革命、ヴェトナムのカンボジア進攻、中越戦争と国際政治上の紛争が多発し、緊張が高まる。

81年成立のレーガン政権下のアメリカは大規模な軍備拡張によって反撃、冷戦は最後の高まりをみせる。

1985~89年 【冷戦終結期】

85年誕生したゴルバチョフ政権は西側諸国との対立の不利を悟り、ペレストロイカを開始。89年東欧共産圏は崩壊、冷戦は終結した。

89年以後は「ポスト冷戦期」でしょうか。

2001年の同時テロ以後はまた別の時代と見做すべきなのでしょうか。

その辺の同時代史は省略します。

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戦後世界史の時代区分 その1

今日も適当な話で誤魔化します。

第二次大戦後の世界史を初心者が理解するための適当な時代区分は何かという話です。

『国際政治経済の基礎知識』の高坂正堯氏担当の「冷戦」の項目や同じく高坂氏の『現代の国際政治』(講談社学術文庫)などを参考にして記すと以下の通り。

基本的に米ソ両国が二極体制の中核で国際政治の最重要プレイヤー。あと中国が0.5極くらい。この三者の絡み合いで戦後国際関係を理解するのが基本。

1943~47年 【冷戦前段階期】

対独戦に勝利したソ連は、ロシアの伝統的な外部への過剰警戒と共産主義の普遍主義的傾向によって占領した東欧諸国を強引に共産化。アメリカとの対立を深める。

1947~53年 【冷戦高揚期】

アメリカは47年トルーマン宣言とマーシャル・プランでソ連への封じ込め政策を開始。48年ベルリン封鎖、チェコ・クーデタ、49年西ドイツ建国・NATO成立と欧州の分断はさらに強まる。

49年中華人民共和国成立。毛沢東は「向ソ一辺倒」を宣言。50年朝鮮戦争により米中対立が始まり、冷戦はアジアにも拡大。それの影響で51年対日講和条約と日米安保条約が結ばれる。

1953~57年 【緊張緩和期】

53年スターリンが死去。後継指導部はソ連の国力の弱さを認識していた故に、現状維持を前提とした米ソ関係の安定を目標とし、緊張緩和策を取る(53年板門店休戦協定、54年ジュネーヴ会議・インドシナ休戦協定、55年ジュネーヴ四巨頭会談、西独・ソ連国交回復、オーストリア中立化、56年日ソ共同宣言)。

同様に中国も穏健な対外政策を取る(54年中印平和五原則発表、55年アジア・アフリカ会議での自制的態度)。

しかし米国はこれまでの経緯から対ソ不信感が固まっており、アイゼンハワー政権のダレス国務長官は硬直した反共外交を行い、54年東南アジア条約機構樹立、55年中東条約機構樹立、西独NATO加盟を遂行。

ダレス外交は対ソ「巻き返し」政策を唱えたが、56年スターリン批判の影響で起こった東欧圏の動乱に対しては為す術がなく傍観する。すでにソ連が核兵器を保有していた状況で全面的軍事衝突に繋がる行動は取れなかった。すでに東西の勢力圏は固まりつつあった。

1957~63年 【再対決期】

57年スプートニク打ち上げによって対米優位を信じたフルシチョフは再び攻撃的な外交を展開。ベルリン・キューバ問題で米ソ関係は一触即発の危機を迎えるが、結局妥協が成立、63年部分核停条約が結ばれ米ソ共存関係が確立する。

中国も58年金門島砲撃、「大躍進」政策開始、59年チベット反乱鎮圧、中印国境紛争と内外政策を急進化させ、日米両国との対決姿勢を強める。

東欧支配の現状を前提に米ソ関係改善を目指すソ連に対して、台湾問題や屈辱の近現代史から自国の地位復興を悲願とする中国は現状に満足し得ない国であって、そのため米ソ共存関係が定着したこの時期に中ソ対立が始まり、相互敵視が激しくなる。

かなり長くなりましたので、続きは明日やります。

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初心者がアメリカ史を学ぶ上で

最近週3回のペースで更新していますが、さすがに苦しくなってきましたので、以後更新頻度を徐々に落とさせて頂きます。

忍耐力のカケラも無い人間なので、一番集中して本が読めるのが通勤電車の中という状態であり、多数の本を次々と読破していくことは不可能でして。

既読本の再読が全くできなくなったのも厳しい。

ただ、以前は半年ほど何一つ読まないという感じで怠惰を極めたときもあったので、現在追われるように冊数をこなしていくのは良いのかもしれませんが。

私はあんまり他人様のブログを見るということはなく、定期的に読んでいるものはほとんど無いんですが、少し前まで以下の読書ブログをほぼ毎日拝見しておりました。

世界読書放浪

↑この方は一体どんなペースで本を読んでおられるのか、ものすごい読書量に本当に感心します。

ごく稀にある更新停止時期を除いて一年365日ほぼ毎日更新、しかも一日二度更新もしばしばと、記事の質量とも凄いの一言。

実は当ブログを始めたのも、以上のブログに刺激を受け、これと似た感じで歴史に重点を置いたものができないかと思ったからなのですが、記事の内容レベルはもちろん更新頻度すら到底真似出来ません。

ということで読了した本の紹介ではなく適当な四方山話でお茶を濁します。

先日の『ケネディ』の記事に付け加えようと思ったのですが、少し長くなりましたのでこちらに書きます。

『ヴィクトリア女王』(中公新書)の記事で、ウィリアム1世からジョージ3世かヴィクトリア女王までのイギリス歴代国王は暗記した方がいいですよみたいなことを書きました。

再び自分が今出来ないことを勧めさせて頂くなら、アメリカ歴代大統領も可能ならばすべて記憶した方が良いと思います。

初心者がアメリカ史を学ぶ上で、目標とすべき一応の目安としてはそれが適当かなと。

「高校の丸暗記世界史でもさせられなかったことを、それから解放された今になって何でしなきゃならないんだよ」と言われそうですが、これは初心者にとって無理な目標ではないと思います。

ローマ教皇全部覚えろとかフランス第三共和政の首相全部暗記しろとか言われたら発狂しますが。

ワシントンから小ブッシュまで、第一期目の就任年度、所属党派(これは必ず覚えること。そうじゃないと効用が激減します)、就任の経緯(選挙での勝利が基本だが前任者の病死・暗殺・辞任も結構ある)、任期中の主要事件を頭に入れていつでも再現できるようになれば、アメリカ史の基礎は完璧と言っていいんじゃないでしょうか。

高校世界史でも、詳しい場合、ワシントンからジャクソンまでとマッキンリーからブッシュ・クリントンまでは省略無しに教えられるんじゃないですかね(モンローとジャクソンに挟まれたJ・Q・アダムズとか、セオドア・ルーズヴェルトの後任のタフトなどは別にして)。

問題はジャクソンとリンカーンとマッキンリーの間の19世紀ですが、ポークとかフィルモアとかクリーヴランドとか「誰だ、それ?」と思う名前の大統領でも細かく知るとなかなか興味深くて面白いんですよ。

今は大分忘れてしまいましたが、私がアンドレ・モロワ『アメリカ史』を熟読して一度覚えてみると、なんというか非常に見通しが良くなっていろいろなことが「わかった」という実感が持てました。

他の本でも宜しいですが、少し詳しめの本を基本テキストにしてじっくり取り組んでみると良いと思います。

ついでですが、アンドレ・モロワの『アメリカ史』・『英国史』『フランス史』を読まれる場合、やや入手困難ですが1993年か94年ごろの新潮文庫の記念復刊版をお買い求め下さい。

それ以前の古い版だと読みにくいです。実はこの新潮文庫版でも『アメリカ史』の漢字が旧字体で読みにくいのですが、他よりマシです。

このモロワ三部作もいい加減重版再開してもらえませんかね。

新潮もくだらない雑誌やどうでもいい駄本は腐るほど出してるのに。

いっそのこと版権を中央公論あたりに譲ってもらって、中公文庫に常時在庫してもらいたいです。

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高橋正男 『物語イスラエルの歴史』 (中公新書)

先月下旬刊行の新刊。

伝説上の始祖アブラハムから第二次大戦後のイスラエル独立と中東戦争までを扱ったユダヤ民族通史。

新書一冊で収まるテーマかなと不安を持っていたが、読んでみるとわりとよく出来ている。

ただ、アブラハム・イサク(イツハク。同じくアブラハム[イブラヒム]の子で兄弟のイシュマエル[イスマーイール]がアラブ人の祖とされる)・ヤコブ・ヨセフを経て、モーセの出エジプト、サウル・ダヴィデ・ソロモンの古代ヘブライ王国までの部分はゴチャゴチャしていて、やや読みにくい。

この辺りの歴史については、阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)が一番初歩的なレベルからこれ以上ないほど平易に説明してくれているので、初心者はこちらを先に読んだ方がいいかもしれない。

ダヴィデ王以後ネブカドネザル2世によるバビロン捕囚までの第一神殿時代、キュロス2世による解放から帝政ローマによるユダヤ属州反乱鎮圧までの第二神殿時代と、本書の記述は続きますが、ここでもやや煩瑣な部分がある。

ただ、アレクサンドロス大王の占領の後、セレウコス朝によるヘレニズム化政策に抵抗して、パレスチナに反乱が起こり、その指導層からハスモン朝が成立、それが前1世紀にポンペイウスによってローマに服属した辺りからの叙述は少しずつ面白くなってきて、読むペースも上がった。

ヴェスパシアヌスおよびティトゥスによる第1次反乱鎮圧、ハドリアヌス帝による第2次反乱鎮圧とユダヤ人追放を経て、ビザンツ・イスラム・十字軍・オスマン朝と支配者が変遷していく部分の記述はなかなか手堅い。

近代に入って1896年テオドール・ヘルツェルが始めたシオニズム運動、第一次大戦時のフサイン・マクマホン協定とサイクス・ピコ協定とバルフォア宣言の間の矛盾と1948年イスラエル建国もそれぞれ適切に述べられている。

終章は独立以後の中東紛争の概説だが、短いページでありながら非常に要領良く説明されており、初心者にとっての効用は大きい。

まず理屈抜きで四度の中東戦争の年代(1948年、56年、67年、73年)を覚えましょう。

たまには問答無用の丸暗記も必要です。

そして47年国連パレスチナ分割案と第1次・第3次中東戦争とその後の和平におけるイスラエルの領土の収縮は地図を見て必ず確認しておきましょう。

東・西イェルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区、ゴラン高原、シナイ半島がそれぞれどんな経緯をたどってどの国の領土となったのかを頭の中で再現できるようになればよいでしょう。

77年エジプトのサダト大統領のイスラエル訪問、79年エジプト・イスラエル平和条約、91年湾岸戦争、93年オスロ合意(イスラエル・PLO相互承認、パレスチナ暫定自治)、94年イスラエル・ヨルダン平和条約、2000年以後の和平プロセス挫折なども押さえておけば、新聞の国際面の記事を理解するのもたやすくなります。

結論としては、前半部分はやや冗長だが、後半はよく出来ている。

初心者向けの良質な入門書と思われます。

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土田宏 『ケネディ 「神話」と実像』 (中公新書) 

去年11月の新刊。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの手ごろで読みやすい伝記。

ケネディはアイルランド系で史上初のカトリック教徒の大統領。

父親のジョゼフ・ケネディはボストン出身で実業界で成功し、禁酒法時代に酒類を扱って巨万の富を得て、フランクリン・ルーズヴェルト政権に多額の献金を行い、ついには第二次大戦直前に駐英大使に任命されるが、孤立主義的で対独宥和政策を主張していたため、1940年に更迭される。

ジョン・F・ケネディはジョゼフの次男として生まれ、兄が欧州戦線で戦死した後、一家の期待を一身に担うことになり、海軍に志願し戦後は政界に進出し、下院議員・上院議員を歴任する。

海軍時代には南太平洋で乗っていた魚雷艇が日本の駆逐艦「天霧」と衝突・沈没するという危機もあった。

後に大統領選に出馬した際、「天霧」の旧乗組員から激励の寄せ書きが届いたという話を別の本で読んだ記憶があります。

生い立ちからこれまでの記述を読んで驚くのが病気の話の多さ。

誇張じゃなしにしょっちゅう死にかけてる。

若々しい健康的な大統領というイメージはある程度は作られたものらしい(ただ任期中は以前よりかは体調が回復したのは事実の模様)。

あとこれも「リベラル派の偶像」という一般的印象と異なるが、連邦議員時代を通じて社会的弱者擁護の姿勢は強かったものの、終始一貫徹底した反共産主義信念を持ち続け、1950年代初頭のマッカーシーの「赤狩り」にも強くは反対しなかった。

1960年大統領選でアイゼンハワー政権で副大統領を務めたニクソンと対決、有名なテレビ討論でのイメージ戦略で勝利を占め当選。

大統領の任期は1961年1月から1963年11月の暗殺まで、3年に満たない。

外交面ではフルシチョフ指導下のソ連の強攻策への対応に追われる。

61年亡命キューバ人を支援したピッグズ湾侵攻作戦が失敗。

同年西ベルリンの現状変更をフルシチョフが迫り緊張が高まる(結局ベルリンの壁が構築され西ベルリンの自由世界所属は変わらず)。

62年中距離核ミサイル持ち込みを機にキューバ危機勃発。

ケネディはソ連へ海上封鎖を含む断固たる措置を取る一方、即時空爆を主張する軍部の強硬論を抑え、対話と妥協の道を閉ざさずフルシチョフに「名誉ある撤退」の余地を与え、事態を平和的に収拾することに成功。

63年キューバ危機の終息を自国の勝利と誇ることをせず、米ソ関係安定の契機とするため、ホットラインの敷設・部分的核実験停止条約締結などの措置を取った。

この部分核停条約は高校教科書でもゴシック体で載っているとは言え、戦後の軍縮の動きの一つとしてだけで、国際政治上の意味付けはあまり明確になされていない。

『国際政治経済の基礎知識』(旧版)の高坂正堯氏執筆の該当項目から引用すると、

この条約は地下実験の開発を禁止したものではなく、それゆえ、核兵器の開発を十分制約したとは言えないし、兵器の削減を取り決めたわけではないから、その意義も限られたものであるように思われる。それにもかかわらず、この条約の締結をもって米ソの冷戦の終りとする見解もあるのはなぜか。第一の理由は、この条約によって「相互確証破壊」が確保され、相互抑止の関係が安定すると考えられたためである。

というのは、相互抑止の安定のためには、両国の戦略ミサイルが非脆弱であること(したがってミサイルを地下および水中に置く)、両国のミサイルが相手に到達できることが必要であるとされた。一方が有効なABM[ミサイル迎撃ミサイル]を持てば、その条件は崩れることになるのであるが、当時はその開発のためには大気圏内および宇宙空間での核の効果を知るための実験が必要であると考えられた。したがってこの条約はABMの開発に大きな制約を与えるものとされ、したがってその締結は米ソ両国が相互抑止の状態を認め合ったことを意味するのであり、米ソ関係も安定するものと考えられた。

以上の外交面では著者はケネディに比較的高い評価を与えているが、対照的に内政に関しては見るべきものは少なかったとしている。

なおよく問題となるヴェトナム戦争との関わりについて著者は、ケネディ政権が南ヴェトナムへ軍事顧問団と特殊部隊を増派し直接戦闘への参加も容認したことを記しているが、最終的にはケネディは撤退を考えていたと判断している。

ケネディ暗殺直前に南ヴェトナムの指導者ゴ・ディン・ディエム(ゴ・ジン・ジェム)を失脚させたクーデタが起こった。

ゴは独裁者として世論の批判を浴びており、援助によって作った精鋭部隊を国内反対派弾圧に使用せず前線に派遣せよとアメリカが圧力をかけ、その直後のクーデタでゴは殺害された。

結果的にこれは南ヴェトナムの安定をもたらさず混乱を拡大させただけとなったが、このクーデタへのケネディの関与は曖昧であり、はっきりとした判断を下されていない。

最後の二章は暗殺の謎と女性関係のスキャンダル。

まず後者からいうと、よく噂される派手な女性関係は確証の無いまま噂として広まったものが多く、事実として認められるものは意外と少ないとして、ケネディに好意的である。

さて、以上までの部分を読んできて、非常に手堅い叙述だなあと思っていたのですが、問題は暗殺事件の章。

極めて大胆な推理を展開し、暗殺の黒幕と著者がにらむ人物を実名で記している。

決定的な「ネタバレ」は避けますので実際読んで頂いた方がいいでしょう。

ちなみに副大統領のジョンソンやライバルのニクソンではありません。

その両者に比べれば知名度ははるかに劣りますが、阿川尚之『海の友情』(中公新書)(←この本を知ってる人には半分ネタバレになってすみません)を以前斜め読みして割と好意を持っていた人物だったので、正直「ええーっ!!」と驚愕しました。

私は全く無知なのだから本書の推理を「トンデモ」と決め付けることはしませんが、率直に言って素直に信じるには不安が大きい記述です。

最終判断は皆様にお任せします。

そういうやや危うさを感じさせる部分もありますが、重要政治家の標準的な伝記作品としては読みやすく、良く出来ていますし、しっかり読めば有益な本だと思います。

あと関連文献を挙げますと、本書の末尾でも紹介されているものとしては、シオドア・ソレンセン『ケネディの道』(サイマル出版会)、A・シュレジンガー『ケネディ 栄光と苦悩の一千日 上・下』(河出書房)、ロバート・ケネディ『13日間 キューバ危機回顧録』(中公文庫)など、それ以外ではロジャー・ヒルズマン『ケネディ外交 上・下』(サイマル出版会)があり、特に最後のヒルズマン著はざっと見たところ中々面白そうでした(どれも通読はしておらず、ページを粗く手繰ってみただけの印象ですが)。

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アラン・パーマー 『オスマン帝国衰亡史』 (中央公論社)

第2次ウィーン包囲から滅亡までのオスマン朝政治・外交史。

一般向け歴史読物として内容はまあまあ。

少々冗長に感じる部分もあるが、特に読みにくいところは無い。

私のような初心者は、事典・用語集や年表を手元に置いて、スルタン名と主要事件を年代と共に確認しながら読み進めるのが良いでしょう。

メフメト4世と第2次ウィーン包囲(1683年)、ムスタファ2世とカルロヴィッツ条約(1699年)、アフメト3世とチューリップ時代、セリム3世とナポレオンのエジプト遠征(1798年)、マフムト2世とギリシア独立戦争(1821~29年)・イェニチェリ全廃(1826年)・第1次エジプト・トルコ戦争(1831~33年)、アブデュル・メジド1世とタンジマート開始(1839年)・第2次エジプト・トルコ戦争(1839~40年)・クリミア戦争(1853~56年)、アブデュル・ハミト2世とミドハト憲法(1876年)・露土戦争(1877年)・ベルリン条約(1878年)・青年トルコ革命(1908年)。

1908年革命の後は統一進歩委員会の一党独裁でエンヴェル・パシャが指導者だと理解していたのだが、それほど単純な過程ではないとわかった。

興隆・盛期ではなく衰退期のオスマン帝国史は少ないと思われるので、なかなか有益な本といっていいんじゃないでしょうか。

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三石善吉 『中国、一九〇〇年 義和団運動の光芒』 (中公新書)

義和団事件をその前史である山東省の反キリスト教運動から概観したもの。

10年ほど前に出版されたとき気付いてはいたが、やたら細かい地名・人名が出てくるという理由で敬遠していた。

しかし一度読み始めると、予想よりはるかに楽に読めた。

例示されている様々な史実は暗記するのではなく、事件全体の概要把握や評価のための材料と考えて読んでいけばいいと思う。

義和団の乱について中国の公式評価は「中国人民の偉大な反封建・反帝国主義闘争」というものですが、最近袁偉時という人が「義和団は反文明の狂気の愚行、太平天国は残虐な独裁政権」とした論文を書いて掲載雑誌が停刊処分を受けたなんて事件がありましたね。

本書ではキリスト教宣教師と西欧勢力の横暴と圧迫が義和団暴発の主原因としながらも、反乱の過程で起こった恐ろしい残虐行為も同時に記していて、中国当局の見解をそのまま是認しているわけでもなく、まあバランスが取れていると言えるんじゃないでしょうか。

1860年の北京条約でキリスト教布教の自由が認められた後、「教民」(中国人キリスト教徒)と非教徒の間に対立が生まれ、双方の不正行為や誤解・偶発的事件によって憎悪が激しくなり、1898年の列強による中国分割を媒介にして凶暴な排外主義を生み出してしまう。

本書を読んでいるとその過程がほとんど必然のように思えてきて、個人的には、全く異なる価値体系の思想が急激に外部から流入すること自体が不幸の源じゃないかなあという感想を持った。

読みやすくてなかなか良い本だと思います。機会があればどうぞ。

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