« 渡辺金一 『中世ローマ帝国』 (岩波新書) | トップページ | 白石隆 『スカルノとスハルト (現代アジアの肖像11)』 (岩波書店) »

中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 (徳間書店)

著者名見ただけでギョッとした人もいるかもしれません。

西部邁氏の本を20年ほど読み続けていると、馬鹿は馬鹿なりに一定のイメージができてくるので、本書の各思想家への評価に特に違和感があるわけでもない。

君主制や貴族制はどれほど堕落しても全体主義を生み出すことはないが民主制は違うということ、全体主義は民主主義の反対概念ではなくその派生形態であるということにも異論はありません。

そういうことを思想家の著作の引用を多数散りばめながら論じていく文章は面白くないことはない。

高校教科書のレベルでルソーやマルクスは教えられても、バークやトクヴィルについては名前も出ないのはおかしいと私も思います。

正統派の保守的思想家の翻訳が著しく少ないというもの同感です。

アクトン卿の『フランス革命講義』、(呉智英氏が旧訳に度々言及する)タルモンの『フランス革命と左翼全体主義の源流』、ジョゼフ・ド・メーストルの『フランスについての考察』は特に訳書が出て欲しいです。

ただ、英米系の保守的自由主義思想だけが正しくて、あとは全てインチキと言わんばかりの論調が気になる。

それを現実政治上の親米英主義に繋げようとするところはもっと気になる。

それと、この方のレッテル貼りと罵倒癖は何とかならないんでしょうか。

本書はまだいいんですが、以前某誌でロマノ・ヴルピッタ氏(『ムッソリーニ』の著者)と論争した際の文章を読んで、「こりゃ酷いな」と思った記憶があります。

他の本も読んでみると、どうもファナティックで矯激に過ぎるという印象を持ってしまいます。

まあ、しかしそれは他人の振り見て我が振り直せということかもしれません。

私もはるかに低いレベルにおいてですが、このブログで大した知識も無いのに本を貶したり著者の悪口書いたりしてますからね。

そういうのが不快に感じられた方には謝っておきます。

また、一つ一つは短いものの、本書で引用されている思想家たちの文章には非常に考えさせられるものが多いです。

気が向いたら一度手にとってみるのも良いかと思います。

ただ私としてはやはり先ず西部氏の『思想の英雄たち』をお勧め致します。

「現代の独裁の重要な特徴の多くはデモクラシーの産物である」「近年における大衆民主制の出現と、伝統的諸制度の崩壊のおそれとが、・・・・・今日の独裁出現の歴史的前提である」(ジグムント・ノイマン)

「全体主義は大衆の国家である。・・・・・全国民を群衆に変形させ、情緒的緊張の状態におき、そして過去の価値を全面的に否定しかつ破壊する・・・・・体制である」(エミール・レーデラー)

「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である」(フリードリヒ・ハイエク)

「無制限の民主主義は、民主主義とは別種の制限された政府より、悪い」(同上)

「イギリス国体の優秀性は、・・・・・君主制的要素、貴族制的要素、民主制的要素が、それぞれ最高主権を分有し、最高主権の発動のためには、この三者全部の同意が必要であるとされる点である」(ウォルター・バジョット)

「近代の政治理論は、国家の権威のみを別としてその他すべての権威を一掃した。すなわち、国家のなかの内部集団、共同体、階級あるいは法人が自治的機能を有することを許さなかった。特権の廃止を絶対として、これらの権威の主体はことごとに解体させられた。自由は個人のものとなったが、自由はこれらの権威から切り離された。・・・・・その結果、個人の自由は国家権力に剥奪される危険にさらされるようになった」(アクトン卿)

「人権宣言は当然、人間のもつ義務の宣言と関連していなければならぬことを忘れ果てている・・・・・人権が人間のもつ義務から引き離されてしまった道は、諸君を善に導くことはしなかった。・・・・・義務の意識がなく権利のみを主張する結果、人間の利益と欲情の闘争の道へ、また相競って相互排除する権利の主張へと人間を押しやった。・・・・・人間の義務は権利よりも深い。・・・・・権利は義務から由来するものである」(ニコライ・ベルジャーエフ)

「<自然的>人間を解放すれば、生れてくるものは悪だけである」(同上)

「人間が単なる自然的、社会的環境の相似にすぎず、外的条件の反射、必然の子にすぎないのならば、人間には神聖な権利も、義務もない。つまり彼にあるものは、利益と欲望だけである」(同上)

「群集は軽信なばかりか、狂気でもある。群集についてこれまで述べたたくさんの性質は、また精神病院の患者の性質でもある。たとえば誇大妄想、不寛容、あらゆる点の無節制など。群集は狂人と同じで、たえず躁と鬱の両極を往復する。ときには英雄的にいきりたち、たちまち周到狼狽して自失する。群集はまさしく、集団的な幻覚をもつ」(ガブリエル・タルド)

「<世論>は、・・・・・あるときには流行の新しい主義(ドクトリン)に熱中して、これまでの慣習的な思想・制度を荒しまわったのち、それらにとって代わろうとする。あるときは<慣習>の威を借りて理性的な改革者たちを圧迫・放逐し、伝統のお仕着せという偽善的な仮装を身にまとえと強要する」(同上)

「人間の堕落を防止するためには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである」(アレクシス・トクヴィル)

「国民主権のなかでは、国民は滅亡する。国民は機械的量のなかに埋没し、自分の有機的、全体的、不可分的精神をそのなかで表現することができない」「国民主権は、人間主権である。人間主権はその限度を知らない。そして、人間の自由と権利を侵犯する」(ベルジャーエフ)

「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては、主権と暴政とは同一のものであると洞察した」(ハンナ・アレント)

「全体的支配は大衆運動がなければ、そしてそのテロルに威嚇された(としても)大衆の支持がなければ、不可能である。・・・・・大衆の信頼なしにはヒットラーもスターリンも指導者として留まれなかっただろう」(同上)

|

« 渡辺金一 『中世ローマ帝国』 (岩波新書) | トップページ | 白石隆 『スカルノとスハルト (現代アジアの肖像11)』 (岩波書店) »

思想・哲学」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。