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マックス・ガロ 『イタリアか、死か』 (中央公論新社)

カヴール、マッツィーニと並んでイタリア統一の三傑であるジュゼッペ・ガリバルディの伝記。

著者は社会党所属のフランス国会議員。

訳文は流暢で読みやすいが、500ページ超の分量はちょっとキツイ。

日本人著者が書いた新書版の伝記が欲しいところだが、無いから仕方ない。

ガリバルディはニース出身。

マッツィーニの青年イタリアに加わり、当局の取り締りを逃れて南アメリカに亡命。

当地でブラジルからの分離を目指す南部の共和国を支援したり、独立間もないウルグアイ軍に加わり、アルゼンチンの独裁者ロサスと戦ったりしている。

1848年革命にあわせてイタリアへ帰国。

1849年ローマ共和国防衛のため、フランス軍と戦うが敗北、再度アメリカ大陸へ亡命。

この後、急進的空論家の傾きのあるマッツィーニと距離を置きはじめ、共和主義の主張を棚上げしてピエモンテ・サルデーニャ王国のイタリア統一事業に協力する。

1859年イタリア統一戦争に参加。

60年中部イタリア併合の代償として故郷のニースがサヴォイアと共にフランスに割譲されることに憤慨しながら、カヴールの微温的な態度を横目に赤シャツ隊(千人隊)を率いてシチリア島上陸。

シチリアを制した後、半島南部に侵攻しナポリに入城、両シチリア王国を征服して、サルデーニャ王に献上する。

1861年イタリア王国が誕生し、教科書的にはここでガリバルディは御役御免ですが、本書では以後の生涯も詳しい。

61年以後も未統一地域征服のため義勇軍を組織し、ローマ教皇領に二度侵攻を企て、オーストリア領チロル奪還のためにも戦っている。

66年のオーストリアへの攻撃は失敗し、成果なく撤退。

62年ローマ侵攻の一度目は教皇領に入る前にフランスとの全面戦争を恐れるイタリア政府軍に鎮圧されガリバルディも負傷、その後仏伊間の協定で教皇領から仏軍は撤退するが、67年二度目の侵攻の際ガリバルディの義勇軍は急派された仏軍に惨敗。(70年普仏戦争時、撤退したフランス軍はこの時派遣されていたものらしい。)

なお、教科書では教皇領の併合は70年となっているが、歴史地図をみると教皇領のうちアドリア海に面した北側三分の二くらいは60年併合というような表示になっている。

それについては本書でも説明が無いのでよくわからない。

その他、イタリア統一と同年勃発したアメリカ南北戦争で北軍への参加を仄めかしたり、普仏戦争ではフランス側に義勇軍として実際に従軍したりと派手な行動は生涯変わらず。

そうした直情的行動家の一面がある一方、妥協と漸進主義の実際家としての性格も強かった。

シチリア・ナポリ征服の際、共和国を宣言するようにとのマッツィーニ派の働きかけを無視し、民族統一を最重視して同地をサルデーニャ王に献上。

民族の独立と統一のためには武器を取ることをためらわなかったが、国内の階級闘争を暴力で解決することには反対し、シチリア遠征の際、地方役人を虐殺した反乱農民を絞首刑に処している。

筋金入りの共和主義者として王政への強い反感を持ち、カヴールをはじめとするその下僚に辛らつな非難を浴びせたが、イタリア統一の象徴たるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世王個人への攻撃は避けた。

最晩年には社会主義への共感を持つが、プロレタリア独裁などの概念は否定する。

19世紀ヨーロッパで自由主義進歩派の偶像といえるほどの人気を博したガリバルディだが、こうした民族問題最重視と階級闘争軽視の姿勢に対してブランキやマルクス、エンゲルスは批判の言葉を残している。

以上のような面をもって、ガリバルディの「限界」とみるか、それとも革命家にしては分別があるとみるかは人によって意見が分かれるでしょう。

通読にやや骨が折れるが、その分内容は豊富。

なかなか良好な出来と言っていいんじゃないでしょうか。

類書としては、ロザリオ・ロメーオ『カヴールとその時代』(白水社)がありますが、とんでもない値段と分厚さなので、私には到底通読できません。

森田鉄郎『イタリア民族革命の使徒マッツィーニ』(清水書院)は手軽な新書版ですが、立ち読みしたところ、評価がやや教条的かなと感じたので未だ読んでおりません。

他に何か適当な本がありましたら、ご教示下さい。

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