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岡田英弘 神田信夫 松村潤 『紫禁城の栄光 明・清全史』 (講談社学術文庫)

これも文芸春秋「大世界史」シリーズの中の一巻の文庫化。

いつもの悪い癖でタイトルだけ見て、「ああ、腐るほどある凡庸な中国史概説だな、読む価値無し」と決め付けて全く手に取ることが無かったが、たまたま前書きだけを読んでユニークさを感じたので通読。

はっきり言って通常の中国史の記述はさして興味深いものではないが、全巻のおよそ三分の一が北アジアの遊牧民勢力の歴史に当てられており、それが滅法面白い。

宮脇淳子『最後の遊牧帝国ジューンガル部の興亡』(講談社選書メチエ)と同じような内容を含みながら、表現ははるかに平易で読みやすく、極めて有益。

本書の基本的視座として、まず漢民族が居住する「シナ」と、シナに満州・モンゴル・新疆・チベットを加えた五つの地域からなる歴史的世界の「中国」を区別している。

「中国」的帝国としての元朝崩壊後、明は洪武帝・永楽帝時代にその継承を目指し対外積極策を採るが、遊牧民勢力の根強い抵抗の前に挫折し、以後「シナ」的帝国としての存在に甘んじ、モンゴルと明の抗争が続くが、結局満州から出た清朝が大膨張を遂げ、「中国」全土を支配下に入れるというのが全体の構図。

なお、元および北元滅亡後の北アジアでは西部(西北モンゴル)のオイラートと東部(内モンゴル)の韃靼(タタール)が交互に興亡したというのが教科書的記述だが、本書ではモンゴル勢力は東部で元朝の伝統の継続性を強く保ったまま存続しているとする立場から韃靼(タタール)という言葉は一切使われていない。

1388年北元が一族の内紛で滅んだ後、臣下筋のオイラット(オイラート)が勢力を得る。

このオイラートはモンゴル系ではあるが、チンギス一族直系を戴く部族ではないようだ。

テムジン時代のチンギスによって併合されたナイマンとかケレイト、メルキト、タイチュウトなどの部族と同格の存在ということでしょうか(前2者はトルコ系らしいですが)。

その最盛期の首領は教科書の記述ではエセン・ハンではなく単にエセンとなっている場合があるが、それは土木の変(1449年)の際にはまだハンに即位していなかったからだと思われる。

また結局ハン即位後わずか一年で部下に暗殺されたが、それはハンとなるにはチンギス一族直系でなければならないとするモンゴル民族の観念からすると正統性に疑義があると当時は考えられていたことも一因だと上記の宮脇氏著には書かれていた(通婚関係で女系ではチンギス一族と繋がっているが)。

エセンは北元皇族の多くを殺したが、エセンの娘を祖母に、北元皇族の一人を祖父に持つダヤン・ハンが1487年帝位に就き、内モンゴルと外モンゴル東部に君臨する(これが普通韃靼の興隆とされるもの)。

ダヤン死後、孫のアルタン・ハンが指導権を握り、1550年明に侵入し北京を包囲、黄帽派チベット仏教に帰依しダライ・ラマの称号付与。

なおダヤンの子孫のうち、アルタンと別系統がそれぞれチャハル部、ハルハ部の祖となる。

内モンゴルのチャハル部は清の太宗ホンタイジによって併合。

17世紀後半エセン以後200年ぶりにオイラート系勢力が復興、その一員のジュンガル部のガルダン・ハンが台頭、外モンゴルのハルハ部の内紛に介入し結局外モンゴル全土を支配。

これに脅威を覚えた清の康熙帝が親征、苦戦するが別働隊がガルダンの軍を壊滅させ、ガルダンは逃亡後まもなく病死、ジュンガル部ハン位はガルダンと対立した甥が継承し、清との関係はしばらく小康状態に入る。

その後チベットにオイラート系ホシュート部とジュンガル部が相次いで侵入、康熙帝は1720年軍を派遣しダライ・ラマを保護、以後チベットは清朝の保護下に入る。

乾隆帝時代に継承争いの渦中にあったジュンガル部は清朝に滅ぼされ新疆として併合された。

これはかなり良いです。

中国史の本としてより、元朝崩壊後の中央アジア史として非常に面白いし役に立つ。

今も新刊として手に入りますし、是非一読しておきたいものであります。

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