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佐藤正哲 中里成章 水島司 『ムガル帝国から英領インドへ (世界の歴史14)』 (中央公論社)

まず分厚さに驚く。

本文が550ページを超え、たぶんこのシリーズで一番長い。

3部構成になっており、第1部はイスラム教徒のインド侵入とラージプート族との戦いからムガル朝衰退期まで。

五つあるデリー・スルタン朝の全てのスルタン家系図が載っており、非常に詳しい政治史が記されてる。

普段、一般的な政治史を排除しすぎたこのシリーズの叙述に文句をつけることが多いのに、こういうのも何ですが、この巻は逆に詳しすぎて読むのが疲れる。

我ながら勝手なものだと思いますが、ムガル朝とその覇権下にあるラージプート諸王国との細々した関係や、マンサブ(禄位・位階)制とジャーギール(給与地・知行地)制をめぐる支配構造の話は初心者には相当辛いので、かなり飛ばし読みしました。

ただ、地図が多めなのは良い。

歴史書を読んでいて、本文中に細かな地名が続出するのに、関連地図が無いというのは本当に腹が立ちますが、本書はそういう恐れはあまりない。

同じインド史の本で例を挙げると、以前記事にしたシャルマ『古代インドの歴史』は、古代国家の支配領域を現代インドの州名を使って説明しているが、きちんとその地図を載せている。

しかし、その続巻で、類書として名を挙げたサティーシュ・チャンドラ『中世インドの歴史』では省略されており、首を傾げた。

(そのこともあってチャンドラ著は途中で放棄したままです。)

バーブルからアウラングゼーブに至る初期のムガル皇帝の描写はなかなか面白い。

このうちアウラングゼーブは、ジズヤ復活によってアクバルのヒンドゥー融和策を捨て帝国衰退の原因を作ったと高校教科書のレベルでも断定されている評判の悪い皇帝ですが、必ずしもそう見ずに擁護する史観も一部にはあるようです。

スピィア『インド史』第3巻が確かそういう記述だったはず(すみません、記憶があやふやなので、もしかしたら違うかもしれません)。

本書はかなり伝統的史観に近く、アウラングゼーブへの評価は低い。

(個人としては敬虔なスンナ派イスラム教徒として清廉で質素な生活を送った人物とされているが。)

他に気になった記述として、シャー・ジャハーンの治世に南インドのヒンドゥー教国であるヴィジャヤナガル王国が1649年に滅亡してますが、これはムガル朝に滅ぼされたのではなく、北にあったビージャプル王国というイスラム王朝(これはシーア派に属していたらしい)によるもの。

アウラングゼーブが「異端」王朝であるこのビージャプル王国と、同じくシーア派国家のゴールコンダ王国を滅ぼすことによって、教科書にも載っている、古代アショーカ王以来久しぶりの亜大陸南端部を除いただけの大統一が実現した。

第2部はヨーロッパ勢力のインド到達から「大反乱」(セポイの乱)までの、前期植民地時代。

この部分は非常に良い。

省略すべきところは省略し、よく整理されたメリハリのある叙述ながら、重要ポイントは洩れなく押さえられているという感じ。

イギリス統治を正当化することなく、しかしインドの民族主義的主張を無批判に取り入れるでもない、バランスの取れた視点。

イギリスが西インドのスーラトに最初の商館設置権を獲得してから、カルカッタ・ボンベイ・マドラスの三大根拠地建設に至る過程は手際よく無難な説明。

アウラングゼーブ死後のムガル帝国分裂の記述もわかりやすい。

まず、ニザーム(デカン総督)領(首都ハイダラーバード)、ベンガル、北インドのアワドの三地域が分離し、ムガル皇帝の権威を認めながらも事実上の独立王朝となる。

イランでサファヴィー朝を倒したアフシャール朝のナーディル・シャーが1739年インドに侵攻、ムガル朝軍を惨敗させデリー占領。ムガル皇帝の権威は地に堕ちる。

マラータ王国では18世紀初頭以降、シヴァージー直系の王家の力が弱まり、実権が宰相に移る(だからマラータ“王国”ではなく、マラータ“同盟”ということが多いのか?)。

1752年マラータ同盟軍がデリーに入城しムガル皇帝の保護者となり、同盟がムガル帝国に取って代わるかとも思われたが、1761年侵攻してきたアフガンのドゥラニ朝アフマド・シャーに惨敗、威信を失墜させる。

他には南インドのマイソール王国、北西インドのシク王国などが存在し、イギリスも当初はこれら諸勢力の中の一つに過ぎず、それが様々な経緯を経て植民地形成に至る。

1757年史上有名なプラッシーの戦いでベンガルを実質支配下に入れ、イギリス統治が始まるが、本書ではその少し後、1764年に起こったバクサルの戦いが記されている。

これは傀儡のベンガル太守がイギリスに不満を募らせ、ムガル皇帝、アワド太守と同盟し、東インド会社軍と戦ったもので、三者連合軍が完敗した。

プラッシーの戦いがベンガル太守の継承争いを利用してごく小規模の戦闘で勝利した、実質宮廷クーデタのようなものだったのに対し、このバクサルの戦いはヨーロッパの軍事的優勢をまざまざと示したものとして重要であるとされている。

真ん中あたりで、都市と農村の生活や、植民地下に台頭した中間層や女性の地位に関する社会史の章がかなりのページを割いて書かれていますが、私でも抵抗無く読める形式・内容で、とくに苦にはなりません。

第3部は南インド史が独立しており、やや時代を遡って9世紀のチョーラ朝時代から植民地時代まで。

五人の人物を選び出し、その描写によって各時代の特色を示すという形式ですが、どうもイマイチ。

通常の通史は、各章の最後にある「幕間」という節でちゃんと説明されているのですが、本文の方の良さは私にはなかなか理解し辛い。

本書での南インド政治史の概略を書くと、7世紀から9世紀にかけて、(前期)チャールキヤ朝、パッラヴァ朝、(再興[中期])パーンディヤ朝の鼎立。

9世紀半ば、後期チョーラ朝が勃興して、パッラヴァ朝を滅ぼし、前期チャールキヤに取って代わったデカンのラーシュトラクータ朝、およびそれを滅ぼした後期チャールキヤ朝と対立。

チョーラ朝がラージャラージャ1世時代に再興パーンディヤを一時滅ぼす。

子のラージェンドラ1世はシュリーヴィジャヤにも遠征軍を派遣。

12世紀末、後期パーンディヤ朝が台頭、13世紀後半チョーラ朝を滅ぼす。

デリー・スルタン朝のハルジー朝、トゥグルク朝による南インド侵攻。

1336年ヴィジャヤナガル王国成立。

同じ頃成立した北隣のムスリム王朝バフマニー王国と対立。

16世紀後半からヴィジャヤナガルは分裂傾向を示し、バフマニー王国も16世紀初めに五王国に分裂(そのうち、二つが上で少し触れたビージャプルとゴールコンダ)。

これ以降の分裂期の記述は細かすぎて全然わからない。

大筋を読み取ることすら困難。

結論。第2部は極めて良好だが第1部と(特に)第3部は難解で読みにくい部分が多い。

読むのに非常に骨が折れます。

最近の当シリーズは、通勤電車の行き帰り+風呂上がりから寝るまでの適当な時間=約150ページ弱×3日間で一巻読了することが多かったのですが、これは5日ほどかかりました。

第3巻の古代インド史が最高の出来だったのに比べると、かなり落ちるなと感じてしまいました。

本書が第14巻で、15巻16巻はすでに読んでいるので、ようやく半分を超えたことになります。

やれやれですな。

自分が通読した中公旧版だけを基礎として、他の全集は目に付いた巻のみ読めばよいと構えていましたが、中公新版を半ばまで通読してやはり旧版をそれほど絶対視してはならんなと感じました。

しかし、同時に「これは何とかならんか・・・・・」と思うような記述も新版には頻出します。

まあ、当たり前すぎますが、一長一短があるということでしょう。

何とか最後まで頑張ります。

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石澤良昭 生田滋 『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』 (中央公論社)

ごく標準的な、植民地化直前までの東南アジア史。

驚くような面白さや、斬新で蒙を啓かれる思いのするわかりやすさは無いものの、手堅い作り。

まずインド文明の影響で国家形成が進み(ヴェトナムのみは中国の影響とそれからの独立という形で)、民族国家が成立し、モンゴルの侵入があった13世紀を境に主要宗教がヒンドゥー教・大乗仏教から、大陸(半島)部では上座部仏教、群島(島嶼)部ではイスラム教に変化していく(これもヴェトナムは例外で大乗仏教・儒教圏に留まる)。

この大きな流れに沿って、細かな史実を肉付けしていく記述はなかなか良い。

ただ、大陸部の歴史に比べて、群島部の記述がややわかりにくいという感想を持った。

しかしそれは、講談社旧版の東南アジア島嶼部史の永積昭『アジアの多島海』を飛ばし読みした時にも感じたことなので、単に私が苦手だからというだけかもしれない。

最後の章の、18世紀以降のインドシナ半島各国史が駆け足なのもやや気に掛かりますが、総合的には大きな欠点も無く、いい通史だと思います。

具体的史実で私的にノートを取るべき点としては、高校レベルのごく基礎的なことですが、16世紀以降のジャワ島イスラム王朝のうち、マタラム王国が東部・中部、バンテン王国が西部にあり、オランダ東インド会社の根拠地バタヴィアが西部のバンテン王国北部にあったという位置関係を確認。

またパガン朝滅亡後のビルマで、北部の上ビルマではタイ系シャン人のアヴァ朝が、南部の下ビルマではモン人のペグー朝が成立し、それが1531年タビンシュエティー王が建国したビルマ人のタウングー朝によって統一されたことも頭に入れておく。

タウングー朝二代目の王で、タイのアユタヤ朝を一時服属させたバインナウン王とか、そのタウングー朝の支配を覆したアユタヤ朝のナレースエン王とかの主要な王名も、可能ならば本書を使って憶えた方がいいだろうと思います(恥ずかしながら、私自身「どっかで聞いたことあるなあ」というくらいのうろ覚えですが)。

それから『ビルマという国』『タイの歴史』『物語タイの歴史』『アンコール・王たちの物語』『ラオスの歴史』『マレーシアの歴史』『物語ヴェトナムの歴史』『ベトナム民族小史』『物語フィリピンの歴史』などやや細かな各国別通史(別に以上に挙げたもの以外でもいいですが)に進めば理解も深まるでしょう。

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岸本美緒 宮嶋博史 『明清と李朝の時代 (世界の歴史12)』 (中央公論社)

この巻は、1部・2部に分かれてはおらず、明清時代の中国史と李朝時代の朝鮮史の章が交互に続く構成で、両者のページ配分はちょうど半分ずつ。

第7巻の10ページ未満の高麗史は一体何だったのかと改めて不審に思う・・・・・。

岸本氏執筆の中国史の章はごく平均的な記述。

驚くほどの面白さはないが、なかなかシャープで手際が良く読みやすい。

一方、宮嶋氏執筆の朝鮮史はやや戸惑う。

両班や親族構造に関する社会史的記述が多く、読むのに難儀する。

個人的にはもうちょっとレベルを落として、より基礎重視の通史を書いてもらいたかったところである。

よって、宮嶋氏著の『両班』(中公新書)も貴重な本だとは思いながら、未読のまま。

本巻の感想は・・・・・「普通」です。

内容は特に書くことも無いのですが、最後の「ヒトと社会 比較伝統社会論」の章は十分理解できたわけではないですが、それでもなかなか面白いと感じました。

陽明学の解説もごく平易でわかりやすく、役に立つ。

他は別に無し。

あっさり済ませて次に行きます。

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『十八史略』について

以前講談社学術文庫新刊情報という記事で、『十八史略』の訳本が出るのではないかと書きましたが、先日書店で内容をざっと確認してきました。

訳本は訳本でしたが、やはり返り点付きの原文と読み下し文が載せられていました。

そして訳者の解説もかなりの分量を占めており、私には不要と思える部分が多すぎます。

しかも、原文の一部が省略されているという記述があり、これには期待外れの感を禁じ得ませんでした。

なぜ、普通に訳文だけを載せた本が出ないんでしょうか?

有名な故事成句や史的挿話を豊富に含んだ、一番初歩的な中国通史(ただし南宋滅亡までですが)として、ニーズは必ずあると思うんですけど。

どこの出版社でもいいんで、出してくれないでしょうか。

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チェコおよびスロヴァキア史概略

同じく、中公新版第11巻『ビザンツとスラヴ』より。

西スラヴのうち、チェコ・スロヴァキアだけ途中までメモしました。

チェコとスロヴァキア

西スラヴ所属。アヴァール、フランク支配を経て9世紀初め大モラヴィア国が成立するが、10世紀初めマジャール人に滅ぼされる。

東部のマジャール人支配下に入った人々がスロヴァキア人の祖、東フランク・神聖ローマ帝国支配下に入った人々がチェコ人と呼ばれる。

チェコ人国家はボヘミア(先住ケルト系ボイイ族から)。

プシェミスル家による統一。ボヘミア侯ヴァーツラフがカトリック化に努める。神聖ローマ帝国との結びつきが一貫して強い。ヴァーツラフは親ドイツ政策に反対する弟に暗殺され、死後ボヘミアの守護聖人となる。

のちの侯はモラヴィアを版図に加え、独帝ハインリヒ4世から王号を認められ、ドイツ人植民者によって経済繁栄。

オタカール2世時代(1253~78年)に全盛期。オーストリアを手に入れる。

神聖ローマ皇帝ハプスブルク家のルドルフと戦って敗死。オーストリアは以後ハプスブルク家領有。

子のヴァーツラフ2世はポーランド王兼任、孫のヴァーツラフ3世はアールパード朝断絶後のハンガリー王に選出されるが、皇帝・教皇の反対でハンガリー王位はまもなくアンジュー家へ渡り、3世も1306年暗殺されプシェミスル朝自体断絶。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の子ヨハンが即位(ルクセンブルク朝)。

英仏百年戦争にフランス側に立って参戦、1346年クレシーの戦いで戦死。

子の神聖ローマ皇帝カール4世即位(ボヘミア王としてはカレル1世)。

プラハ大学設立、イタリア政策に深入りせず。1356年金印勅書。

カールの子ヴェンツェル(ボヘミア王としてはヴァーツラフ4世)は帝位をファルツ家のルプレヒトに奪われる。ヤン・フスの活動。

ヴェンツェルの弟がジギスムント。

ここまで書いたところでギブアップ。

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南東欧諸国史概略

先日の中公新版11巻『ビザンツとスラヴ』がとても面白かったので、東欧とロシア部分の細かな抜き書きを作ろうとしたのですが、非常に苦しい・・・・・・。

読書ノートは作らず、本に書き込みや線引きをしろと言う方の意見がよくわかります。

南スラヴを中心とした南東欧地域・バルカン半島の民族のところだけは以下何とか書き留めました。

あとフィンランド・エストニアと共に非印欧系のウラル語族に属するハンガリーの存在によって、南スラヴと地域的に分けられているポーランド・チェコ・スロヴァキアの西スラヴ、および東スラヴのロシア・ウクライナ・べラルーシが残っているわけですが、ひとまずこれだけにしておきます。

ブルガリア

トルコ系遊牧民ブルガール族がバルカン侵入後に同化しスラヴ化。南スラヴの一員となる。

680年頃アスパルフ・ハン(君主号がハンなのがいかにもアジア系という感じです)がビザンツ帝国と和約を結び、帝国領内への居住を認められる。

864(または865)年ボリス1世がキリスト教に改宗。

「スラヴ人の使途」キュリロス招聘。キュリロスはスラヴ文字(のちに改良されてキリル文字=現在のロシア文字)を作成し、聖書や典礼もスラヴ語に翻訳。

ボリス王の子シメオン1世がビザンツに攻勢を強め領土拡張、第1次ブルガリア帝国確立。

マジャール族の攻撃を退け、マジャールは西走、パンノニアに定着。

シメオン死後、ビザンツとキエフ・ルーシに挟撃され衰退。

1018年バシレイオス2世によって第1次帝国は滅亡。

1185年セルジューク朝とノルマン人によって東西から攻撃され弱体化したビザンツに対して反乱が起こされ、第2次ブルガリア帝国成立(二年後ビザンツも独立承認)。

イヴァン・アッセン2世時代(1218~41年)に最盛期。

以後バルカン半島の主導権はセルビアに移る。

モンゴルの侵攻を受け、13世紀後半にはキプチャク・ハン国に従属。

1393年オスマン朝のバヤジット1世によって首都陥落。

セルビア

南スラヴで最大グループ。

7世紀頃からバルカンに姿を現すが、分裂状態が続きビザンツとブルガリアの争奪戦の対象となる。

9世紀後半頃ギリシア正教への帰属確定。

1171年頃ステファン・ネマニャが国家樹立(ネマニィチないしネマニャ朝)。

1331~55年ステファン・ドゥシャン王時代に最盛期(←この王名が『世界史用語集』に頻度1とは言え、載っていたのには驚いた)。

その死後、諸公国に分裂。

1389年コソヴォでオスマン・トルコに敗北。

1459年に最終的滅亡。

スロヴェニア

南スラヴ人のなかで最も北西寄りに定住。

アヴァール、バイエルン、フランク支配を経る中で、一貫して西方カトリック教会に所属。

ボヘミアのオタカール2世が一時支配するが、以後ハプスブルク家統治下へ。

近代に至るまで独自の国家を形成することが無かった。

クロアチア

スロヴェニア人の東と南側に定住。

9世紀初頭頃、公によって統一。

フランクとビザンツとの間で揺れ動くが、最終的には西方教会へ帰属。

10世紀以降のヴェネツィアの間接支配を経て、12世紀初めハンガリー王の支配下に入り、以後第一次世界大戦までその結びつきが続く。

ルーマニア

ローマ化したダキア人を祖とする、非スラヴ系民族(異説あり)。

建国は遅く、13世紀末から14世紀初めにかけてワラキア公国成立。

14世紀末に進出してきたオスマン帝国と戦う(吸血鬼ドラキュラのモデル、ヴラド串刺公など)。

14世紀建国のモルダヴィア公国と共に、オスマン朝に貢納。

トルコの統治は間接支配に止まり、他のバルカン国家と違って貴族層が消滅させられなかったので、民族の独自性をよく守ることができた。

1859年ワラキア、モルダヴィアが統一、ルーマニア公国となり、1878年サン・ステファノ条約で独立達成。

アルバニア

ルーマニア人と同じく非スラヴ系。印欧語族の中で独立の一派を成すイリュリア人が祖。

ビザンツ支配を経て、スラヴ人侵入の際は山岳地帯に移住、11世紀頃再登場。

15世紀中頃スカンデルベク公の下に統一、オスマン朝に対してよく戦うが、その後服属。

1912年第一次バルカン戦争時に独立。

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井上浩一 栗生沢猛夫 『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』 (中央公論社)

前巻でウンザリさせられたのとは打って変わって、この巻はとても良くできている。

平易かつオーソドックスな通史としてかなりのレベルに達している。

第1部のビザンツ史では、『生き残った帝国ビザンティン』と同じ著者だけあって、歴代主要皇帝の事績を述べる政治史を主軸にしながらも、社会史・文化史的記述も付け加えて、より視野の広い通史を提供することに成功している。

高校世界史に出てくるビザンツ皇帝と言えば、ユスティニアヌス1世、ヘラクレイオス1世、レオン3世くらいですか。

(私が高校生だった頃は、アレクシオス1世、バシレイオス1世・2世も聞いた記憶がありますが。)

本書に出てくる皇帝名をできるだけ記憶して、その後ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の後半部を熟読すれば、歴代皇帝全てを暗記するのも不可能ではないと思われます。

相当苦しいでしょうし、メモ・ノート使用が必須でしょうが。

第2部の東欧史に入っても、実に良好な出来。

各民族の起源、属する語族、侵入・定住の過程、王朝の成立とキリスト教の受容の経緯、しばしば見られる他国との王朝合同・同君連合のいきさつなどを詳細に論じている。

それが、教科書よりはかなり詳しく、しかし初心者が読み解けないほど煩瑣でないレベルの、実に絶妙な叙述。

私のように、「難しいことは一切わからないが、外国の歴史が好きでたまに本を読む」といった程度の読者がどのような通史を求めているか、一番面白く読める史書はどのようなタイプのものかを完全に把握して書いてくれている。

最高。言うこと無し。

これまで読んだ当シリーズの中で、この巻はかなりの高評価。

しかし、巻によって当たり外れに差があり過ぎますね。

以下本書に記述されたユスティニアヌス以後のビザンツ皇帝のうち、目に付いたものをメモ。

マウリキウス帝がササン朝ペルシアと講和、アヴァール族をドナウ以北へ撃退。

フォーカスの簒奪と恐怖政治。

610年フォーカスを打倒し、ヘラクレイオス1世即位。即位直後ササン朝に奪われたシリア・パレスチナ・エジプトを奪還するも、636年ヤルムーク河畔で正統カリフ・ウマル時代のイスラム軍に惨敗、以上三地域は完全に失われる。

テマ(軍管区)制開始。辺境軍を小アジアに撤退させ、軍管区を設定し、その長官に軍事権と行政権を兼任させた。一種の非常防衛体制であり、実施当初は各テマが半独立の形勢を示したが、8世紀から9世紀にかけてテマの分割・細分化や中央軍団の強化、テマ長官の入れ替え、任期・権限制限などで分権傾向は阻止される。

717~718年イサウリア朝創始者レオン3世がウマイヤ朝の首都包囲軍撃退。聖像禁止令発布。

息子のコンスタンティノス5世も禁止令徹底。後世「コプロニュムス(糞)」と呼ばれる。

751年イタリア支配の拠点ラヴェンナがランゴバルト族に奪われ、南端部を除きイタリアを放棄。

同751年カロリング朝成立、750年アッバース朝成立と合わせてローマ帝国の旧地中海世界が分裂した後、ビザンツ・イスラム・ヨーロッパの三極体制が固まる。

女帝エイレーネーが聖像崇拝復活。その治世にシャルルマーニュが戴冠。

802年ニケフォロス1世、クーデタでエイレーネー打倒。財政再建に成功、ギリシア地域を再征服、テマを設置しスラヴ化を阻止。ブルガリア人との戦いで敗死。

867年バシレイオス1世即位、マケドニア朝創始。

963年ニケフォロス2世フォーカス即位。クレタ・キプロス・アレッポ・アンティオキア征服。

969年ニケフォロスを暗殺してヨハネス1世ツィミスケス即位。パレスチナ遠征、イェルサレムに迫る。

(以上二者は実質簒奪者だが前皇妃や皇妹と結婚しマケドニア朝自体は存続。)

976~1025年バシレイオス2世。妹がギリシア正教に改宗したキエフ公国ウラジーミル1世と結婚。

第1次ブルガリア帝国を滅ぼす。「ブルガリア人殺し」との綽名。

貴族層を抑圧、皇帝権力拡張。著者はこのバシレイオス2世時代を、版図ではユスティニアヌス1世時代に及ばないものの、帝国の全盛期としている。

その後11世紀前半バシレイオスの姪ゾエとその配偶者をめぐって帝位争いが続く。

1071年マンツィケルト(マラーズギルド)の戦いでセルジューク朝に惨敗、ロマノス4世捕虜。

1081年アレクシオス1世即位、コムネノス朝成立。

貴族層と妥協、プロノイア制導入、ヴェネツィアに商業特権授与、第一回十字軍招聘。

子のヨハネス2世はアンティオキア再征服、孫のマヌエル1世はイタリア征服を目論み神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と対立。

1204年第四回十字軍、帝国の一時的滅亡。

ラスカリス家の亡命ニカイア帝国成立。

1261年摂政・共同皇帝となっていたミカエル・パライオロゴスがコンスタンティノープル奪回、ラスカリス家より簒奪、ミカエル8世として即位、パライオロゴス朝を開く。

仏王ルイ9世の弟で、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世死後のシチリア・ナポリを手に入れていたシャルル・ダンジューのラテン帝国復興の野望を「シチリアの晩鐘」反乱を支援して阻止。

第二代アンドロニコス2世と孫のアンドロニコス3世、および3世の息子ヨハネス5世と岳父ヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。

1453年帝国滅亡、最後の皇帝コンスタンティノス11世敗死。

11世の姪がモスクワ大公イヴァン3世と結婚。

ああ、疲れた。

個人的に記憶の補助にしようと書いた鶏ガラみたいなメモなので、他の方の役に立つことはあまりないでしょうが、本書を読んだあと以上の皇帝名を少しでも丸暗記しておくと、ギボンの『衰亡史』など、より詳細な通史を読む際、理解や記憶の助けにはなります。

本当は東欧・ロシア史の部分についてもノートを取ろうと思ったのですが、あまりに面倒臭いので止めときます。(追記:←と思ったのですが、個人的に一番重要で面白いと思った部分だけ下の方で簡略に書き留めています。)

ただ、極めて明快でわかりやすい叙述であるということだけは言っておきます。

東欧史の場合、時代によって各国の記述が一部飛び飛びに出てきて少しだけ読みにくさを感じるのが唯一の欠点ですが、高校世界史程度の読者が読むには最高レベルの通史となっています。

最終的にハプスブルク家領有となる、近世のハンガリーとボヘミアの王朝変遷が非常に詳しく記されていて、本当に役立つ。

(単行本の)387ページにある(近世の)「東欧諸国の歴代君主」は極めて貴重で有益。

これを見ながら本文を復習すれば鬼に金棒でしょう。

14世紀に中東欧各国でハンガリーのアールパード朝、ボヘミアのプシェミスル朝、ポーランドのピャスト朝という建国以来の民族王朝が断絶し、それぞれナポリ系アンジュー朝、ルクセンブルク朝、ヤギェウォ朝の外来王朝が支配する。

アンジュー朝ハンガリーのラヨシュ1世(大王)の死後、ジギスムントがハンガリー王位・ボヘミア王位、神聖ローマ帝位を占め一時ルクセンブルク朝が優位となる。

ジギスムント死後、娘婿のハプスブルク家のアルブレヒトがハンガリー・ボヘミア王位に就くが、これも二年後病死。

その後ハンガリー・ボヘミア両国でそれぞれマーチャーシュ1世(・コルヴィン)、イジー・ポディエブラディという民族王朝一代を挟んで、ポーランド・リトアニア王家であるヤギェウォ朝の君主が即位し、15世紀末から16世紀初めにかけての一時期中東欧四ヶ国全てがヤギェウォ朝の統治下におかれる。

しかし、1526年オスマン帝国とのモハーチの戦いでヤギェウォ朝ハンガリー王ラヨシュ2世(ボヘミア王としてはルドヴィク1世)が敗死し、婚姻関係から両国の王位は結局ハプスブルク家のフェルディナント1世に移る。

ロシア史も短いページ数ながら、非常によくまとまっている。

キエフ公国分裂後の盲点になりやすい部分も比較的丁寧に説明されていてとても良い。

この全集では、今のところ第3巻のインド史、第8巻のイスラム史と並んで面白い。

しかし、これまでの世界史全集で中心だった西ヨーロッパ史と中国史ではイマイチな巻が多いですね・・・・・・。

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石澤良昭 『アンコール・王たちの物語』 (NHKブックス)

前近代のカンボジア通史というのも、なかなか良いものがないなあと思っていたところ、これを見かけたので読んでみました。

「アンコール」とか「アンコール・ワット」とタイトルについている本だと、観光案内や美術史の記述ばかりだったりすることが多いですが、本書は一般の歴史書としての体裁を具えている。

各国王に触れる際、必ず彼らが築いた都城、寺院、バライ(国力の源である稲作用の巨大貯水池)について細々した説明がなされて、それがやや煩雑な印象を与えるが、そこら辺は軽く流して飛ばし読みでもいいでしょう。

まず紀元後1、2世紀に東南アジア最初の国家でもある扶南が成立。

6世紀末に真臘が成立。これが現在までのカンボジア国家の直接の起源とされているらしい。

ちなみに、この「真臘」って、高校世界史で出てくる歴史用語で多分一番書くのが難しい字でしょうね。

「薔薇戦争」はカタカナで書いてもOKでしょうから。

(それとも、エドワード6世の「一般祈禱(←祷の旧字)書」の方が難しいか?)

8世紀初めには北部の陸真臘と南部の水真臘に分裂。

ジャワのシャイレーンドラ朝(8世紀半ば~9世紀前半)が水真臘を影響下におく。

水真臘王族の一員だったジャヤヴァルマン2世が802年即位し、アンコール朝を樹立。

シャイレーンドラ朝の宗主権を否定、北征を行い国土統一。

宗教は土着信仰と混交したヒンドゥー教が主流。

仏教徒も存在したが、当時は現在と違って上座部仏教ではなく、大乗仏教だったらしい。

12世紀前半在位したスールヤヴァルマン2世がアンコール・ワット建設。

最初はヴィシュヌ派ヒンドゥー教寺院として建てられた。

恥ずかしながら、私はそういう基礎的知識からしてあやふやだった。

北宋および南宋に使節を派遣、李朝大越およびチャンパーと戦う。

1177年チャンパー軍がアンコールを急襲。

1181年ジャヤヴァルマン7世が即位、チャンパー軍を撃退。

都城アンコール・トム建設。

同王は個人としては大乗仏教徒だったが、国家儀礼は依然としてヒンドゥー教バラモンたちの手にあり、13世紀には反仏教運動が起こっている。

以後は衰退期となり、タイのアユタヤ朝(1350~1767年)に圧迫され、1431年頃アンコール都城は放棄され、1434年プノンペンへ遷都。

アンコール放棄によって普通アンコール朝の滅亡と見なされている模様。

他の多くの国王にも触れられており、巻末の「カンボジア古代・中世歴史年表」という非常に良くできた年表を見ながら復習すれば、歴代国王を暗記するのも不可能ではないと思われるが、とりあえず初心者は以上に挙げた3人の王名だけしっかり記憶すればいいでしょう。

内容はまあまあ。

アンコール朝以後からフランスによる保護国化までのカンボジア王国史やその時代の上座部仏教導入の経緯やらを書いてくれればもっと良かった。

ただ最初に書いたように、細かな建築・美術関係の記述はあまり拘らないで読めば、初心者にとっても有益な本だと思います。

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佐藤彰一 池上俊一 『西ヨーロッパ世界の形成 (世界の歴史10)』 (中央公論社)

目次見た瞬間、嫌な予感がしました。

中世ヨーロッパ史の巻ですが、全編通じて社会史・生活史・心性史で埋め尽くされている。

このシリーズでは多くの巻がそうですが、この巻ほど徹底されると唖然とする。

国家・民族を単位にして、支配階層が政治権力をめぐって惹き起こした事件のあれこれを叙述するだけの、視野の狭い通史はもはや書くべきではない、という意見には同意せざるを得ないが、本書のような記述は逆の極端に走っているように思えてならない。

とにかく、事件史的記述が何にも無い。

背景説明の一部以外で著名な歴史人物の名が出てくることもほとんど無い。

ここまでくるとある意味凄い。

文章はよく練られていて巧いと思うし、実際途中で挫折することなく、かなりのスピードで通読できた。

これは、しかし、細々した史実を他の本でマスターした人がざっと読んで視野を広げられる本であって、初心者が基礎固めのために読む本ではない。

旧版の掘米庸三『中世ヨーロッパ』も確かに社会史・生活史の記述が少なくなかったが、しかし政治史の概略を読者に伝えようという努力を放棄することなく、はるかに面白さを感じられる本だった。

本書では具体的史実に関してメモすべきことも無い。

著者の力量は認めるし、悪書とまでは言いません。

しかし率直に言って、読み終えた後、失望と徒労感を禁じ得ませんでした。

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西部邁 『思想史の相貌』 (徳間文庫)

『思想の英雄たち』(文芸春秋)の日本版みたいな本。

福沢諭吉から福田恆存まで、近代日本の13人の思想家批評集。

夏目漱石などの文学者や伊藤博文などの政治家も含む。

短いページながら、密度は非常に濃い。

興味が持てそうなら、一度お読みになるのも宜しいかと思います。

なお西部氏の最近の著作では、『日本国憲法を読む 上・下』(イプシロン出版企画)はお勧めです。

この方の本は大学時代以来相当読んでますが、高坂正堯氏と違って、反発を感じたり納得できなかったりしたことがよくありました。

そういう感じが薄れたり濃くなったりという状態だったのですが、上記の本は違和感を感じる部分がほとんど無く、非常にすっきりと得心できるものでした。

吉野が天皇主権を認め国民主権を拒絶したことをもって、民本主義と戦後民主主義のあいだの根本的差異とするのはいささか皮相の見方である。というより、そのようにして国民主権の想念にこだわるのが戦後民主主義の誤謬だというべきかもしれない。吉野は天皇主権を法の哲理として承認したが、それを政治の外部に追放することによって、主権の概念そのものを実質的に骨抜きにしてしまった。加えて、吉野は天皇の意志と国民の意志とが連絡し合っていると主張しているのであるから、抽象的かつ形式的なるものとしての天皇主権は、それを国民主権と呼び替えたとて、実質的にみて大した差はないということになる。いってみれば、天皇主権といい国民主権といい、象徴のレベルにあるにすぎないのである。

政治論として主権の概念に固執しなかったのは、吉野の先見の明である。どだい、主権なるものを政治の場において構想するのは馬鹿気ている。少なくともそれは近代の政治にはふさわしくない。なぜなら、主権とは「何ものによっても制限されることのない最高権力」のことであり、そんな凄い権力は、天皇という個人においてであれ、特権階級という少数者においてであれ、国民という多数者においてであれ、所有されてはいけないものなのだ。「無制限の権力」をもつことができるのは、ほとんど定義的に、完全無欠の人間のみである。神とかいうものは、たぶん完璧な存在なのであろうが、権力の神授説を否定したところに近代の政治がはじまったのだ。

デモクラシーにとって、主権の概念が不必要であるばかりでなく有害でもあることについては、H・ハートやF・ハイエクといった高名な法哲学者がとうに指摘している。日本の憲法学者は、ほかのことについては外国の言説の輸入業者よろしくやっているくせに、この主権無用(さらには有害)論については一言も紹介しない。その理由は簡単で、国民主権を事あるごとに繰り返すのが、日本の憲法学者の仕事であり、ハートやハイエクの説を広めようものなら、彼らは仕事にあぶれてしまうのである。吉野は天皇主権を棚上げすることを契機にして、主権概念そのものをデモクラシーの議論から放逐した、または遮断した。そこが民本主義の最も面白いところだと私は思う。

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講談社学術文庫新刊情報

明後日10日発売の講談社学術文庫新刊で、竹内弘行『十八史略』というのがあるようです。

これは・・・・1628円という定価からすると、解説書の類ではなく原本の訳書ではないかと思うのですが。(違ってたらすみません。)

近藤出版社という所から昔出ていた訳本の記事をこちらで書きましたが、新たな訳が手に入りやすい形で出されるのなら大歓迎です。

中国史を学ぶ上で、一番基礎的な部分を固めるための史話・挿話集として有益な古典なので。

なお、同じ講談社学術文庫の来月11月新刊では、大杉一雄『日米開戦への道 避戦への九つの選択肢 上』というのが出るようですが、これは間違いなく大杉一雄『真珠湾への道』(講談社)の分冊文庫化でしょう。

この『真珠湾への道』は、同じ大杉氏の『日中十五年戦争史』(中公新書)に比べると、史的解釈においてやや違和感を覚える部分が多かったのですが、史実の整理と配列に極めて秀でた本であり、初心者が力をつけるのに非常に適切で、やはり無視することはできない本です。

単行本は高いし、厚いし、重いし、手に入りにくいしでなかなか読むことは難しかったと思いますが、未読の方はこの機会に手にとってみられては如何でしょうか。

案内には、他に11月の同時発売として浜林正夫『世界史再入門 歴史のながれと日本の位置を見直す』と網野善彦『日本の歴史(00)』および岡村道雄『同(01)』が載っていました。

前者はタイトルだけじゃ何とも言えませんね。

ありきたりの駄本じゃなく、とんでもない当たりであることを望みますが。

後者は5、6年前に刊行されていた講談社の日本史全集の文庫化ですね。

恥を忍んで言いますと、わたくし、網野善彦氏のような超有名人の本すら一冊も読んだことありません。

これを機会に読むべきなんでしょうか。

しかし・・・・・やる気でないなあ・・・・・・。

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杉山正明 北川誠一 『大モンゴルの時代 (世界の歴史9)』 (中央公論社)

「モンゴル大好き」杉山正明先生の巻。

『遊牧民から見た世界史』を途中で投げ出して以来、杉山先生がどういう主張をお持ちなのかよく知っているので、かなり覚悟して読み始める。

これが、意外や意外、かなり面白い。

第1部が杉山氏執筆で、モンゴル史全般と元朝(大元ウルス)の興亡が範囲。

第2部が北川氏執筆で、イスラム世界のモンゴル史。

第1部では、スケールの大きな歴史の捉え方が叙述され、大いに興味を持たせる。

その過程で、これまでの通念を覆す説明が多くなされる。

モンゴル帝国と同時期のペルシア語史料では君主号としての「カアン」と「カン」は明確に区別されており、それを無視して何でも「ハーン」と記述する研究者は自らの無知を暴露しているとか、「蒙古・色目・漢人・南人」の階層制を特徴とする「モンゴル人第一主義」などは誇張もいいところだとか、バトゥの西征はロシア・東欧遠征というより、その手前のキプチャク草原を支配していたトルコ系遊牧民キプチャク族(クマン族)を標的にしていたのであって、ワールシュタットの戦いをさも大事件のように歴史教科書の中で特筆大書するのは悪しきヨーロッパ中心主義だとか、モンゴル帝国は世界規模のゆるやかな連邦的存在であり、「四ハーン国への分裂」という言い方は実態に即していないとか、等々。

チマチマした社会史的記述にややウンザリしていたので、こういう斬新な視点が非常に楽しく、知らず知らずページをめくるスピードが速くなる。

しかし、気になる点もやはり残る。

中華思想の裏返しのような、モンゴルおよび遊牧民勢力の美化・理想化、漢民族王朝敵視と感じられるような記述がちらほら。

南宋や前期の明王朝などは極めて批判的に叙述され、一部の口調はほとんど罵倒に近いといっても過言ではなく、「ここまで断言して大丈夫か」と思うほど。

具体的な名前を出しているのではないですが、漢文史料しか読まない中国史研究者をはじめとする他の歴史学者への嘲笑的批判も多い。

一箇所だけ名を挙げて批判している相手がブローデルとマクニールなのに驚く。

マクニールが、黒死病(ペスト)はモンゴルの活動によって広まったと書いている(私自身は未読ですが、『疫病と世界史 上・下』(中公文庫)にたぶんそういう記述があるんでしょう)ことに根拠が無いと反論して、えらく手厳しくその歴史家としての欠点を指摘している。

第1部は、まあ良くも悪くも躍動感があって思い切った叙述。

第2部に入ると、かなりダレる。

まず最初に、チンギス・ハンの征服があまりに大きな衝撃であったので、以後の中央アジア遊牧民の最高統治者の条件としてチンギス家の男系子孫であることを最重視する観念が形成されたことが述べられる。(これは宮脇淳子『最後の遊牧帝国ジューンガル部の興亡』(講談社選書メチエ)でも繰り返し論じられるテーマである。)

最初は「テングリ(天)」崇拝とシャーマニズム信仰、後にはイスラム教によって、その観念が支えられた事実を、ラシード・ウッディーンの『集史』や『元朝秘史』、各種の伝承の翻訳を交えて長々語られるのだが、正直これに一章費やされると辛い。

次に、キプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国のイスラムへの改宗を叙述。

イル・ハン国がガザン・ハンの治世に改宗したというのは高校世界史でも必ず暗記しなければならない重要事項だが、他のハン国の改宗過程というのは全く未知であり、その意味で興味はある。

しかしゴチャゴチャと煩瑣な記述で、どうにも面白くない。

キプチャク・ハン国のイスラム化の画期となったのが、ウズベク・ハンの治世であり、後にティムール朝を滅ぼすウズベク人は彼に因んで名付けられたという説があることだけ頭に入った。

驚いたことに、2002年版の『世界史B用語集』(山川出版社)で確認したら、このウズベク・ハンって載ってますね。

私の頃の高校世界史では全く聞かない人名でしたが。

しかし、イル・ハン国自体の記述がほとんどゼロなのは、どうした訳でしょう・・・・・?

教科書的記述ではティムール自身がチンギス・ハンの子孫を名乗ったということになっているが(←今の教科書だと違うかもしれません)、本書ではティムールがチンギス家の男系子孫を名目上のハンに立て、自らはアミール(将軍)とキュレゲン(婿)とだけ称した史実を記して、上記の「チンギス家への王権神授説」の根強さを説明している。

モンゴル勢力が膨張するにつれ、そのイスラム化、トルコ化が著しいが、モンゴルとトルコの関係についての記述が続く。

もともとモンゴル人とトルコ人は同じアルタイ語族であり、チンギス・ハンの配下にあった部族のうち、ケレイト、ナイマン、オングトはトルコ系である。

それでチンギス・ハンの大征服の後、被征服者のトルコ系遊牧民が自らの祖先伝承の中にモンゴルとの関係を加えて支配民族への加入や独立の根拠にしたりした。

そういう視点から、イル・ハン国滅亡後に出現したトルコ系王朝である、イラン西部とイラクのカラ・コユンル朝とイラク北部とアナトリア西部のアク・コユンル朝の父祖伝承を検討しているのだが、ややこしいだけで面白くない。

ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)を源流として、シャイバーニー朝(それから分離したカザフ族)、クリム・ハン国、カザン・ハン国、アストラハン・ハン国、シベリア・ハン国、ボハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国が生まれ、これらの国は後にほとんどロシアに併合されることになるが、この辺も説明不足気味。

そもそもこれらの王朝は高校レベルでは名前すら出ないものもあるのに、父祖伝承の翻訳や検討に紙数を割きすぎて、基本的史実の説明が疎かになっている。

あまりにもバランスが悪い。

こういうのは編集者が「いや先生、これはちょっと困ります」とキチンと止めてもらいたい。

自分の研究分野や興味のあるテーマについて少々噛み砕いて書くだけでいいだろうと構えて、該当地域・時代の歴史の網羅性を無視するのは如何なもんでしょうか。

もう少し初心者の目線に立って、基礎重視の親切な叙述に徹してもらいたいもんです。

結論。第1部は異様にクセがあるが、まあ面白い。第2部は記述の形式に偏りがあって到底初心者向けとは言い難い。

前にも書きましたが、著者間での意思の統一と編集権の貫徹によって、平易で面白い物語的史書の全集ができないもんかなと考えてしまいます。

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中谷臣 『センター世界史B各駅停車』 (パレード)

受験参考書も久しぶりですねえ。

発行がパレード、発売は星雲社。

センター試験対策用の基礎重視の参考書。

本書の長所は、民族・王朝の盛衰に関する単純化されたイメージ図を多用して、各地域の大まかな流れを初心者が明快に捉えられるようにしてくれているところ。

漫然とした説明が淡々と進むのではなく、以上の図式や歴史人物の似顔絵イラスト、本文の理解に不可欠な簡易歴史地図、正誤問題で問われるややこしい部分の明示、駄洒落も使った暗記方法など、できるだけ読者の記憶に残りやすいような工夫が多くなされている。

受験生だけでなく、社会人が世界史を学びなおす際、有益と言える本。

一度大型書店の参考書コーナーでご覧下さい。

なお、著者のHPのこちらで一部試し読みができるようですから、それを見て買うかどうか決めてもよいでしょう。

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北岡伸一 『清沢洌 増補版』 (中公新書)

久しく「近代日本」カテゴリに追加してないなあと思ったので、これを通読。

タイトルは「きよさわ きよし」と読みます。

戦前活躍し、終戦間際に病死した、自由主義的・国際協調主義的な外交評論家の評伝。

矯激な世論と時流に抗し、自らの信念に忠実に奮闘した生涯を描いている。

常に在野にあって、政府の公職とは無縁の人物ではあるが、その外交評論をたどることで当時の世界情勢と日本外交の焦点を明快に知ることができる。

個人としても単純な枠に収まらない多面的な人物像が非常に興味深い。

対米英協調を常に主張しながらも、時にアメリカ・イギリスへの鋭い批判や自国擁護を見せる部分が強い印象を与える。

これはかなり面白い。

文章も巧いし、スラスラ読めて、昭和前期の政治外交史の復習ができる。

細かな記述については、以下一点だけ引用しておきます。

(1938年11月、日中戦争の膠着状態の中、出された「東亜新秩序」を目指すとする第二次近衛声明を批判して)

清沢はこのような外交はとくにアメリカに対して不適当だと考えた。清沢はアメリカ外交の最大の特徴は、完全な「外交権」を持った主体が存在しないことであると考えていた。大統領は上院の強い制約を受けるし、上院の権限もまた完全ではない、強いて言えば「米国外交の中枢は実体のない『世論』である」というのが、清沢の理解であった・・・・・。対米外交における世論重視の必要性は、ロンドン海軍軍縮会議や満州事変、上海事変に関係して、清沢がすでに説いていたところであった。ところがこの世論なるものは、単純明快な原則を理解することは出来るが、具体的な細目までは容易に理解しえない、しかも皮肉なことにアメリカは中国において顕著な権益を持っていないので、具体的な問題で日本がアメリカ世論の目にとまるほど顕著な譲歩をすることは不可能であった。政治的経験に富む宇垣が原則にはふれないで事実問題で折り合おうとしたのと対照的に、近衛と有田が原則――それも内容空疎な――で対決し、しかるのちに細部で譲歩を考えることは、イギリス相手ならともかく、アメリカ相手ではとくに拙劣なやり方であると清沢は嘆いた・・・・・。

はたしてアメリカは、十一月の有田外相の回答に対して慎重に検討を加えた結果、十二月三十日、主権に属さない地域における「新秩序」の形成を指示する権利はいかなる国にもないとして、従来にない激しい言葉を用いて抗議を寄せた。しかもこれに先立って、同月、アメリカは中国に二五〇〇万ドルの商業信用を供与することを発表した。これは事実上の借款の供与であって、一九三七年の中立法との関係で問題のある行為であった。つまり、東亜新秩序声明によって主義上の正面衝突が明らかとなった段階で、アメリカは中国援助の方針に踏み切ったのであった。しかもその翌月、昭和十四年一月には、イギリスもアメリカにならって、輸出信用の拡大によって中国に対する事実上の借款供与に踏み切った。前年中は日本に対して宥和的であったイギリスが、こうしてアメリカと提携して中国援助に乗り出した点でも、アメリカの十三年末の新政策は重要であった。

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