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南東欧諸国史概略

先日の中公新版11巻『ビザンツとスラヴ』がとても面白かったので、東欧とロシア部分の細かな抜き書きを作ろうとしたのですが、非常に苦しい・・・・・・。

読書ノートは作らず、本に書き込みや線引きをしろと言う方の意見がよくわかります。

南スラヴを中心とした南東欧地域・バルカン半島の民族のところだけは以下何とか書き留めました。

あとフィンランド・エストニアと共に非印欧系のウラル語族に属するハンガリーの存在によって、南スラヴと地域的に分けられているポーランド・チェコ・スロヴァキアの西スラヴ、および東スラヴのロシア・ウクライナ・べラルーシが残っているわけですが、ひとまずこれだけにしておきます。

ブルガリア

トルコ系遊牧民ブルガール族がバルカン侵入後に同化しスラヴ化。南スラヴの一員となる。

680年頃アスパルフ・ハン(君主号がハンなのがいかにもアジア系という感じです)がビザンツ帝国と和約を結び、帝国領内への居住を認められる。

864(または865)年ボリス1世がキリスト教に改宗。

「スラヴ人の使途」キュリロス招聘。キュリロスはスラヴ文字(のちに改良されてキリル文字=現在のロシア文字)を作成し、聖書や典礼もスラヴ語に翻訳。

ボリス王の子シメオン1世がビザンツに攻勢を強め領土拡張、第1次ブルガリア帝国確立。

マジャール族の攻撃を退け、マジャールは西走、パンノニアに定着。

シメオン死後、ビザンツとキエフ・ルーシに挟撃され衰退。

1018年バシレイオス2世によって第1次帝国は滅亡。

1185年セルジューク朝とノルマン人によって東西から攻撃され弱体化したビザンツに対して反乱が起こされ、第2次ブルガリア帝国成立(二年後ビザンツも独立承認)。

イヴァン・アッセン2世時代(1218~41年)に最盛期。

以後バルカン半島の主導権はセルビアに移る。

モンゴルの侵攻を受け、13世紀後半にはキプチャク・ハン国に従属。

1393年オスマン朝のバヤジット1世によって首都陥落。

セルビア

南スラヴで最大グループ。

7世紀頃からバルカンに姿を現すが、分裂状態が続きビザンツとブルガリアの争奪戦の対象となる。

9世紀後半頃ギリシア正教への帰属確定。

1171年頃ステファン・ネマニャが国家樹立(ネマニィチないしネマニャ朝)。

1331~55年ステファン・ドゥシャン王時代に最盛期(←この王名が『世界史用語集』に頻度1とは言え、載っていたのには驚いた)。

その死後、諸公国に分裂。

1389年コソヴォでオスマン・トルコに敗北。

1459年に最終的滅亡。

スロヴェニア

南スラヴ人のなかで最も北西寄りに定住。

アヴァール、バイエルン、フランク支配を経る中で、一貫して西方カトリック教会に所属。

ボヘミアのオタカール2世が一時支配するが、以後ハプスブルク家統治下へ。

近代に至るまで独自の国家を形成することが無かった。

クロアチア

スロヴェニア人の東と南側に定住。

9世紀初頭頃、公によって統一。

フランクとビザンツとの間で揺れ動くが、最終的には西方教会へ帰属。

10世紀以降のヴェネツィアの間接支配を経て、12世紀初めハンガリー王の支配下に入り、以後第一次世界大戦までその結びつきが続く。

ルーマニア

ローマ化したダキア人を祖とする、非スラヴ系民族(異説あり)。

建国は遅く、13世紀末から14世紀初めにかけてワラキア公国成立。

14世紀末に進出してきたオスマン帝国と戦う(吸血鬼ドラキュラのモデル、ヴラド串刺公など)。

14世紀建国のモルダヴィア公国と共に、オスマン朝に貢納。

トルコの統治は間接支配に止まり、他のバルカン国家と違って貴族層が消滅させられなかったので、民族の独自性をよく守ることができた。

1859年ワラキア、モルダヴィアが統一、ルーマニア公国となり、1878年サン・ステファノ条約で独立達成。

アルバニア

ルーマニア人と同じく非スラヴ系。印欧語族の中で独立の一派を成すイリュリア人が祖。

ビザンツ支配を経て、スラヴ人侵入の際は山岳地帯に移住、11世紀頃再登場。

15世紀中頃スカンデルベク公の下に統一、オスマン朝に対してよく戦うが、その後服属。

1912年第一次バルカン戦争時に独立。

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