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油井大三郎 古田元夫 『第二次世界大戦から米ソ対立へ (世界の歴史28)』 (中央公論社)

1939年第二次世界大戦開戦から1960年代初頭辺りまでが対象範囲。

ただし終章のヴェトナム戦争の項は1975年の戦争終結まで扱われている。

本書のように1945年で区切らずその前後を通して記述するというのは、最近の本では珍しくないんですかね?

私の場合、感覚が古いせいか、何か違和感があるんですが。

叙述の質自体はまたもや普通です。

取り立てて言うべき長所も無いかわり、大きな欠点も無いといった感じ。

戦中期を扱った前半より、戦後期の後半の方がやや面白いが、話があちこちに飛ぶので、年代をある程度把握していない人は少し混乱するのではないかと思った。

個々の記述では興味深い点があるのに(例えば古田氏[『ホー・チミン』(岩波書店)の著者]が書いたヴェトナム戦争史など)、少々まとまりに欠けるという印象を与えるのが残念。

戦後の国際政治史はわりと得意なので(あくまで他の分野に比べればの話ですが)、やや物足りないし、もうちょっと明解で突っ込んだ記述にならないものかなあと思ってしまった。

以下、瑣末な事項ばかりですが、個人的にメモしておきたいことの羅列です。

1943年ムッソリーニ失脚後のバドリオ政権に対し、自由党・キリスト教民主党・共産党・社会党などレジスタンス勢力の国民解放委員会は一時不承認政策を取り、ムッソリーニが北部で組織した「イタリア社会共和国」と並んで三つの政治勢力が分立した状態になる。

44年3月にモスクワと共産党指導者トリアッティが統一戦線方式を提唱して、バドリオ政権が国民解放委員会代表を含む形で改組された。

6月に米英軍がローマを占領し、国民解放委員会主導のボノーミ政権樹立。

(この辺の経緯はロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』(中央公論新社)に載っているはずだが、ほぼ忘れていた。)

インドネシアの対蘭独立戦争の最中、1948年9月元首相のシャリフディンと共産党指導者のムソが率いる左派系組織「人民民主戦線」が、ジャワ島東部マディウンでスカルノ率いる中央政府に対して反乱を起こす。

このマディウン蜂起は中央政府に鎮圧されるが、これがアメリカにインドネシア独立運動の「容共性」の疑念を晴らすという意外な働きをし、その後国連で独立支持の決議が採択され、49年12月のハーグ協定で独立承認となる。

なお1948年にはマラヤ・ビルマ・フィリピンなど他のアジア地域でも共産党が他の民族主義勢力から離れて武装闘争路線に入ったが、これについて2月インドのカルカッタで開かれた共産党系の青年組織会議でソ連からの指令があったとの説が有力で、そういう話は高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)はじめ、いろいろな本に出てくる。

同48年のチェコ・クーデタ、ユーゴスラヴィアのコミンフォルム追放、ベルリン封鎖などと連携したソ連の攻勢の一環と思われるが、本書では「最近では、この説の信憑性は疑われている」としているが、論拠が書いてない。

ソ連崩壊後の文書公開でもその手の指令が見つからなかったとか、そういうことでしょうか?

インドネシアとは対照的に対仏闘争を行うヴェトナム民主共和国を、アメリカは強い疑念を持って見ていた。

「自由タイ」勢力が政府を組織していたタイは一時フランス復帰に反対する北ヴェトナムに同情的でバンコクに代表部設置を許可していたが、47年ピブン派軍人のクーデタが起きると反共政策に舵を取り、関係が悪化(村嶋英治『ピブーン』(岩波書店)参照)。

1960年コンゴ動乱で一時分離独立したカタンガ州は南部にあることを確認。

ちょっと詳しい本ならこの地名は必ず出てくるのに、地図がなかなか載ってないんですよねえ。

後半部に入ると、新たな知識や視点を得ることができてなかなか良いです。

生意気な言い方ですが、このシリーズの平均点はクリアしてると思います。

さて、本年もこれで最後です。

年が明けても、もうしばらくの間、今くらいのペースで更新を続けたいと思っておりますので、よろしければお付き合い下さい。

それではよいお年を。

(追記:本記事もいつも通り午前6時に更新されるよう設定してあったのですが、昼前の時点で反映されていないようでしたので、手動で更新しました。以前もこういう現象がありましたので、しばらく更新時間が不規則になるかもしれません。)

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狭間直樹 長崎暢子 『自立へ向かうアジア (世界の歴史27)』 (中央公論新社)

20世紀以降の民族独立史。

タイトルに「アジア」とあるが、記述対象は第1部の中国と第2部のインドだけ。

目次見た途端にガックリきました。

この全集も残り3巻ですが、以後は国際関係の概説だけのようだし、中印以外のアジア・アフリカ諸国の詳しい独立史が記されているとも思えない。

地域ごとの巻でも、19・20世紀の歴史についてはそれほど細かな記述は無かった気がする。

この中公新版は巻数が多い分、世界史のほとんどの地域と時代をカバーしているという印象があったのですが、何やら必ずしもそうとは言えないのではないかという疑念が頭をもたげてきます。

変なところで昔ながらの世界史全集に見られた主要国中心主義のケがありますね。

気乗りしないまま第1部の中国現代史を読み始めたのですが、うーん・・・・・と首を傾げてしまう。

近現代史に関して右とか左とかいう鬱陶しい話は出来るだけしない方がいいんでしょうし、ちょっとでも左派的なことを書いてたら無条件でダメだなんて偏狭なことを言うつもりは毛頭無いんですが(恥ずかしながら以前そう考えていたことがあったのです)、本書の記述にはやはりある種の「硬直」や固定観念を感じる。

辛亥革命から日本の敗戦までの主要史実をコンパクトにまとめてあるところは長所と言えるのかもしれませんが、史実の評価や整理の仕方に関しては斬新で感心するような新たな視点はほとんど無いと言わざるを得ない。

10年前ならこれが平均的記述というところだったんでしょうし、今世間で溢れている単純で偏狭な反中国世論に基いて再解釈された歴史が正しいとも思いませんが、個人的にはやはりちょっとついて行けない部分が多かった。

第2部のインド独立史に入っても、どうももう一つ。

長崎氏は『インド大反乱1857年』の著者で高名なインド研究者なんでしょうが、あんまり面白いと思わない。

ただ、他の概説でも植民地化以後のインド史にはあまり興味が持てず、面白く読んだ覚えが無いので、単に私個人の問題かもしれませんが。

僭越ながら正直な感想を言わせて頂くと、残念ながらこの巻はハズレです。

あんまり得たものはありませんでした。

この全集を通して読む場合、避けてとばすほど悪いとは思いませんが、20世紀前半の中国史、インド史を知るためにわざわざこれを選ぶ必要も無いのではないかと言わざるを得ない。

まあ自分の無知を棚に上げて本の悪口言うのが大好きな私ですから、話半分に聞いて下さい。

当たり前過ぎますが、最終的には皆様が読んでご判断下さい。

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木村靖二 柴宜弘 長沼秀世 『世界大戦と現代文化の開幕 (世界の歴史26)』 (中央公論社)

両大戦間の米英仏独ソ各国史を中心にした概説。

第1部が第一次世界大戦とその余波、第2部が1920年代、第3部が30年代で末尾は第二次大戦開戦まで。

対象とする時期自体はさほど長くなくとも、極めて密度の濃い重要な時代なので、扱うべき事項が多く、厚さは普通なのに全部で17章もある。

その分1章ごとのページ数は少ないが、これを読みやすいと見るべきか、内容が薄いと見るべきか。

読み始めてみると、最初の方はあまり詳しくもなく、どうも漫然とした記述が続くだけのように思えて、もう一つである。

しかし、途中から最近の研究成果に基いた史実の新たな見方を紹介してくれる文章が増えて、割と面白くなってきた。

特にナチ体制の実像を叙述した章はなかなか。

第二次大戦へと向かう外交史も宥和政策の評価などが興味深いし、挿入される個々のエピソードも印象的で歴史の流れを記憶する助けになる。

後になればなるほど良い。

非常に楽にページを手繰ることができ、休日に部屋で寝転がりながら眺めてたら土日の二日で読めました。

しかし、記述が必ずしも時系列順になっておらず、話の配列が上手くないような感がするのは気のせいでしょうか。

読後感は比較的良好なのですが、教科書レベルの次に即読むべき本かというと迷ってしまう。

内容に時代遅れの面があっても、個人的にこの時代の概説としては、まず文春大世界史シリーズの林健太郎『二つの大戦の谷間』野田宣雄『ヒトラーの時代』を推奨したい。

「こんな骨董品勧めるなよ」と言われるでしょうが、高校世界史に毛が生えた程度の初心者(つまり私)のための啓蒙書という観点からすれば、この二書の完成度は本当にただごとではないです。

まずこれらを読んだ後、本書に取り組めばより多くのものを得られると思います。

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加藤祐三 川北稔 『アジアと欧米世界 (世界の歴史25)』 (中央公論社)

タイトルを見て、主に19世紀におけるアジアの植民地化の歴史をざっと叙述する本なんだろうなあと思って目次を眺めたら、何やら様子が違う。

広く近代以降のアジアと欧米諸国との貿易や国際関係について概観する内容らしく、「そういうテーマ史だけで一巻費やすの?」と奇異の念に捕われる。

ギリシア・ローマ史のように明らかなページ数不足と思われる地域と時代もかなりあるのに、この配分は、意気込みは買うにしてもやはりちょっと変じゃないかと言いたくなる。

そういうモヤモヤした気持ちを抱えながら読み始めたが、最初の二章は特に悪くもないが、大して面白くもない。

「こりゃやっぱりハズレかな」と思いながら、川北氏(『砂糖の世界史』の著者)執筆の第3章以降に入ると、印象が全く一変する。

極めて良質で有益な経済史。

「近代世界システム」、「17世紀の危機」、「ジェントルマン資本主義」などの用語を極めて平易に説明してくれている。

大航海時代以降、世界規模の貿易システムが展開した後、ヨーロッパの生活革命に連動して貿易構造が変化し、それが覇権国の盛衰を引き起こす様を、まるで手に取るようにわかりやすく理解させてくれる。

私は他の概説書で、これほど面白い経済史を読んだことがない。

素晴らしい。傑作。

上記『砂糖の世界史』を読むより、少々手間でも本書を読んだ方がはるかに良いと思う。

これには本当に感心させられました。

川北氏の担当章が終わると、加藤氏には申し訳ないのですが、かなりテンションが下がります。

しかし「拙著『イギリスとアジア』(一九八〇年)」という言葉を見て、「えっ」となる。

私は未読ですが、このタイトルの岩波新書はかなり前から知ってましたし、結構有名ですよね。(追記:←と、最初にこの記事を書いたときには思ったのですが、ひょっとして『イギリスと日本』と勘違いしていたんではないかと、読み返して気付きました。)

調子が良過ぎるかもしれませんが、それを知ると、何か前半の文章よりかは面白いと思えるようになった。

日本の開国を扱った章では、幕府の外交をその当時としては最善に近いものだったとして高く評価しているのが印象的。

最初と最後はもう一つですが、中盤は非常に面白くてためになる。

相変わらず自分の第一印象は当てにならんなと反省させられました。

あと、最後の参考文献欄と年表を眺めていて思ったことを書きます。

この巻だけじゃなく中公新版の全集すべてに当てはまるのですが、参考文献がただ並べてあるだけで、著者のコメントが一切付いていないのが非常に残念です。

講談社旧版の全集ではコメントが付されており、これがものすごく助かる。

各書の特徴や難易度、適切な用途など、ごく簡略に一言二言書かれているだけでも初心者にとっては極めて有益で参考になるんですが。

それと年表があまり役に立たないことが多い。

ほとんどの巻で上段が主要対象地域、中段がその他の地域、下段が同時代の日本という構成で、特色が無い。

狭いスペースで無理に同時代の事項を付け加えているので、肝心の主要史実の年表はただ漫然と並べてあるだけという感じになってる。

もうちょっと工夫してわかりやすく有益なものに出来ないでしょうか。

一般向け啓蒙書として、そういう行き届いた配慮があればなお良かったのにと思ってしまいました。

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福井勝義 赤阪賢 大塚和夫 『アフリカの民族と社会 (世界の歴史24)』 (中央公論社)

私にとって四冊目のアフリカ史。

3部構成で、第1部が人類学や民族学の視点から見た概説。

アフリカの多くの地域が無文字社会だったのだから、こういう記述が多いのも仕方ないが、これを面白く読めるかというと、私の能力では無理としかいいようがない。

言語による民族分類が載っていたので、それをメモ。

1.ニジェール・コンゴ語族

アフリカ全言語の三分の二が属する。そのうち最大のグループがバントゥー諸語。

カメルーンとナイジェリア国境辺りから東部および南部の広範囲に広がる。

ケニアのキクユ語、ウガンダのガンダ語、南アフリカのズールー語も含む。

東アフリカのスワヒリ語もバントゥー語にアラビア語の語彙が多く入って形成されたもの。

2.ナイル・サハラ語族

ソンガイ語、マーサイ語、カヌリ語(ボルヌ・カネム王国の言語)など。

3.アフロ・アジア語族。

かつての「ハム・セム語」。アラビア語、エチオピアのアムハラ語、古代エジプト語、ベルベル語群など。

4.コイサン語族。

かつての「ホッテントットおよびブッシュマン語」。ナミビアのナマ語を除けば消滅途上にある。

あと、第1部では133ページの現代アフリカ地図をじーっと眺めて、できるだけ多くの国名を頭に入れる。

白地図で正確な位置を示せなくても、国名を聞いて東西南北、中央のどの地域にある国か、大体でいいから言えるようになりたい。

第2部に入ると、普通の通史。

本文を読み進める途中で、164ページの王国分布図に面倒くさがらずに立ち返り、ごく大まかな位置関係を確認した方がよい。

高校教科書で必ず出てくる王国はクシュ、アクスム、ガーナ、マリ、ソンガイ、モノモタパの六つだけだが、本書ではその他にアシャンティ、ダオメー、ヨルバ、ハウサ、カネム・ボルヌ、エチオピア、ガンダ、コンゴ、ズールーあたりを押さえておきたい。

位置関係の他にできれば大体の存続期間も頭に浮かぶようになればなおよい。

ヨーロッパ勢力が進出し始めた15・16世紀以降に繁栄した国も結構あることにご注意。

第3部はイスラム・アフリカ史。

イスラム改革・復古運動の記述が多く、やたら細かい人名・地名・教団名が出てくるので読むのが疲れる。

時々ムハンマド・アフマドとかサモリ・トゥーレとか知っている名前が出てくるが、読み通すのにやや苦労することに変わりなし。

細かな部分は無理に覚えようとしなくてもいいでしょう。

ただリビア独立時の王朝のイドリス朝がその手のイスラム改革教団から生まれたものだということは記憶に留め置いた。

その他、1147年ムワッヒド朝滅亡後のマグリブ地域で、モロッコのマリーン朝、アルジェリアのザイヤーン朝、チュニジアのハフス朝という三つの王朝が成立したことをメモ。

モロッコのマリーン朝は15世紀半ばにワッタース朝に取って代わられ、スペイン・ポルトガルの進出にワッタース朝が有効に対抗できないうちに、さらにサアド朝に倒された。

ガーナ王国がムラービト朝に滅ぼされたことは高校教科書にも載っているが、後継国家のマリ王国とソンガイ王国の衰亡もこのサアド朝モロッコの攻撃が原因になっている。

サアド朝は1659年アラウィー朝に倒され、このアラウィー朝系統の王家が現在でもモロッコで王制を敷いている。

第1部と第3部がもう一つといった感じですが、第2部はコンパクトにまとまってよく出来ていると思うし、『新書アフリカ史』に取り組む前の予習として使えば、有益と言えるのかもしれません。

まあまあの内容を持つ本じゃないでしょうかね。

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紀平英作 亀井俊介 『アメリカ合衆国の膨張 (世界の歴史23)』 (中央公論社)

19世紀初頭からウィルソン政権までのアメリカ史。

通常の政治史は最初から三分の二だけで、残り三分の一が文化史に当てられているのがいかにも今風の概説です。

前半部では、政治構造の変遷を中央政府と州の関係や、経済・社会の動き、奴隷制度をめぐる論争などと絡めながら、比較的わかりやすく説明している。

ただ必ずしも大統領の任期ごとにまとめられたものではないので、ビアード『アメリカ政党史』の記事で書いたような歴代大統領の一覧を手元に置いて参照した方がよい。

文化史の章は、エマーソン、ソロー、ホーソン、メルヴィル、ホイットマンなどの文学者だけを取り上げたものではなく、エンタテイメント的な大衆娯楽や技術史、風俗史なども含めた多彩な内容。

楽に読めて、特に違和感を覚える部分も無い。

しかし個人的には何か感銘を受けるほどでもない。

書くことが無くて困ります。

まあ普通の概説ということで。

個々の史実に深入りしないのがやや物足りないし、登場人物の描写にもう一つ面白みが無かったような気がしないでもない。

これも無いものねだりかもしれませんけど。

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谷川稔 北原敦 鈴木健夫 村岡健次 『近代ヨーロッパの情熱と苦悩 (世界の歴史22)』 (中央公論社)

19世紀ヨーロッパ史の巻。

第1部がフランス・ドイツ史、第2部がイタリア史、第3部がロシア史、第4部がイギリス史という構成。

こう書くと、いかにも大国中心の偏った記述とも思われるが、実際この時代の主要な史実はほとんど上の五か国の歴史の中に収まってしまうのだからしょうがない。

この時代のスペイン・ポルトガル・オランダ・北欧諸国などの歴史を同じ密度で叙述するのは不可能だしその意味も無いと思うので、これでいいと割り切る。

それにスペイン立憲運動やベルギー独立などの重要史実は一応触れられているので、問題無い。

さて、肝心の内容ですが、かなり良くできていると思われます。

事実関係でそれほど詳細な記述は少ないですが、要領がよく流れるような説明ですっきりと頭が整理されます。

しばしば通説と異なった史的解釈が記され、それが非常に興味をかき立てて面白い。

「従来はこう考えられてきたが、最近の学説ではこうだ」という形で、読者に斬新な視点を平易に持たせてくれる。

特に第1部と第4部にはそれを感じる。

以下、脈絡の無いメモと感想。

第1部では、フランス革命とその反作用として生じたドイツ・ナショナリズムの双方に冷ややかな視線を向けるゲーテや、自身が最も愛着を持つプロイセンの伝統が統一ドイツに吸収・消滅させられることを恐れて、皇帝即位を忌避し泣き崩れるヴィルヘルム1世などの描写が非常に興味深い。

歴史の多面的な見方を教えてくれる良質な文章。

なお、ゴーロ・マン『近代ドイツ史』からの引用がしばしば載ってますが、この本は絶対に読むべき傑作です。

セバスティアン・ハフナーの『ドイツ帝国の興亡』『プロイセンの歴史』も是非参照して下さい。

第2部について、マックス・ガロ『イタリアか、死か』の記事で教皇領の北側三分の二が普仏戦争を待たずに併合されてるようだと書いたが、やはり1860年ガリバルディのシチリア・ナポリ征服直後に教会国家のマルケとウンブリアの二地域が住民投票を経て併合されたと簡単に書いてあった。

第3部では書くべきことは特に無いが、過去の帝政ロシアでの上からの改革の再評価や農村共同体(ミール)の認識と評価の変遷などが面白かった。

第4部、まず19世紀イギリスでの地主階級の優越が語られる。

地主階級は爵位を持つ貴族とそれを持たないジェントリに分かれ、ジェントリのうちには准男爵・騎士爵の保有者があり、それ以外のジェントリがエスクワイア(スクァイア)と呼ばれる(このスクァイアという言葉は確かアンドレ・モロワ『英国史』に頻出したはずだから、それを読む際覚えておいたほうが良い)。

産業革命によって台頭した中流階級は地主階級を敵視し打倒しようとするのではなく、彼らに強い憧れを持ち自らもそれと同化しようとする。

この上流階級の融合が社会の安定と保守的漸進的改革を可能にし、その意味ではイギリスにはブルジョワ革命は起こらなかったと書かれているのが興味深い。

あと、本文ではなくヴィクトリア女王の肖像画下の説明で、女王即位とともにジョージ1世以来のイギリスとハノーヴァーとの同君連合が終わったと書かれている。

これは高校世界史の範囲外なので、私はモロワの『英国史』を読むまで知らなかった。

女王即位から約30年後、普墺戦争でハノーヴァーはプロイセンに併合されるが、この時まで同君連合が続いていたらどうなっていたか、想像するとなかなか面白い。

本巻は極めて良好な出来だと思います。

個人的評価としてはイギリス史>フランス・ドイツ史>ロシア史>イタリア史といった感じですが、どの章も平均レベルは十分クリアしているはず。

同じ時代を扱った中公旧版『ブルジョワの世紀』、河出版『ヨーロッパの栄光』、文春大世界史『自由と統一をめざして』と比べれば(講談社旧版は未読なのでわかりません)、やはり本書がずば抜けてます。

現在の歴史学に沿った叙述形式と歴史解釈に則って書いても、これだけ面白いものができるという良いお手本と言えるのではないでしょうか。

ヨーロッパ史概説として、17巻『ヨーロッパ近世の開花』と同じく、手堅い良作。

それにひきかえ、中世史の第10巻は・・・・・・と言いたくなりますが、しつこいので止めておきましょう。

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新井政美 『オスマンvs.ヨーロッパ』 (講談社選書メチエ)

イスラム史の本が五ヶ月ぶりというのもヒドイですね。

手薄な苦手分野なんだから(「じゃあ得意分野は何だ?」と言われると言葉に詰まるが)、重点的に手当てすべきなんでしょうが、なかなかいい本無いんですよねえ。

これは休日にアマゾンジャパンを、適当に検索したり世界史関係のカテゴリを見ながらボーっと徘徊しているときに見つけた。

高評価のレビューが多数上がっているので、何やら俗受けを狙ったタイトルが少々気になるが試しに読んでみようと思って借りてみた。

しかし通して読んでも、特筆すべきような面白い点は無かった。

トルコ民族の西遷とイスラム化の章は平凡で、特にどうと言う事も無い。

オスマン帝国と近世初頭のヨーロッパとの関係も、高校教科書よりは詳しく説明されているが、それほどわかりやすい訳でも無いし面白くも無い。

有名史実の年代に慣れ親しんでいればある程度の関連はわかるし、それを超えて理解しやすい説明を本書が提供してくれているとは思えない。

末尾の17世紀オスマン衰退期の中東欧諸国の動きはまあそれなりの内容だが、本書だけしかない貴重な叙述というほどでも無い。

結局私には良さがよくわからない本でした。

感じ方は人それぞれですから、たまにはこういうこともあります。

このブログで私が絶賛した本を買って読んでみて「こんなもんどこが面白いんだよ!!金返せ!!!」と言いたい方もおられるかと思いますが、そういう訳でご容赦下さい。

と、言い訳して終わります。

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引用文(バーク2)

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)、119ページより。

民衆とは、名声と評判への感覚という地上最大の抑制力の一つに対しても、それほどの責任を感じないものなのです。公衆として行為する場合、各個人の分として引き受けさせられそうな悪評の分け前など極めて僅少であって、世論の作用は権力を悪用する人間の数に反比例します。彼らからすれば、自らの行為を自ら是認すれば、それが自分に好都合な公衆の判断と見えるのです。従って、完全な民主政治とはこの世における破廉恥の極みにほかなりません。それはまた、破廉恥の極みであるが故に最も怖れを知らぬものでもあります。ここでは、自分もまた処罰の対象とされ得るということを自ら危懼する人間は誰もいません。なるほど民衆全体は処罰の対象たるべきではないでしょう。あらゆる処罰は民衆全体を保全するための見せしめなのですから、民衆全体は如何なる人間の手によっても処罰の対象とはなされ得ません。まさにこの理由からして彼らに対しては、王達の意志がそうあり得ないのと同じく、自らの意志を以て正邪の基準であるなどと夢思わせてはならないのです。これは無限に重要な事柄です。彼らには、自らが安全だからといって、王以上に恣意的な如何なる権力を振う資格も無ければ権能もまったく無いのだ、ということを納得させなければなりません。

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ジャン・クリスチャン・プティフィス 『ルイ16世 下』 (中央公論新社)

上巻の記事の続き。

以下の文章も、私の読み違いや変なまとめ方があるかもしれませんが、ご容赦下さい。

大革命の数年前から、ルイ16世と財務総監カロンヌが税負担の平等化を目指した改革を進める。

著者が、このカロンヌをテュルゴーやネッケルよりも高く評価していると読める記述があったと思う(断言できないのが情けないですが)。

1787年召集された「名士会議」での特権階層の反対で、改革は否定され、上からの穏健な近代化政策は挫折し、大革命への道が開かれる。

ここで注目すべきは、当時の民衆の世論が、訳もわからず特権層の王権への反抗を支援したこと。

一般的にはほとんど無視されてきたこの奇妙な時期について、それを「前革命」と呼ぶ向きもあるが、現実には、社会の激動と暴力を見れば、すでに「革命」そのものであるのは間違いなかろう。そしてこの時期を特徴づけるのは、ある種の逆説である。国家の構造を合理化し、税をより公平に割り当て、近代的な改革を推し進めようとする権力が、国民の利害を十分に考慮しつつ振る舞いながら、貴族的であると同時に民衆的でもある、非常に異質で広範な反・絶対王政の連合に対して強権的な手段を行使せざるをえないという逆説!

第三身分の者たちは、権力に抵抗する人々に集団的な支持を与える傾向にあり、「反革命」の旗印のもとに、よく状況を考えず、みずから進んで加わってしまった。この拒否の戦線は、おそらく、本性に反する同盟であった(この同盟は、公平な税制を最も強く望んでいた恵まれない階級の人々を犠牲にして行動した)。

1789年三部会招集によって革命の幕が開きますが、有名な議決方法をめぐる対立によって、上記の特権階層と第三身分との不自然な同盟に亀裂が入る。

この時、王権が第三身分と同盟して貴族・聖職者の特権層を抑える策を取れていれば、革命の暴走も無かったとされるが、残念にも王権に世論を掌握し指導できるだけの力量は無かった。

ここまでで全体の三分の一くらいですが、以後革命の経緯を細かく述べていく部分になります。

これが非常に良い。

当時の政治情勢の概略と、焦点となっていた課題、革命諸党派の勢力分布、パリ・ヴェルサイユの中央情勢と地方および外国の形勢との関係などが実にわかりやすく詳細に叙述されている。

それらの舞台で活動する国王をはじめとする諸個人の描写も見事。

高校教科書に載っているような、事件の大体のあらましは事前に頭に入れておいた方がよいが、もしあやふやなら時々立ち止まりながら、一つ一つ確認すればよい。

本書の革命史はルイ16世処刑のところでとどまるが、一般的な通史としても非常に優れている。

革命勃発後の記述を読んでまず印象に残るのが、社会の無秩序化の急激な進行。

教科書レベルの記述を読んだだけだと、バスティーユ襲撃後も確固たる勢力を維持していた王権が、ひと固まりの議会勢力に対して幾度か反革命の攻勢をかけ、その都度撃退されて遂には打倒されるというイメージを持つが、本書では全く違うように思える。

まずバスティーユ襲撃のきっかけとなった軍隊の配置は、すでに起こっていた食糧暴動への対処のためであり、国民議会弾圧のためではなかったとする解釈が記されている。

悪意に解釈しても、議員に無言の圧力をかけるためであり、実際の武力行使は全く考慮に入れられていなかった。

民衆への発砲は可能な限り避けるように、との命令書が載せられている。

バスティーユ陥落後は、軍隊の規律と士気の崩壊によって、王権は急激に弱体化し、情勢を把握する術がほとんど無くなる。

7月14日以後初めてのパリ訪問の時点ですでに、国王は生きて帰れないかもしれないとの覚悟をきめるまでになっている。

かと言って、当時の国民議会(憲法制定議会)指導者で、少し後でフイヤン派と呼ばれるようになる、ラファイエット、バイイ、ミラボー、バルナーヴ、デュポール、ラメットが確固として主導権を取っているのではない。

浅薄で支離滅裂な世論によって情勢は急変し、間歇的にパリの下層民から湧いて出る暴民としか言いようの無い匿名の集団(言葉の真の意味での賤民と言うべきか)によって、革命の歯車が回されていく。

(指導者として何人かの名が挙げられているが、聞き覚えのあるのはサンテールくらい。)

不作による食糧不足など如何ともし難い災厄を「王室と貴族の陰謀」と思い込み、その種の妄想をもって自らを正当化し陰惨な暴力行為に走る民衆の心理的欠陥に著者は言及している(ル・ボン『群衆心理』等参照)。

よく知られた心理的メカニズムが、また始まった。つまり、食料不足から飢餓への不安が高まり、庶民は、「買占め人」、製粉業者、パン屋、農業経営者、町や村の職員、聖職者、貴族、こうした人々がグルになって悪意ある操作をしていると信じ込んでしまう。そして、パンのかわりとなるものがあると、それが土地を思わせるので、人々は悪意に対して激しく抗議し始める。そして、自然に、宮廷が民衆に対して陰謀を企てていると思い込んでしまうのだ。ルイ15世の時代にも同じような現象があった。しかし、政治的状況がまったく異なっていた。

またはっきりと明言されてはいないが、そういう民衆の暴力による無秩序自体が、経済情勢悪化の一因なのだから、この悪循環は全く醜悪極まりない。

その種の低劣な下層民の圧力を受けて議会でも、常により過激で暴力的な一派が勝利を占める傾向が止まらなくなっていく。

ここで著者の革命観に触れると、ジャコバン派の独裁や恐怖政治のように、フランス革命には20世紀の全体主義を思わせるような不吉で醜悪な一面が確かにあったが、それで人権宣言をはじめとする革命の意義を全否定するのは不当だ、というもののようで(恐怖政治が人権宣言の必然的帰結であったとの説は認め難いと書いている)、まあこれが今のフランス人の平均的意見というところなんでしょうか。

著名な革命史家のフランソワ・フュレが、ジャコバン独裁を「プロレタリア独裁」の先駆けとして評価するようなマルクス主義的革命史学に批判的な一方、その反動として共産主義の悲惨な失敗から「逆算」してフランス革命を全体主義の起源としてのみ捉え、革命の意義を一片たりとも認めようとしない立場にも反対していると何かの文章で読んだ記憶がありますが、著者の立場もそれに近いように感じました。

したがって極端な反革命派ではないはずなんですが、それでも教科書で名前だけ出てくる事件の実際を淡々と詳細に述べ、それがいかに凄惨で残酷なものだったかを記している。

例えば、89年10月の「ヴェルサイユ行進」や92年6月の王宮乱入事件、同年8月10日事件の描写を読むと、他の本であらましは知っていたが、改めて気分が沈みます。

ヴェルサイユ行進の記述を読むと、ヴァレンヌ逃亡事件の前に、もうすでにこういうことが起こっていたのだから、高校教科書のレベルですら、「この事件で国王は国民の信頼を失った」と書くのは少し公平さに欠くんではないかと思えてくる。

89年10月以降パリに移った国王一家だが、この時点で事実上虜囚に等しかった。

内戦を避けようとする気持ちから90年連盟祭での反攻の機会を逃し、パリからの退避も、オルレアン公フィリップ・エガリテ(平等公・七月王政の国王ルイ・フィリップの父)の策動を懸念し、決断には至らず。

実行は周知の通り、91年のヴァレンヌ事件となるのだが、不幸にして失敗。

本書では、残された演説草稿や行動経緯の分析から、この時の国王の目的は「国外逃亡と外国軍隊の武力を借りた反革命」ではなく、自身と家族の安全を確保した上で、パリの過激な政治クラブとサンキュロットの圧力を受けず、議会と憲法の制定について交渉することだったとしている。

これは以後の章でも何度か強調されることだが、89年以後死に至るまで、ルイが目指したのは、文字通りの「反革命」、すなわち絶対王政とアンシャン・レジームそのものへの復帰ではなく(王妃と王弟はまだその希望を棄ててはいなかったが)、諸身分の平等と憲法の制定を前提にした自由な立憲君主制だったと述べられている。

その治世を特徴付ける開明的姿勢は自身が革命に脅かされている最中でも全く変わっていなかった。

国王一家がパリに連れ戻され、1791年憲法が制定されると、民衆運動の過激化を懸念するフイヤン派が王党派に接近し、やや事態が改善したように思われた。

しかしここで対外戦争によって国内の緊張を高め、それを利用して共和政を樹立しようとするジロンド派が台頭し、強い圧力をかける。

主なメンバーはブリソ、ヴェルニヨ、ペティヨン、コンドルセ、ロラン夫人ら。

彼らは確かに1792年に宣戦と王政打倒に成功するが、あっという間にジャコバン派に主導権を奪われ、わずか1、2年で自分たち自身がギロチン送りになるか自殺に追い込まれることになる。

国王は長い間宣戦への圧力に抵抗するが抗し切れず、外国軍による解放か戦時における自身の求心力回復に望みをかけるが、この期待は空しかった。

前線での連戦連敗で恐怖に駆られた群集は集団ヒステリーを起こし、スケープゴートを求め、92年8月10日、国王一家のいるテュイルリー宮殿を襲撃、衛兵を虐殺する。

国王らは襲撃直前に議会に避難したが、この時暴徒と衛兵の戦力は拮抗しており、もし断固として防衛戦を戦っていれば、何か別の展開があったかもしれないと記されているのを読むと、切歯扼腕せずにいられない。

著者はこの8月10日事件をもって、フランス革命の肯定し評価すべき局面は完全に終わったとしている。

8月10日は、第二のフランス革命、立憲議会によって整備された政治制度を打ち壊すという目標をもった、騒々しく、熱狂的で、荒々しい革命が誕生した日なのである。実際に勝利したのは、人民の主権などではない。過激派、いやむしろ暴力的で不寛容な諸分派の連合体、それに、権限もないのに人民の名において意思表示をする権利を奪取した数千の連盟兵と地区の民衆が勝利したのである。自由と人権にもとづき、諸特権が廃止された社会を作ろうとした1789年の革命は息絶えた。合法性や法治主義の尊重といったことには頓着しないもっと急進的な運動がそれに取って代わったのだ。・・・・・フランス革命の歴史において、決定的な断絶は、89年と93年、すなわち立憲議会と公安委員会の独裁のあいだにあるのではなく、89年と92年のあいだにある。というのは、この八月の動きというのは、ある特異な形態の権力、ジャコブ・レブ・タルモンの言葉を借りれば「全体主義的民主主義」の到来を告げるからである。

君主や貴族の権力が制限されなければならないのと全く同じように(と言うかそれ以上に)、民衆の権力も制限されなければならないし、様々な非民主的要素と均衡させられなければならないという、ごく当たり前のことを認めるのを拒否した人々によって、革命は止めど無く堕落し、破壊的になっていった。

以後、国王はタンプル塔への幽閉、裁判を経て93年1月に処刑される。

この生涯最後の時期の叙述は深い感動を起こさせる。

著者は一般的な現代フランス人なのだから、王党派でもなんでもない(はず)。

実際のところ、王の悲劇的な最期が、古の君主制を懐かしむ気持ちをこの現代社会において呼び覚ますかといえば、もはやそういうことはありえない。

本書での国王処刑までの記述もありきたりの美辞麗句や大げさな悲嘆表現を用いているわけでなく、非常に冷静な筆致で事実を細かく描写しているだけである。

しかし、それが反ってルイ16世が持っていた威厳と勇気と寛大さを強く感じさせる。

著者も、能動的に支配すべき君主としては欠けるところが多かったルイが生涯の最後に示した偉大さを完全に承認し、賞賛している。

そしてこれが王政復古期に美化され誇張された作り話でないことを論拠を挙げて説明している。

上記の文章の後、著者はこう続ける。

ただし、われわれは、この国民的悲劇を思い出しただけで、記憶の影の部分が攪拌され、苦しい思いをすることは確かだ。誠実に、そして何の底意もなく王の死というものを評価し、それが本来もっている意味を考えることをわれわれは拒絶している。・・・・・ポワンカレはエリゼ宮[大統領府]を去ったあと、次のようなことを口にしている。「今こそ、われわれの病弊の原因が、ルイ16世の処刑にまで遡るものであるかどうか、熟考すべき時である」

(このポワンカレの言葉はピエール・ガクソット『フランス人の歴史』(みすず書房)にも引用されていた。)

下巻はややペースを落として読んで、途中丸一日サボったりしたので、読了まで一週間弱かかりましたが、上巻よりもスラスラ読めます。

特に後半三分の二以降は本当に息もつかせない面白さ。

上・下巻通じて、文章は読みやすく訳文は巧いと思う。

下巻巻末で索引が充実しているのは良いが、年譜は簡略過ぎてほとんど役に立たない。

ここはもうちょっと行き届いた詳細なものが欲しかった。

だが、総合的な評価はやはり「素晴らしい」と言えます。

上・下巻とも最初の100ページ辺りまではかなりツラいと思います。

そこをくぐり抜けるとかなり楽になりますので、何とか持ちこたえて下さい。

教科書レベルの次にいきなり読むべき本でないことは言うまでも無いが、手に入りやすくて平易な本でいうと例えばツヴァイクの『マリー・アントワネット』を通読した人なら、十分取り組んでいけると思う。

各巻600ページ超、定価3990円と、根気も費用も要る厄介な本ですが(私は買わずに借りました)、通読する価値は十二分にあることは保証致します。

(本書を読むのも記事にするのも少々疲れましたので、次の更新まで普段より少しだけ間隔を空けさせて頂きます。)

本来、国民に起源を有する唯一の主権と、それを体現する全能の議会という考えは、ひとつの恐るべき障害物となった。そして、この思想が、一連の革命の悲劇と、さまざまな暴発的出来事の上に重くのしかかってゆくことになるのだ。よく知られているように、一つのフィクションにすぎない絶対王政は、旧体制下のフランスにおいて存在していたいくつかの対抗勢力をたえず意識しつつ統治を行っていた。いま、この絶対王政に、もっとずっと強く恐ろしい新たな力が置き換わろうとしているのだ。それは、制度上ブレーキとして働いたり、あるいは束縛として機能したりする可能性のあるすべてを、ただちに厄介払いしようとしているのだ。その新しい力とは国民的絶対主義である。主権は、いままさに、王という一人の人物、実際に権力を行使するには、強い制限が働いている、一人の人物から、唯一の議会によって代表される国民へと移ろうとしている。だが、この国民なるものは、すぐにデマに踊らされ、過激な行動へ走る傾向になるのだ。一つの脆弱な権力―たしかにそれは恣意的な乱用の危険はある―が、強力な権力に場所を明け渡そうとしているのである。この権力は、原理的には、行政、立法、司法のすべての権限を保持しており、しかもそれは、その起源からして、またその本性からしても全体主義に傾きがちだ。1789年7月28日から、国家反逆罪という観念が王権反逆罪という観念に取って代わった。それがすべてを語っていよう。

主権について、それを法的正当性の占有といった「形而上学的」表現によってのみ問題提起することで、革命運動は、近代的民主主義の方向へ平和的に進んで行く可能性をみずからに断ってしまった。たとえば、一世紀早く、「権利章典」によって立憲王政を確立したイギリスのようにはいかなかったのである。これは、主権の起源についての抽象的な議論をせずに、王権の制限、しかも時代と社会の流れにつれて変化しうる制限を具体的に定めたのであった。今日でもなお、議会における女王は、議員たちの中にある女王でありながら、主権者として、すなわち、すべての権力の起源として尊敬されているのである。中世的な意味を含んだフィクションとしての王権は、世界で最も強固な現実の一つである民主主義的な現実の中で、人々にとって、一種の潜在的な支えとして役立っているのだ。アメリカの独立革命では、1787年の合衆国憲法によって、権力は厳密に分離され、イギリス同様に流血の惨事は避けられた。たしかにそれは、堅固な階級制度から解放された新しい社会だからこそ、十全に機能したのだが。

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