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内田義雄 『戦争指揮官リンカーン』 (文春新書)

明けましておめでとうございます。

残りわずかの中公新版全集は一休みして、これを読みました。

何やら奇を衒ったタイトルですが、中身はごく標準的な南北戦争史です。

奴隷制度の概略やそれをめぐる論争の経緯など前史には深入りせず、戦争だけに焦点を絞っているが、新書版なのでそれが反って有益である。

開戦前の1844年に発明されたモールス信号の有線電信を使ったリンカーンの戦争指導を叙述している。

ご存知の方も多いと思いますが、アメリカ史上最も多くの自国民犠牲者を出した戦争は第二次世界大戦ではなく、この南北戦争です。

第二次大戦の死者が40万人余りなのに対し、南北戦争では62万人以上が死んでいる。

1860年当時の人口は3100万(そのうち奴隷400万)ですから、死亡率の高さは異常であり、とにかく常軌を逸した凄惨極まりない内戦だったことがわかります。

トーマス・マンが『非政治的人間の考察』の中で、アメリカ南北戦争について、醜聞となっていたほど時代錯誤な奴隷制度を廃棄するために、これだけ悲惨な大戦争を必要としたという事実は、民主主義の優位性を示すものではなく、むしろその逆ではないかと批判していたのを思い出した。

(同様にフランスのドレフュス事件について、無実のユダヤ人一人の冤罪を晴らすために、文字通り国家を二分するほどの不和軋轢を経なければならなかったことは、密かに恥じ入るべきことであって、あたかも自国の美徳のしるしであるかのように外に誇るべきことではないと辛辣に述べている。なお同事件については川上源太郎『ソレルのドレフュス事件』(中公新書)という極めて優れた本があります。)

本書は純粋な戦史として手ごろで平易な内容ですが、書かないとまたすぐ忘れるので、以下大まかな概略だけメモします。

南部連合の首都はヴァージニア州のリッチモンドに置かれるが、そもそも合衆国の首都ワシントンがヴァージニア州とメリーランド州の境にあるので、アメリカ全土が入る地図で見ると、敵対する二つの国家の首都がかなり接近しているという妙な状況になっている。

1861年4月サウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞を南軍が攻撃して開戦。

同年7月ワシントン目指して進軍してきた南軍と北軍が激突、第一次ブルランの戦い。

南軍のトマス・「ストーンウォール」・ジャクソン将軍の活躍もあり北軍敗走、一時ワシントンはパニックに陥る。

リンカーンは新たにマクレランをポトマック軍(首都防衛軍)の司令官に任命し態勢を立て直し、圧倒的優位にある海軍を用いた南部の海上封鎖を徹底。

1862年3月よりリッチモンド攻略を目指して海上より攻め入る「半島作戦」を展開するが失敗。

南部連合の北ヴァージニア軍(北部のポトマック軍にあたる)司令官に名将ロバート・リー将軍が就任。

同年8月第二次ブルランの戦い。またもやジャクソン率いる南軍が勝利。

次いで9月リー将軍が北上しメリーランド州に侵攻。マクレラン軍とアンティータムで戦い、北軍辛勝。

この戦勝を期に奴隷解放予備宣言発表。

アンティータム戦後、南軍を追撃して撃滅しなかったことに不満を持っていたリンカーンは、11月マクレランを罷免。

1863年北部諸州の瓦解と南部連合の国際的承認を促すため、リー軍が再度、ワシントンではなくペンシルヴェニア、ニュージャージー、ニューヨークなどを目標として北部侵攻。

(ジャクソンはこれ以前に味方の誤射で死亡。)

7月ゲティスバーグの戦いで、ミード率いる北軍が勝利するが、またもやリーは取り逃がす。

ほぼ同時に西部戦線でミシシッピ川中流の要衝ヴィクスバーグがグラント将軍指揮下の北軍に占領され、南部連合領土は東西に分断される。

1864年グラントが北軍総司令に就任。

ヴァージニア州で激戦が続くが勝敗つかず。

6月リッチモンド南方の補給基地ピーターズバーグ攻防戦。

7月逆に南部が派遣した軍がワシントンに迫るが、危うく首都陥落を阻止する。

同時期、北軍のウィリアム・シャーマン将軍が二分された南部をさらに分断するルートで進軍し、ジョージア州アトランタを攻略し大西洋岸のサヴァンナまで突き進む。

その過程で南部の戦意を喪失させ、戦争能力を根こそぎ無力化するために、軍事目標だけでなく民間施設に対しても破壊と掠奪の限りを尽くすという、(20世紀には常套手段となってしまったが)当時の倫理基準では滅茶苦茶に非道な作戦を遂行する。

「神と人間性の名において、私は抗議する」という南軍将軍の手紙に対して、シャーマンは、戦争とはそもそも残虐なものであり、そのような抗議は雷雨に対して抗議するのと同じく無駄だと言い放っている。

現在の視点からすれば「正義」は北軍の側にあるはずなのだが、ここまでくると何が「正義」で何が「不正義」なのか、頭が混乱する。

『文明論之概略』の記事で引用した、福沢諭吉の南北戦争への省察はやはり正しいと思えてくる。

1865年4月リッチモンドは陥落し、南部連合は降伏。

この戦争で表れ、その後のアメリカにも受け継がれた体質、すなわち敵にいささかの名誉も正当性も認めず、戦争を長引かせても「無条件降伏」を求める姿勢や、自らが体現すると信じる「正義」のためならば民間施設攻撃など極めて非道な手段を取ることも躊躇しない傾向を著者は批判的に記している。

面白いです。

新書版にしてはかなり中身が濃い。

史実がよく整理されており、読みやすい。

初心者用の南北戦争史としてはかなり使える。

機会がありましたら、皆様もお読み下さい。

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