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高文謙 『周恩来秘録 上』 (文芸春秋)

二年ほど前に翻訳が刊行され、少々話題になった晩年の周恩来の伝記。

著者は中国共産党中央文献研究室に勤務し、天安門事件の後、米国に出国し事実上亡命している。

訳者は元毎日新聞記者で辛口の中国報道で知られる上村幸治氏。

例によって、記事は上・下巻に分けます。

本書の構成として、第一章のみが、建国前の中国共産党史および毛沢東と周恩来の関係について述べており、それ以降の章は1966年文化大革命発動から76年周・毛の死までの10年間を扱っている。

第一章で記されている、中共の党内闘争の経緯はかなり役立つ。

1927年上海クーデタの後、初代党総書記の陳独秀が解任され、指導者は瞿秋白、向忠発、李立三など短期間に目まぐるしく変わり、31年ごろからコミンテルンに忠実な王明(陳紹禹)が実権を握る。

なお31年樹立された瑞金の中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席に毛沢東が選ばれたと、高校教科書に書いてるが、これは名前を出すのに便利だからであって、党中央はしばらくの間まだ上海にあり、毛の党内の地位は低い(党中央が瑞金に移ったのは33年1月ごろと本書には書いてある)。

今年のセンター試験でも毛の主席就任の事実は出題されてましたけど、中国現代史では役職名と実際の権力が乖離していることが多いので、その意味では出題ミスとは決して言えないまでも、あまり適切な問題ではないかもしれません。

(ここで個人的に思い出すのが、晩年の鄧小平が「中央軍事委員会主席」という肩書きが外れた後、「最高実力者」との呼び名を付けて新聞・テレビで報道されていたこと。)

34年国民党の包囲攻撃に耐えかねて長征が開始されるが、その頃の最高指導部はモスクワへ去った王明に近い博古(秦邦憲)、コミンテルンから派遣されたオットー・ブラウン、および周恩来の「三人団」だった。

35年の有名な遵義会議でも、よく言われるように毛沢東の指導権が確立したわけではなく、党内の地位をやや向上させ職務上は周恩来の軍事指揮上の補佐役になっただけだった。

以後の叙述は細かくてややわかりにくいが博古に代わって形式上のトップとなった張聞天を担いで、毛・周・王稼祥の三人で徐々に実権を掌握していき、その中で毛が頭角を現わすといった感じか。

延安に到達してから、毛はモスクワから帰国した王明と激しい権力闘争を行い、整風運動を発動した末、名実共に党の最高指導者としての地位を固める。

下巻の年表で見ると、1943年に毛は党主席(政治局主席と中央書記処主席)になっている。(党主席の地位は確か死ぬまで維持したはず。のち1959年に劉少奇に譲ったのは国家主席。)

この整風運動は、私が高校生の頃の用語集などでは「共産党員の間の官僚主義の風潮を改めるための思想改良運動」などと説明されていたが、実態はそのような牧歌的なものではなく、激しい粛清を伴う権力闘争であった。

当時の党内勢力は、王明・博古・王稼祥・張聞天らの「教条主義派」と周恩来・朱徳・彭徳懐・陳毅らの「経験主義派」および劉少奇・任弼時・康生・彭真・高崗・林彪・鄧小平らの毛直系派の三つに分類された。

毛は「経験主義派」を屈服させ、その協力で「教条主義派」を打倒して反対派を党内から一掃、独裁的な権力を固め、党内で毛への個人崇拝の気配が強まる。

劉少奇・彭真・鄧小平らはこの時期相当陰湿な手段で毛派の権力確立を図ったようだが、のちに彼らが文革で打倒・迫害されたのも自業自得と言うのは、いくらなんでも気の毒か。

以上の経緯で朱徳という人の役割がよくわからない。

毛と並んでごく初期からの紅軍指揮者として著名な存在のはずだが、政治的には全然目立たず、日中戦争の時期にはもう隠居のような状態になっている。

知名度と政治的活動の落差が非常に大きくて、いまいちその存在をつかめない人である。

また、張聞天は、『人禍』を読むと、「大躍進」運動の狂気の中、彭徳懐と共に餓死者が続出した農村の惨状を直視し、毛の急進的政策を弾劾して失脚した勇気ある人という印象を持っていて、役職としてはかなり地位が低く若手というイメージがあったが、戦前は形の上では党のトップだったこともあったんですね。

第二章からは文革の記述。

大体他の本で知っていることが多く、滅茶苦茶面白いということはないが、有益ではあると思います。

文革派の二大勢力たる江青派と林彪派の両者の軋轢が文革発動直後のごく初期から始まっていたことを知ったのが一番の収穫か。

江青に連なる造反派の軍への攻撃は実権派長老だけでなく、黄永勝・呉法憲・李作鵬・邱会作などの林彪系軍人にも加えられていたと書かれている。

この江青派と林彪派の不和拡大と抗争は、『毛沢東秘録』でも非常に興味深い読みどころの一つだが、林彪は実権派の打倒と文革派の権力奪取の後には現実主義的な経済建設路線の重要性を理解しており、教条的な江青派よりも、周恩来に近い存在だったと説かれているのには意表を突かれた(それとも上記『毛沢東秘録』や『毛沢東の私生活』など他の本にもあったかな?)。

この上巻は1970年江青派から林彪派に鞍替えした文革イデオローグの一人陳伯達が失脚し、林彪が窮地に追い込まれるところで終わっている。

私自身、こういう共産国の内幕モノがかなり好きなので、この上巻は二日で読めました。

かなり面白い方だし、楽に読めると思います。

下巻の記事でまた近日中に更新します。

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