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高文謙 『周恩来秘録 下』 (文芸春秋)

下巻は1971年林彪事件から。

66年文革発動から76年毛沢東の死までの十年のうち、ちょうど折り返し点で起こったこの大事件は文革の歴史の中でも重大な意義を持ちます。

狭義の文革が、69年の中国共産党第9回大会(九全大会)で林彪が後継者とされ毛・林体制確立したことで、これまでの紅衛兵運動のような無秩序化の時期が終わり、体制化が完了したことで終わりとされ、広義の文革が76年毛の死と四人組逮捕で終わる。

それに対してこの71年の林彪失脚を中間義の文革の終焉とする見方を何かの本で読んだ記憶があります。

ちょうどこの71年にニクソン政権補佐官のキッシンジャーが訪中し、劇的な米中接近が行なわれ、中国の外交行動は著しく穏健化するので、高坂正堯氏も『現代の国際政治』で、この年を「中国における急進主義の終わり」と見ています。

なお林彪失脚の原因として、この対米接近に反対したからだという説がありますが、本書ではほんの一箇所その手の記述があるだけで、外交路線をめぐる対立はほとんど重視されていない。

上巻の記述では、周恩来にとって林彪は江青よりはまだしも協力できる人物ではあったが、毛が林の排除を決意しているのを見ると、それに服従し、林彪派と距離を置く。

林彪が墜死すると、図らずもこれまで常にナンバー3だった周が毛に次ぐ地位を占めるが、これで毛の猜疑心の的となり、晩年の周は非常に苦しむことになる。

1972年ごろの出来事として、危篤状態に陥った毛が周に自らの死後の全権を委任するという記述が出てくるが、実際に毛が先に死去して周が党と政府のトップに立てば脱文革の流れも相当スムーズに実現したのではないかと思わせる。

中嶋嶺雄氏が『北京烈烈』の中の、周恩来死去直後に書いた文章で、毛に代わって最高指導者となった周を見たかったと書いてあるのに、大いに同感と思ったことを思い出した。

実際はこの時期周恩来は膀胱癌に冒され、毛が早期の治療・手術を認めなかったこともあって死期を早めるが、これも酷い話です。

73年鄧小平が副首相として復活するが、一般的イメージと異なり、周と鄧の関係はそもそも疎遠であり(上巻で書かれた整風運動の記述でも鄧は毛直系派として周を批判する関係だった)、毛沢東は鄧をもって、対米外交で内外の賞賛を浴びる周を牽制することを考えていたらしい。

しかし、江青ら四人組に対抗する上で、周と鄧は自然な同盟者となり一致協力して現実主義路線を定着させようと奮闘する。

あと、実務派軍人で周・鄧の一貫した協力者である葉剣英という人の存在が目立ちます。

最晩年の周は毛が煽る四人組の非難・攻撃を受け、最期まで苦しみぬくことになりますが、もし万一周恩来を完全に打倒し失脚させていたら、毛が受ける悪評は今程度じゃとても収まらないでしょうね。

本書の特徴は、革命家としての晩節を汚さぬため、毛沢東に卑屈なまでに服従し、文革を否定せず心にもない言動を採り、自己保身に走る周恩来の姿を詳細に記述したところにあるんでしょうが、私自身は本書を読んで、自分がこれまで持っていた周恩来のイメージがガタ落ちになるということは無かった。

文革の狂気の中で穏健派の最後の支柱となり最善を尽くした人物という印象は、この本を通読しても変わらなかった。

中国現代史の本として悪くはないが、全くの初心者が手を出すべきではない。

まず中嶋嶺雄『中国 歴史・社会・国際関係』で十分基礎を固める。

その次に『毛沢東秘録』で中共内部の権力闘争の概略を頭に入れましょう。

この本は興味深いエピソードの連続で、非常に読みやすくわかりやすい史書になっているので、「産経新聞で連載してた文章なんて読みたくないよ」という人でも取り組む価値があります。

事実関係の記述に極めて秀でており、頭に入りやすい。

それが済んだら、本書か、中嶋氏の上記『北京烈烈』、李志綏『毛沢東の私生活』を順不同で読んでいくのが宜しいかと思います。

(なお、ユン・チアンの『マオ』は私としてはお勧めしません。)

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