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西部邁 『経済倫理学序説』 (中央公論社)

ジョン・メイナード・ケインズとソースタイン・ヴェブレンに関する論考。

両者の思考の根源と可能性を探り、「個人性、合理性および物質性にたいする関心を究極のものとみなして、各人のそのような関心の市場的調整をつうじて、人間と社会の進歩が実現されるのだとする」単純な経済的思惟を批判し、主流派経済学への懐疑へと進む。

本書が出た1980年代半ばは、社会主義的左翼の残党が依然一定の勢力を保持する中、保守派の間では雪崩を打って単純で教条的な市場主義への支持が増えていた頃で、それがついこの前まで優勢だったわけですが、そういう時期に(非伝統的な)新自由主義への懐疑とケインズの部分的擁護を述べた著者に驚くほどの一貫性を感じる。

経済学についての予備知識はほとんど要りません。

「ヴェブレンて誰?」という方がお読みになっても問題なし。

私も名前を知っているというだけですが、それでも著者の文体が持つ圧倒的な力のせいか、非常に強い印象とある種の見通しが得られる。

わからない用語や表現があってもどんどん読み進めばよい。

準備としては、『アダム・スミス』(中公新書)の記事で書名を挙げた『経済学の考え方』(岩波新書)あたりを一冊読むだけでもいいです。

類書として本書と併せて読むべきなのは、やはり間宮陽介『ケインズとハイエク』でしょうか。

内容は素晴らしいんですが、後に出た文庫版含め、品切れ。

こういう本はそう簡単に絶版にしちゃいけないと思うんですが。

自由の観念は、それ自らについて不断に思考してみる、懐疑してみるという回路が欠けているとき、結局はレッセ・フェールに堕ちるほかないものであろう。当時そういう回路は確立されていなかったし、今も確立されていない。自由は放縦と同義であり、そこで生じる様々の混乱を、国家が企業が、あるいは家族が、強制や懐柔やの手段をつかって場当りに繕っているにすぎない。レッセ・フェールという大衆の唸りは、あれこれの変調をほどこされながらも、已むことなく響いている。

自由が法によって制約されなければならないということ、しかもその法の支配は、特定集団の利益によって左右される制定法によってではなく、歴史の試練をくぐり抜けてきた普通法(コモン・ロー)によってなされなければならないということ、これが「新しい」自由主義の特徴である。この発想の底にはバーク流の保守主義の姿勢がある。人間は知的にも道徳的にも不完全な代物であり、したがって歴史の堆積によって生み出された慣習的なそして一般的な規則に頼るのでなければ、社会の仕組と個人の行為は安定しないであろうという考えである。新自由主義のいう個人の自由とは、このように、文化および歴史に繋がれたものなのであるが、個人が自分の歴史的係留のなんたるかを知るのは容易なことではない。・・・・・

新自由主義の思想は、政治の標語として利用されることばかり多くて、人々の習俗のうちにまだ根づいていないわけである。現に進行中の計画から自由への復古にあっては、人間の不完全性のために伝統の保守が必要とされること、そして伝統を維持するのが困難であることが少しも自覚されていない。たとえば、個人の全知全能を仮設するにひとしいような経済模型によって大きな政府の無効なることが証明されたりしている。また、市場における選択の自由を称揚する様々の言論は、市場志向の活動が過度に及ぶとき社会の慣習体系がつきくずされるかもしれぬという危険について、ひたすら楽観している。

顕著なのは進歩主義のイデオロギーである。個人や集団による自由の発動が、必ずや、個人の人格的発展と社会の調和的前進をもたらすであろうという思込みである。人間の不完全性を自覚すれば、つまり「無知の知」を知れば、社会全体を合理的に設計することが不可能だと分り、したがって社会主義やケインズ主義の間違いもわかる。しかし同時に、その人間の不完全性にかんする自覚は自由にかんする自己懐疑をも促すはずではないのか。とりわけ市場的自由によってもたらされる生活の変化をつうじて、慣習的な規則がどんどん形骸化し、ますます動揺するかもしれぬという懐疑がわいて当然ではないのか。この懐疑を封じるものこそ進歩主義の思想である。実は、新自由主義もその思想から自由だというわけではない。新自由主義が実際の経済活動に指針を与える際にレッセ・フェールに与しがちであるのは、それが自由への懐疑を失って進歩を信仰している点にあると思われる。またそれの主張する法と秩序がエスタブリッシュメントのための法制定を弁護するのに終わりがちなのも同じ理由による。つまり、政治の場面におけるレッセ・フェールを支持する結果、強者の論理がまかり通るのである。自由主義は、その新旧を問わず、自由の内包する自己破壊的な性質について、つまり自由の依って立つ基盤である慣習的な普通法が自由によって掘り崩されるという可能性について、無頓着である。

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