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坂井榮八郎 『ドイツ近代史研究 啓蒙絶対主義から近代的官僚国家へ』 (山川出版社)

『ドイツ史10講』(岩波新書)『ゲーテとその時代』(朝日選書)という二つの傑作啓蒙書の著者坂井榮八郎氏の論文集。

10本の論文と2つのコラムで構成されている。

そのうち、「クールヘッセンにおける農民と農民解放」という論文は専門的過ぎて初心者には非常に読みづらいので、極めて粗く飛ばし読みしただけ。

場合によってはこの章だけは完全に飛ばしてもいいかもしれない。

しかし、それ以外の章はどれも普通に読めて、有益な内容を含んでいる。

こういう論文集の形式にも関わらず、初心者が読了できて得るところがあるものを書けるというのは、余程明晰で優れた学者さんだけだと思います。

中身で印象に残っているのは以下に引用する部分などですが、他に一点だけ挙げると、「余滴 プロイセン皇太子とビスマルク」というコラムがある。

ヴィルヘルム1世治下にビスマルクがドイツ統一を成し遂げたが、ヴィルヘルム2世が即位すると対立し、1890年にビスマルクは退陣、以後ドイツは「世界政策」に乗り出し孤立の道へ、という流れは高校教科書にも出てきますが、ヴィルヘルム2世は同1世の子ではなくて孫である。

実はその間に1世の子のフリードリヒ3世の極めて短い治世が挟まっている。

ヴィルヘルム1世は、1797年(!)生まれで、1849年フランクフルト国民議会の差し出した帝冠を拒否したフリードリヒ・ヴィルヘルム4世の弟で、その後を継ぎ1861年即位。

異例の長寿を保った後、1888年死去、子のフリードリヒ3世が即位するが在位わずか99日で世を去る。

このフリードリヒ3世は英国のヴィクトリア女王の娘(母と同名のヴィクトリア)と結婚し、自由主義的・親英的で知られた人だったらしく、この人の治世が長く続いていたら、下から沸き起こってくるナショナリズムをある程度制御し得て、ドイツと世界の運命は全く変わっていたかもしれないとも言われている模様。

ヴィルヘルム2世はその子なので、ヴィクトリア女王からエドワード7世を経て王位を継ぎ、第一次世界大戦で敵国同士となった英国王ジョージ5世はヴィルヘルム2世のいとこになる。

水谷三公『王室・貴族・大衆』の系図など参照。)

ちなみにエドワード7世の妻とアレクサンドル3世の妻はデンマーク王家出身の姉妹なので、ジョージ5世とロシア皇帝ニコライ2世は母方のいとこになる。

こういう王家同士の婚姻関係も、民主化が進展しナショナリズムが野放しになった20世紀においては、全く緩衝材として働くことができなかったことに慨嘆せざるを得ない。

期待に違わぬ良質な本。

比較的硬い形式のものでこれだけ楽しませてくれるのだから文句無し。

買わなくてもいいかもしれませんが、図書館で在庫があれば是非借りてみて下さい。

以下、「講演 啓蒙絶対主義と革命」の章、註より。

プロイセンの改革者ハルデンベルク1807年9月のいわゆる「リガ意見書」でこう書いている。「フランス革命はフランス人に、流血と騒擾の下で全く新しい活力を与えた。あらゆる力が呼び起こされ、みじめさと脆弱さ、また時代遅れの偏見や疾患が――もちろん多くの良いものと一緒に――破壊された。[中略]だから、よい意味での革命、人間を高貴にするという偉大な目的に到達するような、そして内外からの暴力的衝動ではなく政府の英知によって導かれる[革命]――それがわれわれの目的、われわれの指導原理である」。同じことを同意見書の別の箇所ではこう言っている。「可能な限りの自由と平等――[しかし]フランス革命の血まみれの怪物どもがその犯罪の隠れ蓑にした無拘束の、当然非難されて然るべきそれではなく、[中略]国家市民の自然の自由と平等をその市民の文化の段階と彼らの福祉がそれを必要とする以上には制限することのない、君主国の賢明な法律によるそれである」・・・・・。

ここではフランスの事態に対する激しい批判だけでなく、この批判にもかかわらず、「よい意味での革命」という言葉遣いにもあらわれているように、「革命」という概念にまだ一定の積極的意味合いがこめられていること、またフランスでなされたのと同等のことが、フランスとは別の方途でなされなければならないことが強く意識されていること、この点が留意されなければならないであろう。これは、「プロイセン改革」を指導した文武の官僚たちのかなりの部分に(他国では、例えばバイエルンのモンジュラについても)言えることだと思われる。もちろん、すべてに妥当するわけではないが。

例えば、シュタインがすでに違う。「フランスの無政府状態と不道徳」をフランス人の国民性に帰し、これを倫理的に弾劾したシュタインにとって、フランスの事態は「軽率に企てられ、狂って犯罪的に押し進められて、最低の専制政治に成り果てた革命」以外の何物でもなかった・・・・・。もちろん改革はしなければならないが、革命から学ぶものなど何もない。われわれは「すべてを新しくつくり出そうとする1789年以降の立憲的原理は間違っていること、歴史的地点から出発し、[それを]修正もし、より完全なものにしてゆくべきであるが、それは転覆などではないこと」を知るべきである・・・・・。

(補三) なお先程、ドイツでは革命は二つの顔をもつものと観念されるようになったという話をしましたが、これもドイツだけのことではないでしょう。フランス自体においても実はそうだったということが、先年1989年――フランス革命200周年に当たって私たちにも明らかになった。フランスのいわば「正統史学」の立場を守ってきたジャコバン主義史学に対するフュレなどのいわゆる「修正派」の批判はすでに前からのことですが、私など門外漢がその重要性を知ったのは、やはり200周年の年にいろいろ紹介されたことであります。またあの大革命、特に1793年以降のジャコバン独裁ないし「恐怖政治」期の評価をめぐっては、学界のみならずフランスの国民世論あるいは国民感情の中に、いまだ埋め難いような亀裂が存在していることも、他ならぬこの200周年の機会に私たちに知られるようになりました。革命が明るい顔だけでなく、恐ろしい顔ももっているのは、ドイツだけのことではなかったのです。

・・・・・1989年のフランスにおける革命200周年の国家的祭典は、祝うのは1789年であって93年ではない、という諒解の下で、またその諒解の下でのみ行なわれえたと記憶する。

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