« 引用文(高坂正堯2) | トップページ | 根本敬 『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢 (現代アジアの肖像13)』 (岩波書店) »

杉勇 『古代オリエント (世界の歴史1)』 (講談社)

次に何を読もうかと迷う。

手薄なカテゴリを補強しようと書名一覧を見渡して、やはりオリエントが弱いなと認識。

といって、特にいい本も見当たらず(見つけられず)、講談社旧版世界史全集の中のこれを適当に選んだ。

中公旧版の『古代文明の発見』、中公新版の『人類の起源と古代オリエント』および『オリエント世界の発展』、文春大世界史の『ここに歴史はじまる』、河出版の『古代オリエント』などは読了済み。

講談社旧版では他に『ペルシア帝国』の巻があるので、本書の叙述範囲はアケメネス朝の統一直前まで。

読み始めてみると、やはり先史時代の記述は砂を噛むようで辛い・・・・・・。

これは個人的趣味の問題なので、余程優れた特徴のあるもの以外、どの本読んでも同じだと思います。

だが、歴史時代に入っても大して変わらない。

歴史的人物の個性が発揮される物語が展開されるのではなく、考古学的研究に基づいた推測で都市名と王名がズラズラ羅列されるだけという印象。

全然面白くないが、これも時代の性質上仕方ないか。

しかし時代が進んだ、後半部に入っても同じ。

民族名と君主名の洪水が大量に押し寄せてくるような記述で相当苦しい。

はっきり言うと挫折しそうになったので、途中から精読するのを止めて、飛ばし読みに変更した。

折角なので、以下のような高校レベルの事項のみを確認(赤字は暗記した方が良いと思われる年代)。

まず、前3000年ごろという年代をチェック。

大雑把に言って、この頃エジプトのメネス王による統一国家とシュメールの都市国家が成立、これが一番最初の区切りになる。

古代エジプト人はハム語族、シュメール人は民族系統不明。

エジプトでは、前21世紀に古王国から中王国へ、前16世紀に中王国から新王国へ移行。

ヒクソスの侵入は、古・中王国間の第一中間期ではなく、中・新王国間の第二中間期。

シュメールの都市国家では、最初覇権を握った都市として本書の記述で頻繁に出てくるのはウルではなく、ラガシュ。

次いでウルクが少し出て来るだけで、ウルはアッカド王国滅亡後シュメール支配を復興させたウルナンム王のウル第三王朝時代まで目立たない。

私の誤読かもしれないが、上記河出版の『古代オリエント』でも似たような印象を持った記憶がうっすらとだがある。

前24世紀セム系アッカド王国(サルゴン1世)繁栄、一時ウル第三王朝でシュメールが復興した後、セム系アムル人の古バビロニア王国成立。

(ちなみにこれをバビロン第一王朝と呼ぶのは、個人的には馴染みが無くて嫌です。後述のカッシートのことをバビロン第三王朝と言うのも慣れない。)

古バビロニアでは有名なハンムラビ王の治世が前18世紀であるのを暗記。

前2000年ごろからインド・ヨーロッパ語族侵入、前18世紀にヒッタイト建国、前16世紀には古バビロニアを滅ぼし、他にミタンニ、カッシートも成立。

(この時期移動した印欧語族の一派がギリシア人で、前16世紀頃エーゲ文明のうちのクレタ文明を滅ぼし、代わってミケーネ文明を興す。)

この時期エジプトに侵入したヒクソスも印欧語族だと話は簡単なんですが、彼らは「アジア系遊牧民」とだけ教科書では書かれている。

ところで、本書の297ページにはこのヒクソスをミタンニ王国の多数派を構成していたフルリ人と見做す説があると書いてあって、「ええっ!?」と思った。

これは他の本で読んだ覚えがない(か忘れている)ので、本書の記述だけで鵜呑みにするのは危険な気がします。

前12世紀に民族系統不明の「海の民」が侵入、ヒッタイトが滅亡、エジプトも衰退。

(「海の民」とは妙な名前だが、固有名詞が無く他に通称も無いので、これ以外呼び様がない。)

この「海の民」はギリシアではミケーネ文明も滅亡させている(ギリシア史とオリエント史の対比のためこれは要記憶)。

高校時代ははっきり理解していなかったが、以後前9・8世紀にアッシリアが領土を拡大するまで指導的国家が無く、オリエントは小国分立時代と考えていい模様。

前13世紀末に地中海岸を震駭し情勢を大いに変化させた大民族移動は、政治や文化の状態を前後の時代とのあいだにはっきりと区別させることになった。内部的にはすでに衰えていたクレタ・ミケーネの文化も、ハッティ文化の向上した状態もこの大暴風雨のまえにまったく崩壊してしまった。ハッティの大帝国は滅亡し、ハッティ、バビロニアとの抗争を利用してその基礎をきずこうとするアッシリアの努力もたいした効果をあげるにいたらず、オリエント世界で四百年間政治上指導的地位を占めていたエジプトは、海上からの被害はデルタ地帯にとどまったけれども、文化的にはもえのこりの様相を呈し、しかも、このような激動のうちに新たに優位を占めようとする国もなく、前9世紀から前8世紀の半ばにかけてアッシリアがメソポタミア地方を統一するまでオリエントにはしっかりした体制は作られなかった。各地間の交易と戦争はないではなかったが、一般に各民族は約一世紀にわたり、いずれも孤立してしまい、諸国の歴史は疲弊しきった単調の中に経過した。それは小国家および地方にとっては平静なる生活の時期であって、こうした特質はアッシリア人が時々活動したにもかかわらず、根本的には変わらなかった。・・・・・・

しかしながら、大国の無力化によって小民族、小国家は自己の体制を固めながら、自由に発展しえたようで、フェニキアの商業と、民族の発展は航路の発見と開拓と植民地の建設をもたらし、またアラム人のシリア、メソポタミアへの伝播が可能となり、一方イスラエル人ならびにギリシア人は各々独立した精神文化を完成し各民族独得の宗教の勃興もこの時代の一つの特徴であった。

こうして前代とは異なった、個々民族の分立という点が前9世紀までの特徴となった。しかし、前8世紀の終わりにティグラートピレセル3世およびその子孫がアッシリア帝国を建設し、オリエントの世界の情勢はいちじるしく変わった。アッシリアは仮借するところなき峻厳な手段で、政治的に孤立した各民族をいたるところで滅ぼして一つの中央集権国家を完成した。

上記引用文の通り、この時期フェニキア・アラムの海・陸通商民族とヘブライ人という三つのセム系民族が間隙を縫って活発に活動。

前1000年頃という極めて切りのいい年代にヘブライ王国のダヴィデ王が即位したことを記憶しておくと便利(ちなみに中国では同じ頃殷周革命)。

なお本書の276ページには後に新バビロニアを建てたカルデア人は、メソポタミアに進出したアラム人であると書いてある。

確かに同じセム系民族だが、これも聞いたことが無かったので「本当かな」と思う。

セム系民族のアッシリアは前2000年頃北メソポタミアに建国してから細々と続いて、ハンムラビ王の服属国としても名が出てくるし、次いでミタンニにも服属。

前8世紀ティグラトピレセル3世時代から大膨張を開始。

新王朝を始めたサルゴン2世が前721年(教科書では722年)イスラエル王国を滅ぼす。

子のセンナヘリブを経て、孫のエサルハドンが前671年エジプトも征服。

その子が図書館(文書館)で有名なアッシュールバニパル(アッシュールバーンアプ)王で、この王の死後アッシリアは急速に衰退、前612年に都ニネヴェが新バビロニア・メディア連合軍によって陥落。

アッシリアによる史上初のオリエント統一が前7世紀前半、しかしその世紀の末にはもう滅亡と憶える。

その後の、印欧系のメディアおよびリディア、セム系の新バビロニア、ハム語族(ですよね?この時期も)のエジプトの四国分立の形成となるが、教科書で必ず載っている割には、この情勢は極めて短い期間存続しただけで100年も続いていない。

アケメネス朝のキュロス2世が、前550年メディアを、前546年リディアを、前539年(538としている本もあり)新バビロニアを滅ぼし、カンビュセス2世が前525年エジプト征服。

前500年とこれまた極めて憶えやすい年代にペルシア戦争が起こっているので、前612年のアッシリア滅亡から100年余りしか経っておらず、それを考えると歴史の展開が非常に速く感じる。

この四国対立時代のエジプトは昔、新王国だと思っていたが、前11世紀以降は普通「末期王朝」と分類するそうです。

なお、セム系新バビロニアの滅亡後はアケメネス朝ペルシア→ヘレニズム時代→パルティアおよびササン朝ペルシアとローマの対立という流れになるので、7世紀イスラムの誕生とアラブ民族の大膨張までの約一千年間、セム系民族は支配民族としては歴史の表舞台に出なくなると考えていいんだろうか。

(ユダヤ人はもちろん活動しているが。)

まとめ。

前3000年くらいに文明が成立して前2000年以後エジプト中王国と古バビロニア王国で(本書の表現では)オリエント古典文化の盛期を迎えるが、やがて印欧語族の侵入で分裂時代となり前1500年以降はヒッタイトとエジプト新王国が対立する形勢となるが、そこへ前12世紀「海の民」という民族大移動が重なってさらに混乱が数百年継続した後、7世紀にアッシリアのオリエント統一、短期間の四国分立を経て、6世紀にアケメネス朝ペルシアの再統一、前500年ペルシア戦争というのが、オリエント史の一番単純化された大きな流れ。

前3000年から、うまい具合に500年・1000年ごと区切って情勢を把握することが可能(特にエジプト史は)。

後は前24世紀アッカド、前18世紀ハンムラビ王などをイレギュラーで覚える。

前半はセム系、後半は印欧系の活躍が目立つ。

セム系民族は、アッシリアが大きな花火を打ち上げた後は舞台裏に退くようなイメージ。  

以上、高校世界史の復習のためにいろいろメモしましたが、本書の出来自体は、はっきり言ってよくありません。

やる気の出ない時にダラダラ読んだからかもしれませんが、一週間かけて飛ばし読みしながら、ようやく通読できた。

所々、上記引用文のような役に立つ視点が記されているものの、煩瑣な事実が工夫無く書き連ねてあるだけという部分が多過ぎる。

もともと苦手分野であることを差し引いても、初心者向けの平易で明解な入門書とはお世辞にも言い難い。

他の世界史全集に比べて、これを優先して読む理由はほとんど無いです。

|

« 引用文(高坂正堯2) | トップページ | 根本敬 『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢 (現代アジアの肖像13)』 (岩波書店) »

オリエント」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。