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貝塚茂樹 責任編集 『世界の名著3 孔子 孟子』 (中央公論社)

いつかは読まなきゃならんなあと思っていた古典。

収録は『論語』全訳と『孟子』抄訳。

孔子は前552(または551)年~前479年が生没年。

春秋時代が前770~前403年、戦国時代が前403~前221年なので、春秋時代末期の人。

中国東部、山東省内の周公旦を祖とする小国、魯国に生れる。

当時の魯は三桓氏と言われる孟孫氏、叔孫氏、季孫氏の豪族が専横を極める時代。

君主昭公の三氏に対するクーデタが失敗し、昭公が斉に亡命すると、孔子もこれに従う。

昭公の死に前後して帰国、弟の定公に仕える。

季孫氏の執事陽虎(陽貨)が一時実権を握り、三桓氏の支配が動揺。

これを機に、大司冦という大臣になっていた孔子は三桓氏の軍事的拠点である居城の廃棄を進め、君主権を強化しようとするが、反対を受け失敗、再度亡命。

衛・宋・楚の諸国を14年にわたり流浪した後、哀公時代の魯に帰国、晩年は弟子の教育に専念する。

『論語』は孔子とその弟子の言行録であり、「孔子著」とするのは問題あり。

最も期待されていたが若死にした顔淵(顔回)、秀才肌の子貢、直情的な子路など弟子たちの肖像が垣間見れるのは結構興味深い。

本書の形式は、まず読み下し文と原文を置いた後、貝塚氏の注釈と解説を載せるというもの。

私は本来、古典の翻訳で本文以外にあれこれ注釈などが付いたものは決して好きではありません。

しかし、この辺の中国古典では、原文があまりにあっさりし過ぎていて、意味が取れないものが多数ありますので、本書に限って言えば気になりません。

貝塚氏の解説は、『世界の名著 司馬遷』で経験済みで、その本と同じく、嫌いではありません。

そうではあるんですが、本文を素直に読んでいくと・・・・・・。

まあ正直、そんな面白いもんではないですね。

司馬遼太郎『アメリカ素描』(新潮文庫)に以下のような文章があります。

私は、孔子の語録である『論語』がすきである。・・・・・

ここにはアリストテレス以来の論理学もなければ、欧米人の言語表現を鍛えぬいてきたかの修辞学もない。

わざとわるくいえば老人の人生訓のようなものであり、不明晰な部分や、論理の飛躍や空白がたっぷりある。

それらを読み手が自分の思い入れでうずめて、

(ああ、正しい道とはそういうものか)

と、ひとりがってんするようにできている。

だから、『論語』の語句は、いちいち読み手が察せねば完成しないのである。

さらにいうと、『論語』は論理の展開ではなく、片言隻句のあつまりなのである。

どの句も50パーセントしか語っておらず、読み手は自分の中の50パーセントを持ち出さねば補完できない。

つまり、察せねば、読むことが完了しない。

この文章の通り、ごく表面的に読むならば「片言隻句のあつまり」にしか思えない。

もちろんそのために詳しい解説もあるし、私程度の読者でも、所々はっとする文章や、深く自省させられる部分が間違いなくあります。

ただ、初心者が読んで、全編通じて面白さを感じられるという種類の本ではないです。

ページを手繰るのもつい億劫になり、『論語』の部分だけで一週間弱かかりました。

『孟子』も読むつもりが、結局挫折。

まあ、誰でも知ってる古典中の古典ですから、『論語』だけでも「とりあえず通読した」という事実だけ作れてよかったのかなと。

同じ「世界の名著」で『聖書』と『コーラン』も読むべきでしょうか。

しかし、めんどくさいなあ・・・・・・。

子貢、人を方(ただ)す。子曰わく、賜は賢なるかな。それ我は則ち暇あらず。

子貢が他人をよく批評した。先生はいわれた。「子貢よ、おまえは偉いね。わたしにはそんな暇がないのに」

子曰わく、群居して終日、言、義に及ばず、好んで小慧を行う。難いかな。

先生がいわれた。「寄り集まって一日中おしゃべりをしながら、ついぞ一度も話が正義に触れることがなく、こざかしい悪知恵を働かしている。これではどうにもならない。」

子曰わく、君子は矜(きょう)にして争わず、群するも党せず。

先生がいわれた。「君子は、厳然として犯すべからざる態度をとってはいるが、他人と争いを起こそうとしない。おおぜいの人と交わるが、党派にはいらない」

子曰わく、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃(す)てず。

先生がいわれた。「君子は人のいったことばによってその人を推薦しない。それをいった人によってそのことばを捨てることはしない」

*前半の、ことばだけを信用しないで、よく人柄を見てから推薦するというのは、これを実行することはそんなに困難ではない。後半の、人によってことばを捨てないほうが、実行が難しい。あいつのいう言だから信用しない、あの学派のいうことだからなんでも反対するという態度から、完全に免れうる人が、現在この日本にいるであろうか。

子貢問いて曰わく、一言にして以て身を終うるまでこれを行なうべき者ありや。子曰わく、それ恕(じょ)か、己れの欲せざる所を人に施す勿(な)かれ。

子貢がおたずねした。「ほんの一言で死ぬまで行なえるものがありますか」

先生がいわれた。「それは『恕』だろうね。自分にしてほしくないことは、他人にしてはならないということだ」

子曰わく、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

先生がいわれた。「おおぜいが皆きらう人でも、ほんとうにそうなのかどうかを詳しく調べる。おおぜいが皆好む人でも、ほんとうにそうなのかどうかを詳しく調べる」

子曰わく、道を聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つるなり。

先生がいわれた。「道ばたで聞きかじってきたことを、道ばたで自説のようにすぐ演説する。これは道徳の放棄だ」

子貢問いて曰わく、君子もまた悪(にく)むこと有るか。子曰わく、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下に居て上を訕(そし)る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒(ふさ)がる者を悪む。曰わく、賜や亦(また)悪むことあるか。徼(かす)めて以て知と為す者を悪む。不遜にして以て勇と為す者を悪む。訐(あば)きて以て直と為す者を悪む。

子貢がおたずねした。「君子でも憎悪がありますか」

先生がいわれた。「君子にも憎悪はある。君子は他人の悪をいいはやす人を憎む。下位におりながら、上位の人を非難する人を憎む。勇気はあるが礼儀をわきまえない人を憎む。自己を押しとおして頑固で譲らない人を憎む」

先生はまたたずねた。「子貢よ、おまえにも憎悪があるかね」

(子貢はおこたえした)「他人の意見を剽窃して、知識ありげな顔をする人を憎みます。傲慢をもって勇気と思っている人を憎みます。他人の隠し事をあばきたてて、正直と思っている人を憎みます」

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