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引用文(コーンハウザー1)

ウィリアム・コーンハウザー『大衆社会の政治』(東京創元社)より。

中心的な価値のかわりに御都合主義的な打算をもってくる結果、その政治的独自性を保持しえなくなった同じような例は、ナチ運動と提携したドイツの保守主義者の場合にもみられる。自らナチと提携したあるドイツの指導的保守主義者がその過失を次のように分析している。

なによりもまず思い起こされねばならないことは、民族主義者、保守主義者、自由主義的な中産階級、貴族主義のいかんを問わず、それらの人たちの思想の世界が、さらにはまた知識階級の思想の世界も、長い間、懐疑主義にむしばまれていたということである。これら「支配」階級の全体が、大都会のプロレタリア大衆におとらず、ニヒリズムに向かって動いていたのであった。かれらのこの方向への動きは、むしろ労働者階級よりも急速であった。伝統的な支配階級の間で、伝統への信頼はおとろえ、機械と小細工と唯物主義に対する信頼が成長しつつあった。そしてかれらをナチの敵から味方に変えてしまったのである。原理の欠如がおそらく[ナチ]の強みであろう。君主制主義者や保守主義者の間で伝統が欠如していたことは、間違いなくかれらの弱みである(Rauschning)。

指導的な保守主義者自身が、大衆を組織する必要を感じるにいたったとき、またこの目的のためにナチとの提携にのりだしたとき、ドイツにおける保守主義の死期はすでに迫っていたのである。

要するに、社会主義的なものにせよ保守主義的なものにせよ、政治的集団が自らの基準を捨て去って、大衆的基準をかわりにかかげるようになると、それらの集団はもはや独立した勢力として自らを維持していくことができなくなる。政治集団が自らの方向感覚を失うとき、その集団のメンバーも指導者も、思うままに大衆志向的なエリートによって虜とされる。「独裁の野望に燃えた集団にすきを与えるのは、現代大衆社会に遍在するこの方向の喪失なのである」(Mannheim)。

引用文(レーデラー1)参照。

「日本における保守主義の死期」も迫っていなければ幸いです。

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