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アリストテレス 『政治学』 (中公クラシックス)

プラトン『国家』に続けて類書を片付ける。

この中公クラシックス版は、「世界の名著」シリーズの翻訳を転用したもので、抄訳。

岩波文庫や京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」には全訳本も収録されているが、とりあえずこれで済ませることにする。

高校の倫理(政経?)の時間で出てきたように、すべての国制を、統治者の数によって三種類、正しいものと邪道にそれたものによって二種類にわけ、合計六つに分類しているのが特徴。

王制と僭主独裁制、貴族制と寡頭制、国制(共和制)と民主制。

最後のものを民主制と衆愚制と書いている本もあるが、本書では多数者が公共の福利に留意して国事を行う正しい政体を、六種類すべてに共通する名称である「国制(ポリーテイアー)」(共和制)と呼び、その堕落形態が民主制であるとしている。

最初からじっくり読み進んでいくと、特に難解な部分や意味の取れない文章は無い。

哲学者の頭の中でしか存在しない理想国家ではなく、現実にあり得る限りの最善の国制を追求し、「中庸」を重んずる立場であろうから、読んでいてすぐ気付くのが、プラトンほど民主制に対して否定的ではないということ。

邪道にそれた三つの政体のうちでは、民主制が一番安定していると書いている。

後は、貴族制とは寡頭制と民主制の混合形態だとか、僭主独裁制は極端な寡頭制と極端な民主制が合体したもので、両者の害悪を併せ持つだとか、それぞれの政体の特徴や同じ政体の中でのヴァリエーション、相互の比較対照について、あれこれ述べてある(以上ややうろ覚え気味です)。

プラトンに比べてると、現在の通俗的見解からの距離は近い方ではあるが、その分あまり面白くない。

読み進むのはさして困難ではないが、真ん中辺りまでは少し退屈。

以後興味深い文章が出てくるようになりましたが、読み終えてもプラトン『国家』ほどの充実感は無かった。

全訳を読むべきなのかもしれませんが、どうもやる気が出ません。

また別の種類の民主制は、他の点ではいまのと同じだが、国制を左右する力をもっているのが大衆であって法律ではない、というものがある。これは、大衆の票決が力をもって法律がこれをもたない場合に起こることである。そしてそういう結果になるのは、民衆煽動家(デマゴーグ)の影響によってなのである。なぜなら法律にもとづいて民主制が行われている国においては、民衆煽動家は現われないで、市民のなかで最もすぐれた人々が重要な地位を占めているが、法律が力をもっていないところでは民衆煽動家が現われるものだからである。というのは、そういうところでは民衆は、多人数の集団が一人の人間のようになって、単独支配を行うことになるからである。つまり多くの人が個人個人としてではなく、総勢として主権者となるからである。

・・・・・とにかくいまいったような種類の民衆は、単独で支配するものだし、法律に支配されないということもあって、単独支配を行うことを求め、やがて専制的になり、その結果取り巻きが尊重されることになる。こうしてこの種の民衆(民主制)はいろいろな単独者支配制のなかでは(僭主の)独裁制に対比すべきものであるということになる。それゆえこの両者は性格も同じであり、両者ともに自分たちよりすぐれた人々を専制的に支配し、大衆の票決は独裁者の命令に当たるものであり、民衆煽動家と取り巻きは、同じものでありまた対応している。またこの両者はいずれもそのそれぞれのところで、すなわち取り巻きは独裁者のところで、民衆煽動家はこれに対応する一般民衆のところで、最も大きな力をもっている。そして最終的に決定権をもっているのが大衆の票決であって法律ではない、ということにしてしまった張本人はこの民衆煽動家たちであり、そのようになったのはかれらが何事もすべて一般民衆のところへもちこむということによってであった。つまりなぜならかれらが大きな勢力をもつことになるのかといえば、万事を決定する支配力は一般民衆にあるが、その一般民衆の意見を決定する力はかれら民衆煽動家の手中にあるからで、それは大衆はかれらの言に左右されるからである。

そのうえにまた、政府当局を非難する人々は、一般民衆がことを決定しなければならないと主張し、一般民衆のほうは喜んでその申し出を受け入れる。こうしてすべて支配体制が解体されるのである。そしてこのような民主制はもはや国家の体制をなしていないと主張する人は道理にかなった非難をしているように思われるであろう。なぜなら、法律が支配していないところには、国家の体制は存在しないからである。なぜなら法律が一般的なことがらのすべてを支配し、政府が個々のことがらを支配するというのでなければならず、このようなものこそ国家体制であると判断しなければならないからである。したがってもし民主制が国家体制の一つであるならば、万事が大衆の票決だけで片づけられるような状態にあるものは、本来の意味での民主制でさえない、ということは明らかである。なぜなら大衆の票決はどんなものでも決して一般性をもつものではありえないからである。

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)引用文参照。

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