« 塚本哲也 『メッテルニヒ  危機と混迷を乗り切った保守政治家』 (文芸春秋) | トップページ | 児島襄 『太平洋戦争 上』 (中公文庫) »

坂野潤治 編 『自由と平等の昭和史  1930年代の日本政治』 (講談社選書メチエ)

編者の坂野氏(「さかの」ではなく「ばんの」とお読みするようです)については、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)、『明治維新 1858-1881』(講談社現代新書)、『明治デモクラシー』(岩波新書)、『日本憲政史』(東京大学出版会)など、読むべきだと思っている本が相当あるのですが、結局これを最初に読むことになってしまった。

政友会・民政党の二大既成政党の「自由」と軍部の「ファシズム」の対立と、通常捉えられている1930年代の日本政治に、合法的無産政党である社会大衆党によって代表される「平等」という要素を付け加え、その三者の相克として当時の政治状況を理解しようとする本。

日本史教科書で無産政党の記述をチェックすると、1925年農民労働党が結成されるが即日禁止、翌26年に共産党系を除外した労働農民党結成。

共産党系が主導権を握ろうとしたため同年労働農民党・日本労農党・社会民衆党に三分裂。

満州事変後、国家社会主義への転向が進み32年日本国家社会党結成、残った社会主義者が合同して同年社会大衆党を結成となっている(社会大衆党は40年大政翼賛会によって解党するまで存続した模様)。

なお、坂野氏は自らの立場を以下のように述べている。

編者としての私個人は、「自由主義」と「社会主義」とが妥協の余地のない選択として突きつけられれば、躊躇なく「自由主義」を選択する。過去の人生で、「社会主義」陣営の内向きの「全体主義」を嫌というほど体験させられてきたからである。

それにもかかわらず、歴史分析において「自由」と「平等」のどちらを選ぶかと問われれば、「自由」六分に「平等」四分と答えざるを得ない。社会の底辺で何が起こっているかに全く無関心な「自由主義者」は、自陣の内側で何をしているかに無関心な「社会主義者」と同程度に嫌いだからである。

1936年2月の総選挙とその直後の二・二六事件、1937年1月宇垣一成内閣の流産と2月林銑十郎内閣成立、4月総選挙、6月第一次近衛内閣成立と7月盧溝橋事件勃発が、本書の中心的な時代背景。

「自由」重視派と「平等」重視派が一致協力して「ファシズム」に対抗することができず、「自由」派は社会の困窮に明解な手を打てず、「平等」派はその目的実現のために、時には軍部に親和的な態度を取るといった状況だったことが記される。

第一章では、二大既成政党を足場に「自由」を重視したジャーナリスト馬場恒吾と、社会大衆党と既成政党改革派に期待し「平等」を重視した行政学者蝋山政道を対比させ、1930年代の政治史を概観。

第二章では、民政党内での「自由」派として「反軍演説」で有名な斉藤隆夫を、「平等」派として永井柳太郎を挙げ、両者の活動を描いている。

なおもう一方の既成政党である政友会は単純な保守政党として「自由」「平等」どちらへの寄与も少ないとされ、本書での評価は甚だ低い。

第三章は、社会大衆党に代表される「平等」派よりもさらに過激な日本共産党など「左翼」に目配りし、野上彌生子の小説を通じて弾圧の結果転向した人々がこの時代をどのように眺めていたかを考察している。

この三章は一、二章とは毛色が非常に異なり、突飛な印象を強く受ける。

割と面白い。

200ページ足らずで、集中すれば一日で十分読める。

特に難解な部分は無く、戦前の政治史について明解な見取り図を与えてくれるが、教科書レベルの次に即読むのはつらいかも。

第一章の冒頭で、

日本の近代史には、興隆、崩壊、再建の三つの大転換があり、それぞれの大転換期にはその画期となる時点や事件が存在した。

・・・・・崩壊期の画期として著者が着目してきたのは、1937年1月の宇垣内閣の流産とその三ヶ月後の第20回総選挙における社会大衆党の躍進である。

なんて文章がいきなり出てくるが、慣れていれば何ともないとは言え、昭和の内閣順がスラスラ出てくるくらいじゃないと面食らうか。

ある程度のことがわかっていないと、あまり効用は期待できないかも。

最低限の基礎ができていれば、有益な本だと思います。

|

« 塚本哲也 『メッテルニヒ  危機と混迷を乗り切った保守政治家』 (文芸春秋) | トップページ | 児島襄 『太平洋戦争 上』 (中公文庫) »

近代日本」カテゴリの記事