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イギリス東インド会社についてのメモ

浜渦哲雄『イギリス東インド会社』(中央公論新社)の記事続き。

ベンガル・ビハール・オリッサ徴税権を手に入れたものの、統治費用の増大から東インド会社はかえって倒産の危機に陥る。

イギリス政府が支援に乗り出し、1773年ノースの規正法制定。

政府が会社の監督を強化、ベンガル総督を設置しボンベイ、マドラスの上位にあって全インドを総攬することとする。

1784年ピットのインド法でインド庁設置、会社権限をさらに縮小。

1813年東インド会社の(インドでの)貿易独占権廃止、33年中国での貿易独占も廃止、商業活動を停止(この二つは高校教科書にも載っているが、たいていインド植民史とイギリスの自由主義改革の部分に分かれて出てくる)。

軍隊について。

国王軍と会社軍の並立。

国王軍はイギリス人のみで構成、会社軍は白人兵のみの部隊もあるが、数の上では将校がイギリス人、兵士がインド人の部隊が圧倒的。

宗教・カースト・民族が違えばイギリス人の指揮下で同じインド人と戦うのもさしたる抵抗が無かったのだろうが、考えてみればイギリスが長州・薩摩人を率いて徳川幕府を倒し日本を植民地化するようなものですよね。

根本的な価値観の共有と同胞意識の涵養がいかに重要かを再認識します。

官僚制について。

ICS(インド高等文官)制度に関して、初期は会社役員の縁故採用が多かったが、のちにイギリス本国の官吏採用よりも早く公開試験制を導入したとか、そのようなことが書いてある。

末尾は簡略なインド総督列伝。

最初はまだ総督ではなくベンガル知事のクライヴ(1758~60、65~67年)から。

プラッシーの英雄、社員の綱紀粛正に取り組むが敵も多く、帰国後反ネイボップ(インド成金)感情もあって汚職と権力濫用を議会で糾弾され自殺。

ウォーレン・ヘイスティングス(1772~85年)=ベンガル知事から初代ベンガル総督に就任。マイソールのハイダル・アリ、ハイデラバードのニザーム(藩王)、マラータ諸侯の間を離間し、マイソールに攻撃集中。

チャールズ・コーンウォリス(1786~93、1805年)=第3次マイソール戦争でハイダル・アリの息子ティプ・スルタンを破る。インドに来る前は確かアメリカ独立戦争で英軍を率いて敗れているはず。

ジョン・ショア(1793~98年)=不介入政策、財政健全化。

リチャード・ウェルズリー(1798~1805年)=1799年第4次マイソール戦争に完全勝利、ティプ・スルタン敗死。ワーテルローの英雄ウェリントン公(アーサー・ウェルズリー)は弟。(ウェリントンの本名とこのベンガル総督の存在は知っていたが血縁関係自体は全然知らなかった。)

ミントー(1807~13年)=ナポレオン戦争中にジャワ占領、配下のラッフルズが1819年シンガポール建設、東南アジア英植民地の端緒を作る。

モイラ(1813~23年)=グルカ(ネパール)戦争、第3次マラータ戦争。

アマースト(1823~28年)=第1次ビルマ戦争。

ベンティンク(1828~35年)=サティ(寡婦殉死)禁止、会社の商業活動停止、ベンガル総督の名称がインド総督へ。

オークランド(1836~42年)=第1次アフガン戦争。

エレンボロー(1842~44年)=アフガン撤兵、インダス川下流シンド地方併合。

ヘンリー・ハーディング(1844~48年)=第1次シク戦争。

ダルフージ(1848~56年)=第2次シク戦争・パンジャーブ併合、第2次ビルマ戦争。

チャールズ・カニング(1856~62年)=インド大反乱、会社解散。

以上細かな年代はともかく、イギリス支配地が18世紀半ばベンガル→18世紀末南インド・マイソール、19世紀第一四半期中部インド・マラータ→19世紀半ば北西インド・シクと広がっていったことを戦争の順番と共に憶えるといいでしょう。

それほど悪いとも思わないが、かと言って特筆すべき内容があるわけでもない。

浅田實『東インド会社』(講談社現代新書)と比べると新しい知識や見解が盛り込まれてはいるんでしょうが、私のような初心者がそれを十分汲み取れるかというと心もとない。

それと、この薄さの単行本で定価2310円というのも随分高く感じる。

まあ普通ですね。

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