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ナチについてのメモ その2

その1と同じくグイド・クノップ『ヒトラーの共犯者 下』(原書房)より。

第6章「死の医師」ヨーゼフ・メンゲレ。

1911年生まれ、大学で人類学と遺伝学専攻。

ナチに加入後、親衛隊に入り、1943年からアウシュヴィッツにて収容者のうち、主に双子を対象にした奇怪かつ残忍極まる人体実験に従事。

メンゲレが、双子の子どもたち、特に少女たちを喜ばそうと、自動車に乗せて収容所内の道をドライブしている姿は、ミュンヒがよく目撃している。それから何日もたたないうちに、その同じ双子たちが、メンゲレの解剖台の上に寝かされた。「双生児研究」の最中に殺されたのである。腹を切り開かれる子どもの死体。「それは、どうにも理解しがたいことでした。しかし、メンゲレにとっては当然のことになっていたのです」とミュンヒは言う。一部の子どもたちから「おじちゃん」と呼ばれていたメンゲレは、「彼の」双子たちにお菓子をやり、笑いかけた。そして最後には子どもたちを殺させ、死体を解剖させた。

・・・・・・

いっぽう、メンゲレの唯一の話し相手だったハンス・ミュンヒ博士は、選別の任務を拒んだ。彼はメンゲレの説得にも折れなかった。これが、クラクフで行われたアウシュヴィッツ裁判において、ミュンヒが親衛隊医師としてただひとり、無罪判決を受けた理由の一つである。またもう一つの理由は、ミュンヒが「衛生研究所」で囚人を見せかけの仕事につかせ、ガス室送りから救った事実である。

ミュンヒの同僚ハンス・デルモッテ博士も、一回目の選別の後、任務をおりたがった。荷役ホームで涙にくれる母親や、恐怖に泣き叫ぶ子どもたち、そして囚人を殴る親衛隊隊員が織りなす心痛む光景を目の前にして、デルモッテは大きな衝撃を受けた。彼は、発作に襲われたように泣きじゃくった。収容所所長や駐屯隊軍医、そしてメンゲレが彼をしきりに説得した。メンゲレはデルモッテに、こう言った。前線の軍医でも、ある種の選別を行わなければならない。必要な手術をどの順番で施行すればいいかを決定し、それによって負傷者の生死を決定する。アウシュヴィッツでは、同じ選別で労働能力のある者が選ばれるのだ、と。ミュンヒは、メンゲレのとどまるところを知らない冷笑主義(シニシズム)を回想する。彼は、こうも言ったそうだ。親衛隊医師のもっとも重要な役目は、働かされるぐらいなら死んだ方がましだと思っているようななまけ者を選り分けることだ、と。デルモッテは選別の任務を続けた。

45年1月赤軍が接近してくると逃亡、一般捕虜に紛れて姿を隠し、49年アルゼンチンへ渡る(このときアイヒマンとも会っている)。

追っ手を逃れてパラグアイ、さらにブラジルへ逃亡。

結局死に至るまで裁かれることなく、1979年死去、85年死亡が公的に確認される。

どの章も非常に読みやすい。

冗長でもなく簡略過ぎるのでもない絶妙の分量で各人を描写するので、よく頭に入る。

興味深いエピソードを次々と述べていくので退屈することもない。

むしろ、こういうテレビ的な「面白さ」に少し警戒心を持ってしまうくらいだが、内容はしっかりしていると思う。

訳文も平明で、一部誤植がある以外、適切。

上・下巻とも十分お勧めできます。

伯爵クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を中心とする軍人レジスタンスの目的は、1944年7月20日の暗殺によって独裁者を排斥し、ナチの狂気に終止符を打つことであった。しかし計画の目的は達成できなかった。アドルフ・ヒトラーは殺されず、それどころかその日の夜ラジオを通じてドイツ人に向かって「ひとにぎりの、野心的で良心がなく同時に犯罪的かつ愚かな将校一派が陰謀を企て、わたしを亡き者にし、同時にドイツ国防軍総司令部幕僚を実際わたしとともに一掃しようとした」と演説した。

この「不名誉な将校たち」は、誰にも支持されずに誤解された悲劇のヒーローだった。彼らを支えていたのは人民の声ではなく、みずからの義務感だった。みずからの名誉だけでなく、ドイツ国民の名誉も守ろうとしたのは孤独な謀反人であった。これらの愛国者の大半は講和を望んでいた。そうすれば自分たちの神聖な「帝国」に、これ以上罪を重ねさせずに、幾分か無傷の状態で残せるかもしれなかったからである。しかしこの帝国はもはや無傷でも神聖でもなくなっていた。国防軍はホロコーストにあまりにも深くかかわり、ドイツの名においてあまりにも多くの殺人が行われてしまったのだから。クーデターの首謀者であるヘニング・フォン・トレスコフがいうには、いまはただ歴史に恥じないように、ドイツのレジスタンスが決定的な一石を投じることがだいじなのだ、ということである。

もしテーブルの下に置いた例の爆弾が、目的とする人物を木っ端微塵にしていたとしたら、そもそも何かの役に立ったのか、ということがよく問われる。無条件降伏などなかったかもしれないのか?帝国が分割占領されずにすんだかもしれないのか?またドイツ東部(東プロイセン)分断による住民の追放もなかったのか?たしかに、すべてもうすんでしまったことである。それにもかかわらず――ゲルデラーの臨時政府によってであれ、軍事政権によってであれ――戦争が終わっていたかもしれない。そうすれば、ヨーロッパの前線で戦っていた何百万もの兵士が死なずにすみ、何十万ものユダヤ人がガス室に送り込まれず、ヴュルツブルクやドレスデン、ブレスラウ、ケーニヒスベルクといった美しい都市が破壊されずにすんだだろう。ヒトラー暗殺が一つでも成功していたらそれは意味があったであろう。

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