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河野淳 『ハプスブルクとオスマン帝国  歴史を変えた<政治>の発明』 (講談社選書メチエ)

世界史関係で手頃な良書揃いで、このブログでも度々記事にする講談社選書メチエからまた一冊。

と言っても実は本書は立ち読みでの印象はあまり芳しくなかったが、たまたま手元に読む本が無かったので通読。

近世初頭、オスマン帝国の脅威を受けたオーストリア・ハプスブルク帝国の政治を分析した本。

まずウォーラーステインの「世界システム論」から筆を起こし、それが市場原理の自動的働きにより「中心」「周縁」「半周縁」という国際的地位が形成されたことを説く理論であるのに対し、本書では国家の政治的軍事的行動の重要性を強調、ハプスブルク家がオスマン朝をバルカンに押し止めたことが近代世界システムの確立に決定的であったと評価している。

具体的史実を挙げた部分に沿ってメモすると、まず1389年コソヴォの戦いでセルビアがオスマン支配下に入り、1453年ビザンツ帝国滅亡。

1440年フリードリヒ3世以後、神聖ローマ帝国帝位は常にハプスブルク家に。

子のマクシミリアン1世がブルゴーニュ公女マリアと結婚してネーデルラント獲得。

その子フィリップ美公がスペイン王女フアナと結婚して両者から生れたカール5世(カルロス1世)がスペイン・オーストリア両国を統治(他にネーデルラント、ナポリ、それに加えて新大陸領土も)。

カールの弟フェルディナントがボヘミア・ハンガリー王女アンナと結婚、妹マリアは同国王ラヨシュ2世と二重縁組が結ばれる。

このラヨシュ2世はヤゲウォ家出身。

高校世界史だと、「ヤゲウォ朝=ポーランド(とリトアニア)」というイメージだが、近世初頭には一時ボヘミアとハンガリーを含め、中東欧四ヵ国の王位を占めていた(中公新版世界史全集『ビザンツとスラヴ』参照)。

ところが1526年モハーチの戦いでラヨシュ2世はオスマン軍に敗死、ブダ(現首都ブダペストの一部)を含むハンガリーの主要部分はオスマン領となって、ボヘミア・ハンガリー王位は上記婚姻関係によりハプスブルク家に転がり込んでくる。

(ちなみにヤゲウォ朝は1572年ポーランドでも断絶、選挙王制に移行。)

1556年カール5世退位後、スペインは子のフェリペ2世、オーストリア・ハンガリー・ボヘミアは弟のフェルディナント1世が継ぐ。

フェルディナント1世の次がマクシミリアン2世(在位1564~76年)。

本書後半ではこのマクシミリアン2世の治世が多く扱われている。

ハプスブルクを脅かしたオスマン朝軍のうち正規軍はシパーヒーとイェニチェリに分かれる。

シパーヒーはティマール(封土)を与えられた封建的騎兵。

それに対しイェニチェリは元キリスト教徒子弟から徴集した火器を装備した歩兵で、こちらが軍の主力となっていく。

ハンガリーの多くがオスマン領になったこの時期、ハプスブルク帝国防衛の最前線はクロアチア。

この国は中世以来ハンガリーと同君連合を形成していた(南東欧諸国史概略)。

(それに対し同じ旧ユーゴ構成国のスロヴェニアは近代に至るまで独自国家形成せず。)

近世のイギリスなどは中世封建制を打破し徴税制度を導入と常備軍整備を成し遂げた「財政・軍事国家」モデルとして理解される。

クロアチアは多大の軍備が置かれたものの財政基盤は到底それを支え得るに足らず、「財政なき軍事国家」とでも言うべき状態。

しかし一国単位ではなく神聖ローマ帝国全体を眺めると、帝国内の軍事力の弱い中小領邦が対オスマン防衛費用を負担、各国の分業と機能分化が認められる。

クロアチアは「財政なき軍事国家」であると同時に「開かれた軍事国家」であり、他領邦は「開かれた財政国家」であると言える。

この防衛費用負担に当たって、キリスト教世界全体の統治者というフィクションを持つ皇帝は英仏国王のような「ナショナルな聖性」を発揮することができず、「公益」や「共通の危機」を訴え、具体的情報を提示し、事実に基づく現実主義的心性を育み、それが近代政治の誕生に繋がるというのが本書の主要テーマ。

帝国に「トルコ税」(防衛費)を課すため、民衆レベルではパンフレットなどでオスマンの脅威をしばしば実態以上に誇張した形で宣布。

帝国議会レベルでは上記現実主義的心性による議論のあり方が認められ、それが中世的「思弁政治」と区別される近代的「実証主義政治」の始まりであるとされている。

この帝国議会は選帝侯部会、諸侯部会、都市部会の三つに分かれ、どの部会にも皇帝自身は参加できないが、ハプスブルクはオーストリア大公として諸侯部会に参加しているし、提議・意見修正要求・決議拒否による議論の誘導が可能であった。

マクシミリアン2世即位後の、オスマンとトランシルヴァニア侯連合軍に対するハプスブルクの戦争についてかなりの紙数を割いて書かれているが、細かな具体例はパスして、以上のような視点を確認できればそれでよいでしょう。

それほど長々とメモしたい本でもないんですが、一つの記事にするにはちょっとだけきついんで、続きます。

(追記:続きはこちら→ハプスブルク家についてのメモ

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