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ルイ16世についてのメモ その2

その1に続き、ベルナール・ヴァンサン『ルイ16世』(祥伝社)より。

ルイ16世即位が1774年、ということはそのすぐ翌年75年にレキシントン・コンコードの戦いでアメリカ独立戦争開始、翌々年76年に独立宣言となる。

まず七年戦争とフレンチ・インディアン戦争を終結させた1763年パリ条約の内容を復習。

最も重要なのは、カナダとミシシッピ川以東のルイジアナがフランスからイギリスに割譲されたこと。

(この「ミシシッピ川以東の~」とか「以西の~」という言い方、高校世界史ではお馴染みで懐かしいですね。)

フロリダもスペイン領からイギリス領へ。

替わりにスペインはミシシッピ川以西のルイジアナ獲得。

カナダと広大なルイジアナを失ったフランスだけが大損である。

他にも西アフリカ拠点のセネガルをイギリスに奪われているから、もう踏んだり蹴ったり。

このパリ条約は近世における植民地争奪戦の最終決着であり、北米を中心としたイギリスの第一次帝国の頂点を形作るもの。

イギリスに対する復仇と海上勢力再建を目指すルイ16世はヴェルジェンヌ外相と協力して、77年サラトガの戦いでの独立派勝利を機に78年仏米同盟を締結し参戦、79年にはスペインが、80年にはオランダも対英戦に参加。

英米以外で参戦したのは上記3ヵ国の模様。

参戦はしなかったものの、80年結成で英国の海上臨検を拒否する「武装中立同盟」には、ロシア・オーストリア・プロイセン・デンマーク・ポルトガル・両シチリア王国が加わっているから、イギリスは完全な孤立状態。

フランスは遠征軍司令官ロシャンボー、海軍提督ド・グラース率いる軍を派遣。

81年ヨークタウンの戦いで大勝利。

この時の兵力は、コーンウォリス率いる英軍が9000、ワシントンの米軍が8800、ロシャンボーとラファイエットの仏軍が9000、他にグラースが上陸させた兵が3000と記されているから、確かに仏軍の存在は極めて重い。

ただし陸戦ではヨークタウン戦が決定的だったが、続く海戦ではイギリスが勝利しグラース提督が捕虜になっている。

結局1783年、上記七年戦争終結条約から20年後、同名のパリ条約で、イギリスはアメリカ独立承認。

フランスから奪ったばかりのミシシッピ川以東のルイジアナも、イギリスはアメリカに割譲。

スペインにはフロリダ、フランスにはセネガルを返還、カナダは保持したものの、それ以外の63年条約で得た領土はほぼ吐き出す。

しかし、以後イギリスは短期間で立ち直り、インドを中心とした第二次帝国確立に向かうことになる。

なおミシシッピ川以西のルイジアナについては、アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)で確認したところ、ナポレオン時代初期に中部イタリアのトスカナと交換する形でスペイン領からフランス領となる(この経緯は高校世界史では出てこないはず)。

それに脅威を感じたアメリカと、圧倒的優位にあるイギリス海軍を向こうに回して海外領土を維持する見込みの無いフランスとの妥協が成立、1803年ジェファソン政権によるルイジアナ買収となるのは高校教科書の通り。

著者が示唆するように、ルイ16世という「専制君主」の決断が無ければ、アメリカ合衆国は今存在していないはずである。

本書では1993年ルイ16世処刑200周年にコンコルド広場で開かれた集会に、当時の駐仏アメリカ大使が公式の立場で花束を捧げたことが記されている。

アメリカ独立についてのくだりだけで一記事書いてしまった・・・・・。

こりゃまだまだ続きますわ。

今日は短めだったので、明日も更新します。

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