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戦前昭和期についてのメモ その5

その4に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年における日本の岐路を再び考察。

この年、日本は対英協調による幣制改革支援を拒否、華北を勢力圏下に置く政策を推進することにより、中国との全面対決路線へ向かう。

35年末の冀東政権成立と41年7月の南部仏印進駐が、それぞれ日中戦争と日米戦争の「ポイント・オブ・ノーリターン」となったとの見解を読んだことがある。

それくらい、この年の華北分離工作は致命的。

英国の宥和政策にもし乗っていれば・・・・・・。

英国とそれに続くヨーロッパ諸国の満州国承認によって、中国ナショナリズムは拳の振り下ろし所を失い意気消沈、蒋介石は対日和解を進めると共に共産党討伐を継続できる。

日本が満州国の黙認だけを求め、長城以南の中国本土には一指も触れず、治外法権撤廃や関税自主権回復などの問題でむしろ協力的態度を示せば、日中関係を安定軌道に乗せることは、この時期まだ十分可能だったはず。

スティムソン・ドクトリン(不承認政策)を掲げる米国も、こうなっては現状を黙認するほかない。

ところが実際には、低俗かつ無責任な国内世論に流され、全く逆の強硬策を採用し破滅的結果をもたらすことになる。

2年後の37年には日中戦争が勃発し、泥沼の長期戦で全く身動きが取れなくなった状態で米英との対立を深め独と接近、39年第二次世界大戦勃発、41年日米開戦となる。

35年から2年ごと、奇数年に状況が劇的に悪化しているのをチェック。

史実では、35年の対中強硬策が2年後の日中全面戦争に繋がり、政策選択の幅を異常に狭めた状態でそのさらに2年後、欧州の第二次世界大戦勃発を迎えたわけだが、この時フリーハンドを持っているのといないのとでは、天と地ほどの違いがある。

また、欧州での英仏vs独伊とアジアでの日本vs中国の各陣営が、実際の史実の通り結びつかなければならない必然性は無かったはず。

そもそも33年日本の国際連盟脱退に際して、リットン報告書採択時、日本だけが反対(タイ[シャム]のみ棄権)ということは、考えれば独伊とも日本とは反対陣営にいたということ(日本の脱退は3月、独の脱退は同年10月)。

南京国民政府はドイツから多くの軍事援助と軍事顧問団を受け入れ(ナチ政権成立後も)、そのため日中戦争初期の戦いは一面「日独戦争」の側面すら見られた(松本重治『上海時代 下』(中公文庫)参照。ドイツに言わせれば共産党討伐を続ける蒋介石を背後から攻撃することこそ日独防共協定に反するということだろうが)。

(さらに言えば必ずしも左翼的立場でない史家でも、蒋介石政権自身がファッショ的傾向を持っていたとする見方もある。)

もし35年に違った対中政策を採って37年の全面戦争が避けられていたとしたら・・・・・・。

欧州での大戦勃発に際しては、時間稼ぎをし、形勢を展望する余裕も持てたはず。

仮に史実の通り36年に日独防共協定を結んでいたとしても、独ソ不可侵条約でそれは実質白紙化されているのだから、黙ってヒトラーが滅びるのを傍観しておればよい。

何があっても軽挙妄動せず、どんな挑発にも乗らず、世界第二位(あるいは三位)の海軍力を盾にし、(史実では南部仏印進駐後くらった)石油禁輸だけは宣戦布告を意味すると大々的に宣言して米英世論に釘を刺し、ハリネズミのように極東で独自路線を貫けばよかった。

米英両国も、どうせ何もできやしません。

ナチ打倒を最優先する以上、自ら第二戦線を開く決断は、当時の米国のような桁外れの国力を持った国でも、そう簡単にはできないはず。

それで戦後ドイツ問題をめぐって米ソ冷戦が始まれば、きっと向こうから擦り寄ってきますよ。

フランコ政権下のスペインに対してもそうだったし、まして日本の国力と戦略的地位はスペインの比じゃない。

その場合の日本は、300万人の同胞が死ぬこともなく、国民政府統治下の中国と和解し、中国共産党を辺境部に逼塞させ、米英など西側諸国とは不即不離の関係を保ち、外国軍隊を国土に駐留させることもなく、自らの軍事力でソ連の脅威に対抗することになる。

国際情勢の激変を受け、国内では軍部と極端な国粋主義の勢力は後退し、政党政治が復活し、明治憲法の欠陥を一部是正した上で、正常な議会政治を運営していたでしょう。

(政党政治と議会主義の復活が即ち「民主主義の復活」であるとは、私は思わない。無思慮で矯激なだけの衆愚的匿名世論の影響を退け、少数の責任ある議員による統治に戻ることはむしろ「民主主義の後退」、あるいは控え目に言っても「直接民主制から間接民主制への移行」である。戦前日本に必要だったのはまさにこういう意味で「民主主義を抑圧し後退させること」だったはず。議会主義を民主主義とイコールだと思っている人は、議会が民意を間接的に汲み上げるための制度であると同時に、民衆の意思を直接的には反映させないための制度であることを忘れている。)

朝鮮・台湾・南洋諸島には自治が与えられ、満州国は真の独立国に相応しい内実を持つようになり、日本帝国は英連邦のような形で存続したかもしれない。

真に安定した、秩序ある自由の唯一の根源である伝統と歴史的継続性を、深い傷を負わせることなく保守し、デモクラシーの風潮を半分ではやむを得ないものとして受け入れつつ半分では主体的に拒否する選択を行なうこともできたかもしれない。

「何でそうならなかったのか???!!!」と切歯扼腕せずにいられない。

私はそういう日本に生まれたかったです。

35年は二回に分かれてしまいました。

次回36年と全体の感想を書いて終わります。

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