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戦前昭和期についてのメモ その3

その2に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1934(昭和)年、陸相荒木貞夫辞任、後任林銑十郎、斉藤実内閣退陣、岡田啓介内閣成立、永田鉄山陸軍軍務局長就任。

世界では、独レーム事件、ヒンデンブルク死去、オーストリア首相ドルフス暗殺、ソ連国際連盟加入、キーロフ暗殺、満州国帝政実施、瑞金陥落と中国共産党の長征開始。

この辺りから陸軍内の「皇道派」と「統制派」の争い激化。

この両派の名前は適切でないという見方もあるが、初心者はとりあえずそのまま理解。

最初に名を出した荒木貞夫と真崎甚三郎を担いだ隊付将校らが皇道派。

次に、31年末犬養内閣からの陸相だった荒木の後任、林銑十郎という人を一言で言うと、「統制派のロボット(傀儡)」。

両派分立の前、陸軍中堅幹部が一団となって国家刷新を目論んでいたころトップとして担がれたのが荒木・真崎・林の三人で、党派対立が生れると、前二者と林の間に懸隔が生れる。

両派閥対立の話については、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ)の説明がわかりやすい。

この年、『国防の本義と其強化の提唱』と題する陸軍パンフレットが刊行され、統制経済推進と軍が「第三党」として政治に介入することを宣言したものだとして問題になる。

統制派の中心は陸軍軍務局長に就任した永田鉄山。

著者の永田への評価は比較的高いと思われる。

クーデタや暗殺などの暴力行為を否定し、政治家・官僚・財界と軍との協調を目指し、「高度国防国家」を徐々に成立させようとする立場。

特筆すべきなのは後年の統制派主流とは異なり、永田は「対中一撃論」に立った強硬な中国政策を支持していなかったこと。

日中対立を沈静化させ、満州国の状況を安定化させることを何より必要としていた当時、永田の存在は極めて貴重であった。

一方、皇道派は対ソ戦を最重視したため、もともと対中政策では妥協的傾向あり。

だからいっそのこと「狂信的」というイメージのある皇道派が勝った方が泥沼の日中戦争を回避できた可能性があり、むしろまだマシだったという意見もあるが、しかし不用意に日ソ戦を始めて反撃されるというぞっとするシナリオを考えると、そう単純に言えないとも思われる。

この箇所では、翌年政治問題化する天皇機関説について記述あり。

皇道派の隊付将校らは、永田らの構想する、政治家・官僚・財界人と軍人との協力によって作り上げられる「高度国防国家」における専門的軍人としてのアイデンティティ喪失を危惧。

その危機感が天皇を機関・抽象的機能とすることを拒否させた。

また明治時代には封建時代からまだ間もなく、兵は疑問を持たずに死地に赴いたが、昭和に入り近代的個人主義に目覚めると、死を受け入れるために超越的存在を求める風潮や心理状態が生まれた。

つまり「近代化が進んだからこそ、天皇機関説が攻撃されるようになった」という逆説的状況があり、このことは高橋正衛『二・二六事件』(中公新書)でも触れられていた。

あと、世界情勢について補足。

ドイツではレームら突撃隊粛清と大統領ヒンデンブルク死去によりヒトラーが独裁体制を一層固めている。

しかし対外的には順風とは言えず。

当時隣国オーストリアは首相ドルフスの統治下。

このドルフスは独裁的統治を敷いてはいたが、権威主義的価値観の持ち主で、オーストリア・ナチ党を弾圧していた。

ドイツで言うと、ブリューニング、シュライヒャーに当たる存在か。

ところが、この年オーストリア・ナチスがドルフスを暗殺。

これに対してオーストリアに野心を持つムッソリーニはヒトラーの関与を疑い、国境地帯に軍を動員して圧力をかける。

結局ヒトラーは釈明し関与を否定、オーストリアでのナチの政権奪取は失敗し、シューシュニクが首相に就任、38年の併合まで権威主義政権を維持することになる。

以上のようにこの時期のムッソリーニが明確に反独的姿勢を保っていたことは記憶しておく価値がある。

しかしこの態度は翌35年に激変し、それがムッソリーニ自身とイタリア王国を滅ぼすことになる。

ソ連では、スターリンの後継者とも見做されていたキーロフが不可解な状況下で暗殺され、これが大粛清の端緒となる。

キーロフがスターリンの指示で殺害されたとすると、まるで同年のレーム粛清に印象付けられ、それに倣ったような感すらある(実際そういう説があるようです)。

中国では、蒋介石が満州をめぐる日本との対立を棚上げして全力を挙げて共産党討伐を継続、この年、中華ソヴィエト共和国首都の瑞金を陥落させ、中共は長征という名の敗走に移る。

日中両国ともにナショナリズムを抑制してこの情勢を続けていればねえ・・・・・・。

一体どれだけの人命が失われずに済んだことか。

この記事では1935年までいくかなと思っていたが、やはり一年だけ。

やや短いですが、今日はこれまで。

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