杉山正明 『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』 (講談社学術文庫)
もとは1995年朝日選書刊。
2010年版元を変えて文庫化。
三部構成で、第1部はモンゴルの世界制覇の実像とイメージのズレを再検討、第2部はクビライ(フビライ)の権力確立プロセスの確認、第3部はクビライ時代の統治と通商・交通の描写。
まず第1部、モンゴルに付きまとう破壊・虐殺・野蛮・蒙昧といったマイナスイメージを史料に即して否認。
中国・杭州(キンザイ)の繁栄を記すマルコ・ポーロ(この「マルコ」は本書では複数人の証言の合わさったものとされている)の言葉が、南宋ではなくまさに元代のものであることを改めて指摘。
科挙が事実上停止され士大夫・読書人の不満がつのったとされるが、実務能力に応じた柔軟な人材登用が行われており、「官界から締め出された士大夫が元曲を作った」という高校世界史でお馴染みの定説も否定している。
中央アジア・イランでのオアシス都市破壊の描写も誇張であり、モンゴル以後の15世紀ティムール時代に中央アジアが史上最盛期を迎えたことをその証拠としている。
ロシアの「タタールのくびき」については、史上有名な1241年ワールシュタット(リーグニッツ)の戦いと、翌1242年にアレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破ったチュード湖氷上の戦い(山内進『北の十字軍』参照)という、ほぼ同時に生じた二つの史実を挙げ、ロシア諸侯とモンゴル勢力の両者が暗黙の了解で事実上協力していたのではないかと推測している。
あと、ウォーラーステインの「世界システム論」とモンゴル制覇についてあれこれ書いているが、著者の意見がはっきり読み取れないのでパス。
1206年がチンギス・ハン即位の年。
その少し前、1204年に第四回十字軍がコンスタンティノープルを攻略。
教科書では全くバラバラに出てくるが、この二つの超重要史実は極めて接近した時点に存在している。
モンゴル侵攻と後期十字軍は同時代で、この時期イスラム世界は東西から挟撃されていたことになる。
ルイ9世による第六回十字軍が1248~54年、そして1258年フラグのバグダード入城とアッバース朝滅亡を挟んで、同じくルイ9世の第七回十字軍が1270年。
(ここでルブルック派遣[1253~55年]を想起。)
用語について。
トルコ語・モンゴル語では人間集団の長をカン、君長たちの上に立つ至高の存在をカアンと呼ぶので、(高校教科書のように)すべてをハンまたはハーンと表記するのは不適切だとしている。
なおモンゴル時代には「ハン」より「カン」に近い発音だったはずだとして、よって本書ではフビライ、ハイドゥはそれぞれクビライ、カイドゥと表記されている。
ちなみに確かこの第1部では以下の文章がある。
反対に、モンゴルとなると、やたらとほめる動きがある。その傾向は最近になって特にはげしい。・・・・・歴史において、不当な過小評価や曲解、理不尽な非難や断罪はよくない。しかし、かといって、いきすぎた評価や美化、わけのわからない賛美や称揚も、おそろしい。どちらも、おもいこみであったり、ためにするものであったり、ときにはそれと承知の嘘であったりするからである。
一瞬、「これは・・・・・先生ご自身のことでは?」と思ってしまったのは、私の無知蒙昧が成せる業だと申しておきます。
第2部。
西アジア征服に出たフラグがモンケ・ハン死去により帰還、その途中でフレグ・ウルス(イル・ハン国)建国。
残留軍が1260年アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝(1250年成立)のバイバルスに大敗、この後バイバルスが即位することになる。
(このアイン・ジャールートの戦いってそろそろ高校教科書に載りそうな気がしないでもない。)
ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)とフレグ・ウルスが激しく対立したため、ジョチ・ウルスとマムルーク朝が同盟関係に。
1261年ラテン帝国を滅ぼし、ニケーア帝国からビザンツ帝国を再興させたパラエオロゴス朝が使節通過を許可することによってこの両者を取り持つ。
本書ではジョチ・ウルス配下のトルコ系遊牧民とマムルークの共通性が指摘されている。
東方では、クビライよりも、都のカラコルムで即位した弟アリク・ブケの方が正統的と言えるが、クビライが奪権。
教科書にも太字で出てくる「カイドゥの乱」は誇張であり、ユーラシアの交流・通商は途切れることは無かったと指摘。
第3部。
上記の通り、クビライ即位の事情はやや非正統的だったとは言え、「フビライの不完全な君主即位→四ハン国の分裂」という高校世界史のイメージは否定。
まず、クビライ政権は中華王朝「元朝」ではなく、「大元ウルス」と呼ぶべきと強調。
中国は重要ではあるが、あくまで領土の一部であり、大元ウルスは編成し直したモンゴル帝国だとする。
草原の軍事力・中華の経済力・ムスリムの商業力を結合し、政治的分権体制を容認しつつ、ユーラシア全土の通商・流通活動を整備・活発化させることによって大元ウルスの覇権を維持するというのがクビライの構想。
あとは交鈔の問題。
帝位争い、ラマ教盲信と並んで、交鈔によるインフレーションが「元朝」の三大衰退原因として教科書に載っている。
しかし著者はこれを否定、実用に供された交鈔は実は高額紙幣ではなく、少額通貨の銅銭の代わりに使用された低額面のものであり(この点で今の紙幣と通貨の関係の逆)、そこで余った銅銭が日本に輸出されており、日本での宋銭の大量出土は通説のように日宋貿易の繁栄を物語るものではなく、むしろ日元貿易の殷賑振りを示すものだとしている。
こうしたモンゴルのユーラシア統治システムが崩壊したのは14世紀後半の黒死病蔓延という天災が襲ったことが原因だと著者は主張。
つまり「モンゴルの大征服活動によって黒死病が広まった」という説に対して、著者は全く逆に捉えている。(このことは杉山氏の『大モンゴルの時代』の記事でも少し触れています。)
モンゴルが去った中国では15世紀永楽帝没後の明朝が大きな方向転換を成し、海禁政策を採用することで、海洋貿易活動が衰退、これが大航海時代以後の東洋と西洋の運命を分けることになったとして本書を終えている。
そこそこ面白いですけど、まあ普通ですね。
上にメモした通り、いくつか興味深い論点はあるが、一冊でも杉山氏の本を読んでいれば、特に読む必要は無いかも。
この記事を見て、気になった方だけどうぞ。
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