« 戸部良一 『外務省革新派  世界新秩序の幻影』 (中公新書) | トップページ | 引用文(豊﨑由美1) »

塩野七生 『ローマ人の物語41・42・43 ローマ世界の終焉』 (新潮文庫)

ついに最終巻になりました。

単行本刊行時からはもちろん、文庫化されてからでもかなり日にちが経ってますが、正直積極的に読む気がしなかったんですよ。

買う気も無いので、図書館の棚にあるのを見かけるまで放っておきました。

本巻はテオドシウス1世の死後から始まります。

全編の末尾がいつの時点なのかが、ずっと気になっていたんですが、結局476年の西ローマ帝国滅亡ではなく、6世紀後半ユスティニアヌス1世の死と7世紀イスラムの膨張まででした。

地中海が内海ではなく、文明の障壁となったことで、ローマ文明は完全に消滅したとしている。

登場皇帝について、西ローマは、ホノリウス、コンスタンティウス3世、ヴァレンティニアヌス3世、ペトロニウス・マクシムス、アヴィトゥス、マヨリアヌス、セヴェルス、アンテミウス、オリュブリウス、グリュケリウス、ユリウス・ネポス、ロムルス・アウグストゥルス、東ローマは、アルカディウス、テオドシウス2世、マルキアヌス、レオ1世、レオ2世、ゼノン、アナスタシウス、ユスティヌス1世、ユスティニアヌス1世。

(一部本書表記と変更あり。)

ただし、これまでの巻では細かな帝位移動が記されていたのに対し、西帝国ではヴァレンティニアヌス3世以後、東帝国ではテオドシウス2世以後はかなり省略気味。

上記のうち、アンテミウスとネポスは東ローマから派遣された皇帝。

セヴェルスは、本書末尾に付されているコインに刻まれた皇帝肖像リストでは「セヴェルス3世帝」と書かれている。

細かすぎる話ですが、『終わりの始まり』に出てくるセプティミウス・セヴェルス、および『迷走する帝国』に出てくるアレクサンデル・セヴェルスと区別するにはこれでいいのかとも思うが、考えてみると『最後の努力』のフラヴィウス・ヴァレリアヌス(ヴァレリウス)・セヴェルスもいるのだから、「3世」はおかしくないでしょうか?

何とか正確に区別する名前は無いかと『古代ローマ人名事典』を引いても、本文には該当項目が無く、冒頭のローマ史年表でやっと「リビウス・セヴェルス(461-5)」と書かれているのを見つけた。

「リヴィウス」じゃなくて「リビウス」か、というのが気になりますが、初心者がこれ以上こだわってもしょうがないので、以上でやめておきます。

帝国最末期のこの時期になると、特に西ローマでは(マヨリアヌスをやや例外にして)傀儡的な皇帝が多くなり、主に蛮族出身である軍の実力者名を憶える必要がある。

スティリコ、ボニファティウス、アエティウス、リキメール、オレステス、オドアケルなど。

加えて、主に西ローマを侵食した蛮族王のうち、西ゴートのアラリックとアタウルフ、ヴァンダルのガイセリック(本書のゲンセリックという表記は馴染みが無く違和感)、フンのアッティラ、東ゴートのテオドリック、フランクのクローヴィスを最低限チェック。

さらに宮廷内で勢威を振るった女性たちも。

ヴァレンティニアヌス3世の母ガラ・プラキディア、アルカディウス帝の娘でテオドシウス2世の姉、そしてマルキアヌスの妻になったプルケリアはとりあえず押さえておく。

このプルケリアは、ササン朝ペルシアと安定した関係を築き、曲がりなりにも蛮族の侵攻から東帝国を守ったとして、女性の権力者にしては珍しく著者の評価はやや高いようである。

それに対してガラ・プラキディアはボニファティウスとアエティウスという有能な軍人を使いこなせなかったということであまり好意的に描かれていない。

この点、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』の描写とは大違いである。

人物評を続けると、何といっても評価が高いのはスティリコ。

テオドシウス1世からホノリウス帝を託され、東奔西走、獅子奮迅の活躍で西ローマ帝国を支え続けたが、彼が処刑された後、ローマは西ゴート族アラリックに劫掠され、没落の一途を辿る。

スティリコは半分蛮族の血が混じっていたにもかかわらず「最後のローマ人」として後世讃えられることになる。

この「最後のローマ人」という賛辞は、私はアッティラをカタラウヌムで撃退したアエティウスに捧げられたものかと思い込んでいたが、勘違いでしたか?

そのアッティラはローマ末期の蛮族王の中では、最も恐れられた人物ですが、本書では長期的戦略を持たず、恒久的な統治体制を打ち立てる能力の無かった人物として、意外なほど冷淡な描写。

末尾を飾るのはユスティニアヌス1世によるヴァンダル、東ゴート征服ですが、帝自身よりも名将ベリサリウスが評価されている。

これはギボンと同じで、まあオーソドックスな描写ですね。

なお、東帝国の宗教について「カトリック」と記されていますが、東西教会分離とギリシア正教会確立の前で、ニカイア信条に基づく信仰がカトリックなのだから、違和感を感じても別に気にする必要は無いわけです。

さて、全巻完結を機に、このシリーズ全体の感想を書いてみます。

高坂正堯氏の傑作歴史評論、『文明が衰亡するとき』の前半三分の一はローマ帝国の衰亡が扱われており、塩野氏も『ハンニバル戦記』の冒頭で、歴史そのものを叙述するのではなく自己の主張の例証として歴史を使うという形式の、自分とは違うタイプの名著であるとして触れていた。

その高坂氏著では、「蛮族侵入説」「人種混淆説」「気候変化説」「専制政治説」「奴隷制農場経済衰退説」「財政破綻説」「技術限界説」など、様々なローマ衰亡論が検討された後、現在の我々にとって間違いなく最も切実だと思われる「大衆社会化説」が取り上げられている。

実際、群衆の君臨と専政[ママ・引用者註]、民主政治と独裁政治は案外親近性を持っている。それは二十世紀の半ばに提出された大衆社会論の中心的テーマとなったものである。たとえばコーンハウザーは、大衆社会の批判者たちを貴族主義的批判者と民主主義的批判者とに分けた。前者は悪平等あるいは反貴族主義を以て大衆社会の特徴とする。すなわち、それは以前には少数者のために留保されていた領域に、多数者が介入する機会が著しく増大した社会であり、そのため、政治や文化基準の決定がその能力を持たない多数者によってなされることになる。大衆の圧力がものごとを決めるので、自由が破壊され、社会生活の質的低下がおこるのであり、それ故、社会は文化的頽廃と政治的暴政への抵抗の道徳的基礎を欠くものとなるというのである。しかし、多くの人間が政治や文化に参加するようになることだけで、そうしたことがおこるとは限らないと民主主義的批判者は言う。そうした危険はあるものの、大衆は普通、彼らの属する集団やその価値によって自己を規制している。そうしたものがなくなったとき、大衆は手取り早い方法で欲するものを得ようとするのであるから、個人が原子化されているのが大衆社会の特徴である。当然そこでは、大衆は操作されやすい。

そのどちらを強調するのかは別として、大衆社会がこの二つの特徴を持つことは間違いない。そして、ローマの社会にもその二つの傾向があったと言ってよいであろう。政治の質の低下、文化的頽廃、そして政治的専政は相互に関連し、したがって容易に克服できないものとして帝政ローマに存在し、次第に進行した。こうして、大衆社会化にローマの衰亡の原因を見ることは的外れではない。

彼[ロストフツェフ]は「すなわち、高度の文明を、その水準を落としたり、質を薄めて消失させてしまうことなしに、下層階級にまで広げることは可能であろうか、・・・・・いかなる文明も、それが大衆に浸透し始めるや否や、衰微せざるをえないのではなかろうか」という問いでその主著『ローマ帝国社会経済史』を終えているが、彼の言わんとするところはきわめて明白である。

引用文(西部邁1・高坂正堯5)

この『ローマ人の物語』シリーズにおいても、以上のような、多数派の下層民衆による国家破壊(「文明の再野蛮化」「蛮族の垂直的侵入」)という観点から、帝国の衰退と滅亡が叙述されるかと考えていたのだが、その期待はほぼ完全に裏切られた。

シリーズ後半でローマの衰亡要因として明示されているのは、市民権の既得権化による公的献身と蛮族のローマ化へのインセンティブ消滅、および文民キャリアと軍人キャリアの分離による指導者層の劣化の二つ(加えて官僚制肥大化と重税の悪循環くらいか。他にもあるのかもしれないが、私の頭では読み取れない)。

このように、人民全体の精神的腐敗と堕落の様相を無視して、問題を単に「統治システムの機能不全」に帰する見方には、何か根本的な欠落があるのではないかと思われてならない。

(精神的要因について著者は「多神教的価値観の後退と一神教的信仰の制覇」を挙げているが、これに甚だしい違和感を感じるのは『キリストの勝利』の記事で述べた通り。)

加えて、あれこれ考えると、著者の帝政に関する捉え方にも疑問を持つようになってきた。

一番凡庸でつまらない立場は、「共和政は民主的だからいいが、帝政は非民主的だからよくない」というもの。

それに比べれば、「政治体制の比較においては、その形態ではなく、善政かそうでないかを唯一の基準にすべき」、「元老院主導体制の共和政下で反映されていた民意は首都および首都近郊市民のそれのみであり、カエサルによる帝政樹立によって、その利益が代表される人々の数はむしろ飛躍的に増大した」、「ローマの帝政は被統治者の委託を受けて権力を行使する存在であり、臣民の盲目的服従を強要する東方的専制とは全く異なる」とする著者の立場の方が数段マシである。

また、著者は「『パンとサーカス』のみを求め、無為徒食する堕落した集団という帝政期民衆のイメージは誇張であり、国家から支給されたものは餓死しない程の、最低限度の社会保障にすぎなかった」という意味のことも述べている。

しかしそこからさらに一歩進めて、以下のような見方もあり得るはず。

フランス革命といいロシア革命といい、「民衆の熱狂」によって開始されたことを見逃すわけにはいきません。熱狂した民衆によってタイラント、ディクテーター(独裁者)あるいはトータリテリアン(全体主義者)が生み出されるという事例は、歴史上、枚挙に遑(いとま)がないといえるでしょう。そしてその系列の発端あたりに、かの「シーザー殺し」があるのです。

我が国では、シーザーはローマ帝国の「偉大な指導者」、という像が定着しています。しかし、たとえばウィリアム・シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』では、「民衆の訳のわからぬ熱狂」によって「良識にもとづく議論」の場である「元老院」を圧殺せんとする「癇癪持ちの変な奴」、として描かれているといってもさしつかえありません。それにたいし暗殺者のブルータスのほうは、策略が下手だという点では政治家の資質に欠けるとしても、公明正大な人物とされております。そうみなすのが、シェークスピアの時代(十六世紀末)の常識でもあったのです。

シーザーによって扉を開かれた帝政ローマは、プレブス(「平民」というよりも「自由浮浪民」)にたいして福祉としての「パン」と娯楽としての「サーカス」とを供給するのが皇帝の主たる仕事でした。そのようにして文明が堕落していく様子をウェルギリゥスが詩に認(したた)めてもいます。その詩のなかに「パンとサーカス」という表現があるのです。

なぜここでの民主主義論において古代ローマのことに触れるかというと、「ヴォクス・ポプリ、ヴォクス・デイ」(「民の声は神の声」)というのがその帝政の合言葉でもあったからです。政体の表面だけをみれば帝政は民主制の対極にあります。しかし、政策という面でみれば、「民衆の欲望」を、とりわけ「民衆の喝采」を期待するという意味での民主主義的な傾向は、あらゆる国のあらゆる政体に一貫している、といって言い過ぎとは思われません。「民の声」は世論にほかならず、為政者の理解するかぎりにおいての世論という限定がつくとはいえ、世論が政治を動かしてきたといえなくもありません。

第一の問題は、世論にたいする「為政者の解釈」ということです。ローマの共和制はその解釈を「貴族の討論と決議」に委ねました。皇帝政はそれを専制君主に、皇帝の地位に就く者に(ネロのような)暴君や(コンモドゥスのような)狂王がいたにもかかわらず、任せたのでした。

第二の問題は、「民の声」は、大いにしばしば、エンシュージアズム(熱狂)として表現されるということです。そうであればこそ、民衆の熱狂の意味するところについての「為政者の解釈」が必要だということになります。その熱狂には真剣に斟酌すべき意味が込められている、ということがもちろんありましょう。しかし、『ジュリアス・シーザー』に記されているのは、やはり「パンとサーカス」を為政者に求める民衆の声なのです。漢語の「民」という字の原義は(精神的に)「盲目の人」ということですが、たしかに、民衆の声は、それが熱狂に近づくにつれて、精神的な盲目者にありがちの狂声に変じていくものなのです。それは国家なるものが成立して以来、不変の傾向だといってさしつかえありません。

第三の問題は、民衆の熱狂を煽るデマゴーグ(煽動者)がつねに存在するということで、『ジュリアス・シーザー』では(シーザーの副官)アントニーがその役を果たしています。デマゴーグとは、読んで字の如く、デーモス(民衆)にたいするアゴゴス(指導者)ということです。ここで留意しておくべきことがあります。デマゴギー(民衆煽動)には(日本語でいうところの)「デマ」が、つまり「煽動のための嘘話」が、たっぷりと込められているのです。

デマゴギーという言葉が古代ギリシャのものであったことを思うと、「民の声が煽動の嘘話に乗りやすい」というのはどうやら古今東西に普遍的と思われてなりません。デモクラシーとデマゴギーとが親近しているというのは、現代人の日常感覚でもよくわかるところです。

結局、民衆の熱狂のうちに全体主義的な傾向が宿っている、それゆえ民主主義(少なくとも「民の声」)が全体主義を招来する可能性は少なくないのだ、と認めなければなりますまい。このことを見過ごしにする民主主義論は、それ自体として、すでにデマゴギーに転落しております。

[西部邁『文明の敵・民主主義』(時事通信社)より]

私自身、こうまでカエサルとその事業を否定的に見ることに、かなりの抵抗を感じる。

しかし上記の文章は重大な示唆を与えてくれると思う。

「帝政は君主制で、共和政より非民主的だからよくない」という通俗的見解が、塩野氏によって「帝政への移行は広大な領土と膨大な人口を統治するための必然だ、皇帝は被支配者の信託に基づく利益代表者であり、現代国家における終身大統領のようなものだ」とたしなめられ、なるほどと思うが、しかしもう一捻りして、「ローマの帝政は伝統・慣習と貴族身分によって支えられた正統的な君主制ではなく、愚かで無責任な民衆の熱狂的世論に支持されて生まれた奇形的君主制=民衆的独裁だ、だからこそ否定されるべきなんだ」というわけ。

そもそも、高校の世界史の授業でこの辺を習った時、妙な感じがしませんでしたか?

民衆派(平民派)のカエサルと閥族派に転じたポンペイウスが争って、民衆派が勝ったのに、やって来たのは共和政の再興ではなく帝政の樹立だったということに。

ここから(真の)共和政に近いのは民主制ではなく、貴族制(と象徴的意味での君主制)だという真理が見えてくる。

高校世界史レベルの史実でも、少し黙考すれば貴重な示唆が得られる例だと思います。

高坂氏も上記著書で、ローマの帝政を基本的に大衆の支持にのっかった独裁制と表現している。

同書にはその他にも、帝政ローマにおいて貴族階層の多くが暴帝・愚帝の恐怖政治の犠牲となり、驚くほど永続性が無かったこと、「喝采屋」ともいうべき存在の出現によって公的言論の崩壊と文化の質的低落が止めどなく進行してしまったことなど、100ページ足らずの分量の中によくもここまでと思われるほど貴重な指摘が記されています。

これらを考え合わせると、世論の力で皇帝という独裁者を生み出し、「パンとサーカス」を一方的要求し、国家の要たる元老院議員という貴族たちが暴君の犠牲になることに対し、卑しい嫉妬の感情から喝采を叫び、その悲劇を「見世物」として愉しみ、無責任な批判的言辞と誹謗中傷、物質的快楽の追求のみに憂き身をやつし日々過ごす民衆という像が浮かんできて、帝政ローマが俄然醜悪なものに見えてくる。

ギボンも、五賢帝などの有徳と聡明さは認めつつ、帝政自体に否定的に思われるが、彼のフランス革命に対する態度についての以下の文章を読むと、それは進歩的啓蒙思想によるものではなく、民衆的独裁に対する嫌悪と軽蔑からそうなったのではないかと思える。

なにゆえに、この皇帝専制政の敵がフランス革命をあのように徹頭徹尾敵視したのかという理由が問われなければならない。フランス革命に対するギボンの理解については後に触れるが、ここで一言いっておきたいことは、ギボンは君主のむきだしの権力が与える恐怖と変わらぬ気持ちを抱いて、大衆支配や扇動の行く末を見ていたのだということである。「多数の者の放恣な自由」は「災い」でしかありえない。バークのように(「私は彼の雄弁を賞賛し、彼の政見に賛同し、彼の騎士道精神を称える」)、ギボンは極論を恐れていたし、大衆の手にあれ、君主の手にあれ、絶対権力は必ず腐敗することも知っていた。「平等で際限のない自由という荒っぽい理論」のもとで、ギボンは文明のもたらす緩和作用を保証する社会の諸制度や抑制と均衡が消滅することを予想したのである。

「すべての階級、秩序、政府の転覆が生み出したのは、すべてを貪り食らった挙句に、結局はおのれ自身を貪り食らうことになる大衆という怪物なのである。」

ギボンの革命への敵意は徹底していた。彼はローザンヌを本拠とする「その地の王」として「狂信的な空想家」、「危険な狂信者」、そして「社会の秩序と安寧を乱そうとする新野蛮人」といった言葉をまき散らしたのである。この自由の愛好者にして専制権力の敵を不安に陥れたのは、革命をとおして、個々の君主の独裁政治ではなく群集の意志に基づいた新しい専制政治が出現するのではないかということであった。

「今では狂信的な扇動の徒輩が不満の種を一面に蒔き散らしている。すでに数多くの個人そして一部の共同体は、平等で無制限な自由というフランス病とも言うべき途方もない理論に冒されているように見える。」

われわれがギボンのバーク理論への転向をいかに評価しようとも、フランス革命に対する彼のおびえた反応が現代ヨーロッパの政治体制の本質的な安定についての彼の記述を無効にしたと結論するのは愚かなことである。フランスに対する反応においては、彼は決して盲目的な反動主義者ではなかった。ネッケル夫妻のこの友人はもちろんフランスには変化が必要だということは承知していた。しかし彼は前進の正しい道は憲法上の自由の保証を促進することだと信じていた。

「もしフランス人が専制権力とバスティーユ監獄の廃墟に自由な立憲君主国を樹立する輝かしい機会を有効に活用していたなら、私は彼らの高潔なる努力を買ったものを。」

しかしその機会は生かされず、悲惨な結果になるのは確かであった。というのは、「奴隷民族が突如として暴君と人喰い人種の国民となった」からである。このような怪物じみた政治体制が長続きすることはありえなかった。そして歴史はギボンの分析を擁護した。ジャコバン主義は自らを食いつくし、帝国(第五王国というべきか)のもとにヨーロッパを統一するというナポレオンの夢は、ギボンがそれ以前に非常な信頼を寄せたまさにあのヨーロッパ諸国の挙国一致の協力で阻止された。現代ヨーロッパの優れた政治的安定についての記述は洞察に富むものである。それは民族国家、発展した商業社会、富の拡散と勢力の均衡の上に成り立つものであった。

ロイ・ポーター『ギボン 歴史を創る』より)

ギボンの反教権的姿勢は啓蒙史観そのものとも思えるが、彼が嫌悪する、異端教義をめぐる恐るべき闘争と社会動乱も、結局キリスト教信仰が民衆に浸透し、彼らの群集心理と党派根性が宗教の場に持ち込まれた結果だと考えるならば、上記の政治面での態度と繋がる。

するとカトリックという正統教義の確立と普及も、(塩野氏のように)「“暗黒の中世”と非寛容の始まり」と否定的に捉える必要はないように思える。

少し話を戻すと、私にとってもカエサルとアウグストゥスは依然好きな歴史人物だし(この両者と20世紀以降の全体主義国家の独裁者とでは、個性や人品に差があり過ぎる)、後期帝政(ドミナトゥス・専制君主政)のみならともかく、前期帝政(プリンキパトゥス・元首政)を含めてトータルに帝政を否定するというのは、常識的に考えてやはり行き過ぎの面があるんでしょう。

しかし、(直接)民主制を政体の軸に据えたためその必然的帰結として衆愚政治に陥り破滅したアテネに対し、元老院体制という堅牢な貴族制と(エトルリア系王を追放したがゆえに必然的に採用せざるを得なかった)執政官制度という擬似的君主制の下で大を成したローマだったが、紀元前後ついに下層民衆の圧力に屈し、愚昧・卑劣・低俗を極める無産大衆の多数性を自党派の力に変換することを覚えた煽動政治家によって独裁制(帝政)に移行、賢帝の統治下ではしばしの小康状態を得たが、伝統的多神教への信仰を薄れさせた民衆はありとあらゆる愚行と醜態に耽って社会を荒廃の極に追い込み、ついに蛮族の侵入と文明の全面的崩壊という破局を迎える、しかし帝国後期に普及したキリスト教がその破滅的事態の中で緩衝材として作用し、後代のヨーロッパ文明への再生を準備した、という(塩野氏の史観と後半部がかなり異なる)イメージは頭の中から消えそうにない。

ローマ史には人類が経験したあらゆる政治的営みが含まれているという意味の言葉があり、本シリーズでもどこかで引用されていた覚えがあるが、多数派の民衆が、かつては持っていた従順さと敬虔さを失い、驕り高ぶった愚かで卑しい大衆と化した後、(その身分に本来相応しい資質を持っている場合の)君主や貴族などの、主に社会的上層部に属する賢明な少数派を押し潰し、社会と国家を破滅させるという、世界史上の不幸な鉄則は徹頭徹尾無視されているようです。

また、「魚は頭から腐る」(国家の腐敗と堕落は指導者層から始まる)という言葉がよく使われ、本シリーズでもどこかで言及されていたかなとも思うが、歴史上表面的にそう見えることがあったとしても、それは実際には、指導者層がその資質と品位を失い、被支配者層と同化した結果堕落したのであって、「頭」(既存の支配層)が腐敗している一方、「身」(民衆)が全く健全だなんて状況はあり得ないんじゃないでしょうか。

それどころか、おぞましいことに、下層民衆が、自分たちの底無しの邪悪・低俗・卑劣を完全に棚に上げるくせに、統治階層へは無制限で一方的な道徳的非難を浴びせかけて社会の機能を麻痺させ、無秩序状態を招来し、国家を破滅させるということすらあるのではないか。

世界史上の一大変革、中国の易姓革命やフランス革命、ロシア革命、ナチ体制確立、さらにあえて言えば、日本の先の大戦もそうやって始まったと言えなくもないと個人的には思う。

ローマの帝政移行もそうだと断言したいわけではないんです。

しかしそうした面を一顧だにせず、この時期の歴史を、現実の変化を直視せず伝統的制度を旧套墨守で擁護する愚鈍な元老院階層に対し、賢明・鋭敏・果断な英雄カエサルが勝利し、民衆の利益と欲求に即して国家体制を変革することに成功した、という物語一色で塗りつぶして叙述する本シリーズの史観にかなりの疑問と違和感を感じてしまう(もっとも私自身、『ユリウス・カエサル ルビコン以前』『同 ルビコン以後』の巻を読んだ時には、塩野氏の見方にほとんど何の疑問も持たなかったわけですが・・・・・・)。

それに、上記のような観点を頭の片隅にでも入れておけば、現代のポピュリスト的政治家をカエサルになぞらえて礼賛するというような(塩野氏の時事的エッセイにも散見されなくもない)穢い行為から距離を置くことができるのではないでしょうか。

長々と書いてきましたが、結論です。

結局自分にとって、この『ローマ人の物語』シリーズは、私のように教科書レベルの知識しかない日本人読者にローマ史の中級的な史実を面白くかつわかりやすく教えてくれる、有益で手頃な啓蒙書という位置付けであり、それ以上でもそれ以下でもないです。

もちろんそれだけでもきわめて貴重で重要な作品であると評価すべきですが、本シリーズからローマという文明の興隆と衰亡について精緻な知識と深遠な教訓が得られるというふうには、どうしても思えなかった。

20年前、第1巻を感動と興奮のうちに読み終えた際、まさか全巻完結時にこのような感想を持つことになるとは夢にも思いませんでした。

ちょっと言い過ぎかもしれないし、単に私が著者の意図を読み取れていないだけという可能性も大いにあります。

さらに、ローマ史のカテゴリから本シリーズを除いた場合の貧弱なリストを見て、「そもそもお前にそんな偉そうなことを言う資格があるのか?」と言われれば、俯いて口をつぐむしかない。

しかし、もし正直な感想を述べることが許されるのなら、やはり以上のような結論になってしまいます。

初心者にとって、ローマ史の具体的史実を頭に入れるためには、やはり必読に近いレベルのシリーズだと思いますが、ギボンや高坂正堯氏の著作ほどの内容的重みは、私には感じ取れませんでした。

|

« 戸部良一 『外務省革新派  世界新秩序の幻影』 (中公新書) | トップページ | 引用文(豊﨑由美1) »

ローマ」カテゴリの記事