カテゴリー「国際関係・外交」の41件の記事

国際連盟についてのメモ

篠原初枝『国際連盟』(中公新書)の記事続き。

1931年日本が起こした満州事変によって連盟は危機を迎える。

もちろん日本にも多くの言い分があろうし(マクマリー『平和はいかに失われたか』)、(左記マクマリーの記事で名を出した)クリストファー・ソーン『満州事変とは何だったのか』(草思社)のように、これを最終的に第二次世界大戦へつながる「始まり」と見なすのではなく、多くの矛盾と無理を抱えていた既存秩序の「終わり」という性質の強い事件とする見解もあるようだが、秦郁彦氏がどこかで言っていたように、やはり九ヵ国条約やパリ不戦条約に抵触する可能性が極めて高い事件を、まず日本が引き起こしたことは、何となく後味が悪い。

中国は連盟に提訴、日本の軍事行動拡大につれて加盟国の態度は硬化。

オブザーバーで参加したフーヴァー政権下の米国がスティムソン・ドクトリン(九ヵ国条約・不戦条約・連盟規約に反する行動の結果に対する不承認主義)表明。

32年(第一次)上海事変、リットン調査団派遣、連盟へのリットン報告書作成、その間日本は五・一五事件後成立した斉藤実内閣が満洲国承認。

報告書は日本の軍事行動を自衛行為と認めなかったが、満洲において日本が特別な権益を持つことは認める。

今思えば、報告書の勧告を受諾し、満洲が中国の主権下にあることを認めた上で、日中両政府の話し合いと妥協で満洲に自治政府を作るというくらいで矛を収めておけば良かったのにというところですが・・・・・。

たとえ後知恵でもそう言いたくなります。

33年3月に日本は連盟脱退。

32年2月から33年6月までジュネーヴ軍縮会議が開かれていたが、その途中、33年1月に政権を握ったヒトラーは、10月ドイツの連盟脱退を敢行。

前年32年には元イギリスの委任統治領だったイラク王国が独立、連盟に加盟している。

34年9月にはソ連が加盟、常任理事国に。

ヒトラー政権の脅威に備える点で、英仏とソ連の思惑がとりあえず一致した結果。

スターリンは外相リトヴィノフを表に立て、人民戦線戦術などの柔軟路線を演出。

翌35年には仏ソ相互援助条約、ソ連・チェコ相互援助条約が結ばれるが、その3年後には独ソ不可侵条約で親枢軸路線に転換することになる。

33年には事務総長が初代ドラモンドから仏人アヴノールに替わる。

(この人が実質最後で、基本二代のみと考えてよいようだ。)

35年イタリアのエチオピア侵攻。

経済制裁が検討されるが、最重要軍需物資の石油は、その禁輸を宣戦布告と見なすとムッソリーニ政権が表明していたので、制裁項目から外される。

(日本もハル・ノートをくらった時点でこれを公表し、南部仏印進駐以後の石油禁輸の継続は戦争行為に等しいと大々的に宣言しておくべきでしたね。ルーズヴェルトに余計な宣伝材料を与えてしまいました。)

同35年ドイツ再軍備宣言、36年ラインラント進駐(ロカルノ条約破棄)、ベルリン・ローマ枢軸、スペイン内戦、37年日中戦争、38年オーストリア併合、ズデーテン危機、ミュンヘン会談、39年独ソ不可侵条約、第二次世界大戦と坂を転げ落ちるように国際関係は悪化、39年11月にはすでにドイツとポーランドを分割していたソ連がフィンランドにも侵攻、連盟はソ連を追放。

大戦末期、1945年4~6月にサンフランシスコで国際連合創設会議、10月に発効し国際連合発足。

一方国際連盟は46年4月まで存続し、同月解散。

国際連盟の英語表記がLeague of Nationsなのに対し、国際連合はUnited Nationsすなわち連合国なのは周知の通り。

上記の歴史の中で日本が果した役割については、とりあえず高坂正堯『外交感覚 同時代史的考察』(中央公論社)での以下の文章に沿ったような暫定的理解をしておいては如何でしょうか。

1930年代にはそれまでの国際秩序は崩壊していた。すなわち、各国の行動を律する基準は怪しいものとなり、そのなかで各国はその力を拡大し、国益を増進するためにそれぞれ勝手なことをした。イギリスがポンド圏を作りブロック経済をしいたのはそのひとつであり、それはよいこととはいえない。ソ連は自国の生存のためとはいえ、ナチス・ドイツと談合し、1939年にポーランドを分割したが、それもよいことではない。アメリカにしても、たかまり行く危機からできるだけ身を引いていようとしたのであり、それも称讃されることではない。

つまり、当時において、各国の政治家は状況がよく見えていなかった。ただ日本の指導者はとくにそうであって、そのため、いつの間にか、どう見ても国際正義に反すること――それも他の諸国よりも相対的により重大な侵犯――をおこなってしまったのである。すなわち日本は「侵略」をおこなったのであるが、それは日本の指導者たちが愚かで、貪欲であったというより、状況の難しさに負けてしまったのである。けっして軍国主義者とはいえない米内光政は、日本が「魔性の歴史」にひきずられたといったが、そこには実感があふれている。そのことも認識し、教えなければ歴史教育とはいえない。

私自身、こうした見方より遥かに「右傾化」していた時期もあったし、今もそういう考えは残っている。

米英仏中露など戦勝国の公式的見解が正しいとも思えない。

例えば米国については、上記に加え大戦後最大の債権国になったにも関わらず国際経済秩序を維持するリーダーシップの必要性に対する認識が希薄で(このことは高坂先生も書いていた)、愚かにも経済バブルを膨らませた上、その崩壊に全世界を巻き込み、さらにスムート・ホーレイ法によってブロック経済化の先鞭をつけ世界恐慌を一層深刻化させたことは、意図的でないからといって不問に付されていいとは思わない。

しかしここで書いたように、私は「自虐史観」よりも民主主義が嫌いなので、「デモクラシーの失敗の一形態としての戦前日本」という考えが頭に浮かぶ今、先の大戦を全面肯定するような言説にはかなりの距離感を感じます。

極めて巨視的に見た場合、先の大戦が欧米列強のアジア侵略に対する対抗という性質を持っていたことは事実だが、しかし自国民のみならず近隣国民に多大の損害を与えたことに対する反省の姿勢は維持し、だがあの時代で「もし自分なら何ができたか」という自省を忘れず、当時の指導者を後世の安全な場所から一方的に指弾するような真似はするべきではない、という意味のことをある人が書いていたのを読んだことがあるが、今の自分の考えはそれに一番近いか。

閑話休題。

本書で気になった所を以下3点ほど(いずれも私が読んだ初版において)。

まず5ページ、カント『永遠平和のために』についての文章で、「民主主義が平和的な国家間関係の構築に最適であるという国内政治体制と国際平和の関連性であり・・・・・」と書かれているが、限られた紙数で説明しなければならないということは十分わかりますが、ここはもう少し慎重で丁寧な書き方をされた方が宜しいのではないでしょうか(中西寛『国際政治とは何か』)。

250ページ、「1939年9月23日の独ソ不可侵条約」とあるが、ドイツのポーランド侵入が9月1日、英仏の対独宣戦が9月3日だから、もちろん正しくは8月23日です。

単なるケアレスミスでしょうが、これはできれば編集者様か校正の方に見つけて頂きたかったです。

177ページ、「1926年3月8日連盟理事会が開かれたとき、イギリスからはネヴィル・チェンバレン外相・・・・・」という文章を読み、「え?」とやや引っ掛かったのですが、これはネヴィルじゃなくて、兄のオースティン・チェンバレンではないでしょうか。

『角川世界史辞典』を引くと、オースティンの項で「外相1924~29」、ネヴィルは「蔵相1923~24、31~37」とありますから、たぶん間違いないはずです。

一個上の事例と合わせて、増刷・重版の際に直して頂けると幸いです。

ちなみに父のジョゼフ、弟のネヴィルと違って、オースティン・チェンバレンは高校世界史範囲外ですが、この人はフランスのブリアン、ドイツのシュトレーゼマンと並んで、1920年代後半における協調外交の時代を代表する人物として憶えておいた方がいいと思います。

読みやすく、標準的な内容の概説で、割と良い。

普通に役立つ入門書。

年表、加盟国一覧、規約翻訳と付録も充実。

(最初に書名を出したクリストファー・ソーン『満州事変とは何だったのか』(草思社)は、頻繁に「連盟規約第○○条に基づく制裁措置」云々と出てくるのに、肝心の規約が載っていないのが不満でした。)

最後に重箱の隅つつきみたいなこと書きましたが、十分読むに値する本だと思います。

|

篠原初枝 『国際連盟  世界平和への夢と挫折』 (中公新書)

第一次世界大戦後に誕生した、史上初の普遍的国際組織の概説。

国際連盟は1920年設立、本部はスイスのジュネーヴ。

この国際連盟にアメリカが参加しなかったことは中学校の社会科教科書にも載っているし、何か「不完全な組織」とのイメージがあるが、実際は当時の独立国の大半が加盟した事実がある。

もちろん植民地が依然世界の多くの地域を占めていたし、一度加盟したものの脱退した国も少なくないが、本書巻頭の地図で見ると、全くの非加盟を通したのは米国の他ではサウジアラビア(1924~32年まではヒジャーズ・ネジド王国)が目立つくらい。

(その他ネパール、ブータンも非加盟の表示。両国は当時イギリスの保護国だったか?うろ覚えではっきりしない。)

最初に近世ヨーロッパ以降、国際組織の構想についての歴史を概観。

一方、その実践としては1863年の赤十字国際委員会、1874年の万国郵便連合、1899年・1907年の二回にわたるハーグ平和会議などが挙げられている。

第一次大戦中に国際組織設立を求める多くの民間団体の活動があり、1918年ウィルソンの「十四ヵ条の平和原則」における最後の項に国際平和機構設立が盛られる。

同18年休戦・ドイツ降伏、1919年パリ講和会議。

(ちなみに講和条約はヴェルサイユ条約だが、講和会議は「パリ」講和会議で、「ヴェルサイユ講和会議」とするのは誤りと以前習った。たしか高校時代、それでバツをくらった覚えがある。)

同19年ヴェルサイユ条約の一部に連盟規約が組み込まれた形で調印、20年発効、国際連盟成立。

この規約には、ウィルソンの主張で、モンロー宣言のような米国の一方的声明を承認する条項が含まれていたにも関わらず、上院の反対で米国が加盟しなかったのは周知の通り。

ちなみに、この過程で日本が主張し、仏・伊・中が賛成した人種平等条項(山東半島・青島の旧ドイツ租借地問題などで日本と激しく対立した中国もこの問題では賛成した)が、米英の反対で盛り込まれなかったことは有名。

これも今では相当知られた事実だし、煽情的に取り上げるのは良くないとは思うが、それでもこの時のウィルソンの対応にはある程度の悪感情を抱かざるを得ない。

もともとウィルソンについては、ドイツとの休戦交渉において皇帝退位と民主化を条件とすることで、ドイツの国家体制を脆弱にし、軍部ではなく穏健な議会政治家に過酷な講和条件の責任を負わせることによってナチズムへの道を開いたようなものだと思って、「まったく知恵の足りない理想主義者の典型で、とんでもない人物だ」という印象を持っていたのだが、牧野雅彦『ヴェルサイユ条約』(中公新書)で実はドイツの体制変革についてはかなり慎重な姿勢を示していたことを知り、少々見直していた。

しかし本書での記述を読むと、高坂正堯『不思議の日米関係史』(PHP研究所)の以下の文章を読んで得たイメージはやはり修正する必要がないのかなと感じた。

正直言って、私はウィルソン大統領が余り好きではない。とくに彼がメキシコに介入するのをためらわず、日本にも人種的偏見のようなものを持っていたことを考えると、彼は正義の原則や理想を重んじはしたが、生身の人間は好きではなかったのではないか、と思う。彼が第一次世界大戦中に高い理想を掲げながら、それを現実化できなかったのは、当時では彼の理想が高すぎたというだけでなく、前述の人となりにもよるような気がする。

旧ドイツ植民地・旧トルコ領は単なる戦勝国による分配を避け、連盟から各国への委任統治領となる。

植民地支配のカモフラージュに過ぎないとしばしば言われるが、著者は、戦勝国が委任統治領と植民地を区別して扱っていた具体例を挙げて、一定の評価を与えている。

イギリスの自治領カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカも単独加盟。

これらはまあ理解しやすいが、イギリスは植民地のインドも「自治植民地」になる見込みだとして加盟させる。

確か国際連合が設立される際、ソ連が連邦構成共和国すべての加盟を主張し、妥協としてソ連の他にウクライナと白ロシア(現ベラルーシ)のみが単独で加盟した事実があったはずで、この例を連想してしまった。

主要機関は総会と理事会と事務局と常設国際司法裁判所。

理事会は現在の国際連合での「安全保障理事会」と違って、名称は単なる「理事会」。

常任理事国と非常任理事国から成るのは今と同じで、常任理事国は米不参加のため、当初、英仏伊日の四ヵ国。

秦郁彦氏が『二十世紀日本の戦争』(文春新書)で似たようなことを言っていたが、明治初年から考えると、日本が世界の五(四)大国の一員とは目も眩むような地位なのだから、この少し後に自らを「持たざる国」なんて被害者意識ばかり募らせずに、冷静になるべきだったと思わぬでもない。

初代事務総長にはイギリス人ドラモンド就任(~33年)。

その下に副事務総長がいて、さらに事務次長。

新渡戸稲造が事務次長になったのは有名。

敗戦国のオーストリア、ブルガリアが20年、ハンガリーが22年加盟。

23年エチオピア、32年トルコ加盟。

24年ドーズ案、25年ロカルノ条約によってようやくヨーロッパ情勢が安定し、26年には最大の懸案だったドイツの加盟が実現、即常任理事国に。

この時常任理事国の地位を要求して容れられなかったスペイン、ブラジルが脱退表明、スペインは結局残留したが、ブラジルは脱退、以後復帰せず。

その間、1921年上部シレジア問題(独・ポーランド間)、23年コルフ島事件(伊・ギリシア間)の解決に連盟は貢献。

通商、労働、難民、保健衛生、知的交流などの分野でも成果を挙げる。

日本人も連盟で活躍し、主な人物として新渡戸稲造の他、石井菊次郎、安達峰一郎、杉村陽太郎、佐藤尚武の名が挙げられている。

上記のうち、石井菊次郎は1917年石井・ランシング協定の締結者ですね。

この協定は、ほぼ常に日本の中国進出に警戒的だった米国に日本の中国における特殊権益の存在を珍しく認めさせたことで有名。

佐藤尚武は臼井勝美『日中戦争』(中公新書)で少しだけ名前の出た外交官で、終戦時には駐ソ連大使だった人です。

連盟にとって苦難の時代である1930年代以降は続きます。

(続きはこちら→国際連盟についてのメモ

|

ジェームズ・メイヨール 『世界政治  進歩と限界』 (勁草書房)

去年の春ごろ、読売新聞の書評で見て「これは読むべき本だ」と思ったのだが、それきりになっていた本書を一年以上経ってようやく手に入れた。

著者は、体系化・制度化と自然科学的な理論的精緻さを重視するアメリカの国際関係論主流とは距離を置き、歴史と古典的教養を根底に置く英国学派に属するイギリス人の国際政治学者。

冷戦後の状況を踏まえた、主権・ナショナリズム・民族自決・民主主義・人道的介入などに関する考察。

主権と内政不干渉の原則が依然として重要であり、国際社会で為し得ることの限界を強く意識するプルラリスト(多元主義的)見解を支持し、理念・イデオロギーや人権・民主主義などの普遍的価値のためなら上記原則を乗り越えるのも許されるとするソリダリスト(連帯主義的)見解に懐疑的な目を向ける。

民主的な政治文化を欠いておりしかも非常に分裂した社会では、選挙による政治を導入したことによってかえって暴政への道が開かれたり、まさに選挙が防ごうとした類いの暴力的紛争が引き起こされたりした。

もちろん問題は、ある種の条件下では、民主化という治療の方が権威主義という病よりも悪いことがあるということである。

・・・・・人民主権の国々からなる国際社会では、君主たちのクラブよりも、相互に内部へ浸透する力は強いが、その異質性は大きい。そして君主からなる社会よりも進化する潜在力が強いが、文化的誤解や相互の憎悪やポピュリスト的排外主義を生みやすい環境でもある。

著者のこうしたごく大まかな主張は理解できたが、本文を読みながら少し脇道に入った論旨や見解がちょっと把握しづらい。

全く理解できないということもないが、かなり注意して読まないと頭が混乱する。

1990年代、冷戦終結後のイラク・カンボジア・ソマリア・ボスニア・コソヴォなどでの民族紛争についての知識が無いとわかりにくいでしょう。

私自身、内容を全て十分に理解したとは言えません。

一点だけ、本題から大きく外れた周辺的な事項をメモすると、米ソ冷戦時代には民族紛争が凍結されており、「旧植民地の一回限りの独立」以外で分離独立した民族は90年代まではほとんど無く、バングラデシュがその唯一の存在だが、それもインドという強力な支援者がいた故だったと書いているのが印象に残った。

(ナイジェリアのビアフラやコンゴのカタンガ、エチオピアのエリトリアなどが失敗例として挙げられている。エリトリアは冷戦後1993年独立。)

余談ですが、インダス文明の遺跡の多くが現在の領土でいうとインドではなくパキスタンにあることは典型的ひっかけ問題ですが、古代以来1947年印パ分離独立までの「インド史」は現パキスタン領も含むことと、独立後71年第3次印パ戦争と72年バングラデシュ独立まではパキスタンはインドを挟んで東西に領土を持っていたことにご注意。

短い割にはレベルはやや高い。

私には少し難しい部分もあり、期待したほどの面白さは無かった。

人にもよると思いますので、一度手に取ってご覧下さい。

|

ジョセフ・S・ナイ・ジュニア 『国際紛争 理論と歴史 [原書第7版]』 (有斐閣)

著者のジョセフ・ナイは、「ソフト・パワー」という概念の提唱者として有名な国際政治学者。

実務にも携わり、カーターおよびクリントン両民主党政権でそれぞれ国務次官代理、国防次官補を務める。

クリントン政権時代には当時険悪化していた経済紛争で日米同盟の基礎を揺るがすべきではないとするナイ報告書を作成、これが日米同盟再定義に繋がる。

オバマ現政権誕生時にも、一時駐日大使候補として確か名が挙がっていたはず。

本書はハーヴァード大学での講義のために書き上げられた国際政治のテキスト。

奥付を見ると、翻訳では2002年に初版が出た後、2003年第4版以降は2年ごとに新しい版が出ているようだ。

偶然店頭で見かけて手に取ったのだが、これが大当たり。

冒頭、著者の友人ロバート・コヘインという人の緒言で、明確・簡潔で「どの章にも無駄な文を見出すことは困難だ」という学生による評が載せられており、訳者(田中明彦・村田晃嗣両氏)あとがきでは、こういう教科書で学べる学生は幸せだと書かれているが、全く同感。

国際政治・国際関係の教科書というと、ありきたりで毒にも薬にもならない、史実羅列型の近世以降のヨーロッパ外交史がズラズラ書き連ねてあるだけだったり、あるいは逆に初心者には馴染みの薄い抽象概念を次から次へと持ち出して悦に入るようなものだったりするが、本書はそれらとは大きく異なる。

サブタイトル通り、国際政治理論と外交史を中心とする歴史叙述を常に往還しながら、読者の理解を無理なく深めてくれる。

取り上げられる概念は必要最小限かつ最重要のものだけであり、それを著名な史的事例に交えながら、実にわかりやすく解説している。

そして理論説明のための「題材」として用いられる具体的歴史叙述は、古代ギリシア・近世初頭から18世紀にかけてのヨーロッパ勢力均衡・19世紀の欧州協調体制・第一次大戦・第二次大戦・冷戦・中東紛争・冷戦後民族紛争という並びであり、読み進めると自然に「定番」の史実が押さえられるようになっている。

章が終わるごとに、本文で触れられた歴史に関する年表と「学習上の論点」という問いかけが載っているのがいかにも教科書っぽいが悪い感じはしない。

第1章では古代のペロポネソス戦争とそれを描いたトゥキュディデス『戦史』を題材に、リアリズム(現実主義)とリベラリズム(国際協調主義)という国際関係の見方の二大潮流を記している。

本書ではその二つに加えて、コンストラクティヴィズム(構成主義)という考え方が紹介され、以後の章でも度々言及される。

これは「国益」というものの認識があくまで主観的なものであることを強調し、その認識の基盤となる文化・理念・アイデンティティに注目するアプローチのことらしい。

その他、「囚人のディレンマ」の概念、国際関係における倫理に対する三つの見方として懐疑主義・国家中心的道義主義・コスモポリタンの説明。

(「国家中心的道義主義」というのは訳語のせいでわかりにくいが、要は内政不干渉の原則を基本的には尊重するという立場。)

第2章、国際システムの分析手法について、リアリストが力の分布としての「構造」にのみ関心を集中させるのに対し、リベラルやコンストラクティヴィストは国際間の相互作用のパターンとタイプとしての「プロセス」にも注意を払う、としている。

似たパワーの構造に置かれていても、プロセスが違えば、国家は全く違った行動をとる場合がある。

次に、歴史を解釈し評価するための手法としての「反実仮想」。

これは実際の事実に反する仮定を置いて、歴史の因果関係を探る思考上の実験のこと。

反実仮想が意味のあるものとなるための条件を列挙しているが、これが明解で非常に面白い。

第3章、バランス・オブ・パワーの説明と第一次世界大戦の記述。

ヨーロッパ近世の指導国の表が載っているが、16世紀スペイン→17世紀オランダ→18世紀フランス→19世紀イギリス→20世紀アメリカ→21世紀アメリカとなっており、18世紀をイギリスではなくフランスに当てている。

個人的には18世紀もイギリスにして、17世紀を前後半に分け、前半がオランダ、後半がフランスにすれば、世紀半ばの英蘭戦争・ルイ14世親政開始に合わせてちょうどいいのかもと思っていたが、オランダの経済覇権が急激に失われたわけではないという記述を何かの本で読んだ記憶もあるし、本書の並びの方が適切なんでしょう。

続いて第一次世界大戦の原因を考察している。

前章での反実仮想という手法も用いて、国際システム・国内情勢・指導者の個性という三つのレベルで分析されているが、これが大変面白い。

平易ながら明解・鋭敏な解説に目の冴えるような思いがした。

本書を通読できなくても、この部分だけでも拾い読みする価値が十分あります。

第4章、戦間期の集団安全保障の挫折と第二次世界大戦勃発の経緯。

この章でも前章と同じく非常に読ませる。

宥和政策の評価などが興味深い。

第5章、冷戦。

冷戦の原因について、簡単に言うと、ソ連の責任を自明視する伝統主義者、米国の責任を強調する修正主義者、責任問題には深入りせず勢力均衡の構造的原因から冷戦は不可避であったとするポスト修正主義者の三つのアプローチ。

ポスト修正主義者のジョン・ルイス・ギャディスが、冷戦後公開されたソ連関係の文書分析を経て伝統主義的見解に回帰してきたと書かれているが、以前記事にした『冷戦 その歴史と問題点』(彩流社)では確かにそんな感じがした。

この章での冷戦史の叙述自体は無論簡略であり、大戦終結直後の対立、封じ込め政策の展開、米国のヴェトナム介入、核兵器による「恐怖の均衡」くらいを取り上げてまとめてあるだけだが、初心者には十分有益でしょう。

第6章、冷戦後の紛争と介入の正当性について。

民族自決は曖昧な道義原則にならざるをえない。ウッドロー・ウィルソンは1919年に、それが中央ヨーロッパでの問題を解決するだろうと考えたが、解決したのと同じくらいの数の問題を生み出してしまった。アドルフ・ヒトラーは1930年代に、この原則を[民族問題をかかえる]脆弱な諸国を弱体化させるのに用いた。世界中の国々で[人種が]同質的なものは10%以下であり、民族自決を二義的ではなく一義的な道義原則として扱えば、世界の多くの地域で悲惨な結果を生みかねないことは明らかである。・・・・・・自決権の絶対的な要求は、よほど慎重に扱われないかぎりは、往々にして暴力の源泉になりがちである。

後半は中東でのアラブ・イスラエル紛争の叙述。

これも簡易ながら役に立つ。

イラク戦争後、ごく最近の出来事まで書かれているのが良い。

第7章、「グローバリゼーションと相互依存」。

ゼロ・サム的状況と非ゼロ・サム的状況。

敏感性相互依存と脆弱性相互依存の区別。

国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)、世界貿易機関(WTO)、経済協力開発機構(OECD)など主要国際機関の概観。

1948年発足のGATT(関税および貿易に関する一般協定)が1995年WTOに改組。

私の世代だとニュースなどで頻繁に聞いていたので、まだ「ガット」の方がしっくりくる。

「WTO」がワルシャワ条約機構の略みたいに感じてしまう。

最後に1973年以降の石油危機の記述。

第8章、「情報革命と脱国家的主体。」

特に書くこと無し。

最後の第9章、「新しい世界秩序?」

同じく、別段書くこと無し。

大変良い。

前半、特に第3章を読んでいた時は、「最高だ、本当に素晴らしい、これは久しぶりに“評価5”の本だな」と思っていたが、後半部に入るとややテンションが下がった。

とは言え、極めて有益かつ面白い本であることは間違いない。

基礎的な事実と概念を洩れなく取り上げながら、これだけ興味を持って読ませる教科書は本当に珍しい。

高校の世界史および政治・経済をそこそこ理解しているなら、十分読みこなせるレベル。

末尾に訳者が日本人読者向けに作った参考文献も役に立つ。

これを眺めて、次に取り組む本を決めても良い。

国際政治学・国際関係論の入門テキストとしては最良レベルに近い本。

是非お勧めします。

| | コメント (0)

J・L・ガディス 『冷戦 その歴史と問題点』 (彩流社)

著者名のカタカナ表記がやや違いますが、『ロング・ピース』(芦書房)の著者と同一人物です。

他に『歴史としての冷戦』(慶應義塾大学出版会)(邦題がルイス・J・ハレーの本と同じ)も出ています。

この『歴史としての~』は叙述範囲が限られており、1962年キューバ危機までで、しかもやや読みにくい印象を得ていたので、代わりに記事タイトルの本を読んでみることにしました。

原著は2005年刊、冷戦後に入学してきた若い学生向けに書いたテキストだそうです。

結論を言うと、悪くは無いが期待したほどでも無いといった感じ。

第二次世界大戦直後から1990年代初頭まで、冷戦の全期間が扱われているものの、米ソ両大国指導層と国民の情勢認識や心理状態に焦点を絞って叙述が進められており、他の主要国も含めた細かな事実関係の記述ではさして得るところがない。

高校教科書の戦後史の部分をマスターしていればなんとか読みこなせるレベルではあるが、現代史テキストとしての網羅性は低く、本書だけでは明らかに不十分。

基礎的なことが頭に入った人がざっと読んで、新たな史的解釈を得るための本と言うべきではないでしょうか。

「訳者あとがき」でも書いているが、年代順に事実を記すのではなく、ある問題点を取り上げてその説明の中で史実を並べていくという形式。

その話の展開の仕方は(特に前半の章は)かなり上手いと思う。

第1章「恐怖への回帰」は大戦終結から朝鮮戦争まで、冷戦最初の5年間における米ソ対立の展開。

第2章「死のボートと救命艇」、核兵器の出現による「恐怖の均衡」成立、それによる抑止作用。

第3章「命令と自発性」、米ソのイデオロギー対立。

第4章「自立性の出現」、東西両陣営での中国とフランスの自立化傾向、米中接近。

第5章「公正さの復活」、ウォーターゲート事件、CIAの工作活動をめぐるアメリカ国内の政治的道義性に関する議論と1975年ヘルシンキ全欧安保協力会議の人権条項がソ連圏にもたらした影響など。

第6章「主役たち」、1970年末から二極体制の状況を動かすのに貢献したレーガン、サッチャー、ワレサ、ヨハネ・パウロ2世などの活動。

第7章「希望の勝利」、1989年東欧共産圏崩壊と冷戦の終結。

個人的感想だが、気になった点を記すと、スターリン政権など全体主義体制を表わすのに「権威主義」という言葉を用い、それと民主主義を対比させていることに何とも言えない違和感。

国際政治の本でそういうことに拘ってもしょうがないのかもしれないが、少々首を傾げた。

なお、本書での著者の見解について書くと、自国の欠点や失敗を十分認めながらも、基本的にアメリカの果たした役割に高い評価を与えている。

極端な夜郎自大的主張には思えないのでそれはまあいいんですが、気になる人がいるかもしれない。

ただ私としては、「ナチズムと共産主義を封じ込めて崩壊させたアメリカの役割は十分認めますが、しかしそれを民主主義の勝利とするのは如何なもんでしょうか、左右の全体主義はあなた方が嫌う君主や貴族の堕落ではなく、民衆の愚劣さや狂信が生み出したものですよね」と一言釘を刺したくなる。

版形が大きく300ページ余りあるが、比較的読みやすい。

補助的テキストとして使用するなら、それなりに役に立つと思います。

| | コメント (0)

岩間陽子 『ドイツ再軍備』 (中公叢書)

ドイツ再統一から三年後、1993年刊。

著者は京都大学法学部出身で、高坂正堯先生の弟子。

カテゴリはドイツではなく、国際関係・外交にします。

1945年のドイツ敗北から1954年のパリ協定締結、翌年の協定発効・西ドイツ主権回復とNATO加盟までを扱った国際関係史。

冒頭、西ドイツの反共意識の原点となった、ソ連兵による性暴力のかなりえぐい描写がありますので、心臓の弱い方はご注意。

戦後の米ソ対立によって1949年東西ドイツが分立、同年NATO結成。

1950年朝鮮戦争勃発で東側軍事力への懸念がアメリカと西欧諸国の間で高まり、西ドイツの軍事的貢献を求める意見が出る。

しかしフランスを中心にドイツの潜在的脅威に対する恐れも依然広く持たれており、ソ連に対抗すると同時にドイツの脅威も顕在化させない「二重の封じ込め」を意図して、ヨーロッパ防衛共同体(EDC)という超国家的統一欧州軍構想(プレヴァン・プラン)が提出される。

西ドイツ単独の軍備を許容するのではなく、この機構の中に西ドイツを制約付きのジュニア・パートナーとして組み込む構想であった。

しかし西ドイツでは、再軍備自体と52年に最晩年のスターリンが行った、必ずしも宣伝・攪乱目的とは断定できないドイツ統一に関する交渉の提案に対する賛否をめぐって、国内対立が起きる。

ドイツの西側同盟への組み込みを最優先するキリスト教民主同盟(CDU)右派指導者で首相のアデナウアーに対し、いずれも強い反共信念を持ちながらソ連との交渉の道を閉ざさないことを主張したCDU左派のヤコブ・カイザー、グスタフ・ハイネマン、社会民主党(SPD)党首クルト・シューマッハー、西ベルリン市長エルンスト・ロイターが対峙する。

結局1954年フランス議会が批准を拒否したことにより、EDC構想は挫折する。

(当時のフランス首相はインドシナ戦争のディエン・ビエン・フーでの敗北を期に就任したマンデス・フランス。アデナウアーは彼がソ連と「中立・非武装のドイツ」を材料に取り引きをする意図があったのではないかと強い疑念を抱いていたそうだが、著者はそれを否定している。)

同年、48年に締結されていた西欧連合(WEU)条約(ブリュッセル条約)に西ドイツを加盟させ、それにおいて西ドイツの軍備管理と制限を課すという条件で同国の主権回復とNATO加盟を容認するという妥協案が、第二次チャーチル政権の外相イーデンから提出され、事態はその通り進展し、パリ協定が締結される。

翌55年に協定が発効し、56年に西ドイツで一般兵役義務法が可決される。

以上が大体のあらすじです。

これはかなり面白い。

冷戦初期の非常に重要な時期についての外交史としては相当の名著。

西ドイツ国内の諸勢力の主張、米・英・仏・ソ・その他諸国の立場が非常に明解に説明されており、すっきりと理解できる。

『アデナウアー回顧録 1』『同 2』と併読すれば効果大。

高坂先生の『現代の国際政治』あたりの戦後国際政治史概説を一冊読んだら、是非取り組むことをお勧めします。

| | コメント (0)

三宅正樹 『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』 (朝日選書)

世界の運命を決した、1939年から41年までの極めて緊迫した国際情勢における主要史実の骨組みだけを表にすると以下のようになる。

39年3月   独、チェコスロヴァキア解体

   5月   ノモンハン事件

   8月   独ソ不可侵条約

   9月   独、ポーランド侵入 第二次世界大戦勃発

   11月  ソヴィエト・フィンランド戦争

40年6月   フランス降伏

   9月   日独伊三国同盟

41年4月  日ソ中立条約

    6月   独ソ戦

   12月   日米開戦  独、対米宣戦 

日本の内閣は、39年1月に、日中戦争を勃発させ泥沼化させた第一次近衛文麿内閣退陣、平沼騏一郎内閣成立、同年8月独ソ不可侵条約締結を受けて「欧州情勢は複雑怪奇」との声明を発して総辞職、阿部信行内閣成立、40年1月米内光政内閣、7月第二次近衛内閣、この政権が三国同盟を締結してしまい、41年7月第三次近衛内閣を経て、10月東条英機内閣成立、12月に真珠湾攻撃という流れになる。

39年8月から41年6月まで、ソ連が枢軸国寄りの中立を維持していた時期の、極めて密度の濃い外交史。

日独の一部で支持されていた、日独伊プラスソ連のブロックで米英仏に対抗するという構想を取り上げて検討している。

39年3月ドイツがチェコスロヴァキアを解体(ボヘミア・モラヴィア併合、スロヴァキア保護国化)、前年英仏に強要したミュンヘン協定を自ら破り、その結果英仏は宥和政策を放棄、ヒトラーと対決する決意をとうとう固める。

同年夏ヒトラーの次なる標的のポーランド防衛のための、英仏とソ連との同盟協議が行われるが、根強い相互不信と被援助国となるはずのポーランド自身が反独感情に劣らぬ反ソ感情からソ連軍通過を拒否したため同盟は不成立。

なお、同年7月日本の外相有田八郎と駐日英国大使ロバート・クレーギーの間で、日本軍による天津英国租界封鎖をめぐる問題を融和的に解決した有田・クレーギー協定の成立が、ソ連に「極東のミュンヘン」を想起させ、対独接近をスターリンが決意する一要因になったと、本書では記されている。

(この有田・クレーギー協定は、直後に日米通商航海条約廃棄通告を行った米国の圧力で、結局廃棄される。)

英国主敵論・独ソ提携論を持つドイツ外相リッベントロップの判断にヒトラーがこの時点では同意し、8月独ソ不可侵条約締結。

秘密議定書ではポーランド分割とエストニア・ラトヴィア・フィンランドはソ連の、リトアニアはドイツの勢力圏に置くことを定める。

同時期ノモンハンでソ連が大攻勢に出て、日本軍は甚大な被害を蒙り、北進論が後退。

平沼内閣総辞職、対独接近論が一時下火となる。

9月ドイツ軍はポーランド侵入、英仏が対独宣戦、第二次世界大戦勃発、ソ連も東側からポーランドへ侵攻、ワルシャワおよびルブリンをドイツに譲る代わりに、ソ連はリトアニア支配の承認を得る。

11月ソ連はフィンランドに最後通牒を突きつけて開戦するが、苦戦を強いられ、翌40年3月に休戦。

ソ連はカレリア地峡を手に入れるが、この時の赤軍の苦戦で、ヒトラーはソ連の軍事力を過小評価することになる。

40年春、ドイツが西部戦線で大攻勢に出てデンマーク・ノルウェーを征服、6月にはフランスも降伏させる。

同6月ソ連はルーマニアに強要してベッサラビアと北ブコヴィナを奪取、8月にはバルト三国を併合。

5月に成立したチャーチル政権の英国は屈しなかったが、ドイツの優勢は揺るぎないものに見えた。

フランス降伏後、英国支援を本格化させる米国に対し、ヒトラーは日本との軍事同盟をもってアメリカの参戦を牽制しようと目論む。

ドイツの優勢を見た日本でも再び対独接近論が力を得るが、ここでポイントは、日本が三国同盟締結に傾いたのは、ドイツの軍事的優勢という情勢判断の他、独ソ関係の安定を前提にして、実質日ソ独伊の四国同盟に発展するとの見込みがあり、それなら米国参戦を抑止するのに十分だと考えられたため。

米内内閣が倒れた後、第二次近衛内閣の下で、9月日独伊三国同盟が結ばれた。

しかし、すでにナチス打倒の決意を完全に固めていたルーズヴェルト政権は、むしろ対日敵視を強めたため、期待された同盟の効用は全く無かった。

この辺りから独ソ関係が悪化しだす。

8月に、ベッサラビアなどを奪われたルーマニアに独伊が領土保証を与え、9月にはフィンランドをドイツ軍が通過することを認める協定が結ばれる。

スターリンはドイツとの交渉で、ソ連にインド・イラン方面への進出を認める四国同盟構想に基本的に同意を与えるが、すでに英国と交戦状態にあるドイツに比べて自国の交渉上の立場の優位性を過信した。

40年11月のソ連外相モロトフのベルリン訪問で、ソ連は自らの勢力圏下と定められたはずのフィンランドでのドイツ軍通過とルーマニアの領土保証およびドイツ軍進駐を激しく非難、ソ連とブルガリアとの相互援助条約調印、ボスポラス・ダーダネルス海峡での基地建設などの強硬な要求を行う。

このバルカンでの勢力争いから独ソ関係は急激に悪化、英国が降伏しないのは米国の援助だけでなく、ソ連の対独姿勢が変わることに期待をかけているからだと判断したヒトラーは年来の宿願である共産主義国家打倒と東方での「生存圏」確保のため、40年末に対ソ開戦を決意する。

ソ連は独ソ戦直前までドイツに資源提供を続けるなどの融和策を取るが、本書ではスターリン自身が41年秋頃の対独開戦を決意し、その準備をしていたとの説が紹介されている。

日本はこの情勢変化を覚らず、41年4月外相松岡洋右のベルリン・モスクワ訪問時に日ソ中立条約を結ぶ。

41年6月独ソ戦が始まり、四国連合構想は最終的に破綻する。

日本はどうすれば良かったんですかね。

何があっても軽挙盲動せず、孤立を恐れず、ひたすら忍従し、諸大国がすべて参戦するのを待って嵐が過ぎ去るのを耐えれば良かったのか。

そうすればスペインのフランコ政権のように中立を保ち生き延びることもできたか。

その場合、300万人の同胞の死も無く、極右的な国粋主義は退潮し、議会主義が復活し、満州・朝鮮・台湾は徐々に自治に向かい、帝国は今も存続していたかもしれない。

かなり面白い。

一番基礎的な史実を頭に入れた後、是非読むべき本。

当時の国際情勢の中で、各国がどのような意図と思惑を持ってある行動に出たのか、それが各国指導者にどのような心理的影響を与えて次の行動を生み出したのかという、史実の意味付けを学ぶために十分使える。

なお、初学者はまず野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)を読んでおいた方がいいと思います。

(何度か書いてますが、この本の外交史が初心者にとって持つ効用は、本当にただごとではないです。)

朝日選書というのは今までノーマークに近かったのですが、『王妃エレアノール』にせよ、『ゲーテとその時代』にせよ、本書を含めて当たりが多いですね。

馴染みの無いレーベルでも出来るだけ気を付けて見ないといけません。

| | コメント (0)

下斗米伸夫 『アジア冷戦史』 (中公新書)

2004年刊。

こちらの記事で少々腐してしまった下斗米先生の本。

タイトルに「アジア」とあるが、実際は日中韓朝露にモンゴルとヴェトナムを加えた東アジアのみが対象範囲。

冷戦終結後に出た政府文書や著作・インタヴューなどを利用して、中国・旧ソ連・北朝鮮の共産圏三ヶ国からみた冷戦史概観といった著作となっているのが主な特徴。

申し訳ないんですが、文章に微妙な違和感を感じる部分が少なからずあるのは上記記事で書いたのと同じです。

内容は特に良くもなく悪くもなくといった感じ。

叙述の軸は中ソ対立で、それを利用した北朝鮮のろくでもない自主路線がサブテーマ。

この辺は他の分野に比べればまだ予備知識を持っているので、個人的にはさしたる発見もなく、あまり面白いとは思わなかった。

教科書レベルの次にこれを読んだ場合、有益な入門書と言えるのか、中途半端な概説なのかは、ちょっと判断しかねる。

お役に立てず申し訳ございませんが、強い印象を受けない普通の本でしたので、あまり書くことがなく、はっきりとした評価も下せません。

| | コメント (0)

中西寛 『国際政治とは何か 地球社会における人間と秩序』 (中公新書)

高坂正堯氏の弟子である著者が、高坂氏の『国際政治 恐怖と希望』(中公新書)を導き手にして書き下ろしたもの。

第一章で近代の国際政治史の展開を概説した後、国際政治を力の体系・利益の体系・価値の体系の三つの面から考察した高坂氏著に倣って、安全保障・国際経済・価値意識について、それぞれ一章を割いて論じている。

高坂氏の『国際政治』のように、モノの考え方を引っくり返されるような衝撃と感動こそ無いものの、多彩な論点と興味深い視野を与えてくれる本。

各章末の参考文献と、巻末の文献案内は、数は少ないが、精選された定番の良書が紹介されていて非常に良い。

なかなかの内容を持っていると思いますので、機会があれば一読しておくのも悪くないでしょう。

・・・・民主制は自らを善玉と捉える道徳的自己義認の傾向をもっている。民主制が善玉-悪玉観のような単純化の危険をもつことを認識していたことが、カントがわざわざ共和制と民主制を区別し、前者を望ましい体制としたことの一つの理由であると考えられる。

カントは、世論が外交に反映されることで主権者が気まぐれな戦争を行いにくくなることを指摘したが、他方で、国民自身が主権者となる民主制は、制約要因をもたず、いったん世論が過熱すると見境がなくなる点を指摘し、国家の意志決定者と実行者とが分離されている共和制が最善であるとしたのである。

代表制をとり、また多元的な社会の基盤をもつ今日の自由民主主義体制はカントの共和制に近いものと見なすことはできるが、それでも自己の正当性を強く信じる時、民主制は好戦的なものになりうることは認識されるべきである。

 

| | コメント (0)

下斗米伸夫 北岡伸一 『新世紀の世界と日本 (世界の歴史30)』 (中央公論新社)

とうとう最終巻です。

冷戦終結から本書が刊行された1999年までの約10年間の日本と世界の動きを記したもの。

もちろんテーマによっては80年代やそれ以前にも遡って説明されるが、前巻の記述範囲に比べると、ややバランスに欠けるような気がしないでもない。

確かに1989~91年あたりの国際情勢の変化は激烈であり、ここで時代を区切るのはある意味当然なんですが。

この辺は私にとって新聞・テレビ・雑誌で完全に動きを追っていた時代であり、ああこういうのも「歴史」になったんだなあと、ある種の感慨に浸ってしまう。

著者の分担は、ごく大まかに言って下斗米氏が世界情勢全般、北岡氏が日本と東アジアです。

またまた偉そうな感想で恐縮ですが、下斗米氏執筆の章はどうもイマイチ。

言いにくいんですが、文章があまり上手くないのではないかと・・・・・。

文と文とがうまく繋がっていないと思われる箇所が相当数あった。

内容自体は普通なんですけど。

北岡氏の章は文意も論旨も明解で読みやすいですが、特筆すべき点はやはり無し。

本書刊行からさらに10年経った現在ではやや古くなりましたが、ポスト冷戦期の国際関係史としては希少価値はあります。

ただこういう完全な同時代史についてはあまり類書を知らないので、初心者向けの本としての的確な評価は下しかねます。

まあ悪い本じゃないとは思います、はい。

ようやくこの中公新版「世界の歴史」も終わりましたね。

去年の夏から始めて半年弱かかりましたが、自分としてはかなりのハイペースでした。

全巻通読した感想は、基本的に各巻の記事の中で書いたことの繰り返しになりますので、ここでは書かないでおきます。

ちょっと間隔を空けて、改めて記事にするかもしれませんが。

ごく簡単に言えば、基礎を固めるために世界史全集をどれか一つ読みたいと決意された場合、これを選ぶのが無難かなあとも思うのですが、時々「これは到底初心者向けじゃないだろ」という部分が出てきて厄介、ということになります。

諸手を挙げてお勧めできる、という感じじゃないのが難しい。

文庫版も刊行中ですが、それを書店で見て、面白そうならとりあえずその巻だけ手にとってみるというのでいいのかもしれません。

さて、次に何を読むべきか。

一度日本史の全集を一つ通読すべきかなとも考えます。

何しろ近現代の外交史を除けば、自分の知識は依然高校教科書のレベルに留まっているので。

というか、高校教科書でも細かな部分は頭に入ってないのだから、本当に自分の血肉となっている日本史知識は小学校の頃読んだ学研版『漫画日本の歴史』だったりする。

いくら何でも情けないので、近年再文庫化された中公旧版『日本の歴史』でも読もうかと思ったことがあったが、日本史の全集は世界史のそれよりも経年劣化が激しいというか、ある程度新しいものでないと信頼して読めないという気がする。

どうしたもんかなあと今検討中です。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧