カテゴリー「中国」の114件の記事

佐竹靖彦 『項羽』 (中央公論新社)

2010年刊。

同じ著者と出版社で、先に『劉邦』も出ているが未読。

とりあえずこれだけ読む。

通説を常に再検討し訂正しながら話を進めていく伝記。

劉邦の臣下であった陸賈の『新語』とそこから生まれた『楚漢春秋』、およびそれらを史料にした司馬遷『史記』の記述と実際の史実とのズレを考察し、さらに班固『漢書』に至ってより大胆な歴史の再編が行なわれたことを指摘している。

その例としては、項羽が天下を取った際の称号は「西楚の覇王」ではなく「楚王」だったはずだとか、項羽の最期においては「四面楚歌」ではなく「四面斉歌」という状況だったとか、「垓下の戦い」ではなく「陳下の戦い」だったとか、項羽は恐らく陳下で戦死したはずで烏江のほとりで自刃したのは史実ではない、等々。

叙述範囲は、前210年始皇帝の死から前209年陳勝・呉広の乱を経て、前202年項羽敗死と漢王朝成立まで。

なお、本書では陳勝は字(あざな)を取って、常に「陳渉」と表記。

『史記世家』でも「陳渉世家」で立てられている。)

秦末動乱と楚漢戦争の過程は、説明が丁寧なのと地図が豊富なので、類書の中ではたぶん一番わかりやすいと思います。

読んでいく上で、人名では、項羽の配下にいた范増、鍾離昧、黥布、司馬龍且、周殷、曹咎、呉芮(ごぜい)、陳嬰、呂臣など、独立的勢力としては張耳、陳余、田儋(でんたん)、田栄、秦嘉(と景駒)などをチェックするとよいでしょう。

(項羽の臣で後に劉邦に降った季布が出てこないのがやや不思議。)

上記のうち、田儋・田栄は斉の実力者ですが、斉には他にも田姓の人物がやたら出てきて、その政治的立場も様々なのでややこしいことこの上無い。

概括的記述としては、初めの方に出てくる以下の文章が非常に面白かったので引用。

周王朝が成立してから、本書で問題にする漢王朝の成立まで、一千年近い歴史を通観すれば、そこには周秦王朝の継続的成立に示されるように、そのときどきの歴史の波動を含みながらも、巨視的には一貫した西方の優位、かつて毛沢東が現代はアジアがヨーロッパを圧倒する時期であるとして、これを「東風が西風を圧倒する」と表現した言葉をもじっていえば、「西風が東風を圧倒する」という状況が存在した。

歴史的に見たときに、項羽が果した最大の功績は、この一千年にわたる西高東低の地政学的状況に終止符を打ったことであろう。かれ自身は、新しい状況をふまえた継続的な政治体制を樹立することはできなかったが、東西の統合あるいは融合の形勢はいっそう深化するとともに、地政学的な重心もまたこれに対応して東遷した。項羽の奮闘は一千年来の中国の基本的な政治状況に、最終的な変化をもたらしたのである。

この周秦一千年の東西関係の地政学は、前漢、後漢の約四百年のあいだに進行した東西の統合あるいは融合の形勢のなかで、その歴史的役割を終えた。この間に徐々に姿を現してきたのが、南北関係の地政学である。この南北関係の地政学は、前漢、後漢の約四百年の萌芽期をへて、徐々に力を増してくる北方遊牧民勢力の伸張によって、南北朝期にははっきりとその北高南低の姿を現した。

中華三千年の歴史を概観すれば、周王朝の成立以来、項羽の秦王朝打倒までの約一千年弱が西高東低の地政学の時期であり、前漢、後漢あわせて約四百年の東西融合と南北関係の確立の時期をへて、魏晋南北朝隋唐五代のこれまた一千年弱が第一次の北高南低期となる。この時期の北高南低の気象は、さまざまに入り組んだ動乱のなかで進行するが、この巨視的に見たときの過渡期をへて、宋代から清代にいたる一千年弱の北高南低の安定的な地政学的気象が確立する。ただし興味深いのは、ここで西高東低といい、北高南低というのは、政治的・軍事的優位を基準とした呼称であり、すべての時期を通じて、経済的・文化的には正反対の状況が出現していることである。

元々好きな時代を詳細に論じている本なので、私にとっては面白い。

ただし、そもそも漢楚争覇のあらましを知らない人にはあまり興味が持てないかも。

とりあえず、これまで何度勧めたか分からないくらいですが、司馬遼太郎『項羽と劉邦』(新潮文庫)をお読み下さい。

さらに気軽なものとして横山光輝の漫画『項羽と劉邦』(潮出版社)もあります。

横山氏の漫画では、有名な『三国志』よりも私はこちらの方が好きです。

これらの本で準備作業をすると、司馬遷『史記列伝』で関連する人物の伝を読むのが楽しくてしょうがなくなります。

本日までの記事数が998です。

年末の記事で申し上げた通り、1000記事目までいったら、当分更新を停止します。

残り2回は少し毛色の変わった記事を上げようかと考えています。

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宮城谷昌光 『楚漢名臣列伝』 (文芸春秋)

この方は司馬遼太郎亡き後、歴史小説の大家扱いで、月刊「文芸春秋」に『三国志』を、読売新聞に後漢・光武帝の小説を連載してますが、私はその膨大な著作のうち、『長城のかげ』しか読んでません。

他の本はどうも読む気がせず、上記『長城のかげ』と同じく、個人的に好きな秦末漢初の時代を扱った本書を手にとってみた。

これは小説というより評伝。

最初、「楚漢の時代」という簡単な時代説明があって、そのあとの10章で一人ずつ描かれる。

10人は、張良、范増、陳余、章邯、蕭何、田横、夏侯嬰、曹参、陳平、周勃。

范増が項羽配下の謀臣、章邯が秦将、陳余と田横が独立勢力である他は皆劉邦の臣。

以上、高校世界史では誰一人出てこない名だが、私にはすっかり馴染みになっている。

三国志の登場人物よりも、これらの名前の方により親しみを覚える。

内容自体はまあ普通。

知っている話が多いせいで、特に引き込まれることもないが、時々重要と思う指摘がある。

まず超基本事項のチェックとして、春秋時代が前770~403年、戦国時代が403~221年。

春秋時代が370年弱なのに対して戦国時代は180年余りと、こちらの方がかなり短い。

著者は、春秋時代は晋と楚の南北朝時代だと評している。

それに対し、戦国時代は秦と魏の戦いの時代と見なすことができ、秦に対して最も非妥協的で連衡策に乗らず激しく抵抗した魏の滅亡によって戦国時代の特色は失われたと書いてある。

戦国の七雄のうち、秦以外の六国の滅亡順を書くと、まず前230年に韓滅亡、次に225年魏滅亡、223年楚、222年趙・燕が相次いで倒れ、最後に残った斉が221年滅んで、秦王政の全国統一完成。

一部に趙の滅亡を前228にしている本もあるが、これはどういう史実を考慮しているのか不明(調べるのが面倒なのでパス)。

なお、劉邦が、自身の最初の根拠地とした、沛の位置から、魏人としての意識を持っていたということも書いてました。

以下の指摘も面白い。

魏は春秋時代の超大国であった晋を引き継いだという誇りが高く、この名門意識が為政者に濃厚にあったため、王族と貴族の力が強く、他国から魏に移った頭脳あるいは異能を活用しなかった。兵事だけではなく、司法と立法に巨大な才能をもっていた呉起を楚に亡命させ、秦で富国強兵をなしとげるまえの公孫鞅を無視し、比類なき天才兵法家の孫臏を斉へ逃がし、中山の名将であった楽毅を厚遇せず燕王へゆずった。呉起、公孫鞅、孫臏、楽毅など歴史上の偉才は、魏にいたのである。

全般的な筆致としては、項羽と劉邦の両者に対する冷めた視線が目立ち、兄の田栄と共に斉に依拠して奮闘した田横や、かつての「刎頚の交り」の友だが、劉邦足下となった張耳と対立し、趙で戦った陳余など、独立勢力の人物に好意的なのが印象に残る。

(項羽に降伏した後その配下となり、劉邦と戦って敗れた章邯も。)

そこそこ面白くはあります。

しかし、やはり司馬遼太郎『項羽と劉邦』の人物造型の巧みさ、素晴らしさは抜きん出ているなあと再認識したのも事実である。

日本人が書いた、中国歴史小説では最高傑作じゃないでしょうか。

宮城谷氏のこの本については、私のように漢楚争覇の時代が好きだという方にはお勧めしておきます。

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田中芳樹 『奔流』 (祥伝社)

『蘭陵王』『海嘯』に続く田中氏の歴史小説。

今回の舞台は6世紀初頭の中国南北朝時代。

華北を統一して久しい北魏と建国間もない南朝梁との間で起こった「鍾離の戦い」を主に記す。

登場人物はまず、梁の初代皇帝・武帝(蕭衍)。

その下の若き将軍陳慶之が主人公。

梁側では他に韋叡、曹景宗など。

北魏は孝文帝死後の宣武帝時代。

帝室の一員である中山王・元英、猛将・楊大眼、梁の前王朝斉の元皇弟だった蕭宝寅などが北魏側登場人物。

以上のうち高校世界史では、孝文帝を除けば、梁の武帝がまあ何とか出てくるかなといった感じで、他は主人公含め完全に高校教科書範囲外。

こういうマイナーな時代と人物を題材にしながら、初心者が読んでも十分面白い歴史物語を本書でも展開してくれている。

以下魏晋南北朝時代についての復習。

常に重要年代を意識して、時代の大まかな長さを把握しながら基礎事項をチェック。

後漢滅亡が220年、隋の統一が589年。

西晋の統一が280年、八王の乱がそのちょうど十年後、290年。

西晋の統一崩壊から数えて約300年、黄巾の乱(184年)から数えると約400年間、中国がぐちゃぐちゃだった時代ということをまずイメージ。

(なお八王の乱は教科書では290~306年とあるが、『世界史年代ワンフレーズnew』ではその勃発を300年としている。最中の何かの史実をその基点としているのだろうが、教科書と合わない年代はやはりまずい気がしないでもない。)

西方でローマ帝国が崩壊するより少し早い4世紀初めから中国は大混乱に陥り、304~439年間が五胡十六国時代。

江南に逃れた東晋が317~420年と、およそ百年存続。

前秦・苻堅の一時的華北統一が破れた後、鮮卑・拓跋氏の北魏が439年華北再統一。

北魏の存続年代は386~534年だが、五胡十六国時代の終わりを画す439年華北統一の年代を憶えた方が良いか。

うまい具合にこの少し前420年に東晋が滅んでいて、中国の南北で時代の転換点を迎える。

よってこれ以後隋の統一まで南北朝時代となる。

南朝の王朝名順序、「宋・斉・梁・陳」は高校生もそれ以外の人も、とにかく理屈抜きで憶えるしかない。

声を出して、「そう、せい、りょう、ちん」「そう、せい、りょう、ちん」・・・・・と20回くらい繰り返したら暗記できるでしょう(病院に連れて行かれないように、周囲に誰もいないことを確かめた上で)。

(五代の後梁・後唐・後晋・後漢・後周、デリー・スルタン朝の奴隷王朝・ハルジー朝・トゥグルク朝・サイイド朝・ロディー朝も同様。)

宋(420~479) 劉裕が建国  吉川忠夫『劉裕』(中公文庫)があり。

斉(479~502) 蕭道成

梁(502~557) 蕭衍(武帝)

陳(557~589) 陳覇先

上記の通り、斉と梁の帝室は同姓(武帝は斉帝室と血縁あり)、陳は国号と国姓が同じことに注意。

梁の武帝時代が南朝最盛期。

梁は一応6代続くが、最初の武帝時代が502~549年と在位半世紀に近く、以後は反乱でガタガタになりますから実質一代か。

次に北朝について。

北魏の孝文帝は南北朝時代通じて、高校教科書で唯一太字で載せられている重要人物だが、幼少で即位し33歳で死去したため在位29年のうち親政は最後の10年間のみ。

(死が499年なので、孝文帝時代が終わって、斉滅亡→梁の武帝となることを少しイメージしておきますか。)

即位後かなりの期間は祖母の馮太后が執政。

史上有名な均田制・三長制の実施などは、実はこの馮太后の政策であって、孝文帝自身の治績は衣服・言語・習俗・帝室改姓(拓跋→元)などの漢化政策のみと見るべきだと、宮崎市定『中国史』(岩波書店)などには書いてあります。

以後北魏は国運衰退、爾朱栄が朝廷の内紛を利用して専権を振るう。

帝室は爾朱栄暗殺に成功したものの、求心力の回復に至らず、爾朱栄配下の武将高歓と宇文泰が対峙する情勢となり、両者がそれぞれ北魏帝室の一員を担いで、534年高歓が東魏建国、翌535年宇文泰が西魏建国。

以後の話は、最初にリンクした田中氏の『蘭陵王』の記事参照。

高歓の部下だった侯景が梁に亡命した後、反乱を起こし仏教文化の華を誇った江南は荒廃、80代半ばに達していた老いた武帝は幽閉され餓死同然の悲惨な最期を遂げる。

侯景は結局滅んだが、梁の屋台骨は大きく揺らぎ、(東魏を継いだ)北斉と西魏およびそれに続く北周の圧迫を受けたのを機に、侯景討伐に活躍した陳覇先が簒奪、陳を建国。

北斉が550~577年、北周が556~581年、陳が557~589年だから三者とも6世紀半ばに成立と大掴みしておく。

なお本書では爾朱栄による混乱時代、主人公の陳慶之が一時洛陽を占領したことを記している。

他には「源氏」の起源・由来や、倭王「武」(雄略天皇)の梁武帝への朝貢など、意外な史実や逸話も紹介されているのが興味深い。

これも十分面白い。

歴史小説といっても、固有名詞のある人物は一部を除き、すべて実在とのこと。

自由奔放に見える登場人物の性格描写も、実は正史の記述にきちんと典拠を求めているところに感心させられた。

話のテンポが速く、快適なのも同じく。

今までのところ、田中氏の小説はどれもハズレじゃないです。

特に嫌いでなければ、初心者が読んで関連事項を復習するのも良いでしょう。

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宮崎市定 『水滸伝  虚構のなかの史実』 (中公文庫)

文庫・新書になっている宮崎氏の一般向け著作は大体目を通しているのだが、これは今まで読んだことがなかった。

『水滸伝』については、明代に成立した四大奇書の一つで、北宋末に山東の梁山泊に拠った宋江以下百八人の豪傑が政府軍と戦い、それを打ち負かした後朝廷に帰順し、それから方臘の乱を鎮圧した、といったあらすじ以外何も知らないし、『三国志演義』と違って原作を読もうなどという気は全然起きなかったので、本書にも興味が持てなかった。

しかし試しに読んでみると、なかなか面白い。

『水滸伝』の話の筋を知らなくても十分読めるし、単純に北宋末期の概説として使える。

まず北宋の皇帝名をチェック。

太祖趙匡胤から始まって、以後太宗・真宗・仁宗・英宗と続き、王安石の新法で有名な神宗に至る。

神宗死後、哲宗即位、祖母の高太皇太后が摂政となり旧法党復活。

哲宗親政開始とともに新法党が巻き返すが、哲宗は若くして死去。

弟の徽宗即位、母の向太后が新法・旧法両党均衡策を採るが、太后死後再度新法党政権に。

この時新法党強硬派として台頭したのが蔡京で、南宋の賈似道と好一対の奸臣とされる。

蔡京と宦官の童貫に誤られた徽宗は止めどない奢侈生活に耽溺し、靖康の変という亡国の事態を招くことになる。

『水滸伝』はこの徽宗時代を舞台にしており、本書では、宋江はじめ小説の中に出てくる人物と実際の史実との関わりについて細かく分析している。

なお「方臘の乱」は数ある中国の民衆反乱のうちでは、明代の「鄧茂七の乱」と並んでマイナーな部類に属し、高校世界史ではあまり出てきませんね。

後半ややめんどくさい部分があるが、煩瑣なところは飛ばし読みでいいでしょう。

宮崎氏の本を新規に読むのは久しぶりですが、やはり平明かつ豪快な筆致は素晴らしいと感じ、大いに堪能させて頂きました。

他の著作と同様、こちらも初心者が十分楽しめる本です。

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南宋・モンゴルについてのメモ その2

その1に続き、モンゴル史について高校レベルの基礎的事項を復習してメモ。

まず、遊牧民族の風習で兄弟継承が多かったので、中国史の他の王朝と違い、系図をしっかり把握しないといけない。

チンギス・ハンの長子がジュチ、次子がチャガタイ、三男オゴタイ、末子がトゥルイ。

ジュチの子がバトゥ、オゴタイの子がグユク、グユクの甥がハイドゥ、トゥルイの子がモンケ、フビライ、フラグの兄弟。

これだけ頭に入れて、次に大ハン位の移動順とその在位中にどこの国が滅ぼされたのかをチェック。

まず1206年にはじまるチンギス・ハン時代だが、意外にも滅ぼされたのはホラズム朝と西夏だけ。

西遼(カラ・キタイ)領も手に入れているが、これはモンゴル高原から追い出したナイマンがまず西遼を簒奪して滅ぼし、そのナイマンをさらにチンギスが倒した形になっている。

ややこしくてすっきりしないがこの経緯は高校レベルでも出てくるだろうから、仕方ないので記憶。

実はホラズムも存続年代は1077~1231年で、滅亡はチンギスの死(1227年)以後なのだが、これは実質的にチンギス遠征時に滅亡したと考えていいのか。

中国華北から中央アジア・北西インドにまで侵攻しているが、チンギス一代では結局モンゴル統一とホラズム・西夏征服のみとチェック。

次にオゴタイ・ハン時代(1229~41年)。

バトゥの征西、ロシア征服と1241年ワールシュタットの戦い。

1234年(イチ、ニ、サン、シで憶えやすい)には金が滅亡、華北征服。

グユク・ハン時代は皇后の称制などを挟んでごく短期間、取り立てて何も無し。

モンケ・ハン時代(1251~1259年)は、まず何といっても弟フラグの征西、1258年バグダード入城とアッバース朝滅亡が最大事件。

1259年には高麗服属。

1254年に大理国滅亡、1257年にはタイでスコータイ朝が成立しているが、柿崎一郎『物語タイの歴史』(中公新書)では、この両者を直接結び付けるのは根拠が薄く、近代以降の「大タイ主義」の影響でそう考えられるようになった、みたいなことが書いてあったと思うが、うろ覚えです。

1260年フビライ・ハン即位。

1266~1301年のハイドゥの乱は、上記系図を踏まえて「末子トゥルイ系統のハン位継承が続いたことに対するオゴタイ系の反乱」という意味も記憶しておく。

1271年国号を「元」、1274年文永の役、1279年南宋滅亡、1281年弘安の役。

南宋滅亡が二度の元寇に挟まれていることをチェック。

元成立後はフビライに「ハン」を付けて呼ぶべきではないのか?

例えば、元寇時の元の君主は?と問われた場合。

受験時代に模試でそれでバツをくらった覚えがあるんですが。

1368年には明が成立しモンゴルは中国から追い出されるのだから、王朝の成立あるいは中国全土統一のどちらから数えても、結局元朝は100年も続いてない。

1284年からヴェトナムの陳朝とチャンパーを攻撃するが、両者は持ちこたえ、1287年(1299年としている本もあり)にはビルマのパガン朝滅亡、1292~93年にはジャワ遠征、元軍撤退後の1293年には最後のヒンドゥー王国マジャパヒト朝成立。

1294年フビライ死去。

以後の元朝については類書も少なく、全然頭に入っていないのでパス。

たまに復習しないと、以上程度のことすら所々忘れる。

私は関連本を読んだ時に教科書や用語集や年表を読み返してます。

それだと割りと頭に入りやすいので皆様にもお勧め致します。

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南宋・モンゴルについてのメモ その1

前回記事、田中芳樹『海嘯』を読んだ後、年表・用語集等で確認した、高校レベルのごく基礎的な事項を以下にメモ。

まず宋について。

この辺、年代をあやふやなままにしていた部分があるので、まずそれを確認。

北宋成立が960年、遼との澶淵の盟が1004年、靖康の変が1126~1127年

この三つは当然暗記。(靖康の変と、永楽帝が即位した原因の1399~1402年靖難の変はもちろんしっかり区別。)

1127年に南宋成立、上記『海嘯』の記事のように滅亡は1279年

そうなると、北宋と南宋の存続期間はうまい具合にそれぞれ150年ずつほどとなる(北宋は160年を超えるが)。

しかしなぜか、南宋は盛期が短く、儚げなイメージが高校時代からある。

それはたぶん、1234年に金が滅ぼされ、以後の半世紀近く、モンゴルの軍事的圧力を常に受け続けていたからだと思う。

そう考えると平穏だったのは最初の100年だけか。

いや、初期には秦檜、岳飛の争いがあり、金の圧迫を受けていたのだから、盛期はもっと短いか。

女真族に華北を追われ、江南でやっと落ち着いたかと思いきや、もっと恐ろしい敵であるモンゴルに長年脅かされ、ついに滅ぼされるんですから、気の毒なイメージを拭い切れない王朝ですねえ。

南宋の文化人で最大の大物である朱熹の生没年が1130~1200年と書かれてあるのをたまたま見て、「この人、ちょうどうまい時に生まれて亡くなったんだなあ」という感想を持った。

次に皇帝位について。

徽宗の子で、欽宗の弟、高宗が初代皇帝。

この人には子が無く、北宋時代太祖趙匡胤の弟太宗系統の継承がここで終わる。

太祖の系統から孝宗、光宗、寧宗と三代が父子継承で順に即位。

その後、太祖の別系統から理宗が即位、この人の代に金が滅亡。

次が甥の度宗、度宗の子、恭宗が臨安で元に降伏。

恭宗の兄弟の端宗を擁して南宋残存勢力が南へ退避、端宗病死後、さらに兄弟の衛王(帝「へい」。漢字が出ない。たぶん「日」の下に「丙」だと思うんですが、違うのかな。)を立てるが厓山で滅亡。

次にモンゴルについて。

テムジンがチンギス・ハンに即位し、モンゴル帝国が成立した1206年は当然絶対暗記事項。

以下、四ハン国と元朝の存続年代をそのまま書き出してみる。

オゴタイ・ハン国  1225ごろ~1310年

チャガタイ・ハン国  1227~14世紀後半

キプチャク・ハン国  1243~1502年

イル・ハン国  1258~1353年

元  12711368年

1258年はイル・ハン国成立年代としてではなく、アッバース朝滅亡年度として暗記が必要。

オゴタイ・ハン国はチャガタイ・ハン国に併合。

キプチャク・ハン国はモスクワ大公国自立後、しばらく細々と存続。

要するに「13世紀はモンゴルの世紀で世界史上稀に見る大膨張を遂げるが、もう次の14世紀半ばにはロシアのキプチャク・ハン国以外はバタバタ倒れる」ということを頭の中でイメージしておく。

続きます。

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田中芳樹 『海嘯』 (中公文庫)

『蘭陵王』に続けて読む、田中氏の中国歴史小説。

元の世祖フビライの攻撃による南宋の滅亡を描いたもの。

タイトルは「かいしょう」と読んで、津波の意。

モンゴル軍の怒涛のような侵攻の比喩。

なお「嘯」は難しい字ですが、「うそぶく」を漢字変換するとすぐ出てきます。

物語は前史を長々と語ることなく、いきなり南宋末の奸臣・賈似道の誅殺と首都臨安(杭州)攻防戦から始まる。

最低限の説明は後で出てくるし、この展開の速さは読みやすくて反って良い。

元軍に圧迫され、一部の帝室と忠臣が臨安から温州、福州、泉州と逃れ、最後に広州の南にある厓山で壊滅し、1279年南宋が完全に滅亡するまでをテンポの良い文体で記している。

南宋側の登場人物は、文天祥、陸秀夫、張世傑、李庭芝、陳宜中など。

文天祥は南宋滅亡直前に宰相となった人物で、後に元軍に捕らわれた時に作った「正気(せいき)の歌」で一番有名。

本書でも一応は主人公という扱いか。

しかしやや協調性を欠く性格で他の忠臣とのわだかまりもあり、海上に逃れて沿岸部を転々とした朝廷とは行動を共にせず、内陸部で転戦、元軍相手に奮戦するが、最後には捕らえられる。

陸秀夫と武人の張世傑は「海上朝廷」を大黒柱として支え続けたが、陸秀夫は厓山で死、張世傑は再起を目指して逃れるが、まもなく嵐で乗船が沈み死去。

最後の張世傑の猛烈な戦い振りは感動的ですらあり、本書の読み所かと思える。

李庭芝は長江北の揚州で元軍を防ぐが、敗死。

陳宜中は文官で国外に出て、チャンパー(占城)やラームカムヘン王時代のスコータイ朝に援助を求める。

この陳宜中は優柔不断で決断力に欠け、しばしば行動を誤る人物として描かれてはいるが、著者の筆致はある意味同情的でもある。

元側の登場人物はフビライの他、バヤン、アジュ、アラハン、サト、張弘範、呂文煥、范文虎、アリハイヤ、李恒など。

最初の四人はモンゴル人、次の三人は漢人、アリハイヤはウイグル人、李恒はタングート族で西夏の王族出身、と元軍らしく多民族構成。

臨安陥落まではバヤンが最高司令官で、以後南宋朝廷を追い詰め厓山で滅ぼしたのは張弘範。

張弘範はモンゴルで史天沢に次ぐ漢人将軍だった張柔の子。

呂文煥、范文虎は南宋降将で、呂文煥はかつて襄陽攻防戦で勇名を馳せ、范文虎は少し後1281年に二度目の日本遠征軍(弘安の役)の指揮官となる。

他に注目すべき人物として泉州(マルコ・ポーロの言うザイトン)を本拠に海上勢力を率いていた蒲寿庚(ほじゅこう)がいる。

アラブ人であったというのがこれまでの通説で、元に通じ、逃れてきた南宋朝廷を攻撃している。

これもかなり面白い。

最も有名な文天祥のみに注目するのではなく、多くの人物・事件に目配りし、ある特定の人物を極端に美化するのではなく、それぞれの登場人物の長所・短所をバランスよく描いていると思われる。

この時代の雰囲気や大まかな流れを誰でも理解しやすいように提示してくれている。

上記『蘭陵王』と同じく、話の展開が速く、退屈な部分はほとんどない。

登場人物が相当多いが、さりげなく補足説明を交えて前出事項を思い出させてくれるので、ボーっとしながら読んでも、途中どんな人物だったのか忘れるということはまずない。

これは中々の腕だなあと感心した。

相当のスピードで読めて、基礎的知識が身に付くので便利。

これも初心者向け歴史小説として良好な出来だと思われます。

(追記:以下関連項目のメモ

南宋・モンゴルについてのメモ その1

南宋・モンゴルについてのメモ その2

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藤田勝久 『項羽と劉邦の時代  秦漢帝国興亡史』 (講談社選書メチエ)

著者には中公新書『司馬遷の旅』などの著作もあります。

私は中国史のすべての時代の中でこの秦末漢初が一番好きで、中国史のすべての人物のうちで劉邦が一番好きなので、これを読んでみた。

戦国時代の秦の台頭、南方の大国楚の社会と文化からはじまって、漢王朝の隆盛期まで。

秦の制度と楚などの風土・習俗との相克を常に対比させながらの叙述。

各国の興亡を指導者の個性ではなく、システムの違いに重点を置いて説明していく。

秦の郡県制が各地方の固有文化との軋轢の中で崩壊した後、項羽の分封体制となり、それが漢初の郡国制(中国西部は郡県制、東部は異姓諸侯分封から劉氏へ)を経て、景帝・武帝時代の実質郡県制へ、という大きな流れに沿った内容。

『史記』や『漢書』の記述を考古学的発見や他の史料によって補正しながら、話を進めている。

この時代の諸侯・将軍・謀臣などの固有名詞はかなり知っているが、改めて読むと結構記憶から抜け落ちていたり曖昧だったりする部分もあり、再チェックしながら通読した。

具体的記述については、以下一点だけ。

秦末の陳勝・呉広の乱について。

この二人は楚出身で、反乱後、国号を「張楚」とし、当初自分たちは楚の将軍項燕と始皇帝の子扶蘇であると称した。

項燕はともかく、温和な君子で人格者との世評があり、二世皇帝胡亥に自殺させられたとはいえ、あくまで敵国秦の人間である扶蘇がなぜ楚人の旗印になりえたのか、ということを考察しているのだが、それが中々面白く「ほう」と感心してしまった。

悪くはないが、上に書いた部分以外では目から鱗が落ちるといった感じは受けなかった。

私はそれなりに面白かったが、趣味の違う人にはやや退屈かも。

後半がやや落ちますか。

まあ普通の本です。

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小前亮 『宋の太祖 趙匡胤』 (講談社文庫)

この前の田中芳樹『蘭陵王』の読後感が割りと良かったことに味を占めて、通俗的中国歴史小説のうち、たまたま目に付いたこれを読んでみる。

カバーの著者紹介で、「東京大学大学院修了。専攻は中央アジア・イスラーム史。在学中より歴史コラムの発表をはじめる。(有)らいとすたっふに入社後、田中芳樹氏の勧めで小説の執筆にとりかかり・・・・・」という文章があるが、「つまり、中国史は専門じゃないということですか・・・・・」と、大変失礼ながら不安な気持ちになる。

気を取り直して読み始めてみると、結構面白い。

この趙匡胤という人は中国王朝の建国者の中でもかなり良いイメージがある。

たぶん宋王朝自体が、前代の殺伐とした武断主義から文治主義に転換し、遼・西夏・金・モンゴルなど異民族に圧迫され通しで「文弱」という言葉が思い浮かぶものの、政治的には君主独裁制が成立し皇帝と臣下の力の差が隔絶し王朝支配体制は安定、経済的には新興地主の台頭と占城米などの導入、坊制市制崩壊による商業都市発達、火薬・羅針盤・活字印刷の三大発明など、大きな躍進を遂げ、文化的には宋学の誕生、と社会の各分野で華やかで繁栄した印象があるからでしょう。

禅譲のあと、前王朝の一族をほとんど殺さなかったことも好印象。

それに引きかえ、モンゴル族の元朝を飛ばした次王朝明の太祖朱元璋なんてイメージ最悪。

前王朝の帝室は漠北に逃げて北元を建ててますから殺せなくても、自らの功臣をいくらなんでも殺し過ぎ。

宮崎市定先生が『中国史 上・下』(岩波書店)で朱元璋のことを偏執狂的な「中国のスターリン」と評してますが、ほんとに滅茶苦茶ですよ。

ただ私の好きな漢の高祖劉邦も建国後は韓信はじめ功臣を随分殺してるじゃないかと指摘されたら、「いやいや、あれは全部、歴史上最悪の鬼嫁呂后のやったことです」と都合の良い解釈をするようにしています。

閑話休題。

本書は五代の四つ目、後漢王朝の時代から始まる。

後梁・後唐・後晋・後漢・後周という、五代の王朝名と順番は当然要記憶。

「後」の部分はすべて「ご」ではなく「こう」と読み、特に「後漢」は「こうかん」と呼んで、古代の前漢(ぜんかん)・後漢(ごかん)と区別する、と私は高校時代に習いましたが、皆様はどうだったでしょうか。

年代は唐滅亡と後梁の成立907年と、宋成立の960年だけはしっかり憶えましょうか。

あとは建国者名をチェック。

後梁の朱全忠、後唐の李克用と李存勗(そんきょく)[建国は存勗の代]、後晋の石敬瑭、後漢の劉知遠、後周の郭威。

後唐は「李」姓だから国号も唐、後漢は「劉」姓だから漢。

真ん中三つ、後唐・後晋・後漢は突厥沙陀部出身者が建国。

燕雲十六州を割譲したのは後晋、その後晋が遼の怒りを買い滅ぼされた後、契丹への抵抗を組織して建国されたのが後漢。

この後漢はわずか4年で滅び、中国の正統王朝の中では最も寿命が短いことで知られているが、後梁が16年、後唐が13年、後晋が10年、後周が9年だから、他もたいして変わらないか。

951年郭威が後周を建てると、後漢帝室の一族の劉崇が遼との国境地帯に北漢を建国、この北漢が「五代十国」の十国のうち、唯一華北にあった国。

太祖・郭威を継いだのが世宗・柴栄。

名前を見てわかる通り、実子ではなく養子。

名君が二代続き、国力は大いに伸張。

北は北漢を討ち、南は十国中最大の強国南唐を攻撃、長江以北の領土を併合。

悲願の全国統一も近いと思われたが、959年に世宗・柴栄は病死。

ちなみにこの世宗は「三武一宗の法難」の最後の仏教弾圧を行なった人。

960年禁軍司令官の趙匡胤が即位、(北)宋建国。

文官では趙普、弟の趙匡義、武官では石守信、高懐徳、曹彬などの助けを得て、民力の恢復と節度使権力の削減と中央集権化に努める。

この宋王朝成立については、

宋太祖が禅譲・・・の最後であったことは、皇帝独裁制の成立によって皇帝と臣僚との権力に大きい格差ができたことの証しでもあろう。以後は異民族の戦争によってしか王朝交代はおこらない。(中谷臣『世界史A・Bの基本演習』。赤文字引用者。)

ということは初心者でも要チェック。

ここで一応十国を整理しますか。

呉、南唐、呉越、荊南、閩、南漢、楚、前蜀、後蜀、一つだけ離れて北漢。

まず呉が滅んでから南唐が建国。

南唐は閩と楚を併合。

前蜀が滅んだあと、後蜀が建国。

ということで宋成立時に存続していたのは後蜀、荊南、南唐、呉越、南漢、北漢。

まず荊南を併合。

次に後蜀が降伏。

さらに、大陸南端、広州を中心にした南漢が降る。

975年には江南と称していた南唐も滅亡。

ここまでが太祖の時代。

976年太祖崩御、弟の趙匡義が即位し太宗に。

以後太祖の子孫は冷遇され続け、南宋初代皇帝の高宗が死去した後、ようやく太祖の子孫が帝位に就くことになる。

978年呉越併合、979年北漢併合で中国統一達成。

ややこしいことこの上なく、十国は基本的に南唐だけ押さえておけばOKでしょうが、まあ五胡十六国時代よりはかなりマシなので、可能ならばすべて憶えてもいいでしょう。

関連文献を挙げると、五代通史としては『馮道』(中公文庫)がかなり優れていると思います。

また本書のような中国歴史小説の場合、正史など原典史料と比較対照して、どこに典拠を採りどんなアレンジを加えているのかを観察する楽しみもありますが、残念ながら私には欧陽脩『新五代史』などを読む能力はもちろんありません。

私がそうした楽しみを味わえるのは陳寿『三国志 蜀書』だけです。

(追記:と思ったのですが、考えてみると『史記列伝』『世家』『本紀』で項羽と劉邦およびその臣下たちの記述を知っている逸話と比較するのは好きです。)

なかなか良い。

趙匡胤の武人としての活躍を描いているので、「なんかイメージ違うなあ」とも思うが、晦渋な部分も無く、スラスラ読める。

平易で印象深い人物描写を通じて、重要な史実が無理なく頭に入る。

私程度の初心者にとってやはりこういう歴史小説が与える効用は無視できない。

もっともののわかった人なら、こうした本は読まなくてもいいでしょうが、初学者はあまり馬鹿にせず気になったものは手に取ってみるといいでしょう。

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落合淳思 『古代中国の虚像と実像』 (講談社現代新書)

新石器時代から後漢までの中国史で一般化している常識・説話・見解を再検討する本。

全体が200ページ未満で全16章。

当然、一章が非常に短く、3・4節読んだらそれで終わり。

一日足らずで、余裕で読める。

しかし物足りなさはあまり感じず、話が次々進んで冗長さが一切無く、気分がよい。

山川出版社の『世界史用語集』の記述を俎上に乗せて、その不正確な点を指摘し、「受験英語」ならぬ「受験歴史」の欠陥を批判している。

いつもの調子で内容をメモすると、この本の場合、ネタバレが甚だしくなっていくらなんでも興醒めなので、以下一点だけ挙げると、「夏王朝は無かった、殷に先行する王朝・文明は確かに存在したが、それを誇張や創作を含む文献史料上の名称である『夏』で呼ぶのは不適切であり、あえて名付けるのなら発掘地の名称をとって『二里頭王朝』とでも呼ぶしかない。」といった意味の記述からも、本書の面白さの一端は感じられるのではないでしょうか。

かなり良い。

後半はやや面白みが薄れるような感じがするが、あっという間に読める割には効用は高い。

一度手にとってみれば如何でしょうか。

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