カテゴリー「ドイツ」の43件の記事

坂井榮八郎 『ドイツ近代史研究 啓蒙絶対主義から近代的官僚国家へ』 (山川出版社)

『ドイツ史10講』(岩波新書)『ゲーテとその時代』(朝日選書)という二つの傑作啓蒙書の著者坂井榮八郎氏の論文集。

10本の論文と2つのコラムで構成されている。

そのうち、「クールヘッセンにおける農民と農民解放」という論文は専門的過ぎて初心者には非常に読みづらいので、極めて粗く飛ばし読みしただけ。

場合によってはこの章だけは完全に飛ばしてもいいかもしれない。

しかし、それ以外の章はどれも普通に読めて、有益な内容を含んでいる。

こういう論文集の形式にも関わらず、初心者が読了できて得るところがあるものを書けるというのは、余程明晰で優れた学者さんだけだと思います。

中身で印象に残っているのは以下に引用する部分などですが、他に一点だけ挙げると、「余滴 プロイセン皇太子とビスマルク」というコラムがある。

ヴィルヘルム1世治下にビスマルクがドイツ統一を成し遂げたが、ヴィルヘルム2世が即位すると対立し、1890年にビスマルクは退陣、以後ドイツは「世界政策」に乗り出し孤立の道へ、という流れは高校教科書にも出てきますが、ヴィルヘルム2世は同1世の子ではなくて孫である。

実はその間に1世の子のフリードリヒ3世の極めて短い治世が挟まっている。

ヴィルヘルム1世は、1797年(!)生まれで、1849年フランクフルト国民議会の差し出した帝冠を拒否したフリードリヒ・ヴィルヘルム4世の弟で、その後を継ぎ1861年即位。

異例の長寿を保った後、1888年死去、子のフリードリヒ3世が即位するが在位わずか99日で世を去る。

このフリードリヒ3世は英国のヴィクトリア女王の娘(母と同名のヴィクトリア)と結婚し、自由主義的・親英的で知られた人だったらしく、この人の治世が長く続いていたら、下から沸き起こってくるナショナリズムをある程度制御し得て、ドイツと世界の運命は全く変わっていたかもしれないとも言われている模様。

ヴィルヘルム2世はその子なので、ヴィクトリア女王からエドワード7世を経て王位を継ぎ、第一次世界大戦で敵国同士となった英国王ジョージ5世はヴィルヘルム2世のいとこになる。

水谷三公『王室・貴族・大衆』の系図など参照。)

ちなみにエドワード7世の妻とアレクサンドル3世の妻はデンマーク王家出身の姉妹なので、ジョージ5世とロシア皇帝ニコライ2世は母方のいとこになる。

こういう王家同士の婚姻関係も、民主化が進展しナショナリズムが野放しになった20世紀においては、全く緩衝材として働くことができなかったことに慨嘆せざるを得ない。

期待に違わぬ良質な本。

比較的硬い形式のものでこれだけ楽しませてくれるのだから文句無し。

買わなくてもいいかもしれませんが、図書館で在庫があれば是非借りてみて下さい。

以下、「講演 啓蒙絶対主義と革命」の章、註より。

プロイセンの改革者ハルデンベルク1807年9月のいわゆる「リガ意見書」でこう書いている。「フランス革命はフランス人に、流血と騒擾の下で全く新しい活力を与えた。あらゆる力が呼び起こされ、みじめさと脆弱さ、また時代遅れの偏見や疾患が――もちろん多くの良いものと一緒に――破壊された。[中略]だから、よい意味での革命、人間を高貴にするという偉大な目的に到達するような、そして内外からの暴力的衝動ではなく政府の英知によって導かれる[革命]――それがわれわれの目的、われわれの指導原理である」。同じことを同意見書の別の箇所ではこう言っている。「可能な限りの自由と平等――[しかし]フランス革命の血まみれの怪物どもがその犯罪の隠れ蓑にした無拘束の、当然非難されて然るべきそれではなく、[中略]国家市民の自然の自由と平等をその市民の文化の段階と彼らの福祉がそれを必要とする以上には制限することのない、君主国の賢明な法律によるそれである」・・・・・。

ここではフランスの事態に対する激しい批判だけでなく、この批判にもかかわらず、「よい意味での革命」という言葉遣いにもあらわれているように、「革命」という概念にまだ一定の積極的意味合いがこめられていること、またフランスでなされたのと同等のことが、フランスとは別の方途でなされなければならないことが強く意識されていること、この点が留意されなければならないであろう。これは、「プロイセン改革」を指導した文武の官僚たちのかなりの部分に(他国では、例えばバイエルンのモンジュラについても)言えることだと思われる。もちろん、すべてに妥当するわけではないが。

例えば、シュタインがすでに違う。「フランスの無政府状態と不道徳」をフランス人の国民性に帰し、これを倫理的に弾劾したシュタインにとって、フランスの事態は「軽率に企てられ、狂って犯罪的に押し進められて、最低の専制政治に成り果てた革命」以外の何物でもなかった・・・・・。もちろん改革はしなければならないが、革命から学ぶものなど何もない。われわれは「すべてを新しくつくり出そうとする1789年以降の立憲的原理は間違っていること、歴史的地点から出発し、[それを]修正もし、より完全なものにしてゆくべきであるが、それは転覆などではないこと」を知るべきである・・・・・。

(補三) なお先程、ドイツでは革命は二つの顔をもつものと観念されるようになったという話をしましたが、これもドイツだけのことではないでしょう。フランス自体においても実はそうだったということが、先年1989年――フランス革命200周年に当たって私たちにも明らかになった。フランスのいわば「正統史学」の立場を守ってきたジャコバン主義史学に対するフュレなどのいわゆる「修正派」の批判はすでに前からのことですが、私など門外漢がその重要性を知ったのは、やはり200周年の年にいろいろ紹介されたことであります。またあの大革命、特に1793年以降のジャコバン独裁ないし「恐怖政治」期の評価をめぐっては、学界のみならずフランスの国民世論あるいは国民感情の中に、いまだ埋め難いような亀裂が存在していることも、他ならぬこの200周年の機会に私たちに知られるようになりました。革命が明るい顔だけでなく、恐ろしい顔ももっているのは、ドイツだけのことではなかったのです。

・・・・・1989年のフランスにおける革命200周年の国家的祭典は、祝うのは1789年であって93年ではない、という諒解の下で、またその諒解の下でのみ行なわれえたと記憶する。

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阿部謹也 『物語ドイツの歴史 ドイツ的とは何か』 (中公新書)

少々思うところあって、これまで何度か悪口めいたことを書いた本書を通読。

これだけ有名な碩学の著作を読むのが、『刑吏の社会史』(中公新書)に続いてやっと2冊目で、しかも次が本書というのはちょっとどうなのかと我ながら思うが、まあしょうがない。

10年余り前、本書が出た時、「これだけネームバリューのある人が一般的な通史を書いてくれたのか」と感激して立ち読みし、「うーん・・・・・」と首を傾げて、それきりでした。

今回読むに当たっては、できるだけ先入観を持たずに素直に読み進んでいこうと思ったのですが、結果は何とも感想に窮する微妙な出来。

著者の学識から滲み出す、特徴的な歴史の切り口の片鱗は感じられるものの、私程度の読者には十全に理解できない。

本文中の問題提起に対する答えがいつの間にかどこかにいってしまったというような場合が何度かあった(私がボーっと読んでるだけかもしれないが)。

事実関係の記述は断片的過ぎて、本書だけで細かな経緯を憶えるのはまず不可能。

特に現代史に入ると省略が甚だしく、適切とは到底言いがたい。

巻末で、無駄に白紙の多い年表が数十ページにわたって続くのも、有益とは思えない。

例によって偉そうな感想で恐縮ですが、これはちょっとお勧めしがたい。

阿部先生のような偉い方でも、最も初心者向けの通史という分野は苦手だったのかと思ってしまう。

どういう読者層をターゲットにした本なのか、よくわからない。

先生には他にいくらでも素晴らしい著作があるのだから、強いて本書を読む必要も無いでしょう。

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永田諒一 『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』 (講談社現代新書)

サブタイトルの方が内容をよく表わしています。

宗教改革時代の活版印刷、識字率、聖遺物・聖画崇拝とプロテスタント側の破壊運動、修道士還俗と聖職者結婚などのあれこれについて記述した本。

叙述範囲は、ほぼ16世紀から17世紀前半にかけてのドイツに限られますので、カテゴリはドイツで。

後半部では主に帝国自由都市アウグスブルクにおける新旧両教徒の併存体制について記されている。

1546~47年シュマルカルデン戦争の後、1555年アウグスブルクの宗教和議が結ばれ、諸侯がカトリックかルター派を選択し、領民はそれに従うという妥協が行われたというのは高校世界史でも出てきます。

しかし、アウグスブルクなどいくつかの都市では、例外的にカトリックとルター派の双方が認められている。

そこにおける教会施設の共同利用、異宗派間の男女の結婚、カトリック側がしばしば行う宗教行列などに関する軋轢と妥協が叙述される。

また1582年教皇グレゴリウス13世がユリウス暦に替わり導入を発布した新しい暦法(現行のグレゴリウス暦)が、最初プロテスタントの抵抗を受け、ついで徐々に受け入れられてゆく過程も興味深い。

各章が短くまとめられているので読みやすい。

表現は平易で、難解・複雑な事象や概念を持ち込むことなく、その章に関係する事実に密着した叙述を地道に積み重ねていくもの。

これなら社会史が苦手な私でも十分楽しめる。

大変結構な啓蒙書だと思われます。

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村瀬興雄 『ナチズム ドイツ保守主義の一系譜』 (中公新書)

初版が1968年で現在も品切れになっていないようですので、これも中公新書の超ロングセラーと言えるでしょう。

標準的形式の概説かと思っていたが、かなり変わった構成。

ヒトラーの生い立ちからミュンヘン一揆までが非常に詳しく、それだけで四分の三ほどの紙数を費やし、そこから一気に話が飛んで、最後の二章で第二次大戦中のナチの東欧・ロシア占領構想とナチズムの基本的性格の概括を述べている。

政権獲得期や独裁確立期の記述は存在せず、表面的に見れば、相当アンバランスな印象を受ける。

ただし「はしがき」で著者自身が断っているように、本書はヒトラーやナチズムに関する包括的概説ではなく、初期ナチズムおよび末期ナチズムを比較して、ヒトラーとナチズムの本質を浮かび上がらせようとする本なので、通読すればそれほど不自然な感じはしない。

ミュンヘン一揆までの、他の右翼団体との関係を含めた詳細な事実についての叙述はなかなか有益と言える。

そして本書の史的解釈の特徴については、サブタイトルが全てを語っている。

著者は、「ナチズムをドイツ支配勢力の突然変異と考えずに、むしろドイツ的伝統の嫡出子と考えて、第二帝政から第三帝国にいたるドイツ支配勢力の連続性のなかで考えてみる必要」を説く。

中公旧版「世界の歴史」での著者の執筆巻を読んだ時にも思ったことだが、私自身はこういう見方には強く懐疑的になってしまう。

ニッパーダイドラッカーハフナーマイネッケトーマス・マンシュペーアの回顧録ケナンなど、不十分極まりないながらもあれこれ関連本を読んでいると、自分の無知を差し引いても、本書の主張はそうそう簡単に首肯できるものではない。

プロイセン的伝統に対する厳しい批判者のゴーロ・マンも、ナチズムとの関連性については、それほど短絡的な見方はしていなかったはず。

しかし実際通読した印象では、それほど教条的で硬直した感じはせず、一定の柔軟さを持った本だと思った。

ドイツ支配層のうち、王朝的「保守反動派」と近代的「大ドイツ派」を区別し、20世紀以降前者の衰微と後者の増殖が顕著となり、ナチズムを消極的にせよ支持し、その支配を可能にしたのは後者だったと述べているのには素直に得心がいった。

最後に付け加えられている、第10版以降の「あとがき」にある以下の文章などは、上記ニッパーダイの本などとも共通する視点を持つでしょうし、現在の社会で全体主義の危険を避けるために何が必要なのかを示唆してくれるのではないでしょうか。

自由・民主派とナチスとの間には、もとより対立する要素が多い。しかし・・・・・何よりも古い身分制的反動的勢力の打倒を求める空気、公益優先の福祉国家、強大なドイツと国内の民族共同体を求める気分、現状を打破するためにワイマル共和制の変革を求める気分が、この派の大衆の間に強かったのである。

かかる空気の中では、民主的愛国的大衆とナチス的民族主義的大衆の区別は必ずしもはっきりとしなかった。ナチスは、王朝的権威主義や貴族的復古主義には反対していたし、農村の旧式名望家、旧式で家父長的な資本家、貴族・将軍・高級官僚の特権的な態度、時代から取り残されたタイプの学校教師や教会牧師の不当に大きな勢力、その他、時代おくれな伝統的身分制的道徳や諸規範には反対していた。ナチスのかかる改革的な態度に対してこそ、ドイツの一般大衆は熱烈な広範な支持をたえず更新して与えたのである。決してゲッペルスの「悪辣な宣伝」が民衆をまどわせ続けたのではなかった。

・・・・・ドイツにおける権威的軍国的反民主的な伝統は、ナチズムの勝利をうながした重要な原因である。しかし、民衆がナチスを支持した重要な理由は上述の如くであり、ドイツ人だけが独裁と抑圧に対してとくべつに卑屈で臆病な民族性をもっていたわけでは決してない。今日の西ドイツで反動的復古的勢力が見るべき力をもっていないのは第三帝国時代において保守派の基盤が破壊されたためであり、今日の西ドイツは全体として第三帝国による破壊と抑圧と、しかしまた建設事業の上に民主主義をきずきあげているのである。

この記事で少し触れたフィッシャー説を完全に承認していたり、ちょっとついて行けない部分も多かったが、読後感は事前の予想よりかなり良かった。

中公新書に収録されていて、このタイトルの本が与える印象である、「初心者が必ず通り抜けるべき基本書」といった感じではないが、読めばそれなりに得るところはあるでしょう。

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牧野雅彦 『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』 (中公新書)

今年1月の新刊。

著者は歴史研究者ではなく、ウェーバー研究者とのこと。

第一次世界大戦後のパリ講和会議の経緯と、そこで提起されたドイツの「戦争責任」問題に対して、「心情倫理」と「責任倫理(結果倫理)」の区別で有名なウェーバーがどのような態度を取ったのかが、主なテーマ。

本書を読む上で、1917年1月無制限潜水艦作戦、ロシア3月革命、4月アメリカ参戦、ロシア11月革命、1918年1月14か条の平和原則発表、3月ブレスト・リトフスク条約、3~7月ドイツ軍西部戦線での最後の大攻勢、11月ドイツ革命・休戦協定調印、1919年1月スパルタクス団の蜂起鎮圧・パリ講和会議、6月ヴェルサイユ条約調印、という時系列は事前に頭に入れておいて読み進めるのが良い。

非常に多くの論点を持った本なので、内容はメモしにくいが、硬直した理想主義一辺倒の政治家というイメージのあるウィルソンが、必ずしもそうとは言い切れない微妙な面を持っていたことなどが述べられている。

ドイツ側政治家の主役は、過酷な講和条約の調印拒否を主張した外相ブロックドルフ・ランツァウと、受諾やむなしとした中央党所属の蔵相エルツベルガー。

結局ドイツは戦勝国の圧力に屈し調印するが、もし拒否の姿勢を貫いていたらどのような状況が考えられたかが、ブロックドルフ・エルツベルガー両者の対立を記述する中で、検討されており、それがなかなか面白い。

最後の第7章「ウェーバーとヴェルサイユ条約」では、全体の論旨がわかりやすく述べられており、非常に助かる。

かなり良い本だと思います。

熟読すれば、様々な事実関係の知識と、柔軟な視野を身に付けることができる。

なお、新書にしては珍しく、詳細な註が多数付いていますが、そこにも結構重要な情報が含まれていたので、飛ばし読みせずに精読した方がいいです。

巻末にまとめてあるのではなく、見開きページの最後に付けてある形式ですので、読みにくくはありません(活字はかなり小さめですが)。

是非お勧め致します。

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森田安一 『物語スイスの歴史』 (中公新書)

カテゴリはドイツでいいですね。

ドイツ語圏の他、フランス語圏、イタリア語圏も含む多言語国家ですが、ドイツ語圏が一番広いし、独立の中心となったのがドイツ語圏なので本書の記述もそれを重点的に扱うと書かれていますから。

ケルト・ローマ・ゲルマン・フランクの支配を経て、11世紀前半に神聖ローマ帝国領に。

いくつかの土着支配者の変遷はややこしいので飛ばすと、ここでハプスブルク家の登場となる。

ハプスブルク家の元々の根拠地はオーストリアではなく、スイス北部のアールガウ地方。

(初期のハプスブルク帝国に関しては、菊池良生『ハプスブルクをつくった男』(講談社現代新書)という非常に優れた概説がありますので、お読み下さい。)

ハプスブルク朝以前の皇帝が、イタリア政策遂行上重要な位置にあった中央スイスの三つの邦、ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンに帝国直轄領としての「自由と自治」特権を与えており、それを制限しようとするハプスブルク家に対抗して、1291年三地域が結成した「永久同盟」が建国起源の模様。

それから徐々に他の都市や地域と同盟関係を広げていく展開に。

これを機に各都市の大体の位置関係を憶えましょうか。

チューリヒが北部中央、ベルンが中央西寄り、ジュネーヴが南西端、バーゼルが北端西寄りとか。

1315年モルガルテンの戦い、1388年ネーフェルスの戦いでスイス盟約者団が勝利。

ハプスブルク家のスイス領はほぼ崩壊し、1414年コンスタンツ公会議での皇帝ジギスムント(当時帝位はルクセンブルク朝)とハプスブルクとの対立を利用して、発祥の地アールガウも奪う。

時に内紛に見舞われながらも、スイスは更に膨張政策を続け、西はブルゴーニュ公と戦ってシャルル突進公を敗死させブルゴーニュ公国は解体、南はミラノに進出、最終的にフランスに撃退されるもロカルノを手に入れる。

1499年には神聖ローマ帝国から離脱、これで事実上の独立達成と本書では評されている。

チューリヒでツヴィングリが、ジュネーヴでカルヴァンが宗教改革運動。

チューリヒ、ジュネーヴおよびベルンを中心としたプロテスタント地域と原初三邦などのカトリック地域との対立が激しく、しばしば内乱状態となる。

国外に多数の傭兵を派遣、近世欧州の国際戦争で敵味方双方にスイス兵がいる場合もあった。

1798年、総裁政府下のフランス軍が侵攻、革命輸出の結果、ヘルヴェティア共和国成立、フランスの衛星国となる。

ナポレオン没落後は、旧体制への復帰が成るが、臣従地を対等のカントン(邦)に格上げするなど衛星国時代の措置の一部は追認され、新たに「同盟規約」制定。

ウィーン会議で永世中立国の地位を認められる。

19世紀前半は自由主義者と保守派の党派対立が激しく、宗教改革時代と同じように、邦間の内戦や邦内部での反乱・蜂起の記述が頻繁に出てくる。

よくこれで国自体が空中分解しなかったなとの感想を持った。

1848年自由主義派の勝利で憲法制定。

19世紀後半は半直接民主制が導入されていって、鉄道建設を中心に経済成長が続いて、20世紀の二度の大戦では武装中立を維持して、となりますが、19世紀以降は正直興味が薄れるので適当に流しました。

面白い。

前回記事の『バルト三国』と同じく、いろいろな意味でバランスが取れている。

常にヨーロッパ史の著名史実と結び付けて叙述が行なわれるので、飽きがこない。

近現代史だけが肥大化してそれ以前が貧弱極まるという、よくある弊害も無い。

やや細かい部分でも、初心者にとって煩瑣で読むに耐えないというレベルのギリギリ手前で踏み留まっている。

この『物語~の歴史』シリーズの存在意義である、各国別の良質な入門通史という役割を十分果たしている。

かなりの程度確信を持ってお勧めできます。

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ヘルマン・グラーザー 『ドイツ第三帝国』 (中公文庫)

去年11月の新刊。

この著者名はどこかで見た覚えがあるなあと思って巻末を見ると、本作品は社会思想社の現代教養文庫『ヒトラーとナチス』を改題したものですとの記述が。

今は亡き社会思想社の教養文庫。懐かしいですね。

あまり良質とは言えない、すぐ茶色く変色する紙質の古びた文庫装丁を今でも思い出します。

世界史関係の書物も割と収録されていたのですが、ほとんど読まないうちに会社が潰れてしまいました。

「世界の歴史」シリーズも刊行していて、中国史と西欧史中心で物語風叙述方式の昔ながらの世界史全集といった風情でしたね。

本書もその存在は知っており、いつかは読もうと思っていたもの。

こういう絶版となった渋い本をさりげなく文庫化してくれるのはさすが中央公論といった感じ。

高島俊男氏が『独断!中国関係名著案内』(東方書店)で、書店の文庫コーナーで中公文庫の棚だけ輝いて見える、中公文庫編集部には大変な慧眼の士がいるに違いないと書いてらしたのに全く同感の意を抱いたことを思い出します。

ただ、バブルの頃、もうちょっと手堅い商売をしておいてくれれば、現在のように品切本を続出させたり、読売傘下に入ることもなかったんですが・・・・・・。

時間を90年代初頭くらいに戻して欲しい。

閑話休題。

本書は全5章の構成で、そのうち一般的な通史的記述は第1章のみであり、それも非常に簡略化されたもの。

以後、世界観・宣伝機構・文化政策・テロ支配というテーマごとに一章を割いて記述されている。

本文の後に一段小さめの活字で、当時の新聞・雑誌・書籍・演説からの引用が載せられており、分量的には本文に匹敵するほど。

よって、全くの初心者が基礎を固めるための概説という性質は希薄で、具体的歴史事例に触れることでイメージをつかむための本といったところか。

悪くはないし、教科書レベルの次に読もうとして読めない本ではないが、親切丁寧な入門書という感じではない。

(その分、深く考えさせられる引用文が数箇所あるんですが。)

何か別の本で基礎知識を得て、それから本書に取り掛かり、次にハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)で目から鱗を落とすというのが、なかなかいいコースだと思います。

以下、第三帝国時代、体制反対者によって広められたゴットフリート・ケラーの詩。

毒虫がほこりと

乾いた泥の中に、

軽い灰の中の焔のように

じっとかくれている。

雨と微風に

悪しき生命は目覚め

無から悪疫、

熱と煙が立ち上がる。

暗いほら穴から盗賊が

徘徊しようと立ちあらわれる。

獲物を求めようとして、

もっとよいものを見つける。

無意味な争いと

惑える知識と

ちぎれた旗と

愚かな民衆とを。

その行くところ、必ず

貧しき時代の空虚に会い、

厚顔無恥に歩み得て、

かくて盗賊は予言者となる。

塵芥の山に

悪の足ふみしめ、

呆れ顔の世間に

舌を鳴らしてあいさつする。

雲に包まれるように

卑劣に身を包み、

民衆の前の虚言者は

やがて巨大な権力をつかむ。

これに従う手下あまた。

位の高きも低きも、

機をうかがいつつ

頭にとり入ろうとする。

彼らは頭の言葉を、

かつて神の使徒が

五個のパンでしたように広め、

それは汚ならしくはびこってゆく。

はじめはかの犬めが欺いただけなのに

今は彼ら数千がそろって欺く。

嵐がふきまくるように、

今、彼の才は時を得て肥えふとる。

蒔いた種は高く伸び

国の姿は変りはて、

民は恥辱の生を生き

下劣な行いを意に介しない。

はじめはでたらめと思ったことが、

今や現実と化した。

よき人々は姿を消し

悪しき人々が群がっている。

いつかこの苦難が

遠く氷のようにとけたとき、

黒死病のように

語られることだろう。

子らは野に出て

藁人形をつくり、

苦しみを焼いて楽しみとし、

古き恐怖を焼いて光としよう。

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坂井栄八郎 『ゲーテとその時代』 (朝日選書)

ゲーテの作品で読んだことのあるものと言えば、大学時代眠気を堪えながら通読した『若きウェルテルの悩み』(新潮文庫)くらい。

しかも、あらすじも登場人物も全然思い出せない。

その他の著作では、『ファウスト』も『イタリア紀行』も『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』も『親和力』も名前を知っているだけで一行も読んだことがない。

それはそれで恥ずかしいことではあるが、だからと言って別にこういう本を読んじゃいけないということもないだろうと思ったので、これを手に取る。

この手のタイトルで半分文学史みたいな書物は普段なら絶対読もうとは思わないのだが、あの傑作『ドイツ史10講』(岩波新書)と同じく坂井栄八郎氏の著書なので、大きなハズレはないだろうとの目算で買ってみた。

ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテは1749年に生まれて1832年に死去。

七年戦争からアメリカ独立、フランス革命とナポレオン戦争、ウィーン体制と七月革命まで、稀に見る激動の時代がその生涯にすっぽり収まる。

当時帝国都市(神聖ローマ帝国内の領邦の一つとして独立していた都市国家)であったフランクフルト・アム・マインの上流市民(ただし貴族ではない)の家に生まれたゲーテはライプチヒ大学に学び、シュトラスブルク(ストラスブール・当時すでにフランス領)滞在中にフランス文化崇拝の風潮に反逆し、(偏狭な政治的ナショナリズムとは区別される)文化的ドイツ意識に目覚める。

1774年発表された『ヴェルテル』で大いに文名を高める。

その後ザクセン・ワイマル公国の青年君主カール・アウグストに招かれ、枢密参議官・財務庁長官として同国の全権委任者の地位に就く。

そこで「啓蒙絶対主義」と「改革保守主義」の立場から、「われわれが低い階級とよび、しかし神にとっては最も高い階級である」民衆の利益を増進するために様々な施策に力を尽くし、時には高慢な貴族層と衝突する。

しかし、そのような立場にも関わらず、というよりだからこそと言うべきか、フランス革命が勃発するとゲーテは当初から革命への強い拒否の姿勢を貫く。

革命の初期、ドイツの知識層は「自由と平等の陶酔」に囚われ、それを熱狂的に歓迎した。

のちにバークの『フランス革命の省察』をドイツ語訳し、メッテルニヒの片腕として活躍したフリードリヒ・ゲンツですらそうであった(この人は『世界の名著ランケ』での林健太郎氏の解説で触れられているので、以前から名前だけは知っていた)。

だが、フランスで恐怖政治と大量虐殺が荒れ狂うようになると、ゲオルグ・フォルスターなどほんの一握りの「ドイツ・ジャコバン派」を除いて、ほとんどの人々が徹底した反革命派に転ずる。

ロイ・ポーターの本に載っているギボンのフランス革命への態度と併せて考えると、ゲーテやギボンのように見える人には最初から見えてたんだなあという感想を持つ。

1792年9月プロイセン軍連隊長として出陣したカール・アウグストに従い、ヴァルミーの戦いを目撃。

(小国とは言え仮にも一国の君主が他国の軍隊に勤務するというのは現代では想像し難いが、当時は珍しくなかったらしい。)

私が高校生の頃の世界史教科書では脚注でこのヴァルミーの戦いについてゲーテが『対仏陣中記』で述べた「ここから、そして今日から、世界史の新しい時代が始まる」という言葉が載せられていたが(今の教科書では載ってないでしょう)、これは革命を肯定する意味で吐かれたのでは全くない。

ナポレオン時代になると、革命の無秩序を克服する指導者としてゲーテは彼を好意的に迎え、1813年ライプチヒの戦いで頂点に達する解放戦争とドイツ・ナショナリズムの興奮に背を向ける。

晩年、「反動的」ウィーン体制も、冷静な勢力均衡を旨として平和を維持するのに効果的なものとして肯定し、ドイツ統一と自由を求める急進派ナショナリストには決して加わらなかった。

「民族自決」の美名が絶えざる国際紛争を招き、そこから生じたナショナリズムの暴走がどれほど悲惨な結果をもたらしたか知っている後世の視点から見て、メッテルニヒの構想にも汲み取るべき正しさがあったことを著者はかなりの程度認めている。

セバスティアン・ハフナー『ドイツ帝国の興亡』でも、ウィーン会議で作られた「ドイツ連邦」について、中小国の自由と独立を保障し、近隣諸国に脅威を与えず、しかし外部からの侵略に対しては抵抗力を持つ組織であり、ドイツ統一を阻むまやかしとしてのみ捉えるのは誤りだと評価されていたのを思い出した。

専門的な文学史には踏み込まず、あくまでゲーテと同時代の政治・社会の関わりに焦点を絞った本なので、私でも読みやすい。

地図と年譜が載っていないのが残念だが、大きな欠点ではないでしょう。

史実の描写と整理の仕方、時代背景の説明と価値評価の基準、さりげなく挟まれる著者自身の見解、一貫して流暢で明解な文体、どれをとっても素晴らしいの一言。

傑作です。

坂井氏は林健太郎氏のお弟子さんだそうですが、師弟揃って初心者向け啓蒙書の最高の書き手といっていいんじゃないでしょうか。

強くお勧め致します。

いっぱし我とわが身を治めることができるような顔をして

自由なんぞを口にすべきではないのです!

いったん柵がとり払われると、法におさえられてほんの片隅に

ひっこんでいたあらゆる悪が、たちまちのさばりだしてくるのですから  

(『ヘルマンとドーロテーア』)

フランスの悲しい運命を 偉い人たちはとくと考えてほしい

だが それをもっとよく考えねばならないのは下々の者たちだ

偉い人たちは滅んだ―しかし民衆を民衆の手から

守るのは誰だ? フランスでは民衆が民衆の上に専制を布いた  

(『ヴェネツィアのエピグラム(格言詩)』)

かつてのルター主義と同じことを、今日びはフランス人がやっている

それは静かな教養を押しのける

貴族ならまだいい、彼らの誇りは優雅だから

しかしお偉い民衆よ、君たちはあまりに高慢で粗野なのだ

どこでも憲法を! それは何と望ましいことか

しかし君たちのおしゃべりは憲法制定の役になど立ちはしない

ドイツ人よ、君たちは国民になろうと望んでいるけれど、無駄なことだ

そんなことではなく、自分をより自由に、人間に形成しなさい   

(シラーとの共作諷刺詩集『クセーニエン』)

各人自分の戸口を掃け

そうすればどの街角もきれいになるだろう

各人自分の課業を果たせ

そうすれば市政もうまくいくだろう   (格言詩『市民の義務』)

 

いちばん合理的なのは、つねに各人が、自分のもって生まれた仕事、習いおぼえた仕事にいそしみ、他人が自分のつとめを果たすのを妨害しないということだ。靴屋は靴型の前にいつもいればよいし、農夫は、鋤を押していればよいし、君主は国を治める術を知ればよいのだ。というのは、政治というものもまた、学ばなければならない職業の一つであり、それを理解しないような者が、さしでがましいことをしてはいけないのだ。    (エッカーマンとの『対話』)

多勢、多数は、必然的にいつもばかでまちがっている。なぜなら多数は快適であり、誤りは常に真実よりもはるかに快適なのだ。    (『対話録』)

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トーマス・ニッパーダイ 『ドイツ史を考える』 (山川出版社)

久しぶりに中公新版全集以外の本。

たぶん半年以上前の読売新聞に書評が載っていて、これは読むべきだなと思ったのですが、最近ようやく手に入れて読了。

近代ドイツ史についての短いエッセイ集。

訳者は岩波新書世界史関係で最高の名著と言える(あくまで私基準)『ドイツ史10講』の著者坂井榮八郎氏。

著者のニッパーダイはどちらかと言えば保守派に属し、「構造分析」を中心とする左派的社会史家に対して批判を行い、1990年のドイツ再統一に際しては、ギュンター・グラスなど統一に懐疑的な著名知識人らと論戦を交えて統一の歴史的正当性を訴えたという人だが、なぜか長年社会民主党員だったという歴史家だそうです。

19世紀以降のドイツ史に関して、通俗的でステレオタイプな認識を覆す文章が6編、訳されている。

どれも短いし、それほど難解な内容でもない。

予想と異なり、ものすごく面白いということはなかったし、必読とまでは言えないでしょうが、熟読すればかなり有益かと思います。

ただ、問題はその価格。

200ページ余りのごく薄い本なのに、税込み定価4725円と我が目を疑う値段が付いている。

半額でもバカ高いと感じる。

これじゃあ、気軽に「是非お買い求め下さい」とは言えない。

いろいろご都合はあるんでしょうが、こういう良書はもう少し買いやすい値段で提供してもらえないもんでしょうかね。

とりあえず図書館で在庫のあるところをお探し下さい。

これを要するに、他の国では順次起こっていった一連の複数の過程がドイツでは重なって起こり、他所では順番に立てられていった諸問題がドイツでは同時に立てられたのだ。工業化、社会主義、大衆民主主義、経済的・社会的多元主義、国民国家と国民形成、さらには政治的・共同参加的近代化、そして古いエリートの入れ替え、あるいは排除、そういった問題である。あるいは、近代化理論の概念を使って言えば、アイデンティティ危機、正統性危機、共同参加危機、分配危機、そして統合危機が同時に解決されなければならなかったのだ。近代化の諸問題がこのように同時に押し寄せたことこそが、まさしく、政治的近代化を阻害し、抑止したところのものだったのである。

歴史家や社会学者はしばしばこの矛盾の中に十九世紀と二十世紀のドイツ史を解く鍵、ナチスの歴史を解く鍵を見ようとしてきた。民主化をやり残したことがワイマル共和国の不安定性を説明し、ヒトラーの勝利を説明する、といった風にである。私は、このような見方は人を誤らせると思う。一九一四年以前のドイツの政治・社会体制は、決して、しばしばそう描かれているほど不動のものではなかった。社会は一八七〇年と一九一八年の間に市民化し、近代化した。政治体制も決してどうしようもなく閉ざされているといったものではなかった(そしてその体制の特性は、何人もの人が相変わらずそう言い立てているように、近代的手法による大衆の操作、さらには帝国主義戦争によって旧エリートの支配を維持する、といったものでは決してなかった)。体制は徐々に、そしてしばしば無言のうちに、議会主義化の方向に向かって動いていた。政治的近代化の遅れはワイマル共和国の負担にはなった。しかしそれは必然的に破局にいたる、といったものではなかった。権威主義的伝統はナチスの権力掌握を容易にした。しかしそれは、[ナチスがまさにそれであるところの]革命的ファッショ的な大衆運動の成立を、およそ説明するものではないのである。近代的要素と前近代的要素の間の混合、混交、そして食い違いは、もちろんさまざまな様態と異なった程度においてだが、すべての近代化途上の社会に見出すことができる。遅れた政治的近代化とその社会的な結果である特定の前近代的構造の硬直化は、ドイツ社会の内的緊張と不安定性の一つの原因であった。それは一九一八年以降の負担になり、ヒトラーの権力掌握という破局の一つの原因であった。しかしそれが決定的であったとか、いわんや唯一決定的であったとか、そういうことではない。

ファシズムは反近代化運動である。・・・・・この反近代主義はしかし、近代的なものに対する保守派の批判とは違って、ラディカルであった。彼らがやろうとしたのは全面的変換であった。伝統を守ることではなく、伝統の背後に前歴史的なもの、太古的なものを遡求することであった。戦争と暴力、根絶と生存圏、人間を兵士と農民に逆戻りさせること、歴史的国民に対する生物学的人種の優位、ヨーロッパの最強の伝統であるキリスト教会に対する戦い、それは教会もまた、個人主義的で普遍主義的で多元主義的で、つまるところやはり近代化の勢力であったからである。ナチスの反近代主義は伝統主義的ではない。それはラディカルであり、ユートピア的であり、革命的であった。

ファシズムは同時に、逆説的ながら、その様式と手段の選択、またその効果において超近代的であって、それは一つの近代化運動だったのである。活力、若さ、行動主義、それがその様式の属性であった。技術、生産性、組織、最高度の効率、それが手段である。そして効果もまた近代化を促した。ドイツの生活世界は一九三三年以後、大都市型になり、工業的になり、反面故郷の香りは失われていった。独立営業者は少なくなり、より多くの女性が働くようになった。ドイツの伝統を担う制度や勢力は攻撃され、弱められ、解体された。連邦制、司法、経験を積んだ専門家、大学、教会がそうである。古いエリートは押し退けられた。ヒトラーと同盟することで自己保存を、という古いエリートの希望は幻想であったことが証された。事実上、彼らは一九三三年に引退させられた。それは本当に一つの革命的な事態、革命的なまでに近代化を促進する事態であったのだ。

そしてファシストたちは、決して人間の平等や市民の平等を宣伝しなかったし、また階級社会を解体することもなかったけれども、それでもファシズムはドイツの社会を平準化し、平等化した。社会的流動性は高まった。国民の日常生活、フォルクスワーゲン、国民ラジオ、大衆的団体旅行、党内や軍隊内での成り上がり者のための新しいポスト、全国家的青少年団、そして他の強制的大衆組織―それはチャンスは平等という新しい意識を生み出したし、それがまた社会のヒエラルキー的構造を実際に変えてもいったのである。そこにはブルジョワジーに対する、また前資本主義的な伝統的支配層に対する一つの「褐色の革命」[褐色はナチ党の制服の色]があった。そこには一片のジャコバン主義があり、それはただのカモフラージュとして片づけられないものをもっていたのである。

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林健太郎 『バイエルン革命史』 (山川出版社)

同じ林氏の『ドイツ革命史』(山川出版社)が1848年の三月革命を主題にしているのに対し、本書は1918~19年のドイツ革命の一部を成すバイエルンでの革命を扱った本。

バイエルンは南ドイツに位置し、オーストリアを排除した小ドイツの中ではプロイセンに次ぐ大国で、1871年成立したドイツ帝国でも独自の地位を占めていた。

北ドイツのルター派に対してカトリック信仰が強く、郵便・鉄道・税制などで自主性を保持し、独自の外交特権や軍隊すら認められていた(バイエルン軍は戦時にのみ中央政府の指揮下に入ることになっていたらしい)。

第一次世界大戦末期、敗色濃厚の中、バイエルンでは反ベルリン・反プロイセンの気運が高まる。

キール軍港の水兵反乱の直後、11月7~8日独立社会民主党所属で独自の革命思想を抱いていたクルト・アイスナーという人物の煽動でバイエルンの首都ミュンヘンでほぼ無血の革命が起こり、ヴィッテルスバッハ王朝は倒れ、アイスナーを首班とする暫定政府が樹立された。

これはキール事件以後始めての現実の政府の転覆で、以後各地の革命の先駆けとなった。

アイスナーはレーテをロシアのソヴィエトのような独裁機関とすることを主張するボルシェヴィズムには反対しながらも、通常の議会主義も退け、レーテが議会に対する監督権を行使する体制を目指す。

1919年に入り、1月初めベルリンではスパルタクス団の蜂起鎮圧。極左派は衰退。

バイエルンでの議会選挙が行われバイエルン人民党(中央党系)、多数派社会民主党が勝利。アイスナーの独立社会民主党は惨敗。

議会に基く政府を要求する穏健派と、レーテ独裁を主張するアナーキストと共産党の極左派に挟まれ、アイスナーは苦境に陥る。

2月政権を放棄する意図を持ち議会に向かったアイスナーが極右派の青年によって射殺され、それに激昂した極左派が多数派社会民主党の有力者エアハルト・アウアーを狙撃、重傷を負わせる。

この二人の狙撃によって政局は流動化し、権力の空白を突いて、4月にランダウアーらのアナーキストが政権を奪取、バイエルン・レーテ共和国を宣言。

その一週間後、今度はレヴィーネ、レヴィーン率いる共産党が主導権を奪取。

しかしすでに中央での秩序回復を果たしていたエーベルト政権の討伐を受けて、このバイエルン共産政権は5月初めには壊滅。

以後のバイエルンは赤色独裁への恐怖から、逆の極端に振れ、ナチスを含む極右勢力の地盤の一つとなる。

しかもまずいことにアイスナー、ランダウアー、レヴィーネ、レヴィーンがすべてユダヤ系だったため、この革命が悪質な反ユダヤ主義を蔓延らせる土壌を提供してしまった。

(著者は最後にバイエルンがナチ運動の本拠ないし基礎とは言えないと書いているが。)

1918年ドイツ革命の中の、さらに特殊な事例を取り上げた本ですから必読とまでは言えませんが、非常に読みやすく面白い本です。

この林健太郎氏は宮崎市定氏と並んで、初心者向け啓蒙書の作者としては最高レベルじゃないでしょうか。

『ワイマル共和国』(中公新書)『二つの大戦の谷間』(文芸春秋)は内容的に古くさい部分もあるんでしょうが、しかしそれでも素人が読む入門書としては二つとも最高傑作といっていい出来だと思います。

前者の流暢極まりない文体と冷静穏当な史観、これ以上無いほど理解しやすい説明は、読み終えた後、滅多に感じない程の深い満足感を覚える。

後者も第一次大戦から始まり、ナチの政権掌握で本筋の叙述を終えてから、文化史の章を加えて、ヤスパースの『現代の精神的状況』とオルテガの『大衆の反逆』で締めるという渋すぎる構成。

本書もお勧めしますが、以上の著作も未読の方は是非お読み下さい。

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『アデナウアー回顧録 Ⅱ』 (河出書房)

1950年ごろ、フランスが有力な炭鉱地帯のザール地方のドイツからの分離を図り、独仏関係が緊張する。

アデナウアーは逆にこれを奇貨として、フランス外相シューマンが提唱した超国家機構による石炭と鉄鋼の生産管理案(シューマン・プラン)に応じ、ジャン・モネと協力して、51年ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約に調印し、欧州統合の第一歩が踏み出される(発足は翌52年)。

このように国際機関で設立条約の調印と組織の発足がずれる場合があるのはややこしい。ヨーロッパ経済共同体(EEC)も57年ローマ条約調印、58年発足。

また1950年6月北朝鮮軍が韓国に侵攻し朝鮮戦争が勃発すると、弱体な警察と国境警備隊しか持たない西ドイツの安全保障を懸念する声が高まる。

東ドイツが「人民警察」という名称で実質的な軍隊を保持しており、北朝鮮と同じ行動によって西を「解放」するのではないかとの恐れが持たれた。

なお、当時の西ドイツは東ドイツの国家存在を全く認めていない。

60年代初め、ベルリンの壁が構築された頃に西ドイツに滞在した林健太郎氏は『昭和史と私』(文春文庫)で以下のように書いている。

そもそも当時の西ドイツ人は、東ドイツに対してドイツ民主共和国あるいはその略語DDRという名前を使わない。使うことがあるとすれば必ず「いわゆる」という言葉をつけて「ゾーゲナンテDDR」という。そして普通には「占領地帯」(ベザッツングスツォーネ)の略称である「ツォーネ」という言葉で呼んでおり、これは新聞紙上でもそうなのである。このように西ドイツ人は東ドイツの国家そのものを認めていなかった・・・・・

本書でも東ドイツは「ソ連地区」という呼び方が主になされており、一箇所だけ「いわゆるドイツ民主共和国」という言葉が出てきたはず。

69年成立のブラント社会民主党政権の東方外交までこの状態が続く。

朝鮮戦争の世界史的意義は冷戦の「世界化」と「軍事化」と言われる。

米中対立が始まり冷戦はアジアへも拡大、これまで核兵器の独占とマーシャル・プランのような経済援助政策に頼っていたアメリカが朝鮮での制限戦争において膠着状態の手詰まりに陥ったため、通常兵力の増強に乗り出す。

その一環として西ドイツの再軍備が検討されるが、フランスを始めとして対独警戒心は依然根強く、その道程は難航する。

フランス首相プレヴァンの提唱で、NATOの下に欧州防衛共同体(EDC)を結成しその枠内にドイツ軍を組み入れるという案(プレヴァン・プラン)が採用され、困難な交渉の後52年に条約が調印された。

この頃ソ連は西ドイツの再軍備を阻止するため、ドイツ統一のための交渉を西側に提案している。

これは必ずしも宣伝目的とは言い切れず、ソ連にとって最大の脅威となるドイツ軍の再建を防げるのなら、これまで常に拒否してきた全ドイツ自由選挙を容認して、東ドイツにすでに存在している共産主義政権を犠牲にして、中立・非武装の統一ドイツを認める可能性もあったと言われており、反ソ的な現実主義者の中でもソ連との交渉を一応は行うべきだと考えた人もいた。

しかしそのような中立ドイツが徐々に東側に侵食され影響下に置かれる懸念や再びドイツ・ナショナリズムが暴発する危険を思い、アデナウアーを含む西側指導者はドイツの西欧への統合を最優先とする政策を敢行した。

シューマン・プランが今日の統合欧州に繋がったのに対し、このプレヴァン・プランは54年フランス議会が条約批准を拒否したため、空中分解し、結局54年パリ協定によって西ドイツの主権回復と再軍備・NATO加盟が決定された。

本書の記述は53年までなのでそのことには触れられていない。

初心者がいきなり読む本ではなく、まず教科書レベルの史実を頭に入れて、国際政治史を1、2冊読んでから取り組むべき本ですが、なかなか良いです。

専門家が史料として用いるだけの本ではなく、素人が読んでも多くのことが得られる。

昔の中公文庫なら他社から出たこういう渋い本を収録して常時在庫してくれたんでしょうねえ。

今は無理かなあ・・・・・。

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『アデナウアー回顧録 Ⅰ』 (河出書房)

1949~63年西ドイツ初代首相を務めたコンラート・アデナウアーの回想録。

1968年刊。訳者は佐瀬昌盛。この翻訳書は全二巻で、1945~53年の部分のみ訳出。

今、30歳くらいから下の人は、「西ドイツ」なんて聞いてもピンと来ないんでしょうね。

私は物心ついた頃の日米の指導者が現首相の父上とカーターだったという世代の人間なので、当然ドイツは東西に分かれてた。

1990年のドイツ再統一の後、テレビのニュースで「ドイツのコール首相が・・・・・」なんて聞くと、かなり長い期間違和感がありました。

あとソヴィエト社会主義共和国連邦という国名には地名が入ってないわけですが、「ソヴィエト」というのが地名の一種のような感じがしてきて、小中学生の頃はロシアというのは「昔あったけど今は無くなった国」みたいな感覚でした。

いつにも増して話が脱線してるので元に戻します。

アデナウアーは1876年生まれ、カトリックの中央党に所属し、ワイマール共和国時代の1919年から33年ナチによって罷免されるまでケルン市長を務める。

戦争末期ヒトラー暗殺計画に関与したとして強制収容所に送られ、敗戦時に釈放。

1945年12月カトリックだけでなくプロテスタントにも門戸を開いた広範な穏健派を結集した保守政党、キリスト教民主同盟(CDU)を結成。(バイエルン州のみキリスト教社会同盟[CSU]の名称をとる。)

このCDUと左派の社会民主党(SPD)、中道派の小政党・自由民主党(FDP)が、1980年代に緑の党が進出してくるまで、西ドイツの主要政党となる。

米ソ冷戦の高まりと共に、東ドイツのソ連占領地域では、他の東欧諸国と同じく、社会民主党が共産党に吸収合併されて生まれた社会主義統一党による独裁体制が固まっていく。

それにつれて西側諸国ではドイツへの懲罰的処置を中止し、西ドイツを西欧の一員として強化する動きが出てくる。

1946年の米・英占領区の経済統合がその一つだが、フランスは依然対独警戒心が強くこの時点では占領区統合に加わらず。

しかし47年マーシャル・プランを期にフランスも徐々に態度を改める。

48年に入ると西ドイツ通貨改革とベルリン封鎖で東西の分裂がさらに深まる。(この通貨改革については本書では特にまとまった記述が無かった気がする。)

同年中、西ドイツ地域での中央政府樹立の目的で憲法制定会議が召集。

翌49年統一までの暫定憲法というニュアンスで基本法と名付けられた憲法制定、ドイツ連邦共和国成立、選挙でCDUを勝利に導いたアデナウアーが初代首相就任。

本書と合わせて、主に高坂正堯『外交感覚』(中央公論社)などで仕入れた西ドイツ政治の知識を確認すると、地方各州の権利を保障した連邦制を採り、議会で選出される儀礼的存在の大統領が元首、実際の政務は首相が行う。

死票が少なく「民主的」ではあるが小党分裂を招きやすい完全比例代表制をとって失敗したワイマール共和国の歴史に鑑み、5%以下の得票率の政党には一切議席を与えない条項を持つ比例代表制導入。

ナチスが猛烈な大衆運動によって台頭したことを反省し、直接民主政を可能な限り排除。

任期満了以外での国会解散・総選挙は基本的には無し(この前シュレーダーがやったのが戦後初めてと聞いた覚えがある)。

かつてナチと共産党の議事妨害で議会が麻痺状態となったことに鑑み、国会での不信任案は反対派が新たな多数派を形成し安定した政権を誕生させる見込みがあるときのみ有効とする「建設的不信任」制度を設ける。

民主主義擁護のためには結社の自由も一部制限が課され、共産党とネオ・ナチ政党にしばしば違憲判決が出されている。

小政党ながら中道派のFDPが議席を維持し、CDU・SPDと連立を組むことによって政治の左右への分極化を防ぐ貴重な役割を果たしてきた。

連邦共和国成立といっても、主権は制限され、占領法規は継続し、米英仏の高等弁務官が君臨し、経済力の制限、工業施設の撤去、ルール工業地帯の国際管理、外交権限の剥奪(建国当初外務省は無し)など様々な制約が課された。

これらを西側諸国との協調関係を維持しつつ取り除いていくアデナウアーの苦闘が記されている。

内政では個人と企業の自由とイニシアティブを尊重しながらも極端な競争による弊害の除去も目指した混合経済政策である「社会的市場経済」を採用、奇跡の経済復興を遂げる。

それにひきかえ、シューマッハー率いる野党SPDはソ連共産主義を徹底的に排撃しながら、マルクス主義的世界観になおもこだわり、内政では教条主義的な計画経済に固執し、外交では西側諸国との協調維持の必要を弁えずいたずらな高姿勢を取り、国益に反することしかしていないという印象を本書の記述からは受ける。

もちろん本書のように反対者の手に成る叙述からだけで判断するのは不当でしょうが。

第二巻は近日中に記事にします。

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村岡晢 『フリードリヒ大王 啓蒙専制君主とドイツ』 (清水書院)

「啓蒙的君主の皮を被った邪悪な権力亡者」といった一面的な見方を排し、その時代の精神に拘束されながらも祖国と国民の繁栄のために自らを厳しく律し努力を重ねた君主としてのフリードリヒ2世を描いた伝記。

ごく平均的な本ですが、入門書としてはなかなか宜しいんじゃないでしょうか。

オーストリア継承戦争、七年戦争の細かな戦史は覚えようとせず軽く流すだけでいいでしょう。

七年戦争でフリードリヒ大王の名を高めたロスバハおよびロイテンの二大会戦の名前だけは知っていたのだが、その二回の勝利は開戦翌年のことであり、以後の持久戦ではさすがの大王もしばしば敗れている。

オーストリア・フランス・ロシアの包囲にあって時には絶望的状況に陥るが、フリードリヒは自ら軍を率いて東奔西走し、致命的敗北だけは逃れる。

そのうち1762年ロシアでエリザヴェータ女帝が死去し、かねてよりフリードリヒの崇拝者でプロイセン贔屓で知られたピョートル3世が即位、普・露間に単独講和が結ばれる。

これで窮地を脱したフリードリヒは翌年フベルトゥスブルク条約で戦争を終わらせ、シュレジエン地方を確保することに成功する。

これに不満を抱いたロシア国内の反対派はピョートル3世の后エカチェリーナを戴いてクーデタを起こしピョートルを廃位する(この辺の経緯はトロワイヤ『女帝エカテリーナ』(中公文庫)に詳しい)。

その他内政面にも軽く触れられており、冒頭の生い立ちと併せて通読すればそれなりに役立ちます。

比較的最近の本として飯塚信雄『フリードリヒ大王』(中公新書)がありますが、私はこちらの村岡氏の本の方が好きですね。

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仲井斌 『西ドイツの社会民主主義』 (岩波新書)

戦後を中心にした、手軽で簡便なドイツ社会民主党史。

岩波でこのタイトルだと、「ナチズムの勝利を招いた似非社会主義の裏切り者」みたいな内容かと思うかもしれないが、本書は1979年刊なので、いくらなんでもそんな立場の本ではない。

戦後の社会民主党初代党首シューマッハーは、十数年間を強制収容所の中で過ごした不屈の反ナチ闘士であると同時に、ワイマール共和国へのドイツ共産党の破壊的態度を身をもって経験したがゆえに、ソ連共産主義に対する徹底した批判者でもあった。

東ドイツ地域の社会民主党が共産党に併合され社会主義統一党の一党独裁体制が固まっていくなかで、シューマッハーは西ドイツでの党の自主性を断固として守り、共産党を強く排撃する。

彼はアデナウアー政権の西方一辺倒の外交政策にも反対したが故に、政権を奪取するには至らなかったが、その死後社会民主党は1959年有名なバート・ゴーデスベルク綱領を採択し、ドグマ的マルクス主義と絶縁し、現実主義的な国民政党の形を整える。

1966年キージンガー首相の下、キリスト教民主同盟との大連立内閣に加わり、戦後初めて政権に参加する。

1969年にはついにブラントを首班とする社会民主党・自由民主党連立政権を成立させ、74年のシュミット政権と共に東方政策、デタント外交を展開する。

本書の最後は「緑の党」成立直前の環境保護運動にも多くの紙数が割かれている。

楽に読めて結構面白いです。

戦後西ドイツ政治史の入門書として使えます。

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望田幸男 『ナチス追及』 (講談社現代新書)

楽に読めたが、あまり面白くなかった。

内容的には平凡。

特筆すべき点は無し。

興味のある方だけどうぞ。

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ヴェルナー・マーザー 『現代ドイツ史入門』 (講談社現代新書)

著名な歴史家の書き下ろし作。

敗戦・分断から再統一までのドイツ史。

著者のネームバリューは十分だと思うが、紙数が足りないせいか簡略すぎる。

網羅性は著しく低く、読み通しても初心者にとってあまり役に立つ感じはしなかった。

ベルリンの壁崩壊から再統一の過程は詳しいが、個人的には時事的話題に属するそれらの事実より、1950~70年代の史実を詳しく説明してもらいたかった。

あんまり強くお勧めできる本じゃないですね。

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ジョン・トーランド 『アドルフ・ヒトラー 全4巻』 (集英社文庫)

すみません、半分も読んでいません。

第1巻だけ買って、その半ばくらいまで読み進んだところで面倒くさくなって放り出しました。

記述はかなり詳細で通読すればそれなりに役に立つでしょうが、初心者には冗長と感じられる。

初学者が何より優先して読むべきヒトラー関連本はハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)だと思うので、まずこれをどうぞ。

その他のヒトラー伝としてはアラン・バロック『アドルフ・ヒトラー 1・2』(みすず書房)、ヴェルナー・マーザー『ヒトラー』(紀伊国屋書店)、ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 上・下』(河出書房新社)などが古典的地位を保っているんでしょうが、恥ずかしながら私はいずれも未読です。

ついでに読んでない関連本を並べさせて頂くと、ウィリアム・シャイラー『第三帝国の興亡 全5巻』(東京創元社)もすでに古典的著作ですが、これはどうもプロイセン的伝統とナチズムの関係をごく短絡的に捉えた本らしく、個人的にはあまり挑戦しようという意欲が湧きません。

比較的最近出たもので、イェッケル『ヒトラーの世界観』(南窓社)はハフナーの本にもちょっと名前が出ていて、図書館でパラパラと見たところ中々面白そうでしたのでいつかは通読したいです。

あとグイド・クノップ『ヒトラーの共犯者 12人の側近たち 上・下』、同『ヒトラーの戦士たち 6人の将帥』(ともに原書房)も比較的面白そうでした。

『ヒトラーのテーブルトーク 上・下』(三交社)は戦時中のヒトラーの側近との会話記録を戦後本にしたもので、飛ばし読みしたところ非常に興味深いです。少々高いので買う必要は無いかもしれませんが、一度借りてみて下さい。

以上挙げた書物のうち、死ぬまでに実際読めるのは何冊なのか心もとないですが、なるべく努力することにします。

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菊池良生 『ハプスブルクをつくった男』 (講談社現代新書)

1273年ハプスブルク家のルドルフ1世の即位によって神聖ローマ帝国の大空位時代が終了するというのはギリギリ高校世界史の範囲内だが、それから即、同家による世襲が始まったのではなく、安定して帝位が世襲されるようになるのは15世紀中盤以降である。

本書はその狭間の時代のうち特に14世紀に焦点を絞って当時のドイツの政治情勢を描き出したもの。

これは良い。非常に良い。対象となる時代が限られているため記述は詳細で非常に興味深い。それと以前同じ菊池氏の『神聖ローマ帝国』『戦うハプスブルク家』(これらも共に講談社現代新書)を読んだ時にも感じたことだが、この人は歴史の素人への読ませ方を心得ている。新書版にしては内容が非常に濃く読んでいて面白い。

まずボヘミヤ王オタカル2世を破ってオーストリアを奪いハプスブルク家の本拠をスイスから同地に移す基礎を固めた英主ルドルフ1世死後、ナッサウ家アドルフの短期間の治世を経て、ルドルフの子アルプレヒト1世が即位するも、自らの甥に殺害されハプスブルク家は帝位を失う。

以後ドイツはオーストリアを統治するハプスブルク家、オタカル2世死後土着のプシェミスル朝が断絶したボヘミヤを手に入れたルクセンブルク家、バイエルンの統治者ヴィッテルスバッハ家の三つ巴の勢力が相争う舞台となる。

主にヴィッテルスバッハ朝のルートヴィヒ4世とルクセンブルク朝のカール4世という二人の皇帝とハプスブルク家のアルプレヒト2世(賢公・同1世の子)とその子ルドルフ4世(建設公・カール4世の女婿となる)の二人のオーストリア公の複雑な抗争と連携の過程が巧みに叙述される。

カール4世が有名な金印勅書を発布した背景や細かな経緯・内容もよくわかる。

ブランデンブルク辺境伯領の統治者の変遷などの盲点になりやすい知識も得られる。(同地はまずアスカーニア家支配からヴィッテルスバッハ家→ルクセンブルク家を経て、ニュルンベルク城伯だったホーエンツォレルン家統治に移る。金印勅書で選帝侯になった時点ではヴィッテルスバッハ家領有。)

最初はやや取っ付きにくいかもしれないが、読み進めていくにつれてすごく面白くなってくる。初心者向け入門書としてはかなりの名著。是非お勧めします。

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江村洋 『ハプスブルク家』 (講談社現代新書)

初心者向け入門書のロングセラーとして有名な本書を今更ながら通読。

なかなか良いです。

内容は簡略でさほど面白くもないが、歴代君主をざっと一覧できて知識を整理するのに便利。

教科書レベルの次の段階で読むのに大変適している。

前日の『ブルゴーニュ家』もこういう書き方なら良かったんですが。

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加瀬俊一 『ワイマールの落日』 (光人社NF文庫)

戦前の外交官出身の著者が記したワイマール共和国史。

読みやすく、内容はまあまあ。

しかしこの分野では林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)という初心者向け啓蒙書の最高傑作があるので、わざわざ本書を読むには及ばないという気がしないでもない。

あとエーリヒ・アイク『ワイマル共和国史 全4巻』(ぺりかん社)というのがあり、林氏も参考文献欄で推奨していたが、初心者には長大すぎて読み通すのは相当苦しいだろう。

私も到底読めそうにありません。

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塚本哲也 『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』 (文芸春秋)

著者は刊行当時確か防衛大学の先生だったはず。

表題の主人公の人生を軸に、第一次大戦から1955年の中立化あたりまでのオーストリア史を精彩に富んだ筆致で描いている。

第一次大戦後、民族紛争と独ソ両大国の支配と左右の全体主義の脅威に脅かされてきた中欧・東欧・バルカン半島の歴史を鑑み、緩やかな統治体制の下で多民族の平和的共存を実現していたハプスブルク帝国を再評価する視点から叙述されている。

それは大いに結構なんですが、著者の親オーストリア感情の裏返しからか、所々反プロイセン的偏見と思えるような記述が散見され、初読の際、個人的にはそれが気になってしょうがなかった。

私がそういう点で特に神経質なのは自覚してますので、他の人から見たら全然気にするようなことではないかもしれません。

非常に良質な歴史物語と言っていいんじゃないでしょうか。

今は文庫版も出ているようですから、私もそれを買って再読してみようかなと思います。

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マイネッケ 『ドイツの悲劇』 (中公文庫)

マイネッケの主著たる『世界市民主義と国民国家』、『近代史における国家理性の理念』は悲しいかな私の頭では読めない。

よってごく短い本書に取り組むことにする。

第二次大戦直後に書かれた、ドイツの破滅への道を自省した本。

まずプロイセンの軍国主義と権力崇拝思想への批判から始まる。

これらがナチズムの基盤になったというのはごく平凡な見方だが、マイネッケの場合いくつもの留保やためらいを示しながらの批判であり、現代の凡庸な学者が決まり文句のように口にする批判とは異なり、文字通り身を切るような自省を経たものであるがゆえに重みが全く違う。

当然フリードリヒ大王とビスマルクの時代からナチズムの道が必然的に準備されていたなどという愚劣極まる主張には組していない。

次いで全体主義という政治現象を生み出した主要原因といえる大衆社会と大衆民主主義の分析に移る。

価値の相対化、世俗化、合理化、物質主義化が極限まで進められ、キリスト教を中心とする伝統的な規範が弱体化するにつれ、大衆の精神に巨大な空白が生まれ、そこにナチズムという邪悪な狂信が易々と入り込む過程を明快に分析している。

これは意義深い書物であると同時に、楽に読めてなおかつ非常に面白い。

未読の方には是非お勧めします。

大分前に記事にした、同様の全体主義批判の本であるホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)と共に熟読玩味したい。

ホイジンガの本を何とか重版再開して貰えませんかねえ、中央公論様。

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クレメンス・メッテルニヒ 『メッテルニヒの回想録』 (恒文社)

すみません、これも買っただけです。

ウィーン会議の立役者である政治家の回顧録。

ナポレオンやアレクサンドル1世に関する記述は他の歴史書にもよく引用されている模様。

全く読めないほど詳細・晦渋ではないのだが、再挑戦する前に手放してしまった。

高坂正堯氏の『古典外交の成熟と崩壊』を読むと、この人は実に魅力的に見える人物なので、機会があれば買いなおして通読したい。

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H・マウ H・クラウスニック 共著 『ナチスの時代』 (岩波新書)

かなり古い本。初版は確か1961年。

当時西ドイツの学者二人が書いた第三帝国史の簡略な概説だが、今読んでも真っ当な記述で参考になる。

しかし本文に不釣合いなほど長い訳者による註が頂けない。

第二次大戦末期のソ連軍侵入の際の暴行を記したところでは、「この部分は恐ろしく反ソ的で、西独の反共感情を反映してかなりの誇張があると思われる」と書いたり、「最近西ドイツで顕著になっている旧ナチ分子の復活」とか現在読んでいると頭痛がしてくる文章が満載。

「邪魔なようならとばして読んでください」と訳者自身書いているが、むしろ最初から書かないほうがよかったんじゃあ・・・・・。

のちに「過去の克服」の見本として左派的立場の人々から美化された西ドイツが、この時点では軽侮と敵意の対象だったんだなあということがよくわかり、60年代初頭という時代を感じさせます。

まあ楽に読めるし、暇があればお読みください。

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セバスティアン・ハフナー 『裏切られたドイツ革命 ヒトラー前夜』 (平凡社)

ハフナーの本で翻訳があるものは、これまでにほとんど紹介済み。

それらの著作はどれも斬新で面白いものばかりである。

しかし本書は少し引っ掛かるところがある。

ドイツがその後辿った道を考えれば、1918年革命の「不徹底」を嘆きたくなる気持ちもわかるし、祖国の悲惨極まる破局を見た著者自身からすれば、「これ以前に何か思い切った行為が行われていれば、全く別の道があったはずだ」という思いに囚われるのもわかる。

またハフナーが好ましいと思う革命はあくまで社会民主主義に立脚するものであり、ボリシェヴィズムとロシア革命は決してドイツの規範にはなりえないと考えていることも明らかである。

しかし他の本の考察のように掛け値なしに面白いとは思わなかった。

ハフナーの著作でこれだけは図書館で借りて読んだ本で、買ってはいないのだが、たぶんこの先も買うことはないでしょう。

しかし一読の価値はある本だと思います。

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『林健太郎著作集 第三巻 ドイツの歴史と文化』 (山川出版社)

第一巻は抽象的議論の多い史学概論、第二巻は近代ドイツ史上の細かな問題に関する学術論文集、第四巻の収録作は『ワイマル共和国』と『両大戦間の世界』で両方ともすでに持っている、ということでこの第三巻だけ読みました。

ドイツ史のごく簡略な概説から、普墺・普仏戦争の戦史、『ドイツ市民精神』と題されたフランス革命後の政治思想史、20世紀の偉大な歴史家マイネッケの生涯と作品の紹介、あとは軽めの歴史読物がいくつかあり。

気軽に読めるものがほとんどで、どれも結構面白い。

もうちょっと値段が安ければいいんですけどね。

でも私としてはかなりお勧めです。

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ジョン・ルカーチ 『ヒトラー対チャーチル 80日間の激闘』 (共同通信社)

1940年の“バトル・オブ・ブリテン”の詳細を描いた本。

結構面白かったと思います。

すみません、読んだけれど内容はあまり覚えてないんです。

ネタ不足を補うために今所持してない本を主に書いてますんで、中身はうろ覚えだったりあまり面白いと思わなかった本も記事にせざるを得ないので。

私が否定的なこと書いてる本でも、それを面白いと思う方もいますから、このブログは基本的にタイトル紹介だけが主だとお考えください。

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林健太郎編 『世界の名著 ランケ』 (中央公論社)

『列強論』(以前記事にした『強国論』と同じ著作)と『宗教改革時代のドイツ史』の、二つの作品の翻訳を収録したランケの著作集。

ランケといえば近代歴史学の確立者だし、できるだけ「古典」を読まねばと思い、大学時代取り組み何とか通読はしたものの、相当苦しかった。

『列強論』はともかく、『宗教改革~』は素人には極めて難しい。

ルターの肖像やミュンツァーへの厳しい視線など興味深いところもあるが、さまざまな勢力や制度、慣習に関してかなりの基礎知識が無いとすらすら読み通せない。

ただ巻頭にある林健太郎氏によるランケ史学の解説は面白くて役に立つ。

図書館で借りて、これだけ読むか、コピーするのも良いと思う。

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E・H・カー 『カール・マルクス』 (未来社)

ゴーロ・マン 『近代ドイツ史』 上巻 より

[カール・シュルツの観察―引用者註]

「マルクスのいうことは確かに内容が充実しており、論理的で明確だった。だが私は、あれほど相手を傷つけ、我慢できないほど傲慢な態度をとる人には、一度も会ったことがない。彼は自分の考えと根本的に食い違っている見解に対して、ある程度敬意を払って検討する心遣いを示さなかった。自分に反論する人をあしらうときには、いつでも軽蔑の色が見えすいていた。また自分の気に入らない議論に答えるときには、いつでも同情に値する相手の無知を毒々しく嘲るか、またはそんな議論を持ち出した動機について相手の名誉に関わるような疑念を示した。私は、彼が“ブルジョア”という言葉をいうときの痛烈な嘲笑的調子(唾を吐き棄てるようなと言いたい)を今でもよく憶えている。ところで“ブルジョア”というのは、精神的、道徳的頽廃の泥沼深く落ち込んでいるということをはっきり典型的に示す言葉なのだ。そして彼は自分の意見に楯突く人を誰でも“ブルジョア”として非難した。」

彼が周囲の人々にこのように見えたことは疑いない。証人は余りに数多く、また感想は余りにも一致している。彼が実際にそのような人であったことも恐らくは疑いのないところだろう。彼はとてつもない知性に恵まれると同時に呪われた。このため彼は孤独を強いられ、相手に対して高姿勢だった。妻子に対しては確かに愛情を持っていた。また同情ということも知っていた。彼は産業革命とともに押し寄せた生活の惨めさに激しい怒りを覚えたのだった。彼の精神は逆境にあっても不屈だった。みずから自分に課した超人的任務に対する忠実さは完璧だった。これは賞賛すべき美徳だが、彼の場合は恐るべき権力意志、つまり正しさを押し通そう、自分だけの正しさを押し通そうとする意志にむしばまれていた。彼は、反対し、批判し、または別の考えを抱く人たちを剣で、剣でできないときは、毒に浸したペンで絶滅しようとした。だが、このような人は世界をよりよくすることができない。

こういう「困った人」であるマルクスの生涯を多くの皮肉と多少の同情を持って描いた伝記。

同じマルクス伝でも、高校の時読んだ大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(岩波新書)を再読する気はさすがに起きないので、非マルクス主義者による伝記としてはかなり有名なこれを選んだ。

マルクスの生活上の無能力と偏狭な性格、そしてそれがもたらしたトラブルを多く記している(なにしろ無二の親友のエンゲルスとも一度危うく断絶しかける)。

他の社会主義者・無政府主義者との抗争にも重点を置いた記述が興味深い。

またマルクス主義の理論自体を検討した章では、労働価値説・剰余価値説の誤りを私のような阿呆でもよくわかるように説いてくれている。

総合的に見て、読みやすくて面白い、非常に優れた伝記作品。

是非お勧めします。

(なおマルクス死後残された娘たちの不幸については佐藤金三郎『マルクス遺稿物語』(岩波新書)という本がありますので、興味のある方はどうぞ。)

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A・J・P・テイラー 『近代ドイツの辿った道』 (名古屋大学出版会)

大学に入ってしばらくした頃、以前から名前を知っていた有名な歴史家の本であり、立ち読みしたところ十分通読できそうな難易度だったので、やや高いなと思いながら購入。

早速読み始めたのだが・・・・・・、これはヒドイ。

ナチズムの勝利という破局が、ルター、ビスマルクの昔からドイツの必然的な道として用意されていたというドイツ史に対する一方的な告発の書。

金がもったいないと思って何とか最後まで読み通したが、途中腹が立って仕様が無かった。

史実の整理と叙述の仕方はさすが練達の歴史家だと思わせるものがあるが、本書に関して言えばその史観はあまりに硬直しており、的外れとしか思えない。

この人の『第二次世界大戦の起源』(中央公論社)は、ヒトラーを戦争計画者ではなく機会主義者として捉えて、大論争を巻き起こした本であり、いつかは読まなければと思っているのだが、それにひきかえ本書の極端な教条主義的見方は一体何なのか。

とにかく、これは私には到底合わない本であった。皆さんはご自身でお確かめください。

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阿部謹也 『刑吏の社会史』 (中公新書)

これまでの記事でお分かりの様に、私は社会史・経済史・文化史などが好きではない。

誰それが権力を握って戦ってこういう国を建てたといったごく初歩的な政治史が、私にとっての「歴史」である。

要は歴史好きな小学生がそのまま大きくなってしまったような人間なのである。

中世ドイツの社会史を軸に、実に多方面で活躍し、多くの業績を残して先日亡くなられた著者のこの本も自発的に買ったのではなく、大学の教養で取った歴史学の講義でテキストとして読まされたものである。

半ば嫌々読み始めたのだが、論旨の明快さと意外さに蒙を啓かれる思いがした。

社会史といっても面白いものはこれほど面白いのかと教えられた。

だがこれだけ有名な著者でも、読んだ著作は現在まで結局この一冊だけ。

皆さんは私よりもうちょっとバランスの取れた世界史読書をなさるようお勧めします。

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アルベルト・シュペーア 『第三帝国の神殿にて ナチス軍需相の証言 上・下』 (中公文庫)

ヒトラー政権の中枢にいた人物による回顧録。

もともと建築家として引き立てられた人物なので、前半三分の一くらいまで、そちら関連の記述が延々と続くのはやや閉口だが、その後は非常に面白くなる。

ドイツ現代史の参考書として非常に有益な本。

ヒンデンブルクと彼の政治的友人の多くが新政府に期待した君主制への再帰をヒトラーは一度も本気で考えたことはなかった。それについて彼は次のような意見を述べたことがあった。「ゼーフェリングのような社会民主主義者の大臣たちに私はその後も年金を与えてやった。彼らについてどう考えようと勝手だが、一つだけ功績を認めてやらなければならない。それは彼らが君主制を廃止したことである。これは大きな進歩だった。そのおかげで我々にはじめて道が開かれたのだ。それなのに今になってまた君主制を取り入れられるかね。私に権力を分けろだって。イタリアを見たまえ。一体奴らは、私がそんなに馬鹿だと思っているのかね。君主制というのはいつだってその最初の忠臣には冷たいものさ。ビスマルクを思い出せばよい。私はそんなものにだまされない。ホーエンツォレルン家が今どんなに愛想よくしたって。」

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菊池良生 『神聖ローマ帝国』 (講談社現代新書)

手ごろでわかりやすいドイツ史。

この種の新書版歴史書にありがちな、退屈な平板記述でないので、初心者でも史実が頭に入りやすい。

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セバスチャン・ハフナー 『ドイツ現代史の正しい見方』 (草思社)

著者の歴史エッセイ集から抄訳として最近出された本。

相変わらず面白いのだが、さすがに他の著作との重複が目立つ。

いっその事全訳本を出してくれないだろうか。

きっと売れると思うのだが。

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坂井栄八郎 『ドイツ史10講』 (岩波新書)

新書一冊でドイツ通史を扱うというので、「内容薄そー」と思っていたが、これは疑いもなく傑作である。岩波新書久々の名著と断言する。

重要史実を軒並み取り上げながら、通説とはやや異なった解釈を提示し、読者に新たなドイツ史像を与えることに成功している。

新書版の通史としてはおよそ望みうる限りの面白さ。中公新書の『物語イタリアの歴史』に並ぶ価値がある。

即買って、手元に置いておきましょう。

(ちなみに最近『フランス史10講』が出たが、こちらはどうもハズレっぽい。とは言えあくまで私の判断なので、一度書店で手にとってみてください。)

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セバスチァン・ハフナー 『図説プロイセンの歴史』 (東洋書林)

「ドイツ統一の国民的意志の体現者」と「ナチズムの基盤」という両極端の評価を避け、時代の状況における適切な評価を下しながら書かれたプロイセン史。

重くて分厚い本なのでビビってしまうが、写真と図版が多いためであり、本文はそれほど長大ではない。

複雑極まりないドイツ騎士団領とプロイセンの起源の絡まりあいが明確に説明されておりわかりやすい。

後半は同著者の『ドイツ帝国の興亡』とダブる部分が多いが、確認の意味で読めばいいと思う。

少々値は張るが、できれば手に入れておきたい良書。

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菊池良生 『戦うハプスブルク家』 (講談社現代新書)

17世紀ヨーロッパの三十年戦争の歴史。

わかりやすい記述で、戦争のかなり詳しい過程がよく理解できる。

著者は独文畑の人らしいが、歴史関係でこういう初心者向けの面白い啓蒙書を書いてくれるところは嬉しい。

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渡部昇一 『ドイツ参謀本部』 (中公文庫)

秦郁彦氏から盗作だ何だと言われて、中公版は絶版扱い。

それへの反論文を付けて別の版元から出ているが、そういうのが鬱陶しい人は中公版を買っときましょう。

軍事という観点から見た近代ヨーロッパ史。

中盤の組織論はちょっとゴチャゴチャしていて読むのが面倒だが、軍事史の啓蒙書として一読の価値有り。

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林健太郎 『ドイツ革命史』 (山川出版社)

対象は1918年のドイツ革命ではなく、1848年の三月革命である。

大学での講義録を元にした著作らしいが、それにも関わらず一般読者向けのきちんとした読み物になってるのは、さすが。

東洋史の宮崎市定氏と並んで、西洋史の林健太郎氏は、初心者でも読める啓蒙書の著者としては最高レベルの存在に思える。

叙述は割りと詳細でまとまった知識が得られる。歴史解釈については当たり前だが、「プロイセン悪玉説」や「革命万能幻想」のような安易な説には組していない。

しっかりとした内容を持つ良書。

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ゴーロ・マン 『近代ドイツ史 1・2』 (みすず書房)

フランス革命からアデナウアー時代までのドイツ史。二段組で分厚い2冊。しかし全く退屈しない。

政治史を中心にした標準的通史だが、史実の取捨選択、主要人物の個性描写、社会・精神の目に見えない変化の巧みな把握、それらを一貫した物語として組み立てていく技量、何を取っても素晴らしい。

特筆すべきはヘーゲル、ハイネ、マルクス、ショーペンハウエル、ニーチェなどの思想家、文化人を扱った章。難しい概念など何一つ使わないにも関わらず、彼らの個性、思想の特色について明確なイメージを持つことができる。

最初読んだときは、ビスマルクとプロイセン的伝統についての評価が厳しすぎるのではないかと感じたが、再読してそれがありきたりのリベラル的立場からのものではないとわかった。

著者の立場は懐疑的な中道自由主義者とでもいうべきもので、偏狭な思想的立場から史実を裁断するようなものではない。ビスマルクやプロイセン・ユンカーについても評価すべき点は正当に認めている。

芸術作品とも言うべき歴史叙述の傑作で、読み終えた後の充実感は極めて大きい。

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セバスティアン・ハフナー 『ドイツ帝国の興亡』 (平凡社)

『ヒトラーとは何か』と同じく本書でも、この著者の歴史解釈の鋭さと面白さというのは一種独特のものがある。

ビスマルクによるドイツ統一から東西ドイツ共存までを扱う通史だが、読み終えた後、著者の歴史観に深く説得させられて充実感を味わえる。

それと初心者にとっては短いのも何より。

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セバスチャン・ハフナー 『ヒトラーとは何か』 (草思社)

ナチス、ヒトラー関連本は数え切れないほどあるが、まず読むならこれ。

この薄さでこれだけ独創的見解が随所に出てくる本も珍しいと思う。

本書の核心的主張は「捕虜虐待、偶発的民間人殺害、非軍事目標への爆撃などの“通常の戦争犯罪”と計画的民族皆殺しというヒトラーの真の犯罪を区別せよ」ということだろうが、その他にも意外だが納得させられる著者の見解が多く見られる。

読む労力に比して、得られる面白さのコストパフォーマンスは非常に高い。

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林健太郎 『ワイマル共和国』 (中公新書)

60年代初めに書かれたワイマール共和国の通史だが、まるで歴史小説のように面白く読める。

史実をよく整理された形で、明晰な文章でわかりやすく叙述し、左右の全体主義を排する立場から適切な評言を加えていく。

一般向け歴史叙述のお手本とも言える文句無しの傑作。

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