カテゴリー「ギリシア」の17件の記事

アテネについてのメモ

澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)の記事続き。

前431~前404年というペロポネソス戦争の年代はとにかく無条件で暗記するしかない。

開戦当初、ペリクレスはアテネ城壁内と長城で繋がれたピラエウス港に全住民が籠城し持久する一方、優勢な海軍でスパルタ勢力圏を攻撃するという作戦を実行するが、前430年に疫病が発生、多数の死者を出した上、前429年にはペリクレスも倒れ死去。

以後のアテネ政局は最低最悪のデマゴーグである好戦派クレオンと穏健中正な和平派ニキアスが対峙する情勢となる。

本書ではトゥキュディデスの記すクレオンへの悪評は必ずしも公平ではない可能性があるとも書かれているが、個人的には何と言ってもこの人物への嫌悪と軽蔑は到底拭えない。

民主主義に必然的に巣食うダニとでも言うか、とにかく唾棄すべき人物という印象しかない。

無思慮で卑劣で、優れた人々を誹謗中傷するのを事とし、ただ民衆の低劣な欲求に媚び、威勢がいいことだけが取り柄のこの人物がたまたまペロポネソス半島南西部ピュロスでの攻防戦で、アテネの名将デモステネス(有名な弁論家・政治家と同名異人)と協力してかその功績を奪ってかはわからないが、たまたま勝利を収める。

馬鹿が調子に乗って、続けてトラキア方面アンフィポリスへ遠征するが、スパルタの名将ブラシダスと激突し、両者とも戦死。

トゥキュディデスを読んでいて、この部分では手を叩きたくなりましたよ。

クレオンがうまい具合に死んでくれたので、開戦からちょうど十年目の前421年ニキアス主導でアテネ・スパルタ間の和平条約が結ばれる(「ニキアスの和」)。

ここで冷静さを取り戻していればアテネも救われたかもしれないのですが、やがて若手の人気政治家アルキビアデスが再び過激な好戦論を主張し、それに煽られた民衆が戦争再開に向かう。

このアルキビアデスはソクラテスに愛された弟子ですが、実際の行動は滅茶苦茶で、本当にひどい弟子もあったもんです。

「人民政治の時代における荒淫、傲慢、圧制の権化」(クセノフォン『ソクラテスの思い出』一巻二章)という言葉が本書で紹介されているが、その通りとしか言い様がない。

前415~413年大軍をもってシチリア遠征が行われるが、主唱者のアルキビアデスは罪を得てあろうことか敵国スパルタに逃亡、指揮を執ったニキアスは不幸にして利あらず遠征軍もろとも現地で死亡。

もうこの辺からアテネはガタガタです。

以後スパルタも追われたアルキビアデスがアテネに復帰して一時戦況を盛り返したりもしましたが、結局前404年アテネは完敗、アルキビアデスは暗殺。

戦後スパルタの後押しで「三〇人僭主」と言われる寡頭政権が樹立されるが、これが恐怖政治を敷いた末、打倒され民主政が復活。

前399年ソクラテスが刑死してますが、これは「三〇人僭主」の主導者がソクラテスの弟子だったことで、その報復行為の可能性があるそうです。

別の本ではソクラテスはむしろ「三〇人僭主」の暴政を批判していたと書かれているのを読んだ記憶があるが、民主政再興後、逆恨みで裁判にかけられたらしい。

なお、また重箱の隅をつつくような話で恐縮ですが、『世界史年代ワンフレーズnew』で「前399年ソクラテス自殺」とあって、確かに逃亡できたのに自ら毒を仰いだのだから自殺でいいのかもしれませんが、国法に従って刑を受けたという意味ではやはり刑死とすべきではないかと・・・・・。

田中美知太郎氏が「自殺」と書いた研究者に驚いて注意を促したというような文章を以前読んだ記憶があるものですから・・・・・。

閑話休題。

寡頭政権打倒にあたって最も大きな役割を果したのはトラシュブロス。

「民主政の復興者」というと非常に良いイメージがあるし、私も以前トゥキュディデスの末尾にちょっとだけ名前が出てきた時そう思っていたが、本書ではやや気になる記述が。

アテネ敗北直前、前406年にアルギヌサイ海戦という戦いがあったが、そこでアテネ海軍は勝利したものの嵐により海に落ちた生存者の救助と戦死者の遺体回収ができなかった。

不可抗力にも関わらず、それに激昂した民衆が軍を指揮したストラテゴスたちを裁判にかけ無残に処刑。

処刑された中にはペリクレスの同名の息子小ペリクレスも含まれる。

アテネ民主政が衆愚政に転落していたことを表す最も有名な事例の一つとして知られ、ソクラテスも当時民衆を批判し諫めたが、このアルギヌサイ裁判の告発人の一人がトラシュブロスだったという。

実際の裁判中のトラシュブロスの役割は不明とも書かれているが、正直かなりイメージダウンではある。

ペロポネソス戦争末期にスパルタを支援したペルシアが、戦後はアテネ・テーベ・コリント・アルゴスの反スパルタ同盟を後押しし、前395年コリント戦争勃発。

紆余曲折の末、ペルシアが再び親スパルタ政策に戻り、前386年「大王の和約」で戦争終結、ギリシアにおけるスパルタの優位が継続。

この時期アテネではトラシュブロスの他、コノンらが活躍。

379年テーベがアテネと同盟、スパルタに反旗を翻す。

377年デロス同盟に続くという意味でそう呼ばれる「第2次アテネ海上同盟」樹立。

アテネ政界の主役はイフィクラテス、カリストラトス、カブリアス、ティモテオスら。

これらの人物をめぐる政治グループの離合集散が記されているが、さすがに面倒なので省略。

以後エパミノンダス、ペロピダスの優れた指導者二人を擁するテーベが台頭するのは教科書通り。

371年レウクトラの戦い、テーベがスパルタに圧勝、これをみてアテネは反テーベ陣営に鞍替え。

364年ペロピダス死去、362年マンティネイアの戦いでテーベがアテネ・スパルタ連合軍に勝利するが、エパミノンダスも戦死、テーベは没落に向かう。

前360年代はアテネ海上覇権復活の時代となるが、デロス同盟と同じく、357~355年の同盟市戦争で各ポリスの離反が相次ぎ、崩壊。

360年にマケドニアでフィリッポス2世即位、デモステネスが反マケドニア戦線を構築しようとするが、338年カイロネイアの戦いでギリシアはマケドニアの支配下に入り、古典期はヘレニズム期に移行する。

中身が極めて濃い。

前の記事で書いたように著者の視点にやや疑問を感じるときもあるが、具体的史実の記述はそれを補って余りある素晴らしさ。

借りてもいいが、できれば買って是非手元に置いておきたい。

説明がわかりやすく、記述が明解、曖昧さがほとんど無い、地図・系図が豊富かつ適切、と欠点が極めて少ない。

良質な啓蒙書として大いにお勧め致します。

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澤田典子 『アテネ民主政  命をかけた八人の政治家』 (講談社選書メチエ)

紀元前508年クレイステネスの改革から前322年アレクサンドロス大王死後の反乱鎮圧まで、約180年間のアテネ民主政の歴史を人物中心に叙述したもの。

副題の「八人」は、ミルティアデス・テミストクレス・キモン・ペリクレス・クレオン・トラシュブロス・イフィクラテス・デモステネス。

以上のうち高校世界史で出てくるのはテミストクレス・ペリクレス・デモステネス、それに何とか名前の出るミルティアデスを加えて、やっと半分の4人か。

本書の基本的視座は、古代ギリシアにおいて「稀有な息の長さと安定度と徹底さを誇った」アテネ民主政を改めて評価するもの。

しかし具体的叙述を読んでいくと、こういう制度を果たして肯定的に評価すべきなのかなあと疑問に感じる。

むしろ人類史上最初の民主主義の実験であるアテネにおいて既に、民主政というものがありとあらゆる愚行と醜態と惨状を晒しており、だからこそプラトンがそれに対する嫌悪と軽蔑から政治哲学をはじめたと言われた方がしっくりくる。

著者はそんなことを百も承知で書かれているのであろうし、仮にも専門家に無知な素人の私が文句をつけるのは噴飯ものだというのは認めますが、正直どうも一部に違和感を感じるところがあったと言わざるを得ません。

とは言え、この本における具体的叙述の価値は極めて高い。

著者は本書を概説・通史ではないとしているが、初心者にとっては普通にそのように使うのが一番適切で効用が高い。

世界史全集の中の該当巻を除けば、古代ギリシア史は意外と適当な本が少ないのだが、本書はその稀な例外となっている。

特にペロポネソス戦争終結からマケドニアの覇権確立までのアテネ・ギリシア史は類書が全くといってよいほど無く、各種全集でも省略されている場合がほとんど。

その中で本書後半部の記述はこの上なく貴重なものとなっている。

巻頭にあるギリシア主要部地図や適時挿入される該当部地図も見やすくて適切。

本文に出てくる地名はほとんどフォローできている。

(そんなの当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、その当たり前ができていない歴史書が本当に多いです。)

地理的なことを少し確認すると、バルカンから陸地が南へ狭まっていく途中にあるのがテーベ、さらに南下してアテネ、そこから西側にわずかな地峡で瘤みたいに繋がっているのがペロポネソス半島、そこの南側内陸部にあるのがスパルタ、地峡にあるのがコリント。

以上四つの最重要ポリスの位置だけまず確認。

島嶼名などでは、小アジア沿岸にある島々が北から順に、レムノス・レスボス・キオス・サモス・ロードス、ギリシアと小アジアの間にあるキクラデス諸島のナクソス・デロス、バルカンにあるケルソネソス、カルキディケ両半島など。

以上他の地名を本文を読みながら追い追い憶えていく。

その際「面倒くさい」という気持ちは敵だと覚悟を決めて、何度でも地図を見ることを意識してやった方が良い。

制度上の予備知識としてアテネの最高職であるアルコンまでが、前487年より抽選制となったため、例外的に選挙制で重任・再任可能な軍事職のストラテゴス(将軍職)が重みを増したという冒頭の記述のみ、要チェック。

まずペルシア戦争開始年の前500年をすべての基準として真っ先に憶える。

この年は憶えやす過ぎる年だが、そこから二度のギリシア本土へのペルシア軍来寇が10年ごとと記憶。

前490年がマラトンの戦い、前480年がサラミスの海戦。

サラミスの翌年前479年がプラタイアの戦い、と三大戦闘をこれで記憶。

登場人物のうち、教科書には載っていなくて用語集の説明で出てくるレベルのミルティアデスを、まずマラトンの勝利者として強烈に印象付ける。

アテネが開拓したケルソネソスの僭主、ダレイオス1世に従ってそのスキタイ遠征へも同行したが、ミレトス反乱への関与を疑われペルシアに追われる身となり、アテネへ帰国、マラトンで大勝利をもたらす。

ミルティアデスはペルシア撃退後、ギリシアの他地方への遠征を主張して失敗し失脚、その後台頭してアテネの政権を担ったのがその子キモン。

ミルティアデス・キモン親子の家系がキモン家。

改革者クレイステネスの姪がクサンティッポスと結婚、その両者から生れたのが有名なペリクレス、この家系はアルクメオン家。

サラミスの勝者テミストクレスは門閥には属さない。

この時期のアテネ政界に活躍した大貴族としてもう一つ、カリアス家があるが、テミストクレスのライバルであるアリステイデスはこの家の縁戚(このアリステイデスはプルタルコスを読むと好意と敬意を抱かずにはおれません)。

以上の政治家では、普通ミルティアデス・キモン・アリステイデスが貴族派、クサンティッポス、テミストクレス、ペリクレスが民主派とされている。

しかし著者によると、当時のアテネでは対ペルシア、対スパルタに関する対外政策についての対立は確かに存在したが、国内制度上の「貴族派」・「民主派」といったような明確な対立軸は無かったとして、上記の区分が後世の目から見た、恣意的なものである可能性が高いとしている。

しかし、初心者が人物の大体のイメージをつかむために、上記の色分けを知っておいてもいいと思います。

今日はとりあえずここまで。

ペロポネソス戦争以後は続きます。

(追記:続きは以下

アテネについてのメモ

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村田数之亮 衣笠茂 『ギリシア (世界の歴史4)』 (河出文庫)

ギリシアカテゴリも、今ひとつ手薄だなあと思ったので補強のためにこれを読む。

ごくごく普通の概説。

強いて特徴を挙げれば、ペロポネソス戦争末期の経緯が比較的詳しく記されていることと、アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの三大悲劇詩人の事績が適切なエピソードを交えながら語られていることくらいか。

しかし、中公世界史全集の旧版新版と違って、古典古代からギリシアだけが独立して巻立てされている割には密度が濃いという感じがしない。

ウォールバンク『ヘレニズム世界』の記事で記したような、ディアドコイ戦争の細かな経緯はバッサリ省略されている。

できれば、最初の方の、エーゲ文明や「暗黒時代」の考古学的記述を削って、上記のような分野にページを割り当ててもらいたかったのだが。

それなりに面白く、読んで無駄だったとは思わないが、是非にでも通読しなければならない本とは言いがたい。

中公旧版・新版など、他の概説を済ましていれば、特に取り組む必要もないかも。

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ニコス・スボロノス 『近代ギリシア史』 (白水社 文庫クセジュ)

ギリシアカテゴリは当然古典古代用に作ったものだが、本書を別のカテゴリに入れるのも変なので、ここに入れます。

第四回十字軍のギリシア占領辺りから筆を起こして、1980年代までを叙述した本。

冒頭部分はごく簡略だがなかなか読むのがだるい。

そのうちオスマン帝国の支配を受けて、1821年独立戦争が起こって、27年のナヴァリノ海戦を経て29年独立というのは教科書通り。

最初は大統領職が置かれたが党派対立の中で暗殺され、バイエルンのヴィッテルスバッハ家から迎えられたオトン1世が国王に即位する。

その後も、独立を支援した各国を後ろ盾にした英国派、仏派、露派の対立が激しい。

オトン1世は親露政策を取ったため、クリミア戦争中には英仏が国土の一部を一時占領。

1863年オトン退位、イギリスが主導する形でデンマーク出身王家が跡を継ぐ。

自由主義者と寡頭的旧支配層の対立が続くが、1909年に前年敵国トルコで起きた青年トルコ革命に影響を受けた反乱が起こり、これを期に大物政治家ヴェニゼロスが台頭。

二度のバルカン戦争があって、ヴェニゼロス主導で第一次大戦に協商国側に参戦、1920年のセーヴル条約で領土を拡大するが、ケマル・パシャに敗れて23年ローザンヌ条約で小アジアから追い出されるという経緯は教科書にも載ってますね。

その後24年から35年にかけて共和政となり、35年王政復古、40年に独伊侵攻、戦後は左派系レジスタンスと王党派の内戦、王党派が勝利してNATO加盟。

67年クーデタで成立した軍事政権下で73年共和政宣言、74年キプロス問題での対応失敗から軍事政権が倒れ、スペイン・ポルトガルなど南欧諸国と同じ時期に民主化が行なわれた、と。

もっと細かい経緯とか人名は本書では覚える気になれない。

先日の『ルーマニア史』と同じで、物語性が希薄なので読んでも面白くないし記憶にも残らない。

簡略で淡々とした事実関係のみの叙述であり、深い印象を受けない。

本文が130ページ余りしかない本書にそんなものを求めるのが間違いなんでしょうが。

類書が少ないので希少価値はありますが(C・M・ウッドハウス『近代ギリシァ史』(みすず書房)は長くて読む気になれない)、ごく大まかな概略を調べるのにはいいとしても、通読してしっかりと歴史の流れを頭に入れるために使える本とは言い難い。

あんまり得たものはありませんでした。

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桜井万里子 本村凌二 『ギリシアとローマ (世界の歴史5)』 (中央公論社)

旧版と同じタイトルの西洋古典古代の巻。

全16巻の旧版なら古典古代が一巻にまとめてあって当然だが、全30巻の新版ならギリシアに一巻、ローマに一巻割り当てても全然おかしくない。

全24巻の河出版でもそうなってる。

しかしこの中公新版ではこれまで軽視されてきた地域の歴史を重点的にカバーする意図からか、従来の世界史全集の一つの山場であった西洋古代史を一巻のみに止めている。

この辺は入門書も、ヘロドトストゥキュディデスはじめ初心者が読める古典的著作も多いし、そうした中ではっきりとした特色と意義のある概説を書くというのは、執筆者にとってかなりのプレッシャーを与える課題ではないかと思う。

本巻が果たしてそれに成功しているか、読了した感想を言いますと・・・・・・「微妙」。

読んでみると「普通」としか言いようが無い。

不十分極まるとは言え、あれこれと関連本を読んでいるので、それに加えてこれを読んでも大して強い印象は受けない。

そもそも細かなデータの掘り下げが圧倒的に不足している。

時代の重要性や史料の豊富さ、今までの研究の蓄積からして、面白い歴史物語を叙述しようと思えばいくらでも可能な分野のはずなのに、このような簡略な通史で済まされたのは非常に残念。

これまでの世界史全集とは異なる記述配分をという意図はわかるが、やはりギリシアとローマを一つにまとめたのは無理があるというか、もったいないというか。

「時代錯誤のヨーロッパ中心主義」という汚名を着ても、ギリシア・ローマで三巻くらい費やしても良かった気がする。

ただ、高校世界史を学んだ以外全く白紙の読者が読めば、比較的良くまとまった通史ということになるのかもしれない。

従来から論じ尽くされてきた分野において、基礎的な史実には全て言及し、物語的面白さは落とさず、定説としての史的解釈と新しい学説を共に紹介しながら、極めて限られた紙数に収めるなんてことは誰がやっても至難の業でしょうから、本書はまだしも成功している方なのかも。

特に本村氏執筆のローマ史の部分はそう思える。

個々の記述で気の付いたことを挙げれば、まずミケーネ文明衰退の原因として、昔の教科書で触れられているドーリア人の侵入ではなく、同時期ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の活動を示唆している。

他には、以下の文章を読んで隙を突かれた。

ホメロスの叙事詩で歌われているトロイア戦争は、スパルタ王メネラオスの妻ヘレネをトロイアの王子パリスが誘拐したことを発端にしているが、そのスパルタはアカイア人による王国である。ポリスとしてのスパルタはそれとは違い、ドーリス人がミケーネ時代にスパルタ王国のあったラコニア地方に建設したのだった。

こんなことは物の判った人には常識なのかもしれないが、私自身は盲点を突かれた思いだった。

ローマ史では、前287年ホルテンシウス法によって元老院の承認抜きでその議決が国法となると定められた平民会とはすなわちトリブス民会で、それに対し富者優位だったのがケントゥリア民会(兵員会)であるのを再確認。

短いページながら著名な皇帝の人物像にも軽く触れられており、私の好きなアウグストゥスとユリアヌスについて好意的記述がなされているのが少し嬉しかった。

繰り返しますが、叙述の出来自体はさほど悪くないです。

欠点としては紙数が少ない。それに尽きます。

著者にこれの3倍くらいのページを与えて思う存分執筆してもらえば、もっと面白くなったろうにと思います。

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F・W・ウォールバンク 『ヘレニズム世界』 (教文館)

すみません、挫折しました。

第一章の史料検討がタルいなあと思い、第二章のアレクサンドロス大王の事績が他の本で大体知ってることで退屈だなあと思い、第三章「諸王国の形成」に来た所でこれは面白いと思い直し、第四章の文化史で苦しいなあ、まあごく大まかな論旨だけ掴めばよいかと思い、読み続けましたが第五章であまりにめんどくさくなって放り出しました。

結局20ページ余りの第三章でディアドコイ戦争の過程がわかったことだけが本書の収穫でした。

本書に加え、森谷公俊『王妃オリュンピアス』を参考にしてその概略を記すと以下の通り。

前323年大王がバビロンで死去。

バクトリア地方の豪族の娘ロクサネが大王の死後生んだ子がアレクサンドロス4世として、大王の異母弟だが知的障害があったため目立たない存在だったアリダイオスがフィリッポス3世としてそれぞれ即位。

ペルディッカスが両王の摂政として諸将の中で首位を占める。

王国は分割され、エジプトはプトレマイオス、小アジアはアンティゴノス、エウメネス、レオンナトスら、トラキアはリュシマコス、マケドニアは大王東征中から留守を守っていた老将アンティパトロスがそれぞれ支配。(レオンナトスは直後反乱鎮圧の際戦死。)

ペルディッカスが大王の妹クレオパトラと結婚しようとしたことを契機に警戒を強めた他の将軍たちは連合して対抗(エウメネスのみはペルディッカスと同盟)。

まずエジプトに向かったペルディッカスだったが、部下に暗殺される。

前320年シリアのトリパラデイソスでの会談でアンティパトロスが新たな摂政になり、アンティゴノス(・モノプタルモス[独眼王])がアジアの将軍とされ、セレウコスがバビロニアを支配することになる。

前319年アンティパトロスが自分の息子カッサンドロスではなく、ポリュペリコンを後継摂政に任命して死去。

アンティゴノス、リュシマコス、プトレマイオス、カッサンドロスの反ポリュペリコン同盟成立(エウメネスはポリュペリコン派)。

カッサンドロス軍がギリシア侵攻。フィリッポス3世と妻エウリュディケはカッサンドロス支持を宣言。

対抗してポリュペリコンが大王の母オリュンピアスを招くと、オリュンピアスはフィリッポス夫妻を殺害。

マケドニアに侵攻したカッサンドロスはオリュンピアスを裁判にかけ処刑する。

アンティゴノスはエウメネスを攻め滅ぼし、バビロニアを任せていたセレウコスを追い出す(セレウコスはプトレマイオスの下に亡命)。

今度はプトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスの反アンティゴノス同盟が成立、アンティゴノスはかつての敵ポリュペリコンと同盟。

プトレマイオスはパレスチナでアンティゴノスの息子デメトリウスを撃破、その機を捉えてセレウコスはバビロンを回復。

前311年和平が結ばれ、カッサンドロスをアレクサンドロス4世の摂政とし、領土は現状維持が合意されたが、カッサンドロスは邪魔者となったアレクサンドロスとロクサネ母子を殺害。

その後はアンティゴノス包囲網を基本としながら、時には和解・同盟が試みられるが、最終的に前301年イプソスの戦いでカッサンドロス・リュシマコス・セレウコス連合軍がアンティゴノス・デメトリウス父子に決定的な敗北を蒙らせ、アンティゴノスは戦死、デメトリウスは逃走した。

(恥ずかしながらかなりの期間、私はこのイプソスをイッソスと混同しており、同じ場所で二度重要な戦いが行われたと勘違いしてました。)

カッサンドロス死後、デメトリウスは一時マケドニアを保持したが、リュシマコスによって追い出され、セレウコスの捕虜となり死去。

前281年リュシマコスはセレウコスに敗北し殺されたが、ヨーロッパに渡ったセレウコスもリュシマコスの一族のうち味方に付けていた人物に暗殺された。

その後弱体化したマケドニアにはガリア人が侵入、無政府状態に陥るが、デメトリウスの子アンティゴノス・ゴナタス(2世)がガリア人を撃退し王位に就く。

エジプトはプトレマイオス2世、アジア・東方領域はアンティオコス1世に引き継がれ、これで三王国の分立体制が確立する。

私はほんの一部しか読んでいませんが、最後まで通読すればそれなりに有益な本だと思います。

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大牟田章 『アレクサンドロス大王 「世界」をめざした巨大な情念』 (清水書院)

ごく標準的な伝記。

大王の東征について、ギリシア文化の伝播や東西両文明融合という文化的意味を過大評価せず、あくまで特異で巨大な個性を持った人物による個人的栄光を求めた軍事征服として理解するというスタンス。

よく整理された記述で読みやすい。

しかし他のアレクサンドロス関係の入門書を読んでいる場合、それに加えて強いて本書を読む必要があるかというとやや疑問。

森谷公俊『王妃オリュンピアス』プルタルコス『英雄伝』アレクサンドロスの章をまず優先して読んだ方がいいと思います。

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原随園 『アレクサンドロス大王の父』 (新潮社)

ギリシア史のカテゴリもヘロドトス、トゥキュディデスなど古典を除けばショボ過ぎる。

前から気になっていたこれを読んで、少しでも数を増やす。

タイトル通りフィリッポス2世の評伝。

息子の陰に隠れがちでマイナー感が拭えないが、アレクサンドロスの大遠征の基盤固めをした名君の治世をかなり詳細に記述している。

驚くほど面白いというわけでもないが、あまり知られていない人物だけに史実の経緯をやや詳しく書いているだけでもそこそこ興味深い。

1974年に新潮選書の一冊として出た本でかなり古いが、ギリシア史の啓蒙書としてはなかなか良いのではないでしょうか。

あと大王死後のディアドコイ戦争の経過を詳しく書いた本がないか探しているところです。

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ポンペイウス・トログス 『地中海世界史』 (京都大学学術出版会)

ギリシア・ローマの古典すべてを邦訳するという、とんでもない企画である西洋古典叢書の第一期刊行分の中の一冊。

果たして私が死ぬまでに完結するんだろうか。

帝政ローマ初期の歴史家トログスが書いたオリエントおよび地中海世界の通史をビザンツ帝国の歴史家ユスティヌスが抄録した作品。

買いはしましたが、ものの見事に挫折しました。

しばらくして売り払い、再挑戦の機会が無いまま。

このシリーズでは、トゥキュディデス『戦史』の記事で書いた通り、クセノフォン『ギリシア史』も取り組んではみたが、即挫折。

他に私が読めそうなものはというと、『ローマ皇帝群像』(原題『ヒストリア・アウグスタ』)くらいか。

これは正体不明の数人の著者(実は一人との説もある)が書いたハドリアヌス帝から軍人皇帝時代を描いた伝記作品。

信頼性に問題はあるが、史料が少ない3世紀のローマ帝国の重要文献であり、ギボン『ローマ帝国衰亡史』の第一巻の主要なタネ本らしい。

刊行前から出たら絶対読もうと思っていたのだが、店頭に並んだものをいざ立ち読みしてみるとどうも思っていたほどの面白さが感じられなかったので、未だに読めないまま。

結局これまでのところ、この叢書でちゃんと通読したものはゼロ。

今は、「背教者」ユリアヌスの治世を記述し、タキトゥス以降最高のラテン史家と言われるアンミアヌス・マルケリヌスの訳書が出るのを気長に待っています。

一体いつになるのか見当もつきませんが。

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村川堅太郎 責任編集 『世界の歴史 2 ギリシアとローマ』 (中公文庫)

古典古代の概説書として極めて標準的で安心して読める本。

平易でなおかつ面白く、1巻に続いてこのシリーズの出来のよさを満喫できる。

アレクサンドロス大王死後の後継者戦争の過程がほぼ省略されていたり、ローマ帝政後期が駆け足だったりするのは残念だが、大きな欠点では無いだろう。

確か「シーザー」とか「アウグスツス」という表記があったはずで、そこが時代を感じさせますが、今読んでも面白さには変わりない。

やはり世界史全集としてはこういう手堅い叙述を求めたいものである。

それにひきかえ、講談社旧版と河出版の全集のローマ史は酷かった。

最近亡くなった方なので言いにくいが、両方とも著者の弓削達氏が自身のキリスト教的価値観を全編に渡って押し通し、通史の形式すらほぼ無視した史的エッセイに近いものになってしまっている。

こういう突拍子もないものを出されても、初心者は戸惑うだけである。

弓削氏が自身の価値観に基づいて行っていた政治的活動については今更あれこれ言うつもりはないが、一般向け書物でのこの種の逸脱は編集者がきちんと止めてくれないと困る。

本書に限らず、初学者にとっては古い本であるが故に、著者の極端な意図や細々した最新学説のために面白さを減じることのない叙述を読めるというメリットもある気がする。

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