カテゴリー「イタリア」の20件の記事

塩野七生 『わが友マキアヴェッリ  フィレンツェ存亡  3』 (新潮文庫)

1巻2巻の記事続き。

第3部「マキアヴェッリは、なにを考えたか」、著作執筆時代を叙述。

この時期の西欧は絶対君主の下、中央集権的体制を採る領土国家が台頭、フィレンツェのような都市国家は徐々に頽勢に向かう。

1516年スペイン王カルロス1世即位、1519年にはカルロスが神聖ローマ皇帝カール5世となり、スペイン・オーストリアがハプスブルク家統治下に。

1515年仏王ルイ12世死去、フランソワ1世即位。

1509年には英王ヘンリ8世が登位している。

ちなみに1517年にはルターの95ヵ条の論題、同年オスマン帝国がエジプト征服、1520年スレイマン1世即位。

マキャヴェリはこれら大国に対抗するために独自のイタリア統一構想を抱く。

ただしそれは現在のイタリア領土の範囲ではなく、まず独立性の極めて強いヴェネツィアを除外、またミラノなどロンバルディアへのフランスの野心、ナポリにおけるスペインの勢力を考慮してこれらの地域も外し、一先ず中部イタリア統一を目指すもの。

1514年『君主論』、1517年『政略論』、1518年喜劇『マンドラーゴラ』、1520年『戦略論』執筆、この年からメディチ家との関係が好転し、その依頼を受けて書いた『フィレンツェ史』が1525年完成。

1521年レオ10世死、22年ハドリアヌス6世を挟んで、1523~34年教皇位はレオのいとこ、もう一人のメディチ家出身者クレメンス7世に。

前巻、前々巻でも見た通り、16世紀に入ってからのイタリアは、ミラノ・ジェノヴァを勢力圏とするフランスと、ナポリ・シチリアを拠点とするスペインが覇権を争う情勢。

1525年パヴィアの戦い、フランソワ1世率いる仏軍と、仏からスペインに寝返ったシャルル・ド・ブルボン指揮のスペイン軍が激突、スペイン大勝、フランソワ1世捕虜に。

この結果、ミラノにスフォルツァ家が復帰するが、スフォルツァが反カルロス行動を企てると、スペイン軍はミラノ包囲。

1526年フランソワ釈放、同年コニャック同盟締結、仏・教皇・ヴェネツィア・フィレンツェ・ミラノ・ジェノヴァ・英が参加する広範な反スペイン・皇帝同盟。

だが各国の思惑がバラバラで同盟は機能せず、ルター派プロテスタント兵を主力とする皇帝軍が南下。

メディチ家の分家筋と女傑カテリーナ・スフォルツァとの間の子、ジョヴァンニ・デ・メディチなどが軍を指揮するが、教皇クレメンス7世は決断力に欠け戦機を完全に逸する。

(本書ではクレメンスに対して相当厳しいことが書かれている。)

ミラノは降伏・開城、ジョヴァンニは戦傷死。

1527年に皇帝軍はローマ包囲、攻城戦で司令官シャルル・ド・ブルボンは戦死するが、皇帝軍は防衛線を突破してローマ市内に乱入。

史上「サッコ・ディ・ローマ(ローマ劫掠)」と呼ばれ、イタリア・ルネサンスの終焉を象徴する出来事。

メディチ教皇と一体化していたフィレンツェでは再度メディチ家追放、マキャヴェリはこの時の公職復帰に望みをかけるが、浪人時代の態度が親メディチと判断され、国会で書記官選出反対が多数票を占める。

マキャヴェリは失意の内に同年死去。

1526年モハーチの戦い、1529年第1回ウィーン包囲でオーストリア・ハプスブルク帝国はバルカンの脇腹からオスマン朝の脅威を受ける。

1529年クレメンスとカルロスの講和。

イタリアでのスペインの覇権が確立。

講和の条件としてカルロスがメディチ家の復帰を支援し、1530年クレメンスの私生児とも言われるアレッサンドロがフィレンツェ公となり共和国滅亡。

1534年クレメンス死去、パウルス3世即位、1545年トレント公会議開始、反宗教改革時代、ルネサンスの中心はアルプス以北の西欧諸国へ。

1537年上記ジョヴァンニの子コジモがフィレンツェ公を継ぎ、1569年トスカナ大公国成立、コジモが大公就任、フィレンツェはトスカナの単なる首府となる。

スペインがブルボン朝に替わった後、イタリアはオーストリアの覇権下となり、それが19世紀半ばイタリア統一戦争時代まで続く、と。

とにかく読みやすいことは間違いない。

分量を全く気にせず、驚くほどスラスラ読める。

しかし塩野氏の著作を何でも手当たり次第に読みたい、あるいは他人に薦めたいとは思えなくなって久しいし、まして月刊『文芸春秋』などのエッセイで現在の諸問題についての著者の御託宣を有難がって盲信するといった心情からは遥かに隔たっている。

本書自体はそれなりに面白く役に立つとは思うが、是非にと強く薦める気にもなりません。

|

塩野七生 『わが友マキアヴェッリ  フィレンツェ存亡  2』 (新潮文庫)

1巻の続き。

この巻は第2部「マキアヴェッリは、なにをしたか」収録で、マキャヴェリの官僚・政治家としての活動を記す。

マキャヴェリの公職時代は1498年サヴォナローラ破滅から1512年メディチ家復帰まで。

共和国第二書記局書記官に就任、他に大統領付秘書官などの役職にも就く。

この時期のフィレンツェ共和国は、サヴォナローラ時代の親仏政策とイタリア内の孤立化状態を清算できず。

1498年仏王シャルル8世死去、ルイ12世即位、婚姻関係からナポリだけでなくミラノの継承権も主張し、ミラノも反仏政策に転換。

1499年仏軍がミラノ入城。

フィレンツェは1500年ピサ奪回に失敗。

この頃教皇アレクサンデル6世の息子チェーザレ・ボルジアが仏の後援を得て教皇領内ながら半独立の領主の多かったロマーニャ地方を次々と征服、中央集権化を進める。

このチェーザレ・ボルジアは明晰かつ果断で冷酷無比な専制君主として、マキャヴェリの『君主論』でも中心的に扱われている。

しかし1503年に教皇が死去するとチェーザレも没落、短期間のピウス3世を挟んで、後継教皇にはボルジア家のライバル、ジュリアーノ・デラ・ローヴェレがユリウス2世として即位。

フィレンツェでは1502年終身大統領にピエロ・ソデリーニが選出・就任、国制改革を進める。

傭兵制度に強い批判を持つマキャヴェリが中心となって、周辺農村から徴兵した国民軍を創設、その力で1509年ピサ再領有に成功。

1508年ヴェネツィアの外交失敗から教皇・皇帝・スペイン・フランスすべてが参加した反ヴェネツィアのカンブレー同盟結成。

1509年アニャネッロの戦いでフランス軍がヴェネツィアに大勝、北イタリアを制圧。

1510年フランスの優位に不安を感じたユリウス2世が同盟から脱落、翌11年にはヴェネツィア・皇帝・スペインと共に反仏神聖同盟結成。

1512年ラヴェンナの戦いで再度仏軍が勝利するが総司令官が戦死、ルイ12世は軍をミラノに撤退させ勝機を逸す。

敗北したスペイン軍の残兵をメディチ家が利用し、フィレンツェに圧力をかける。

そうこうしているうちに、フィレンツェ内部で親メディチ・クーデタが発生、政権崩壊、ソデリーニは逃亡、同1512年メディチ家が復帰。

当時のメディチ家は、ロレンツォの子ピエロはすでに亡く、ピエロの弟ジョヴァンニ枢機卿の時代。

マキャヴェリも免職・追放され、直後に反メディチ・クーデタ未遂に関与した疑いを持たれて一時投獄される。

翌1513年ユリウス2世死去、ジョヴァンニが教皇に即位、これが史上有名なレオ10世。

塚本哲也『メッテルニヒ』(文芸春秋)で、「高校世界史レベルで何となくイメージの悪い人」を取り上げましたが、贖宥状を乱発してルターの宗教改革を誘発したとされるこのレオ10世を忘れてましたね。

この人も感じの悪さでは相当なもの。

ただし、塩野氏の『神の代理人』(中公文庫)ではルターの「狂信」に批判的な、ルネサンス文化の良き理解者といった感の描写でしたね。

メディチ家教皇誕生で沸くフィレンツェで、マキャヴェリも大赦で出獄。

この巻はここまで。

極めて読みやすいのは前巻と同じ。

しかし第1巻に載っていた地図が無いのは不便。

三分冊になったんだからやはり各巻に入れて欲しい。

当時のイタリアの、相当細かな政治情勢をスラスラ読ませて理解させる文章力はさすがに認めざるを得ない。

しかし何を差し置いても強く勧めるといった気分になれないのも事実。

とりあえず第3巻に進みます。

|

塩野七生 『わが友マキアヴェッリ  フィレンツェ存亡  1』 (新潮文庫)

塩野氏のイタリア史関連の著作は、『海の都の物語』『ルネサンスの女たち』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』『神の代理人』などを読んできたが、本書は手に取ったことが無かった。

以前中公文庫の分厚い一巻モノに気後れしていた。

それが新潮文庫に移って3分冊に。

だがはっきり言って中公に比べれば好きな版元ではないので、買う気は全く無かったのが、たまたま図書館で見かけたので借りてみた。

ちょうど本文の1、2、3部ごとに巻が分かれている。

この第1巻は第1部「マキアヴェッリは、なにを見たか」が収録されており、マキャヴェリの生誕から公職に就くまでの人生と、同時代のフィレンツェ史概説。

例によって超基本事項の確認。

当たり前過ぎるが、14・15世紀ルネサンスの中心がフィレンツェで、マキャヴェリもこの都市出身であることをチェック。

そして当時のイタリアの五大国、ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・ローマ教皇領・ナポリ王国の名前を、「公国」「王国」「共和国」の部分も含めて頭に叩き込む。

当然位置関係もチェック。

イタリア半島の長靴の後ろの付け根、イタリアとバルカンに挟まれたアドリア海の奥にあるのがヴェネツィア。

反対側、ティレニア海の付け根にジェノヴァがあるが、この時期はもう大国ではない。

ジェノヴァ北側に接するのがロンバルディア地方にあるミラノ。

そのさらに西にはサヴォイア公国。

首府はトリノで、のちにサルデーニャ王国としてイタリア統一の原動力となる国だが、王国名が「サルデーニャ」と言っても中心はあくまで本土のピエモンテ地方。

ミラノから南下して太ももあたりの内陸部にあるのがフィレンツェ。

そこから西に向かい、ティレニア海への出口になるのがピサ。

太ももを北東から南西へ横断した形でローマ教皇領が広がる。

そのうち、フィレンツェの東側はロマーニャ地方。

半島のひざ辺りから南はすべて広大なナポリ王国。

他の地名はその都度巻頭の地図で確認すればよいが、以上くらいは頭に入れておかないと読み進むのが面倒なので記憶。

各国の特徴としては、まずヴェネツィア共和国が対内的安定性、対外的独立性のどちらでもずば抜けており、イタリアで全くの例外であることを強烈に印象付ける。

他国のほとんどが実質君主制あるいは僭主制に移行したのに対し(教皇領を君主制というのは変ですが)、ヴェネツィアのみは伝統的に寡頭制的共和政体を維持。

あと少し面倒だが、ナポリとシチリアの支配者の系譜だけ軽く確認。

ノルマン人の征服でイスラム教徒から取り返された後、婚姻関係でドイツの皇帝家ホーエンシュタウフェン朝領土になるが、フリードリヒ2世死後、仏王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが征服。

フランス支配への反乱である「シチリアの晩鐘」事件で、アラゴンから王族が迎えられ、シチリアはスペイン系、ナポリはフランス系王国に。

そこから確かナポリもスペイン系の支配になったはず(この辺あやふやです)。

よってこの近世初頭の時期は南イタリアは親スペイン的な統治者による支配。

それに対して英仏百年戦争を終えたフランスが、ナポリの継承権を主張してイタリアに勢力を伸ばし、スペイン(少し後ではスペイン・オーストリアのハプスブルク帝国)と覇権争いを繰り広げるというのがイタリア政治の基本構図になる。

ニコロ・マキャヴェリは1469年生まれ、名門出身ではなく、大学も出ていない。

フィレンツェは1434年以降はコジモ・デ・メディチが実質君主として君臨。

任期一年の大統領に当たる「正義の旗手」という名の最高職をはじめとする共和国の政体は維持しながらも実質メディチ家の僭主制下。

コジモ自身は「正義の旗手」には三度就任したのみで、他の面で国政を動かす。

1464年コジモ死去、子のピエロが継いだ後、1469年孫のロレンツォが弱冠二十歳で当主となる。

この時期フィレンツェとメディチ家は全盛期を迎え、ロレンツォ・デ・メディチは「イル・マニフィコ」(偉大な人)とあだ名される。

イタリア内の小国保全と現状維持、勢力均衡に努め、西欧で台頭しつつあった領土大国のイタリア介入を阻止、イタリア・ルネサンスの繁栄をもたらす。

1478年パッツィ家の陰謀、教皇シクストゥス4世も絡んだ反メディチ・クーデタが失敗。

ヴェネツィア、ミラノ、フランス(ルイ11世)は親メディチの態度を採るが、ナポリは反メディチ陣営に加わり、教皇と組んでフィレンツェと開戦。

ロレンツォは自らナポリ王フェランテと直談判し和解、オスマン朝の脅威が高まりつつあったこともあり、講和に成功。

1483年仏王シャルル8世即位。

1484年には教皇インノケンティウス8世即位、フィレンツェ・ローマ間の関係が大きく改善。

1492年のロレンツォの死によってイタリアに暗雲が立ち込める。

この年はもちろんレコンキスタ完了とコロンブスのアメリカ到達の年、ちなみに新教皇にボルジア家のアレクサンデル6世が即位。

メディチ家はピエロが継ぐが父の才覚は全く無し。

1494年ナポリ王フェランテ死去を機に、シャルル8世率いるフランス軍がイタリア侵入、(広義の)イタリア戦争開始。

ミラノ公国の実力者ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)、ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ(次の教皇ユリウス2世)などがシャルルの軍を引き入れる役割を果す。

仏軍侵入への恐怖の中で同年フィレンツェのメディチ支配は崩壊、修道士サヴォナローラの支配確立。

仏軍はイタリアを縦断してナポリに入城するが、1495年反仏同盟樹立、これにはイル・モーロも加わり、結局シャルルはイタリアを撤退。

親仏政策を続けたフィレンツェは孤立化、ピサも独立して海への出口を失う。

1498年サヴォナローラの神政政治崩壊、サヴォナローラが火刑に処せられるところで本書はおしまい(この年ヴァスコ・ダ・ガマがカリカット到達、インド航路発見)。

2、3巻に続きます。

|

塩野七生 『ローマ亡き後の地中海世界 下』 (新潮社)

上巻に続き、即この下巻に取り組む。

しかし、だるい・・・・・。

気乗りしないまま、380ページ超の分量をこなすのは辛い。

ついだらだらサボりがちになり、読み終えるのに一週間かかった。

本書の叙述対象範囲もかなり狭く、実質16世紀初頭から1571年レパントの海戦までの西欧とオスマン・トルコ関係史。

海洋民族ではなかったトルコがその海軍力の多くを依存したのはやはり北アフリカの海賊たち。

「赤ひげ」というあだ名の方が有名になったハイルディーンなどの海賊がイタリア半島・シチリア島・サルディニア島・コルシカ島・南仏・スペインを荒らしまわる。

近世初頭、大航海時代真っ只中のこの時期でも、ヨーロッパ側が一方的守勢に立ち、甚大な被害を蒙っていたことに驚く。

中学までの歴史教育でのイメージだと、1500年を境に世界が一変して、西欧が圧倒的優位を保ちながらアジア・アフリカを次々と植民地化していくという印象があるが(私はそうでした)、実際には、南北アメリカの先住民は確かに為す術なく衰退・屈服してしまった一方、オスマン朝、サファヴィー朝、ムガル朝、明および清朝という近世初頭におけるユーラシアの四大帝国の繁栄の前にはヨーロッパは全く手が出せなかったわけである。

オスマン帝国の公認を得た海賊たちに立ち向かったのは、ジェノヴァ出身で後にスペイン海軍総司令官に就任した名将アンドレア・ドーリアと、国家として最も組織的に海賊退治に取り組んできたヴェネツィア共和国海軍。

上記と同じようなステレオタイプのイメージだと、大航海時代に入るとイタリアの都市国家はスペイン・フランス・イギリスなど諸大国の圧迫を受け、即座に没落した印象があるが、これも必ずしも正しくない。

中谷臣『世界史A・Bの基本演習』から引用すると

このルネサンスを担ったイタリア都市が「地理上発見」「商業革命」によって、またたくまに衰退するのではない。15世紀までの資本の蓄積があり、危機に対しては毛織物・絹織物・ガラス工芸・出版業・・・・・の振興で対処した。16世紀後半には香料貿易も再燃し、建築ブーム・宝くじブームが起こった。レパント海戦の勝利者にヴェネツィア艦隊もあったことを想起されたい。

とある。

この時代の背景として、イタリア五大国(ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・ローマ教皇領・ナポリ王国)の名と位置関係は押さえておくべき。

(これは高校世界史の範囲内なので確実に。なお五大国にジェノヴァが入っていないことにご注意。)

16世紀中にミラノとナポリはスペイン勢力下に入り、トスカナ大公国と変わったフィレンツェは統治者のメディチ家がスペインの支援を受け、反宗教改革を遂行するローマ教皇も同様といった次第で、独立を維持したのはヴェネツィアだけで、イタリアは実質スペインの支配を受け、18世紀初頭スペイン継承戦争後はオーストリアに統治され、それが19世紀イタリア統一運動の時代まで続くことになる。

こういう経緯を知るには、やや煩瑣な部分もあるが、モンタネッリの『ルネサンスの歴史』が適切と思われます。

当時のスペインおよびオーストリア統治者で神聖ローマ皇帝だったのはカール5世(カルロス1世)であり、それに対峙したのはフランス国王フランソワ1世だが、本書ではこの両者に対する評価ははなはだ低い。

カール5世については、例えば、イタリアの完全支配の妨げとなっているヴェネツィアを利することを避けるため、1538年プレヴェザ沖の海戦でスペイン海軍司令のドーリアに不可解な消極策を取らせたことなどが批判されている。

このプレヴェザ海戦はオスマン帝国全盛期にスレイマン1世の治世を飾る勝利として高校教科書にも載っているが、どうも奇妙な海戦で、キリスト教徒側とトルコ側が真正面からぶつかってキリスト教徒側が惨敗したという感じではない。

西欧側海軍の構成は、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇と、後のレパント海戦と同じ顔ぶれだが、少しの小競り合いがあった後、ドーリア率いるスペイン艦隊が撤退し、やむを得ず他の海軍も戦線を離脱したという状態で、キリスト教徒側の損害は大きくはなかったが、その心理的敗北感とトルコへの恐怖は大きく、以後海賊がますます跋扈することになる。

フランソワ1世に至っては、スペイン・オーストリアのハプスブルク帝国に対抗するためトルコと軍事同盟を結び、海賊行為を黙認することさえした。

1565年トルコ軍がマルタ島の攻略に失敗したことなどから、西欧とトルコとの力関係に変化が生じ、1571年有名なレパントの海戦が闘われる。

西欧側でこの海戦に参加した、当時の戦艦(この「戦艦」は軍艦の中の一艦種の意味)であるガレー船の数を並べると、ヴェネツィア110隻・スペイン72隻・教皇12隻だそうです。

これだけ見ても、ヴェネツィアがイタリア都市国家の中であらゆる意味で別格の存在なのがわかります。

レパントでの勝利によってヨーロッパの心理的余裕が回復され、海賊への抵抗が活発化し、その被害が軽減されていくことになるところで、本書の幕は閉じます。

あれこれメモはしたが、やはりあまりいいとは思えない。

著者は同じ時代を扱った自著のうち、『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』を微視的な、『海の都の物語』をヴェネツィアを中心にした巨視的著作として、本書を地中海全般に目配りした作品と説明しているが、良さが感じ取れない。

以上挙げた著作と他の材料を適当に混ぜて薄めた本といった感が拭えない。

発売から8ヶ月ほど経って、図書館での予約も減り始めた頃だろうから、買わずに借りるだけでいいでしょうし、そもそも無理して読むこともないかもしれません。

| | コメント (0)

塩野七生 『ローマ亡き後の地中海世界 上』 (新潮社)

去年の年末にこの上巻が出て、今年初めに下巻が出ました。

一昨年まで続いた『ローマ人の物語』の続編を思わせるようなタイトルで装丁もそっくり。

私は途中から『ローマ人~』の単行本は買わなくなって、今は文庫版で揃えており、現在読んでいるのは単行本の12巻に当たる『迷走する帝国』までです。

(次の『最後の努力』が最近文庫化されましたが、私は未読。)

そのシリーズを読み終えてないのに、続編を先に読むというのも変な感じがしますが、あまり気にせず手に取る。

内容は、タイトルが与える印象ほどの網羅性は無いです。

古代末期以後の地中海世界全域の通史では全くなく、実質8世紀以降のイタリアとイスラム化された北アフリカとの関係史。

よってカテゴリは、ヨーロッパではなくイタリアで。

イスラムの海賊による被害に苦しめられるキリスト教世界の様相が主要テーマ。

読み進めていくと気付くのが、イスラム側の記述で王朝名がほとんど出てこないこと。

9世紀のイスラム教徒によるシチリア島征服について、この本の中盤で多くの紙数が割かれているが、これを遂行したチュニジアの都市カイラワーンのイスラム勢力は後藤明『ビジュアル版イスラーム歴史物語』によるとアグラブ朝という実質独立王朝のはずだが、本書ではただカイラワーン総督として名が出るだけ。

と言うか、そもそもウマイヤ朝やアッバース朝の名前すら出てこない。

9世紀、10世紀の西ヨーロッパはシャルルマーニュ死後の分裂期だが、本書で時々言及される国王が西フランク、東フランク、イタリアのどの王なのか不分明な場合があるし、ヴェルダン条約・メルセン条約についての説明もなし。

高校世界史では普通「神聖ローマ帝国」は962年オットー1世に始まるドイツ帝国を指すが、本書では800年シャルルマーニュの西ローマ帝国復興に使用していることに何とも言えない違和感。

以後、アマルフィ・ピサ・ジェノヴァ・ヴェネツィアというイタリアの四大海洋都市国家の台頭、イングランドのノルマン・コンクェストと同じ11世紀に行われたノルマン人によるシチリア奪還、仏国王ルイ9世による第7回十字軍のチュニジア攻撃などの記述に進む。

最後にイスラムの海賊に北アフリカに拉致され、奴隷として酷使されたキリスト教徒を身代金を支払って解放することを任務とした修道会と騎士団のことが多くの興味深いエピソードと共に叙述されている。

このうち前者の熱心な後援者としてインノケンティウス3世の名が挙げられているが、これはこの教皇の意外な一面を堀米庸三『正統と異端』とともに示してくれている。

通して読むと中世にヨーロッパがイスラムから受けた被害の大きさに驚かされる。

著者がヨーロッパ側の視点に立っているからでもあろうが、一般的イメージとして定着しておらずあまり知られていない史実の一面を教えてくれるのは貴重ではある。

あと、全般的に言えることとして地図が多い。

似たような地図が何度も載せられており、好意的に見ればいちいち前のページに戻らなくても済むように関連文のある部分にはその都度掲げてくれているということでしょうが、巻末にある30ページにおよぶ海賊見張り塔のカラー写真集と並んで、ひょっとしてページ数稼ぎと価格上乗せ策じゃなかろうなという意地の悪い憶測が心に浮かんでしまう(本書は3150円もします)。

11世紀に十字軍・レコンキスタ・「商業の復活(商業ルネサンス)」・ドイツ東方植民など西ヨーロッパの反撃が始まる前、イスラムに対して一方的守勢に立っており、中世が真に暗黒時代であった頃のイタリアの状況概略を知るという限定された目的のためとすれば、比較的よく出来ていると思う。

相変わらず著者のストーリー・テラーとしての能力は大部を飽きさせずに読ませる(私は二日で読めた)。

しかし著者の専門であるイタリア以外の史実の扱われ方は非常に断片的でわかりやすくないし、得たものはほとんど無い。

周辺的テーマに紙数を割けないと言われればその通りかもしれないが、それを考慮しても物足りない。

『ローマ人~』というドル箱シリーズを手放してなるものかという出版社の嫌らしさを感じる。

そういう版元に推されて無理して書き下ろした結果、十分な内容を伴わなくなった本という印象が否めない。

(ちょっと言い過ぎかもしれませんが。)

すぐ続けて下巻も読むと思いますけど、是非読むべき本だとは思えませんでした。

| | コメント (0)

塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』 (新潮文庫)

『ローマ人の物語』刊行中の2001年に出た単行本の文庫化。

当時著者のルネサンス期イタリアを扱った作品の版権が中央公論から新潮社に移され(率直に言ってこれは非常に残念でした)単行本として刊行されており、それに合わせて書き下ろされた本。

対談の形式でフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアのイタリア・ルネサンスについて概説したもの。

文意は明解で非常に楽に読めます。

しかし内容に特筆すべき点はない。

ルネサンスに関する独創的な視点に驚かされたり感動したりということもなく、最後まで読んでも「あー、そうですか」という感じ。

こういう大御所に浅薄な一読者の私が文句をつけるのは噴飯ものだと承知しながら言わせてもらうと、至るところに出てくる執拗なキリスト教への批判がどうにも気になってしょうがなかった。

「反宗教改革」の代わりに最近用いられる「対抗宗教改革」という言葉は使わず、「反動宗教改革」とより悪いイメージの用語を選んで、それがイタリア・ルネサンスの息の根を止めたと断言している。

『ローマ人の物語』を読んでいる時にも感じたことだが、この人の一神教的宗教への非難は行き過ぎというか公平さを欠くというか、ちょっと素直に受け取れないものを感じる。

『ローマ人・・・』で、共和政から帝政への移行は自由の喪失でも歴史の退歩でもないと力説したり、ペリクレス治下のアテネが民主政のモデルとして評価されたのはフランス革命以後であり、それ以前はアウグストゥス治下のローマ帝国と同じく単に善政の模範として高く評価されていただけだったと述べたりした部分には、通俗的な価値観とは異なる良い意味での著者の独自性を感じたものだったが、それに対してキリスト教に代表される一神教の普及により人間精神の自由が抑圧され「暗黒の中世」を迎えたという見方は平凡過ぎて全然感銘を受けない。

チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)を読んだ後だとますますそう思える。

読んで損したとまでは思わないが、あんまり面白い本でもない。

本文が終った後、「主役たちの略歴一覧」というものが続き、ルネサンス文化人の肖像・作品の写真の下にごく短い紹介文が付せられている。

これはまあ便利ではあるが、同じような形式の列伝がある樺山紘一『ルネサンスと地中海』(中公文庫)の方がより印象的で頭に入る。

あと事実関係の記述でルネサンス期のローマ教皇が順に載せられており、良い機会なのでこれを以下メモしておきます。

まず全般的なことを言いますが、歴代ローマ教皇を全部覚えるなんて事は絶対に不可能です。

自分ができる見込みが全く無いことを皆様に偉そうに勧めるつもりは毛頭ございません。

高校世界史で出てくる教皇と言えば、初代のペテロはまあ別にして、レオ1世、グレゴリウス1世、レオ3世、ヨハネス12世、グレゴリウス7世、ウルバヌス2世、インノケンティウス3世、ボニファティウス8世、アレクサンデル6世、ユリウス2世、レオ10世、パウルス3世くらいですか。

せめて叙任権闘争とシスマの時期、およびルネサンス期の教皇ぐらいは覚えようかと思うのですが、なかなかうまくいかない。

教皇位は国王と違って世襲ではないので前任者の死去後、年配の候補者が順に継いでいき、勢い在任期間が短く就任者が多くなる。

当然ながら王朝のように、ある王の息子が誰それで、その子が誰それと、系図のイメージで印象付けて覚えることもできない。

ただ人名を機械的に暗記する他ないのが苦しい。

地道に覚える努力をするしかないのですが、とりあえずルネサンス期の教皇は以下の通りです。

ピウス2世(1458~64年)

1453年のコンスタンティノープル陥落とビザンツ帝国滅亡を受け、十字軍再編成を企図するがイタリア諸都市の支持を得られず挫折。

パウルス2世(1464~71年)

ヴェネツィア出身。祖国の政策に呼応して前教皇の対トルコ政策を転換。

シクストゥス4世(1471~84年)

俗名フランチェスコ・デラ・ローヴェレ。最後のビザンツ皇帝の姪とロシアのイヴァン3世との結婚を斡旋。メディチ家を敵視、「パッツィ家の陰謀」を影で支持。「システィナ礼拝堂」はこの教皇の名に由来。

インノケンティウス8世(1484~92年)

俗名ジョヴァンニ・チボー。ジェノヴァ出身。ロレンツォ・デ・メディチと密接に協力。

アレクサンデル6世(1492~1503年)

俗名ロドリゴ・ボルジア。息子が有名なチェーザレ・ボルジア。シャルル8世のフランス軍侵入に対応。メディチ家追放後のフィレンツェを支配したサヴォナローラとの正面対決を避け、その自滅を待つ。

ユリウス2世(1503~13年)

アレクサンデル6世との間にピウス3世がいるが、本書では省略。俗名ジュリアーノ・デラ・ローヴェレ。シクストゥス4世の甥。ミケランジェロ、ラファエロのパトロン。

レオ10世(1513~21年)

俗名ジョヴァンニ・デ・メディチ。ロレンツォの次男。言わずと知れたルターの敵役。レオナルド・ミケランジェロ・ラファエロの三人が在位中短期間ながらローマに滞在。

ハドリアヌス6世(1522~23年)

オランダ出身。

クレメンス7世(1523~34年)

俗名ジュリオ・デ・メディチ。レオ10世のいとこ。1527年カール5世による「ローマ掠奪」の憂き目に遭う。のちカールと和解、その支援を得てフィレンツェにメディチ家支配を復興させ、フィレンツェは共和国から公国に変わる。

パウルス3世(1534~49年)

俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ。即位早々ヘンリ8世のイギリスがカトリックから分離。イエズス会を認可。1545年トリエント公会議開催。ルネサンスの巨匠たちのなかで最後まで長命を保ったミケランジェロに「最後の審判」作成を依頼。本書ではルネサンス教皇はこの人まで。

| | コメント (0)

藤沢道郎 『メディチ家はなぜ栄えたか』 (講談社選書メチエ)

フィレンツェ共和国を事実上支配し、ルネサンスのパトロンとしても有名な一族の盛衰をコジモ・デ・メディチを中心に叙述した本。

14世紀末毛織物工業労働者の反乱であるチョンピの乱で、メディチ家は労働者に同情的態度を取り、寡頭的共和政の主導権を握る上流階級から白眼視されながらも、下層階級からは根強い支持を受ける。

15世紀初頭ジョヴァンニ・デ・メディチが家業の銀行業を大いに発展させ、教会大分裂(シスマ)時の混乱を利用して、自行を教皇庁のメインバンクにすることに成功、巨万の富を築く。

その子のコジモは一族最大の偉才であり、1434年ライバルのアルビッツィ家を打倒、共和制の政治システムを保存しながらも、実質的にはフィレンツェの君主となる。

ミラノ公国・ヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・教皇領・ナポリ王国という当時のイタリア五大国のうち、特にフィレンツェとミラノは激しく対立していた。

コジモはミラノ公国のヴィスコンティ家断絶を見越してフランチェスコ・スフォルツァの公位継承を支援し、それに加えて1453年ビザンツ帝国滅亡によるトルコの脅威増大も梃子にして、1454年五大国すべてが参加するローディの和を締結。

以後、1494年フランス王シャルル8世がイタリアに侵攻し、イタリア戦争が勃発するまでの40年間平和が維持され、ルネサンスは全盛期を迎える。

他にコジモの文化面での功績として、ブルネレスキ、ドナテルロなどに対する支援について述べられている。

コジモ以後のメディチ家の歴史に関しては簡略な記述。

子のピエロがコジモの遺産を何とか守りきった後、孫のロレンツォ(イル・マニフィコ=「壮麗な」という添え名で知られる)の代となる。

この大ロレンツォの時代をメディチ家全盛期とする見方もあるが、著者はそう考えてはいないようだ。

ロレンツォ死後はシャルル8世の仏軍侵入のあおりを受け、メディチ家は失脚、サヴォナローラの神政的独裁が生まれる。

後、ロレンツォの次男のジョバンニが教皇レオ10世に、甥のジュリオがクレメンス7世に即位するが、メディチ家の企業家・文化のパトロンとしての活力は失われていった。

文章が明解でわかりやすく、なかなか面白い。

文化史の章は私には晦渋なところもあったが、大体何を言いたいかはわかる。

ごく良質な世界史啓蒙書と言えるでしょう。

なお藤沢道郎氏は『物語イタリアの歴史』『同 Ⅱ』の著者でもあります。

このうち前者は中公新書の『物語 歴史』シリーズの最高傑作だと思います。

カノッサ女伯マティルデ、作曲家ヴェルディなど高校世界史レベルではさして重要とは思えない人物を含む10人の伝記で各時代を生き生きと描き切り、しかも教科書に載っているような重要事件は洩れなく記述し網羅性は確保するという離れ業を見事に成功させている。

大学時代、刊行当初の本書を偶然生協書店で見かけて何の気無しに通読し、そのあまりの面白さに驚嘆しました。

初心者が絶対に読むべき本の一つだと思います。

他の著作としては『ファシズムの誕生 ムッソリーニのローマ進軍』(中央公論社)がありますが、こちらは非常に大部な本で、ムッソリーニ政権成立時にのみ特化した史書のようですので今のところ敬遠しております。

藤沢氏のもう一つの顔はインドロ・モンタネッリの『ローマの歴史』および『ルネサンスの歴史』の訳者であります。

この二つの著作も初学者必読。

『ルネサンスの歴史』の訳者あとがきで藤沢氏は以下のように述べています。

普通の人間が歴史に興味を持つ動機は、何と言っても歴史に登場する人物の魅力であって、歴史法則でもなければ思想の流れでもなく、いわんや経済社会的な統計資料でもない。明治以来戦前まで、『プルターク英雄伝』の翻訳が、西洋古代史への日本人の関心をかき立て、その知識の普及にいかに寄与しかかを思い出すのも無駄ではあるまい。

こういう観点から一般常識としての平易な歴史書を出版する意義を強調していた方で、個人的には本当に心から共感し感謝していた方でした。

先日書いたことの繰り返しで、しつこくて申し訳ありませんが、このモンタネッリのイタリア史シリーズの翻訳を何とか完結させてもらえないでしょうか。

「実は藤沢氏が試訳を残されてましたので、適切な監修者が手を入れて出版します」なんてことがあれば最高なんですが、それはいくらなんでもあり得ない勝手な空想でしょう。

中央公論新社編集者の方に新規翻訳を是非企画して頂きたいものであります。

| | コメント (0)

マックス・ガロ 『イタリアか、死か』 (中央公論新社)

カヴール、マッツィーニと並んでイタリア統一の三傑であるジュゼッペ・ガリバルディの伝記。

著者は社会党所属のフランス国会議員。

訳文は流暢で読みやすいが、500ページ超の分量はちょっとキツイ。

日本人著者が書いた新書版の伝記が欲しいところだが、無いから仕方ない。

ガリバルディはニース出身。

マッツィーニの青年イタリアに加わり、当局の取り締りを逃れて南アメリカに亡命。

当地でブラジルからの分離を目指す南部の共和国を支援したり、独立間もないウルグアイ軍に加わり、アルゼンチンの独裁者ロサスと戦ったりしている。

1848年革命にあわせてイタリアへ帰国。

1849年ローマ共和国防衛のため、フランス軍と戦うが敗北、再度アメリカ大陸へ亡命。

この後、急進的空論家の傾きのあるマッツィーニと距離を置きはじめ、共和主義の主張を棚上げしてピエモンテ・サルデーニャ王国のイタリア統一事業に協力する。

1859年イタリア統一戦争に参加。

60年中部イタリア併合の代償として故郷のニースがサヴォイアと共にフランスに割譲されることに憤慨しながら、カヴールの微温的な態度を横目に赤シャツ隊(千人隊)を率いてシチリア島上陸。

シチリアを制した後、半島南部に侵攻しナポリに入城、両シチリア王国を征服して、サルデーニャ王に献上する。

1861年イタリア王国が誕生し、教科書的にはここでガリバルディは御役御免ですが、本書では以後の生涯も詳しい。

61年以後も未統一地域征服のため義勇軍を組織し、ローマ教皇領に二度侵攻を企て、オーストリア領チロル奪還のためにも戦っている。

66年のオーストリアへの攻撃は失敗し、成果なく撤退。

62年ローマ侵攻の一度目は教皇領に入る前にフランスとの全面戦争を恐れるイタリア政府軍に鎮圧されガリバルディも負傷、その後仏伊間の協定で教皇領から仏軍は撤退するが、67年二度目の侵攻の際ガリバルディの義勇軍は急派された仏軍に惨敗。(70年普仏戦争時、撤退したフランス軍はこの時派遣されていたものらしい。)

なお、教科書では教皇領の併合は70年となっているが、歴史地図をみると教皇領のうちアドリア海に面した北側三分の二くらいは60年併合というような表示になっている。

それについては本書でも説明が無いのでよくわからない。

その他、イタリア統一と同年勃発したアメリカ南北戦争で北軍への参加を仄めかしたり、普仏戦争ではフランス側に義勇軍として実際に従軍したりと派手な行動は生涯変わらず。

そうした直情的行動家の一面がある一方、妥協と漸進主義の実際家としての性格も強かった。

シチリア・ナポリ征服の際、共和国を宣言するようにとのマッツィーニ派の働きかけを無視し、民族統一を最重視して同地をサルデーニャ王に献上。

民族の独立と統一のためには武器を取ることをためらわなかったが、国内の階級闘争を暴力で解決することには反対し、シチリア遠征の際、地方役人を虐殺した反乱農民を絞首刑に処している。

筋金入りの共和主義者として王政への強い反感を持ち、カヴールをはじめとするその下僚に辛らつな非難を浴びせたが、イタリア統一の象徴たるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世王個人への攻撃は避けた。

最晩年には社会主義への共感を持つが、プロレタリア独裁などの概念は否定する。

19世紀ヨーロッパで自由主義進歩派の偶像といえるほどの人気を博したガリバルディだが、こうした民族問題最重視と階級闘争軽視の姿勢に対してブランキやマルクス、エンゲルスは批判の言葉を残している。

以上のような面をもって、ガリバルディの「限界」とみるか、それとも革命家にしては分別があるとみるかは人によって意見が分かれるでしょう。

通読にやや骨が折れるが、その分内容は豊富。

なかなか良好な出来と言っていいんじゃないでしょうか。

類書としては、ロザリオ・ロメーオ『カヴールとその時代』(白水社)がありますが、とんでもない値段と分厚さなので、私には到底通読できません。

森田鉄郎『イタリア民族革命の使徒マッツィーニ』(清水書院)は手軽な新書版ですが、立ち読みしたところ、評価がやや教条的かなと感じたので未だ読んでおりません。

他に何か適当な本がありましたら、ご教示下さい。

| | コメント (0)

高山博 『中世シチリア王国』 (講談社現代新書)

ノルマンディー、ノヴゴロド、イングランドとともに第二次民族大移動の中でノルマン人が勢力を得た地域である南イタリア・シチリア王国を扱った本。

この両シチリア王国はラテン・カトリック、ビザンツ・東方正教、アラブ・イスラムの三文明が混交した特異な地域であるとともに、中世においては異例なほど官僚制が整備され中央集権化が進んでいた国として一般には著名なようだ。

ノルマンディー出身のオートヴィル家が本書の主役であり、まず稀代の奸雄ロベルトゥス・グイスカルドゥス(ロベール・ギスカール)が南イタリアに強大な基盤を築く。

叙任権闘争の最中の教皇グレゴリウス7世と提携し巧みな交渉によって自らの勢力を認めさせたあと、ビザンツ帝国征服をも企み、バルカン西部の帝国領を荒らしまわる。

その子のボヘモンドゥス(ボヘモン)はゴドフロワ・ド・ブイヨン、トゥールーズ伯レーモンと並んで第一回十字軍の主要参加者で初代アンティオキア公となる。

(ギスカール、ボヘモン父子についてはギボン『ローマ帝国衰亡史』9巻に詳しい記述あり。)

ギスカール死後、ボヘモンと異母兄弟の相続争いなどがあり、ノルマン人勢力の指導権はギスカールの弟ロゲリウス(ルッジェーロ)1世に移る。

彼は10世紀以後ビザンツからイスラム支配下になっていたシチリア島を内紛を利用して奪取し、首都パレルモを中心とした豊かで強力な領地となすことに成功。

後を継いだ子のルッジェーロ2世は半島部の領域も併せ、王号を手に入れ初代シチリア国王に即位するとともに北アフリカにまで遠征を行い、トリポリ・チュニスなどを奪取し、広大な領域を治める君主として地中海に君臨する。

ルッジェーロ2世の子ウィレルムス(グリエルモ)1世、孫のウィレルムス2世の治世は続発する反乱に悩まされながらも王国の統一を保持し、独特の文化と広範な貿易で繁栄を維持する(ただし北アフリカの領土はムワッヒド朝に奪われる)。

だがウィレルムス2世死後継承争いが起こり、結局ウィレルムス1世の妹で2世にとって叔母にあたるコンスタンティアが神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世(フリードリヒ1世バルバロッサの子)と結婚していた縁で、シチリアはドイツ・シュタウフェン家の統治下に入ることとなる。

ハインリヒとコンスタンティアの息子である皇帝フリードリヒ2世の治世で本書は幕を閉じる。

紙数の都合もあっただろうが、できればフリードリヒ死後のシュタウフェン朝断絶、フランス・アンジュー家およびスペイン・アラゴン家の統治にまで筆を進めてもらいたかった。

それが残念ではあるが、新書版の啓蒙書としてはかなり良い部類に入ると思う。

教科書でごく簡略に触れられているだけの史実の細部が興味深く記され、断片的な知識が組み合わさって一つの物語が成り立っていく過程の快感が味わえる。

私にとってはそれが歴史を学ぶ醍醐味である。

本書はものすごく面白いわけではないが、以上の楽しみを平均以上で与えてくれる良書と言えます。

| | コメント (0)

ジェンティーレ 『イタリア現代史』 (世界思想社)

第二次世界大戦後のイタリア政治史。

それ自体類書が少なく貴重だが、本書は保守的イタリア人著者が、小党分立による政治の不安定となし崩しの左傾化を慨嘆するという視点がユニークなので買った。

何とか読み通しましたが、基礎知識の無い人間には相当苦しい。

やはりこういうマイナーなテーマでは、日本人著者が噛み砕いてわかりやすく書いた入門書が欲しいですね。

| | コメント (0)