カテゴリー「読書論」の7件の記事

引用文(豊﨑由美1)

豊﨑由美『ニッポンの書評』(光文社新書)より。

粗筋や登場人物の名前を平気で間違える。自分が理解できていないだけなのに、「難しい」とか「つまらない」と断じる。文章自体がめちゃくちゃ。論理性のかけらもない。取り上げた本に対する愛情もリスペクト精神もない。自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本のほうが悪い」と胸を張る。自分の頭と感性が鈍いだけなのに。そういう劣悪な書評ブロガーの文章が、ネット上には多々存在する。それが、わたしのざっと読んでみての感想です。

不思議でならないのですが、匿名のブログやAmazonのカスタマーレビュー欄で、なぜ他人様が一生懸命書いた作品をけなす必要があるのでしょうか。卑怯ですよ。他人を批判する時は自分の本当の顔、どころか腹の中の中まで見せるべきでありましょう。都合が悪くなれば証拠を消すことのできる、匿名ブログという守られた場所から、世間に名前を出して商売をしている公人に対して放たれる批判は、単なる誹謗中傷です。批判でも批評でもありません(精読と正しい理解の上で書かれた批判は、この限りではありません。というのも、そういう誠実な批判の書き手の文章は、たとえ匿名であっても“届く”ものになっているからです。届く文章は、前段で挙げた劣悪な批判がまとう単なる悪口垂れ流しムードから逃れ批評として成立しうるものです)。

批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです。的外れなけなし書評を書けば、プロなら「読めないヤツ」という致命的な大恥をかきます。でも、匿名のブロガーは?言っておきますが、作家はそんな卑怯な“感想文”を今後の執筆活動や姿勢の参考になんて絶対にしませんよ。そういう人がやっていることは、だから単なる営業妨害です。

「まともなリテラシーを備えたブログ読者は低レベルの悪口書評なんか真に受けない」「コメント欄を設けているんだから、被害を受けた作家やその作品を擁護したい読者はそこで反論すればよい」という意見は一見もっともなようですが、「まともなリテラシーを備えないブログ読者も多々存在する」「なんで作者自身が、そんな程度の低いブログのとこまでいって、わざわざ反論なんていう面倒臭いことをしなきゃならないのか。そもそも、その書き手は当該作品を誤読、もしくは全然読めてないのだから、議論は不毛に終わるに決まっている」と答えておけば十分でしょう。

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これまでやってきたように、ネット上からいろんなタイプの評を拾い、引用しながらブログ書評について考えてみたいと思っていたのですが、それは編集部からストップがかかりました。素人の原稿を勝手に引用するのは問題があるのだそうです。ほら、守られてるじゃん。ブログで書評を書いている皆さん、あなたがたは守られてるんです。安全地帯にいるんですよ。そして、安全地帯に身をおきながらでは批評の弾が飛び交う戦争に参加することはできないのですよ。

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「何を書いてもオレの自由じゃん」

そのとおりです。けれど、自由の怖さや自由が内包する不自由さを自覚しない人間は、ただの愚か者とわたしは思います。

この前の、『ローマ人の物語』最終巻の記事でちょっと言い過ぎたかなと思いまして、主に小説を念頭に置いたものですがこの文章を引用しました。

自分のことを振り返ると忸怩たるものがあります。

ここ2、3年では、「酷評」に近い内容の記事でも、「こちらの感覚の方がおかしいのかもしれない」ということを少しは滲ませた書き方をしているつもりなんですが・・・・・(例えばこの記事とか)。

いずれにせよ、十分自戒したいと思います。

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引用文(鹿島茂1)

鹿島茂『成功する読書日記』(文芸春秋)より。

『怪帝ナポレオン3世』の著者。)

・・・・・最初のうちは、最小限の情報を書きとめるに留めたほうがよいのです。読書日記だったら著者と題名、これだけでいいのです。

この段階で批評や感想を書くよりも、むしろ、読んだ文章を引用することをお勧めしたいと思います。

その昔フランス滞在中に一人のフランス人学生と知りあって、その学生のアパルトマンに遊びに行ったことがあります。すると驚いたことにアパルトマンには蔵書というものがほとんどないのです。・・・・・なんで本が一冊もないんだと尋ねると、その学生は、自分は貧しい家庭に育ったので、リセにいたときから、本は図書館で借りて読むようにしていた。そのときの癖で本を読んだら気になる箇所をノートに引用する習慣がついた。おかげで一発でバカロレアにも合格できたし、エコールノルマルというグランド・セゴールにも入学できた。僕の蔵書は、リセの図書館や国立図書館で写したノート数十冊分の引用、これだけだと胸を張って語っていました。

引用のためのアドバイスをしておけば、気になった箇所のページは読みながら、端を折っておくといいと思います。貴重な本や図書館で借りた本であれば、付箋を貼っておくといいでしょう。

考え得る究極の方法は、自分では一切本を持たず、図書館の本を徹底利用するということになってきます。つまり私が読書日記のところで例として出したフランスの学生のように、図書館で借りた本から必要な部分はすべて引用しておき、読書ノートを書庫のかわりとするのです。

膨大な蔵書を誇る図書館が書庫の代わりになりますから、お金はかからないわ、スペースはいらないわ、でこんなにいいことはありません。

数年前、これを読んだとき、「こんなことはとてもできない、自分には全然向いていない、やはり本気で精読するつもりの本は買って手元に置いておかないとダメだ、ノートを取るより本に直接線を引いたり書き込んだ方がずっと効率がいい」と考えていました。

しかし最近このブログをノート替わりに使って上記のやり方にかなり近い読書法になってしまっている。

読みたい本を全部買ってたら、さすがに金も続かないし、狭い部屋では置き場所もすぐ限界が来る。

たまたま買って所有している本でも、貧乏性のため、なかなか気軽に赤ボールペンで線を引くという気持ちになれない。

ただし、「どうしても」という本はこれからも買うつもりですし、再読する際に線を引くものもあるでしょうから、結局折衷的やり方になりそうです。

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津野田興一 『世界史読書案内』 (岩波ジュニア新書)

このブログでは、ど真ん中ストレートで対象になる本。

著者は都立高校で世界史を教えていらっしゃる先生だそうです。

ジュニア新書ということで、主として高校生向けに合計92冊の本を紹介している。

最初と最後に、「はじめに」と「終章 歴史の中で生きてゆく」で概括的に各2冊の本を挙げて、それ以外は四部に分かれた構成。

「第1章 国民国家が生れて、広がる」で近代史14冊。

「第2章 二〇世紀という時代」で現代史25冊。

「第3章 世界各地の「個性」がつくられた!」で前近代の各地域の歴史33冊。

「第4章 世界がひとつにつながった!」で近世以降の世界の一体化に関係する16冊。

巻頭の全リストを見ると、宮崎市定先生の『科挙』『大唐帝国』などを始めとして、このブログで紹介した本ともかなり重なっている(数えたら26冊にもなった)。

やはり基本、高校レベルの本しか読んでないのかと、我ながら苦笑。

本文を読むと、簡潔平易な説明ながら、どれも面白く、読む気を起こさせて、考えさせる文章が多い。

当ブログのように興醒めなネタバレも無い。

本の選択もざっと見たところ何と言うか、センスがいい(偉そうな言い方で恐縮です。ただし私が読んでる本が多いからという自画自賛的理由ではございません)。

通常の歴史書だけでなく、小説(歴史小説に限らず)・雑学的解説書・ブックレット・古典的著作など様々な種類の本が採り上げられていて、一部には漫画もある。

これも退屈さを避けるという意味で、全然悪い印象は受けない。

ブックガイドとして社会人にも向いている。

これを目安に一部を取捨選択した上で、2、3年かけて全巻読破を目指してもよい。

類書で『世界史のための文献案内』もあるが、あまりにも膨大な数の本が挙げられていて、初心者はそれに気圧されてやる気が削がれる恐れがある。

この種の読書案内では、思い切って数を絞って「最低限これだけ読めば大丈夫」というリストを提出してくれた方が、初心者にとっては有益。

例を挙げると、この記事で触れた中嶋嶺雄『国際関係論』(中公新書)巻末の文献案内は必読書30点を明示してくれているのが何よりの長所となっている。

このブログも採り上げた本の数はそこそこ増えているが、それで反って利用しづらくなっているのかもしれない。

全記事から抽出した30~50冊くらいのリストを提示した記事が必要なのかなと考える今日この頃です。

本書は非常に良い。

借りてもいいが、買う価値も十分あります。

手元に置いて暇な時に眺めて、気になるものは一つ一つ読破していきましょう。

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ショーペンハウエル 『読書について』 (岩波文庫)

確か大学時代に読んだはず。

だが、細かな内容はほとんど記憶に無い。

わりと面白かったという印象が残るのみ。

他に書くことも無いのですが、ゴーロ・マン『近代ドイツ史』(みすず書房)で大きな特色を成している思想家に関する章のうち、読んでいて個人的に一番好感が持てたのが、ハイネでもマルクスでもニーチェでもなく、ショーペンハウエルだった。

主著である『意志と表象としての世界』などは、私の頭ではチンプンカンプンで絶対読めないので、この人の政治論をまとめた訳書がどこかから出てくれないかと思う。

白水社から出ていた全集では13巻に収録されている「法学と政治によせて」がその種の文章でしょうか。

今度図書館で借りてみようかと思います。

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関連文献:読書論

今、手元にある主な読書術の本というと以下の通りです。

(1)小谷野敦 『バカのための読書術』 (ちくま新書)

(2)呉智英 『読書家の新技術』 (朝日文庫)

(3)清水幾太郎 『本はどう読むか』 (講談社現代新書)

(4)渡部昇一 『知的生活の方法』 (講談社現代新書)

(5)立花隆 『ぼくはこんな本を読んできた』 (文春文庫)

(6)山内昌之 『「反」読書法』 (講談社現代新書)

(7)斎藤孝 『読書力』 (岩波新書)

(8)勢子浩爾 『自分をつくるための読書術』 (ちくま新書)

(9)福田和也 『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』 (PHP研究所)

読書法として、「本を買うか、借りるか」「読書ノートを取るか、本に書き込みするか」で別れますが、まず読む本について図書館で借りるものを主にすべきと書いてるのは呉氏の2だけで、あと8が一回しか読まない本は借りろと書いてるのを別にすれば、その他の著者は皆できるだけ本は買うべきだと言ってます。

読書ノートについても、2が積極的に書くべき(ただし本の細かな要約的なものでなく自分なりのポイントを明示したもの)としていて、その点3も同様の主観主義的なノートを取ることを勧めてます。9も最終的には何かメモして残しておくべきと書いてます。あとはどんどん本に線を引いたり書き込んだり付箋紙を貼れという人が多いようです。

私の場合、やはり読む本は買ってしまいます。図書館でも借りますが、その時点で通読するためというより、買って読むべき本か判断するための下調べの目的で予約することがほとんどです。

読書ノートについては、今までつける習慣が全くありませんでした。一度書こうと思ったこともあったのですが、全然長続きしませんでした。しかも貧乏性で本に傍線を引っぱったりするのにも抵抗があり、読んでも何もしないというのが常態でした。

しかし生来の物覚えの悪さから、読んだ本の内容を片っ端から忘れるといった次第で、さすがに悔しさが否めず、何とかしようと考え、9で紹介されていた方法ですが、これはと思った記述のあるページの角を折っておくということだけはここ数年するようになりました。これは一番気軽にできることなのでお勧めします。

それ以上のことは今でも滅多にしないのですが、このブログでタイトルと大体の感想以外に、少々細かな内容を記している記事がありますが、それが実質読書ノート替わりになってます。

時には「ネタバレ」に近い記述もあるかと思いますが、個人的には読んだ本のポイントの記憶を鮮明にするのに極めて便利な手段ですので、何卒ご容赦ください。

なお「読書論」カテゴリに吉田寅他・編『世界史のための文献案内』(山川出版社)を入れてますが、類似の本として高島俊男『独断 中国関係名著案内』(東方書店)と、花井等編 『名著に学ぶ国際関係論』(有斐閣)、猪口孝 『社会科学入門』(中公新書)、中嶋嶺雄『国際関係論』(中公新書)を挙げておきます。

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吉田寅 他・編 『世界史のための文献案内』 (山川出版社)

図書館で偶然見つけて借りたのだが、これは非常に有益である。

世界史の各分野ごとに相当数の日本語文献が挙げられており、一部に簡略なコメントが付されている。

やる気の出ないときパラパラと眺めてると、読書意欲を刺激されて良い。

さほど高くもないし、手元に置いておくと便利。

ただし「この本あったら、あの変なブログなんて見る必要ないな」とか身も蓋も無いことは言わないでください。

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小谷野敦 『バカのための読書術』 (ちくま新書)

今日はちょっと変則。

タイトルの「バカ」とは「哲学とか数学とか、抽象的なことが苦手」な人を指す。

そういう「いちおう学校を終えてしまって、しかしただのベストセラー小説を読んで生きるような人生に不満で、けれど難解な哲学書を読んでもわからない、というような人たち」に、歴史を中心とした読書を勧めている。

これまで読んだ10冊ほどの読書論の中で、一番しっくりくる本だった。

その後、小谷野氏の本はあまり買わなくなったのだが、本書は今も座右に置いて、よくパラパラ眺めている。

本書の歴史の学び方を扱った章の末尾に、歴史小説を中心に30冊ほどの本を掲げた、「難解でない日本史入門ブックガイド」が載っているのだが、世界史のそれは無い。

それなら僭越ながら自分で作ってみよう、というのが当ブログを始めた動機の一つ。

面白く読める、高校レベルからの啓蒙書を集めた世界史ブックガイドを目指しておりますので、宜しければ今後もご覧下さい。

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