カテゴリー「近代日本」の66件の記事

猪木正道 『軍国日本の興亡 日清戦争から日中戦争へ』 (中公新書)

著者の猪木氏は、大学時代から熟読していた高坂正堯氏の師として名前を知っており、文春大世界史講談社旧版世界史全集の戦後国際政治史の巻や、著作集を買って通読していた。

1914年生まれで未だご存命のはず。

著作集の近代日本政治史の部分は凡庸な教科書的通史ではなく、為政者の決断のポイントを明示し、それに対する明解な評価を下していく躍動感のある叙述で、強い印象を受けてはいたが、終戦後50周年に当たる1995年に出た本書は手に取ることがなかった。

その時期は、自分の考えが猪木氏の著作集を読んだ頃より相当「右傾化」していると自覚していたので、読んでも不快になるだけだろうと思ったので読まなかった。

それをなぜ今ごろ読む気になったのかというと、自分の考えがやや変わったというのもあるが、直接的には以下のブログの記事を読んだため。

先哲有言  猪木正道『軍国日本の興亡』中公新書、1995年

(↑こちらは、うちとは比べものにならない程、知的で高級なブログですが、残念ながら現在更新停止状態。)

近代日本の政治・外交史をざっと概観する本で、叙述範囲は、サブタイトル通り、主に日清戦争から始まり、最後は1945年の終戦までではなく日中戦争の勃発と泥沼化まで。

漫然と史実を並べただけの本ではなく、教科書では出てこない固有名詞や事実をピックアップして説明したり、著者独自の見解を交えながら話を進めていくので、飽きさせず記憶しやすい。

第一次世界大戦後の戦争観と国際世論の変化を重視し、自ら調印した九ヵ国条約とパリ不戦条約を破った日本の軍事行動とそれ以前の植民地大国の行為を区別し、前者を批判し自省する立場の本。

こうした価値観には、(現在では特に)大いに異論はあるでしょうが(私もあります)、これはこれで一つの見識であろうとも思います。

林健太郎氏も同じような立場でしたね。)

私自身、通読したところ、思った以上に反発を感じることが少なかった。

というより、そうした点がほとんど無かったことに我ながら驚いた。

「嘘つけ!!このチンケなネット右翼が!!!」と思われるかもしれませんが、本当です。

結局自分は「自虐史観」よりも民主主義の方が嫌いなんだなと、ここ数年つくづく思い知らされたので。

「右の左翼」とでもいうべき無思慮な過激派が世論の多数の支持を受け、下克上で国家を乗っ取り、帝国を破滅させた歴史を読んでいくと、先の大戦への評価はどうあれ、右とか左とか関係無しに反省すべきではないかと思えてくる。

最後の方がやや駆け足になるのが残念だが、悪い本ではない。

初心者は(自分含む)本書の見方にあれこれ反発する前に、事実関係の記述を学んで、昭和に入ってからの内閣順と在任年度とその時起こった主要事件くらいは頭に入れるべき。

ごく初歩的な段階での基本テキストとして十分推奨できます。

(ついでですが・・・・・。上記ブログで以下のように書かれてます。

余談だが、先日の「朝生」では、司会者から左の席の姜尚中氏や辻元清美氏が相手の意見を聞きつつも説得にまわる大人の対応する「体制側」に見え、右の席の西尾幹二氏が相手の意見を聞き入れず言いたいことだけを言う体制に反逆する革命家のようだった。

辻元氏は知りませんが、姜氏については『日本 根拠地からの問い』(毎日新聞社)や『憲法ってこういうものだったのか』(ユビキタスタジオ)などの対談集を斜め読みした限りでは、ブログ執筆者様と同じ感想を持ちました。)

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高橋正衛 『昭和の軍閥』 (講談社学術文庫)

前回記事の『二・二六事件』と同じ著者。

これも元は1969年中公新書から出ているが、その後品切れ、2003年講談社で文庫化。

上記『二・二六事件』はあまり良いとは思えなかったが、ついでなのでこれも読んでみた。

自分としては昭和陸軍の派閥抗争についての基礎的粗筋を平易に説いてくれる本を期待して手に取ったのですが、どうも様子が違う。

レベルは思ったより高く、序を含む全8章のうち、最初の四つは軍隊の基礎事項、政軍関係、軍閥の起源、時代背景、隊付将校の実態などが、多くの史料の引用と共に述べられている。

第4章が、1931年の三月事件・十月事件、32年の血盟団事件、五・一五事件の描写。

第5章がやっとタイトル通りの軍閥抗争の系譜で、1931年12月犬養内閣成立と荒木貞夫陸相就任、それによる宇垣(一成)時代終焉以後の皇道派と統制派(著者はこの呼称は必ずしも適切でないとしている)の対立に関する叙述。

6、7章が二・二六事件以後の粛軍と軍の政治介入の完成を述べておしまい。

一点だけ、全般的な感想を言うと、当時の青年将校と民間右翼の革新思想の過激さに驚かされる。

「一君万民」の考えを除けば、ほとんど急進左翼と変わりない。

これを描写する著者の筆致は、初版の刊行年度を考えると、戦前の右翼を全共闘など当時の左翼運動になぞらえる皮肉だったのかなという気が少ししました。

これもあんまりいいとは思えない。

取り上げられている人名や事項が詳しすぎて、白紙状態の初心者が読むのは相当苦しい。

事前にある程度基礎知識を持っていないと、良さが全然わからない。

特にお勧めしたい本でもなかったです。

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高橋正衛 『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動 増補改版』 (中公新書)

数ヶ月前、中公新書が2000点を突破した記念に、『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』という無料小冊子が出されました。

そこで識者へのアンケートとして、中公新書の中から推薦するものを一人三冊まで選ぶというコーナーがあり、本書が一、二を争うほどの票数を得ていた。

保阪正康、松本健一、半藤一利の各氏が名を挙げているので、これは一度読んでみようと思いました。

初版は相当古く1965年、94年に増補改版。

著者はみすず書房の編集者で、現代史史料関係の刊行に長年携わった人のようです。

1章から3章までが事件の経過と当時の報道、4章が事件前のクーデタ計画・暗殺行為の概説、5章が陸軍内の皇道派と統制派双方の思想的背景、6章が天皇機関説と青年将校の思想との関係、7章が軍法会議、8章が処刑の描写という構成。

この事件についての教科書的知識だけ確認すると、勃発したのが1936年、満州事変の五年後、五・一五事件の四年後、日中戦争の一年前。

陸軍の青年将校に率いられた部隊が首相官邸などを襲撃、首相の岡田啓介は難を免れたものの、斉藤実内大臣(内務大臣に非ず・前首相)、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監(教育総監は陸相・参謀総長と並ぶ陸軍三長官)が死亡、鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)は重傷を負う。

事件を受けての対応において、反乱軍への同調派が真崎甚三郎、荒木貞夫両陸軍大将、断乎鎮圧派が陸軍参謀本部の杉山元参謀次長(当時の参謀総長は皇族の閑院宮載仁元帥で病気療養中だったため、実質総長)、石原莞爾作戦部長、および海軍(岡田・斉藤・鈴木の三人とも海軍大将)、この両者の中間派で揺れ動いたのが川島義之陸相。

結局反乱は鎮圧され、皇道派人脈は一掃、事件後成立した広田内閣で軍部大臣現役武官制が復活し、以後統制派陸軍軍人による国政の壟断が甚だしくなる。

本書の評価を率直に言うと、あんまりいいとは思いません。

事件自体の描写はそれほどわかりやすくなく、全くの初心者向きだとは思えない。

5章の皇道派と統制派(この両派の名称は本書ではほとんど使用されないが)の解説はまあまあ面白く、ここが本書の一番有益な部分か。

事件がその後の政治に及ぼした影響を詳細に書いて欲しかったのだが、そうした叙述はほとんどない。

初心者がこれだけ読んで、何から何まで理解するのは難しい。

一通りのことは頭に入るが、期待したほどでもなかったなあというのが正直なところ。

読んで損したとは思いませんでしたが。

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井上寿一 『吉田茂と昭和史』 (講談社現代新書)

今年の6月刊。

『昭和史の逆説』(新潮新書)と同じ著者。

上記本の読後感が大変良かったので、これも読む。

吉田茂の視点から見た日本現代史。

伝記とは言えず、第1章が1927年の奉天総領事時代からいきなり始まっている。

以後、最小限のポイントはきちんと突いた記述が進む。

外交面における<自立>と<協調>、経済面における<自由>と<統制>という二つを認識軸に吉田と他の政治家の立ち位置を評価する。

同時代人の日記などを引用して当時の世論の傾向を描写しているが、その中では山田風太郎の記している感想がなかなか面白かった。

内容はまあまあ。

高坂正堯氏の『宰相吉田茂』(中央公論社)よりは初心者にとって読みやすい。

入門書として読んでも無駄にはならないでしょう。

以下、終戦から55年体制成立までの内閣と保守政党に関する個人的メモ。

1945年 8月   東久邇宮稔彦王

      10月   幣原喜重郎

1946年 5月   吉田茂(自由党)第一次

1947年 5月   片山哲(社会党)

1948年 3月   芦田均(民主党)

      10月  吉田茂(民主自由党)第二次

1949年 2月   吉田茂(民主自由→自由党)第三次

1952年 10月  吉田茂(自由党)第四次

1953年 5月   吉田茂(同上)第五次

1954年 12月  鳩山一郎(民主党)

1955年 11月  自由民主党結成。

1951年9月のサンフランシスコ講和会議と日米安全保障条約調印がこの時期の最大の出来事で、その前後関係を常に意識。

同一人物が連続して在任している場合の「第何次」内閣というのは基本的に憶えないでいいと思うのですが、以上の吉田内閣については例外かとも思うので一応書き出しました。

戦前は、確かこの種のことは、1940年7月~41年7月の近衛文麿第二次内閣と続いて41年10月までの近衛第三次内閣しか無いはず(ちなみに次が東条内閣)。

(と思ったが、ひょっとして加藤高明内閣もそうか。与党が護憲三派から憲政会単独に変った時に第2次内閣と数えるのかな。)

自民党ができるまでの戦後保守政党の系譜もややこしい・・・・・・。

似たような名前が多すぎる。

旧政友会系が、45年11月日本自由党(鳩山・吉田)→48年3月民主自由党(吉田)→50年3月自由党(吉田)(→53年3月鳩山が離党、日本自由党結成。)

旧民政党系が、45年11月日本進歩党(町田忠治)→47年3月民主党(芦田均)→50年4月国民民主党→52年2月改進党(重光葵)→54年12月民主党(鳩山)。

55年11月に緒方竹虎の自由党と鳩山一郎の民主党が合同して自由民主党結成、初代総裁鳩山一郎。

   

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増田弘 『マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ』 (中公新書)

前回記事の『諸子百家』と同じく今年3月刊。

この人はザビエル、ペリーと同様、「日本史上の人物」になってしまっているので(前二者よりもはるかに不快な形でですが)、カテゴリはアメリカではなく近代日本にします。

それにしても長い・・・・・。

長過ぎる・・・・・。

私の知る限り、中公新書で一番分厚い本(本文460ページ超!)。

薄い新書版2冊分のボリュームがある。

生涯の全時期を万遍なく叙述するというのではなく、生い立ちや軍歴初期の描写はごくあっさりしたものであり、末尾は朝鮮戦争中の解任で唐突に終わりとなっている。

本書の特徴はサブタイトルによく表れている。

フィリピン方面軍司令官から陸軍参謀総長を経て、35年独立準備のために発足したフィリピン連邦政府軍事顧問、日米開戦時には在フィリピン米極東陸軍司令官という経歴が示すように、マッカーサーとフィリピンとの深い関わりに着目するもの。

始めに、日本占領に先立つフィリピン統治を重視して考察するという著者の方針が書いてあるのですが、ところが読み進むとそうした記述は意外なほど少ない。

歴史解釈の提示に極めて乏しく、事実関係の叙述がひたすら続くのみ。

まず配下にいた側近たちのやたら詳しい肖像が述べられるのに参ってしまう。

以後、日本軍侵攻を受けたバターン半島・コレヒドール島への撤退、高速魚雷艇を用いたオーストラリアへの脱出、「飛び石戦略」による反攻とフィリピン奪還、日本の降伏に至る太平洋戦争の細かい戦史が続く。

肝心の日本占領についての記述もごく普通の通史的記述があるだけ(そこからごく薄く感じられる史的評価は比較的穏当でそれほど悪くないとは思うが)。

最初に著者自身が述べたコンセプトと、本文の記述形式が全然合ってないんじゃないでしょうか?

何とも不思議な読後感を持ってしまった。

文章は巧いと思うし、それゆえ量の割には短期間で読める。

また、事実関係については他の本で載っていないことを教えられる部分も多かったので、それなりに有益ではあるが、初心者が優先して読むような本ではない。

枝葉の部分を削ってコンパクトにまとめるべきところをそのまま推敲無しに未完成のまま出してしまった作品という失礼な印象を抱いてしまう。

強いてはお勧めしません。

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福永文夫 『大平正芳 「戦後保守」とは何か』 (中公新書)

去年の12月刊。

1972年佐藤栄作長期政権退陣から80年代半ばまでの内閣を順に並べると以下のようになる。

72年 田中角栄

74年 三木武夫

76年 福田赳夫

78年 大平正芳

80年 鈴木善幸

82年 中曽根康弘

87年 竹下登

30代前半以下の方は最初の方の首相は全く記憶に無いでしょうが、私は福田さんからはおぼろげながら覚えている年代。

小学生だったが、大平正芳首相については、「国会でアーウーという言葉を頻繁に挟みながら答弁する鈍重な感じのおじいさん」という世間のイメージが記憶にある。

70年代は2年ごとに政権交代が繰り返され、80年代中曽根政権が例外的な長期政権となる。

この中で、一般的にいって評価が高いのはやはり中曽根政権だと思うが(福田和也『総理の値打ち』のように違った観点の本も有り)、意外と大平政権の評価が高かったりする。

例えば、高坂正堯氏が大平氏について、「諸外国の指導者に不思議と信頼感がある」「この時期の首相で安全保障問題に真剣な関心を持っていたのは中曽根氏と大平氏だけだ」という意味のことをどこかで書いてらしたのを覚えている。

本書の159ページにある「自民党派閥の系譜」という図を見ながら書くと、大平の属した宏池会は、池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮沢喜一→加藤紘一・河野洋平→麻生太郎・古賀誠・谷垣禎一という流れになる。

この派はいわゆる「保守本流」で、「軽武装・経済立国」という「吉田ドクトリン」に忠実なグループ。

(麻生氏はちょっと違う気がするが。)

その点、同じ吉田派から出た、佐藤栄作→田中角栄→竹下登→橋本龍太郎→小渕恵三→津島雄二の流れも同じ。

それに対し、岸信介→福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博→森喜朗→町村信孝は改憲志向で復古ナショナリズム色が濃い。

他の派閥では、三木武夫→河本敏夫→高村正彦のラインが前者、河野一郎→中曽根康弘→渡辺美智雄→山崎拓・伊吹文明は後者に親和的という理解でいいのか。

以上のような自民党内の諸勢力の抗争の描写を交えながら記された伝記。

著者は戦後民主主義に融和的な柔軟な保守政治家としての大平を好意的に捉えているようだ。

割と良い。

戦後政治史としても使えるので悪くない。

ものすごく面白いとか、目から鱗が落ちたとか、そういう感じでもないですが。

一読すればそれなりに得るものはあるでしょう。

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井上寿一 『昭和史の逆説』 (新潮新書)

このレーベルはあまり読みたい本が無いんですが、これは例外的に気になっていたので読んでみました。

全7章で昭和改元から敗戦までの政治外交史を概観する本。

「山東出兵は国際協調が目的だった」、「松岡洋右は国際連盟脱退に反対していた」、「戦争を支持したのは労働者、農民、女性だった」というような意外性に満ちた章名。

といって、殊更奇を衒ったいい加減なものではなく、内容は非常にしっかりしている。

当時の政策担当者の視点に立って、情勢の把握と選択の幅を体感させてくれる記述。

連盟脱退や1930~37年の国内政治状況の説明は特にわかりやすく、目の冴えるような思いがした。

個人的な感想を述べると、戦前の歴史を反省する際、軍の暴走や国内のテロリズム、極端な国粋主義の蔓延などの事象の根底には常に、過激で偏狭で得体の知れない世論や大衆心理があったのだから、「民主主義と言論の自由が無かったから、ああなったんだ」という形でまとめるのは、やはり根本的に間違ってるんじゃないかと思いました。

大正デモクラシーが無ければ、昭和の軍国主義も無かったはずだというのは言い過ぎでしょうか。

世論の主流が唱えるお題目が、戦前は右寄りで、戦後はずっと左寄りで、ここ最近はまた右寄りになってきても、その底にある群集心理こそが一番危険なものだということに変わりはないのでは・・・・・(私など間違いなくその種の群集の一員ですが)。

だから「左の大衆運動は間違いだったが、右の大衆運動は正しい」とは全く思わない(もちろんその逆も同じ)。

100%そう信じ込んでる威勢のいい人たちを見ると、バークこの引用文を思い出す。

閑話休題。

各章が時代順に整然と配列されており、章の始めに該当範囲内数年ごとの簡易年表が挿入されているのも親切。

張作霖爆殺事件など、抜け落ちている史実もあるが、200ページほどのボリュームに過ぎない新書版としては、驚くほど網羅性が高い。

これは素晴らしい。

対象となる読者層は幅広く、文章は平易で読みやすいが、得られる効用は極めて大きい。

新潮新書は安直な作りの本が多いなという印象を持っていましたが、本書に関してだけは当てはまりません。

買いましょう。

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臼井勝美 『新版 日中戦争 和平か戦線拡大か』 (中公新書)

日中戦争について、出来るだけ感情を交えず冷静に史実を描写した本がないかなと探していたところ、灯台下暗しで中公新書にこういう本があった。

1967年刊行の旧版を改訂して2000年に出されたもの。

三部構成で、第一期は1933年塘沽(タンクー)停戦協定による満州事変の一応の終結から37年まで。

第二期は37年7月盧溝橋事件と日中開戦から41年まで。

第三期は41年12月日米戦争勃発から45年日本の敗戦まで。

以上、ごく常識的な区分に沿って細かく説明されている。

第一期では、満州事変以来の日中対立が一時緩和し、両国関係の改善が見込まれたにも関わらず、35年5月頃から始まった日本陸軍の華北自治工作とそれを黙認する高圧的な日本外交によって日中関係が急激に悪化していく様が叙述される。

『広田弘毅』(中公新書)での評価と同じく、本書でもこの時期長く外相を務めた広田と外務次官の重光葵に対する評価は相当厳しい。

私も本書を読んで重光へかなり悪い感情を持つようになってしまった。

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)では、そんな感じを受けた記憶が全然無いんですが・・・・・。実際その本では重光をマイナスには評価していないのか、私が読みこなせてないのか、単に内容を忘れているだけなのか、わかりません。)

それに対して南京中央政府の実力を認め、中国の統一を阻害せず、満州国の存続という日本にとっての絶対条件のみを固守した上で、蒋介石政権との対話を主張した有吉明駐中国公使、佐藤尚武外相(1937年2月~6月林銑十郎内閣)を著者は高く評価しているようである。

第二期、37年6月近衛文麿内閣成立、7月7日盧溝橋事件勃発、冀察政務委員会委員長宋哲元との交渉で一時現地停戦協定が結ばれるが、日中両軍の衝突は収まらず、8月始め北平(北京)・天津地方を日本軍が制圧、8月半ば第二次上海事変。

長期戦の惧れを考慮しない「対中一撃論」と華北の勢力圏化に拘る姿勢で初期の和平工作は失敗を重ね、戦火は拡大の一途を辿る。

11月杭州・上海方面の中国軍が総退却、12月には南京陥落。

(気になる方がいるかもしれませんので、一応書いておきますが南京事件の記述はごく常識的なもので、左右の極論に流されていません。)

38年1月山東省占領、5月華北と華中の間の要衝である徐州も占領するが、中国軍大部隊を捕捉・殲滅することはできず。

同じ5月に近衛内閣改造、和平推進派の宇垣一成が外相となるが、関東軍から転身してきた、蒋介石と国民党への不信と軽侮に凝り固まっている板垣征四郎と東条英機がそれぞれ陸相と次官になったことによる悪影響に著者は言及している。

10月の武漢および広東の占領で日本の軍事進出はとりあえずの頂点に達するが、事態は完全に泥沼化し、収拾の目途が一切立たなくなる。

以後、中国を屈服させることもできず、それを背後で支える米英の仲介を経て和平に至ろうとするが、その交渉が失敗すると、フランス降伏という好機に乗じて、対独接近による威嚇に走るが、かえってそれに足を取られて米英との決定的対立に直面してしまう。

この辺の極東情勢と欧州情勢がリンクする経緯は他の多くの本でも載ってますが、本書でも熟読して頭に入れましょう。

また近衛以後、平沼・阿部・米内の中間的性格の内閣、第二次・第三次近衛および東条内閣の成立年度や主要史実も憶えた方がいいです。

第三期は端折りますが、ビルマ・ルートをめぐる戦いや1944年の一号作戦(大陸打通作戦)などの描写が興味深い。

基礎に忠実かつ地道な記述でなかなか良い。

高すぎず、低すぎもしない、この程度のレベルなら、多くの人にとって裨益するところが大きいでしょう。

初心者は、自分の考えと違うところがあっても、事実関係の基礎を身に付けるため素直に本書に就いて学ぶべき。

それだけのしっかりした内容を持っています。

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福田和也 『山下奉文 昭和の悲劇』 (文春文庫)

マレー・シンガポール攻略で有名な軍人の伝記。

その存在は知っていましたが、恥ずかしながら下の名前の読み方がずっとわかりませんでした(「ともゆき」と読みます)。

かなり短いので、生涯の全時期を詳細に語るというものではなく、焦点を絞った記述。

まあまあ面白いが、同じ著者の『地ひらく』(石原莞爾の伝記)や『乃木希典』に比べると、強い印象に乏しい。

前者の重厚な叙述は日中両国の現代史を知る上で有益だし、後者の人物造形には大いに感銘を受けるが、本書についてはあまりすっきりとした読後感が浮かばなかった。

皇道派人脈との関わりや戦前の軍歴についてもっと詳細に論じてくれればよかったと思った。

先の大戦のに関する著者の多面的見解は興味を持って読んだが、本書だけでしか読めないというものでもない。

福田氏の熱心な読者でなければ、強いて読む必要は無いかもしれません。

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田嶋信雄 『ナチズム極東戦略』 (講談社選書メチエ)

何やらおどろおどろしいタイトルだが、1936年前後数年にわたって防共協定締結をめぐる日独関係を描写した本。

著者は本書をあくまでドイツ政治史の本としているが、カテゴリとしては「ドイツ」よりやはり「近代日本」が適当な気がしますので、そうします。

1933年のヒトラー政権成立から38年くらいまで、ドイツ外務省と国防省はいまだ完全には「ナチ化」されず、外相ノイラート、国防相ブロムベルクの下、様々な政治集団が独自の行動を取っていた。

1935年、ベルリン駐在陸軍武官大島浩、外交顧問リッベントロップ、国防省防諜部長カナーリスが軍事協定を含む日独提携を積極的に進めるが、対日・対中関係のバランスを重視するノイラート、ブロムベルクの主流派は消極的姿勢に終始する。

しかし、36年に入り、国防省前軍務局長ライヘナウの訪中などで、ドイツ政府内の「中国派」の活動が活発化すると、逆に対日関係悪化を懸念して、反コミンテルンのイデオロギー面と情報工作面に限定した日独協定を是認する勢力が多数派となり、年末の防共協定締結に至る。

144ページから148ページにかけてこの概略がまとめて記述されているので、確認すると良いでしょう。

その他、リッベントロップとナチ党イデオローグのローゼンベルクの間の外交権限争いや、防共協定を軍事協定まで格上げしようとする動きなどが述べられている。

かなり面白いです。

冒頭の大島、カナーリス、有名なスパイのリヒャルト・ゾルゲが登場する書き出しも興味深い。

整然とした叙述で、論旨をしっかりつかむことができる。

ごく基礎的なことが頭に入ったら、手にとってみるのもよいでしょう。

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坂本多加雄 秦郁彦 半藤一利 保阪正康 『昭和史の論点』 (文春新書)

同じ文春新書の『二十世紀日本の戦争』の記事で名前だけ出した本。

一般的な通史や伝記作品を地道に読んで知識を少しずつ増やしていくのはもちろん大切だが、たまにこういう識者の座談会みたいなものを読むのも非常に有益。

史実の整理の仕方や、価値判断の基準を提供してくれるため。

この本は2000年刊と比較的古いが、ここ数年、月刊『文芸春秋』に時々載ってる戦争関連の座談会がいくつか文春新書で刊行されているので、それを読んでみるのも良いでしょう。

ただ、それだけ読んでわかったつもりになるのではなく、自分で史書を読んで基礎知識をしっかり固めることも大事だと思います(自戒を込めて)。

秦  のちに皇道派といわれる軍人たちは天皇絶対を強調しますが、その皇道派の柳川平助が第一師団長のとき、内務省の役人だった増田甲子七に、「いまの天皇はどうもよくないから秩父宮に代えたほうがいいんじゃないのか」といって、増田から「お前は国賊だ、不忠の臣だ」と怒られるんですが、柳川はケロッとしていたそうです。軍人よりはむしろ文官官僚のほうが天皇に対する忠誠心が強いんですよ。

  ・・・・私は以前からハル・ノート受諾説なんです。なぜかというと、中国に関しては、泥沼化に手を焼いていて、1940(昭和十五)年には、自発的に撤兵しようという計画があったぐらいです。撤兵といっても、一気にすべての兵を引くだけではなく、五年かけて撤兵するとか、様子を見ながら引いたり戻したりするとか、いくらでもバリエーションがあったと思います。それから、三国同盟の解消が要求され、日本は同盟の信義は破れないといいますが、日本に断りもなしに独ソ戦なんかはじめたドイツのほうがよっぽど不義理をしています。むしろ、なんの利得もない同盟を断ち切るいい機会なんですよ。最大のポイントは中国からの撤兵ですが、アメリカに、「満州は入りますか?」と問い合わせればいい。そうすると、満州のことはぼつぼつ相談しましょうとか、そんな話になったと思いますよ。それで、しばらく様子を見ていると、アメリカは対独戦に突入しますから、日本は列国のなかで唯一フリーハンドを持った強い立場に立てたんです。

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服部龍二 『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』 (中公新書)

去年の6月に出た本。

1930年代に外相・首相を務め、戦後の東京裁判で文官として唯一死刑になった外交官の伝記。

本書では、東京裁判が正当だったのかどうか、死刑が適当だったのかという論争から一先ず距離を置いて、その政治的責任を冷静に論ずるという視点を取っている。

この人については、城山三郎『落日燃ゆ』(新潮文庫)という有名な歴史小説があり、平和を望みつつも軍部の圧力によって果たせず、戦犯裁判で不当にも絞首刑となりながら、一言も弁明せず従容として死に臨んだという、同情的なイメージが広く持たれていたそうです(私は未読なので何とも言えませんが)。

それに対して本書での評価はかなり厳しい。

年代順に見ていきましょう。

まず、1933年9月斉藤実内閣の内田康哉外相の後任として外相に就任。

この時期塘沽(タンクー)停戦協定で満州事変は一応終結し、日中関係は小康状態に入っていた。

蒋介石は対日融和策を取りつつ、共産党討伐に全力を挙げており、日本側でも協調外交の気運が一時優勢となる。

(この時期の日中関係については、松本重治『上海時代 』(中公文庫)、大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)が非常に優れたテキストになります。)

34年4月、いわゆる天羽声明が「アジア・モンロー主義」の表明だとして列強の猜疑を招き、広田外交の最初の躓きとなる。

(これについては重光葵が排他的革新派として背後にいたと批判的に記されている。)

同年7月成立の岡田啓介内閣でも外相に留任。

国民政府内の汪兆銘・黄郛(こうふ)・唐有壬などの親日派と協力し、「日中提携」路線を推進し、1935年には相互の公使を大使に格上げするなどの成果を上げる。

しかし35年には後に致命的結果を招く、日本陸軍の華北分離工作が始まり、6月梅津・何応欽協定と土肥原・秦徳純協定により中国軍が河北省・チャハル省から撤退。

広田はそれを強く抑えようとはせず、逆にこれを利用して「広田3原則」と呼ばれる外交方針を中国に提示。

1.排日言動取締りおよび欧米依存策からの脱却と対日親善策の採用

2.満州国の黙認と反満政策の停止、北支における経済的文化的融通提携

3.外蒙等よりの赤化脅威に対処するため外蒙接壌方面での諸般施設への協力

がその内容で中国側への一方的要求のみであり、この時期イギリスの支援で進められていた中国の幣制改革にも協力しなかった。

これで中国政府内の親日派はその基盤を失い、黄郛は引退、汪兆銘は狙撃され負傷、唐有壬は暗殺される。

11月の冀東防共自治政府成立など陸軍の分離工作の更なる進行にも、広田はさしたる抵抗をみせなかった。

1936年二・二六事件で岡田内閣が倒壊した後、広田に大命降下。

この広田内閣でまず重要視されるのが、組閣への陸軍の露骨な介入と軍部大臣現役武官制の復活。

軍部大臣現役武官制については、これを陸軍の政治介入の決定的要因と見做すべきではないという意見が筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)という本で展開されているらしく(例によって私は未読)、本書でもその意義を過大に評価すべきでないと書かれているが、教科書的な理解ではやはりこれが軍が政治を引きずり回す上で有効な手段となり大きな弊害を残したということになっています。

広田内閣時のもう一つの重大史実は36年11月の日独防共協定締結。

ナチス・ドイツへの接近という不吉な第一歩を踏み出したわけだが、広田は防共協定に中国の参加も想定し、それを通じて日中関係の改善を目論んでいたらしい。

しかし蒋介石は日本側の譲歩のない共同防共を拒否、12月には西安事件で自らが監禁され、これまでのような反共政策を続け得なくなってしまう。

ちなみに、何度も何度も同じことを書いて恐縮ですが、こういう現代史は年代を記憶することが絶対に必要です。

1935年=冀東防共自治政府、幣制改革、ドイツ再軍備宣言、英独海軍協定、エチオピア戦争、仏ソ相互援助条約、米国中立法、1936年=二・二六事件、西安事件、日独防共協定、ベルリン・ローマ枢軸、ラインラント進駐、ブルム人民戦線内閣、スペイン内戦、大粛清開始(ジノヴィエフ・カーメネフ裁判)と頭に浮かぶようにすべき。

なお1939~41年の三年間についてはかなりの程度、月も覚える必要がある。

初心者でも、というか初心者だからこそ、この手の作業を疎かにすべきではないと考えます。

閑話休題。

1937年1月広田内閣総辞職、陸軍穏健派の実力者宇垣一成に一旦大命は下るが、かつての「宇垣軍縮」の推進者に対する陸軍中堅層の反発で、上記の軍部大臣現役武官制が早速悪用され、組閣は流産。

いくつかの本を読んだ限りではこの宇垣という人を褒める記述が多く、もし半年後の盧溝橋事件の際、首相が宇垣だったら日本の運命は変わっていたかもしれないとも言われていた。

結局2月に陸軍出身の林銑十郎内閣が成立するが、5月末には総辞職。

37年6月第一次近衛文麿内閣成立、広田は外相復帰。

7月7日盧溝橋事件勃発。

当初近衛内閣は現地解決・不拡大方針を取ったものの、杉山元陸相が動員を主張すると、近衛・広田ともそれをあっさり認めてしまう。

それどころか近衛はメディアに華北への派兵を大々的に発表し、世論を煽ることすら行なった。

近衛には、陸軍の独走に先手を打って、政治が主導権を保持できるようにとの意図があったが、これは結果的に事変の収拾を不可能にし、破滅的な事態を招くことになった。

7月20日の閣議で内地三個師団の派兵が決定。

これがいくつかある「昭和史の決定的瞬間」の一つだったと思われるが、この時外相の広田の下にあった石射猪太郎は広田への深い失望の言葉を残している。

8月に第二次上海事変が起こり、戦争は華中に飛び火。

10月ごろからドイツを仲介としたいわゆるトラウトマン工作が始まったが、首都南京攻撃前の交渉進展を求める進言を広田は無視、矯激で無思慮な反中世論に迎合し陸軍にも先立って和平条件を吊り上げる愚を犯す。

1938年1月に多田駿参謀次長らの反対を押し切り、トラウトマン工作打ち切りを決定、「爾後国民政府を対手とせず」との第一次近衛声明を発表。

日中全面戦争は泥沼化し、5月には広田は外相を辞任。

こういう記述を読んでいくと、近衛共々、「悪意でやったんじゃないでしょうけど、やっぱり困った人だなあ」という印象を拭えない。

戦後の東京裁判の章は、通説を一部修正するところはあるものの、基本的に広田に対して非常に同情的な記述。

面白い。

よく整理された叙述で、初心者でも十分読みこなせるレベルでありながら、熟読すれば基本的知識がしっかり身に付く。

史的解釈に関しても、明解で一部厳しい評価を下しながらも、後世の安全地帯から完全な後知恵で一方的に断罪するという色彩が薄いのが良い。

相当使える本です。

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西部邁 『思想史の相貌』 (徳間文庫)

『思想の英雄たち』(文芸春秋)の日本版みたいな本。

福沢諭吉から福田恆存まで、近代日本の13人の思想家批評集。

夏目漱石などの文学者や伊藤博文などの政治家も含む。

短いページながら、密度は非常に濃い。

興味が持てそうなら、一度お読みになるのも宜しいかと思います。

なお西部氏の最近の著作では、『日本国憲法を読む 上・下』(イプシロン出版企画)はお勧めです。

この方の本は大学時代以来相当読んでますが、高坂正堯氏と違って、反発を感じたり納得できなかったりしたことがよくありました。

そういう感じが薄れたり濃くなったりという状態だったのですが、上記の本は違和感を感じる部分がほとんど無く、非常にすっきりと得心できるものでした。

吉野が天皇主権を認め国民主権を拒絶したことをもって、民本主義と戦後民主主義のあいだの根本的差異とするのはいささか皮相の見方である。というより、そのようにして国民主権の想念にこだわるのが戦後民主主義の誤謬だというべきかもしれない。吉野は天皇主権を法の哲理として承認したが、それを政治の外部に追放することによって、主権の概念そのものを実質的に骨抜きにしてしまった。加えて、吉野は天皇の意志と国民の意志とが連絡し合っていると主張しているのであるから、抽象的かつ形式的なるものとしての天皇主権は、それを国民主権と呼び替えたとて、実質的にみて大した差はないということになる。いってみれば、天皇主権といい国民主権といい、象徴のレベルにあるにすぎないのである。

政治論として主権の概念に固執しなかったのは、吉野の先見の明である。どだい、主権なるものを政治の場において構想するのは馬鹿気ている。少なくともそれは近代の政治にはふさわしくない。なぜなら、主権とは「何ものによっても制限されることのない最高権力」のことであり、そんな凄い権力は、天皇という個人においてであれ、特権階級という少数者においてであれ、国民という多数者においてであれ、所有されてはいけないものなのだ。「無制限の権力」をもつことができるのは、ほとんど定義的に、完全無欠の人間のみである。神とかいうものは、たぶん完璧な存在なのであろうが、権力の神授説を否定したところに近代の政治がはじまったのだ。

デモクラシーにとって、主権の概念が不必要であるばかりでなく有害でもあることについては、H・ハートやF・ハイエクといった高名な法哲学者がとうに指摘している。日本の憲法学者は、ほかのことについては外国の言説の輸入業者よろしくやっているくせに、この主権無用(さらには有害)論については一言も紹介しない。その理由は簡単で、国民主権を事あるごとに繰り返すのが、日本の憲法学者の仕事であり、ハートやハイエクの説を広めようものなら、彼らは仕事にあぶれてしまうのである。吉野は天皇主権を棚上げすることを契機にして、主権概念そのものをデモクラシーの議論から放逐した、または遮断した。そこが民本主義の最も面白いところだと私は思う。

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北岡伸一 『清沢洌 増補版』 (中公新書)

久しく「近代日本」カテゴリに追加してないなあと思ったので、これを通読。

タイトルは「きよさわ きよし」と読みます。

戦前活躍し、終戦間際に病死した、自由主義的・国際協調主義的な外交評論家の評伝。

矯激な世論と時流に抗し、自らの信念に忠実に奮闘した生涯を描いている。

常に在野にあって、政府の公職とは無縁の人物ではあるが、その外交評論をたどることで当時の世界情勢と日本外交の焦点を明快に知ることができる。

個人としても単純な枠に収まらない多面的な人物像が非常に興味深い。

対米英協調を常に主張しながらも、時にアメリカ・イギリスへの鋭い批判や自国擁護を見せる部分が強い印象を与える。

これはかなり面白い。

文章も巧いし、スラスラ読めて、昭和前期の政治外交史の復習ができる。

細かな記述については、以下一点だけ引用しておきます。

(1938年11月、日中戦争の膠着状態の中、出された「東亜新秩序」を目指すとする第二次近衛声明を批判して)

清沢はこのような外交はとくにアメリカに対して不適当だと考えた。清沢はアメリカ外交の最大の特徴は、完全な「外交権」を持った主体が存在しないことであると考えていた。大統領は上院の強い制約を受けるし、上院の権限もまた完全ではない、強いて言えば「米国外交の中枢は実体のない『世論』である」というのが、清沢の理解であった・・・・・。対米外交における世論重視の必要性は、ロンドン海軍軍縮会議や満州事変、上海事変に関係して、清沢がすでに説いていたところであった。ところがこの世論なるものは、単純明快な原則を理解することは出来るが、具体的な細目までは容易に理解しえない、しかも皮肉なことにアメリカは中国において顕著な権益を持っていないので、具体的な問題で日本がアメリカ世論の目にとまるほど顕著な譲歩をすることは不可能であった。政治的経験に富む宇垣が原則にはふれないで事実問題で折り合おうとしたのと対照的に、近衛と有田が原則――それも内容空疎な――で対決し、しかるのちに細部で譲歩を考えることは、イギリス相手ならともかく、アメリカ相手ではとくに拙劣なやり方であると清沢は嘆いた・・・・・。

はたしてアメリカは、十一月の有田外相の回答に対して慎重に検討を加えた結果、十二月三十日、主権に属さない地域における「新秩序」の形成を指示する権利はいかなる国にもないとして、従来にない激しい言葉を用いて抗議を寄せた。しかもこれに先立って、同月、アメリカは中国に二五〇〇万ドルの商業信用を供与することを発表した。これは事実上の借款の供与であって、一九三七年の中立法との関係で問題のある行為であった。つまり、東亜新秩序声明によって主義上の正面衝突が明らかとなった段階で、アメリカは中国援助の方針に踏み切ったのであった。しかもその翌月、昭和十四年一月には、イギリスもアメリカにならって、輸出信用の拡大によって中国に対する事実上の借款供与に踏み切った。前年中は日本に対して宥和的であったイギリスが、こうしてアメリカと提携して中国援助に乗り出した点でも、アメリカの十三年末の新政策は重要であった。

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『詳説日本史』 (山川出版社)

私も高校生の頃使っていた日本史教科書の超定番。

今所持しているのは2003年刊で、大型書店の受験参考書コーナーで買いました。

末尾の執筆者リストを見ると、石井進・伊藤隆・笠原一男・児玉幸多・坂野潤治と、無知な私でも名前を知っている錚々たる面々。

現在の最新版では一部執筆者が入れ替わっているようです。

ざっと読むと、非常に細かい史実も載っていて、完成度が高いなと思います。

あれば便利だと思うので、買って手元に置いておいてもいいんじゃないでしょうか。

あと話が逸れますが、高校の地理・歴史で世界史必修を続けるべきか、むしろ日本史を必修にすべきかと議論がありますが、私はやはり現状のまま世界史必修を続けた方がいいと思います。

これは個人的趣味から言うのではないです。

一般常識としての「広く浅い」歴史を習得する上で、日本史に関しては小学・中学で学ぶ内容で何とかカバーできますし、自分で本を読んでより詳細な歴史を独学することも比較的容易だと思います。

しかし、世界史については高校で履修しない場合空白があまりにも大きすぎるし、ほとんど白紙の状態から独学するのも困難ではないでしょうか。

小谷野敦氏が『中庸、ときどきラディカル』(筑摩書房)という本で以下のように書いています。

おかしなことに、日本史については、小学校と中学校で必修扱いになっている。中学校では近代の世界史も織りまぜることになっているが、これだけ日本史を繰り返し学んで、さらに高校でも詳細に学ばせる必要があるだろうか。私は高校で日本史と世界史を取ったが、むろん教科書の厚さは同じくらいだから、日本史のほうが遥かに内容は精密で高度だった。大学入試のセンター試験でも、日本史では、それに専門の近い私でさえ答えられないような細かい知識を問うものがある。果たして、石器時代の石器の名称まで記憶させる必要があるのだろうか。

近年、日本の近代史教育に関する議論が喧しいが、それならむしろ、世界史をベースに日本の近代史を組み込んだ科目を「歴史」として必修にしたほうがいいのではないだろうか。

最近小谷野氏の本を全く読まなくなったので、今も同じご意見かどうかわかりませんが、概ね同感です。

私も高校で日本史と世界史を履修したのですが、日本史の内容は本当に細かいと思いました。

世界史は全く未知の状態で新たに学ぶということもあり新鮮で面白く感じたのですが、日本史は細かな用語を覚えさせられるだけで歴史の経緯を知る面白さはほとんど感じられず正直授業も退屈でした。

自国の歴史を詳しく知らないというのも困ったことですが、世界史が中学で学ぶ程度に止まると新聞・テレビの国際ニュースも理解できないんじゃないでしょうか。

個人的意見ですが、ごく大まかな内容(現状の「世界史A」レベル)でもいいので高校の必修は続けて頂いた方が良いと思います。

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安倍源基 『昭和動乱の真相』 (中公文庫)

戦前、内務官僚としてキャリアを積み重ねた著者による回顧録的史論。

著者は警視庁特高部長、警視総監を経て、終戦時鈴木貫太郎内閣では内務大臣を務める。

以上の経歴が災いして戦後「A級戦犯」容疑者として拘置されるが、3年後不起訴釈放。

1977年本書の原版を刊行し、平成元年没。

安倍前首相とは関係が無い模様(前首相の父方の祖父安倍寛と著者とはたぶん無関係だと思うがはっきりとはわかりません)。

北伐開始に伴い排外運動が過激化する中国での勤務から筆を起こし、1930年ロンドン海軍軍縮条約をめぐる統帥権干犯問題から、敗戦後の拘置・尋問までを記す。

文章は読みやすく、難解で詰まるような部分はほとんど無い。

文庫版で500ページを超えるがスラスラ読める。

それでいて最後まで読めば、昭和前期の歴史の動きが無理なく頭の中に入るようになっている。

重光葵『昭和の動乱』(中公文庫)と似たタイプの本(タイトルも似てますが)。

末尾の水谷三公氏と黒澤良氏の対談解説も参考にして、本書の特色を記すと、まず1930年のロンドン条約による国内の騒乱を非常に重視している。

それも、この軍縮条約を支持した「条約派」が善で、反対した「艦隊派」が悪とは見なさず、その後の海軍の分裂と人材の喪失・軍の政治介入のきっかけになったという結果論からみて、条約に調印したこと自体が間違いだったと著者は判断する。

よって、本書では普通良識派とされる岡田啓介ら海軍穏健派に対する評価は低い。

岡田に関しては二・二六事件直前に陸軍内の不穏な空気を著者らが警告したにも関わらず、真剣に取り合わなかったことも記されている。

同じく穏健派海軍軍人である米内光政についても、第一次近衛内閣の海相として1938年蒋介石政権との和平交渉打ち切りと「国民政府を相手とせず」の第一次近衛声明にあっさり同意を与えたことに対してかなり批判的である。(前年の第二次上海事変での出兵主張よりも、この交渉打ち切り支持を米内の致命的失策と見做すのは大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)と同じ。)

山本五十六についても、大敗におわったミッドウェー海戦の作戦計画を職を賭して強行するくらいなら、開戦前に対米戦反対の意志をより強く表明すべきだったのではないかとしている。

一時著者がトップに立っていた特高警察について言うと、1928年の三・一五事件、29年の四・一六事件や以後の大規模検挙によって1934・35年ごろには日本共産党が壊滅状態となる。

以後特高の取り締り対象は極右国家主義勢力が主となり、私も全く知らなかったが、1940年米内内閣打倒を目指した「皇民有志蹶起事件」などが摘発されている。

著者は、特高はナチス・ドイツのゲシュタポ、ソ連のGPU(ゲー・ペー・ウー)のような秘密警察ではなく、法に従って極右・極左の勢力を取り締っただけだと主張している。

終戦決断の過程で宮中と鈴木首相がやらざるを得なかった際どい神経戦や戦後占領軍による尋問の描写も興味深い。

かなり面白い本です。個人の回顧録としての部分が興味深い上に、時代説明の部分も史実が適切に配列されわかりやすい。

初心者にとって有益な本だと言えましょう。

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大杉一雄 『真珠湾への道』 (講談社)

同じ著者の『日中十五年戦争史』(中公新書)が非常に素晴らしいと思ったので、これも読む。

時代として前著と繋がっており、1938年1月「国民政府を相手にせず」との第一次近衛声明から1941年12月8日真珠湾奇襲攻撃まで。

この間の歴史を詳細に検討し、泥沼化した日中戦争を収拾することはできなかったのか、ドイツの表面的優勢に惑わされず破滅的な日米戦争を避けるために何か欠けていたのかを追求している。

版形はデカイし500ページを超える大著だが、手に取ってみると実に興味深く読みやすい記述で、集中して二日で読めた。

著者の意見をすべて鵜呑みにする必要は無いし、私も異議のある部分があるが、しかし考え方が違うという理由で捨てるにはやはり惜しい。

事実関係を楽々と頭の中に入れることができる。

この辺の歴史は年代だけでなく多くの場合月までも正確に把握しながら読み進める必要があるが、そのためのテキストとして非常に優れている。

前著と同じく、個々の史実への評価が明確で面白く、強く印象に残る。

これは分冊文庫化してもらいたいですね。

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坂本多加雄 『象徴天皇制度と日本の来歴』 (都市出版)

この人の名前はずいぶん前から知っていたが、著作を読むのはこれが初めて。

それほど厚い本でもなく一日で読めるが、それでいて内容は濃い。

近代日本史を読む上での、有益で穏当な基本的視座を提示してくれる。

晦渋な部分は無く、明解で読みやすい文章が非常に説得的。

新聞にこの人の訃報記事が載ったときには、「えっ、まだ若いのに」と非常に驚いた覚えがある。

心よりご冥福をお祈り致します。

さて、今年もなんとか続けることができました。

どうせまたペースは落ちるでしょうが、来年もポツリポツリと更新はしたいと思っております。

それではよいお年を。

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大杉一雄 『日中十五年戦争史』 (中公新書)

1996年刊。最近『日中戦争への道』と改題され、講談社学術文庫に収録された。

書名だけ見て、「いかにも硬直した左翼が付けそうなタイトルだなあ。駄本の臭いがプンプンする。こんなものには近づかないのが吉。」と思った方(というかまずなによりも私)は根本的に間違っています。

叙述対象範囲は1931~1945年の日中関係全史ではなく、満州事変から1938年初頭の戦争泥沼化まで。

また内容も通常の平凡な通史ではなく、日中双方にとって破滅的だった全面戦争を避けるためにはどうすればよかったのかを、歴史の節目ごとに精緻に検討し、慎重な留保を付けながらもその責任の所在を明らかにしようとする史論的な叙述である。

左右の極論を避け、様々な歴史のイフを挙げながら冷静に実際の史実とは別の可能性を追求する記述は実に面白い。

もちろん著者の史的解釈や価値判断に全て同意する必要は無いが、たとえ違った考えを持つ人でも本書によって歴史を読む楽しみを大いに得られるだろうと思う。

事実関係の描写も非常に整理された明解なもので、初心者でも楽に読めて記憶に残りやすい。

教科書的で砂を噛むような通史とは異なり、史実の意味付けがしっかりしたメリハリのある叙述によって深い印象を受けるので、頭の中で歴史の流れを再現することも容易でしょう。

これはかなりの名著ではないでしょうか。

アマゾンのレビューでもかなりの高評価がなされていますが、全く同感です。

著者は大学の研究者ではなく、財界人で独学で研究と執筆をした人のようです。

全く名前を聞いたことも無かったのですが、この著書は実に素晴らしいと思いました。

ただタイトルは内容とあってないだけでなく余計な先入観も与えかねないので、文庫化に際して改題したのは適切ですね。

新書版は品切れですが、上述のタイトルの文庫版を是非お買い求めください。

ほとんどの方にとって損は無いと思います。

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ドナルド・キーン 『明治天皇 全4巻』 (新潮文庫)

著名な日本文学研究者の手に成る伝記。

初心者が読むのに非常に適切な明治史になっている。

左右の硬直した史観を感じることは殆どない。

恥ずかしながら前半は飛ばし読みしただけだが、全般的に見てかなり面白かった。

ごく気楽な感想を言わせてもらうなら、やはり明治というのはいい時代だったんだなあということに尽きます。

単行本だとその版形の大きさと厚さに圧迫されますので、文庫本で揃えた方が読みやすいかと思います。

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司馬遼太郎 『最後の将軍』 (文春文庫)

以前も書きましたが、私はこの国民作家の膨大な著作のうち、世界史関係のものしか興味が無いし読んでもいないという非常に変な読者です。

その例外として読んだのが本書ですが、特にこれがあるから読んだという所は別に無い。

あくまでたまたま通読しましたというだけ。

楽に読めたし、まあまあ面白い。

本書自体についてはその他別に言うことはないんですが、『バカのための読書術』で、司馬遼太郎の本で歴史を勉強するのを嘲笑にする態度に同意せず、素人がごく初歩的な段階で歴史の概略を学ぶ際の効用は無視できないとしていたが、万年初心者の私も同感です。

読みやすくていつでもどこでも手に入る作家の本ですから、日本史の再勉強をしたい場合、暇を見つけてどんどん読んでいけばいいんではないでしょうか。

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立花隆 『日本共産党の研究 全3巻』 (講談社文庫)

ヴェトナム反戦運動、日中国交正常化、石油ショックなどの機運に乗り、日本共産党がその党勢を拡大させていた70年代に書かれた批判的な研究書。

私が精読したのは恥ずかしながら第1巻だけだが、結党以来の細かな経緯を読んでいくと非常に面白い。

2巻以降、最高指導部内のリンチ殺人事件や当局のスパイ浸透の実態を微視的に記述する内容となるので、やや読みにくくなり興味も薄れる。

末尾は取り締まり徹底による戦前の党の壊滅まで。

この分量なら戦後の党復活と武装闘争路線の失敗、その棚上げと平和革命戦術への転換、中ソ両共産党への従属と独自路線の模索なども記して欲しかった。

しかしリンチ事件の記述をめぐって共産党と猛烈な言論戦を繰り広げることになったので、それも不可能になったのだなと思う。

全巻通読しなくても、拾い読みするだけでも結構面白い。

近代日本史の参考文献としてどうぞ。

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竹山道雄 『昭和の精神史』 (講談社学術文庫)

『ビルマの竪琴』で有名な著者は、戦前は「オールド・リベラリスト」として時流に組せず、戦後は進歩派によって「反動」扱いという、混じり気の無い敬意を抱くことのできるタイプの人だと個人的には思う。

本書後半部の「手帖」と題されたエッセイ集は飛ばし読みしただけだが、先の大戦に関する史論である前半部の表題作は本当に素晴らしい。

その視点は、戦勝国に媚びることしか知らない陋劣なものでもなく、いかなる自己抑制の回路も持たない無分別なナショナリズムでもない。

読み進めていくと、自分が漠然と思っていたことを透徹した言葉で明快に表現してくれていると感じて、実に清々しい気分になった。

表現は極めて平易で誰でも読める文章でありながら、内容は深く、初心者にとっては非常に効用が大きい。

品切れになって大分経つようですが、今でも十分読むに値する本。

強く推奨させて頂きます。

昭和の超国家主義は、封建時代の継続的発展ではなかった。むしろ、封建体制や精神を克服してあたらしい段階に入った明治の体制を、さらに克服しようとしたものだった。それは否定の否定だった。およそ歴史が一世紀も前のままからの変わらぬ力によって展開するというような不合理不自然なことはあるはずはなく、あったためしもないが、昭和の日本もその例外ではなかった。

激動する現代世界の中にあって、みずからもその激動の一因子であった者が、1920年30年代の世界に共通の衝撃をうけて、ついにあのようなことになった。主役は近代であり、歴史的遺制はわき役にすぎなかった。人の目をあざむく古めかしい仮装はたくさんあったけれども。

あのころの世界に共通の衝撃については、ここに記すことはしない。これによって多くの国がはげしく動揺し、それぞれ自分の個性にしたがった行き方で変容した。日本ではそれが、「天皇によって天皇制を仆(たお)す」という形で行われた。

あの近代戦は封建性がしたものではなく、あの超国家主義は鎖国時代のつづきではなかった。また重臣・政党・財閥・官僚・軍閥による「天皇制」のつづきでもなかった。そうであるかのような外見を呈したもっとも大きな原因は、同じ天皇が別の性格のものとして活用されたからであった。

ファッショが旧体制の持続発展でなかったということは、ドイツでも同じことだった。「ドイツ人はワイマール憲法時代の十四年間をのぞいては、つねに強権に支配されるのに慣れていた。これがナチスのおこった原因である」とて、ワイマール憲法時代をぬかしてその直後のナチスの成立を説明するのは、まちがいだと思う。それも前提条件の一つ、部分的真理ではあったろう。しかし、あの激動のワイマール時代を空白にしてとびこして、次にきた大現象を考えることはとうていできない。ウィルヘルムの権力とヒットラーの権力とのあいだには何のつながりもなかった。初期のナチスは微々たる浪人の団体で、ほかにもっと有力な国粋団体がたくさんあったから、助ける資本家もなかった。はやいころのヒットラーは極端な貧乏で、それについてはいろいろな話がつたえられている。ここでもやはりデモクラシーの無能と腐敗に対する憤怒が大きな動機だったから、旧軍人で参加した者はあった。しかし、1923年のミュンヘン一揆は、ゼークト将軍の参謀本部のために弾圧されて、ヒットラーはじめナチスのリーダーたちは牢に入れられた。やがてヒットラーが雄弁によって民心を手に入れ、ナチスが利用価値をもつようになってから、軍部や資本家の援助もはじまり、持ちつ持たれつしたが、最後にはヒットラーが母屋をとってしまった。母屋をとられた主とそれをとった者とが同じものだとはいえない。持ちつ持たれつした部分を拡大して、これを全体的真理だということはできない。「天皇制」は革新勢力に対して一歩一歩と後退していった。ことに米内内閣が仆された後には、アピーズメントよりほかに手はなかった。しかもアピーズメントは相手をつよくするだけで、何の結果も生むものではなかった。これに加えて、さらに国論と戦時体制の圧力があった。

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児島襄 『太平洋戦争 上・下』 (中公新書)

中公文庫版も出てます。

先の大戦に関して、感情的に「侵略」だ「聖戦」だと大声を出す本ではなく、基本的な史実をわかりやすく整理された形で述べた純粋な戦史に近い本で、比較的短くて全体を楽に概観できる本というと、私の知ってる範囲ではとりあえずこれかなあと。

精読したのは上巻の途中までなんですが、その印象からいって皆様にもお勧めできます。

大抵の公共図書館に置いてると思いますんで、一度借りてみてください。

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福田和也 『乃木希典』 (文芸春秋)

最近文庫版も出ました。

短いのであっという間に読めます。

司馬遼太郎『殉死』とはまた異なった視点からの乃木の評伝。

私はどちらかというと、こちらの乃木観の方に共感を覚える。

なお著者が月刊文芸春秋で連載中の『昭和天皇』の単行本化が楽しみです。

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阿川弘之 他 『二十世紀日本の戦争』 (文春新書)

タイトル通り、日露戦争から湾岸戦争に関して縦横に語る座談会。

出席メンバーは阿川弘之、猪瀬直樹、中西輝政、秦郁彦、福田和也。

ごく読みやすい体裁ながらも、ポイントを突いた議論で近代日本史に関する頭の整理に最適。

様々な「歴史のIF」の検討が面白い。

初心者でも十分読み取れる程度の記述。

同じ文春新書の『昭和史の論点』(秦、坂本多加雄、半藤一利、保阪正康)も似たタイプの本でおすすめ。

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平川祐弘 『西欧の衝撃と日本』 (講談社学術文庫)

比較文化史の本で、本来私の守備範囲外でわからない本のはずだが、この人の文章は読んでいて気持ちがいい。

人にも依るでしょうが、個人的には非常に趣味に合う文体で好きです。

近代日本と西欧の接触に関する様々なテーマを豊富な事例を挙げながら叙述している。

飛ばし読みするだけでも結構面白いので、一度図書館で借りてみてください。

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ゴロウニン 『ロシア士官の見た徳川日本 続・日本俘虜実記』 (講談社学術文庫)

幕末明治の日本を訪れた欧米人の著書というのも、相当の数があって到底読みきれないほどだが、ごく粗く飛ばし読みした数点を除いて比較的しっかり読んだと言えるのは、恥ずかしながらこれだけである。

前半はレザノフの択捉攻撃の報復として日本に抑留されたゴロウニンによる手記。

後半はゴロウニン救出のために日本側と交渉しその目的を達した副長リコルドの回顧録。

この二者と高田屋嘉兵衛の話は司馬遼太郎の『菜の花の沖』で有名でしょう。(私は未読ですが)。

本書自体が非常に面白いものですので、機会があれば是非どうぞ。

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吉田茂 『回想十年 全4巻』 (中公文庫)

前日の記事で、日本の外交官の著書としてなぜこれを挙げないのかと不思議に思われた方もおられるかもしれない。

実は私自身1巻しか読んでおらず、あんまり積極的にはお勧めしたくない。

高坂正堯『宰相吉田茂』(中央公論社)を読んで以来、本書も是非読みたいと思っていたのだが、古書店でもなかなか見つからず、あっても極めて高価だったので買えなかった。

そのうちに中公文庫に収録され、「さすが中公の選択はずば抜けて素晴らしい」と感激して読み始めたのだが、どうも面白くない。

何というか、うまく言えないが密度が薄いというか、読んでもしっかりと史実が頭に入ってくるような本ではない気がする。

ただしこれはあくまで私の感想ですので、割り引いてお受け取り下さい。

皆様には図書館での内容ご確認をお勧め致します。

(ちなみに猪木正道『評伝吉田茂 全4巻』(ちくま学芸文庫)はいつものパターンで買ったままほとんど読まないうちに古本屋行きになりました。よってこれに関しても何も言えません。機会があればお手に取って下さいというだけです。)

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重光葵 『昭和の動乱 上・下』 (中公文庫)

日本外交の系譜を陸奥幣原来栖石射と辿ってきましたが、今度は重光の番です。

と言っても個人的体験に引き付けた回想録という性質は希薄で、ごく一般的な概説的史書の体裁。

満州事変勃発から戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印までの昭和史。

回顧録としては予想外れなのですが、昭和外交史概説としては非常に有益。

文章が極めて読みやすく、日本の軍閥勢力の消長、ヨーロッパとアジアの情勢の絡み合い、当時の為政者が置かれていた状況と為した決断、およびその後の出来事との因果関係が初心者にもわかりやすく叙述されている。

また基本的に内閣別の章立てになっており、日本内政の勉強にもなる。

これは良い。

ありきたりの退屈な日本外交史の教科書を読むくらいなら、本書を読んだ方が遥かにいい。

(なお同じような意味でお勧めは野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)。各国の指導者がどんな意図から何を政策決定の基準にしたのかが明快に説明されており、教科書で大まかな史実を把握しているだけの人間[つまり私]が読むと目から鱗が落ちます。)

未読の方には強くお勧めします。

さて、外交官の回顧録であと読むべきなのは東郷茂徳『時代の一面』(中公文庫)ですかね。

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福沢諭吉 『文明論之概略』 (ワイド版岩波文庫)

福沢がギゾー『ヨーロッパ文明史』やバックル『英国文明史』などを換骨奪胎し、日本の独立に資する世論を喚起するために明治八年(1875年)刊行した史的文明論。

表記はさほど難しくなく、私でも楽に読めました。

主旨は退嬰的な旧道徳や上滑りの精神論、硬直した国体論を批判するものなのだが、個人的にはそれ以外の、進歩的啓蒙家の枠組みに入りきらない部分の主張がむしろ面白かった。

『学問のすゝめ』や『福翁自伝』を読んだことのない人(私も含む)でも、これは面白く読めると思いますので、ご一読をお勧めします。

・・・・事物の利害を論ずるに、その極度と極度を持出して議論の始より相別れ、双方互いに近づくべからざることあり。

その一例を挙げていわん。今、人民同権の新説を述る者あれば、古風家の人はこれを聞て忽(たちま)ち合衆政治の論と視做し、今、我日本にて合衆政治の論を主張せば我国体を如何せんといい、遂には不測の禍あらんといい、その心配の模様はあたかも今に無君無政の大乱に陥らんとしてこれを恐怖するものの如く、議論の始より未来の未来を想像して、いまだ同権の何物たるを糺さず、その趣旨のある所を問わず、ひたすらこれを拒むのみ。

また彼の新説家も始より古風家を敵の如く思い、無理を犯して旧説を排せんとし、遂に敵対を勢を為して議論の相合うことなし。畢竟双方より極度と極度を持出すゆえこの不都合を生ずるなり。

都(すべ)て世の政府は、ただ便利のために設けたるものなり。国の文明に便利なるものなれば、政府の体裁は立君にても共和にても、その名を問わずしてその実を取るべし。

開闢の時より今日に至るまで、世界にて試たる政府の体裁には、立君独裁あり、立君定律あり、貴族合議あり、民庶合議あれども、ただその体裁のみを見て何れを便と為し何れを不便と為すべからず。ただ一方に偏せざるを緊要とするのみ。

立君必ず不便ならず、共和政治も必ず良ならず。千八百四十八年、仏蘭西の共和政治は公平の名あれどその実は惨刻なり。墺地利(オーストリヤ)にて第二世フランシスの時代には独裁の政府にて寛大の実あり。

今の亜米利加の合衆政治は支那の政府よりも良からんといえども、メキシコの共和政は英国立君の政に及ばざること遠し。故に墺地利、英国の政を良とするも、これがために支那の風を慕うべからず。亜米利加の合衆政治を悦ぶも、仏蘭西、メキシコの例に倣うべからず。

政はその実に就いて見るべし、その名のみを聞きてこれを評すべからず。政府の体裁は必ずしも一様なるべからざるが故に、その議論に当(あたり)ては、学者宜しく心を寛にして、一方に僻すること勿(なか)るべし。名を争うて実を害するは、古今にその例少なからず。

前の論に従えば、立君の政治はこれを変革して可なり。然ば則ちこれを変革して合衆政治を取り、この政治を以て至善の止まる所とするか。いわく、決して然らず。

・・・・・合衆政治は人民合衆して暴を行うべし、その暴行の寛厳は、立君独裁の暴行に異ならずといえども、ただ一人の意に出るものと、衆人の手に成るものと、その趣を異にするのみ。

・・・・・立君の政治には、政府の威を以て人民を窘(くるしむ)るの弊あり。合衆の政治には、人民の説を以て政府を煩わすの患(うれい)あり。

故に政府、あるいはその煩わしきに堪えざれば、乃ち兵力に依頼して遂に大に禍を招くことあり。合衆政治に限りて兵乱少なしというべからず。

近くは千八百六十一年、売奴の議論よりして合衆国の南北に党類を分ち、百万の市民忽(たちま)ち兇器を取て、古来未曾有の大戦争を開き、兄弟相屠り同類相残(そこな)い、内乱四年の間に、財を費し人を失うこと殆どその数を計るべからず。

元とこの戦争の起る源因は、国内上流の士君子、売奴の旧悪習を悪(にく)み、天理人道を唱えて事件に及びしことにて、人間界の一美談と称すべしといえども、その事一度び起れば、事の枝末にまた枝末を生じ、理と利と相混じ、道と慾と相乱れ、遂には本趣意のある所を知るべからずして、その事跡に現われたるものを見れば、必竟自由国の人民、相互に権威を貪り、その私を逞(たくまし)うせんと欲するより外ならず。

その状、あたかも天上の楽園に群鬼の闘うが如くなり。もし地下の先人をして知ることあらしめなば、今この衆鬼子の戦うを見てこれを何とかいわん。戦死の輩も黄泉に赴くといえども、先人を見るに顔色なかるべし。

(アメリカ南北戦争を奴隷制度破棄と国家再統一のための混じり気の無い正義の戦いと見做さずに、民主共和政と言論の自由が齎し得る恐るべき破局と捉えた福沢の視線が私には非常に新鮮に思える。なおこういう歴史認識と人種・性・民族コミュニティに関する現在のアメリカ国内の文化戦争については、パトリック・ブキャナン『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(成甲書房)が面白かったので名を挙げておきます。この本も多くの人にとっては「迷著」なんでしょうが、私にはかなりの程度名著に思える。)

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石射猪太郎 『外交官の一生』 (中公文庫)

戦前の日本を奈落の底に突き落とした政治決定と言えば張作霖爆殺事件の不処罰、冀東防共自治政府を始めとする北支工作、イギリス主導の中国幣制改革への非協力、トラウトマン工作など日中全面戦争早期収拾策の失敗、三国同盟締結、南部仏印進駐、真珠湾奇襲などであろう。

それらと並んで悪名高いのが盧溝橋事件直後の現地停戦協定・不拡大路線を無視した内地三個師団動員で、結局これが日中戦争の泥沼化を招き、遂には日米開戦につながってしまった。

本書は支那事変勃発時の外務省東亜局長として近衛首相、広田外相に対し動員反対を強く働きかけた外交官石射猪太郎による回顧録。

幣原外交の正しさへの信念を持った石射が終戦後自らの外交官人生を振り返って書いたもので、非常に興味深い。

500ページを超える本だが、特に難解な部分も無く読みやすい。

近代日本外交史を学ぶ上で有益な本。

先日も書いたように網羅性を気にして退屈な教科書的書物を読むより、こういう本を一つ一つこなしていく方が結果的に多くのことを得られると思います。

もし標準的な通史テキストを読むのなら、以前記事にした岡崎久彦氏の日本外交史シリーズ(いずれもPHP文庫収録)のような、史実への取捨選択と評価が明瞭になされている面白い本を選ぶことを強くお勧めします。

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来栖三郎 『泡沫の三十五年』 (中公文庫)

真珠湾攻撃直前に特派全権大使として米国に赴き、野村吉三郎駐米大使と共に最後の日米交渉に当たった外交官の回顧録。

難解な部分はほとんどなく読みやすい。当時の緊迫した情勢と交渉の概要がよく理解できる。

近代日本外交史の初学者にとって、大まかな史実の枠組みを頭に入れた後は、教科書的な概説を読むのは適当に切り上げて、こういう本をどんどん読んでいった方がいいと思う。

『国際関係学がわかる(旧版)』(朝日新聞社)で著名な日本外交史研究者の北岡伸一氏も教科書的な通史より、個々の研究書や政治家・外交官の伝記から学習に入るのがよいと勧めていた。

最近中公文庫ビブリオで復刊されたのは非常に喜ばしいのだが、このシリーズは早期に品切れになりやすいので、在庫があるうちに確保しておくのが宜しいかと思います。

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福田恒存 『日本への遺言』 (文春文庫)

著者の膨大な著作集から編纂した入門書。

1ページ単位の短文集なので、非常に読みやすい。

この人の逆説に満ちた華麗な言論には深く感心させられる。

福田氏を知らない人に是非手にとって頂きたい本。

日本の歴史学者には公式的な考へかたが支配的ですので、「天皇制」といふことも、あるいは明治の為政者が自己を権威づけるためにでつちあげたものだとか、あるいは長いあひだ日本人にしみついた封建的性格のためだとか、あるいは神道がいけないとか、いろいろに説明をしてをります。が、それだけで説明はつきますまい。絶対神のない日本では、つねに相対の世界のなかで具体的な人格に絶対者を求めようとする心理があるのではないか。その欲求は、おさへてもおさへても、隙をねらつて盛り上つてくるでせう。

私自身はもちろん「天皇制」には反対です。が、その理由は、天皇のために人民が戦場で死んだからといふことではありません。私と同じ人間を絶対なるものとして認めることができないからです。だからといつて、天皇を絶対視する「愚衆」を、私は単純に軽蔑しきれません。少くとも、絶対主義を否定し、相対の世界だけで事足れりとしてゐる唯物的な知識階級よりは、たとへ相対の世界にでも絶対的なものを求めようとしてゐる「愚衆」のはうが信頼できます。

(親戚が日本軍に殺されたオランダ人から)日本の民衆には敵意をいだかないといはれて、私たちはどうしてほつとできるのか。私は一億総懺悔などとばかばかしいことをいふつもりはないが、さればといつて、日本政府、あるいはその帝国主義軍隊と、この自分とはべつものだなどといはれて、「おゝ、さうだつた」と安心する気はありません。もちろん、私は私なりに、今度の負け戦さはやりきれなかつた。個人としてできうるかぎり軍閥政治に利用されたくないとおもつてゐました。その是非は別問題として、事実さうでした。が、いまになつて、日本の軍隊は悪いが、おまへは許してやるといはれれば、やつぱり不愉快です。私たちが戦争をとめられなかつたことからくる責任感ではありません。あれほど嫌つてゐたけれども、あの日本の軍隊はやはり自分のものだつだといふ気もちがあるからです。

超自然の絶対者を設定しなければ、私たち人間はエゴイズムを否定することはできません。すくなくとも論理的には否定はできない。ある人間のエゴを否定するために他の人間のエゴをもちだしてくるだけです。ある集団のエゴを、あるいはある階級のエゴを否定するために、他の集団、他の階級のエゴを使ふだけです。また、既成の、現在のエゴを否定するために、可能性としての、未来のエゴを強化するだけです。すべてのエゴを否定するためには、それをもちだすことによつて、どのエゴも得をしない現実の外にあるものを、いはば梃子として利用しなければならないのです。

日本人は封建時代に、現実的な絶対者をもつてゐました。それが明治になつてから天皇制に切りかへられた。そして戦後はさういふ絶対者を一気に投げすててしまつたのです。現在の私たちは単純な相対主義の泥沼のなかにゐる。なほ悪いことに、私たちはそれを泥沼とは感じてゐない。たいていのひとが相対主義で解決がつくとおもつてゐます。が、私は戦後の混乱のほとんどすべてが、この平板な相対主義の悪循環から生じてゐるとおもひます。私自身、ものを考へ、判断するばあひ、これにはまつたく手を焼いてをります。超自然の絶対者といふ観念のないところでは、どんな思想も主張も、たとへそれが全世界を救ふやうな看板をかかげてゐても、所詮はエゴイズムにすぎないといふことを自覚していただきたい。

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神谷不二 『戦後史の中の日米関係』 (新潮社)

非常に読みやすく面白い戦後日米関係の概説書。

素人が盲点になっているようなポイントを整理し、わかりやすく解説してくれている。

あまりよく知られていないが、隠れた名著と言えるのではないだろうか。

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平泉澄 『物語日本史 上・中・下』 (講談社学術文庫)

戦前皇国史観の主唱者だった平泉澄が戦後に書いた青少年向け日本史の文庫化。

当然全編そのような史観で書かれており、特に神代から始まる古代史の部分は紙数も多く費やされ充実している。

それだけでアレルギーを感じる人も多いだろうが、戦後的価値観に取り囲まれて来たせいか、個人的には反って新鮮に感じてしまう。

小中高と一応日本史を習ったが、あまり頭に入っておらずもう一度ざっと復習したいというときに読む本としては、これも候補になるでしょう。

明治維新以後は簡略であり、正確には「近代日本」カテゴリーにも入らないのだが、一読して実に面白いと思ったのであえて載せます。

足利氏は単なる逆賊、南北朝合同後の室町時代には語るべきことは何も無いといって実際大幅に記述を端折ってるのを読むと、さすがに何だかなあと思うが、そういう偏りを差し引いても読む価値はあると思います。

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平川祐弘 『平和の海と戦いの海』 (講談社学術文庫)

鈴木貫太郎首相とグルー駐日アメリカ大使を中心とした終戦工作と昭和天皇の「人間宣言」についてのノンフィクション作品。

極めて高雅で品格のある文章と端正で明確な史実の描写が深い感動を与える名著。

特に詳しい予備知識は要りませんので、気軽に手にとってみてください。

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『石橋湛山評論集』 (岩波文庫)

大学時代これを読んだとき、戦後保守党に属し総理大臣にまでなった人で、これほど徹底した進歩的自由主義を貫いた人がいたのかと感動したのを覚えている。

だが、その後かなり経つと戦前の日本で本当に「小日本主義」という選択肢が現実にあったのかと懐疑的になったのも事実である。

興味深い本であることは間違いないと思いますので、機会があればどうぞ。

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クリストファー・ソーン 『太平洋戦争とは何だったのか』 (草思社)

「連合国の正義」にも「日本の正義」にも組せず、双方の悪しき行為を直視した公平な立場から書かれた太平洋戦争論(らしい)。

はじめて翻訳された際かなり話題になり、高坂正堯氏や栗本慎一郎氏も推薦していた。

最近同じ版元から普及版も出た。

私は買いはしたものの結局読めず。

どうも読みにくかった。

いい本だとは思うんですけどね。

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ジョージ・サンソム 『西欧世界と日本 上・中・下』 (ちくま学芸文庫)

著名な日本学者による日欧関係史。

文化史中心の記述で、あまり興味のある分野ではないのだが、買ってみて気の向いたときページを手繰っていると結構面白い。

通読は結局しなかったが、近代日本史の参考書として役に立つことが多い本ではないでしょうか。

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戴季陶 『日本論』 (社会思想社 教養文庫)

国民党右派に属した中国人の手に成る日本人論。

高坂正堯氏の著書で触れられているので買ってみたのだが、わりと面白い。

版元が倒産してしまったので新刊としては手に入りませんが、興味があれば図書館か古書店でどうぞ。

話は変わりますが、この社会思想社の教養文庫にも「世界の歴史」シリーズがあって、かなり評判は良かったようですね。

かなり前に書店でパラパラ見たところ中国史とヨーロッパ史中心で他地域が手薄な昔ながらの世界史全集なのですが、エピソード豊富で物語性重視の歴史読物といった感がありました。

初心者向けとしては良いものだったのかもしれません。

私も中公旧版を通読した後、これでも読もうかと思ったこともありましたが、結局買わず、そのうちに出版社自体潰れてしまいました。

この『日本論』含め、教養文庫には結構面白そうな本が入っていたので少し残念ですね。

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中江兆民 『三酔人経綸問答』 (岩波文庫)

高坂正堯氏の『国際政治』(中公新書)での引用で本書を知る。

明治日本の外交と内政における理想主義と現実主義との相克を浮かび上がらせる書物。

現代語訳が載っているので楽に読める。

是非にとは言いませんが、一読すればそれなりに得るところはあると思います。

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スティーヴン・ナッシュ著 西部邁訳 『武士道と日本人』 (角川春樹事務所)

最初に言っときますが、著者のスティーヴン・ナッシュなるアメリカ人は99.9%実在しません。

本書はまず間違いなく訳者の西部氏の著作です。

文体と思想の平仄がこれほど西部氏と合ったアメリカ人がいるわけない。

ひとつの日本人論として、面白いことはすごく面白いので一応紹介しておきます。

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高坂正堯 『不思議の日米関係史』 (PHP研究所)

著者の絶筆となった史的エッセイ。

ペリーから日露戦争までの日米関係史。

通常の外交史とはまた違った身近な視点から、新鮮な見解を示してくれる本。

本来なら太平洋戦争開戦までが記される予定だったそうで、未完なのが実に惜しまれる。

高坂氏が亡くなられてもう10年経つが、今生きておられたら、現在の「親米保守」と「反米保守」の対立を何と評されるのだろうか。

本当に惜しい方を亡くしました。

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ヘレン・ミアーズ 『アメリカの鏡・日本』 (角川学芸出版)

終戦直後にアメリカ人学者によって書かれたGHQの占領政策および戦前のアメリカ政策批判の書。

この本を日本人が自国弁護のために用いるのはあるいはフェアではないかもしれないが、「アメリカの正義」をその絶頂期にこうまで徹底的に相対化した文章は凄いと言うほか無い。

一度は読んでみた方がいい本だと思います。

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森島守人 『真珠湾・リスボン・東京 続一外交官の回想』 (岩波新書)

『陰謀・暗殺・軍刀』の続編。これも1991年復刊されたとき購入。

しかし内容は・・・・・覚えていない。

著者は第二次大戦中はリスボンの日本大使館に駐在。スペインのフランコと並ぶ独裁者であるポルトガルのサラザールに著者が意外なほど好意的だったことだけが印象に残っている。

一度、図書館で借りてパラパラ眺めてみるかな。

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森島守人 『陰謀・暗殺・軍刀 一外交官の回想』 (岩波新書)

これも相当古い。1950年くらいに出たもので、私は1991年復刊された時に買った。

満州事変など日本軍の大陸進出の現場に立ち会った外交官による回顧録。

今まで読んだ数種の本で引用されたり参考文献に挙げられていたので読んでみた。

何か変な偏りがあって読むに耐えないといった感じは無かったし、最後まで読み通したことは事実なのだが、じゃあ内容を言ってみろと言われると何も思い出せない。

特に強い印象を受けなかったので、その後手放してしまった。

機会があれば図書館で借りて、内容を確認してみます。皆さんも興味が持てればどうぞ。

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古川薫 『軍神』 (角川書店)

司馬遼太郎の『坂の上の雲』および『殉死』において、乃木希典は近代的軍事指揮官として完全に不適格な人物であり、多くの将兵を不必要な死に追いやった愚将として描写されている。

その人間性に対しては多少の同情と賛嘆が記されてはいるが、以上二作の完成度と人気の中で、「乃木愚将論」は多くの人々の間に広まっていった。

それに対して強く反論し乃木を弁護したのが福田恒存であり、なかなか面白い文章なのだが、今は全集本以外で読むことは難しい。

そこで気軽に読めるこの伝記小説を買ってみた。

本書も乃木に対して大いに同情的であり、司馬の乃木観に異議を唱えている。

旅順攻防戦で膨大な数の戦死者を出した原因が乃木の個人的指揮能力の問題だとは私も思わない。また乃木の人間性は、たとえ今の時代から見ても強く心を動かされるところがあるし、どうしてもある種の感動を禁じえない。

個人的には読んでよかったと思わせる小説であった。

あと同じく乃木への同情的立場に立つ書物に福田和也の『乃木希典』(文芸春秋)がある。

こちらは文庫化されたときに読もうかなと思っている。

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福田和也 『総理の値打ち』 (文春文庫)

子供の頃、「漫画版日本の歴史」といった本を熟読していたので、小学校高学年のときに大正時代と戦後昭和期の日本の歴代首相は暗記していた。(漫画の記述で詳しい所とそうでない所があり、明治時代と昭和前期は大雑把にしか憶えてなかった。)

さて大人になって歴代首相を順に言えるかというと正直怪しい。(もちろん名前を言われればどの時代かぐらいはすぐわかるが。)

自分の国の政治指導者に関してこれでは恥ずかしいので、本書でも手に取りますか。

福田氏の独断と偏見に基づいた歴代総理の採点表です。

これを見ながら、「やはり原敬というのは保守的観点から見ても偉かったんだなあ」とか「加藤高明は点高すぎじゃないか」とか「中曽根がこんなに低いのか」とかあれこれ自分で論評してみるのが楽しい。

近代日本政治史のおさらいが簡単に出来る便利な本。買っても損はありません。

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新渡戸稲造 『武士道』 (岩波文庫)

本書の内容が、必ずしも実在の武士に普遍的に存在した価値観と言えなくても別に問題ないと思う。

明治人が西欧列強に対抗する精神的バックボーンとしてこういう理念を生み出す基盤を武士階層が提供したことは間違いないと思うので。

読みやすいし面白い。部分的には感動的でさえある。

本書の理念と現実の武士の言動との落差を指摘して嘲笑的態度を取る前に、明治人の置かれた苦境と世界への自己主張の必要に対する努力を汲み取るべきだと思われる。

近代日本史の副読本として是非読みたい。

さて、当ブログを始めて半年余りですが、何とかほぼ毎日更新できました。

記事の質量とも大したことないからですが、怠惰極まる自分としてはよく続いたなあと。

年が明けても、しばらくの間は一日一タイトルのペースで更新できそうですので、宜しければまた覗いてみてください。

それではよいお年を。

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ハミルトン・フィッシュ 『日米・開戦の悲劇』 (PHP文庫)

監訳は岡崎久彦。

孤立主義者(著者の自称によれば「不干渉主義者」)によるルーズヴェルト外交批判。

といっても「真珠湾陰謀説」のような面はさほど強くなく、あくまで大局的な外交政策への批判が主であり、「トンデモ本」並みの類書の弊害からは免れている。

著者は東アジアだけでなく、欧州大戦へも不干渉を主張している。

1939年における時点では、ポーランドへ宥和政策を勧め、独ソ間の戦争勃発を西側諸国は待つべきだったというのが著者の見解のようだ。

それが可能だったかどうかは別にして、著者の強い反共的信念と対ソ警戒感に強い印象を受ける。

短いのですぐ読めるし、機会があれば一読しておくのも悪くない。

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司馬遼太郎 『明治という国家 上・下』 (NHKブックス)

著者の膨大な、幕末・明治を舞台にした歴史小説からエッセンスを抜き出して語りなおした本。

ごく薄い本で、著者の史観を知ることができる。

平易な記述で、印象的なエピソードと人物像を積み重ねて、歴史の本質的な要素と理念を理解させてくれる。

いわゆる「司馬史観」については、いろいろ批判も有るし、自分も鵜呑みにしているわけでもないが、ある種の叩き台として多くの国民に共有される価値はあると思われる。

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高坂正堯 『宰相吉田茂』 (中央公論社)

本書は確か大学入ってすぐくらいに読んだのだろうか。

戦後日本史としては少々読みにくかった記憶がある。

だが「ワンマン」「逆コース」という吉田のイメージを逆転させた力を持つ著作であり、重要性は高い。

本書の吉田への高い評価が現在と未来においても適当かは意見が分かれるだろうが、とりあえず一読はしておきましょう。

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高坂正堯 『一億の日本人 (大世界史26)』 (文芸春秋)

この文芸春秋の「大世界史」シリーズはなぜか日本史の巻がいくつかあるのだが、これは最終配本された戦後日本史。

これだけバランスが取れて豊かな内容を持った戦後史も珍しいのではないか。

敗戦から1960年代末までの歴史が実にわかりやすく叙述されている。

高坂氏の戦後史的書物としては『宰相吉田茂』(中央公論社)が有名だが、初心者はこちらを先に読んだ方がいいと思う。

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福田恒存 『日本を思ふ』 (文春文庫)

著名な文芸評論家の批評集。

前半の日本文化論は深い内容を持っているし、「近代の宿命」と題された評論は私程度の頭にはちょっと難しいが、西洋思想史として重要なものと思われる。

後半の自由論・平和論・歴史論にも思わずはっとするような指摘が多い。

直接世界史と繋がる本ではないが、同じ文春文庫の『日本への遺言』と並んで、熟読することによって歴史のよりよき見方への大きな示唆を得られる書物だと思う。

・・・・自由についても、まづ言葉の吟味が必要である。資本主義と共産主義、自由主義と全体主義とは、一つ自由における程度の差を競つてゐるのではない。それを程度の差と見る時、既に相手側の自由の意味を採用した事になり、本来の自由を抛棄した事になる。・・・・それなら本来の意味の自由とは何か。人間の自由とは何か。そもそも人間に自由はありうるのか。

言ふまでもなく、人間に生れる自由、生れない自由は無い。死ぬ自由、死なない自由は無い。なるほど自殺の自由はあるが、それはキリーロフのそれのやうに最も自発的な場合でも、結局は他動的、受動的である事を免れぬ。生といふ出発点において自由のない者が死において自由でありうる訳がない。人間は与へられた条件の中に無意味に投出され存在するだけで、その存在そのものの中に如何なる目的もないのである。人間は在つても無くてもよい。個人は在つても無くてもよい。偶然に在らしめられたのであり、偶然に無くさせられるだけの話である。その点、人間は他の生物や物質と何の相違も無いのであるが、ただ人間は自己がそういふものである事を、つまり自由の無い物質である事を、自覚する事ができる。その自覚の働きが精神であり、その働きによつて、人間は精神と物質に分裂した二重の存在になる。同時にその事によつて、人間は自由になる。あるいは自由の意識を所有する。

それは言換へれば、人間には自由が無いといふ事の自覚に過ぎず、その自覚に徹した時にのみ、人間は人間としての自由を獲得するといふ事である。本来の意味の自由とはさういふものなのである。その意味で、自由とは人間存在そのものの二重性を端的に表してをり、人間である事と同義語をなすと言つてよい。人間は自由であつて自由ではない。人間は自由でありえないが自由でありえる。この自由といふ言葉の両義語的性格にまつはるアイロニーとパラドックスのために、私達はマクベスのやうに惑はされるのである。

共産主義、全体主義に限らない、既に十九世紀の自由主義がこの両義性に躓いてゐる。といふより、人間の理性がこの両義性に躓いた時に、自由主義を生じたのである。つまり、人間は人間の中に単に意識として内在するに過ぎぬ自由を外在化する事によつて、自由を本来の両義性から脱卻せしめ、一義的な単純化を計らうとしたと言へよう。その結果、自由は単なる可能性の問題に留らなくなつて、現実の問題として捉へられるやうになつた。自由とは欲する自由ではなく、実現する自由となり、しかもその事を誰も怪しまないやうになつた。また消極的・相対的な方法としての自由といふ考へは失はれ、自由そのものが積極的・絶対的な目的と考へられ始めた。自由は生き方ではなく、生の目的、あるいは生そのものとなつた。言換へれば生そのものが人間の目的となつたのだ。生そのものを目的とする時、生は生以外の何物にも仕へる必要が無く、完全に自由である。

要するに、人間は精神の自由をすべて物質の自由に飜訳し直す事に熱中し始めたのである。自由は精神の所管から物質の所管に、あるいは物質の原理を発見し、それに適応する大脳の所管に移され、人間は自己、即ち人格になる努力を止めて、自己を物と合一せしめ、物になる作業に全精力を傾け出したのである。既にラッセルがさうであるやうに、道徳は快適の法則に還元され、幸福は快楽の同義語になる。

が、それで人間は満足しうるのか。自由の両義性から脱卻して、それを一義的に対象化し、可能性の代りに自由の現物を手に入れる事によつて、人間は果して自由になつたか。その前に、一義化といふ事によつて、それが目ざした両義性の矛盾は本当に解消されたのか。否である。矛盾はただ合理性といふ厚いアスファルトの下に押し隠されてゐるだけの事で、監視の目を免れて統御されぬまま卻つて危険な状態にあると言へよう。一口に言へば、人間は永遠に自由でないといふ根本前提を解消しえた訳ではなく、この二三世紀間に次々と行はれた自由の現物支給に目が眩んで、その大前提を忘れてゐたといふ事に過ぎない。だが、追放された人間存在の二重性と自由の両義性は復讐をもくろむ。それはどういふ形で現れるか。言ふまでもなく、自由喪失がそれである。自由が現物として己れの所有に帰した瞬間、人間は自由の意識、即ち自由感を失ふのである。生そのものが目的となり、生が生以外の何物にも仕へる必要の無い完全な自由を得た瞬間、人間の唯一の生き方は生命の法則に随ふ事となり、生き方としての自由を失ふのである。

その意味において、全体主義は一見さう見えるのと相反して、自由主義の延長線上にあり、その私生児に過ぎない。それは自由、民主主義、平和、その他、父親が目標とした理想を悉く一義化し平面化することによつて、攻撃力の集中を謀り、父親に認知を迫る。その事自体、自由の両義性の復讐でなくて何であろう。自由主義は全体主義を化外の民と見る前に、まづそれを鏡として己れの目鼻の特徴をそこに見出し、自分の過ち、あるいは弱味に気附かねばならぬ。

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林健太郎 『昭和史と私』 (文春文庫)

著名な西洋史学者の自伝として興味深いだけでなく、同時代の日本と世界の歴史の描写が実に的確で面白い。

著者の昭和史上の日本の戦争に対する評価は、東京裁判の権威は否定するが、日本が軍の暴走という形で自らの力を自制できなかったことは問題であり、中国大陸での軍事行動の侵略性は否定できないというもの。

別にこの見方に納得できなければそれでもよいが、数年前林氏が亡くなった際、雑誌『正論』で「林氏は結局東京裁判史観を克服できなかった人だ」といった非難めいた投稿が載ったのは少し残念であった。

こういう「偏狭さ」はやはりちょっと問題ではないかと個人的には思う。

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司馬遼太郎 『殉死』 (文春文庫)

今日は『坂の上の雲』の付録のような小品を。乃木希典の生涯を描いた、ごく短い作品。

本書の乃木像には発表当時から福田恒存氏はじめ相当な批判があったようだし、自分もその通り受け取っているわけでもない。

しかしそれでもある特異な人物の生き方を活写しており、どうしても一種の感動を抑えることができない。

こういう感情を起こさせる人は、やはりある種の「偉大さ」があったのではないだろうか。

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福田和也 『地ひらく 上・下』 (文春文庫)

石原莞爾の伝記。

一応の小康状態と工業化の発展をもたらした満州事変と、泥沼化と日米開戦を招いた日中戦争を厳格に区別し、前者の再評価を促す立場から叙述されている。

これには相当議論があるだろうが、興味深いことは間違いない。

上巻の石原の前半生の部分はややタルいが、その後伝記的記述の合い間に挟まれる、アジア史とヨーロッパ史の描写と著者独自の解釈が非常に面白い。

東アジア現代史のテキストとして、通読する価値大。

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陸奥宗光 『蹇蹇録』 (ワイド版岩波文庫)

日清戦争時の外相陸奥宗光の回顧録。

一次資料に近い本だが、表記を一部現代風に変えているので素人でも読もうと思えば読める。

記述は克明だが、詳しすぎず、適当な概説となっている。

日清戦争について知ろうとする場合、変な入門書読むより、初心者でも本書を熟読玩味した方がいいと思う。

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岡崎久彦 『吉田茂とその時代』 (PHP文庫)

シリーズ最終巻。敗戦からサンフランシスコ講和条約まで。

占領下の時代であり、日本人としてあまり愉快な話ではない。

戦争裁判の記述を通じて、今までの近代日本の歴史的評価のおさらいを行っている。

占領行政と押し付けられた改革に対して、著者は相当批判的であり、よく言われる「親米的偏向」は本書については感じられない。

一部問題はあるとしても、このシリーズは初心者向け近代日本史入門書として相当優れていると思われるので、一読をお勧めします。

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岡崎久彦 『重光・東郷とその時代』 (PHP文庫)

終戦記念日前だし、このシリーズの紹介を続けましょう。

満州事変以後敗戦までの概説。

前半三分の二あたりまで、破局に突き進む日本の針路を何とか変えようと苦闘する人々を描写し、非常に面白い。

あえて「歴史のif」を多用し、破局的な日米開戦を避けることはできなかったのか歴史的検証を行っている。

1941年の開戦後は救いようの無い敗北の過程であり、読んでいて辛い部分もある。

初心者向けの標準的通史としては相当優れていると思う。

今まで触れなかったが、このシリーズの各巻巻末に参考文献が載っており、そのうち興味の持てそうなものを読んでいくのもいいであろう。

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岡崎久彦 『幣原喜重郎とその時代』 (PHP文庫)

第一次世界大戦から満州事変直前までの日本外交史。

日清日露の戦いと昭和の動乱に挟まれた、比較的論じられることの少ない時代のせいか、初耳の興味深い話が次々出てくる。

このシリーズでは本書が一番面白い。どれか一冊だけ読むとすれば本書を勧める。

著者の幣原に対する評価は比較的高いが、ワシントン会議における日英同盟破棄をさしたる抵抗も無く許したことに対してはかなり批判的。

岡崎氏は大正時代を近代日本が達成した最良の原点と見なしているが、本書を読めばそういう見方も説得的に思えてくる。

世界史知識の不可欠の一部として近代日本史を学ぶために適当な一冊である。

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幣原喜重郎 『外交五十年』 (中公文庫)

戦前の自由主義的外交官の代表格たる幣原が戦後口述筆記した回顧録。

回顧録といっても外交文書に基づいた詳細極まる交渉過程を記したようなものでは全くなく、本人の記憶だけに頼った大まかな叙述。

その分素人でも楽に読める。

前半で自ら日本外交を指導した時の記述がやはり一番面白い。

ワシントン会議の章は簡略ながら列強の交渉の一端が垣間見れて興味深い。

(1927年北伐軍の)南京事件の際の、幣原の対応を記した部分はこの時代の概説などでよく引用されていた。

後半、公人生活から離れた後は四方山話のようなものが続くが、これはこれで面白いところもある。

楽に読めるし、一度ざっと通読しておいても損はない。

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岡崎久彦 『小村寿太郎とその時代』 (PHP文庫)

日露戦争と韓国併合に関する概説。

開戦前の外交の叙述は面白いが、開戦後の戦闘の描写は『坂の上の雲』などで知識を持っているとやや退屈。

まあシリーズものだし、本書も通読しておいたほうがいいでしょう。

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岡崎久彦 『陸奥宗光とその時代』 (PHP文庫)

この著者はとにかく毀誉褒貶が激しい。「親米保守」の代表格として左右両派から目の敵にされている。

しかしこの近代日本外交史シリーズではそれほどひどい「親米的偏向」は見られないと思う。

現在の政策について「対米追従」と言えばそうかもしれないが、著作を読むと決して「戦勝国の正義」に屈しているわけでもない。

というわけで、非常にまとまった入門書として当シリーズを勧めることにする。

第一巻のこれだが、前半は陸奥の生い立ちと維新前の社会状況、明治国家の内政の話が延々と続き、仕方が無いとは思うが、個人的には少々参った。

後半日清戦争の記述に入ると、俄然面白くなる。

史実がよく整理された叙述と著者の歴史的評価が絶妙によく合わさっている。

中学生でも読める入門書を目指しただけあって、表現は平易で難解な文章も無い。

良質の啓蒙書として通読しておく価値大。

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司馬遼太郎 『坂の上の雲 全8巻』 (文春文庫)

司馬遼太郎の著作で世界史関連はもう無いかなと思って探したら、日露戦争を描いたこれがあった。

世界史でも近代日本外交史は必要と思うので入れる。

財界人への愛読書アンケートなんかでよく挙げられる書物だが、確かに物語としての完成度、成熟度は非常に高い。

全8巻でも通読は全く困難ではない。

乃木大将の扱いは福田恒存などに批判されたようだが、それを差し引いても傑作の名に値すると思う。

文章の読みやすさと、ストーリーの合間に挿まれる余話の巧みさはこの著者にしか出せないものがある。

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