カテゴリー「おしらせ・雑記」の61件の記事

引用文(坂井榮八郎2)

同じく、坂井榮八郎『ドイツ近代史研究』(山川出版社)、「講演 啓蒙絶対主義と革命」の章、註より。

1794年ウィーン・ブダペストなどで「ジャコバン主義者」が「大逆的陰謀」の嫌疑で逮捕され、センセイショナルな「ジャコバン裁判」を経て、翌95年十人が処刑された。

ただし、オーストリアの啓蒙絶対主義の名誉のために、以下のことを付け加えておきたい。皇帝フランツは逮捕者を特別法廷で裁き、「大逆罪」で処刑しようとした。それに対して法学者たち、とりわけマルティーニ・・・・・が反対の論陣を張り、オーストリアの一般刑法では民間人に対する死刑はすでにヨーゼフの時代に(1787年の刑法改正)廃止されており、「大逆罪」は実行犯に対してのみ適用可能であり、特別法廷による裁判は法を曲げるものであることを主張、政府もこれを認めざるをえなかった。そのため、ウィーンでは軍籍にあった二名のみ(その後クライン州で逮捕された一名が追加される)処刑されるに止まった。他の七名は1793年に死刑が再導入されていたハンガリーでの処刑である。なお、ウィーンの「陰謀」首謀者リーデルは六十年(!)の重禁固刑、他も長期の禁固刑に処せられたが、リーデル以外はみな1802年に恩赦で釈放されている。・・・・・

この際、「ジャコバン独裁」下の「恐怖政治」期(93年9月~94年7月)のフランスでは、内戦もからんではいたが、「裁判」の判決によるものだけでも一年足らずの間に全国で一万六〇〇〇人の人間が死刑に処せられていること、裁判抜きの「処刑」も多数あり、「恐怖政治」の犠牲者は合わせれば四万にも上ること(柴田三千雄他編『世界歴史大系・フランス史2』山川出版社、1996年、386頁)を想起されたい。それに踵を接する時期の「ジャコバン裁判」である。啓蒙絶対主義の法意識は軽視されてはならないであろう。

クルトワ『共産主義黒書 ソ連篇』(恵雅堂出版)プティフィス『ルイ16世 下』(中央公論新社)記事の引用文など参照。

(上記の恐怖政治時代の犠牲者4万というのには、ヴァンデー地方の王党派反乱鎮圧の犠牲者はたぶん含まれていないと思われる。一説では30万人にも上ると言われているらしいその犠牲者については森山軍治郎『ヴァンデ戦争 フランス革命を問い直す』(筑摩書房)という著作があり、読もうとは思ってるんですが、未読のまま。)

全ての権力が人民の意志から発すると宣言した国民国家より、王権神授説に基づく世襲王朝国家の方が、実際は国家権力が制限されていたというのは現在の視点から見ると非常に奇妙に思えるが、一定の留保を付ければ事実だと思う。

20世紀になるとそれが一層悲惨な形で示されるが、これはテクノロジーの発達だけで説明されることではないと個人的には思う。

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引用文(坂井榮八郎1)

坂井榮八郎『ドイツ近代史研究』(山川出版社)、「帝国建設と自由主義の挫折」の章より(赤文字は引用者)。

・・・・・英独自由主義の比較においては、両者の発展傾向の基本的共通性とともに、ドイツの自由主義がイギリスのそれに比し、きわめて不利な条件下での発展を強いられたことが指摘されている。資本主義発展の後発性と工業化における国家のイニシアティヴ。貴族ホイッグの不在、あるいは力の弱さ。イギリスの自由主義が、議会政治の先進性と非民主的選挙権の組合せの下で、大衆の政治参加以前に「政権党」となりえたのに対し、ドイツでは条件の逆の組合せ(議会政治の後進性と最先端的な民主的選挙権)の下で、「自由主義時代」の最初から「下から」の、あまつさえ――実勢力はともかくイデオロギー的に――世界でもっとも革命的な社会主義政党の圧力にさらされていたこと。加えてドイツでは、自由主義がカトリック教会を最初から敵に回していたこと、等々。しかし自由主義が労働者層やカトリック教徒を統合しえなかったことについては、いわゆる「負の統合(Negative Integration)」への自由主義の加担からしても、自由主義自身がその責めを負わなければならないところが多い。

ここで「負の統合」というのは、大プロイセン的小ドイツ帝国に容易に同化しえない国民の一部に「帝国の敵(Reichsfeind)」の烙印を押し、この共通の敵に対する敵意をテコに他の相対的多数の国民を統合しようとする政治術策、ないし事実過程をさす。周知のように、その最初の大きな標的はカトリック教会であり、78年以降は社会主義者であった。「負の統合」をどの程度ビスマルクの意図的術策と見るべきかについては議論の余地があるが、文化闘争および社会主義者鎮圧法に、そう呼ばれうる事実過程が随伴していたことは確かである。他方、抑圧されたカトリック教徒はこの間――「負の統合」の反作用として――教会とカトリック諸団体の指導の下に、固有のサブカルチャーをもち、自由主義的=プロテスタント的市民文化世界とは隔絶した独自の生活世界をつくり出した。社会主義的労働者の生活世界もまた同じである。そしてこれが、自由主義的国民統合の課題と根底において相容れない事態であることはいうまでもない。

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引用文(バジョット2)

『世界の名著72 バジョット ラスキ マッキーヴァー』(中公バックス)より。

君主の権限が不明確であるということは、皮相浅薄な自由主義的制度論から見ると、たしかに欠点である。民衆政治においては、すべての権限は、認知できるものでなければならない。このような民衆政治は、政治権力をもつ国民――統治者たる国民――が、みずから適当であると判断し、その判断に従って統治するという考えに立っている。この考え方からすると、各行政部門の行為はすべて、国民の判定を受けねばならない。国民はその行為の是非について監視すべきである。またその行為がよくないと思われる場合には、種々の方法で異議申し立てをすべきである。しかるに、どのような行為をしたかを知らされないなら、判定できないし、またどのような行為をしたかわからないなら異議の申し立てもできない。したがってこの考え方によれば、隠された大権は違法である。おそらく、最大の違法になるであろう。

しかしこの秘匿性は、現在のところ、イギリスの君主制が効用を発揮するためには必要なのである。なにものにもまさって君主は、尊敬されなければならない。君主について詮索しはじめると、尊敬できなくなる。君主に関する特別委員会ができると、君主制の魅力はなくなるであろう。秘密が君主の生命である。魔法を、白日の下にさらしてはならない。君主を政治葛藤の中に引きずり込んではならない。さもないと、君主は全闘士たちから尊敬されなくなるであろう。また君主は、多くの闘士たちの仲間入りをすることになるであろう。君主に秘密の権限が存在することは、抽象的な理論によれば、わが立憲体制の欠点であるとされている。しかしそれは、イギリス程度の文明国にはありがちの欠点である。このような国では、はっきりした役に立つ権力が必要であるとともに、尊厳な、そしてそれゆえに不可知な権力もまた必要なのである。

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引用文(バジョット1)

『世界の名著72 バジョット ラスキ マッキーヴァー』(中公バックス)より。

貴族院――むしろ貴族というほうがよい――の威厳の力は、非常に大きな効用をもっている。かれらは君主ほどの尊敬を受けてはいないが、やはり相当大きな尊敬を受けているといえる。貴族階級の役割は、一般民衆の心の中になにものかを植え付けることである。植え付けるものは、必ずしも虚偽ではなく、いわんや有害なものでもない。貴族は、民衆の鈍重な想像力に、貴族であればこそといえるような、なにものかを植え付けるのである。大多数の人間の空想力は、驚くほど貧弱である。かれらの空想力からすると、目に見える象徴がなければ、なにも理解できない。また象徴を示しても、十分に理解できないものがたくさんある。・・・・・このような階級の存在は、非常な効用をもっているといえる。すなわち、これによって、粗野で愚鈍な、しかも度量の狭い大衆は、元来評価や認識ができないにもかかわらず、知能をもった、ある種の者に対し服従感覚を呼び起こすようになるのである。

なお貴族階級は、服従感覚をつくり出すだけではなく、それを防止することでも大いに役立っている。貴族は、富の支配、すなわち黄金崇拝を防止している。富がアングロ・サクソンの偶像であることは、疑いないところであり、またそれは当然ともいえる。・・・・・ところがイギリスでは、貴族制度がこのようなことを防いでいる。「気の毒なことに、百万長者がイギリスほど不自由に暮らしている」国はどこにもない。金だけで、ただ単に金だけで「ロンドン社交界」をのし歩けないことは、毎日身にしみて味わわされており、また実証されてもいる。財力と違った別の優勢な権威によって、富が押さえつけられているのである。いな脅迫されている、といったほうがよい。

しかし、これは別段長所とはいえない、単にある崇拝を別の崇拝に替えるだけである、黄金崇拝も地位の崇拝も同じである、といわれるかもしれない。かりにこの理屈を認めるとしても、やはり二つの偶像をもっていることは、社会にとって非常に結構なことである。偶像崇拝の競争をすると、本物のほうが勝利を占めるからである。しかし地位の尊敬、少なくとも世襲的な地位の尊敬が、黄金崇拝と同様にいやらしいというのは当たらない。これまでの経験によると、礼儀作法は、ある身分層で半ば世襲的に受け継がれてきている。礼儀作法はすばらしい芸術の一つである。それは、社会の品格を示すものである。それが日常会話のやりとりで大切なことは、文章の綴り方がときおりの手紙の交換に大切なのと同じである。富を尊敬することによって、人間でなく人間の付属物を尊敬しているのである。世襲貴族を尊敬することによって、貴族が所有していると思われる偉大な能力――貴族のもっているなにものかを示す能力――を尊敬しているのである。・・・・・礼儀作法は、たまには個々の貴族に欠けているかもしれないが、体質的に貴族階級に付随しているものである。

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引用文(ヤスパース3)

前回記事の続き。

彼は知性に唯一の故郷を見いだしている。知性のなかで彼は快感をおぼえるが、それは、知性においては、一切を、思考する運動のなかで他者として把握することだけが、課題だからである。彼は、一切を混同する。彼には、<自己であること>が欠けているために、決して科学をわがものとして獲得することができない。彼は、科学への迷信から科学と闘う迷信まで、いつでも状況しだいであちらこちらと動揺している。

彼の情熱は論争である。彼は決定的な言葉を用い、徹底的な立場をとるが、しかもそれらに固執しない。他人の語ることを、彼は受け入れる。彼は、自分の語ることも正当で、ただ、これを付け加えあれを言いかえなければならないだけなのだと、誰にでも申したてる。彼は、他人にまったく同意しておいて、そのあとでは、そんなことが全然語られなかったかのように行為する。

詭弁家は、その人にとっては知性がそれ自体であるのでなく現象する存在の媒体であるような、自己である相手にぶつかると、際限なく動揺する。その場合、彼には彼の現存在の妥当性が侵害されるように思えるものだから、彼は極端に昂奮し、たえず視点をずらしていき、次々に別の論争分野に踏みこみ、ある瞬間には完全に客観的な即物主義を強調して、しかもそのあとすぐに自分では情緒的になる。彼は、ひとつの公式に自分を一致させようとして、まるでそこに真理が存するとでもいったように、迎合する。彼は、いま哀れっぽくもちかけているかと思えば、もうこんどは激昂している。何ごとにおいても、連続性というものがない。しかし、彼にしてみれば、全然目だたないでいるよりは、壊滅的に解体される方がましなのである。

詭弁家にとっては、一切を合理的に取りあつかいうるということが、生活条件である。彼は、思考方式、範疇、例外なき方法のもろもろを採用するが、それはもっぱら話術形式としてであって、認識作用の内実豊かな運動としてではない。彼は、論理的に周知の手段で瞬間的な成果をめざすために推理式的論理一貫性で考え、語られているものが何であろうとそれを才気縦横に反対命題に転換させるために弁証法を使用し、なんら事態に接近することなしに直観や実例をねらい、平明な理解しやすさをねらうのであるが、それは彼が修辞学的な効果をおさめることを考えて、洞察を意に介しないからである。彼は、他のすべての人々の忘れっぽさをあてにしている。彼の修辞学的断定性のパトスは、彼を捕えるかもしれないすべてのものから、のらりくらりと逃げることを彼にゆるしてくれる。彼は、気の向くままに是認したり否認したりする。彼が語ることは、時の進行にたえて立っている建築物を欠いたひとつの遊戯であり、彼との交わりは、底なしの淵に落ちこむことである。何ひとつ生い育たないが、それは彼が出まかせに、おしゃべりをしているのだからである。彼と関係することは、自己浪費を意味する。全体的に見て、彼はみずからの無の意識に、不安に満ちてつらぬかれており、それでいながら、彼を存在にもたらすような飛躍をおこなおうとは欲しないのである。

このような描写は、つづけていけば際限がない。それらは、われわれをそれに変化させるためなのか、われわれを現存在から排除するためなのか知らないが、隠密のうちに一切を横領したがっているひとつの無名の力をめぐって、巡回しているのである。

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引用文(ヤスパース2)

カール・ヤスパース『現代の精神的状況』(理想社)より。

顛倒というものについてのいかなる特定の把握も、単純すぎる。なぜならば、詭弁的な現存在の顛倒は、ひとつの普遍的なものだからである。それが捉えられるところでは、それはもうすでに変化してしまっているのである。詭弁家の可能性は、現存在秩序に関しては、現存在における人間の未来に対する無名的な警告として産みだされるものであるが、そうした詭弁家は、間断なく顛倒することとしてしか描かれることができない。定式化されるときに詭弁家が受けとる特徴は、つねに、もうすでに規定されすぎているのである―――

詭弁家は、外見上どれほど自然的に見える自明性においても、自分はそこには決していない。すべてに通暁していて、彼はあらゆる可能性を、或るときはこれ、或るときはそれと、任意につかむのである。

彼はつねに自分が共働者であることを示す。なぜなら、彼はその場に居合わせることを欲するから。重大な衝突となると、かれはそのことごとくを避けようと努め、それをどんな平面においても明瞭な現象とならせまいとする。全面的なつながれ方をしているというヴェールをかぶりながら彼が欲しているのは現存在だけであって、より高い性質のものになろうとすることから、同一水準にある他の人々に反対して、問いを出していく運命の戦いに入っていくところの、あの真の敵対性をもつ能力は彼にはないのである。

すべてのものが彼に反対するところでは、その波が過ぎ去ったときふたたびそこにあることを期待して、彼は屈して従うことができる。一切が見こみなく見えるときでも、なおそこに有利な道を見いだすことが、彼には可能になる。彼はいたるところに関係をつける。そして、彼は、ひとが彼を愛顧して昇進させるしかないように自分を示す。彼は権力がそこで彼に出会うところの、経営のなかでは従順である。だが、もはや権力がないとなると、獰猛で不忠実である。何の代価もはらわないでいいところでは激情的であり、みずからの我意が挫かれるところでは感傷的である。

彼が優勢になり確固たる地位を獲得すると、いましがたまで卑屈であったその彼が、存在である一切のものに対して、俄然、攻撃的になる。憤怒の衣服をまとって、彼は人間の高貴さに彼の憎悪を向ける。なぜならば、彼の身に何が起ころうとも、彼はそれを無のなかに止揚するのだから。無の可能性の前に立つ代わりに、彼は無を信じているのである。彼に迫るものは、どんな存在に直面しても、それが無であることを彼流に確信することである。彼がすべてをわきまえていようとも、畏敬とか羞恥とか忠誠とかが彼に無縁なのは、このことに由来する。

彼は根底的な不満に激情的に身を投じ、忍耐のヒロイズムを思わせるゼスチュアをする。実存なきアイロニーの態度には、彼は達者なものである。

・・・・・

決してまともな相手ではなく、彼は名乗って出ることはないし、すべてを忘れ、口ではいつも責任を言うくせに内的責任というものはまるで知らない。彼には無条件的なものの自主性が欠けており、しかも彼には非存在の無拘束性が残っていて、その点に、瞬間的で任意に取りかえる主張の強引さがある。

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引用文(ヤスパース1)

カール・ヤスパース『現代の精神的状況』(理想社)より。

・・・・・単なる現存在秩序が相対的で自由が超越的存在の前では無であるという真なる意識が、一切のものを否定することに変化させられてしまう。現存在によっては中和されえない<固有現存在>の不満のひそかな毒が、行動し労働することとしての生活の代わりに、否定的に罵ることとしての生活を産み出す。

この毒におかされると、私は本来的には、いつでも一切がいま現にあるのとは別であってくれることばかり欲し、いつでもかかわりになることだけはしなくてもよいように脱走することばかり欲するのである。

時代や情勢についての正当といえる批判が、それらのなかで人間が脅かされているがために、ひとつの楽しい懐疑的滅却になる――あたかも「否」を言うことが無能力者たちにとって、れっきとした生活であるかのように。

世界を粉砕する――そのとき生ずるものは、これまた価値ある何ものかであろうが、どのみちそれも粉砕される羽目にならざるをえない――それがこの「否」の気楽な態度なのである。

しかし、本能的な生命衝動のために、ひとは無としてでもとにかくその人自身でありつづけたいと欲する。ひとは、その根において所詮は嘘であるところの、仮借ない真実性を装う。時代意識において百年このかた考えられてきたすべてのものが、この否認的に思ったり言ったりすることの箔として役立つに相違ない。

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引用文(遅塚忠躬1)

遅塚忠躬『フランス革命 歴史における劇薬』(岩波ジュニア新書)より。

まず、中江兆民の場合です。兆民は、フランスで第三共和政が成立した直後の1872(明治5)年から1874(明治7)年までフランスに留学し、帰国後には、ルソーの『社会契約論』の翻訳などを通じて自由民権運動に大きな影響を与えた人です。ルソーは、主権が人民にあることを説いて、フランス革命の思想的源泉になった人ですから、「東洋のルソー」ともよばれた兆民は、デモクラシーを樹立するうえでのフランス革命の意義をよく理解していました。

・・・・・・・

しかし、その兆民も、フランス革命の悲惨な側面にたいしては、強い不満と怒りをもっていました。たとえば、ロベスピエールについては、「鄙賎無頼(ひせんぶらい)の民(いやしいならずもの)」を煽動して権力を手に入れ、「酷暴ヲ恣(ほしいまま)ニシ、威刑ヲ以テ政ノ主旨ト為シ(残酷な暴力をふりまわして恐怖政治をおこない)・・・・・殆ンド専制ノ君主ト異ナルコト無キニ至ル」と述べているほどです・・・・・。

兆民の革命観をよく伝えている史料として、幸徳秋水の書いた『兆民先生』という文章があります。幸徳秋水は、のちに明治天皇の暗殺を計画したという罪を着せられて死刑に処せられる人ですが、若いころ、兆民の家に書生として住みこんで、親しく兆民から教えを受けたことがあるのです。その秋水が、兆民の死んだ翌年(明治35年)に彼をしのんで書いたこの文章のなかに、次の一節があります。

予(秋水のこと)曾(かつ)て曰く、仏国革命は千古の偉業也。然れども予は其(その)惨に堪へざる也と。先生(兆民のこと)曰く、然り予は革命党也。然れども当時予をして路易(ルイ)十六世王の絞頸(こうけい)台上に登るを見せしめば、予は必ず走って劊手(かいしゅ)(処刑役人のこと)を撞倒し、王を抱擁して遁れしならんと・・・・・。

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引用文(中江兆民1)

『中江兆民評論集』(岩波文庫)、「君民共治の説」より。

政体の名称数種あり。曰く立憲、曰く専制、曰く立君、曰く共和なり。その事実についてこれを校するときは、立憲にして専制なるあり、共和にして立君なるあり。共和いまだ必ずしも民政ならずして立君もまたいまだ必ずしも民政ならずんばあらず。

今や海内の士皆政治の学に熱心し政体の是非得失を講ぜざる者なし。しかるに東洋の風習常に耳を憑(たの)みてかつて脳を役せず、形態を模擬してかつて精神を問はず。

是(ここ)において耳食の徒往々名に眩して実を究めず、共和の字面に恍惚意を鋭して必ず昔年仏国のなせし所をなして、以て本邦の政体を改正するあらんと欲する者またその人なしとなさず。

その迷謬固(もと)より不学寡聞の致す所にしていまだ深く咎むるに足らずといへども、今にしてその惑を弁ぜずんばただに莠苗淆乱(ゆうびょうこうらん)大に我儕自由の暢路を妨碍するのみならず、また恐くは蠹毒(とどく)侵蝕暗に国家元気の幾分を戕賊(しょうぞく)するあらん。しからば則ちこの惑を弁ずることまた方今のまさに務むべきの急たり。故に一日の紙上を費しいささかこれを弁説せんとす。

共和政治の字面たるや羅甸(ラテン)語の「レスピユブリカー」を訳せるなり。「レス」は物なり、「ピユブリカ」は公衆なり。故に「レスピユブリカー」は即ち公衆の物なり、公有物の義なり。

この公有の義を推してこれを政体の上に及ぼし共和共治の名となせるなり。その本義かくの如し。故にいやしくも政権を以って全国人民の公有物となし一二有司に私せざるときは皆「レスピユブリカー」なり。皆な共和政治なり。君主の有無はその問はざる所なり。

しかれば則ち今において共和政治を立てんと欲せばその名についてこれを求めんか、将(は)たその実を取らんか、その名についてこれを求むるときは古昔ウエニース国の如きもまた称して共和といへり。しかれどもその実は決して人民をしてその政治に干預せしめたる者にあらずして、衆貴族相合議してこれを行ふに過ぎず、これ豈に真の共和政治ならんや。

独りこれのみならず即ち見今仏国の共和政治の如きもこれを英国立君政体に比するときは、共和の実果していづれにありとなさんか。これに由りてこれを観れば共和政治固よりいまだその名に眩惑すべからざるなり。固よりいまだ外面の形態に拘泥すべからざるなり。

・・・・・・・

けだし見今共和政治の名称に惑ふ者その党分ちて二となす。曰く共和政治を忌悪する者なり、曰く共和政治を景慕する者なり。

これを慕う者の説に曰く、共和を以て政治をなすときは復た君と民を別つべからずと。その意けだし必ず米国もしくは仏国の政体の如くにして後已まんと欲す。

これを忌む者の説に曰く、もし共和を以て政治をなすときはまさに我君をいづれの地に置かんとするやと。その意けだし我邦の必ず米国もしくは仏国の如く絶えて君を置くことなきに至ることを懼るるなり。

これ皆皮相の見のみ、形態に拘るの説のみ。たとひ前説の人をして眩惑して回らず終にそのなす所をなさしめばその禍固より測るべからず。後説の人をしてその志を得さしめば、則ち圧制束縛の政益々力を逞(たくまし)くしてその害もまた必ず言ふに勝(た)ゆべからざるに至らん。

ああ毫釐(ごうり)の差にして千里の謬を致す、寒心せざるべけんや。仲尼曰く、必ず名を正さんかと。名の正しからざる一日数千万の善男子をして長く五里霧中に彷徨して出る処を知らざらしむるに至らん。これ乃ち吾儕の「レスピユブリカ」の実を主としてその名を問はず共和政治を改めて君民共治と称する所以なり。

君民共治の方今に行はるる者は嚮(さ)きのいはゆる英国もこれなり。ああ人民たる者能く政権を共有すること一に英国の如くなることを得ば、これもまた以て憾なきにあらずや。誠にかくの如くなる日は前説の人恨を留むる所なくして後説の人もまた憂を懐く所なきを得ん。

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引用文(ケナン2)

ジョージ・ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』(未来社)より。

1941年6月22日、ドイツがソ連に進撃した時、筆者はベルリン大使館に勤務していた。・・・・・この新事態の重要性をあれこれ考えながら、筆者は机に向かい、国務省ロシア部長宛てに次の要領の短文の覚え書きをしたためた。われわれがすべて、想像をたくましくして推測してきた出来事がついに起こった。われわれの取るべき道は、ソ連に物資援助をさしのべ、ソ連がその領土を防衛し、東方におけるドイツの圧倒的勝利を阻止できるようにしてやる以外にはない。しかし、ロシア国境線以西の東欧諸地域にたいするソ連の野心をわれわれがけっして支持しないように希望する、と筆者は特に強調しておいた。

・・・・・筆者がむなしい短文の覚え書きにペンを走らせていた時、チャーチルはラジオ演説の準備に忙しかった。その中で彼は次のように述べた。

「ナチス勢力に抗して戦い続ける人々や国家はすべて、われわれの援助をうけるであろう。・・・したがって当然、われわれに可能なあらゆる援助をロシアおよびロシア国民に与えることになる・・・。自分たちの家庭を守るために戦っているロシア人の大義は、同時に世界いたるところの自由人と自由国民の大義であり、また同じくロシアの直面している危険は・・・、われわれにとっても、またアメリカにとっても同じく危険である」と。

このような諸声明には、ロシアの国境線を越えるソ連の野心については、いかなる留保もなされていなかったのである。

・・・・・チャーチルが表明した見解は、当時、西側諸国が取りえた唯一の見解ではなかったことを銘記する必要がある。なぜなら、スターリンに次のようにいってみてもよかったのである。

「ちょっと待った、スターリン君よ。われわれは、そんなに忘れっぽくないんだ。この戦争で君らが甘い汁を吸おうとしたことくらい、ちゃんとわかっているんだ。君たちがわれわれにたいしてどのような感情を抱いてヒトラーと協定を結んだかも、よく知っている。君はヒトラーと協力してやってゆこうとして、大失敗をしでかした。だがそれは、われわれの知ったことじゃない。もし君が、われわれから物質的・軍事的援助を受けることに心を動かされているのならば、その援助がわれわれ自身の目的にかない、適当と思われる分量だけきっかり差し上げよう。その間われわれは感傷にふけるようなナンセンスは止そう。ヨーロッパでの君の目標がどんなものか、君は示してくれた。われわれは君がドイツの侵略者たちを撃退できるよう支援するが、君が1938年までは領有を認められていた領土を越え、更に拡大する野望を抱いても、われわれの同意を期待できないだろう。」

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新刊情報

ブルクハルト『世界史的諸考察』(二玄社)が、ちくま学芸文庫から『世界史的考察』のタイトルで数日前に刊行されたようです。

訳者名が違うので、多分新訳だと思います。

二玄社の単行本や岩波文庫版は絶版になって久しいですし、ちくま学芸文庫は一旦品切れになると、まず復刊しないと聞いたことがありますので、未読の方はすぐ読む予定が無くても、とりあえず購入しておいてもいいんじゃないでしょうか。

それだけの価値のある本だと思います。

なお、そのせいかここ最近その手のキーワード検索でこちらに来られる方が多いのですが、グーグルで「世界史的諸考察」を検索すると、現時点でトップにこのブログの該当記事が表示されるのには、正直ある種の恐怖を感じる。

これだけ結構な名著の書名で検索して、こんなしょぼい個人ブログが最上位に来るとは・・・・・・。

ネットってよっぽど実のある情報が少ないんですね・・・・・・。

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引用文(レーデラー1)

先日のエミール・レーデラー『大衆の国家』(創元社)より。

左翼勢力に対する敵意の余り、ファシズムという大衆運動を自らの陣営に引き入れた保守的支配層についての叙述。

貴族・大富豪・銀行家・将校・教会といった初期および後期ファシズム運動の支持者たちはすべて、自分たちが不可欠であることをあまりにも過信していたので、極右だと信じていた政党の支配を恐れなかった。だから、独裁とか自由の喪失といったことが何を意味するかについてある種の見解をもっていたために、コミュニストに権力を与えなかった労働者に比べると、これらのひとびとには政治的本能がずっと少なかったといえよう。けれども右翼の集団はいつもシニカルである。いままでの支配の実績がかれらを勇気づけていたし、いったん民主政府の下からその支柱をとりのぞいた暁には、かれらの軍隊と官僚が勝利するにちがいないと確信していた。

だが民族主義的な叫び、労働者組織に対する闘争、暴力の讃美といった訴えも、ブルジョアジーと既存の歴史的権力に反対することばによっていささかよわめられた。くりかえしくりかえしファシズムは、それ以上にナチズムは、自分たちを革命的権力であると公言した。ファシズムのリーダーたちの貴族や銀行家や大富豪に対するあざけりのことばが、大いに聴衆をよろこばせた。かれらは自分たちの若さを強調し、すべての敵を粉砕して是が非でも国家を征服してみせると、自分たちの腕力と強さを自慢した。ところが、保守主義者はこれをことばどおりに信用せず、むしろ追随者用のデマゴギーだと考え、その運動の成功した暁には、大衆は「解散し」て貧民街や仕事場へ戻ってしまうだろうと信じて疑わなかった。こういったことが保守的なひとびとの間に広まった考えだったことは、今日ではほとんど信じられないことだろう―しかし、あまりにもボルシェヴィズムの危険に目がくらんでいたので、自分たちが何に直面しているかを悟らなかったのである。

これが、今の日本と何の関わりも無い文章であれば、幸いです。

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書名一覧、一応完成しました

先日から作成していた書名一覧が完成しました。

サイドバーの「ウェブページ」下にある地域別カテゴリテーマ的カテゴリに、ほぼ全記事のリンクと個人的評価を載せています。

単独の引用文や雑記的記事については、おしらせ・雑記のカテゴリをご覧下さい。

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引用文(ケナン1)

『ジョージ・F・ケナン回顧録 上』より。

1939年、ケナンは第二次大戦下の在ベルリン米大使館に勤務する。

(41年12月の日本の真珠湾攻撃とヒトラーの対米宣戦布告の前なので、当然米独間は交戦状態にはない。)

・・・・・ベルリン市民たち―ただの市民たち―は、ドイツ国民の中でも、ナチ化されることの最も少ない人々であった。彼らはナチ流のあいさつなど絶対にしなかった。最後まで、お互いの日常のあいさつは“グーテン・モルゲン”で通し、押しつけられた“ハイル・ヒトラー”を使おうとはしなかった。

彼らはまた、戦争にはいささかの熱意も示さなかった。ポーランド攻略を終えて帰還した軍隊の凱旋パレードを、彼らが重々しい沈黙で見守っていた(この忘れられない日に大使館前のパリーザー広場に集まった市民たちの中に私もまじっていた)のを、私ははっきりと証言できる。職業的なナチの煽動家たちが気違いじみたいかなる演説を行っても、彼らを興奮させ喜ばせることはできなかった。

パリ陥落のニュースも、同じような謎の沈黙と自制で迎えられた。たまたまその日の午後、私はバスに乗ったが、二階の囲いのある席にいたので、乗客の話し声が聞こえた。私の耳に入ってくる話し声の中には、パリ陥落のことなどは一言もなく、すべて食料の配給カードや靴下の値段のことばかりであった。

戦時下のベルリンにあって驚かされたことは、市民たちが、ナチ体制の思い上がった戦争目的に対し、はっきりと目に見える形ではないが、間違いなく精神的断絶感をもっているようであり、戦時下、規律が日に日に厳しくなってゆく中でも、できる限り、日常の生活を維持してゆこうとしていることであった。公共出版物は戦争一色に塗りつぶされていたにもかかわらず、ベルリン市民や他の大都市の大多数の一般市民にとって、戦争は体制のためのものであって、彼ら一般市民のためのものではなかった。

土曜の夜も更けて、私はハンブルクのビンネンアルスター地区の酒場を出ると、真っ暗な街をわが家に向けて手探り状態で歩き出した。

ある街角で、一人の婦人が姿を現し私の方に近づいてきた。婦人は立ちどまると、「どこかへお伴しましょうか?」と言った。その声は楽しげで、またしとやかで、決してとってつけたような優しさではなかった。どこかで一緒に飲みましょうと誘うと、「おお、ノー」ときた。彼女にはそんなやり方で時間を潰すゆとりはなかったのだ。「何か外に興味はありませんか?」と彼女は聞いてきたので、ないと答えた。しばらく言葉のやり取りした揚げ句、私が普通のサービス料を払うかわりに、彼女が私の顔を立ててパブリック酒場に一緒に行くことで話が決まった。

そこで彼女が行きつけのバーに私を案内し、腰を下ろした。私はまずハイボール一杯を飲み、彼女は何かカクテルを注文し、タバコを買った。明るいこのバーの中で、私は初めて彼女をはっきりと見ることができた。まだうら若い女性で、容姿も美しく、きりっとした顔の持ち主であった。衣裳も上品な好みのもので、彼女がこんな商売をしているとは誰にも思えないほどだった。

彼女の話では、街に出るようになってもう四、五年―その間時々休むこともあったが―になるという。最近では昼間は仕事を持ち、毎夜一、二時間ほどしか街へ出ないとのことだった。昼間の仕事というのは、ある工場で荷物を包装する仕事で、一週間十九マルクの賃金をもらっているとのことだった。それは辛い仕事で、指の爪をすっかり駄目にしてしまったらしい。しかし強制収容所にいるよりはずっとましだった。もし彼女が愚図愚図していて、この仕事に前からついていなかったとしたら、自分も強制収容所へもっていかれたかも知れなかったという。

・・・・・外出禁止時刻がもうすぐだった。私は酒場の支払いをすませ、その釣り銭から彼女にサービス料を与えた。彼女は黙って受け取ったが、決して媚びた態度ではなかった。その時まで、私たちは真面目な友達同士だったのだ。

外へ出る時、私は彼女に言った。「このままでは、結局君は強制収容所行きになるかも知れないよ」

彼女は寂しげな笑いを浮かべ、「知ってるわ」と言った。彼女は暗闇の中を、すぐ近くのアパートに向けて歩いて行った。アパートの門口の鍵をあけると、廊下の薄青い光が見えた。彼女は白粉の匂いのする頬をおずおずと私にさし向けて、「キスしてもいいわ、ねえ」と言った。

家路をたどりながら北方の空を見上げると、サーチライトの大きな光束が四本、目標機を追って真っ黒な空をゆっくりと移動していた。

家に着いて初めて気がついたことだが、二人はいろいろたくさんおしゃべりしたが、結局、戦争のことは何一つしゃべらなかった。

このような経験をなめてきた私には、その後数年間、アメリカの世論が見境なく、その政治的敵対者に押しつけようとする極悪非道のイメージを、そのまま受け入れることができなかったのをわかっていただけるだろう。アメリカの新聞やワシントンの官辺筋の多くが、ドイツ国民を一括して、ヒトラーを熱烈に支持し、ヨーロッパ諸国の破滅と奴隷化の悪魔的野望に血道をあげる残忍な怪物集団だと決めつけることに同意するわけにはいかなかった。

ケナンは当初、ドイツの保守派と軍部による反ヒトラー運動に精神的支援を与えることに懐疑的だった。

しかし反ナチ人士との接触を重ねるうちにその意見は大きく変化する。

特に19世紀の著名な軍指揮者の兄弟筋の曾孫にあたるヘルムート・フォン・モルトケ伯や大宰相の孫であるゴトフリート・ビスマルクに対する強い敬意を語っている。

(モルトケは逮捕され1945年初めに絞首刑となる。ビスマルクも死刑を宣告され刑の執行が引き伸ばされているうちにドイツが敗北し釈放されるが、まもなく自動車事故で死去。)

このような経験に直面してきた私は、戦争の終わりごろ、フランクリン・ルーズベルト大統領と話した時、彼が第二次大戦を第一次大戦と厳密には区別できず、またプロイセンの大地主階級が、昔はカイゼルの権力の支柱であったし、あるいはそうだと言われてきたと同じく、今度はヒトラー権力の支柱となっていると考えている多くの人々の一人だと知って、驚いてしまった。実際には、ヒトラーはその中心の支持勢力を、下層中産階級と一部は新興財閥に求めていた。プロイセンの旧貴族階級は二つに割れていた。しかしこの貴族の中から、ヒトラーが相手にすることになった反対派の中でも最も進歩的で勇敢な人々が出て来たのである。

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記事リスト(書名一覧)【未完成・暫定版】設置のおしらせ

以前からあれば便利だなと思っていたので、記事リスト(書名一覧)をここ最近作成しておりました。

完全な主観ですが、5段階で面白さを、3段階で読みやすさを評価したものを書名の後に付けています。

まだ未完成ですが、「近代日本」を除く地域別カテゴリの分は出来ましたので、とりあえず公開します。

サイドバーにある「ウェブページ」下の書名一覧(地域別カテゴリ)からどうぞ。

残りの「近代日本」とテーマ的カテゴリは徐々に追加していきます。

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新刊情報

ホセ・オルテガ『大衆の反逆』の廉価版が白水社uブックスより出ているようですので、未読の方はこれを機にお買い求めになっては如何でしょうか。

「こんな極右のエリート主義者の本を何で読まなきゃいけないんだよ!!」という方は、内田樹先生のブログのニーチェとオルテガ 「貴族」と「市民」というエントリーをご覧下さい。

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ブログ始めて約3年

このブログを始めたのが2006年の5月末なので、3年余りが過ぎました。

前回までの記事数がちょうど700です。

「はじめに」「おしらせ・雑記」の記事を除くと655ほど、読んでないのに無理やり記事にした本もかなりありますので、実際通読したものはさらに少ないですが、これだけ見ればそこそこの数には達している。

しかし、各カテゴリを見渡すとあまり納得できる状態ではない。

「中国」だけは100近くいっているのでとりあえずいいとしても、他のカテゴリはどれを取ってもスカスカで手薄という印象が拭えない。

さらに各記事の内容については・・・・・・。

まあ、はっきり言ってレベルは低いです。

相当低い。

だが、このレベルの低さがかえって当ブログの長所だと思っている。

『バカのための読書術』曰く、

・・・・何度も言うように、インテリが書く読書術の大方の欠陥は、「自分がバカだと思われたくない」病のために、最先端の研究成果などを読者に勧めたりしてしまうところにある。

普通の学者は、・・・・あまりに初歩的なものを挙げることに恥じらいを感じるので、難しめのものを挙げてしまう。

・・・・入門書は、新しいもののほうがいいとは限らない。「最新の知見を盛り込んだ」などという宣伝文句があるが、初心者には最新の知見はかえって邪魔なことがあるのだ。

とのことですが、私も全く同感です。

自分自身、ネットで世界史関係の初心者向け書評サイトをあれこれ探しても、なかなかぴったりくるところが無いなあと感じていました。

じゃあいっそのこと私的な読書ノートを兼用して自分で作るかと思ってできたのが、これなわけです。

レベルはあくまで「それなり」ですが、小難しいことは一切断念して、徹頭徹尾自分の頭に合わせて初心者向けの記事を書いてますので、難解で訳がわからないということはないはずです。

高校時代世界史の授業が好きで今でもたまに関連本を読むよという、私と同じ趣味・性向をお持ちの方に少しでも役立てて頂ければ、これ以上嬉しいことはございません。

なお、たまに政治的なことが記事に書かれていて、「なんか妙なこと言ってんなあ、コイツ」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、少しでも違和感を感じる部分は一切無視して下さい。

「○○は面白い」、「使える」、「わかりやすい」、「こういう史実がある」、「○○の評価が高い」、「類書としてこれがある」というような部分だけ参考にして下さい。

あと、この記事で読む本は大体買うと書いてますが、実はここ1年ほど記事を書いた本についてはほとんど図書館で借りてます。

さすがにカネが続かないのに加えて、置き場所に困るということもありますし、選択の失敗を恐れず読み始めることができるので相当読書量が増える利点もあります。

以前は「本気で読む本は絶対身銭を切って買った本でないと駄目だ」と信じ込んでいたのですが、思い切って発想を転換してみると、非常に快適です。

借りた本だと傍線を引いたり、ページの隅を折ったりできませんが、その分このブログでメモを取ればよいと割り切りました。

しかし、「本の所有」ということへの関心を一度棄ててみると、これほどカネの掛からない、ありがたい趣味も無いですね。

幸い、自宅近くに県立図書館の分館があるので、最大限利用させてもらってます。

周りが田んぼだらけの田舎なので、蔵書はあまり多くありませんが、同じ県の中央図書館の本なら3、4日で届けてくれます。

安い税金しか納めてないので、図書館利用料と思えばお上への納税も全然惜しくない(呉智英氏も似たようなことをどこかで書いてましたが)。

お蔭で、ここ1、2年くらい、今までの人生で間違いなく一番本を読んでます。

まあ、いつ更新が止まっても不思議じゃない状況ですし、そのうち月1回のみ更新といったペースになるんでしょうけど、できるだけ続けようとは思ってます。

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引用文(内田樹1)

内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文春文庫)より。

この方はあえてわかりやすい政治的色分けをすれば穏健リベラル派なんでしょうけど、確か松原隆一郎氏が某誌で「内田氏は良質の“保守主義者”だ」と書いていたのに強い同意の念を覚えたのを思い出します。

あるいは、そういうレッテルよりも単に本当に「成熟した大人」と呼ぶに値する人と言った方が適切かもしれません。

こういう「真に優れた少数者」に属する人に対しては、何の取り柄も無い私はひたすら黙り込んで頭を下げるしかない。

アルファブロガーと言われるような人のうちで、個人的に読む気がするのはこの方だけです。

著者をご存じない方は、「ブックマーク」にあるブログのバックナンバーを数時間かけてすべて読む価値があると思います。

個人と共同体を潜在的な敵対関係としてとらえる考え方は、中間的な共同体が解体されたあと、個人と社会が緩衝帯抜きでダイレクトに向き合う「リスク社会」に固有のものである。そして、そのような社会が登場したのは、ほんとうにごく最近のことなのである。

ほんらい私たちは個人である前に大小さまざまな規模の共生体の一員である。「個人である前に共同体の一員である」というようなことを書くと、鼻白んで、「家父長制的イデオロギーだ」というようなことを言い出す人がいるだろうけれど、こんなことは誰が考えても当然のことである。

例えば、家族の一員である前に個人であるような人間はこの世に存在しない。

子どもは自分の固有名を名乗るより先に母子癒着状態の中でちゅうちゅう母乳を吸う口唇の快感に焦点化した存在として出発する(固有名を名乗ろうにも、まだ名前がない)。そもそも「自我」という概念が獲得されるのは鏡像段階以降なのであるから、それ以前の私に「個人」という概念が存在するはずがない。

起源にまず個人がいて、それが家族を構築してゆくわけではない。

まずアモルファスな共生体があり、個人はその共生体内部で果たしている分化的機能(家族内部的地位、性別、年齢、能力、見識などなど)に応じて、共生体内部の特異的として記号的に析出されてゆくのである。

「親に依存し、扶養され保護される存在」というぼんやりした意識から始まり、やがて家庭内的なリソースを奪い合う「兄弟」のうちのより劣位にある「弟」という立場を発見し、「ウチダ家の次男」という社会的機能を引き受けることを通じて(犬を散歩に連れて行ったり、庭掃除をしたり、お風呂の水を汲んだり)、ゆっくりと家庭内的労働力として認知され、やがてそれを基盤にして個の人格的単一性が解離してゆく・・・・というふうにして私の自我は成立していった。

家庭内的存在としての承認を受けてはじめて個人のアイデンティティは基礎づけられるのであり、透明にして一望俯瞰的な「私のコギト」が家族のそれぞれとの利害関係を調整しながら契約的に関係を取り結んだわけではない。

個人は共同体の「結節点」として構築されるものである。

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中公新版「世界の歴史」について

最終巻の記事から数ヶ月も経って、「今さら」という感じもしますが、中央公論社新版世界史全集の感想を改めて書いてみます。

(基本的に各巻の記事でバラバラに書いたことの繰り返しですが。)

高校で世界史を習って興味を持ち、より詳しく知るために手に取ったという、おそらく最大公約数的な想定読者の立場で言うと、ちょっと困るなという記述が多数ありました。

執筆者の方の専攻分野に関することを長々と述べたり、理解に苦しむ詳細なことに多くの紙数を割いたり・・・・・・。

名編集者と謳われた宮脇俊三氏が携わった旧版に比べると、そういった逸脱へのチェックが極めて甘いという印象を受けます。

また叙述形式として、旧来の政治史、伝記偏重の通史が否定されるのはやむを得ないとしても、あまりにも社会史・生活史・心性史・文化史だけに焦点を合わせ過ぎた、逆の偏りがしばしば感じられるのも残念。

まず基礎的な政治史を述べながら、新しい視野から見た歴史像を上手く付け加えるということも可能なはずだし、この全集でも出来のいい巻はそれに十分成功している。

それを達成しているビザンツ・イスラムなどの巻は、読者がその時代と地域に馴染みが薄いことを自覚しているがゆえに、著者が慎重に叙述を進めたせいだろうか。

しかし、これまでの世界史全集の中心だった中国史とヨーロッパ史の巻では失望することが多かった。

極めて役に立つと感じた巻とほとんど得たものが無いと感じた巻の差が極端。

全30巻を通読するのは相当骨が折れるし、「是非挑戦して下さい」とは言い難い。

むしろ前近代に関してはやはり旧版を読んだ方がいいんじゃないかという気さえしてくる。

なお、以下五段階評価で各巻を分類してみます。

一巻が何部かに分かれている場合、悪い方の部分に引きずられて評価してますので、各巻の記事で書いたよりも厳し目の評価になっていると思います。

「最高、言うこと無し」

『3 古代インドの文明と社会』

『8 イスラーム世界の興隆』

『11 ビザンツとスラヴ』

『18 ラテンアメリカ文明の興亡』

「まあまあ、面白いです」

『13 東南アジアの伝統と発展』

『16 ルネサンスと地中海』

『17 ヨーロッパ近世の開花』

『20 近代イスラームの挑戦』

『22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』

『25 アジアと欧米世界』

「普通・・・・・ですかね」

『1 人類の起源と古代オリエント』

『4 オリエント世界の発展』

『5 ギリシアとローマ』

『6 隋唐帝国と古代朝鮮』

『12 明清と李朝の時代』

『15 成熟のイスラーム社会』

『24 アフリカの民族と社会』

『26 世界大戦と現代文化の開幕』

『28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』

「いや、これはちょっと・・・・・」

『7 宋と中央ユーラシア』

『9 大モンゴルの時代』

『14 ムガル帝国から英領インドへ』

『19 中華帝国の危機』

『21 アメリカとフランスの革命』

『23 アメリカ合衆国の膨張』

『27 自立へ向うアジア』

『29 冷戦と経済繁栄』

『30 新世紀の世界と日本』

「勘弁して下さい・・・・・」

『2 中華文明の誕生』

『10 西ヨーロッパ世界の形成』

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引用文(ショーペンハウアー2)

『ショーペンハウアー全集13』(白水社)、「法学と政治によせて」より。

リンネの人為的な恣意的に選ばれた植物体系を自然の体系でとりかえることはできない。たとえ自然の体系がどれだけ理性にかなっていようとも、またじつにしばしばそういう体系がこころみられたにしても、それはできないのである。というのは、自然の体系には、恣意的・人為的体系のそなえているあの概念規定のしっかりした確実さがないからである。同様に、右に示唆したような憲法の人為的・恣意的基礎を純粋に自然的な基礎でとりかえることはできない。自然的基礎は上述の諸制約を非難して、生得の特権のかわりに人格的価値こそ特権をもつべきだとし、国教のかわりに理性的探究の成果をすえようなどとするものだ。こうした言いぶんがどんなに理性にかなっていようとも、そこには国家共同体の安定性を確保する、あの諸規定の確実さが欠けているのである。たんに抽象的な法だけが具体化されているような憲法は、立派は立派でも、なにか人間以外の存在のためのものであろう。というのは人間の大多数は、きわめて利己主義的で不正であり、思いやりもなければ嘘もつき、ときには邪悪でさえあり、知性などろくにそなえていないからだ。さてこそ一身に権力を集中した人間、法や規則に超然としてなんの責任ももたぬ権威、すべてのものがそれに屈服する権力、いちだんと高い存在とみなされる、いわゆる天佑を保全せる支配者が必要になってくるわけだ。こうしてはじめて、人類は長期にわたって制御・支配されうるのである。

これに反して、北アメリカの合衆国では、こうした恣意的基礎をすべて完全に排除して処理しようとする試み、すなわちまったく混ぜもののない、純粋・抽象的な法を施行しようとする試みがなされている。しかしその成果がかんばしくないのだ。というのは、この国は物質的には繁栄しているにもかかわらず、低劣な功利主義が支配的志操としてのさばっており、これにかならずつきまとう相棒の無知が、英国教会的な偏狭な頑信、おろかなうぬぼれ、ばかばかしい女性崇拝と組んだ残忍な粗暴さといったもののお先棒をかついでいるのである。さらにもっと始末のわるいことが一般的に行なわれている。すなわち、罰あたりな黒人奴隷制、奴隷に対する極端な残酷、自由な黒人に対する不法な抑圧、リンチ法、頻発するにもかかわらずしばしば処罰されないで終わる暗殺、ひどく残忍な決闘、ときには公然たる法の無視、公債の支払い拒絶、詐欺同然の腹立たしいくらいの隣接した州の政治的接収、その結果として起こる富める隣国への貪欲な掠奪行、それをまた最高の筋が、その国のだれもが嘘と知っていて笑っているような出まかせで弁解すること、いよいよ高まってゆく衆愚政治、右に述べたような上層部の法の無視が一般の道徳性に及ぼす結果としての堕落といったことどもである。

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引用文(ショーペンハウアー1)

『ショーペンハウアー全集13』(白水社)、「法学と政治によせて」より。

主権在民の問題はつきつめたところ、およそだれかが根源的に、ある国民をその意志に反して支配する権利をもちうるかどうかという点に帰着する。そういうことが筋を通して主張できるとはわたしは思わない。ともかく国民に主権はある。しかしこの主権者は永遠に未成年の主権者で、いつまでたっても後見を受ける必要があり、自分で自分の権利を行使すれば、かならず無限の危険をまねく。とりわけこの主権者は、すべての未成年者と同様、煽動政治家とよばれる術策にとんだぺてん師に簡単に乗じられるのである。

・・・・・出版の自由が国家機構に対してもつ意味は、安全弁が蒸気機関に対するのと同様である。というのは、どういう不平・不満も、出版の自由がありさえすれば、ただちに言葉で発散させることができ、それどころか、材料があまりない場合には、言葉だけで種切れになるからだ。しかし種が多い場合には、機を失せずそれを看破して、はけ口をつけてやるがよい。不平をむりやり閉じこめ、それが卵をかえし、発酵し、煮えたぎり、伸びほうだいに伸びて、ついに爆発するよりも、このほうがはるかにうまくいくのだ。

他方、出版の自由は毒物販売の許可のようなものとみるべきだ。毒物といっても精神と気分に対する毒物だ。というのは、知識も判断ももたない大衆の頭にどんなことが浮かぶか、わからないではないか。とりわけ目先に利益や儲けといったことをちらつかせる場合、なにを考えだすかわかったものではないからだ。いったんなにかをこの頭に吹きこんでしまえば、どんな非行・犯罪もできないことはないではないか。だからわたしは、出版の自由は危険のほうがその利点をうわまわることになりはしまいかと、非常におそれるものである。とりわけどんな苦情でも法的に訴える道が開かれているから、なおさらである。いずれにしても出版の自由は、いっさいの匿名を厳に禁止することを条件にすべきであろう。

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引用文(ホイジンガ3)

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

ひとくちにいって文化の非理性化、このことの危険さかげんは、まずなによりもそれが自然を支配する技術能力の最高度の展開、および物質的幸福と富に対する欲望の激化という事態と並行し、またこれと結びついているという事実のうちに存する。

この物質的なものへの欲望が商業-個人主義的な形態をとるか、あるいは社会-集産主義的な形態であらわれるか、それとも国家-政策的形態のうちに発現するか、それはさしあたり問題ではない。

どのような社会原理に呼びかけんとするか、それは問題ではない、ともかく文化の非合理化からは生そのものの礼拝が結果し、これが支配と所有への非人間的、利己的衝動をいやがうえにも高めるのである。集産主義は利己主義を排除すると考えるなどは、およそ無思慮の一語につきよう。

かかる破滅的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰ということだけでは渦からぬけだしえないのである。

理性への回帰、せめてこれが要件だとはしても、わたしたちが正しい道を歩んでいるとはだれにもいえまい。どうみても、わたしたちは、この文化を脅かすに足る危機の錯綜を体験しているのだ。

感染と中毒に対する抵抗力の弱まりという状況、酩酊状態にも比すべき状況がみられるのである。精神は荒廃した。思想の交換手段、ことばは、文化の進展につれて、その価値を低めつつある。

ことばは、ますます多量に、ますます安易にまきちらされる。話され、あるいは綴られることばの価値の低下に正比例して、真理に対する無関心がふかまる。

非理性的な精神の構えがその地歩をすすめるにつれて、どの分野にあっても、誤った認識のはたらく余地がますますひろがる。商業的煽動的傾向の一時の宣伝が、たんにみかたの相違にしかすぎぬものを、一国全体の幻覚にまで拡大してしまう。

日々の思念は即座の行動を要求する。いったい、偉大な想念がこの世界にしみとおってゆくのは、ごくゆっくりした歩みでしかないというのに。都会にただようアスファルトとガソリンの匂いのように、世界の上には、むなしくあふれることばの雲がかかっている。

責任の観念は、一見、ヒロイズムのかけ声がこれを強化するかにみえるものの、そのじつ、個人の意識のうちにこそ求められるべきその基盤から引きはなされ、集団の利益のために、その視野のせまい考えを救済の法規とまで持ちあげたがり、これを押しひろめようと図る集団の利益のために動員される。

およそ集団の結びつきにあっては、個人の責任という観念は、個人の判断ともども、そのなにほどかの部分を、グループということばのうちに失うのである。

疑いもなく、今日の世界にあっては、すべての人がすべてのことに対して責任があるという感情が高まっている。だが、それと同時に、また、極度に無責任な大衆行動の危険が、異常なまでに増大してもいるのである。

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引用文(ホイジンガ2)

ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)より。

(以下やこちらでの引用文を右とか左とかといった観点でお読みにならないようお願い致します。)

物質的な安楽、これを自然が限定していると、人びとは、いろいろな面で、たえず感じていたのである。

いまの人びとは、技術の進歩によって、衛生学的な環境整備に対する効果的な配慮によって、だめにされてしまっている。

数世代前の人びとは、日常生活における安楽の欠如を甘んじてしのび、そこからなにかを学びとろうとした。

いまの人たちは、このあきらめの心をなくしてしまったのである。同時に、また、生きるしあわせを、与えられるがままに、すなおに受けとることもできなくなったのである。

生活があまりにも快適になりすぎた。人間の心の骨格は、この物質の世界を支えうるほど強くはないことが明らかとなった。

奇妙な時代ではある。かつて信仰と闘い、これを倒したと信じた理性が、いまは、わが身の破滅からのがれようと、信仰に避難所を求めなければならないのである。

なぜといって、生きた形而上学という堅く、ゆるがぬ基盤の上に立ってこそ、真実という絶対の概念は、本能に出る生の衝動の上げ潮に抗して身を守り、道徳と正義の諸規範を十全に価値あらしめることをうるであろうからである。

宣伝の領分は手段の限定を知らない。宣伝は、どんなイメージについても、つめこめるかぎりの暗示を、これに負わせようとする。

あるスローガン、この独断的真理を民衆に押しつけようとして、可能なかぎりの嫌悪と讃美、両極端の感情をそれに仮託するのである。

民族主義とかボルシェヴィズムとか、その他なんであれ、スローガンを所有するもの、政治的ことばづかいを操るものは、すなわち、犬を打つ杖を手にするものである。

こんにちの政治的宣伝業は、犬を打つ杖を大売出ししている。そして客を、いたるところに犬をみる妄想病患者に仕立てているのである。

反知性的な生の教説の帰結するところには、ひとつの危険がしつようにつきまとっている。

生を理解の上におくということは、理解の規範とともに道徳の規範をも放棄することを必然たらしめる。

権威が暴力を説けば、すなわち理は暴力をはたらくものたちにある。

人びとは、暴行者を拒否する権利を、みずからに否認してしまったのである。

暴行者たちは、原理上、どんなに残虐非道なことをはたらこうとも正当化されるであろう。

社会の構成員のうち、動物的ないし病的な衝動の充足を暴力のうちに求める部分は、自分たちこそヒロイックな仕事の遂行者であるとして、大喜びで群がり集まるであろう。

厳密に軍事的権力がこれを押さえれば、かれらもあるていど制御されはしよう。

だが、民衆運動のファナティズムという状況にあっては、かれらは死刑執行人の助手となるであろう。

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引用文(苅部直1)

前々回の記事と同じく、飛ばし読みした苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』(岩波新書)より。

前に見たように、丸山が大学に入学した前後は、共産党員の大量転向によって、かつての活動家たちが、放蕩息子の帰宅とばかりに、「國體」への帰依を、たとえ偽装にでもせよ公言するようになった。その他方で、たとえば河合栄治郎のような、かつては左翼の敵と見なされた自由主義の知識人が、政府や国粋主義者からの抑圧に対して、きびしく節を守って抵抗するようすを目にするのである。

なだれを打った左翼の転向時代で、しかもきのうまで勇ましい、ラディカルなことを言ってたやつが、たちまちわたしなんかをとび越して右がかったことを言い出し、やがて御稜威(みいつ)とか聖戦とかを口ばしるようになる。むしろ、いままでなまぬるいリベラルだと思っていた人のなかに、反動期になればなるほどシャンとしてくるという人がいる。むろんリベラルにもダラシのないのが多かったけれど。とにかく平素口で言っている思想だけではわからないものだという感じを痛切に味わった。

滔々たる「政治化」の波の中で、「人格的内面性」を徹底して守りうるのは、宗教の立場、とりわけ「ラジカルなプロテスタント、例えば無教会主義者であろう」と、丸山の「人間と政治」は説いている。明らかに、無教会のキリスト者であった南原繁を念頭に置いた文言である。・・・・・・

もし経験的現実として目に映る世界がすべてになってしまって、それをこえた目に見えない権威―神であっても理性であっても「主義」であってもいい、とにかく見えざる権威によって自分がしばられているという感覚がなくなったら、結局は見える権威に―これまた政治権力であろうと、世論であろうと、評判であろうと―ひきずられるというのが、私の非合理的確信なんです。

神仏への信仰にせよ、ある理想への確信にせよ、「見えざる権威」に縛られているという感覚が、みずからの「人格」の一貫した統合をしっかり守る。・・・・・しかし先にも見たように、宗教信仰までもが、国家や政治党派、あるいは営利団体による操作の対象となっている時代が、丸山の言う「現代」にほかならない。また、南原であれば、個人の内面での信仰とともに、ネイションの理想を表現する皇室への敬意を通じて、人と人が感情の次元で「国民」の共同体に結ばれる回路を、安定した秩序の支えとして説くことができた。だがすでに「天皇制」への批判者である丸山には、そうした選択肢はのこされていない。「現代」において人間は、不断に流動する力関係の渦にまきこまれ、何が本当の自分の思考なのかもわからなくなり、足元には価値の相対性とニヒリズムがつきまとってゆく。この難問が、丸山の思想の営みには、終生の課題として残ることになる。

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引用文(水谷三公1)

最近飛ばし読みした、水谷三公『丸山真男 ある時代の肖像』(ちくま新書)より。

経験に即して考えるなら、ロシア革命からポル・ポトまで、二〇世紀の多くの全体主義が、国民主権の否定ではなく、フランス革命同様、国民意思ないしその変奏である人民意思の絶対的優越を根拠に登場し、伝統的体制では想像できないほど悲惨で徹底した抑圧を実行した事実は残る。それらが直接・短期的にもたらした諸結果は、「長期的に見た」革命と普遍理念の負債項目に計上される。そして、それらの犠牲が普遍的理念の「定着」によってもたらされたとされる果実・成果と釣り合うかどうかには、深い懐疑がつきまとう。

そもそも日本に、ドイツやイタリアと一括して論じられるようなファシズムが存在したかどうかが疑問である。強い精神のナチ指導者と、天皇や権限に逃避するひ弱な精神の日本の指導者を(やや誇張と歪曲を交えながら)対照させて描くなど、丸山は日本型ファシズムの特異性を強調する。これには日本ファシズムの特殊性を強調しすぎるという批判があるが、逆の理解も可能である。つまり、戦時日本の体制をナチスと基本的には同一のファシズムという類型に一括したのが問題で、異なった類型としてなら処理できたはずの差異を説明するため、日本ファシズムの特殊性をことさら強調せざるをえなくなったという見方もできる。

一九三〇年代から敗戦までの日本政治がきわめて異常な状態に陥ったのは事実だし、その下でまず「敵性外国人」やコミュニスト、ついで自由主義者が迫害された。これ以外にも、ナチス・ドイツとの類似点をいくつも指摘するのは容易だろう。しかしそれらは、ドイツや日本以外の国の戦時動員体制にも無縁ではなかった。他方で、ドイツと日本では、違いもまた際立っている。たとえば、ドイツではコミュニストを含めた「危険人物」は、数万人規模で殺され、処刑されたが、日本ではおおむね「泣き落としの転向」と「不愉快な拘禁・監視」でけりをつけた。日本の弾圧はたいした問題ではないと言うのではなく、「体制敵」の「処理」方法の違いに、体制自体の違いが深く刻印されているという意味である。

あるいは、戦時体制下、ほとんどお飾りにすぎなかったとは言え、帝国議会が最後まで開かれていた事実をあげてもよい。この結果、憲法をはじめとして、法的正統性の面で、戦後体制がそれ以前の体制の「改正」として出発したことは、戦後日本とドイツを比較して考える上でも重要である(このかぎりで、憲法学者がポツダム宣言受諾による「八・一五革命」論を借用し、もてはやしたのは疑問である)。国民主権を含めて、原理的断絶があったにもかかわらず、戦前までの体制の「改正」という「虚構」から出発したから、民主化も改革も中途半端で、結局は反動・復古・逆コースを許したとする評価も可能だろう。他方で、なぜヨーロッパのように、組織だったレジスタンスが組まれなかったのか、「戦争責任者」の処罰を日本人自らの手で行なわなかったのかなどについて、日本人民後進論(ずるずるべったりで、泣き寝入りの国民性)や「天皇制無責任体制」とは別の見方も開けるだろう。

ファシズムの問題を正面から取り上げ、詳細に議論する準備も能力もないが、ドイツのナチズムと日本の体制を、基本的には同じファシズムに属するヴァリエーションと考えるより、ソ連のコミュニズム体制、ドイツのナチズム体制などと同列に並ぶ、しかしそれらより組織性・動員力などが劣る、全体主義体制の、しかしファシズムとは別の下位類型の一つと考えるほうが、政治的、党派的な利害得失はともかく、認識的には実りが多いように思われる。

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訃報

国際政治学者・朝鮮半島研究者の神谷不二氏がお亡くなりになられたそうです。

北の南侵説を冷静な筆致で主張された『朝鮮戦争』は中公新書・文庫のロングセラーで、国際政治学の基礎文献でもありました。

『朝鮮半島で起きたこと起きること』は非常に優れた論文集でありながら初心者でも読みやすく、大いに参考にさせて頂きました。

『戦後史の中の日米関係』もありきたりの概説ではなく、論点が明快でポイントを突いた記述が非常に役立ちます。

晩年に書かれた北朝鮮に関する論説は、体制転換を含む強硬論一辺倒という感じで、僭越ながら必ずしも得心のいくものではなかったのですが、流暢な文体と骨太のぶれない主張に対して敬意を感じておりました。

ご冥福をお祈りいたします。

高坂正堯先生はじめ、自分が熟読した本の著者の方がお亡くなりになっていくというのは、やはり悲しいものがありますなあ・・・・・・。

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他所様のサイト適当にいろいろ

ブックマークにも入れていて、よく拝見しているブログである世界読書放浪様がDoblogの長期障害で一週間以上閲覧不能状態(17日21時現在)。

まさかデータ完全喪失なんてことは・・・・・・。

大丈夫だとは思いますが、怖いですねえ。

(追記:直近の半年ほどのデータが一部消える可能性があると書かれてますね。上記ブログの管理者様の更新ペースだとどれだけの記事が跳ぶのやら・・・・・。しっかりしてくださいよ。)

フリーで使わせてもらってるココログですが、今のところ全然不満ありません。

この手の致命的不具合無しに長期間サービス提供を続けて頂ければ、言うこと無しです。

ブックマークには入れてないサイトを以下二つだけ。

世界史教室

教科書・年表・事典カテゴリでいくつか著作を挙げている中谷臣氏のサイト。

「疑問教室」や受験参考書のレビューコーナーを読むとかなり面白い。

世界の論調批評

岡崎久彦氏の研究所のブログ。

主に欧米世界の新聞・雑誌の論調紹介とその批評。

岡崎氏本人が書かれているのかどうかわかりませんけど。

内容はいかにも親米保守といった感じなんですが、たまにそれをはみ出した部分が面白い。

例えば、この2月初めのキューバ、アフガン、イスラエル・パレスチナ問題に関する記事。

特にアフガンの記事(追記:『解決不能なアフガン戦争 [2009年02月05日(木)]』)は、個人的には違和感が全然ないが、岡崎氏の立場でここまで書いて大丈夫なんですかと思えてくる内容。

平日は大体更新しているみたいですから、たまに覗いてみると面白いです。

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おしらせ

所用により、明日からしばらくの間ココログ管理ページにアクセスできないと思います。

よって、コメント・トラックバックして頂いても、すみませんが10日から2週間ほど承認できない状態となる予定です。

基本、スパムしか来ませんけど、念の為一応お知らせしておきます。

更新はいつも通りです。

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引用文(高坂正堯1・岡崎久彦1)

(追記:すみません、先ほど14時半ごろ後日公開する予定の記事を間違って更新してしまいました。現在は消しました。)

高坂正堯『世界史の中から考える』(新潮選書)、162ページより。

よく知られていることだが念のために書いておくと、戦前の日本では首相は“同輩のなかの第一人者”に過ぎなかったので、閣内不統一は内閣総辞職ということになった。それに陸海軍大臣は現役軍人でなくてはならぬきまりになっていたため、陸軍と海軍は大臣を出さないことで内閣をつぶすことができた。いわば拒否権を持っていたわけで、陸軍はそれを使って強大な政治力を築いた。

岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』(PHP文庫)、43ページより。

他方、この事件[大正政変―引用者註]を通じて、昭和になって軍閥の跳梁を許すこととなる明治憲法の不備もみえてきた。それは、明治憲法には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」とだけあって、総理の大臣任免権にも、内閣の連帯責任にもなんら触れるところがないことである。『憲法義解』によれば、これは意図的であり、閣僚が連帯の力で君権を制限することを恐れたためのようである。・・・・・

後年、統帥権独立論によって軍が、軍政あるいは国政全般に発言力をもつようになるが、これを可能にしたのは、国務大臣がそれぞれ独立して天皇に対して責任を負うというこの条文である。

ちなみに現行憲法では、「内閣は連帯責任を負い、国務大臣は総理が任命する」と明記しているので、たとえ軍がいかに強くなっても、そのような事態が起こる可能性はまったく排除されている。現行憲法は、外国の占領下で日本の国家と国民の意思が自由に独立して表明されることが許されなかった環境の下に制定されたという根源的な欠点を有することは否定しがたいが、この点については、明治憲法の不備を正している。

軍部大臣現役武官制とその弊害についてはもちろん知っていたが、その前提である戦前の内閣の性格について、これだけ重要なことを私は中学・高校の歴史の授業で習った記憶が無い。

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09年世界史Bセンター試験について

去年もやりましたが、17日に行なわれた大学入試センター試験の世界史Bの問題が、翌日の朝刊に載っていましたので、暇潰しにやってみました。

以下、すべて適当な個人的な感想です。

正確な講評は、「世界史の授業」様などをご覧下さい。

今年は一問間違えました。

第3問の問8、カロリング朝フランク王国が建国された8世紀に起こった出来事について述べた文のうち、正しいものを選べという問題で、選択肢は以下四つ。

1.ピピンは、ランゴバルド王国を滅ぼした。

2.カール大帝は、マジャール人を撃退した。

3.唐の太宗の治世は、開元の治と呼ばれた。

4.ハールーン・アッラシードの治世が始まった。

まず、2は間違い。

アヴァール人とマジャール人の区別、前者はカール大帝、後者はオットー1世によって撃退されたというのはよく問われる基本事項なので、即クリア。

3は開元ではなく貞観の治というだけで判別できるが、唐の成立が618年で、太宗は二代目皇帝だからその治世は7世紀のはず、よって間違いと二重にチェックして落とす。

(唐王朝建国年代は確か山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)では「李(6)[六を“り”と読ませる。六朝から]淵いちばん(18)、唐興る」と載っていた。この憶え方はたぶん死ぬまで忘れないでしょう。)

問題は1と4。

カール戴冠が800年で、普通考えたらカールと使節を交換したハールーン・アッラシードは8世紀末には在位しているはずだが、ひょっとして9世紀初頭に即位してそれからカールと交渉したのか。

ランゴバルドを滅ぼしたのってピピン3世だったかな、それとも息子のカール大帝だったかな、ピピンの寄進ってのがあってイタリアのラヴェンナ地方を教皇に献上したんだから、やっぱりピピン3世か、などと考えて1を選んだら、ものの見事に間違えました。

教科書には、ピピンはランゴバルドを「討って」ラヴェンナを献上したとしているが、完全に滅ぼしたのはカール大帝時代だとちゃんと書いてある。

よって4が正解。

ハールーン・アッラシードの在位年代786~809年を正確に憶えておくのは難しいので、やはり上記のランゴバルド関係の記述を押さえて消去法で選択すべきところでしょう。

話が逸れますが、「ランゴバルド」の表記って最後は「ド」なんですかね?

私が高校生の頃「ランゴバルト」と憶えた記憶があるんですが。

最近の教科書では「ロンバルド」と書いてあるようです。

Burgundsはブルグン「ト」でいいみたいですけど。

全く外国語を知らない私にはよくわかりません。

その他の問題では、中国経済史で、宋代の「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と明代の「湖広熟すれば天下足る」の区別をさせるのはやや難しい(私も高校時代からあやふやでした)。

問題文で「穀倉地帯が長江中流域に広がり」と書いてあるので、私はそれで判断したが、それでも中国の省名のごく大雑把な位置関係を押さえておかないと選べない。

なお、年代を記憶しておかないと答えられない問題が多数あるのも去年と同じ。

選択肢の史実そのものの年代は憶えていなくてもいいが、それと関連のある重要史実の年代の前後関係から類推していかないと解けない問いが非常に多い。

もう受験生じゃない身分としてはそんなことどうでもいいと言えますが、趣味として普通に世界史を学ぶ上でも年代記憶は避けられないというのがご承知の通り私の意見です。

以下、高句麗に関して誤っている文を選ぶ問題。

1.4世紀に、楽浪郡を滅ぼした。

2.5世紀に、百済や新羅と対立した。

3.6世紀に、百済を滅ぼした。

4.7世紀に、唐と戦った。

高句麗による楽浪郡滅亡は確か313年だったかな(確認したらあってた)、だから1はマル、2は5世紀だけじゃなくて常に対立してるようなもんだろうと思い保留、百済を滅ぼしたのは唐と新羅連合軍だからその時点で3がバツとわかるのだが、そこまで考えが回らず、645年大化の改新の後、中大兄皇子が百済滅亡を受けて出兵し白村江で戦ったのだから7世紀のはずだ、とまわりくどいやり方で正解を出す。

なお、12世紀の出来事を選ばせる問題で、「日本では、鎌倉幕府が開かれた。」という選択肢があり、1192年(今は1185年の守護・地頭設置ですかね)という日本史の年代さえ頭にあれば答えられるので、あまり良問とは言い難いと思った。

ドンソン文化の器物の写真を見せて正しいかどうか答えさせたり、アンコール・ワットが最初は仏教寺院ではなく、ヒンドゥー教寺院として建てられたことを確認する問題も難しい(石澤良昭『アンコール・王たちの物語』参照)。

「中世末にヨーロッパで描かれた『死の舞踏』は、最後の審判の様子を示している。」という正誤判定があり、これは黒死病に関するものだと思うのでバツでしょうが、センター試験で問うべきことかなあと疑問に感じる。

「国際連盟に、国際労働機関(ILO)が付置された。」という文では、ILOというのは今もあるから連盟じゃなくて国際連合だろうと思ってしまうが、実際は第一次大戦後からあった。

これはやや引っかけ問題の匂いがする。

「アズハル学院は、ファーティマ朝時代のカイロに設立された。」

アズハル大学ってイスラム世界でも最有力学府だよな、それがシーア派王朝のファーティマ朝治下で設立されたんだっけな、もしかして次のスンナ派アイユーブ朝の時じゃないのか、しかし最初はシーア派で後に正統派大学になったとも考えられるだろうと思い、マルにしたら正解でした。

危ない、危ない。

こんな基礎的なところで引っ掛かっちゃいけませんね。

第二次大戦でスウェーデンが中立を維持したことが問われた。

デンマーク、ノルウェーはドイツに占領され、フィンランドはその前にソ連に侵攻されたこともあって枢軸側に加わる。(この辺の話は武田龍夫『嵐の中の北欧』が面白い。)

あとはスペインが第一次・第二次大戦ともに中立、第一次大戦ではベルギーが中立侵犯されたのに対しオランダは中立維持、第二次大戦ではオランダ・ベルギーともドイツに蹂躙されたことなんかも憶えておきましょうか。

ちなみに今確認したら第一次大戦時はデンマーク・ノルウェー・スウェーデンは3ヵ国とも中立だったそうです(なお当時フィンランドはロシア支配下にあり国自体存在してない)。

こういうペーパーテストの形式で歴史を学ぶのは大嫌いという方もおられるでしょうが、私にとってはいい暇潰しになります。

思わぬところで基礎知識も確認できたりしますし。

以前たまに歴史能力検定でも受けてみようかなと思ったことがあります。

例題を見てみると2級までは概ね高校世界史の範囲内ですが、1級になると急に難しくなりますね。

ものすごく細かな点まで問われるようで、さすがに少々意欲が鈍ります。

ですが、気が向いたら一度受けてみようかなとも思っております。

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引用文(ゴーロ・マン1)

ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1』(みすず書房)、118ページより。

マルクスは政治を軽蔑した。従って、彼は階級間の闘争を和げるという、政治の持っていた可能性と政治的行動を通じて、自己の生活条件を改善するという、プロレタリアートの持っていた可能性を正当に評価できなかった。後に彼は、エンゲルスがすでに、その著書“イギリスにおける労働者階級の状態”において行なったように、イギリス工場視察官の報告を大いに資本論に引用したが、なぜ彼はこのことに戸惑いを感じなかったのだろうか。これらの視察官は、労働者の生活条件の実体を調査するため“ブルジョア的”、資本主義的国家から金を受け取っていた。しかも彼らは、なにも容赦しない客観的な報告を行なった。これをやらせたのは政治だった。だから政治は、このほかにも、いろいろなことを社会的に成し遂げることができたであろう。政治は確かに経済的闘争と結び付いているが、それと同一なものではなく、それから切り離すことができる。だが、マルクスはこの点を無視した。

政治と並んで、彼は政治哲学または政治学を軽蔑した。権力行使に対する制限、権力の分立を論じた憲法理論その他、法治国家に関する、数世紀間のあらゆる思索、実践はごまかしである、と彼は考えた。彼にとっては、経済的に支配する階級だけが重大関心事で、あとのことは、自分の地位を支え、かつ覆い隠すため、支配者の利益に沿って編み出された幻想的イデオロギーだった。だから、マルクス、エンゲルスの著作のなかには、どのようにして権力を制限すべきか、またはどのような形でこれを行使すべきか、という問題について一行の説明もない。彼らにいわせると、この問題はバカげていた。というのは、どんなに法的に飾り立てられていようとも、政治的権力は経済的搾取であり、一方がなければ、他方もありえないからだった。むぞうさに、政治を“経済的基盤”、所有関係と同一視するこの重大な誤りもまた、いまだにその影響力を失っていない。今日でもなお、共産主義者は、われわれに向って、生産手段が個人の手にない国家つまり共産国家は決して帝国主義的になることができない、国内に対して独裁的になることができない、労働者、農民を搾取できない、などというだろう。

マルクスが政治を軽蔑した理由は、人間の問題を単なる生物的問題に還元して、その道徳的面を否定したところにある。経済に支障がなければ、必然的に、他のすべてのことにもおのずから支障をきたさないだろう、というのである。経済的支障を除去すべき人間が霊と肉との、あらゆる弱点を持っているということ、また人間は経済的に解放されたのちにも、依然として人間であるということ―こうした反論を、彼は坊主的おしゃべりとして片付けた。彼はイギリスの資本家たちの冷酷な金銭欲に憤激することができた。―これはもっともなことだ。だが、体系的にみて、彼の哲学には、善悪の区別がはいりうる余地はなかった。人間は、そう行動せざるをえないから、そう行動するのである。経済状態が変われば、人間の行動も確実に変わる。この楽観主義は、マルクスが“啓蒙思想”から引き継いだもので、今日でもなお西欧の社会学者によって支持されている。マルクスは人間の問題を、永久に解決できないよう運命づけられている道徳的問題としてではなく、科学的に解決できる純客観的問題として取り上げた。もっと簡単にいうならば、人間の問題を解決すべき人間もまた人間であること、人間は信頼できないということを見落としたのである。

E・H・カー『カール・マルクス』の記事での引用文参照。)

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引用文(チェスタトン1)

G・K・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)、270ページより。

さて、順序として、次に挙げた例に移ることにしよう。つまり、キリスト教は暗黒時代の産物だという説である。この問題に関しては、私は現代の抽象論に満足できないので、少しばかり歴史を読んでみた。そして、歴史を読んで発見したことは、キリスト教は暗黒時代の産物であるどころか、暗黒時代を貫いて横切っている唯一の道であり、暗黒ならざる唯一の道だということだったのだ。キリスト教こそは、二つの輝ける文明を結ぶ輝かしい橋だったのである。キリスト教信仰が無知と野蛮のうちに生まれたと説く者があれば、その男に与えるべき駁論は単純至極、それは事実ではないと言えばよい。キリスト教はローマ帝国の最盛期に生まれたものである。世界には懐疑派が群がり、汎神論は太陽のごとく明白自明の理とされていた。その時、コンスタンティヌス大帝は、この巨船の帆柱高く十字架を打ちつけたのだ。

なるほど後に船は沈んだ。そのことに疑問の余地はない。だが、さらにはるかに驚嘆すべきことは、この船が再び海面に浮上したという事実である。しかも船体はことごとく塗り変えられ、陽光にきらめき、そして帆柱の頂きにはなお十字架が光っていたのだ。これこそ、この宗教のなしとげた驚天動地の大事業であった。沈没船を潜水艦に変身させたのである。大海を船に積みこみながら、その底でこの箱舟はなお生きていたのだ。いくたの王朝、あまたの種族の没落の瓦礫の下に埋められた後もなお、われわれは蘇り、そしてローマを想い起こしたのである。

もしもわれわれの宗教が、時のまにまに滅び行く帝国の、単に一時の気まぐれな流行でしかなかったのなら、流行は時の流れの後を追って黄昏の中に没し去っていただろう。そして、かりにもしその文明が再び姿を現わしたとしても(ついに再び姿を現わさなかった文明は枚挙にいとまがないのだが)、その文明は何か新しい野蛮の旗をかざしていたにちがいない。ところがキリスト教会は、古い社会の最後に残った生命の火であり、新しい社会に初めてともった生命の火であった。教会は、すでにアーチの築き方を忘れかけていた人びとを捉えて、彼らにゴチック・アーチの発明を教えたのである。要するに、教会についてどれほど不条理なことを言うにしても、われわれみなが一度は耳にしたことのある、あの説ほどの不条理はない。教会がわれわれを暗黒時代に引き戻そうとしているなどと、いったい何を根拠にそんなことが言えるのか。教会こそは、われわれを暗黒時代から連れ出した唯一のものにほかならぬではないか。

塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)の記事参照。)

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引用文(バーク2)

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)、119ページより。

民衆とは、名声と評判への感覚という地上最大の抑制力の一つに対しても、それほどの責任を感じないものなのです。公衆として行為する場合、各個人の分として引き受けさせられそうな悪評の分け前など極めて僅少であって、世論の作用は権力を悪用する人間の数に反比例します。彼らからすれば、自らの行為を自ら是認すれば、それが自分に好都合な公衆の判断と見えるのです。従って、完全な民主政治とはこの世における破廉恥の極みにほかなりません。それはまた、破廉恥の極みであるが故に最も怖れを知らぬものでもあります。ここでは、自分もまた処罰の対象とされ得るということを自ら危懼する人間は誰もいません。なるほど民衆全体は処罰の対象たるべきではないでしょう。あらゆる処罰は民衆全体を保全するための見せしめなのですから、民衆全体は如何なる人間の手によっても処罰の対象とはなされ得ません。まさにこの理由からして彼らに対しては、王達の意志がそうあり得ないのと同じく、自らの意志を以て正邪の基準であるなどと夢思わせてはならないのです。これは無限に重要な事柄です。彼らには、自らが安全だからといって、王以上に恣意的な如何なる権力を振う資格も無ければ権能もまったく無いのだ、ということを納得させなければなりません。

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引用文(バーク1)

エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)、178ページより。

同じ流儀の口実や同じ態様の害悪を二つの時代が持つことは滅多にありません。人間の邪悪さはもう少し発明の才に長けていて、人が流儀を論じ合っている間にもその流儀は過ぎ去ってしまいます。まさに同一の悪徳が新しい姿を装うのです。悪徳の精は生れ変り、外見の変化によってその生命の原動力を喪失するどころか、新しい器官を得て、新たに青年の行動の如き新鮮な活力を恢復するのです。人が死体を晒し者にし、墓を発いている間にも、それは大手を振って歩み、破壊を続けるのです。家が盗賊どもの棲家になっているというのに、人は幽霊やお化けを勝手に恐がっています。歴史の貝殻や外皮にだけ目を奪われながら、しかも自分は非寛容や高慢や残酷さと戦っているのだ、と思っている人間は皆このようなものです。彼らはその一方で、時代遅れな徒党の悪しき原理に対する憎悪という彩の下に、同じ唾棄すべき悪徳を別の―しかも恐らくはより一層悪い―徒党の中に是認し涵養していることになるのです。

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『十八史略』について

以前講談社学術文庫新刊情報という記事で、『十八史略』の訳本が出るのではないかと書きましたが、先日書店で内容をざっと確認してきました。

訳本は訳本でしたが、やはり返り点付きの原文と読み下し文が載せられていました。

そして訳者の解説もかなりの分量を占めており、私には不要と思える部分が多すぎます。

しかも、原文の一部が省略されているという記述があり、これには期待外れの感を禁じ得ませんでした。

なぜ、普通に訳文だけを載せた本が出ないんでしょうか?

有名な故事成句や史的挿話を豊富に含んだ、一番初歩的な中国通史(ただし南宋滅亡までですが)として、ニーズは必ずあると思うんですけど。

どこの出版社でもいいんで、出してくれないでしょうか。

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チェコおよびスロヴァキア史概略

同じく、中公新版第11巻『ビザンツとスラヴ』より。

西スラヴのうち、チェコ・スロヴァキアだけ途中までメモしました。

チェコとスロヴァキア

西スラヴ所属。アヴァール、フランク支配を経て9世紀初め大モラヴィア国が成立するが、10世紀初めマジャール人に滅ぼされる。

東部のマジャール人支配下に入った人々がスロヴァキア人の祖、東フランク・神聖ローマ帝国支配下に入った人々がチェコ人と呼ばれる。

チェコ人国家はボヘミア(先住ケルト系ボイイ族から)。

プシェミスル家による統一。ボヘミア侯ヴァーツラフがカトリック化に努める。神聖ローマ帝国との結びつきが一貫して強い。ヴァーツラフは親ドイツ政策に反対する弟に暗殺され、死後ボヘミアの守護聖人となる。

のちの侯はモラヴィアを版図に加え、独帝ハインリヒ4世から王号を認められ、ドイツ人植民者によって経済繁栄。

オタカール2世時代(1253~78年)に全盛期。オーストリアを手に入れる。

神聖ローマ皇帝ハプスブルク家のルドルフと戦って敗死。オーストリアは以後ハプスブルク家領有。

子のヴァーツラフ2世はポーランド王兼任、孫のヴァーツラフ3世はアールパード朝断絶後のハンガリー王に選出されるが、皇帝・教皇の反対でハンガリー王位はまもなくアンジュー家へ渡り、3世も1306年暗殺されプシェミスル朝自体断絶。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の子ヨハンが即位(ルクセンブルク朝)。

英仏百年戦争にフランス側に立って参戦、1346年クレシーの戦いで戦死。

子の神聖ローマ皇帝カール4世即位(ボヘミア王としてはカレル1世)。

プラハ大学設立、イタリア政策に深入りせず。1356年金印勅書。

カールの子ヴェンツェル(ボヘミア王としてはヴァーツラフ4世)は帝位をファルツ家のルプレヒトに奪われる。ヤン・フスの活動。

ヴェンツェルの弟がジギスムント。

ここまで書いたところでギブアップ。

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南東欧諸国史概略

先日の中公新版11巻『ビザンツとスラヴ』がとても面白かったので、東欧とロシア部分の細かな抜き書きを作ろうとしたのですが、非常に苦しい・・・・・・。

読書ノートは作らず、本に書き込みや線引きをしろと言う方の意見がよくわかります。

南スラヴを中心とした南東欧地域・バルカン半島の民族のところだけは以下何とか書き留めました。

あとフィンランド・エストニアと共に非印欧系のウラル語族に属するハンガリーの存在によって、南スラヴと地域的に分けられているポーランド・チェコ・スロヴァキアの西スラヴ、および東スラヴのロシア・ウクライナ・べラルーシが残っているわけですが、ひとまずこれだけにしておきます。

ブルガリア

トルコ系遊牧民ブルガール族がバルカン侵入後に同化しスラヴ化。南スラヴの一員となる。

680年頃アスパルフ・ハン(君主号がハンなのがいかにもアジア系という感じです)がビザンツ帝国と和約を結び、帝国領内への居住を認められる。

864(または865)年ボリス1世がキリスト教に改宗。

「スラヴ人の使途」キュリロス招聘。キュリロスはスラヴ文字(のちに改良されてキリル文字=現在のロシア文字)を作成し、聖書や典礼もスラヴ語に翻訳。

ボリス王の子シメオン1世がビザンツに攻勢を強め領土拡張、第1次ブルガリア帝国確立。

マジャール族の攻撃を退け、マジャールは西走、パンノニアに定着。

シメオン死後、ビザンツとキエフ・ルーシに挟撃され衰退。

1018年バシレイオス2世によって第1次帝国は滅亡。

1185年セルジューク朝とノルマン人によって東西から攻撃され弱体化したビザンツに対して反乱が起こされ、第2次ブルガリア帝国成立(二年後ビザンツも独立承認)。

イヴァン・アッセン2世時代(1218~41年)に最盛期。

以後バルカン半島の主導権はセルビアに移る。

モンゴルの侵攻を受け、13世紀後半にはキプチャク・ハン国に従属。

1393年オスマン朝のバヤジット1世によって首都陥落。

セルビア

南スラヴで最大グループ。

7世紀頃からバルカンに姿を現すが、分裂状態が続きビザンツとブルガリアの争奪戦の対象となる。

9世紀後半頃ギリシア正教への帰属確定。

1171年頃ステファン・ネマニャが国家樹立(ネマニィチないしネマニャ朝)。

1331~55年ステファン・ドゥシャン王時代に最盛期(←この王名が『世界史用語集』に頻度1とは言え、載っていたのには驚いた)。

その死後、諸公国に分裂。

1389年コソヴォでオスマン・トルコに敗北。

1459年に最終的滅亡。

スロヴェニア

南スラヴ人のなかで最も北西寄りに定住。

アヴァール、バイエルン、フランク支配を経る中で、一貫して西方カトリック教会に所属。

ボヘミアのオタカール2世が一時支配するが、以後ハプスブルク家統治下へ。

近代に至るまで独自の国家を形成することが無かった。

クロアチア

スロヴェニア人の東と南側に定住。

9世紀初頭頃、公によって統一。

フランクとビザンツとの間で揺れ動くが、最終的には西方教会へ帰属。

10世紀以降のヴェネツィアの間接支配を経て、12世紀初めハンガリー王の支配下に入り、以後第一次世界大戦までその結びつきが続く。

ルーマニア

ローマ化したダキア人を祖とする、非スラヴ系民族(異説あり)。

建国は遅く、13世紀末から14世紀初めにかけてワラキア公国成立。

14世紀末に進出してきたオスマン帝国と戦う(吸血鬼ドラキュラのモデル、ヴラド串刺公など)。

14世紀建国のモルダヴィア公国と共に、オスマン朝に貢納。

トルコの統治は間接支配に止まり、他のバルカン国家と違って貴族層が消滅させられなかったので、民族の独自性をよく守ることができた。

1859年ワラキア、モルダヴィアが統一、ルーマニア公国となり、1878年サン・ステファノ条約で独立達成。

アルバニア

ルーマニア人と同じく非スラヴ系。印欧語族の中で独立の一派を成すイリュリア人が祖。

ビザンツ支配を経て、スラヴ人侵入の際は山岳地帯に移住、11世紀頃再登場。

15世紀中頃スカンデルベク公の下に統一、オスマン朝に対してよく戦うが、その後服属。

1912年第一次バルカン戦争時に独立。

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講談社学術文庫新刊情報

明後日10日発売の講談社学術文庫新刊で、竹内弘行『十八史略』というのがあるようです。

これは・・・・1628円という定価からすると、解説書の類ではなく原本の訳書ではないかと思うのですが。(違ってたらすみません。)

近藤出版社という所から昔出ていた訳本の記事をこちらで書きましたが、新たな訳が手に入りやすい形で出されるのなら大歓迎です。

中国史を学ぶ上で、一番基礎的な部分を固めるための史話・挿話集として有益な古典なので。

なお、同じ講談社学術文庫の来月11月新刊では、大杉一雄『日米開戦への道 避戦への九つの選択肢 上』というのが出るようですが、これは間違いなく大杉一雄『真珠湾への道』(講談社)の分冊文庫化でしょう。

この『真珠湾への道』は、同じ大杉氏の『日中十五年戦争史』(中公新書)に比べると、史的解釈においてやや違和感を覚える部分が多かったのですが、史実の整理と配列に極めて秀でた本であり、初心者が力をつけるのに非常に適切で、やはり無視することはできない本です。

単行本は高いし、厚いし、重いし、手に入りにくいしでなかなか読むことは難しかったと思いますが、未読の方はこの機会に手にとってみられては如何でしょうか。

案内には、他に11月の同時発売として浜林正夫『世界史再入門 歴史のながれと日本の位置を見直す』と網野善彦『日本の歴史(00)』および岡村道雄『同(01)』が載っていました。

前者はタイトルだけじゃ何とも言えませんね。

ありきたりの駄本じゃなく、とんでもない当たりであることを望みますが。

後者は5、6年前に刊行されていた講談社の日本史全集の文庫化ですね。

恥を忍んで言いますと、わたくし、網野善彦氏のような超有名人の本すら一冊も読んだことありません。

これを機会に読むべきなんでしょうか。

しかし・・・・・やる気でないなあ・・・・・・。

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おしらせ

スパム防止のため、コメント・トラックバックを承認制にさせて頂きました。

こんな場末の過疎ブログにも時々妙なのが来るんですよねえ・・・・・。

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年代暗記について

先日の『第一次世界大戦の起源』において列強の同盟外交を概観した文章を読んで思ったことを以下に書きます。

山村良橘『世界史年代記憶法』(代々木ライブラリー)の記事で書いたこととかなり重複しますが、要は世界史を学ぶ上でやはり年代暗記は避けられないのではないかということです。

例えば、普仏戦争から第一次大戦までのヨーロッパ外交史を概観すると以下の通りになります。

1873年 三帝同盟

1878年 ベルリン会議

1879年 独墺同盟

1882年 三国同盟

1887年 独露再保障条約

1891年 露仏同盟

1898年 ファショダ事件

1902年 日英同盟

1904年 日露戦争・英仏協商

1905年 第一次モロッコ事件

1907年 英露協商

1911年 第二次モロッコ事件・伊土戦争

1912年 第一次バルカン戦争

1913年 第二次バルカン戦争

1914年 サライェヴォ事件・第一次世界大戦

1890年に退陣するまでのビスマルクがフランス孤立策を成功させていたのに対し、それ以後は逆にドイツが孤立し三国協商による包囲網が形作られていく過程がわかりますが、以上の経緯を年代抜きで覚えることが有益とはどうしても思えない。

むしろ年代を押さえることによって史実の前後関係がはっきりし、事象の連鎖関係の正確な推移が頭に入るのではないでしょうか。

歴史の流れや因果関係を捉えることが重要だとしても、特に現代史においてそれは正確な年代把握と切り離せないものではないかと愚考する次第です。

初心者にやたら年代暗記を強要するのは歴史嫌いを増やすだけだ、という意見はわからないではないですが、しかし最も初歩的な段階を過ぎればやはり重要年代の暗記はおろそかにできないでしょう。

また初学者は「流れ」や「因果関係」を重視すべきといっても、実際は非常に通俗的で皮相な見方や観察を詰め込まれてしまう例も多い気がします。

それならまずは年代のような細かな部分を含め、事実関係において詳しい知識を得ることを一先ずの目標にすべきではないかと思います。

なお、高坂正堯氏が『大国日本の世渡り学』(PHP文庫)で述べていた歴史学習の方法に関する文章も大いに示唆的ですので、リンク先引用文も宜しければご覧下さい。

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読むべきではあるが読めない本

先日の記事で久しぶりに硬い本を取り上げましたが、この種の古典的なもので読めない本がまだまだ山ほどあります。

高校世界史で出てくるような思想・文学関係の本はひとまず置くとして、歴史書の類に限っても以下の通り読むべきだなあと思う本がいくらでも出てくる。

クセノポン 『ギリシア史 1・2』 (京都大学学術出版会)

ポリュビオス 『歴史 1・2』 (京都大学学術出版会)

アエリウス・スパルティアヌス 『ローマ皇帝群像 1・2』 (京都大学学術出版会)

イブン・ハルドゥーン 『歴史序説 全4巻』 (岩波文庫)

アレクシス・トクヴィル 『旧体制と大革命』 (ちくま学芸文庫)

ヤコプ・ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化 上・下』 (中公文庫)

ヨハン・ホイジンガ 『中世の秋 上・下』 (中公文庫)

マルク・ブロック 『封建社会 1・2』 (みすず書房)

フェルナン・ブローデル 『地中海 全10巻』 (藤原書店)

チャールズ・ハスキンズ 『十二世紀ルネサンス』 (みすず書房)

アンリ・ピレンヌ 『ヨーロッパ世界の誕生』 (創文社)

フリードリヒ・マイネッケ 『歴史主義の成立』 (筑摩書房)

テオドール・モムゼン 『ローマの歴史 全4巻』 (名古屋大学出版会)

E・H・カー 『ボリシェヴィキ革命 ソヴェト・ロシア史』 (みすず書房)

・・・・・・等々。

果たしてこの先以上の内、どれだけの本を読めるのか、考えると気が遠くなります。

例えば、「ブローデルの『地中海』は素晴らしい傑作だ」と聞かされても、私の場合「いくら名著でもそういう大部の社会史はちょっと・・・・・」と気後れしてしまうのはどうしようもない。

まあ所詮人間身の丈に合ったことしかできませんから読めなくても仕方ありません。

気力が充実した時にできるだけ手にとってみるようにはします。

ただ硬い古典であっても、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)トーマス・マン『非政治的人間の考察』(筑摩書房)のように私でもこれ以上無いほど面白く読めた本があるから、あまり躊躇するのも得策ではないかもしれない。

さらに一冊だけつけ加えれば、ヨハン・ホイジンガ『朝の影のなかに』(中公文庫)を挙げたい。

これまでこの本の素晴らしさについては何度か触れてきましたが、改めて強調したい気分です。

恐ろしい危機が襲い掛かる時代にあって、左右の政治的狂信に囚われるのを避け、伝統的な信仰を固守しつつ、静かに救いを待つという品位ある姿勢が宗教的崇高さすら感じさせる。

この本の秘めている叡智は本当にただごとではない。

本書は、世論の表層に現れる右とか左とかといったレベルの話から完全に超越した次元にある。

どんな立場にあっても本書に真摯に向き合えば、自省と謙虚さに導かれるはずだと思う。

どうしようもなく自堕落でくだらない生き方をしている自分ではあるが、こういう本を読んだ時だけ反省する気分になる。

思想関係の書物などほとんど読まないのに、本書だけは折に触れページを開き、その度に深い感銘を受ける。

私のような人間でもそう感じられるのは、本書の持つ力がどれだけ大きいのかを物語っている。

高坂正堯氏も苛立つことが多く眠れないときは本書を手に取り心を落ち着かせるとどこかで書いてらしたのを読んだ記憶があります。

とにかく一度手にとってみられることを是非お勧め致します。

これは何としても復刊してもらいたい本であります。

本当に何とかして下さい、中央公論様。

教養があるなしにかかわらず、じつに多くの人のばあい、生に対する構えは、いぜんとして、あそびと人生とに対する少年の心そのままである。さきにわたしはたまたま、永遠の青年期と呼んでしかるべき、あのひろくみとめられる精神状況について語った。それを特徴づけるのは、適切なことと適切でないことをみわける感情の欠落、他人および他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳の無視、自分じしんのことに対する過大の関心である。判断力と批判意欲の衰弱がその基礎にある。このなかばみずからえらびとった昏迷の状態に、大衆はひじょうな居心地のよさを感じている。ひとたび倫理的確信のブレーキがゆるむや、いついかなる瞬間にも危険きわまりないものとなりうる状況がここにある。

このような精神状態は、ただたんに、自分じしんの判断を下す意欲に欠けるところがあり、集団組織の画一化作用が、できあいのワンセットの考えかたを押しつけ、つねに思考が皮相に流れてしまうところからもたらされたというにとどまるものではなく、じつに憂慮すべくも注目すべきことに、おどろくべき技術の発展それじたいが、じつはこのような精神状態をひきおこし、これにたっぷり餌を与えているところのものなのである。人間は、この驚異の世界にあって、文字どおり子供のようだ。お伽噺の世界のなかの子供のようだ。飛ぶ機械で旅することができる、いながらにして地球の反対側と話をすることができる、自動機械を使ってちょっとつまむことができる、ラジオを通じてひとつの大陸全部を自分のものにすることができる。ボタンを押せばそれでよい。生がかれのほうにやってくるのだ。このような生は、かれを成熟させるだろうか。まさに逆だ。世界はかれのおもちゃになってしまったのだ。おもちゃを手にしたかれが子供のようにふるまうからといって、それになんのふしぎがあろう。

技術の完成、経済および政治の機能の有効なはたらきという塁壁は、これは、なんら、わたしたちの文化を野蛮の侵入から守るものではないのである。野蛮は、これをしてみずからに奉仕せしめる。野蛮は、完成された手段と結び、ますます力を増し、ますます圧制的にふるまう。

野蛮は、高度な技術の完成と手に手をとって歩くばかりか、ひろく普及した学校教育とも連れ立って進む。文盲率の減少でもって文化の程度を測るというのは、これは、すでに過ぎ去った時代の素朴な知恵である。学校で教える知識がどれほどの量であろうと、それはいささかも文化の財産を意味するものではない。視線をあげて現代の精神状況全般をみるに、このようなみかたは、これをほとんどおおげさなペシミズムと呼ぶことはできないのである、以下のように証言しなければならぬと考えるのである以上は。

いたるところに妄想と妄語がはびこる。かつてないまでに、人びとは、ことばの、合言葉の奴隷となって、たがいに殺しあう、相手を議論で屈服させるのである。世界は、憎しみと誤解を負わされている。愚かなものがどのくらいおおぜいいるか、過去にくらべて、どのくらい多いか、その比率を測ろうにも尺度はない。だが、愚かさは、以前にもまして旺盛に害毒を流し、高く君臨している。生半可な教養を身につけた、にぶい精神に対しては、伝統、形式、礼拝といったことへの敬意も、しだいに歯止めとしてはたらかなくなってきた。最悪の事態は、いたるところにみとめられる「真理ということについての無関心」であって、これは、政治的欺瞞の推賞ということのうちに、その極みにまで達している。

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更新のおしらせ

福田恆存『日本への遺言』(文春文庫)に引用文追加。

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戦後世界史の時代区分 その2

昨日の続き。

1963~71年 【多極化期】

この時期米ソ対立に変わって米中対立が国際政治の焦点となる。

米ソ両陣営内で中国・西欧・日本などが自立性を高め多極化の傾向が認められる。

中国は反米・反ソ両面策を取り、新興独立国の急進派の支持で米ソ共同支配の国際体制を打破しようとする。

しかし65年インドネシア9・30事件とスカルノ失脚、アルジェリア・クーデタとベン・ベラ失脚(これで中国が主導権を持った第2回アジア・アフリカ会議は流産)、66年ガーナ・クーデタとエンクルマ失脚が相次ぎ、チトー政権のユーゴスラヴィア、ナセル政権のエジプト、ネール政権のインドなど穏健派諸国からは孤立し、中国の意図は挫折。

内政でも「大躍進」政策の失敗を経て、実権を失った毛沢東が最高権力奪回を謀り66年文化大革命を発動、中国政治は大混乱に陥る。

中ソ関係は完全に決裂し、69年には国境紛争が勃発、戦争の危機すらささやかれる事態となり、その不利を悟った中国指導部は密かに対米接近を検討し始め、それが次の時期のキッシンジャー・ニクソン訪中を準備する。

一方、アメリカは中国の脅威への過剰反応から65年北爆と南ヴェトナムへの大規模地上軍派遣を開始、ヴェトナム戦争の泥沼に陥り、その国力を低下させる。

西ヨーロッパ諸国は飛躍的経済復興を遂げ、特にド・ゴールのフランスは対米自立外交を展開、63年イギリスのEEC加盟を拒否、64年に中華人民共和国を承認、66年にはNATO軍事機構から脱退する。

この時期日本は高度経済成長を続け、自由世界第二位の経済大国となる。

ソ連圏では68年「プラハの春」はソ連軍の介入で潰されるが、ルーマニアをはじめとする東欧各国の一定限度内の自主路線は認められていく。

1971~79年 【デタント期】

高坂正堯氏は『現代の国際政治』のなかで1971年を「分水嶺の年」と呼んでいる。

その最大の要因は同年の米中接近と「中国における急進主義の終わり」である。

ニクソン・キッシンジャー外交は米中対立を終らせ、その安定化要因を利用してヴェトナムからの撤兵・米ソ関係の再調整を行った(71年キッシンジャー訪中、中国国連加盟、72年ニクソン訪中、第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)、73年ヴェトナム和平協定)。

他地域でも72年東西ドイツ基本条約、日中共同声明、南北朝鮮共同声明などの緊張緩和情勢が見られ、73年第四次中東戦争と石油危機による混乱も何とか乗り越えられる。

中国では71年に文革派中心人物の林彪が失脚し、周恩来のリーダーシップの再確立が行われた。

76年毛の死と四人組逮捕まで文革は続くがその急進性は大幅に薄れ、対外姿勢も穏健化する。

(追記)最後がちょっとおかしかったので一部訂正します。

1979~85年 【最終対決期】

キューバ危機以後核戦力を増大させたソ連がヴェトナムでのアメリカの失敗と影響力低下を見て最後の拡張政策に乗り出す(アンゴラ・モザンビーク・エチオピアの親ソ勢力への軍事援助、79年アフガニスタン侵攻)。

直接米ソ関係以外でも79年にはイラン革命と第2次石油危機、ニカラグア革命、ヴェトナムのカンボジア進攻、中越戦争と国際政治上の紛争が多発し、緊張が高まる。

81年成立のレーガン政権下のアメリカは大規模な軍備拡張によって反撃、冷戦は最後の高まりをみせる。

1985~89年 【冷戦終結期】

85年誕生したゴルバチョフ政権は西側諸国との対立の不利を悟り、ペレストロイカを開始。89年東欧共産圏は崩壊、冷戦は終結した。

89年以後は「ポスト冷戦期」でしょうか。

2001年の同時テロ以後はまた別の時代と見做すべきなのでしょうか。

その辺の同時代史は省略します。

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戦後世界史の時代区分 その1

今日も適当な話で誤魔化します。

第二次大戦後の世界史を初心者が理解するための適当な時代区分は何かという話です。

『国際政治経済の基礎知識』の高坂正堯氏担当の「冷戦」の項目や同じく高坂氏の『現代の国際政治』(講談社学術文庫)などを参考にして記すと以下の通り。

基本的に米ソ両国が二極体制の中核で国際政治の最重要プレイヤー。あと中国が0.5極くらい。この三者の絡み合いで戦後国際関係を理解するのが基本。

1943~47年 【冷戦前段階期】

対独戦に勝利したソ連は、ロシアの伝統的な外部への過剰警戒と共産主義の普遍主義的傾向によって占領した東欧諸国を強引に共産化。アメリカとの対立を深める。

1947~53年 【冷戦高揚期】

アメリカは47年トルーマン宣言とマーシャル・プランでソ連への封じ込め政策を開始。48年ベルリン封鎖、チェコ・クーデタ、49年西ドイツ建国・NATO成立と欧州の分断はさらに強まる。

49年中華人民共和国成立。毛沢東は「向ソ一辺倒」を宣言。50年朝鮮戦争により米中対立が始まり、冷戦はアジアにも拡大。それの影響で51年対日講和条約と日米安保条約が結ばれる。

1953~57年 【緊張緩和期】

53年スターリンが死去。後継指導部はソ連の国力の弱さを認識していた故に、現状維持を前提とした米ソ関係の安定を目標とし、緊張緩和策を取る(53年板門店休戦協定、54年ジュネーヴ会議・インドシナ休戦協定、55年ジュネーヴ四巨頭会談、西独・ソ連国交回復、オーストリア中立化、56年日ソ共同宣言)。

同様に中国も穏健な対外政策を取る(54年中印平和五原則発表、55年アジア・アフリカ会議での自制的態度)。

しかし米国はこれまでの経緯から対ソ不信感が固まっており、アイゼンハワー政権のダレス国務長官は硬直した反共外交を行い、54年東南アジア条約機構樹立、55年中東条約機構樹立、西独NATO加盟を遂行。

ダレス外交は対ソ「巻き返し」政策を唱えたが、56年スターリン批判の影響で起こった東欧圏の動乱に対しては為す術がなく傍観する。すでにソ連が核兵器を保有していた状況で全面的軍事衝突に繋がる行動は取れなかった。すでに東西の勢力圏は固まりつつあった。

1957~63年 【再対決期】

57年スプートニク打ち上げによって対米優位を信じたフルシチョフは再び攻撃的な外交を展開。ベルリン・キューバ問題で米ソ関係は一触即発の危機を迎えるが、結局妥協が成立、63年部分核停条約が結ばれ米ソ共存関係が確立する。

中国も58年金門島砲撃、「大躍進」政策開始、59年チベット反乱鎮圧、中印国境紛争と内外政策を急進化させ、日米両国との対決姿勢を強める。

東欧支配の現状を前提に米ソ関係改善を目指すソ連に対して、台湾問題や屈辱の近現代史から自国の地位復興を悲願とする中国は現状に満足し得ない国であって、そのため米ソ共存関係が定着したこの時期に中ソ対立が始まり、相互敵視が激しくなる。

かなり長くなりましたので、続きは明日やります。

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初心者がアメリカ史を学ぶ上で

最近週3回のペースで更新していますが、さすがに苦しくなってきましたので、以後更新頻度を徐々に落とさせて頂きます。

忍耐力のカケラも無い人間なので、一番集中して本が読めるのが通勤電車の中という状態であり、多数の本を次々と読破していくことは不可能でして。

既読本の再読が全くできなくなったのも厳しい。

ただ、以前は半年ほど何一つ読まないという感じで怠惰を極めたときもあったので、現在追われるように冊数をこなしていくのは良いのかもしれませんが。

私はあんまり他人様のブログを見るということはなく、定期的に読んでいるものはほとんど無いんですが、少し前まで以下の読書ブログをほぼ毎日拝見しておりました。

世界読書放浪

↑この方は一体どんなペースで本を読んでおられるのか、ものすごい読書量に本当に感心します。

ごく稀にある更新停止時期を除いて一年365日ほぼ毎日更新、しかも一日二度更新もしばしばと、記事の質量とも凄いの一言。

実は当ブログを始めたのも、以上のブログに刺激を受け、これと似た感じで歴史に重点を置いたものができないかと思ったからなのですが、記事の内容レベルはもちろん更新頻度すら到底真似出来ません。

ということで読了した本の紹介ではなく適当な四方山話でお茶を濁します。

先日の『ケネディ』の記事に付け加えようと思ったのですが、少し長くなりましたのでこちらに書きます。

『ヴィクトリア女王』(中公新書)の記事で、ウィリアム1世からジョージ3世かヴィクトリア女王までのイギリス歴代国王は暗記した方がいいですよみたいなことを書きました。

再び自分が今出来ないことを勧めさせて頂くなら、アメリカ歴代大統領も可能ならばすべて記憶した方が良いと思います。

初心者がアメリカ史を学ぶ上で、目標とすべき一応の目安としてはそれが適当かなと。

「高校の丸暗記世界史でもさせられなかったことを、それから解放された今になって何でしなきゃならないんだよ」と言われそうですが、これは初心者にとって無理な目標ではないと思います。

ローマ教皇全部覚えろとかフランス第三共和政の首相全部暗記しろとか言われたら発狂しますが。

ワシントンから小ブッシュまで、第一期目の就任年度、所属党派(これは必ず覚えること。そうじゃないと効用が激減します)、就任の経緯(選挙での勝利が基本だが前任者の病死・暗殺・辞任も結構ある)、任期中の主要事件を頭に入れていつでも再現できるようになれば、アメリカ史の基礎は完璧と言っていいんじゃないでしょうか。

高校世界史でも、詳しい場合、ワシントンからジャクソンまでとマッキンリーからブッシュ・クリントンまでは省略無しに教えられるんじゃないですかね(モンローとジャクソンに挟まれたJ・Q・アダムズとか、セオドア・ルーズヴェルトの後任のタフトなどは別にして)。

問題はジャクソンとリンカーンとマッキンリーの間の19世紀ですが、ポークとかフィルモアとかクリーヴランドとか「誰だ、それ?」と思う名前の大統領でも細かく知るとなかなか興味深くて面白いんですよ。

今は大分忘れてしまいましたが、私がアンドレ・モロワ『アメリカ史』を熟読して一度覚えてみると、なんというか非常に見通しが良くなっていろいろなことが「わかった」という実感が持てました。

他の本でも宜しいですが、少し詳しめの本を基本テキストにしてじっくり取り組んでみると良いと思います。

ついでですが、アンドレ・モロワの『アメリカ史』・『英国史』『フランス史』を読まれる場合、やや入手困難ですが1993年か94年ごろの新潮文庫の記念復刊版をお買い求め下さい。

それ以前の古い版だと読みにくいです。実はこの新潮文庫版でも『アメリカ史』の漢字が旧字体で読みにくいのですが、他よりマシです。

このモロワ三部作もいい加減重版再開してもらえませんかね。

新潮もくだらない雑誌やどうでもいい駄本は腐るほど出してるのに。

いっそのこと版権を中央公論あたりに譲ってもらって、中公文庫に常時在庫してもらいたいです。

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08年度世界史Bセンター試験について

暇だったので先日行われた大学入試センター試験の世界史Bの問題をやってみたところ、意外や満点取れました。

数年前にも一度やってみたのですが、その時はかなり取りこぼしがあったと思います。

最近比較的世界史関連本を読んでいる効果があったのかなと喜びました。

しかし難関大の論述問題になりますと難しくてお手上げです。

こちらのHPの過去問を見ても解ける気が全然しませんね。

センター試験の講評についてはこちらのブログでなされています。

中にはかなり骨のある問題もありました。

年代を正確に記憶してないと正答が難しい問題がいくつかありました。

上のブログ執筆者様も言及されていますが、13世紀ユーラシア世界の事件として、ブワイフ朝のバグダード入城(946年)、リトアニア・ポーランド合同(1386年)、靖康の変(1126年)、マムルーク朝成立(1250年)の中から選択させるのはかなりの難問。後の3個で迷います。

あとコルシカ島とサルディニア島の区別やシャイレーンドラ朝がジャワ島に、アチェー王国がスマトラ島にあったことを答えさせるのも結構歯ごたえがある。

他の選択肢から消去法で選べるにしても「柔然が、5世紀に強勢を誇った」という文章の正誤判定には「うっ」と詰まる人が多いんではないでしょうか(正解はマル)。

金曜日に関連本を記事にした太平洋の歴史も出題され、ニューカレドニア・グアム島・モルッカ諸島・マーシャル諸島の領有国が正誤問題で問われました(順にフランス・アメリカ・オランダ・ドイツ→日本)。

「皇帝レオン3世は、ビザンツ帝国に養蚕業を導入し、絹織物業を興した」という正誤判定文もずいぶん細かいところ突いてくるなあと思いました(正解はバツ。正しくはユスティニアヌス帝時代)。

受験時代の丸暗記世界史に嫌な記憶も持っている方もおられるかもしれませんが、たまにやってみると面白いもんです。

時には知識の確認として平易な受験問題に取り組むのも良いでしょう。

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中公新書08年1月新刊について

来月25日発売の中公新書新刊で、高橋正男『物語イスラエルの歴史 アブラハムから中東戦争まで』と伊藤章治『ジャガイモの世界史 歴史を動かした「貧者のパン」』というのが出るようです。

前者は副題を見ると古代からのユダヤ民族通史のようで、新書版で収まる内容かなとやや不安になりますが期待して待っていましょう。

後者もなかなか面白そうな社会史関連の本ですね。

(なお日本史好きの方向けには、同時に脇田修・晴子『物語京都の歴史』というのが出るようですので書店でご覧下さい。)

相変わらず中央公論は素人世界史愛好家にとって有難い本を続々出してくれますね。

高島俊男氏が『独断 中国関係名著案内』(東方書店)で書店の文庫コーナーで中公文庫の棚だけが輝いて見えると書いてましたが、全く同感。

これで経営の躓きが無く、品切れ本を次々に出す体質に変わらなかったら、最高の版元だったんですが。

あと以上のこととは全く関係無いですが、先日衛藤瀋吉さんが亡くなられましたね。

私が読んだのは、『眠れる獅子』『近代東アジア国際関係史』著作集の第三巻だけでしたが、現実主義的な中国研究者・国際政治学者として中嶋嶺雄氏より少し上の世代で活躍された方でした。

著作を読んで、穏当・冷静な歴史観と流麗な史実の叙述に感心しておりました。

心からご冥福をお祈りします。

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一昨日の記事の訂正

マクニールの『疫病の世界史』は今月の中公文庫新刊として文庫化されるようです。

中央公論のHPによると20日発売になっています。

失礼しました。

この本はパラパラと眺めたことも無いんですが、著者の力量は間違いないところですので、どんなもんか一度書店で確認されるのも宜しいかと思います。

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中公文庫08年1月新刊について

まだ確定した情報ではないかもしれませんが、ちょっと皆様にもお知らせしたいと思うことがありました。

行きつけの某書店に、おそらく問屋が作成している「来月の文庫新刊」という表が貼ってありまして、そこの中公文庫の欄にウィリアム・マクニール『世界史』上・下巻と書いてありました。

一部で同じマクニールの『疫病の世界史』が出るという情報があったのですが、私が見た表ではただの『世界史』となっていました。

確か上・下巻とも各1600円と文庫とは思えぬ値段でしたが、もし実際に出るのであれば、この機会に手に入れておかれるのも悪くないと思います。

それに加えてもっと重大なことがありました。

なんと同じ欄に樺山紘一『ルネサンスと地中海』の文字があるではありませんか。

いよいよ中公新版「世界の歴史」が文庫化される模様です。

それ自体は喜ばしいことなんでしょうが、これで中公旧版「世界の歴史」文庫の再版はますます可能性が薄くなってしまい、それが残念に思えてなりません。

以上二つの情報は中央公論新社のHPでは確認できないようです。

見間違いでは無いはずですし、文庫新刊の表は割と貼っている店が多いと思いますので、気になる方は大型書店にてお尋ね下さい。

(追記)なお同じく中央公論の来月新刊として高坂正堯氏の『海洋国家日本の構想』が中公クラシックスで出るようです。これはHPに載っています。

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更新のおしらせ

ジョージ・ケナン 『アメリカ外交50年』 (岩波現代文庫)に引用文追加。

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関連文献:読書論

今、手元にある主な読書術の本というと以下の通りです。

(1)小谷野敦 『バカのための読書術』 (ちくま新書)

(2)呉智英 『読書家の新技術』 (朝日文庫)

(3)清水幾太郎 『本はどう読むか』 (講談社現代新書)

(4)渡部昇一 『知的生活の方法』 (講談社現代新書)

(5)立花隆 『ぼくはこんな本を読んできた』 (文春文庫)

(6)山内昌之 『「反」読書法』 (講談社現代新書)

(7)斎藤孝 『読書力』 (岩波新書)

(8)勢子浩爾 『自分をつくるための読書術』 (ちくま新書)

(9)福田和也 『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』 (PHP研究所)

読書法として、「本を買うか、借りるか」「読書ノートを取るか、本に書き込みするか」で別れますが、まず読む本について図書館で借りるものを主にすべきと書いてるのは呉氏の2だけで、あと8が一回しか読まない本は借りろと書いてるのを別にすれば、その他の著者は皆できるだけ本は買うべきだと言ってます。

読書ノートについても、2が積極的に書くべき(ただし本の細かな要約的なものでなく自分なりのポイントを明示したもの)としていて、その点3も同様の主観主義的なノートを取ることを勧めてます。9も最終的には何かメモして残しておくべきと書いてます。あとはどんどん本に線を引いたり書き込んだり付箋紙を貼れという人が多いようです。

私の場合、やはり読む本は買ってしまいます。図書館でも借りますが、その時点で通読するためというより、買って読むべき本か判断するための下調べの目的で予約することがほとんどです。

読書ノートについては、今までつける習慣が全くありませんでした。一度書こうと思ったこともあったのですが、全然長続きしませんでした。しかも貧乏性で本に傍線を引っぱったりするのにも抵抗があり、読んでも何もしないというのが常態でした。

しかし生来の物覚えの悪さから、読んだ本の内容を片っ端から忘れるといった次第で、さすがに悔しさが否めず、何とかしようと考え、9で紹介されていた方法ですが、これはと思った記述のあるページの角を折っておくということだけはここ数年するようになりました。これは一番気軽にできることなのでお勧めします。

それ以上のことは今でも滅多にしないのですが、このブログでタイトルと大体の感想以外に、少々細かな内容を記している記事がありますが、それが実質読書ノート替わりになってます。

時には「ネタバレ」に近い記述もあるかと思いますが、個人的には読んだ本のポイントの記憶を鮮明にするのに極めて便利な手段ですので、何卒ご容赦ください。

なお「読書論」カテゴリに吉田寅他・編『世界史のための文献案内』(山川出版社)を入れてますが、類似の本として高島俊男『独断 中国関係名著案内』(東方書店)と、花井等編 『名著に学ぶ国際関係論』(有斐閣)、猪口孝 『社会科学入門』(中公新書)、中嶋嶺雄『国際関係論』(中公新書)を挙げておきます。

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更新のおしらせ

高坂正堯 『大国日本の世渡り学』 (PHP文庫)に引用文追加。

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更新のおしらせ

福田恆存 『日本を思ふ』 (文春文庫)に引用文追加。

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更新のおしらせ

ギルバート・チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)に引用文追加。

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更新のおしらせ

『ジョージ・ケナン回顧録 上・下』 (読売新聞社)に引用文追加。

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関連文献:林健太郎

この人も非常に好きな著者である。

平易、簡潔、明快で、これ以上無いほど流暢な文体が素晴らしい。

内容も穏健で、常に熱狂や狂信を避けようと意識したもので、深く信頼できる。

『個性の尊重』(新潮社)

1958年刊と大昔の本ですが、これに収められている「映画と文学による歴史の勉強」という文章はなかなか興味深いので、一度図書館で借りてみてください。

『共産国東と西』(新潮社)

1967年の本。文革真っ最中の中国紀行も面白いが、特に良いのが現地の歴史学者との対話を記したソ連・東欧紀行。

スターリン批判後、一定限度の自由が認められたソ連圏でナショナリズムの主張を通じて脱マルクス主義を徐々に図っていこうとする歴史家たちの実情が面白い。

『歴史からの警告』(中央公論社)

一気に時代が下がって1995年刊。「正論」誌上で展開された「大東亜戦争肯定論者」との論争が主な内容。いい悪いは別にして、確かにこの頃から「正論」「諸君」の誌面は先の大戦の全面肯定論一色になっていった感がある。

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更新のおしらせ

『共産主義黒書 ソ連編』(恵雅堂出版)に引用文追加。

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関連文献:岡崎久彦

1996年高坂氏が亡くなった後、しばらくの間国際政治関連で個人的に一番その意見を参考にしていたのがこの人だった。

2000年ごろまでは雑誌等に掲載された文章にはほぼ目を通していたと思う。(その頃から「親米保守」の代表格として岡崎氏が「反米保守」から批判されるようになったが、私が岡崎氏の論説を熱心にフォローしなくなったのは、それとは直接関係無いです。)

そういう保守論壇内部の対立の話は脇に置いても、岡崎氏の文章が一番面白かったのはやはり80年代から90年代前半だったように思える。

以下手元にある本を主に挙げてみます。

『国家と情報』(文春文庫)

1984年刊。国際情勢概観とソ連・韓国・北朝鮮・中国の各国事情を述べた本。特に韓国・北朝鮮の章は希少価値があって面白い。時事的話題に耽溺することもなく、歴史的アプローチを取っているので、今読んでも参考になるところが多い。

『情報・戦略論ノート』(PHP文庫)

単行本としては1984年刊。講演やエッセイ、短文集など。特に後半収められた短文エッセイ集が面白く、意外な知識を仕入れることができて有益。飛ばし読みでもいいので一度借りてみてください。

『情報・戦略論ノート Part2』(PHP研究所)

1990年刊。直接的な歴史関係の章が多く面白い。日本近代史の読み方の他、「『ローマ帝国衰亡史』で読む中東」なんて一風変わった文章もあって興味深い。巻末の対談では、「反米保守」の代表格西部邁氏とにこやかに対談するなんていう、今では絶対考えられない章があります。また最後の著名な中国研究者中嶋嶺雄氏との対談では、中嶋氏が対ソ関係改善とアメリカからの一定の自立の可能性について示唆しているのに対し、岡崎氏がやんわりかわしているところが今読むと面白い。ただ、これもひとまず借りるだけでいいと思います。

『新しいアジアへの大戦略』(読売新聞社)

1993年刊。何と言っても冒頭の「わが外交官卒業論文」と(今は無き「This is読売」で)題された、タイに関する長大な論文がすごい。中身が非常に濃い。初心者でも読めるレベルの地域研究としてはとても良い。

『国際情勢の見方』(新潮社)

94年刊。ソ連崩壊、湾岸戦争、カンボジア和平などを題材にして雑誌「フォーサイト」に掲載された論説が中心。手堅い内容でこの辺の国際情勢をよく理解させてくれる。

『国際情勢判断』(PHP研究所)

96年刊。真ん中あたりにある章で、当時のクリントン政権の日米包括協議での対日圧力に対して珍しくアメリカ側に反論しているのが面白い。またその少し後でキッシンジャーを代表とする米外交の「中国重視・日本軽視」派への批判も興味深い。

『日本の失敗と成功』(扶桑社)

2000年刊。佐藤誠三郎氏との共著。対談形式で近代日本の歩みを振り返った本。文庫版も出ている。ごく平易な表現で明快な評価を下しているので、初心者でも面白く読める。

あと「近代日本」カテゴリに入れてます、PHP文庫の近代日本外交史シリーズはやはり読むべきだと思われます。あれは反米保守ないし左派的な考えを持つ人でも参考になるところが多いと思いますので。

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関連文献:高坂正堯

これまでも多くの著作を紹介してますが、記事にしなかったものをここでまとめて書いてみます。

私はこの人の著作にはほぼ全て目を通しているので、「お勧めの本は何だ?」と言われれば、「全部」と答えたいところだが、それじゃしょうがないので以下特にお勧めしたいものを挙げます。

『長い始まりの時代 外交感覚3』(中央公論社)

前2巻に続く短文の外交評論集。読みやすい上に歴史的知識に裏付けられた叡智に満ちた本。ごく気楽に読めて、なおかつ密度が濃い。非常においしい本。

『平和と危機の構造』(NHKライブラリー)

1991年ごろに放送されたテレビ教養講座の書籍化。と言っても内容はかなり変更されているようである。冷戦後の世界情勢を概観するための切り口を提供してくれる良書。現代史を理解するための大きな武器となる。元の番組を録画したビデオを持っていたはずなのだが、今は手元に無い。惜しいことをしました・・・・・。

『高坂正堯外交評論集』(中央公論社)

亡くなられた直後に出た本。単行本未収録の論文もあって貴重。抽象的理論ではなく具体的な歴史を踏まえ、感情や教条に動かされることを避け、深慮と諦観を持ちながら冷静に世界を眺めた碩学の軌跡を辿ることができる。

高坂節三『昭和の宿命を見つめた眼 父・高坂正顕と兄・高坂正堯』(PHP研究所)

弟さんが2000年に書いた本。非常に興味深い。ただ亡くなる直前の話を読むと何とも言えない寂しさと悲しさを感じます。しかし「乱れた死に方だけはしたくない」と立派に病床の日々を乗り越えられたそうで、改めて感銘を受けます。

『アメリカはどこへ行く』(カセット・新潮社)

1988年の講演を収録したカセットテープ。肉声で高坂氏の講義を受けているようで、非常に贅沢な気分に浸れます。内容は当時のアメリカ衰退論を踏まえた評論。話し方は本当にうまいです。難解な表現は何一つ無いのですが、それでいて聞き終わるとずしりと心に残るものがあります。

『歴史としての二十世紀 1・2・3集』(カセット・新潮社)

これは亡くなられた直後、1996年に出た講演集。世界大戦・大恐慌・共産主義・高度経済成長・大衆民主主義と資本主義・文明の衝突などについて縦横に語る。ユーモアを交え軽妙に語りながら、深い見識を披露して、確実に重要な知識や見方は聴衆に与えてくれます。手に入りにくいとは思いますが、もし近くの図書館であれば是非借りてみてください。できれば上の『アメリカは~』とあわせてCD化して再版してもらえないでしょうか。

以上個人的に特に面白かったものを挙げてみましたが、その他にも興味深い著作がありますので、お手に取ってみては如何でしょうか。この人は歴史を学ぶことの重要性を常に説いていた方であり、その著作にも歴史的視点からの識見が多く記されているので、世界史の参考文献として大いに役立つと思われます。

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おしらせ

これまで415タイトルを記事にしてきましたが、昨日でほぼネタ切れと相成りました。

読んでない本やごく最近読了した本でかなり水増ししてきたのですが、それでも間に合わなくなってきました。

すみません、これが私の限界です。

結局一年ちょっと続いただけでしたね。

「史論・評論」カテゴリに入れるような本ならまだ2、30冊ありますし、自分としては普通の通史的書物だけでなく、そういった本からも多くを学んだ気がしますが、あまりブログタイトルと離れた本ばかり載せるのもアレだと思いますので、これまでご紹介した「どうしても」というものだけにしておきます。(後日ある程度まとめて記事にするかもしれませんが。)

これからも細々と続けていきたいと考えていますが、以後更新頻度はガタ落ちになると思います。

ブックガイドとして大して役に立たなかったり、妙なこと書いてたりしますが、気が向いたらまた覗いてやってください。

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おしらせ

これまで最初の頃を除き、基本的に一日一書のペースで、

1.借りた本ではなく、自分で買った本で今も所持している

2.最低一度は一行も飛ばさずに通読した(一部例外有り)

という二つの条件に合う本を書き連ねてきましたが、最近150タイトル余りまできたところで、ほぼネタ切れとなってしまいました。

根が飽きっぽく、そもそも読書量は多くないので、そうなってしまった次第です。

今まで読んだ本で今は手元に無い本がかなりあるので、それに加え今後新たに通読する本を挙げていって、当ブログはこれからも続けたいと考えております。

あと飛ばし読みで内容は相当把握しているが未だ通読の機会が無い本や、中身をパラパラと見ただけだが読むべきだなと思った本も書くかもしれません。

ただ読んでない本を同じように推薦するのはちょっと問題ですので、その場合はその旨明記するつもりです。

取り上げられそうな本を書き出してみると、当分更新頻度は落とさず一日一冊のペースを守れそうですので、よろしければこれからもお越しください。

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