カテゴリー「おしらせ・雑記」の84件の記事

引越しします。

年一回も更新するかわからないのと、万一自分が急死することを考えて、以下に引っ越すことにしました。

http://whbg.wordpress.com/

ココログのこのブログは、一定期間が過ぎれば削除する予定です。

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30冊で読む世界史 その2

その1の続き。

ラテン・アメリカは、(16)高橋均『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)で先史時代から現代までカバーできるので、即決。

全集モノで傑作があると、こういうとき楽です。

オセアニアはさすがに勘弁して下さい。

もし何か読むのなら竹田いさみ『物語オーストラリアの歴史』(中公新書)だけでいいでしょう。

しかし今の時代、アフリカは省略できんよなあと考え、(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)を挙げる。

イスラム・中東も中公の全集に(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)という名著があるのでほとんど迷わない。

本書がオスマン以前しか叙述していないというのなら、後藤明『ビジュアル版イスラーム歴史物語』(講談社)が非常にわかりやすい形式で現代までの西アジア全史を物語ってくれていますので、これで代用しましょう。

あと、菊地達也『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(講談社選書メチエ)はタイトルが与える印象とは異なり、宗教史ではなく、やや詳しい通常の通史としても使えます。

一般常識レベルの本として、阿刀田高『コーランを知っていますか』(新潮文庫)で肩慣らしをして、現代史では藤村信『中東現代史』(岩波新書)辺りで基礎を作りますか。

続いて中央アジアですが、これがねえ・・・・・。

間野英二『中央アジアの歴史 (新書東洋史8)』(講談社現代新書)も、羽田明『西域 (世界の歴史10)』(河出文庫)もいまひとつとの感がある。

迷った末、やや簡略だが、(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)を選択。

お茶を濁したとの印象が拭えませんが、これはオリエントと並んで今後の宿題にさせて下さい。

他に井上靖『蒼き狼』(新潮文庫)は有名な作品で読みやすいし、一読しておいてもいいでしょう。

なお杉山正明先生の『大モンゴルの時代 (世界の歴史9)』(中央公論社)など一連の著作は、初心者に勧めてよいものやら、判断に迷います。

インドに入ると、ここでも(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)と極めて使い勝手の良い本があるので、すぐ埋まる。

これもイスラム史と同じくムガル朝以前のみで全体をカバーしてないが、かと言ってターパル、スピィア『インド史 全3巻』(みすず書房)じゃ初心者にとってハードルが高すぎる。

この辺は網羅性をある程度犠牲にしても、挫折せず読み通すことを優先して上記本を採用。

加えてサブテキストして、渡辺照宏『仏教』(岩波新書)でも読んでおきますか。

東南アジアも個々の著作ではそこそこいいものがあるが、全域の通史ではすっと思い浮かぶものが無い。

永積昭『東南アジアの歴史 (新書東洋史7)』(講談社現代新書)は簡略過ぎて、ちょっとインパクトに欠ける。

思い切って柿崎一郎『物語タイの歴史』(中公新書)で通史の代用にするかとも思うが、いくら主要国でも一国史で全域の歴史を代表させるのは問題があるかと思い止まる。

結局、(21)石澤良昭 生田滋『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)を採用。

これは書名一覧で評価4となっていますが、今思うと「そんなに面白かったかなあ」との疑いが生じている。

しかし、まあ暫定的には基礎テキストとして採用しても大丈夫な本だと思います。

さて、やっと中国史まで来た。

通史としては、やはり(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)がベスト。

好き嫌いはあると思うが、個人的にはこの本は決して外せない。

ただし、クセがあってどうしても駄目だという場合は寺田隆信『物語中国の歴史』(中公新書)で代用できます。

冊数制限が無ければ、宮崎先生の本だけで10冊近くいってしまうのだが、厳選に厳選を重ねて、(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)を挙げる。

史観の大胆さ、叙述の華麗さで並ぶものの無い、時代別通史の傑作。

そして、ギリシア史でヘロドトス・トゥキュディデスを挙げたのと同様に、中国史でも(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)に挑戦してみましょう。

これは初心者に通読できる形式・内容の古典ですので、是非読破しておきたい。

加えて、歴史小説の傑作、(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)を。

この本、面白過ぎますので。

全30冊なら、中国史で4冊費やせば、とりあえず打ち止めですかね。

宮崎氏の『科挙』(中公文庫)のような、定番中の定番も外さざるを得ない。

また、これもリストには入れられませんでしたが、中国現代史の基礎を固めるため、中嶋嶺雄『中国 歴史・社会・国際関係』(中公新書)でも読んでおきますか。

これ1冊でもこなしておけば、初心者にとっては大いに違います。

中国史は他分野に比べて日本語で読める啓蒙書の絶対数がはるかに多いので、他にも、このブログで挙げている、いないに関わらず、読みやすいものを読破していって、知識を地道に増やしていって下さい。

最後に朝鮮史を。

ここも迷う。

水野俊平『韓国の歴史』(河出書房新社)金両基『物語韓国史』(中公新書)姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』(朝日選書)も、いまいち決め手に欠けるなあと思う。

金素雲『三韓昔がたり』同『朝鮮史譚』(講談社学術文庫)は読みやすいのはいいが、通史としてはやや物足りない。

と思っていたが、(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)を忘れていた。

これは疑いも無く傑作である。

基本、史論・評論のような本だが、一応後半部は簡単な韓国通史の形式になっているし、初心者には様々な面での効用が期待できる。

本書は1970年代末期の著作であり、岡崎氏の現在の政治的立場はほとんど反映されていないので、そうした面を気にする方はご心配不用です。

これは繰り返しページを手繰るべき本でしょう。

地域別カテゴリはこれまで。

テーマ的カテゴリから残り数点を抽出。

近現代概説より(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)を挙げる。

これまで何度勧めたかも思い出せないほどだが、高校レベルの初心者にとって、この両著が与えてくれる効用は本当にずば抜けてます。

最も初歩的な現代史入門として最高の出来。

これらが新刊で入手できない状態を何とか解消して頂けないでしょうか。

もし復刊ということになりましたら、豆粒みたいなブログですが、大いに宣伝させて頂きますので、どうかよろしくお願い致します。

加えて、戦後世界史の概説書が一冊欲しい。

猪木正道『冷戦と共存 (大世界史25)』(文芸春秋)にしようか、それより少しは叙述範囲の広い猪木正道 佐瀬昌盛『現代の世界(世界の歴史25)』(講談社)にしようか、と迷いましたが、結局(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)を採用。

完全な初心者にはやや良さがわかりにくい本かもしれませんが、やはりこれは外せないという結論に達しました。

これも噛めば噛むほど味の出る本で、数度通読する価値のある書物です。

あと一冊、最後に国際関係・外交分野から(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)を挙げてラストを飾る。

この本を読んだときの衝撃と感動は今もありありと心に浮かび、忘れられないものがある。

政治や外交について初心者が学ぶ際、是非とも通り抜けておくべき本と言えます。

また、ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史』(有斐閣)も優れたテキストなので一読の価値有り。

なお、基礎的な道具類として、教科書・年表・事典のカテゴリを見て、高校教科書をどれか一冊手元に置いておくと宜しいかと思います。

(と言っても、山川出版社の『詳説世界史B』以外は入手困難でしょうが。)

あと、簡易世界史事典のつもりで『世界史B用語集』(山川出版社)を所持し、大型書店の受験参考書コーナーで歴史地図の付いた高校副読本のうち、気に入ったものを一つ購入する。

世界史関連本を読んでいく中で、気になった事項をこれらでチェックして、知識を確認していけばいいでしょう。

教科書と用語集は本棚に仕舞い込んで置くのではなく、机の上か床の上に無造作に放り出して置き、ほんの1分か30秒でもいいから、頻繁に手に取って適当なページをめくって目を通すことを意識してやると良い(トイレの中に持ち込むのも可)。

(私は『詳説日本史』(山川出版社)でそれをやって、知識の穴埋めにかなり効果が有りました。)

教科書が無味乾燥で嫌だという方には、中谷臣『センター世界史B各駅停車』(パレード)青木裕司『NEW青木世界史B講義の実況中継 全5巻』(語学春秋社)の二つを挙げておきます。

いきなり大学受験向け参考書はハードなので、小中学校レベルのもっと基礎的なことから始めたいという方には・・・・・・。

日本史なら迷うこと無く、各社から出ている「学習漫画日本の歴史」の類をお勧めするのですが、同種の世界史漫画シリーズはちょっとよくわかりません。

何か適切なものを見つけたら、またこのブログで取り上げるつもりです。

なお、現代史を知るための対策として、紙の新聞を一紙購読して、国際面だけでいいので、毎日隅から隅まで読むのもいいかもしれません。

各国別、地域別類書があってもすぐ情報が古くなるのが厄介ですが、新聞の記事・解説を我慢して読み続けていると、ある程度の知識が付いてきます。

大雑把過ぎる紹介でしたが、とりあえず終わりました。

以下、一度に30冊並べてみます。

(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)

(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)

(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)

(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)

(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)

(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)

(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)

(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫)

(9)アンドレ・モロワ『フランス史 上・下』(新潮文庫)

(10)アンドレ・モロワ『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)

(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)

(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)

(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)

(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)

(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)

(16)高橋均 網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡 (世界の歴史18)』(中央公論社)

(17)宮本正興『新書アフリカ史』(講談社現代新書)

(18)佐藤次高『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』(中央公論社)

(19)間野英二『内陸アジア (地域からの世界史6)』(朝日新聞社)

(20)山崎元一『古代インドの文明と社会 (世界の歴史3)』(中央公論社)

(21)石澤良昭『東南アジアの伝統と発展 (世界の歴史13)』(中央公論社)

(22)宮崎市定『中国史 上・下』(岩波書店)

(23)宮崎市定『大唐帝国』(中公文庫)

(24)『世界の名著 司馬遷』(中央公論社)

(25)司馬遼太郎『項羽と劉邦 上・中・下』(新潮文庫)

(26)岡崎久彦『隣の国で考えたこと』(中公文庫)

(27)林健太郎『二つの大戦の谷間 (大世界史22)』(文芸春秋)

(28)野田宣雄『ヒトラーの時代 上・下』(講談社学術文庫)

(29)高坂正堯『現代の国際政治』(講談社学術文庫)

(30)高坂正堯『国際政治』(中公新書)

以上、もちろん単なる叩き台に過ぎませんので、皆様の好みやレベル、あるいは入手し易さに従って適当に取捨選択して下さって結構です。

中央公論社の本で半分を占めていたりと、私の好みがはっきり出過ぎているかもしれませんが、一定の冊数以内で最低限の目途が付くということを示せただけでも、このリストの意味があるかと。

中公新版世界史全集を挙げて、巻数もちょうど30だしそれ読んでください、で済ませるのも芸がないですしね。

30冊ということは一月2冊読むとして、一通りこなすのに一年ちょっとですから、私ほどの暇人じゃない方にも比較的現実的な数字だと思います。

研究者でもセミプロ的達人でもない、少々世界史に興味があるという位の、私と似たレベルの方にとって、何かのお役に立てれば幸いです。

本日で通算1000記事目です。

はじめにおしらせ・雑記引用文を除いて、紹介冊数で言うと850弱です。

(そのうち、通読していないのに記事にした分がかなりありますが。)

予告通り、当分の間更新を停止させて頂きます。

再開未定です。

ただし、ココログフリーでは一年間新規記事を上げないとブログ自体削除される規約のようですので、とりあえず年一回は更新するつもりです。

それでは皆様、御機嫌よう。

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30冊で読む世界史 その1

これまで結構な数の本を紹介してきましたが、ブックガイドとしては乱雑過ぎて、どれを読もうか迷う方がいるかもしれません。

このブログを隅から隅まで読む暇のあるのは、間違いなく書いた本人だけでしょう。

一応地域別カテゴリテーマ的カテゴリに分かれた書名一覧があり、各書を五段階で評価してますので、評価5または4の本を優先して読んで頂くという手もありますが、それでも数が多いし、初心者には向かない本もある。

そこで、以下の基準に則り、暫定的な必読書リストを作ってみることにしました。

(1)地域別カテゴリを基本に30冊で初心者が世界史を概観できるリストを作る(ただし近代日本は除外)。

(2)長大なシリーズものでない限り、上・下巻などは「合わせて1冊」と数える。

(3)初心者が通読困難な古典的著作などは入れない。

(4)網羅性に出来るだけ配慮するが、叙述範囲が広いというだけの、つまらない本は挙げない。

(5)個人の理解度・嗜好・費やせる時間の違いを考慮して代替書を出来るだけ挙げる、また個別的テーマに関わる本や最も初歩的な段階を脱した時点で読む発展的テキストなども適時提示する。

補足として、なぜ30冊なのかと言うと、10冊・20冊ではさすがに少なすぎて世界史をカバーするのは不可能、40はキリが悪い、50だと少し多すぎる、100は論外、という感じです。

では、早速はじめましょう。

まず、最も広い範囲を対象とするものとして、アジアヨーロッパから、(1)ウィリアム・マクニール『世界史』(中央公論新社)(2)宮崎市定『アジア史論』(中公クラシックス)を挙げる。

世界史全体を概観する本としては、私の知る限りこの二つが白眉。

同じ宮崎氏の『アジア史概説』(中公文庫)でもいいが、やや量が多いので上記本を。

ただし必ず最初にこの二書を読むべきだというのではありません。

ここで挫折してもしょうがないので、以下に挙げる本のうち、特に興味の持てるもの、読みやすそうなものから読んで頂いた方がいいです。

もちろん最初に読んでも構いませんが、まとめの意味で最後に読んでもいいでしょう。

その辺は臨機応変に。

さて、それから個々の地域に入るわけですが、オリエントでいきなりつまづく。

そもそも苦手分野だし、「これは」と思う本に出会ったことも無い。

中公旧版全集の貝塚茂樹『世界の歴史1 古代文明の発見』(中公文庫)は面白かったが、オリエントではなく中国やインドが主流だし、三笠宮崇仁親王『ここに歴史はじまる (大世界史1)』(文芸春秋)杉勇『古代オリエント (世界の歴史1)』(講談社)ももう一つインパクトに欠けるし、青木健『アーリア人』(講談社選書メチエ)で代用するのもちょっと違う気がする。

やむを得ず、消去法で(3)岸本通夫『古代オリエント (世界の歴史2)』(河出文庫)を選択。

自分でもやや不本意ですが、ご容赦下さい。

ギリシアでは、まず(4)『世界の名著 ヘロドトス・トゥキュディデス』(中央公論社)を。

「おいおい、古典的著作は入れないんじゃなかったのか?」と言われるでしょうが、これは少々無理しても読む価値有り。

高校教科書に名前が出てくるような史書では絶対外せない定番ですし、読了すれば非常な充実感が持てる。

それが自信になって、プルタルコス『英雄伝』(ちくま学芸文庫)カエサル『ガリア戦記』(講談社学術文庫)スエトニウス『ローマ皇帝伝 上・下』(岩波文庫)タキトゥス『年代記 上・下』(岩波文庫)などの著作に挑戦する足掛かりにもなる。

教科書には「ヘロドトスが物語風歴史、トゥキュディデスが『科学的』(ないし批判的)歴史」というふうに書いてますが、実際上記訳書に当たってみると、その区別が実感できます。

分量的にはヘロドトスの方が大分多いが、比較的スラスラとページを手繰れます。

しかしトゥキュディデスに入ると、一気に読むスピードが落ちるでしょう。

だが両者とも抄訳なので、ちょっとだるいなと思った頃に省略となるので、初心者にとっては助かる。

岩波文庫の全訳(『歴史 上・中・下』『戦史 上・中・下』)に取り組む前にこちらで肩慣らしをしておきましょう。

あと、普通の概説書として(5)澤田典子『アテネ民主政』(講談社選書メチエ)がよくまとまっていて有益。

他に個別的分野の本として、森谷公俊『王妃オリュンピアス』(ちくま新書)が大傑作なのだが、冊数の都合で泣く泣く落とす。

ローマは、初心者にも読みやすい(6)モンタネッリ『ローマの歴史』(中公文庫)を。

あるいは、塩野七生『ローマ人の物語』(新潮社)のうち、最初の二巻、『ローマは一日にして成らず』(新潮文庫)『ハンニバル戦記』(新潮文庫)をとりあえず読むということでもよい。

「全15巻のうち、1、2巻だけ読むの?」と言われるでしょうが、私はそういうのも「有り」だと思います。

それにこのシリーズの出来は、1、2巻と4巻5巻がピークで、後は落ちる一方ですから。

実はローマ史は上記モンタネッリ1冊のみ。

いくら全30冊といってもそりゃないだろう、と我ながら感じるので、せめて南川高志『ローマ五賢帝』(講談社現代新書)を入れようかと思ったのですが、これもやむを得ず除外。

ただし初心者向け啓蒙書としては、真っ先に読むべき本だとは申し上げておきます。

他には、一般常識を得るために阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)同『新約聖書を知っていますか』(新潮文庫)を、有名人物の伝記的作品として秀村欣二『ネロ』(中公新書)辻邦生『背教者ユリアヌス』(中公文庫)を推薦します。

そして出来れば最終的には、エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)の通読に挑戦して頂きたいと思います。

ビザンツは、井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)でもいいが(7)井上浩一『ビザンツとスラヴ (世界の歴史11)』(中央公論社)ならロシア東欧もカバーできてお得。

欧米史では、(8)アンドレ・モロワ『英国史 上・下』(新潮文庫) (9)同『フランス史 上・下』(新潮文庫)(10)同『アメリカ史 上・下』(新潮文庫)、とこれでイギリスフランスアメリカ主要国三つが一気に埋まった。

度々述べておりますが、この三部作の効用は初心者にとって驚くほど高い。

中央公論様、新潮から版権を買い取って文庫で復刊されては如何でしょうか。

ドイツが無いなあと思われるでしょうが、ご心配無用、(11)坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)という最適な本がございます。

イタリアはもちろん(12)藤沢道郎『物語イタリアの歴史』(中公新書)で決まり。

上記英仏米独伊五ヵ国についての通史代替書・個別的分野参考書は多過ぎて挙げ切れない。

通史では、まず福田恒存『私の英国史』(中央公論社)をこなした後、やや程度が高くなるが、トレヴェリアン『イギリス史 全3巻』(みすず書房)ピエール・ガクソット『フランス人の歴史 全3巻』(みすず書房)ゴーロ・マン『近代ドイツ史 1・2』(みすず書房)の三点を読破できれば申し分なし。

ゴーロ・マン著は30冊リストの中に入れたい位だが、分量が多めなので泣く泣く除外。

しかしこの本は本当に優れています。

難解な概念を使わず、政治と社会と思想の流れをパノラマのように見せつつ、押し付けがましくない一貫した史観を提示し、人物の魅力的描写に力を注ぎ、しかもそれを日本の高校レベルの読者にも翻訳では読めるレベルで成し遂げているのだから、ほとんど神業である。

機会があれば是非お読み下さい。

個別テーマ対象の本としては、ドイツ史関連から(13)林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書)(14)セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)をピックアップ。

冊数からして通史的著作以外の本を挙げる余地は極めて小さいが、この二つは初心者向け啓蒙書の傑作として外せない。

ハフナーの本は、他にも『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)『図説プロイセンの歴史』(東洋書林)も強くお勧めします。

モンタネッリの『ルネサンスの歴史 上・下』(中公文庫)も是非。

上記に加えて(15)ジョージ・ケナン『アメリカ外交50年』(岩波現代文庫)も。

この本も得られる知識の効用の高さ、史観の公平さ・客観性がずば抜けており、初心者必読。

他の啓蒙書では、書名一覧の評価も参考にして、佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書)同『カペー朝』(講談社現代新書)菊池良生『神聖ローマ帝国』(講談社現代新書)藤沢道郎『メディチ家はなぜ栄えたか』(講談社選書メチエ)など読みやすいものを手に取り、出来るだけ数をこなすことを意識して頂くと宜しいかと。

続いてダフ・クーパー『タレイラン評伝 上・下』(中公文庫)プティフィス『ルイ16世』(中央公論新社)など、やや程度の高いものにも取り組んで下さい。

スペインは0冊ですが、もし入れるなら、あまり知られていない本ですが、茨木晃『スペイン史概説』(あけぼの印刷社)を。

ついでに挙げると、ツヴァイク『マゼラン(附アメリゴ)』(みすず書房)は極めて面白い伝記。

オランダも迷ったんですが、結局岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)は入れず。

読む場合、日米関係がどうたらとかいう現在の問題に引き付けて論じた部分が鬱陶しければ飛ばしていいでしょう。

それを差し引いても、この岡崎氏著は実に面白い歴史物語です。

東欧・北欧の北欧部分は、もし読むのなら、とりあえず武田龍夫『物語北欧の歴史』(中公新書)1冊でいいんじゃないですか。

ロシアでは、上記『ビザンツとスラヴ』の他、ソ連史の名著として、ジョージ・ケナン『レーニン・スターリンと西方世界』(未来社)もリストに入れたかったのだが、全くの初心者では通読困難ということで、やむを得ず外した。

とはいえ、本当に多くの有益な視点が含まれた傑作ですので、余裕があれば是非お読み下さい。

ちょうど半分の15冊まで行きましたので、本日はこれまで。

続きは次回。

(追記:続きはこちら→30冊で読む世界史 その2

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戦前昭和期についてのメモ その6

その5に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1936(昭和11)年、二・二六事件、広田弘毅内閣、軍部大臣現役武官制復活、日独防共協定、ロンドン海軍軍縮会議脱退(ワシントン、ロンドン海軍条約失効)。

世界では、英ジョージ5世崩御、シンプソン事件でエドワード8世退位、ジョージ6世即位(~52年)、仏ブルム人民戦線内閣、独ラインラント進駐(ロカルノ条約破棄)、西人民戦線政権とスペイン内戦、ベルリン・ローマ枢軸結成、ソ連大粛清本格化(ジノヴィエフ、カーメネフ処刑)、スターリン憲法、中国では西安事件。

日本では二・二六事件の悪影響で政治的リーダーシップが一層希薄となり、定見無く強硬策を唱えるだけの軍部がますます力を得る。

ナチス・ドイツが自国内での軍配置という形ではあるが国際条約を破棄し(ラインラント進駐)、国外(スペイン)の内戦に介入し、イタリアとの関係を固めるなど、攻撃的政策を採り始める。

それに対し英仏は迅速に対応できず、ソ連ではスターリンが狂気のような弾圧に耽る始末。

この年、米国ではルーズヴェルトが再選されているが、孤立主義的世論は根強いものがあり、さらに翌37年には不用意な財政支出削減によって米経済の再崩壊が訪れる状況。

そして西安事件により、共産党を蘇生させることを悟りつつもナショナリズムに押し流された蒋介石政権が対日融和策を放棄せざるを得なくなり、これまで通りの対中政策がもたらす危険が桁違いに高まっている状況下で、よせばいいのに、日本は日独防共協定で対独接近への第一歩を踏み出す(ただし協定締結は11月、西安事件は12月とやや時期は前後する)。

二・二六事件で殺害された三人の主要人物名は、教科書にも載ってることだし、役職名と共に憶えましょう。

高橋是清蔵相、斉藤実内大臣(前首相)、渡辺錠太郎陸軍教育総監。

岡田啓介首相は、人違いで別人(義弟だったか)が襲われ無事。

鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)も重傷を負う。

事件後、皇道派は排除されるが、反って統制派の政治支配に歯止めが利かなくなる。

浜田国松議員と寺内寿一陸相の割腹問答(演説)も空しく、広田内閣下、議会主義と政党政治は後退する一方となる。

たまに右寄りの人で二・二六で蜂起した青年将校に共感を示す人がいるが、私は到底同意できない。

そうした見方に何一つ真理が無いとは言わないが、後世への悪影響があまりにも大き過ぎる。

なお、この部分では著名な人物についての意外な一面を描写している。

まず、ワシントンおよびロンドン海軍軍備制限条約失効により無条約時代に入った海軍で、山本五十六が対独接近を主導したことが記されている。

もちろんドイツと結んで米英と戦うつもりは無く(実際よく知られているように後年三国同盟と対米宣戦に反対している)、米英との関係が疎遠になった分、ドイツから軍事技術を得ることのみを目的としたものだったとされているが。

山本は海軍の理性的穏健派として人口に膾炙しているが、著者の評価はあまり高くないようである。

翌37年盧溝橋事件に際して内地師団動員に賛成し、38年第2次上海事変で出兵を主張、加えて国民政府との和平交渉打ち切りを支持した近衛内閣海相の米内光政なども、次の巻では世評に反してかなり厳しく批判されそうですね。

もう一つ、広田内閣組閣時、外相候補となりながら軍部の横槍で就任できなかった吉田茂について。

駐英大使として赴任したが、不用意に日ソ戦勃発時の英国の態度に探りを入れ、英国の疑念を招き警戒され、信任が薄くなったと書かれている。

こういう普通肯定的に見られている人物でも、問題点を指摘するのは適切だと思う。

あと、メモすることと言えば・・・・・。

ヒトラー政権は1933年から1945年まで、12年間存続。

第二次世界大戦勃発が1939年だから、「平時のナチズム」と「戦時のナチズム」は奇しくもちょうど6年ずつ。

しかし区切るのなら33~37年と38~45年で分けた方がいいか。

保守派の国防相ブロムベルクと外相ノイラートを解任し完全な独裁体制を固め、オーストリアとズデーテン地方併合で国外への本格的侵略が始まったのが38年なので。

この二つはドイツ系住民の居住地であり、ナチ政権の体質に意図的に目を瞑れば、まだギリギリ「民族自決」の美名で正当化することもできたが、39年にヒトラーが、自ら英仏に強要したミュンヘン協定すら破り、チェコ(ベーメン・メーレン)を併合しスロヴァキアを保護国化することにより、さすがにチェンバレンと西側世論の堪忍袋の緒が切れ、ポーランドへの領土保証→第二次大戦勃発ということになる。

非常に読みやすく、面白い。

短い期間が叙述範囲だが、その分一年ごとに教科書や年表で復習すると、初心者には極めて効用の高い読み方ができる。

国際情勢に関する記述は他の本で補強が必要だし、35年の華北分離工作についてまとまった記述が無いのは大きな欠点だが、他には目立つ短所は無い。

年号など細部を記憶することにより、凡庸かつ通俗的な「歴史の流れ」を受け入れるのではなく、真に意味のある「歴史のイフ」を考えることができるという意味の文章を以前引用しましたが(内田樹6)、本書に関する記事ではそれを少しは実感して頂けたでしょうか?

(と言っても、ほぼすべて、本書の見解を含め他人の受け売りですが・・・・・。)

著者の福田氏は、書く媒体によって作品の玉石混交が激しいという印象を持っていますが、これは間違いなく「玉」の方です。

熟読玩味するに足る良書。

このシリーズを基本書にして、他の本で肉付けして昭和史を学んでも良い。

お勧めします。

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戦前昭和期についてのメモ その5

その4に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年における日本の岐路を再び考察。

この年、日本は対英協調による幣制改革支援を拒否、華北を勢力圏下に置く政策を推進することにより、中国との全面対決路線へ向かう。

35年末の冀東政権成立と41年7月の南部仏印進駐が、それぞれ日中戦争と日米戦争の「ポイント・オブ・ノーリターン」となったとの見解を読んだことがある。

それくらい、この年の華北分離工作は致命的。

英国の宥和政策にもし乗っていれば・・・・・・。

英国とそれに続くヨーロッパ諸国の満州国承認によって、中国ナショナリズムは拳の振り下ろし所を失い意気消沈、蒋介石は対日和解を進めると共に共産党討伐を継続できる。

日本が満州国の黙認だけを求め、長城以南の中国本土には一指も触れず、治外法権撤廃や関税自主権回復などの問題でむしろ協力的態度を示せば、日中関係を安定軌道に乗せることは、この時期まだ十分可能だったはず。

スティムソン・ドクトリン(不承認政策)を掲げる米国も、こうなっては現状を黙認するほかない。

ところが実際には、低俗かつ無責任な国内世論に流され、全く逆の強硬策を採用し破滅的結果をもたらすことになる。

2年後の37年には日中戦争が勃発し、泥沼の長期戦で全く身動きが取れなくなった状態で米英との対立を深め独と接近、39年第二次世界大戦勃発、41年日米開戦となる。

35年から2年ごと、奇数年に状況が劇的に悪化しているのをチェック。

史実では、35年の対中強硬策が2年後の日中全面戦争に繋がり、政策選択の幅を異常に狭めた状態でそのさらに2年後、欧州の第二次世界大戦勃発を迎えたわけだが、この時フリーハンドを持っているのといないのとでは、天と地ほどの違いがある。

また、欧州での英仏vs独伊とアジアでの日本vs中国の各陣営が、実際の史実の通り結びつかなければならない必然性は無かったはず。

そもそも33年日本の国際連盟脱退に際して、リットン報告書採択時、日本だけが反対(タイ[シャム]のみ棄権)ということは、考えれば独伊とも日本とは反対陣営にいたということ(日本の脱退は3月、独の脱退は同年10月)。

南京国民政府はドイツから多くの軍事援助と軍事顧問団を受け入れ(ナチ政権成立後も)、そのため日中戦争初期の戦いは一面「日独戦争」の側面すら見られた(松本重治『上海時代 下』(中公文庫)参照。ドイツに言わせれば共産党討伐を続ける蒋介石を背後から攻撃することこそ日独防共協定に反するということだろうが)。

(さらに言えば必ずしも左翼的立場でない史家でも、蒋介石政権自身がファッショ的傾向を持っていたとする見方もある。)

もし35年に違った対中政策を採って37年の全面戦争が避けられていたとしたら・・・・・・。

欧州での大戦勃発に際しては、時間稼ぎをし、形勢を展望する余裕も持てたはず。

仮に史実の通り36年に日独防共協定を結んでいたとしても、独ソ不可侵条約でそれは実質白紙化されているのだから、黙ってヒトラーが滅びるのを傍観しておればよい。

何があっても軽挙妄動せず、どんな挑発にも乗らず、世界第二位(あるいは三位)の海軍力を盾にし、(史実では南部仏印進駐後くらった)石油禁輸だけは宣戦布告を意味すると大々的に宣言して米英世論に釘を刺し、ハリネズミのように極東で独自路線を貫けばよかった。

米英両国も、どうせ何もできやしません。

ナチ打倒を最優先する以上、自ら第二戦線を開く決断は、当時の米国のような桁外れの国力を持った国でも、そう簡単にはできないはず。

それで戦後ドイツ問題をめぐって米ソ冷戦が始まれば、きっと向こうから擦り寄ってきますよ。

フランコ政権下のスペインに対してもそうだったし、まして日本の国力と戦略的地位はスペインの比じゃない。

その場合の日本は、300万人の同胞が死ぬこともなく、国民政府統治下の中国と和解し、中国共産党を辺境部に逼塞させ、米英など西側諸国とは不即不離の関係を保ち、外国軍隊を国土に駐留させることもなく、自らの軍事力でソ連の脅威に対抗することになる。

国際情勢の激変を受け、国内では軍部と極端な国粋主義の勢力は後退し、政党政治が復活し、明治憲法の欠陥を一部是正した上で、正常な議会政治を運営していたでしょう。

(政党政治と議会主義の復活が即ち「民主主義の復活」であるとは、私は思わない。無思慮で矯激なだけの衆愚的匿名世論の影響を退け、少数の責任ある議員による統治に戻ることはむしろ「民主主義の後退」、あるいは控え目に言っても「直接民主制から間接民主制への移行」である。戦前日本に必要だったのはまさにこういう意味で「民主主義を抑圧し後退させること」だったはず。議会主義を民主主義とイコールだと思っている人は、議会が民意を間接的に汲み上げるための制度であると同時に、民衆の意思を直接的には反映させないための制度であることを忘れている。)

朝鮮・台湾・南洋諸島には自治が与えられ、満州国は真の独立国に相応しい内実を持つようになり、日本帝国は英連邦のような形で存続したかもしれない。

真に安定した、秩序ある自由の唯一の根源である伝統と歴史的継続性を、深い傷を負わせることなく保守し、デモクラシーの風潮を半分ではやむを得ないものとして受け入れつつ半分では主体的に拒否する選択を行なうこともできたかもしれない。

「何でそうならなかったのか???!!!」と切歯扼腕せずにいられない。

私はそういう日本に生まれたかったです。

35年は二回に分かれてしまいました。

次回36年と全体の感想を書いて終わります。

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戦前昭和期についてのメモ その4

その3に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1935(昭和10)年、天皇機関説問題・国体明徴声明、対中外交上の広田三原則、梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、冀東防共自治委員会(のち自治政府)設置などの華北分離工作、永田鉄山斬殺(相沢事件)。

世界では、ストレーザ戦線、伊エチオピア侵入、英マクドナルド挙国一致内閣退陣、ボールドウィン保守党内閣成立、仏ソ相互援助条約、独再軍備宣言、ザール併合、ニュルンベルク法制定、英独海軍協定、コミンテルン第七回大会で人民戦線戦術採択、中共八・一宣言、南京国民政府幣制改革、米中立法およびワグナー法。

上記の通り、教科書レベルの出来事だけ挙げても、極めて事件の多い年であることがわかる。

この1935年は国際情勢の対立構造変化の年として極めて重要。

まず、前34年のオーストリア危機を契機に英仏伊3ヵ国の反独包囲網であるストレーザ戦線が成立したかと思いきや、イタリアのエチオピア侵攻により英仏と伊が離反、独伊が接近し枢軸陣営形成に向かうという変化が最重要事項。

日本は、排日運動停止・満州国黙認・共同防共の三つを見返り無しで一方的に南京国民政府に要求する広田三原則を提示。

国民党機関を河北省とチャハル省から撤退させた上記二つの協定締結、冀東防共自治政府設置により、満州のみならず長城を超え華北までも自らの勢力下に置く姿勢を示したため、国民政府内の親日派は失墜、蒋介石も国内の過激な反日ナショナリズムを制御できなくなり、翌36年には西安事件が起こる。

日本は、33年塘沽(タンクー)停戦協定で得た、何よりも貴重な日中関係の小康と安定状態を愚かにも自ら捨ててしまう。

日中両国が排外的ナショナリズムの虜になり、妥協と冷静さを説く同国民を「売国奴」として排撃し、互いに傷つけあった結果、日本は有史以来未曾有の敗北、中国は国土の荒廃を代償にした惨勝およびその直後の共産化と、双方が致命的な破局を迎え、結局漁夫の利を得たのは米国と共産勢力のみ。

こういう歴史だけは繰り返したくないものです。

以上まとめると、欧州では英仏および独伊の各陣営が形成され始め、東アジアでは日本と中国が再び全面対決路線に向かう一方、ソ連は仏ソ条約と人民戦線戦術で西側に接近しつつも独との了解への可能性を残し各陣営を両天秤にかけ、米国は国内の孤立主義的世論に拘束されて中立を保つが同時に介入の機を窺う、というのがこの1935年の情勢。

他に補足として何点か。

7月林銑十郎陸相が真崎甚三郎教育総監を更迭し、皇道派・統制派の対立激化、相沢三郎が軍務局長永田鉄山を殺害すると林陸相辞職、後任は川島義之、この陸相の下で二・二六事件を迎える。

第一次大戦でドイツから一時分離されていたザール地方がドイツに併合されており、ヒトラー政権成立後初の領土拡大だが、これは国際協定に基づく住民投票によるものであり、別段不法なものではない。

29年労働党首班として第2次内閣を組織したマクドナルドが労働党を除名されつつ31年挙国一致内閣を成立させ、それがこの年まで続いている。

マクドナルド退陣後ボールドウィン内閣、これに続くのが37年成立し、ヒトラーに対する宥和政策で有名な(悪名高い)ネヴィル・チェンバレン内閣。

チェンバレンはボールドウィン政権にすでに蔵相として入閣しており、ボールドウィン内閣時代から上記英独海軍協定など宥和政策の萌芽が見られる。

このイギリスの対外政策に絡んで、1935年日本はその運命を決する重大な分岐点を迎えていた。

蔵相ネヴィル・チェンバレンの意を受けて、英政府最高財政顧問サー・フレデリック・リース=ロスが来日、日英が提携して中国への共同借款を供与、中国に強力な中央銀行を設立、幣制改革を遂行し、代わりに英国と中国が満州国を承認するという提案を行なう。

チェンバレンは、勃興しつつあるナチス・ドイツの脅威に対抗するには、日本との融和を進める必要があると考えていた。日本との関係を修復し、日本を国際秩序の担い手として復帰させようというのである。そのためには、イギリスとともに中国にも満州国を承認させ、その上で国際聯盟に日本を再加入させるというスケールの大きな外交戦略を抱いていた。

・・・・・・・

日本にとって願ってもない提案といってよいだろう。両国が満州国を承認してくれれば、孤立が解消されるだけでなく、満州の体制も磐石になる。たとえ、中国が承認を拒んだとしても、イギリスが承認する意味は絶大である。イギリスが承認すれば、不承認政策を掲げるアメリカは別として、他のヨーロッパ諸国が承認する可能性がある。

・・・・・・・

イギリスは、中国経済を安定させることで、自国の在中権益を守るとともに、日本との関係を改善し極東での主導権を回復させることができる。さらに日本をドイツから遠ざけて、イギリスと利害を共有させることもできる。

チェンバレンが対独宥和の数年前に行なったこの対日宥和政策に乗っていれば、日本の運命は全く変わっていたはずである。

硬直した原則論を振り回すことしか知らず、各国の対立状態を深めるだけの米国に比べ、全当事者が多少なりとも利益を得て、同意可能な現実的妥協案を出してくるところは、さすが英国外交との感想を持つ。

岡田内閣の高橋是清蔵相は即座に賛同し、提案受諾を強く主張する。

しかし陸軍のみならず、広田弘毅外相、重光葵外務次官が反対に回ると書いてあるのを読むと、「おいおい、何考えてんですか???」と言いたくなる。

重光葵というと、小学生の頃から名前を知っていた人物で、のちに不自由な身体を押しての戦艦ミズーリ上での降伏文書調印や、戦後鳩山内閣での外相就任と国連加盟達成など、平和と協調に尽くした外交官とのイメージがあり、著書『昭和の動乱』も面白く読めたが、時々妙な行動を取っていますねえ。

広田弘毅はもっと酷い。

この最初の外相就任時に、英国と協調した幣制改革への協力拒否と陸軍による華北分離工作黙認がまずあり、翌36年二・二六事件で首相に就任した後は軍部大臣現役武官制復活と日独防共協定締結、37年第1次近衛内閣で再度外相に就任するや、盧溝橋事件直後の現地停戦協定を無視して内地師団動員に賛成、トラウトマン工作を拒絶、38年「爾後国民政府を対手とせず」との第1次近衛声明を発表と、とにかく要職在任中、本当にろくな事をしていない(服部龍二『広田弘毅』(中公新書)参照)。

本書での著者の筆致は、

広田弘毅外務大臣が、とどめを刺した。「満州国の承認といったことは支那の利益にこそなれ、満州国の利益にはならない」と述べ、「いずれにしろ、イギリスが口を出すことではない」と断言した。後の展開を考えれば、広田の一言が日本を滅した、と言ってよいかもしれない。その罪は、あらゆる軍の将帥より重いと云い得るだろう。

と、驚くほど厳しいものになっているが、これはそう言われても仕方がないところでしょう。

この判断ミスは本当に致命的です。

責任感のかけらも無く、狂った多数派の意見に異を唱える穏健な人々を集団で攻撃することで得られる快感を国家の運命よりも優先する、汚らわしい衆愚どもが作り出す世論に屈従したのか。

東京裁判が正当だとか、死刑になって当然だとは全く思いませんが、やはり広田の責任は、文官では近衛に並んで重いと言わざるを得ないのではないでしょうか(上記衆愚的世論を煽った人間とそれに付和雷同した大衆が、罰することは極めて難しいが、最も罪深く嫌悪すべき存在であることは大前提として)。

岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)では日本自身の軍備拡張と満州国への投資に加えて、中国へ経済支援を与えてアジア情勢を安定させるには、畢竟日本の国力が足りなかった、このわずか数年後日中戦争開戦でかつて幣制改革で求められた額の何倍もの戦費を負担することを思えば、この時の英提案に応じるべきだったと言えるが、そこまで見通せないのが人間の常だ、と述べられている。

(ちなみに上記本では高橋蔵相はじめ大蔵省も対英協調消極派のように書かれているが、単に言葉が足りないだけか?)

とは言え、単に後知恵だと片付けるには、この時あまりに惜しいチャンスを日本は逃している。

当時の日本に必要だったのは、確固たる指針を持った責任ある少数者の指導とそれに対する民衆の信頼と服従であって、「自由と民主主義」ではないです。

粗暴で過激な意見がメディアによって何の制限もなく広められ、数の力で賢明な少数者を抹殺したことを見れば、言論の自由と民主主義はむしろその梃子になったと解釈した方がよほど実態に合っている。

左翼的言論は厳しく取り締まられていたが、右翼的言論は野放し状態で(こうした偏った自由も民衆の主体的選択によって生まれたもの)、「国体明徴」「臣道実践」など表向き右派的言辞を弄することによって、実質的には左派と相通ずる、民衆の既成支配層に対する理不尽・無責任・非道徳的で不遜な反抗がほとんど無限に正当化されてしまっている。

言論・出版の自由と社会の平等化が進行することによって政治的発言権を持つ人間の数が増えれば増えるほど、議論の質が止めどなく低下する。

粗雑な単純化と罵詈雑言と印象操作が横行し、熟慮や冷静な議論といったものが社会から一切消え失せ、大衆迎合的な煽動者と多数派民衆が作り出す衆愚的世論が権威主義的な少数派支配層を押しのけて全てを支配し、国家を乗っ取る。

社会の表面上に現れる瞬間的「民意」が絶対視され(そして世論を作り出す民衆の資質は決して問われることがなく)、それに逆らう少数派は「非国民」「売国奴」という誹謗中傷と名誉毀損に晒され、場合によっては特に愚かで凶暴な多数派分子によるテロリズムの標的にすらなる(戦後は多数派が貼るレッテルが「保守反動」「非民主的」に変わっただけ。そして最近は左翼思想の替わりに排外的ナショナリズムをおもちゃにするようになった大衆が少数派へのリンチを愉しんでいる)。

戦前日本においては、民主主義が軍国主義に取って替わられたのではなく、政党・官僚・旧財閥・宮中側近などの上層既成勢力の間接民主制が、対外強硬論と国内既成勢力打破を主張する極右革新派に煽られた下層民の直接民主制によって打倒され、その直接民主制の必然的帰結である衆愚政治が軍国主義を生んだと解釈すべき。

どんな時代にも、一貫して根底にある最大の問題はデモクラシーの暴走とその自己崩壊であり、大衆煽動に利用されるスローガンやイデオロギーの違いによって、そこから軍国主義が生れるか、ファシズムが生れるか、共産主義が生れるかはあくまで副次的問題に過ぎない(ナチについてのメモ その5)。

戦前日本は(そしてフランスもロシアも中国もドイツもイタリアも、その他1789年以降独裁と戦乱に苦しむようになった国のほぼ全ては)、民主主義ゆえに破滅したと言った方がよほど正しい(ルイ16世についてのメモ その1  同 その5)。

上記の不幸なメカニズムがあらゆる国で働いている。

前近代的専制政治が敷かれていた国でもその没落はデモクラシーの理念浸透が原因であり、秩序崩壊時には群衆心理が全てを決する状態に陥る以上、議会制度的なデモクラシーが無かったロシアや中国においても、左翼全体主義的独裁確立はやはり民主主義が生み出したものと解釈すべきもの。

近現代において民主化の進行過程をほぼ無傷で潜り抜けたのはイギリスや北欧諸国などだけで、むしろ少数派である。

民族の根本的な任務は、過去の制度を少しずつ改めつつも、それを保存することでなければならない。これは、困難な任務である。この任務を実現したのは、だいたいにおいて、古代ではローマ人、近代ではイギリス人だけであろう。(ル・ボン『群衆心理』

(ただしイギリスですらピューリタン革命とクロムウェル独裁という破局を経験している。英国史上、唯一国王のいなかった時期は、唯一独裁者に支配された時期でもある。ただしその革命政権も宗教を基盤にしていた故の歯止めが存在したことについてはローレンツ・シュタイン『平等原理と社会主義』引用文参照。さらにその後、民衆的独裁への免疫を付け、君主制と階級社会を維持しているのは大したもんです。)

アメリカはどうかと言えば、南北戦争は、正義の戦いという以前に恐るべき国家規模の破局と見なすべきだろうし(内田義雄『戦争指揮官リンカーン』)、政治党派や人種・性・宗教・財産による社会の分裂が極限まで進んだ昨今のアメリカを見るとあの国がデモクラシーの持つ「党派的暴政への不可避的傾向」(バーク『フランス革命の省察』)を免れた例外だとはとても思えない。

そして、近現代はもちろん、前近代でも国家の崩壊や社会の堕落においては、社会の上層部少数者ではなく、(自分が属するような)下層多数者の悪が主因なのではないかと、私は最近ますます疑うようになってきている。

何度も繰り返しますが、君主制や貴族制はたとえどれほど堕落しても、言葉の真の意味での全体主義的独裁を生み出すことは決して無いウィリアム・コーンハウザー『大衆社会の政治』)。

民主主義は断じて全体主義の反対概念ではなく、むしろその成立の前提条件と考えるべき。

多くの民衆が政治に参加すればするほど、国家の権限と戦争の規模は拡大し、20世紀には億を超える「政治による死」がもたらされた。

過去5000年の人類文明の歴史で大部分を占める、君主や貴族など少数者統治の時代には、こうしたことは決して起こらなかった(引用文(ニスベット1)マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』)。

(それを、民主制下の科学技術の発達という成果の裏返しだと擁護するなら、そもそも人類の存続自体を不可能にしかねない科学技術と産業の過剰発達を「進歩」とみなすのを止め、根本から懐疑の念を差し向けるのが当然だと言いたい。またそれらの節度ある発展が君主制・貴族制下、あるいは民主制との混合政体下においては不可能だったとは信じられない。)

にも関わらず、左右の民衆的独裁の崩壊に際して、恥知らずにもそれが「民主主義の勝利」などと称される(上記の、力の割りに智慧の足りない某国が主になって)。

ウォルター・バジョットは『イギリス憲政論』の中で、

・・・・・ある社会で大衆が無知ではあるが、尊敬心をもっているという場合、この無知な階級にひとたび統治権を与えると、永久に尊敬心はもどってこない。現王朝[人民]の支配は、打倒された王朝[貴族]の支配よりすぐれているということを、煽動政治家が説き、新聞が話しかける。民衆は、自分に利害関係のある問題について、その賛否両論を聞くということはほとんどない。民衆の言論機関は、民衆に迎合的な議論ばかりをする。そしてそれ以外の言論機関は、事実上その意見を民衆の耳に入れることはできない。民衆は、自分自身に対する批判を決して聞こうとはしない。民衆が追放した教養ある少数者が、民衆の統治に比べて、いちだんと立派に、また賢明に統治していたということを、だれも民衆に教えようとはしない。民主主義は、恐ろしい破滅を味わわないかぎり、民主主義の打ち負かした体制へ復帰しようとしない。なぜなら、そうすることは、みずからが劣っていることを容認することになるからである。民主主義は、ほとんど耐えがたい不幸を体験しないと、みずからが劣っていることを決して信じないのである

と述べているが、バジョットは間違っていた。

民主主義は「恐ろしい破滅を味わ」っても、「ほとんど耐えがたい不幸を体験」しても、「みずからが劣っていることを決して信じない」ことが明らかになった。

どんなにおぞましい惨禍がもたらされようとも、民衆が自由を行使する自己の資格について謙虚に省みたり、自分たちだけで秩序を形成する能力を真摯に懐疑したりすることは絶対に無い。

1789年以来、人類は治癒不能の病に罹った、あるいは永遠の呪いを掛けられたと言ってもよい。

無秩序と独裁を反復する、この衆愚政治の醜悪な機械運動はもはや人類が滅びるまで止まらないでしょう。

何をしても防ぎようが無い。

現世の多数派にほんのわずかでも懐疑的視点を持つ人間は、大衆の国家と社会が必然的に破滅するのを横目で冷笑しながら、一種の諦観を持ち静かに彼岸の救いを待つほか生きる術は無い。

この1935(昭和10)年の分岐点についてもう少しだけ書きたいので、次回に続きます。

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戦前昭和期についてのメモ その3

その2に続き、福田和也『昭和天皇 第四部』(文芸春秋)より。

1934(昭和)年、陸相荒木貞夫辞任、後任林銑十郎、斉藤実内閣退陣、岡田啓介内閣成立、永田鉄山陸軍軍務局長就任。

世界では、独レーム事件、ヒンデンブルク死去、オーストリア首相ドルフス暗殺、ソ連国際連盟加入、キーロフ暗殺、満州国帝政実施、瑞金陥落と中国共産党の長征開始。

この辺りから陸軍内の「皇道派」と「統制派」の争い激化。

この両派の名前は適切でないという見方もあるが、初心者はとりあえずそのまま理解。

最初に名を出した荒木貞夫と真崎甚三郎を担いだ隊付将校らが皇道派。

次に、31年末犬養内閣からの陸相だった荒木の後任、林銑十郎という人を一言で言うと、「統制派のロボット(傀儡)」。

両派分立の前、陸軍中堅幹部が一団となって国家刷新を目論んでいたころトップとして担がれたのが荒木・真崎・林の三人で、党派対立が生れると、前二者と林の間に懸隔が生れる。

両派閥対立の話については、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ)の説明がわかりやすい。

この年、『国防の本義と其強化の提唱』と題する陸軍パンフレットが刊行され、統制経済推進と軍が「第三党」として政治に介入することを宣言したものだとして問題になる。

統制派の中心は陸軍軍務局長に就任した永田鉄山。

著者の永田への評価は比較的高いと思われる。

クーデタや暗殺などの暴力行為を否定し、政治家・官僚・財界と軍との協調を目指し、「高度国防国家」を徐々に成立させようとする立場。

特筆すべきなのは後年の統制派主流とは異なり、永田は「対中一撃論」に立った強硬な中国政策を支持していなかったこと。

日中対立を沈静化させ、満州国の状況を安定化させることを何より必要としていた当時、永田の存在は極めて貴重であった。

一方、皇道派は対ソ戦を最重視したため、もともと対中政策では妥協的傾向あり。

だからいっそのこと「狂信的」というイメージのある皇道派が勝った方が泥沼の日中戦争を回避できた可能性があり、むしろまだマシだったという意見もあるが、しかし不用意に日ソ戦を始めて反撃されるというぞっとするシナリオを考えると、そう単純に言えないとも思われる。

この箇所では、翌年政治問題化する天皇機関説について記述あり。

皇道派の隊付将校らは、永田らの構想する、政治家・官僚・財界人と軍人との協力によって作り上げられる「高度国防国家」における専門的軍人としてのアイデンティティ喪失を危惧。

その危機感が天皇を機関・抽象的機能とすることを拒否させた。

また明治時代には封建時代からまだ間もなく、兵は疑問を持たずに死地に赴いたが、昭和に入り近代的個人主義に目覚めると、死を受け入れるために超越的存在を求める風潮や心理状態が生まれた。

つまり「近代化が進んだからこそ、天皇機関説が攻撃されるようになった」という逆説的状況があり、このことは高橋正衛『二・二六事件』(中公新書)でも触れられていた。

あと、世界情勢について補足。

ドイツではレームら突撃隊粛清と大統領ヒンデンブルク死去によりヒトラーが独裁体制を一層固めている。

しかし対外的には順風とは言えず。

当時隣国オーストリアは首相ドルフスの統治下。

このドルフスは独裁的統治を敷いてはいたが、権威主義的価値観の持ち主で、オーストリア・ナチ党を弾圧していた。

ドイツで言うと、ブリューニング、シュライヒャーに当たる存在か。

ところが、この年オーストリア・ナチスがドルフスを暗殺。

これに対してオーストリアに野心を持つムッソリーニはヒトラーの関与を疑い、国境地帯に軍を動員して圧力をかける。

結局ヒトラーは釈明し関与を否定、オーストリアでのナチの政権奪取は失敗し、シューシュニクが首相に就任、38年の併合まで権威主義政権を維持することになる。

以上のようにこの時期のムッソリーニが明確に反独的姿勢を保っていたことは記憶しておく価値がある。

しかしこの態度は翌35年に激変し、それがムッソリーニ自身とイタリア王国を滅ぼすことになる。

ソ連では、スターリンの後継者とも見做されていたキーロフが不可解な状況下で暗殺され、これが大粛清の端緒となる。

キーロフがスターリンの指示で殺害されたとすると、まるで同年のレーム粛清に印象付けられ、それに倣ったような感すらある(実際そういう説があるようです)。

中国では、蒋介石が満州をめぐる日本との対立を棚上げして全力を挙げて共産党討伐を継続、この年、中華ソヴィエト共和国首都の瑞金を陥落させ、中共は長征という名の敗走に移る。

日中両国ともにナショナリズムを抑制してこの情勢を続けていればねえ・・・・・・。

一体どれだけの人命が失われずに済んだことか。

この記事では1935年までいくかなと思っていたが、やはり一年だけ。

やや短いですが、今日はこれまで。

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戦前昭和期についてのメモ その2

福田和也『昭和天皇 第四部』の記事続き。

1933(昭和)年、熱河侵攻、国際連盟脱退、塘沽(タンクー)停戦協定、滝川事件、今上天皇御生誕。

世界ではもちろんヒトラー政権成立が最大の出来事。

他に米フランクリン・ルーズヴェルト政権成立、ニュー・ディール政策とソ連承認。

日本に続き、独も連盟脱退、ソ連第二次五ヵ年計画開始。

ヒトラーが政権を奪取したこの1933年という年号はもちろん絶対暗記事項。

ムッソリーニが第一次世界大戦から間もない(休戦から4年、ヴェルサイユ条約から3年の)1922年に政権の座に就いているのに対し、ヒトラーはそこから11年も経って大恐慌の混乱を経てから首相になっている。

「ムッソリーニが2のゾロ目、ヒトラー(とルーズヴェルト)が3のゾロ目」と憶える。

このイタリアとドイツのタイムラグは、1861年イタリア統一、そこからちょうど10年目の1871年ドイツ統一、と並んで頭の片隅にイメージしておいた方が良い。

なお、この年には日本共産党最高幹部の佐野学・鍋山貞親が獄中で転向声明を発している。

田中義一政友会内閣下における、1928年三・一五事件、29年四・一六事件以後も共産党に対する苛烈な弾圧は続き、プロレタリア文学の大家小林多喜二も特高警察によって惨殺されている。

当局による徹底した弾圧と世間からの迫害が行なわれていたこの時期に共産党員として活動するためには、現在の私たちには想像もできないほどの、ほとんど超人的な勇気と自己犠牲の精神を必要としたであろう。

多喜二がそれを持っていたことは疑いない。

また、党員としての義務を果すと同時に、家族の生活を支えるため潜伏中にも関わらず、原稿執筆と発表を続けねばならず、それによって一層特高から執拗に狙われることとなった。

多喜二が殺害された後、警察署に呼ばれた母親のセキに対し刑事が、多喜二の死は「心臓麻痺による突然死」とする書類に判を押させようとしたことが記されている。

その後の描写。

寝台車は十一時近くに、小林宅に着いた。

遺体が床に横たえられると、それまで一声も発しなかったセキが叫びはじめた。

「ああ、いたましや。いたましや。心臓麻痺なんて嘘だでや。子供のときからあんだに泳ぎが巧かったのに・・・・・これ、あんちゃん。もう一度立てえ!立ってみせろ!」小林の頭を抱えて叫びつづけた。

一方、多喜二が全世界プロレタリアの祖国、人類の未来の道標であると信じ、絶対的忠誠を誓っていたであろう、同時期のスターリン体制下のソ連を、本書では少し後の章で以下のように記述している。

クリヴィツキー(『スターリン時代』の著者)による述懐。

この時期、大粛清は未だ始まっていないものの、第一次五ヵ年計画の農業集団化によってすでに数百万人の餓死者が出ている。

二年前の秋、クルクスのマリノ・サナトリウムで休暇を過ごした。

サナトリウムは、コーカサスの征服者であるプリャーチン公の邸宅を改装したものだった。

腕利きの医者と、スポーツ指導者、よく訓練された召使いがいて、休暇にはもってこいだった。

食糧も医薬品も豊富にあった。

ある日、近くの村まで散歩にいった。

村にいる子供のほとんどが半裸だった。何の衣類も身につけていない子もいた。

もうすでに寒風が吹きはじめていた。

共同組合の売店に行くと、食糧も燃料もない。

ホテルに戻り、クリヴィツキーはたっぷりした夕食を摂り、満足し、サロンに入っていった。

暖炉は勢いよく燃えている。

ふと、目を窓にむけた。

数人の子供たちがしがみついている。

ガラスに子供たちの顔がいくつもくっついて、まるで絵のようだった。

飢えた、子供の目。目。目。

パンを持ってきてやろうか、と考えて躊躇した。

「富農」の子供にパンを与えた、と批判されるかもしれない。他の客が気づいて、召使いに追い払わせた。

あの時、気づくべきだったかもしれない。

この革命は、失敗したのだと。同胞が同胞を、同志が同志を殺しあう、地獄の中の地獄なのだと。

私は、このような叙述を「左翼への意地の悪いあてつけ」だとは思わない。

著者の筆致から滲み出てくるのは、硬直した政治的立場からする一方的裁断ではなく、人間も社会も本当に一筋縄ではいかない複雑な代物だなあという静かな諦観である。

また、一年間の記述だけで一記事。

まだまだ続きます。

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戦後昭和期についてのメモ その1

正村公宏『日本の近代と現代』(NTT出版)の記事続き。

戦後史の部分では、著者の本業からか、この手の概説にしてはやや詳しい経済史が記されている。

特に難しくないので、普通に読める。

著者は戦後日本の経済的成功を認めながら、その問題点を以下のように語る。

日常用語における「成長」(growth)は数量の増加だけを意味しない。ある人間について「成長した」という評価が語られるときは理解力・判断力・適応力・行動力・包容力などの総体が認識されている。「開発」あるいは「発展」(いずれも英語ではdevelopment)は個人についても社会についてもいっそう明確に総合的評価を含む言葉として使われている。しかし、ある国の経済活動の水準を示す指標として国内総生産または国民総生産の推計量が重視されるようになり、成長という言葉が狭く理解される傾向が強まった。組織のあり方や人的資源の蓄積が議論の背景に退き、社会の構造や生活の質の変化が議論されない傾向が強まった。

そして高度経済成長期が終わり、中成長時代に移行した70~80年代に、輸出産業の国際競争力強化と成長率維持を優先目標とする後発国型制度体系から脱却できず、社会保障制度整備・教育制度充実・環境保護・住宅建設などの施策とそのための公正な国民負担を問題提起できなかった政治の責任を厳しく指摘している。

こうした立場から、著者は80年代中曽根内閣による新保守主義的(新自由主義的)政策と行政改革路線に批判的態度を示している。

前回記事の最初に書いた同著者の『経済学の考え方』では、確かマルクス経済学に対する厳しい批判だけが印象に残っていただけで、著者がこういう立場の方だということは、不覚にも全く気付いていなかった。

また、近現代を通じる日本政治の問題点を以下のように指摘。

危機の時代に民主制を機能させるためには、国家および社会が直面している問題を読み解き、有効な制度と政策を構想し、改革の必要を説いて国民の多数を獲得しようと努力する政治主体の存在が不可欠である。しかし、現代においてはマス・デモクラシーのポピュリズム(populism)とマス・コミュニケーションのセンセーショナリズム(sensationalism)の相乗作用が民主制の機能不全を強めている。ポピュリズムは政治家が国民の目先の関心に迎合して票を集めようとする動きであり、センセーショナリズムは各種のマス・メディアが意図的に人々の関心をあおることによって新聞の発行部数やテレビの視聴率を引き上げようとする動きである。

ポピュリズムとセンセーショナリズムの破壊作用は、日本の近代の不完全な民主制のもとでも顕著であり、国民を破滅的戦争へと導く重要な要因になった。それは、現代においても、外交政策と経済政策と社会政策の選択をめぐる建設的議論の組織を致命的に阻害している。

加えて、経済体制をめぐる以下の意見、特に赤文字で引用した部分には衷心から同意したい。

1990年前後の世界史の諸事件を「社会主義に対する資本主義の勝利」と考えるのも軽率である。敗北が確定したのは社会主義のひとつの分流であるコミュニズムというイデオロギーである。民主制のもとでの漸進的改革を追求したヨーロッパの社会主義(民主的社会主義/社会民主主義)の勢力は重要な成果を記録した。現代の多くの先進国の政府は、自由民主主義と社会民主主義、政治的民主主義と経済的民主主義の組み合わせを、追求するようになっている。

両体制の対立のいちおうの終結によって確定したのは、古典的な資本主義(資本家が支配する体制)の優越ではなく、多かれ少なかれ社会民主主義の諸制度を組み込むことによってつくりかえられた混合型の社会経済体制の優越である。混合(mix)という言葉は曖昧に響くが、20世紀の深刻な歴史的経験は、混合型の経済体制こそが社会が直面するさまざまな問題を最小の犠牲と費用によって解決する道筋を用意する可能性をもつことを証明している。・・・・・・

特定の単一の原理にもとづいて社会のすべての問題を解決することができるという原理主義的思考(イデオロギーになりやすい思考)から脱却しなければならない。社会生活のすべての側面を市場にまかせる原理主義も、社会生活のすべての側面を国家の指令によって処理する原理主義も、社会を破滅させる。原理主義的思考を避け、個々の問題ごとに、原因究明と状況理解のための周到な努力を積み重ね、民主制のもとで議論を尽して合意形成をはかる必要がある。

やたら広い叙述範囲を一冊にまとめた概説の割には、はっきりした特色があって良い。

その史観については隔靴掻痒の感が否めない部分もあるが、重要な指摘も含まれていると思う。

これなら十分初心者に勧められます。

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正義論についてのメモ

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)の記事続き。

第9章、道徳と責任について。

まず道徳的個人主義の考え方。

これは、習慣・伝統・受け継がれた地位でなく、一人ひとりの自由な選択がわれわれを拘束する唯一の道徳的責務であるとする立場。

カントの自律的意志、ロールズの無知のベールに覆われた仮説的同意の双方とも、この道徳的個人主義に基づき、独自の目的や愛着から独立し、自己の役割・アイデンティティを考慮しない個人を前提としている。

そこには愛国心・同胞愛・家族愛など、われわれが本能的に尊重すべきであると考える価値が入る余地は無い。

実際には、自己は社会的歴史的役割や立場から切り離せず、目的論的特性を帯びた物語の中で自分の役割を見出す存在だと、著者は主張する。

ここで著者は道徳的責任の三つのカテゴリーを提示。

1.自然的義務:普遍的 合意を必要としない

2.自発的責務:個別的 合意を必要とする

3.連帯の責務:個別的 合意を必要としない

1は殺人の禁止など、最も原初的な義務。

2は契約に基くもので、平等志向のリベラル派はしばしばこの段階に留まる傾向がある。

3は物語的説明から生れるもので、著者の大いに強調する部分。

第10章、「正義と共通善」、全体のまとめとして、以下の文章を引用。

この探求の旅を通じて、われわれは正義に対する三つの考え方を探ってきた。第一の考え方では、正義は功利性や福利を最大限にすること――最大多数の最大幸福――を意味する。第二の考え方では、正義は選択の自由の尊重を意味する――自由市場で人びとが行なう現実の選択(リバタリアンの見解)であれ、平等な原初状態において人びとが行なうはずの仮説的選択(リベラルな平等主義者の見解)であれ。第三の考え方では、正義には美徳を涵養することと共通善について判断することが含まれる。もうおわかりだと思うが、私が支持する見解は第三の考え方に属している。その理由を説明してみたい。

功利主義的な考え方には欠点が二つある。一つ目は、正義と権利を原理ではなく計算の対象としていることだ。二つ目は、人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ、平らにならして、個々の質的な違いを考慮しないことだ。自由に基づく理論は一つ目の問題を解決するが、二つ目の問題は解決しない。そうした理論は権利を真剣に受け止め、正義は単なる計算以上のものだと強く主張する。自由に基づく諸理論は、どの権利が功利主義的考慮に勝るかという点では一致しないものの、ある特定の権利が基盤となり、尊重されるべきだという点では一致する。だが、尊重に値する権利を選び出すことはせず、人びとの嗜好をあるがままに受け入れる。われわれが社会生活に持ち込む嗜好や欲求について、疑問や異議を差し挟むよう求めることはない。自由に基づくそうした理論によれば、われわれの追求する目的の道徳的価値も、われわれが送る生活の意味や意義も、われわれが共有する共通の生の質や特性も、すべては正義の領域を越えたところにあるのだ。

私には、これは間違っていると思える。公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。

面白い。

明快な論旨の流れに引き込まれる思いがする。

本書の正義観も、結局個人主義に基礎を置いているという評も読んだことがあるし、いかにもアメリカ的だなあと興醒めする部分もないではないが、それでもリバタリアンの御託宣を聞かされるより、何十倍もマシである。

ただ、訳者による解説・あとがきの類が一切無いのは残念。

それが唯一の欠点か。

とは言え、読んで損はありません。

お勧めします。

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